[2964] 破滅に向かう人間の弱さ

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《文字通り「感情入った」状態》

■映画と夜と音楽と...[487]
 破滅に向かう人間の弱さ
 十河 進

■ところのほんとのところ[48]
 ファインアートフォトグラファーって大変だ
 所幸則 Tokoro Yukinori


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■映画と夜と音楽と...[487]
破滅に向かう人間の弱さ

十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20101126140200.html
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〈白昼堂々/軍旗はためく下に/昭和枯れすすき/不良少年/夜の終る時/殺人者はバッヂをつけていた/裏切りの明日〉

●村上春樹さんがペンネームをリュウにしようと思った話

この間、村上春樹さんとロス・マクドナルドに関する話を書いたすぐ後、新聞広告に「するめ映画館」(文藝春秋)という吉本由美さんの本が出ていたので買ってみた。村上春樹、都築響一、吉本由美の三人で作るユニットが「東京するめくらぶ」だ。彼らは「地球のはぐれ方」という本を出している。ちなみに「するめ映画」とは、何度でも味わえるという意味らしい。

その「するめ映画館」の中で、村上春樹さんがロス・マクドナルドの話をしていた。座談会のメンバーは、村上さんと吉本さん、そこに和田誠さんが加わっている。フィルム・ノアールをテーマにした回で、村上さんはやはり「動く標的」(1966年)を推薦しており、楽しそうに盛り上がっている。そこに、こんなやりとりが出てきたので思わず笑った。

──和田 主人公の私立探偵、リュウ・アーチャーの名前にちなんで、ペンネームをリュウにしようと思ったという話は本当ですか?
──村上 本当です。村上龍というのはいいなあと思ったら、先に出ちゃった(笑)。

村上さんは、本当にロス・マクドナルドが好きみたいだなあ。初めて読んだペイパーバックがロス・マクのものだったという。僕もロス・マク好きだが、日本には彼の影響を受けた作家が、もうひとりいる。ずいぶん以前に亡くなってしまったけれど、結城昌治さんである。文学的な香気漂うミステリを書く人で、玄人筋の受けがいい作家だった。

結城さんはロス・マクドナルドを高く評価しながらも、「ウィーチャリー家の女」の基本トリックには欠点があると指摘して、自分でも私立探偵・真木シリーズを書き始めた。「暗い落日」「公園には誰もいない」「炎の終り」の長編三作があり、何十年か前に僕は続けて読んだのだけど、その小説の静かで深い味わいは今も印象深く残っている。

日本のハードボイルド作品で、後期ロス・マクドナルド作品に登場するリュウ・アーチャーのような思索的な雰囲気を持つ探偵に匹敵するのは、真木しかいないだろう。大沢在昌さんの「雪蛍」「心では重すぎる」の佐久間公にも僕はアーチャーの面影を感じるのだが、彼にはディック・フランシスが創造した魅力的な調査員シッド・ハレーのDNAも引き継がれている気がする。

この原稿を書くので、結城昌治作品で映像化されたものを調べてみたのだが、数多くのテレビドラマで使われていて、何と真木シリーズもテレビドラマになっていた。「暗い落日」(1977年)は石堂淑朗が脚本を書き、単発ドラマとして放映された。高橋幸治の主演だ。高橋幸治の真木だったら、見たかったなあ。真木を演じる高橋幸治の声が聞こえる気がする。

「暗い落日」(1983年)は日本テレビの火曜サスペンス劇場の一本としてもう一度ドラマ化されていて、高橋悦史が真木を演じているらしい。同じ高橋だが、幸治とはずいぶんイメージが違う。もっとも、高橋悦史も僕の好きな俳優で、彼が主演した連続テレビ時代劇「鳴門秘帖」(見返りお綱は扇千景だったと記憶している)の頃からひいきにしていた。

●ミステリだけでなく多彩なジャンルの作品を書いた結城昌治さん

結城昌治さんは多彩なジャンルの作品を書いた人で、初期には「ひげのある男たち」というユーモア・ミステリを書き、倒叙もの、ハードボイルド私立探偵小説、悪徳警官ものなど日本では珍しいミステリ分野を開拓していたが、直木賞は「軍旗はためく下に」という非ミステリ作品で取った。落語好きで「志ん生一代」という評伝もある。

僕は結城昌治原作の映画は名作である、というセオリーを唱えていて、今までにも「不良少年」(1980年/「映画がなければ...」第一巻455頁)や「昭和枯れすすき」(1975年/「映画がなければ...」第三巻388頁)などを紹介したけれど、今回、映画化された作品を調べてみたら、四割しか見ていなかった。なので、僕が見た結城昌治原作の映画は名作だった、と訂正しておきます。

「白昼堂々」(1968年)は、後に「昭和枯れすすき」を作る野村芳太郎監督の作品だ。「フーテンの寅さん」になる直前の渥美清が主演した犯罪映画である。泥棒集団のリーダーが渥美清。万引きの常習犯が「さくら」になる前の若く美しい倍賞千恵子。倍賞千恵子が妖艶な役をやっていて、渥美清を色仕掛けで騙そうとするシーンもある。

「軍旗はためく下に」(1972年)は、「仁義なき戦い」(1973年)を作る直前の深作欣二監督作品である。直木賞受賞で話題になった原作を、深作欣二が真っ正面から映画化し、高い評価を受けた。片方で「人斬り与太」(1972年)シリーズを作りながら、深作欣二は日本軍の暗部を告発する硬派の映画を作っていたのだ。

「昭和枯れすすき」は高橋英樹の刑事、やくざな妹の秋吉久美子という兄妹映画の傑作である。身内が犯罪と関わったとき、警察組織の中の自分と肉親の情がせめぎ合う。ドラマチックな感情が高まる。それを淡々と描き出し、当時、ヒットした「昭和枯れすすき」の哀愁を帯びたメロディに乗せながらも、感傷に堕さなかった野村芳太郎の手腕は大したものだった。

「不良少年」を名作と呼ぶのは少しはばかられるのだが、僕にとっては好きな映画である。当時、30を前にして、僕は自分の青春時代の終わりをひしひしと感じていた。就職し結婚して5年が過ぎようとしていた。今さら「青春時代の終わり」などと甘ったれたことを言う年でもなかったが、とにかく僕は何かに追い立てられるような気分だったのだ。

そんなとき、後藤幸一監督を紹介してくれたのは、会社の先輩のH女史だったと思う。後藤監督は丸山健二原作の「正午なり」(1978年)でデビューし、なかなか次作が作れなかったのだが、結城昌治の原作を得て2年ぶりに新作を作った。当時の僕は、苦労しながらも映画を作ることにこだわっている人に、強いコンプレックスがあった。

それは、経済的な安定を求めて、自分が志と違うことをやっているという意識が強かったからだ。僕は、夢を諦めた人間だと己を規定していた。月刊の8ミリ専門誌の編集という、一見、自由に見える仕事をしていただけに、よけいに自分の夢を意識したのかもしれない。僕は好きな映画の周辺にいることで、自分を納得させようとしていた。

その当時、僕が会った若き映画人たちは、大森一樹、森田祥光、石井聰互、長崎俊一など、後に映画監督として世に出る人たちだったが、その頃はまだ8ミリで自主映画を撮っている大学生だったのだ。彼らは明確な夢を持ち、映画を作るという目的のために、実にストレートに生きていた。すでに監督デビューしていたが、後藤監督もそんな一人だった。

僕は支援するような意識もあって「不良少年」を見にいき、主演の金田賢一が口癖のように言う「感情入ったよ」というセリフを心に留めた。彼は少女に「好きだ」と言う代わりに「感情入ったよ」と照れたように口にする。その少女を演じたのは、新人の熊谷美由紀である。後に松田優作と結婚して松田美由紀になり、龍平、翔太という男の子を産む。

●やはり結城さんの死後に残るとしたら悪徳警官ものか

結城昌治さんが亡くなったのは1996年、すでに14年が過ぎた。エンターテインメント系の作品は、作家が亡くなるとなかなか入手できなくなる。結城さんの本も、最近ではあまり見かけなくなった。それでも、3年ほど前に2時間のテレビドラマとして「夜の終る時」(2007年)が放映された。岸谷五朗の主演である。

ああ、やはり結城さんの死後に残るとしたら悪徳警官ものか、と僕は何となく納得した。「夜の終る時」は、日本推理作家協会賞を受賞した結城昌治の代表作である。日本では珍しかった悪徳刑事を主人公にしたクライム・ノヴェルだ。人間の弱さを晒し、堕ちていくベテラン刑事役は、岸谷五朗のようなアクの強い俳優がやると似合う。

昔、やはり2時間ドラマになり、アクの強い俳優が同じ悪徳刑事を演じた。彼は東映の悪役専門の俳優だったが、深作欣二の映画で注目され、倉本聰の連続ドラマ「前略おふくろ様」でとび職の頭を演じて一般的にも顔を知られるようになった。その後、人気者になった川谷拓三とコンビを組んで洋酒のテレビコマーシャルにも出るようになったが、彼が主演した「夜の終る時」(1979年11月17日)が放映されたのは、そんな頃だった。

手塚治虫さんが創造したキャラクターに、スカンク草井という悪役がいる。ハリウッドスターのリチャード・ウィドマークをモデルにしたということだが、このスカンク草井を見ると、僕はその俳優を連想する。大きな躯に腫れぼったい顔、独特の落ち窪んだ目が悪役の雰囲気を漂わせる。悪徳刑事役だから、彼にオファーがいったのだろう。

その室田日出男が主演した「夜の終る時」を僕は一度見ただけなのだけれど、今も鮮明に憶えている。犯罪者へと堕ちていくベテラン刑事、彼の人間的な弱さや悲しみが、その物語から伝わってきた。彼が堕ちていくきっかけになる女を演じたのは、倍賞美津子だった。犯罪の影にいる女...、当時の倍賞美津子のはまり役だった。

結城昌治が日本では珍しかった悪徳警官ものに手を染めるきっかけになったのは、やはりアメリカのミステリを読んだからだと思う。結核の療養所で福永武彦と知り合った結城昌治は、福永からミステリを勧められて読み始め、やがて自分でも書き始める。やがてエラリィ・クィーンズ・ミステリマガジンのコンテストに入賞する。当時から翻訳ミステリは、かなり読んでいたのだろう。

その頃、ウィリアム・P・マッギヴァーンやヒラリー・ウォーといった作家が警察小説を手がけており、悪徳警官ものも書いている。ハリウッド映画では「殺人者はバッヂをつけていた」(1954年)が悪徳刑事ものとして有名で、この原作はトマス・ウォルシュだった。僕は中学生の頃に創元推理文庫で買って読んだ。犯罪者が強奪した金を、刑事が奪おうとするストーリーに衝撃を受けた。

「殺人者はバッヂをつけていた」の主演は、日本でも人気のあったテレビドラマ「パパ大好き」のフレッド・マクマレーである。彼は、仲間の刑事たちと銀行強盗犯の情婦の部屋を張り込む。情婦役は、デビューしたばかりのセクシーなキム・ノヴァクだった。彼女が主人公のファム・ファタール(運命の女)である。金髪の美女のために刑事は殺人を犯し金を奪い、破滅へと向かうのだ。

この映画には「三つ数えろ」(1946年)でデビューした妖艶なドロシー・マローンも出ていて、昔のハリウッドには「男を犯罪に誘う女─ファム・ファタール」を演じる女優がいっぱいいたものだと改めて思う。山田宏一さん言うところの「映画的な、あまりに映画的な美女と犯罪」なのである。

●人間的な、あまりに人間的な破滅していく姿

悪徳警官ものに僕が惹かれる理由は、彼らが破滅に向かって疾走するからだ。犯罪を取り締まる人間が、金や女がほしいという欲望に負けて犯罪者となり、破滅していく姿に「人間的な、あまりに人間的な」弱さを見るからだ。破滅に向かっていることを彼らは知りながら、それでも欲望に負け、懸命に走り続ける。途中で降りることはできない。追いつめられ、彼はあがく。陥穽に落ち、這い上がろうともがく。その姿から人間の弱さと愚かさが浮かび上がる。

そんな男と女の姿が今も甦るのは、「裏切りの明日」(1975年1月31日〜3月28日放映)である。忘れがたい結城昌治原作の一本。室田日出男主演の「夜の終る時」の放映から遡ること4年、やはり悪徳警官ものだった。原作は「穽」というタイトルだったのだが、テレビ化されたときのタイトルが気に入ったのだろう、結城さんは小説も「裏切りの明日」と改題した。

スタッフ・キャストの顔ぶれを見ると、実に贅沢だ。脚本は早坂暁が担当している。おそらく「裏切りの明日」と付けたのは早坂さんだろう。主演の確信犯的な悪徳刑事役は原田芳雄、相手役は倍賞美津子だった。地井武男、高橋幸治、西村晃、有川博といった顔ぶれが脇を固めた。詐欺や経済犯罪が描かれていて、当時、手形の意味もわからなかった僕は内容をうまく理解できなかったけれど、主人公が一直線に破滅に向かう姿に手に汗を握った。

僕の記憶では、そのドラマを見ていたのは会社勤めを始めた後だと思っていたのだが、放映開始は僕が就職する前である。僕は卒業前の2月12日から勤めたので、勤め始める直前にドラマは放映が始まり、卒業式の3日後に終了したことになる。そのドラマを見ていた記憶は鮮明だが、その頃、自分が何をしていたのか、何を考えていたのかは思い出せない。

「反逆のメロディー」(1970年)を見て以来、熱烈な原田芳雄ファンになっていた僕は、そのドラマを欠かさず見ていたつもりだが、何回かは見逃しているかもしれない。物語の細かい部分はほとんど忘れたが、後半になって大金を掴んだ原田芳雄の演技がどんどんパセティックになっていった印象がある。それは、追いつめられていく主人公の心情と重なっていたのかもしれない。

その10年後、原田芳雄と倍賞美津子が主演した森崎東監督の「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」(1985年)を見た僕は、「逢いたいよう、逢いたいよう」とつぶやく倍賞美津子と「裏切りの明日」のヒロインを重ねた。「裏切りの明日」を見ていた頃、僕は破滅に向かう男の悲しみと女のしたたかさに共感していたのだろう。文字通り「感情入った」状態だったのだ。

「裏切りの明日」(1990年)は、オリジナルビデオ作品としてリメイクされた。萩原健一と夏樹陽子の主演である。監督は逆光使いの映像派である工藤栄一。伝説のドラマ「傷だらけの天使」のゴールデン・コンビではないか。未見だが、見てみたい。工藤監督作品なら、僕が見た結城昌治原作の映像作品はすべて名作だ、というセオリーが崩れることはないだろう。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
>
土曜日、会社のエアコン交換工事でいつもより一時間早く会社へ出た。僕が交換するわけではないが、汚れ仕事なのでジーンズと革ジャンでいった。このところスーツにネクタイばかりだったので、ジーンズに革ジャンで出社するのは20数年ぶりだ。電車の中でアダモ(越路吹雪でも可)の「ブルージーンに革ジャンパー」を口ずさんでいたのは、ご愛敬です。

●306回〜446回のコラムをまとめた「映画がなければ生きていけない2007-2009」が新発売になりました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1447ei2007.html
>
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4880651834/dgcrcom-22/
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■ところのほんとのところ[48]
ファインアートフォトグラファーって大変だ

所幸則 Tokoro Yukinori
< https://bn.dgcr.com/archives/20101126140100.html
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ファインアートフォトグラファーって大変。こう書くと、なんが大変なんだろうとみんな思うかもしれない。いや、むしろ今の日本の状況を考えると、このテキストを読んでる人達から、俺達だって大変なんだぞ! と怒られそうです。すいません! [ところ]はとりあえずあやまっておきます。

2008年秋に個展「渋谷1 Second瞬間と永遠」を渋谷で開催して以来、ファインアートで生きていこうと頑張って活動している。しかし、日本ではファインアートフォトの市場はまだ狭く小さい。そこで、欧米やアジアなどにもアピールしようと考えfacebookも始めた。facebookのことは以前も書きました。

現在フレンド数3,090人、ファンページは1,959人。
国別内訳をざっくり書くと
アメリカ:400
フランス:300
イタリア:150
スペイン:150
イギリス:100

その他は各20〜80で、日本、アルゼンチン、ドイツ、メキシコ、ポルトガル、トルコ、カナダ、ベルギー、タイ、ギリシャ、スイス、コロンビア、インドネシア、マレーシア、ブラジル............そして世界中からメッセージが届く。

今、これを書いている間に、スイスのギャラリーからの難解な英文が来ている。フランス語エリア在住の人のメールの中には、英語のスペルミスも多く、それにともなうストレスも多い。

個展の打診もあれば、オリジナルプリントの値段の問い合わせ、プリントを是非見たいから送ってくれというギャラリーからの依頼もある。だけど、みんな国民性に違いもあるから、対応はひととおりではすまない。

コミュニケーションが上手くいかず何度もやりとりしたり、熱烈なメッセージがあったかと思うと、一か月近くなにも返事がなかったりした例もある。英語をはじめイタリア語、フランス語、スペイン語が話せれば、電話してコミュニケーションを取れるからかなりストレスが減ると思うんだけど、語学に強くない[ところ]は本当に大変。世界中からメールが来るのは、じっさい嬉しいことなんだけどね。

今、開催中の上海の個展「PARADOX -上海1second-" 所幸則 Solo Exhibition」も、個展にこぎつけるまでも本当に大変だった。この分野に専門の日本人が、間に入っていてくれたにもかかわらず。中国では時間の流れるスピードも違えば、優先順位も考え方もぜんぜん違った。
< http://www.tokoroyukinori.com/exhibition/PARADOX_ShangHai_1second/
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2008年秋に展「渋谷1 Second瞬間と永遠」から一年ぐらいは、日本でいくつか声がかかっただけなので、抱えていた事案は3〜4件だった。その後、2009年9月から一年近く、夢中で世界のあちこちを撮り続けていたからだろうか、いろいろなコミュニケーションエラーに気づく暇もなかった。

日本に戻るとさまざまなことが起っていて、いまその対応に追われている。相手は建設会社、グッズショップ、役所、病院、コンサルティング会社、もういままで直接話したこともない、いろいろな人間とやりとりしている。

"第一期所幸則"の時の相手は、出版社、広告代理店、いろいろな企業の広報室など。多少やり方は違ってはいても、みな同じ業界といってもいいようなもので、喋る言葉も、優先順位もだいたい同じだったので非常にシンプルだった。

今の相手は[ところ]の世界と全く違うのであった。もちろん、それを望んだのは[ところ]自身ではあるんだけれど。そして、想像した以上に評価は高くて個展の依頼もあるのだが、収入より先に支出ばかりで本当にきつい。

アートで生計をたてること自体、普通の家庭に生まれ育った人間には無理だ、そう言われていたことは知っている。かつて、土門拳は著書で貧乏人は写真を撮るなといったようなことを書いている。事実、1909年生まれの彼の時代は、カメラ自体が非常に高額だったということもあるから出た言葉だろう。お金にならないことを職業にしたら不幸だと言ってる、と学生時代の[ところ]は解釈していた。

現代を代表する写真家の一人であるロバート・フランクも、写真でお金にする気もない、というようなことを言っていたとキュレーターから聞いたことがある。彼は1924年生まれ。土門拳の時代より15年もあと、そして日本ではないアメリカだ。当時の日本よりは遥かに裕福な国アメリカでもそうなんだ。

考えてみると、日本で絵描きになる、アーティストになる、と子どもが親に夢を語っても、やはりもう少し地道に生きなさいと言われるのが圧倒的多数だと思う。

そして、それだけ大変な世界だからだろうか、経歴も詐称すれすれのようなプロフィールが少なくない。グループ展と書かずに、フランスのギャラリーで個展をやったかのような表記。例えば、写真展「◎△◇ photoExhibition ◎△◇」GALERIE ◎ la ◎△◇(日本人が知らない街名・フランス)とかね。お金を出せば誰でも参加できる100人規模の団体展でも。日本じゃわかるはずないから、 写真展のタイトルとNYという表記で自分を大きく見せたり、その手のも多い。みんな必死なんだけど、どうにかならないんだろうか。[ところ]が硬いのかな? 正直じゃない表記を見るとやるせない気持ちになってしまう。

それだけファインアートフォトグラファーとして生きるのは難しいことで、それを承知で[ところ]も頑張ってはいるんだけど。どこまでやれるかわからないが、前のめりに生きたい。いい兆しは沢山あるしね。実際きついけど......。

来年の3月には、メールのたびに必ずお天気の話から始めるギャラリストとの個展が決まった。ユナイテッドキングダム(UK)北アイルランドの首都ベルファスト。[ところ]は最初、まったく知らなかった地名なのでどうしようとか思っていた。

いろんな人から聞くと、世界でも最大級の写真の美術館があるだとか、貴重な写真のコレクションをスゴイ量もっているらしいとか、個展を望んでも手続きが大変なんだとか、これは上海のキュレーターに聞いた話だけど。しかも、会期中ベルファストに滞在したいというと、公的機関の助成金を申請して、ほとんど[ところ]に負担なくしてくれるように動いてくれたりもしている。宿泊は知り合いの家に一か月、ホームステイしていいそうだ。

イタリアとはやりとりの真っ最中、中国でも何か所かで個展の企画が進んでいる。アメリカでもそう。外国ばかりかよ、という人のために、安心してください。渋谷でも動きがあります。ハチ公の......ごめんなさい。まだ内緒です。ほんとのところはっきりしてからね!

そのかわり、ひとつニュースを! iPhoneのケースに[ところ]の渋谷シリーズが加わりました。死んだ双子の弟の作品も一つだけ出しました。とりあえず3Gと3GS用ですが、他にも色々出します。楽しみにしてくださいね。
< http://designgarden.jp/tokoroyukinori/
>

[ところ]のfacebook
< http://www.facebook.com/yukinori.tokoro
>
[ところ]のfacebookのファンページ
< http://www.facebook.com/pages/Yukinori-Tokoro/134631276574216
>
どちらも[ところ]の作品が好きな人はリクエストしてください。
[ところ]のwebサイトリニューアル中、日英中のトリリンガルにします。

【ところ・ゆきのり】写真家
CHIAROSCUARO所幸則 < http://tokoroyukinori.seesaa.net/
>
所幸則公式サイト  < http://tokoroyukinori.com/
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■編集後記(11/26)

・裁判員裁判で初めて、3人を殺傷した少年に死刑判決が出た。判決後、裁判員たちは「正直怖かった。どんなに悩んで結論を出しても、被告や被害者側から納得いかない思いを抱かれる。一生悩み続けるんだろうなと思った」「死刑がこんなに重いとは思わなかった。日本の法制度の問題かもしれないが、正直つらい。今日を迎えるのが嫌でしょうがなかった」「重圧で押しつぶされそうだった」など、苦しい胸の内を明かしている。数日間とはいうものの平安な時間を奪われ、目を背けたくなる画像を見せられ、殺人の微細なようすを聞かされ、判決という責任を負担させられ、悩みぬき、涙する。彼らは心に大きな傷を負ったはずである。「何の落ち度もない」というのは裁判の常套句だが、まさに何の落ち度もない一般市民に、なぜこんな「苦役」を押し付けるのか。今日の読売新聞で、制度設計に関わった大学教授が「裁く側にこれだけの負担を伴うということを、裁判員の記者会見を通じて国民は改めて知ったと思う。それこそが裁判員制度の意義であり─」と語っていたが、冗談じゃない、負担を伴うのは尊敬され高給を得る職業裁判官だけでいいではないか。たまたまクジにあたって裁判員に任命された人が気の毒でならない。裁判員法では施行3年後の見直しを予定しているが、実際の運用の中で問題が起こっても、それを表明し、議論することができないことになっているそうだ。続ければ続けるだけ問題が起きる。すぐに見直しすべきだ。(柴田)

・ティム・バーナーズ=リー氏の「FacebookはWebに対する脅威だ」という記事を読んだ。検索にひっかからないということらしい。mixi苦手と何度か後記に書いたことがある。wwwで広がった世界が急にしぼんだような、知識や情報は共有しようよ〜と思ったことを覚えている。ニフティのコミュニティやパティオに出入りしていてとても楽しかったが、wwwになった時の楽しさ面白さは、桁違いだったから。wwwで育った世代にとっては、クローズドなSNSは新鮮なのだと聞いて、なるほどとも思った。個人情報云々もあるが、いま思えば、ニフティや草の根は匿名で、wwwの方が実名を使う人が多かった覚えがあって、不思議な気も。このmixi脅威論みたいなのは日本では既に語り尽くした世界で、あちらさん遅れてはるんとちゃいますの? とも思ったり。そういやOrkutはどこに行ってしまったの? Facebookほど広がらなかったね。/そのwwwの父が今頃、「http://」の「//」はいらなかったな、と。そういや、キーボードの「/」の位置、すぐに覚えましたわ。/iPadのOSをバージョンアップしたら、壁紙が変更されてしまった......。iPhone使っているので新鮮味はないが、やはりフォルダは便利だ〜。(hammer.mule)

< http://slashdot.jp/it/10/11/23/0242234.shtml
>
「FacebookはWebに対する脅威だ」
< http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0910/16/news043.html
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http://」の「//」は要らなかった、とWWWの父

< http://blog.livedoor.jp/chihhylove/archives/3773116.html
>
47都道府県を擬人化した画像を発掘したんだが、お前らの故郷はどう?
< http://blog.livedoor.jp/chihhylove/archives/3726976.html
>
【至急】ジワジワくる画像くだださい
< http://blog.livedoor.jp/chihhylove/archives/1736602.html
>
ジワジワと笑えてくる画像貼りませう
< http://blog.livedoor.jp/chihhylove/archives/3775355.html
>
勝てる気がしない神々しい画像くだしあ><