映画と夜と音楽と...[484]村上さんが愛したマクドナルド/十河 進

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〈動く標的/新・動く標的〉

●高校時代にポール・ニューマンの「動く標的」を十回見た村上さん

村上春樹さんのインタビュー集「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」を読み終わった後、インタビューの話が気になって「ダンス・ダンス・ダンス」を読み返した。それを読み終わると、村上さんが「ダンス・ダンス・ダンス」「ノルウェイの森」を書いていた頃のことを読みたくなって、久しぶりに「遠い太鼓」を本棚から抜き出した。今は、アメリカ時代の話である「やがて哀しき外国語」を再読している。

その「やがて哀しき外国語」の中に「僕は高校時代にポール・ニューマンの『動く標的』を十回くらい見た」という文章が出てきた。もちろん、以前にも読んでいたし、村上さんは他の文章でも書いている。ポール・ニューマンが演じた私立探偵ルー・ハーパーの着ていたアメリカン・トラッドのスーツについても、何かの文章で触れていた。

僕も「動く標的」は、高松市のライオン館で見た。1966年、中学三年生のときのことである。映画公開の前には、創元推理文庫で出ていた原作も買っている。表紙は、拳銃を構えて左手を腰に当てている仰角ぎみのポール・ニューマンの写真だ。裏表紙は富豪の娘を演じたパメラ・ティフィン。大きく胸の開いた水着姿でセクシーである。当時の僕は、胸をときめかしたに違いない。

「動く標的」は、私立探偵が目覚めて事務所を出ていくまでのタイトルバックの映像が評判になった。目覚めたハーパーは、洗面台に水を溜めて氷を入れ、顔を浸ける。下着姿で台所にいき、コーヒーを淹れようとするが豆がない。昨夜、一度使ったドリップフィルターをくず箱から拾い上げる。何だか今の僕みたいだ。

ハーパーは、ずっと同じダークスーツを着ている。白いシャツに細身の無地のネクタイを締める。ただし、シャツは半袖だし、ボタンダウンではない。「ポール・ニューマンが着ている服は西海岸風の少しカジュアルなトラッドだが、その軽さが映画の雰囲気にぴたっと合っていて、魅力的だったことを記憶している」と村上さんは書いているが、僕も同意見だ。



あの頃のポール・ニューマンが体現していた軽さあるいは空気感は、「暴力脱獄」(1967年)「明日に向かって撃て」(1969年)でも感じるし、僕は好きだった。それに僕も「動く標的」のポール・ニューマンのスタイルには影響を受けていて、未だにミッドナイト・ブルーのダークスーツに紺のネクタイというスタイルが好きだ。もちろんナチュラル・ショルダーのアメリカン・トラッドである。

もっとも、僕が「動く標的」を見にいったのは、ポール・ニューマンが目当てではなく、ロス・マクドナルドのリュウ・アーチャー・シリーズが初めて映画化されたからだった。僕は、どちらかと言えばリュウ・アーチャーをルー・ハーパーという名前に変えたことを怒っていた。なぜ、あれほど有名になっている主人公の名前を変える必要があるのか。

その真相は、映画雑誌の記事で読んだ。「ハスラー」(1961年)「ハッド」(1962年)と、頭文字がHの作品が当たり評価が高かったので、ポール・ニューマンがHで始まるタイトルにこだわったからだと、その記事は伝えていた。ハリウッド・スターのわがままが、アーチャーをハーパーに変えたのである。だから、僕はポール・ニューマンに怒りを抱きながら映画館に入ったのだった。

●村上春樹さんのロス・マクドナルドへのレクイエム

村上春樹さんはレイモンド・チャンドラーが好きなんだろうなあ、というのは初期作品からうかがえた。おそらく、ハードボイルド小説もかなり読んでいるのだろう。ロス・マクドナルドがアルツハイマーとの長い闘いを経て亡くなったのは、1983年のことだった。そして、その年の晩秋に出版された村上春樹さんの「象工場のハッピーエンド」には、ロス・マクドナルドへのレクイエムが載った。

                 ★
ロス・マクドナルドが死んだ。
ロス・マクドナルドが死んじゃったことで、ひとつの流れが終わったんだな、
と思う。そう思われつつ死んでいくことは、作家にとってひとつの勲章である
かもしれない。あるいはその逆かもしれない。
               (中略)
僕はロス・マクドナルドの死を心から悼む。
(村上春樹・文/安西水丸・画「象工場のハッピーエンド」CBSソニー出版刊)
                 ★

その文章が醸し出す気分は、当時の僕にぴったりはまった。僕もロス・マクドナルドの死を心から悼んだ。あれほど人の心の中に踏み込んでいく小説を書き続けた作家が、1976年に刊行した「ブルー・ハンマー」を最後に、1983年7月11日、サンタバーバラの病院で67歳で亡くなるまで、7年間も沈黙をしなければならなかったのだ。悲痛な想いだった。残酷な晩年を悼んだ。

僕は、十代半ばから最後のアーチャーものである「ブルー・ハンマー」が出るまで(それは1978年の暮れに唯一のハードカバーとして早川書房から翻訳が刊行された)、十数年にわたってロス・マクドナルドの小説を読み続けた。リュウ・アーチャー・シリーズの長編18冊と短編集1冊、それに単独の主人公の作品が4冊、それらは今も僕の本棚に並んでいる。

リュウ・アーチャー・シリーズ第一作「動く標的」など、初期作品の6冊は創元推理文庫で出ていた。それ以後のリュウ・アーチャー・シリーズや「死体置場で会おう」「ファーガスン事件」は、ほとんど早川ポケットミステリ版で入手した。僕が初めて翻訳が出るのと同時に買ったのは、今では最高傑作と言われる「さむけ」である。それ以降は、新作が翻訳されて出るのを首を長くして待ち続けた。

リュウ・アーチャー・シリーズの中でも、とりわけ名作と言われる「ウィチャリー家の女」「縞模様の霊柩車」「さむけ」は、小笠原豊樹さんの訳で刊行された。小笠原豊樹さんは、詩人の岩田宏さんである。その訳文の素晴らしさは、リュウ・アーチャーにより精神的な深みをもたらせ、静謐な性格を与え、思慮深い私立探偵のイメージを作り上げた。

ただ、岩田宏さんの詩は、特に僕が好きな「いやな唄」という詩は、言葉のリズム感にあふれ、ユーモアとシニカルさが漂う作品だ。リュウ・アーチャー・シリーズの訳文の静かな雰囲気とは少し印象が異なる。「いやな唄」は最初に読んでから40年以上になるけれど、そのフレーズは僕の頭に刷り込まれ、今でも通勤電車の中で口ずさむことがある。こんな具合である。

                  ★
あさ八時
ゆうべの夢が
電車のドアにすべりこみ
ぼくらに歌ういやな唄
「ねむたいか おい ねむたいか
眠りたいのか たくないか」ああいやだ おおいやだ眠りたくても眠れない
眠れなくても眠りたい
                  ★

●なぜポール・ニューマンは10年近く経ってハーパーを演じたのか

1976年の冬だった。ポール・ニューマン演じるルー・ハーパー・シリーズの新作が公開されることになった。「新・動く標的」(1975年)である。原作はリュウ・アーチャー・シリーズ二作目の「魔のプール」だった。監督はスチュアート・ローゼンバーグ。ポール・ニューマンと組んで傑作「暴力脱獄」を作った人である。僕の期待感は高まった。

当時、結婚して間がなかった僕は、カミサンとふたりで新宿のロードショー館に「新・動く標的」を見にいった。「動く標的」が公開されてから10年後である。「新」と付けたところで、誰が前作を憶えていただろう。「動く標的」は私立探偵映画として好きな人には高く評価されたが、特にヒットしたわけでもないし、名画座で何度も上映されるような映画でもなかった。当然のことだが、カミサンも前作は見ていなかった。

それにしても、なぜ、ポール・ニューマンは10年近くも経ってハーパーを演じようと思ったのだろう。当時のポール・ニューマンは、ハリウッドのナンバーワン・スターだった。前年には、スティーブ・マックィーンと組んだ「タワーリング・インフェルノ」(1974年)で、マネーメイキング・スターとしても認められていた。それが、どうしてしがない孤独な私立探偵を再び演じたのだろうか。

そんな疑問を感じながら僕は映画館の椅子に腰掛け、2時間近くスクリーンを見続けた。依頼人を演じたのは、実生活でもポール・ニューマン夫人のジョアン・ウッドワードだ。彼女の無軌道な娘役をメラニー・グリフィスが演じた。僕は後にメラニー・グリフィスが主演スターになることはもちろん、「鳥」(1963年)のヒロインを演じたティッピ・ヘドレンの娘であることさえ知るよしもなかった。

「新・動く標的」には、印象的なシーンがふたつあり、その映像は今でも鮮明に甦る。ひとつは、プールでの拷問シーンだ。原題の「the drowning pool」の意味である。大量の水がものすごい勢いでハーパーを直撃し、彼は溺れ死にそうになる。俳優も大変だなと思ったが、どういう展開でそうなったのかはよく憶えていない。

初期のリュウ・アーチャーものは、それまでのハードボイルド小説を踏襲した作風で、後年のいわゆる「ロス・マク節」とは趣が異なる。戦後の同時期に派手な私立探偵小説を書いてデビューしたミッキー・スピレインの、ベストセラーになっていたマイク・ハマーものとそんなに違いがあるとは思えない。もちろん、そう書くとかなり語弊はあるのだけど...

しかし、私立探偵の事務所に依頼人が現れ、彼が調べ始めると殺人が起こり、あるとき私立探偵は後頭部を殴られて昏倒し、ギャングたちにつかまって拷問を受け、何とか反撃して窮地を脱出し、最後に意外な真犯人がわかる...、そう要約できてしまう物語であることは間違いない。特に、リュウ・アーチャー登場以前のロス・マクドナルド作品はそうだった。

「新・動く標的」で僕の記憶に鮮明に残るもうひとつのシーンは、後のロス・マク節を彷彿とさせるものだった。真犯人の告白シーンである。僕は原作では感じられなかった後期ロス・マクドナルドの作風を、映画版を見て感じたのである。おそらく、それは僕がほとんどのリュウ・アーチャーものを読んでいたからだろうけれど、そこには深い人間理解がなければ描けない何かがあった。

●「ギャルトン事件」でロス・マクドナルドはさらなる高みに達した

深い人間理解...。確かに、そうかもしれない。リュウ・アーチャー・シリーズ8作目の「ギャルトン事件」で、ロス・マクドナルドはさらなる高み(深み)に達した。「ギャルトン事件」の読後感は、当時、僕に深い余韻を残した安岡章太郎の「海辺の光景」の読後感、あるいは遠藤周作の「沈黙」の読後感、サリンジャーの「フラニーとズーイー」の読後感と同じだった。素晴らしいものを読んだ、と高校生の僕は思った。

さらに「ウィチャリー家の女」「縞模様の霊柩車」とロス・マク節は冴えわたり、「さむけ」に到達する。この小説のラストフレーズを、ときどき僕は思い浮かべる。「あげるものはもうなんにもないのだよ、レティシャ」と僕はつぶやき、その物語の全容を甦らせる。そうつぶやくことで、僕は宿命のようなものを己に言い聞かせることができる。そこには、間違いなく人生のひとつの真実が描かれていた。

「さむけ」以降、ロス・マクドナルドは12年間に7作のリュウ・アーチャー作品を生み出した。だが、次第に「ロス・マクドナルドの作品は同工異曲、自己模倣から抜けられず、何を読んでも同じである」という批判が起こってくる。確かに、そうかもしれない。しかし、それのどこがいけないんだ?

僕は、ロス・マクドナルドの新作が翻訳されるのを待ちかねて読んだ。初めて小鷹信光さんが訳した「一瞬の敵」は本当に面白かったし、小鷹さんの訳したリュウ・アーチャーは小笠原豊樹さんの訳したアーチャーとは別人に感じることもあったけれど、それはそれで味わい深かった。確かに、「一瞬の敵」のストーリーもそれほど変わり映えはしなかったけれど、だからこそ僕はロス・マク節に酔えたのだ。

「ギャルトン事件」以降の作品は、単純な家出事件あるいは失踪事件の調査依頼を受けたリュウ・アーチャーが動き始めると、古い未解決の殺人事件が浮かび上がり、新たに殺人が起こり、次第に複数の事件がからみ始め、複雑に錯綜した人間関係が明らかになり、最後に意外な悲劇が顕わになる、というストーリーに要約できる。だが、僕はそんなロス・マクドナルド的世界に浸りたくて、新作を読み続けたのだ。

ロス・マクドナルドの世界は小説でこそ表現できるものであって、映像化しても華がないと判断されたのだろう。数少ない映像化された作品は、ほとんど前期のものばかりである。後期リュウ・アーチャーものを映画化しても、探偵が人と会って話を訊いているシーンばかりになる。拳銃も暴力もセックスもない。アクションシーンもない。これでは、ハリウッド映画にはならない。

そう思っていたのだけれど、アメリカでは「残酷の愛・殺人放火魔の正体」(1974年)というテレビ・ムービーが作られている。日本でもテレビ放映されたようだが、ひどいタイトルだ。原題は「地中の男/the underground man」である。原作はニューヨークタイムズ・ブックレビューの巻頭で論評され、ベストセラーになった。映像化されたのは、大規模な森林火災のシーンがあるからだろう。アーチャー役は、「スパイ大作戦のフェルプスくん」ことピーター・グレイブスだった。

●やっぱり評価は人がするものだと思い知らされる

ロス・マクドナルドを読み過ぎた僕は、そんな小説が書きたくなって、1985年に長編ミステリに挑戦してみたことがある。三十半ばだった。僕が書き始めた物語は、明らかに「さむけ」と「一瞬の敵」の影響を受けていたが、300枚まで書いて行き詰まった。その頃は、まだ400字詰めの原稿用紙に書いていたので、書き進めるのはなかなか辛かったのと、途中からプロットが錯綜しすぎて整理がつかなくなったからだ。

それから20数年後、たまたま雑誌で大沢在昌さんと対談する機会があり、そのときに「ソゴーさんは小説は書かないの?」と言われてその気になって(植木等みたいだけど)、大沢さんが選考委員をつとめる江戸川乱歩賞めざして長編ミステリを書いたら、何と500枚以上も書けてしまい、応募したら三次選考まで残った。すっかり気をよくして、翌年も2作目を書いて送ったら同じく三次選考に残った。

そこで、僕は3作目に途中まで書いていた昔の物語を取り出したのである。その300枚の原稿用紙は24年の風雪(?)を耐え抜き、かなり黄ばんでいたけどインクの色も鮮やかに残っていた。僕は、その1985年5月の3日間だけの物語に、23年後に設定したプロローグとエピローグを付け、全面的にリライトした。結局、530枚ほどでまとまった。

それは、1985年5月に起こった事件が23年後に真実の姿を現す物語になった。事件の核になるのは1961年に起こった出来事であり、主人公が動き始めるきっかけは友人の妹の家出だった。今更ながら、何とロス・マク的かと思う。その物語を今年の乱歩賞に応募した。正直なところ、僕としては前2作が最終選考の前まで残ったのなら、今度の方がミステリとしては絶対に面白いと思っていた。しかし、雑誌での結果発表を見ると二次選考で落ちていた。

やれやれ、自分でいつも言うように「評価は人がするもの。自己評価なんて何の意味もない」のだと思い知らされた。下読みの人にロス・マク風と思われたかな、と思うと少し恥ずかしいが、応募直後にカメラマンの加藤孝にPDFにしたものをメール添付で送っておいたら、ある日、「ホントにめちゃくちゃ面白かった」と電話をもらった。たぶん、彼はロス・マクドナルドを読んだことがないのだろう。

ところで、昔、「ミステリマガジン」に竜弓人のペンネームで映画評を書いていた人がいる。僕が以前に知っていたNさんは名前が「隆」なので、「リュウ」さんと呼ばれていたが、自らの事務所を「リュウ・アーチャー探偵事務所」と呼んでいた。みんな、リュウ・アーチャーが好きだったのだ。そんなNさんとも会わなくなってずいぶんになるけれど、今でも「リュウ・アーチャー探偵事務所」を名乗っているだろうか?

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >
先日、ある若いモンに「ロス・マクドナルドって知ってる?」と訊いたところ、「何ですか、それ。ロスにあるマクドナルドですか?」と問い返された。たぶん、彼流の冗談だろうと思う。いや、そう思うことにした。時は過ぎゆき、水は流れる、文化は変わる...。そして、いつも犬は吠える。

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