電網悠語:日々の想い[173]日々プレゼン、更に深く
── 三井英樹 ──

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プレゼン修行が続いている。立て続けに、まったく異なる状況でプレゼンをこなさなければならない。小さな会議室でのプレゼンと、大規模展示会の通路に面したステージでのプレゼン。場所も相手もさまざま。

認識すべきは、徐々に「プレゼン」という一つの技法的領域ではなくなってきている、ということ。そして、プレゼンは繰り返すほどに、自分の本心というかモティベーションの元というか、何かしら根源的な「何かを伝えるという姿勢」的なものへと向き合わされているような感覚になっている。



■小さな会議室でのプレゼン

プロジェクトとして進めてきたものの、総集編を伝えるような場面。数ヶ月かけて来た成果を、納得していただくための前哨戦。これまでどんなに和気合いあいと進んで来れてたとしても、雰囲気が変わる可能性がある。

検収印を押すという責任が付いた時点から、何かが変わる。多少他人行儀になりながら、お互いの成果物イメージの差異を明らかにする。プロジェクトの最終段階直前の儀式のような匂いもする。お互いが責任を取る部分がどこか、自分達が説明できるかという視点での洗い直しである。

緊張する。とにかく緊張する。初対面でもないのに、プレシャーが増す。でも、総集編という感じで、自分の立ち位置を確認する気分もある。作成した資料を並べて、これは○○をするために、これは△△を推測するために、これは□□は○○というファクトと、△△の推測とから導き出したもの。全体を俯瞰した形で個々の位置付けを確認してから詳細説明に入る。

調査資料系だけでなく、デザインでも同じ。重ねた打合せは、理屈や理論や意気込みなどの重ね合わせ。だから最終成果物も、そんな積み重ねが透けて見える(思い出せる)方が自然なのだろう。

歩んできた道を俯瞰するかのように話すと、自分でも感慨深くなる。説明のために何度も口にしながら準備してきているのに、初めて聞くかのような自分も居る。むしろ自分に向かって、納得できるるかを本番になっても吟味しているかのようだ。

話を聴く側が、なるほどとか、和らいだ表情を見せた時の安堵感が達成感につながる。あ、響いてる。伝わっている。そんな直感。緊張が少し解けて、ノって来る。逆に、相手の表情が硬くなると、体がこわばる。打破しないと、と緊張が増す。できることを探す。既に相手の目の前だから、何かを作るという解決策はない。あるもので凌ぐしかない。でも、何がいけないのかを知り得る最高の場所だ。二度怒らせると収拾は爆発的に増大するので、ヒヤヒヤだ。

■大規模展示会の通路に面したステージでのプレゼン

路上パフォーマンスもやっている。クラウドコンピューティングEXPO2010秋。展示会ブースで話すのは久々。何が辛いって、相手が誰だか分からないこと。しかも、今回はクラウドに興味のある方にデザインを語っている。嗜好性が微妙に異なるし、場違い感さえ漂う。

時間は15分。毎回微調整する覚悟でいたけれど、実際そのとおりになった。毎回プレゼンの合間は、資料作成をしている。自分のパネルの前に立ちながらの作業。過去の資料から、少しでも興味がありそうなものを集める。同ブースのプレゼンの中から使えそうなフレーズをお借りする。

結果は非常に分かり易い。客がいるかいないか。誰も足を止めなければ、それだけのプレゼンと考えるべきなのだろう。言い訳はない。片や閑散としたものがあり、片や多くが足を止めるものがある。

周辺のプレゼンも気にかかる。音量合戦をすると、事務局的な人が飛んでくる。昔よりもずっと素早い。にこやかな顔で、指導される。手馴れたものである。プレゼンそのものが一般化した現われでもある。

その中で伝えたいことを伝えられるか。短時間で毎回初対面で嗜好性も完全一致ではない。完全にアウェーである。でも、勉強になる。コミュニケーションをデザインします、とか言っているのだから、コミュニケーションできなきゃ笑い話にもなりゃしない。意思伝達力、意思疎通力、相手の表情から何を聞きたいかを読み解く力。そして惹きつける力。未だ未だ足りないものばかり。

それにしても、さまざまな方のプレゼンをまとめて見れるのはありがたい。見ながら、自分でも言っていいこと/悪いこと、背伸びしすぎる言い方/謙遜過ぎる言い方。断定を求めているお客さんだっている。そんな諸々を目の当たりにしながら、自分のスタイルを探るしかない。場数が一番有効な教育なのだろう。

■プレゼン修行

モノが作れて、更にそれを語れる人材。その域に達しないと生き残れないのかもしれない。職人が寡黙でよかった時代は、メディアのピンチとともに去ったようにも見える。SNSやTwitterのおかげで、自分自身がメディアであるということを強く意識する。既存メディアを頼らなくても声が届く。

実際自分の生き残りを賭けたコミュニケーションを、意識しようがしまいが関係なく、既にしている。特に何か特化した技術を有する訳でもない、広く浅くのジェネラリスト型は特にそうなのだろう。

所属とか忠誠心とかナンセンスに見える。社員が光るから会社が輝く。それが自然だと思える。そして自分の評価は自分で仕掛けて作らせる。それ位の意気込みや覚悟が求められる時代なのかもしれない。会社の評価システムは、諸々見てきたけれど、完璧なものはない、未だ見たことがない。でも日々評価を重ねることに勝るものはないだろう。つまりプレゼン修行が続いている、日々プレゼン。

続きはプレゼンでw。

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