武&山根の展覧会レビュー 「ありがとう」の数だけ「終わり」がある──2010年を振り返って/武 盾一郎&山根康弘

投稿:  著者:  読了時間:15分(本文:約7,200文字)



山:どーもー。しかし眠い。

武:おれもw チャッチャとチャット「終わらせ」ましょう。

山:どういうつもりやw やる気ぜんぜんなしやなw

武:そんなことはないけど、まだキモチワルイ。

山:え。そんなに呑んだか?

武:回復しないんですよ。楽しかったけど。あと、新月だからキモチワルイの。宇宙のせいw

山:それはどういうことや。


武:「新月・満月の前後は、なんとなく人の気持ちや体調が不安定になりやすい。で、節目的な出来事も色々起こる。」
< http://st.sakura.ne.jp/%7Eiyukari/123thinkspot.html >
  2010年12月6日の午前2時35分。今宵新月。なんか切ないね。

山:わからんわw

武:きっと新月がそうさせてるんだろうなあ。

山:しらんがな!


武:という感じでね、もう師走ですよ! 2010年も終わりですよ! なので今年を振り返るのはいかがでございましょうかと。

山:去年もそうやったな。
< http://bn.dgcr.com/archives/20091221140200.html >
  で、今年を振り返る、、、なんかあったっけ?

武:あ、じゃあ、2010年を漢字で表現してみよか。

山:なんやそれ。漢字って。

武:うん。何文字でもいいよ。

山:そうやねえ、なんやろ......【酒】。



●2010年を振り返る


武:「酒」かい!ちゃんと考えれ! 俺はねえ、【変曲点】。カーブが入れ替わる点ね。

山:漢字っていうか単語やな。

武:うん。2010年この一年は武盾一郎にとっては「変曲点」でした。後厄だしね、これを抜けてもうオッサンになるわけですよ。画家として「はらをくくった」年。「死にたい」とも思わなくなったし。今年はそういう変わる年だったなあ。


山:だいぶ前からすでにおっさんやないかw うーん、今年でくくるってむずかしいな......【忘】。

武:なにゆえ、「忘」?

山:もう色々忘れたw 酒呑んで忘れまくった。

武:ああ、意識的に忘れたんだな、それ。

山:すぐ記憶なくなるんですよ。

武:本当は覚えてるんじゃないのか? 覚えてると、いろいろ自分が保たないから、忘れたことにしよう、とか。「忘却」もまた生きて行く知恵である。

山:実際忘れんとやってられへんで、もろもろ。


武:そうねえ。今年のデジクリチャットの1月は俺のピン原稿からなんだなw
< http://bn.dgcr.com/archives/20100120140300.html >

山:お、そうやったっけ。でもデジクリをみながら振り返れるな。今年も色々観ましたね〜、ってそんなに多くもないか。

武:ウィリアム・ケントリッジって今年だもんなあ。もうずっと昔だと思ってたよ。
< http://bn.dgcr.com/archives/20100210140200.html >

山:確かにめちゃめちゃ昔に感じる。

武:なんだろう? この時間感覚。

山:今年は忙しかったんか?

武:2010年「変曲点」3大ニュースは、1位・個展『Real FantASIA』
< http://take-junichiro.tumblr.com/post/371808706/real-fantasia-press-release >
< http://take-junichiro.tumblr.com/post/865148642/real-fantasia >
  2位・アートバトルロワイヤル(SWAMP PUBLICATION)
< http://bn.dgcr.com/archives/20100609140200.html >
< http://bn.dgcr.com/archives/20100707140300.html >
  3位・宮下公園ナイキ化問題(246表現者会議)だな。
< http://bn.dgcr.com/archives/20100331140100.html >

山:読み返すと、なんや楽しそうやぞw 宮下公園は僕はわからんけど。

武:アートバトルロワイヤルの後半がないからだな、楽しそうなのは。

山:後半からなんかしんどなってきたんやな。

武:後半も楽しめたら良かったけどね。

山:なんやろね、あんまり楽しんだって気せーへんもんなあ。すっきり終わらんかったからか。

武:「終わり方」を自分らで設定しなかった、ということになるんかなあ。「強い奴が出て来て終わり」みたいな。宮下公園もある意味「強い奴が出て来て終わり」。


山:往々にしてあるんやろね。そういうこと。

武:パワー側が略奪して終わるんだろうね、できごとって。なので、自律を守る為に自分で「終わらせる」必要性を感じた、ということかも知れんな。

山:でも「終わり」って難しいよな。

武:難しいね。

山:だいたい「終わり」って何や? そこから考えようw

武:広大すぎるテーマだw

山:ひとまず呑むことにする!


●「終わり」について考える


武:俺さ、「終わり」をいろんな意味で「向こう」に決めさせて来ちゃったんだよね。

山:「向こう」とは?

武:新宿段ボールハウスペインティングはさ、段ボール村の火災で事実上「終わる」、俺側が「終わり」を決めれなかった。東大駒場寮もそうだよね。神戸での滞在制作は出てゆくという挫折で終わっちゃった。

山:そうやね。

武:「終わり」を委ねちゃうというか、自分で設定しなかった。「終わり」を設定しない、それは「可能性の担保」でもあるよな。


山:そりゃどういうこっちゃ。

武:「終わり」を考えないということは、ずっとずっとその「状態」の中に居ることになる。夢の途中。

山:ふむ。

武:なぜ「終わらせる」ことに興味がなかったのかなあ、、過程にいる。ライブである。そういったことと結びついてるんだけどね。

山:「終わり」が怖かった、とか?

武:「終わる」のが厭だった。永遠に続く夏休みを夢見たのだろうか。けど、本当に永遠に続く夏休みって、怖いよな。


山:そうやなw でも子どもの頃ってずーっと休み続けばええのに、って無邪気に思たりしてた。

武:そうだね。夏休みの「終わり」は、不条理にも「向こう」からやってくる。子どもの頃に感じてたそのリアリティに棲んでいたかったということになるのだろうか?

山:よく現場で、「終わらない現場はない」とか言うけど、「終わらない」で延々続くのはしんどいけどな。地獄やで。

武:そうね。「終わらせる」ってどういうことだろ。自分の意識で終了を設定する。ってことかな。

山:切る、完結、リセット、とか。


武:例えば、絵を一作品終わらせるじゃないですか。俺の場合、夏休みの終わりのように「向こう」から「終わり」がやってきて終わる、という感覚なんですね。ある意味、不本意なんだよね。つまんなくなっちゃうの。「終わる」とつまんないんですよ。

山:続いてるのが楽しい、と。

武:そういう性癖だったのかなあ。けど、最近「終わらせる」という感覚が分るようになって来た。「まず終わりから設定する」という意味が分かって来た。

山:ふむ。

武:子供じゃなくなったのかなw 「終わり」って自分で決めちゃいけないことだと思ってたのかな。もう大人なんだから「終わり」は自分で設定しましょうよ、と。


●「終わり」は存在するのか?


山:ちゅうか「終わり」はそもそも存在するのか?

武:なるほど。

山:何をもって「終わり」とするのか?

武:「節」と言い換えてもいいのかな。

山:「節」って「終わり」とはちゃうよな。

武:そうね、区切り。単位。

山:区切りをつけるっていうのは、一旦終わらせる、ってことか。でも「終わり」ではない。便宜的。

武:続ける為の終わりですよね。「終わり」とは続ける為にある。嗚呼、結構めんどくさい禅問答だぞ、これwww

山:だいじやで、これ。

武:そかw では続けましょうか。

山:続ける為の「終わり」。


武:例えば、アートバトルロワイヤルは最初から「終わり」を設定すれば良かったとは言えるよね。

山:そうやな。設定したはずやねんけど、そうならなかった。

武:こちらの「終わり」で終われなかった。かあ。

山:設定してたのにそうならなかった、そうしなかったのは、何か理由はあるんやろうな。自分たちの側に。

武:外部世界に自分たちの自律宇宙を投影出来ると思ったんかな。自律を求めた。自律してることにした。そしたら、自律してなかったw


山:自律か。っていうか、僕は沼美術館とか、そういう作品をやる時に、「見立て」として考えるんよ。そのものではなく、見立て。

武:「見立て」ってなんじゃ。

山:あるものを何か別のものに見立てる。

武:「見立て(みたて)とは、ある物の様子から、それとは別のものの様子を見て取ること。その別の物で対象物を言い表す、一種の言葉遊びとしてもよく見られる。比喩遊びとも言う。」
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%8B%E7%AB%8B%E3%81%A6 >
  比喩か。「ヘテロトピア」という言い方でもいいかもね。


山:だから、自律っていうのはあるんだが、実際に自律している必要はないというのか。自律を感じさせればよい、というか。

武:なるほど。俺は自律が存在してほしかった。「ヘテロトピア」というより「ユートピア」なんだよな。

山:突き詰めていくと、自律ってなかったりせーへん? 絶対にどこかは他律。


武:永久機関。

山:なにそれ?

武:「永久機関(えいきゅうきかん)とは外部からエネルギーを受け取ることなく、仕事を行い続ける装置である。古くは単純に外部からエネルギーを供給しなくても永久に運動を続ける装置と考えられていた。しかし、慣性の法則によれば外力が働かない限り物体は等速直線運動を続けるし、惑星は角運動量保存の法則により自転を続ける。そのため、単純に運動を続けるのではなく、外に対して仕事を行い続ける装置が永久機関と呼ばれる。」
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E4%B9%85%E6%A9%9F%E9%96%A2 >

山:実現不可能やってww

武:うん。

山:ロマンやな。


武:イメージとして、「自律=永久機関=ユートピア」つまり、「終わり」がない。

山:永久やからなw

武:そうそうw 例えばエッシャーみたいなの
< http://x24.typepad.jp/Photo/06-23/76.jpg >

山:こういうの昔よく見たよなあ。なんやろ。このおもしろさって何なんやろ。

武:「終わらない」からじゃないのかな。

山:水がぐるぐる回るのは面白いねんけど、左下の植物がやけに気になるぞw

武:俺もww


山:なんでこういう絵の植物はこうなんやろ。やっぱり夢の国のイメージ?

武:『平行植物』とかね。
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E8%A1%8C%E6%A4%8D%E7%89%A9 >
< http://blogs.yahoo.co.jp/masa03152003/GALLERY/show_image_v2.html?id=http%3A%2F%2Fimg.blogs.yahoo.co.jp%2Fybi%2F1%2F5b%2F09%2Fmasa03152003%2Ffolder%2F646330%2Fimg_646330_19889984_1%3F1198380198 >

山:ほう。


武:「終わり」の話に戻そう。

山:そうやな。どこまでも行ってまいそうやな。

武:「終わり」がないw いやしかし「終わり」って何だ?

山:「終わりは存在するのか?」

武:今、俺、「終わり」がゲシュタルト崩壊してるwww  尾張じゃないよ終わりだよ!

山:つまらん。


武:遠くを見るのがロマンの形式。現実をいったん飲込むのがセンチメンタルの形式。と考えると、「終わり」を設定したくないのはロマンである。「終わり」の了承がセンチメンタルである。

山:なるほど。

武:歳をとると、誰もがセンチメンタルになれるものなのかな。

山:ん? どうなんやろ。僕はあんまりセンチメンタルって好きになられへん。感傷的な気分がないわけではないけど。

武:センチメンタルを回避する方法がある。「忘却」だw

山:ああ、そうか。だから「忘」なんやな。僕は。

武:てことは、忘却する人ってリアリスト?


山:「詩魔は忘却のヴェールの奥に在る」、というのを思い出したw

武:なんぞそれ。

山:昔書いた僕の詩の一節ww

武:わはは!

山:でも意外とずっとそう思っているようやな。。。

武:ならば、「忘却のヴェールの奥に」行かねばw

山:よし! 呑むで! おお、なんとなく懐かしいノリやのう、って感傷かい!

武:「忘却のヴェールの奥に」あるのは「ユートピア」という名の地獄w


●「終わり」とは「ありがとう」である


武:「ものを作るとはどういうことか? 始まりがあり、終わりがあるということ。美しい、醜い、上手い、下手、関係がない。」
< >
  この、「始まりがあり、終わりがある」って、単純には作業のことだよね。

山:そうね。

武:けど、それだけじゃないんだよな。アートバトルロワイヤルのように、「始まったけど終われなかった」という意味での「終わり」もある。

山:いや、あれはまだ続いてるんやろう。

武:けど、アートバトルロワイヤル自体は終わってるからね。


山:もちろん区切りとしてはあるよな。確かに「ものを作るとはどういうことか? 始まりがあり、終わりがあるということ」と言いましたけど、これは作業としての始まりと終わり、節である、と。作業が終わったとしても、「何か」が終わったわけじゃない。

武:節を明確にきちっと設定しておくと気持ちいいよね。

山:そうやな。

武:例えばさ、俺の絵の描き方はさ、始まりも終わりも決めてなくて、何となく始めて何となく終わるんよね。ダラダラしてるんよw


山:ふむ。でも外から見た場合、終わればそれは「完成」ということになる。「未完成」っていうのもあるかもしらんが。「終わり」を設定すること自体は可能やろうけど、仮の「終わり」というのか。

武:時間が来たら自動的に「終わり」になっちゃうのは厭だよね。それじゃああんまりシャクなので、コチラ側で終わったことにさせちゃいたい欲望。それを「終わり」と呼ぶとか?

山:いや、意外と時間で終わりになった方が良かったりするかもやで。人間の「死」っていうのも、ある意味自動的なところあるやんか。こちらでさほど操作できないから。でもじゃあ、例えば極楽浄土やら天国やらに行けば「終わり」か? 未だ続いてるやん、って想像してまう。


武:いくつもの「終わり」のサイクルが入れ子のようにあるのかなあ。

山:それはあるんやろね。細胞みたいな。死んでまた新しく生まれて。

武:自転と公転とか。「終わり」を意識すればいいのかな。例えば、実演展示即売会。作品を売って現ナマを受け取ったところでひとつの小さな終わりがある、と。

山:うん。そういう作業としての終わりというのは、当然設定せざるを得ない。

武:ああ、わかった!

山:なんですの。

武:「ありがとう」はひとつの「終わり」なんだ。

山:ほう。


武:実演展示即売会での小さな終わりは、品を渡して現金を受け取って「ありがとう」。実演展示即売会そのものの終わりは店をたたんで「ありがとう」。そうだ、きっと死ぬ時も「ありがとう」。

山:ありがとう、有り難いというのは、ひとつひとつの奇跡に対する感謝の意の表明やな。

武:「ありがとう」の数だけ「終わり」がある。

山:ん。なんやベタやな! そういうもんか。


武:もうちょっと突っ込みたいけどね、「忘却のヴェールの奥に」ね。なんかね。

山:何? 体調悪いん? 僕はまだ燗2杯目ですよ。これからやで。

武:最近ね、思考を突っ込もうとすると、ボヤーッてしちゃうんだよ。

山:え。

武:核心に近づこうとすると、曖昧になっちゃうの。なんだろうなあ、この感覚。

山:「終わり」を拒否しているww


武:ああ。その核心ってやつはさ、実はたいしたことのないみすぼらしい姿でさ。核心が目の前にあるのに、気が付かなかったりするくらいにつまらないものだったりするんだよね。なので、その核心に近づくとボヤーっとして、核心を見ないようにする。そういう心理作用なんじゃないかなあ。

山:なんかそれをわかってしまうと、もう何もやらなくていい、みたいになってしまうんかね。ひょっとすると。

武:やっぱり「終わり」たくないんだな。


【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/諦観】
2010年「変曲点」ニュース
4位・芸術労働者宣言からベーシックインカムへ
< http://d.hatena.ne.jp/Take_J/20101030 >
思考の展開というか自己肯定というか。これを書いたことによってクリアになりました。
5位・ひとり旅
8月に青春18切符で長崎、京都などに滞在。いろいろふっきれました。
take.junichiro@gmail.com
twitter < http://twitter.com/Take_J >
Take Junichiro Art works
< http://take-junichiro.tumblr.com/ >
246表現者会議
< http://kaigi246.exblog.jp/ >

【山根康弘(やまね やすひろ)/忘れてなんぼ】
yamane@swamp-publication.com
最近思い出しました。twitter < http://twitter.com/swamp_jp >
SWAMP-PUBLICATION
忘れかけてる。< http://swamp-publication.com/ >