[3001] 真の勇気とは何だったのか?

投稿:  著者:  読了時間:34分(本文:約16,800文字)


《そうだ、アキバ行こう。》

■映画と夜と音楽と...[494]
 真の勇気とは何だったのか?
 十河 進

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 天上からの召喚により、ちょっとイタリア行ってくる
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■映画と夜と音楽と...[494]
真の勇気とは何だったのか?

十河 進
< http://bn.dgcr.com/archives/20110204140200.html >
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〈勇気ある追跡/グリーンベレー/トゥルー・グリット〉


●手綱を口にくわえ左手に拳銃を持ち右手でライフルをまわす大男

片目にアイパッチをし、テンガロンハットをかぶり、首にネッカチーフを巻き、ウェスタンシャツに革のベストを着けた大男は馬にまたがり、革の手綱を口にくわえる。左にリボルバーを持ち、右手でライフルをクルリとまわして銃弾を装填する。そして、正面から銃を撃ちながら近付いてくる、4人のアウトローたちに向かって馬を疾走させる。その姿を岩山の上で見ていた少女は、「あれこそ、本当の勇気だわ」と叫ぶ。

そのアクションシーンを見たとき、僕は映画館の椅子から腰を浮かし、思わず拍手をしようかと思うほどの、突然の高揚感に充たされた。長いライフルが、その大男にかかると銃身の長い拳銃のように見えた。大男の長いリーチがあるからできることだった。その大男が何十年も銃を扱ってきたことがわかる。ライフルも拳銃も男の体の一部になっていた。

だが、映画はそれから後も次々と見せ場が続いた。大男は4人のアウトローを撃つが、ボスに自分の馬を撃たれ、その馬の亡骸に片方の足を挟まれて動けなくなる。撃たれて瀕死のボスが馬に乗って大男に近付いてくる。大男は拳銃に手を伸ばすけれど届かない。ボスが拳銃を構える。そのとき、娘を救出したテキサスレンジャーの若者が、岩山の上から長距離用ライフルでボスを撃つ。

しかし、テキサスレンジャーはもうひとりの無法者の待ち伏せに遭い、岩で頭を殴られ倒れる。少女は父の形見の大型拳銃で無法者を撃つのだが、その反動でガラガラヘビのいる穴に落ちてしまう。右腕を折り、ガラガラヘビに噛まれた少女を大男は救い出し、抱き上げて馬を疾駆させる。二人の重さと全力疾走で馬が潰れると、彼女を抱いて荒野を歩く。馬車を見付けると銃を向けて有無を言わせず奪い、再び少女を乗せて突っ走る。少女の命を救うために...。

やがて、墓地でのラストシーンがあり、僕は自分が涙を浮かべているのに気付いた。しみじみとした少女の表情が目に焼き付く。少年のような、そばかすが目立つ少女だった。彼女は大男を愛情といたわりに充ちた目で見つめ、大男は「まだまだやれるさ」というように、馬で四段の墓地の柵を飛び越えてみせる。「ヤー」という大男の馬を駆り立てる声が、エンドマークが出た後も耳に残った。

不意に、一年前、同じ映画館でその大男が監督主演した映画を見たときの不愉快な後味が甦った。ハリウッドで、大男はタカ派として有名だった。その頃、ベトナム戦争はアメリカが北ベトナムを爆撃し、泥沼化の道を辿っていた。1968年、アメリカではベトナム戦争反対の動きが出始めていたが、世界を共産化から防ぐという大義を信じているアメリカ人は多かった。その大男は、そんなアメリカ人の代表として「グリーンベレー」(1968年)という映画を制作したのだった。

グリーンペレーは英雄だった。三角の笠のようなものをかぶり、まるで蟻の大群のようにアメリカ軍を襲うベトコンは、人格を持たされない描かれ方で得体の知れない怪物のようだった。ある隊員は、ベトコンを憎む正しいベトナム人の少年と仲良くなるが、卑怯な罠によってベトコンに殺される。監督主演の大男は少年と共に太陽に向かって立ち、「この国を守っているのは彼らのような男らしいアメリカ人なのだ」というメッセージを露骨に伝えてきた。

大男は、一方的な作品だと言われるのを嫌ったのか、インテリでリベラルな新聞記者を登場させる。戦場レポートを書くためにやってきたエリート記者だ。それを演じたのが「逃亡者」のリチャード・キンブルとして人気が出たデビッド・ジャンセンだった。しかし、彼のリベラルさは戦場の過酷さで打ちのめされ、遠いインドシナでアメリカの大義を背負って戦う兵士たちへの敬意に変化する。

その、あまりに露骨で、嘘くさいラストシーンに、僕は肩をそびやかしたものだった。アメリカ兵に後頭部を撃ち抜かれるベトコンの少年の写真を見た16歳の僕にとって、アメリカは帝国主義の国だったし、ベトナムの民衆を戦火にさらす悪の帝国だった。「ベトナムに平和を...市民連合」が活発に活動し、脱走兵たちに関するニュースが後を絶たない頃だった。

しかし、その一年後、もうすぐ夏休みが始まろうかという1969年の7月初旬、僕は「勇気ある追跡」(1969年)という映画のジョン・ウェインと、初めて見たキム・ダービーという少女がすっかり気に入ってしまったのだった。2ヶ月近く続く鬱屈から一時的に解放されて、僕は映画館を出た。

●安田砦落城から全国の高校での学園闘争が始まった

1969年、その年の1月18日から19日にかけて、東大安田講堂の攻防戦と彼らを支援する学生たちがお茶の水・神田を占拠したニュースが全国に流れた。多くの人がテレビに釘付けになった。機動隊が放水し、銃を構えて催涙弾を撃ち、ヘルメット姿の学生たちが石を投げ、火炎瓶を投げた。催涙ガスが漂い、そこら辺中で炎が立ち昇る。

そのニュース映像は、地方の高校生たちを刺激した。もちろん、その映像だけの影響ではなかったが、それまでは大学生中心だった学園闘争が高校生にまで波及したのである。そこから「高校紛争世代」が生まれた。その頃のことは、村上龍「69」や四方田犬彦の「ハイスクール1968」などを読むと、雰囲気がよく伝わるだろう。そして、僕もそんな世代のひとりだった。

友人の井沢に香川大学生が主催するマルクス研究会に誘われたのが、高校2年の秋だった。その教条主義的なグループになじめなかった僕は、何回か勉強会に顔を出しただけでいかなくなったが、井沢はそのグループのリーダー的な存在になり、学校改革を訴えて生徒会長に立候補した。当選した井沢は勉強会のグループは生徒会スタッフに加えず、僕に広報スタッフとして入ってくれないかと言ってきた。

僕は新聞部とは別に、生徒会の広報スタッフとして定期的に広報紙を出し始めた。そして、半年が過ぎた頃、1969年5月、大きな市営グラウンドを借りて行われる体育祭で、生徒会長として壇上に立った井沢は、突然、受験体制の批判、学校批判、国家批判のアジ演説を始めたのだった。造反演説である。井沢は最後に「国家権力、学校権力の象徴として掲げられている、あの日の丸を引きずり下ろそう」と叫んで国旗掲揚台に向かって走り、勉強会グループの数人がそれに続いた。

もちろん、体育祭は騒然としたが、その後、何事もなかったようにプログラムは進行した。僕は生徒会スタッフとして働いていたが、教師にどこかへ連れられていった井沢の居場所を探ろうとした。しかし、生徒指導担当の教師と共に消えた井沢の居場所はわからなかった。父親の転勤で高松にきていた井沢は、その後、再び父親が転勤になり、ひとりで寮に住んでいた。だから、僕が井沢に再会したのは、一年近く後の東京でだった。

その翌日、僕は副会長だった一学年下の女生徒に緊急の生徒集会を開くように要請した。僕としては任意出席の全体集会にするつもりだったが、優等生(後に東大医学部に現役で入った)で受験体制許容派の副会長は、通常のクラス代表者会議に変えてしまった。出席者は、男女ひと組のクラス委員だけである。一学年16クラスあったから、それでも100人近くの人間が集まっただろうか。

会議は騒然とした。井沢の行動には批判的な空気だったが、彼の処分問題になると圧倒的に「処分撤回」の意見が多かった。その朝、すでに「井沢は無期停学、追随した者たちは自宅謹慎」という沙汰が学校側から通達されていた。僕は、処分撤回という議決を得ようと、積極的に発言した。しかし、1年のときから井沢を自宅に泊めるほど仲のよかった立石が立ち上がって発言した。

──彼としては、信念を持ってやった行動だ。だとすれば、処分も覚悟していたはずだし、甘受するはずだ。処分撤回決議や闘争なんてナンセンスだ。

そのひと言で流れが変わった。立石は元新聞部部長で、生徒たちの中ではオピニオンリーダーだった。教師を論破した伝説があったが、それは事実だった。トイレの壁に「民青の親玉・立石を殺せ」と書かれるほど、新左翼系の生徒グループにとっても目立つ存在だった。教師をしていた兄が香川県では珍しい日教組の組合員で、もしかしたらその落書きは当たっていたのかもしれない。集会が終わり、僕は「なぜ、あんな発言をしたのだ」と立石を問い詰めると、立石は「彼は昔の彼ならずさ」と太宰治のフレーズを引用しただけだった。

●「勇気ある追跡」は「トゥルー・グリット」として甦った

先日、WOWOWのハリウッド最新ニュースを見せる番組を見ていたら、興行成績の5番目ぐらいに「トゥルー・グリット」という作品が紹介された。そばかす顔で三つ編みの少女と西部劇スタイルの若者が会話するシーンが流れた。「彼はテキサスで人を殺した」と若者が言い、「彼は私の父を殺した罪で裁かれるの。そのために人も雇ったわ」と少女が答えた。えっ、これって「勇気ある追跡」のリメイクか?

「グリット/grit」とは、気概、気骨、不屈の精神、勇気、元気、肝っ玉などの意味を持つ単語だ。「a man of true grit」は、「真の勇者」という意味になる。それを辞書で見たとき、僕の脳裏に岩山の上で叫ぶマティ・ロスことキム・ダービーの姿が浮かんできた。「あれこそ、本当の勇気だわ」と叫ぶ、その表情と共に...。

数日後、アカデミー賞のノミネート作品が発表になった。その中に「トゥルー・グリット」が入っていた。10部門でのノミネートらしい。それを知って、僕はいろいろ調べてみた。もちろん「勇気ある追跡」のリメイクだった。しかし、監督はコーエン兄弟である。下手なリメイクにはならないだろう。公式サイトを見ると、3月18日には日本公開が決まっていた。

ジョン・ウェインがやった片目の連邦保安官ルースター・コグバーンは、誰がやるのだろうと予告編を見たら、テンガロンハットにアイパッチ、さらに髭面だからよくわからなかった。ジェフ・ブリッジスみたいだなと思ったら、本人だった。テキサスレンジャーのラ・ブーフも凝ったメイクをしているのでわからなかったのだが、マット・デイモンが演じている。キム・ダービーが演じたマティ・ロスよりずっと幼く見える、ヘイリー・スタンフェルドの演技が評判になっているらしい。

「勇気ある追跡」のキム・ダービーは10代後半の設定だろうが、撮影時には20歳を過ぎていた。ヘイリー・スタンフェルドという少女は、まだ14歳だという。この作品で助演女優賞にノミネートされている。ジェフ・ブリッジスは、昨年、「クレイジー・ハート」(2009年)で60を過ぎて初めてアカデミー主演男優賞を獲得したが、それに続いての主演男優賞ノミネートだ。2年連続で受賞すると、スペンサー・トレイシー、トム・ハンクスに続く記録になる。

そうだ、「勇気ある追跡」でジョン・ウェインは念願のアカデミー主演男優賞を獲得した。62歳だった。全員がスタンディング・オベイションで、彼の受賞を祝った。リスペクトを表明した。当然だ。政治的信条がどうあろうと、そんなことはどうでもよかった。あのジョン・ウェインが主演男優賞を、ようやく獲得した。俳優生活40年の偉大なハリウッド・スターが、ようやく認められたのだ。それでも、ジョン・ウェインはクールだった。彼は短く、こうスピーチした。

──こんなことだったら30年前にアイパッチをつけておくんだった。

●教師の威圧に何も言えず勇気のない自分の情けなさが...

井沢は迎えにきた父親が自主退学の届けを出し、そのまま東京に連れ帰った。自宅謹慎処分になった連中も復学した。しかし、校門でアジビラが配られたり、教室の黒板に学校批判の文句が書かれてあったり、様々なことが続き、学校側はひどく神経質になっていた。僕も要注意人物のひとりと目されていた。教師が自宅に訪ねてきたりした。

勉強会グループのひとりからは、「あの勉強会をやっていたYさんの下宿が公安に見張られていたらしい。俺たちは香川県警公安部のブラックリストに載ってるぜ」と耳打ちされた。その頃の僕は、井沢の処分撤回運動をできなかったことで、自分を責めていた。退学覚悟で行動を起こした井沢に対して、僕はひどく後ろめたい気持ちを抱いていたのだ。自分は生活を賭して、人生を賭して、何もなしていない。行動を起こしていない...。

その頃の僕の鬱屈をシンプルに言うと、そういうことだった。6月になったある日、生徒指導担当の教師に生徒指導室に呼び出された。体育祭事件からひと月が過ぎていた。その尋問室のような部屋の椅子に僕を座らせると、生徒指導の教師は居丈高に言った。「井沢の事件が朝日新聞の全国版で記事になった。あの事件の2日後だ。事件の翌日、朝日新聞の記者にペラペラと話をしたヤツがいる」

体育祭の翌日の生徒集会が終わって、教室に戻った昼休みだった。朝日新聞高松支局の記者が教室に取材にきた。おそらく学校の許可なんか取っていなかっただろう。30過ぎに見えた記者は、僕が新聞記者に憧れていたこともあるのだろうが、ひどくかっこよく見えた。全国紙の記者である。僕は彼に話しかけられて、緊張した。彼はすでに事件の全容は掴んでいるようだった。憤懣をぶちまけるように僕は学校批判をし、処分撤回の議決をしなかった生徒集会への不満を訴えた。

「学校の名誉を傷付ける行為だ」と生徒指導の教師は言った。それがどうした、と思ったが僕は何も反論できなかった。「きみは私立の文学部志望だったな」と教師は言い「どこを受けるんだ」と続けた。僕は、「早稲田、明治、中央...」と答えた。「三つだけか」と教師が訊ね、「受験料が高いですから、三つが限度です」と僕は答えた。何となく威圧されている感じがした。おまえは受験生なのだ、井沢みたいなことをやらずにおとなしく勉強していろ、と言外に言われているような気がした。しかし、何も言い返せない自分が情けなかった。

生徒指導室を出た僕は、その部屋の前で待っていたのだろう、2年生のときの担任の永澤先生に会った。先生は「やられたか」という表情をした。現代国語を担当する永澤先生は、生徒の前で学校批判もするリベラルさを持つ理想家肌だった。僕の作文を高く評価してくれて、「きみは大江とかノーマン・メイラーを読むのか」と訊かれたことから、先生の下宿を訪ね本を借りたりしたこともあった。永澤先生は「気にするな」と僕の肩を叩き、廊下を歩いていった。

その日ではなかったと思うけれど、ある日、僕は立石とあの勉強会グループのひとりが、廊下で日本史の年表の暗記を競い合っている場面にぶつかった。「源頼朝の鎌倉幕府が始まったのは?」と立石が言い、相手が「1192作ろう、源頼朝」などと答えていたのである。それを見た瞬間、僕は受験勉強は一切するまいと決意した。僕は教師の恫喝に何の反論もできず、友だちの処分撤回闘争もできない情けない男なのだと自分を責めた。せめて、受験勉強をしないことで、何かに殉じたかったのかもしれない。

翌年の2月末、僕は本郷三丁目の受験生のための旅館の大部屋(5、6人が一緒だった)で何日かを過ごし、三つの大学を受けた。しかし、発表日まで東京の旅館に滞在する余裕はなかった。僕は、東京の兄の家に滞在している立石に発表を見てくれるように頼み、高松に帰った。3月の上旬が結果発表だった。立石は、発表がある度に電話をくれたと記憶している。遠距離電話は金がかかるので、日常的にはほとんど使わなかった時代である。そのことに、僕は立石の誠意を感じてはいた。しかし、案の定、僕はすべての大学を落ちた。

アカデミー賞が日本でも放映されるようになって、もうずいぶん長い時間が経った。しかし、41年前年の春のことである。その頃は、アカデミー賞のニュースが伝わるのにも時差があった。ジョン・ウェインが「勇気ある追跡」で、ようやく主演男優賞を獲得したことを知ったのは、すべての大学を落ちたことが判明した後のことだった。

僕は、鬱屈を抱えていた夏に見た「勇気ある追跡」のジョン・ウェインの勇姿を甦らせた。手綱を口にくわえ、右手のライフルをクルクルとまわし、左手の拳銃をかかげる、「真の勇気」を持つ片目の保安官の馬上の姿を...。しかし、未だに僕にはわからない。真の勇気とは、一体、何なのか。あのとき、もっと勇気があれば...という人生の悔いの記憶は、無数に存在しているのに...。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >

大藪春彦賞に平山夢明さんの「ダイナー」と福田和代さんの「ハイ・アラート」が候補に挙がっていて、平山さんが受賞した。おめでとうございます。「ダイナー」は日本冒険小説協会の大賞も獲得し、昨年3月の授賞式で僕はいろいろお話をうかがった。ちなみに、何の意味もありませんが、僕は大藪春彦が通った高校の隣の中学出てます。ところで、今回の文章に出た「僕」と関わる人の名前はすべて仮名です。

●306回〜446回のコラムをまとめた「映画がなければ生きていけない2007-2009」が新発売になりました。
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■Otakuワールドへようこそ![133]
天上からの召喚により、ちょっとイタリア行ってくる

GrowHair
< http://bn.dgcr.com/archives/20110204140100.html >
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約20年前、聖書に右手を置いて「誓います」と言ったのが、1年2ヶ月後には結果的に嘘になって終わっている罪深き私であるからして、天上方面からの祝福は、金輪際なくて仕方のないものと思ってきた。

ところが、今、奇跡としか言いようのない不思議なご縁により、そっちの方面からお招きがかかっている。行ってみたら「うっそぴょ〜ん、信じたぁ?」とか言われたら、かなりつらいものがあるが、神様に限ってそれはないだろう。まあ、耐えられる程度の試練はきっとお与えになるであろうから、それはがんばって乗り切らなきゃ、とは思っている。

私が人生で初めて、自分が撮った写真を公の場に展示させてもらう機会を得たのは、5年前、'06年4月29日(土)のことであった。場所はイタリア、ブレーシア(Brescia)県内のボッティチーノ(Botticino)という田舎町にある多目的ホールのようなところであった。そこで催された日伊文化交流イベントで、日本の伝統文化を紹介する傍ら、新しい文化も紹介していこうということで、一環としてコスプレ写真を展示したのであった。

そのつながりで、今度は4月3日(日)に同じ趣旨のイベントが、やはりブレーシアで開かれるので、写真をまた展示しませんか、とお声がかかっている。今度のは、規模が拡大しており、場所はバチカンともダイレクトにつながりがあるという大きな教会の敷地内にある美術館である。ミュゼオ・ディオチェサーノ・ディ・ブレーシア(Museo Diocesano di Brescia)。15世紀に建てられたという。
< http://www.diocesi.brescia.it/museodiocesano/ >

前回も今回も、すべてにわたり多大なる面倒をみてくれているのは、ブレーシア在住のバーバラ(Barbara)さんという友人。なんでイタリアにそんなにすばらしい友人がいるのかといえば、8年前、'03年7月27日(日)に原宿でナンパして知り合ったのがきっかけ。コミケの時期に合わせて日本に来ていたのである。コミケ会場でも偶然再会しており、そのときは「君が望む永遠」の涼宮茜のコスをしていた。写真はこれ。
< http://growhair.web.infoseek.co.jp/Utena_et_al/Utena_et_al.html >

●上品ではないけど、いいですか?

バーバラさんから、メールでイベントへの参加のお誘いがあったのは、去年の5月28日(金)のことだった。こっちは6月18日(金)からのパラボリカ・ビスでの人形と写真のグループ展を目前に控え、10人もの人形作家さんたちの作品の撮影にばたばたしている時期であった(6月6日というぎりぎりまで、ほぼ毎週末、人形を撮影していた)。

その時点からみた翌年、つまりは今年の4月3日(日)に、教会の敷地内にある美術館の主催で、日伊文化交流イベントが開かれることになっていて、日本の伝統文化や現代的なポップカルチャーなどをイタリアの人々に紹介する中で、バーバラさんは「日本の若者文化」という領域を全面的に任されている、とのこと。写真も展示するように言われているんだけど、どうですか、というお誘いであった。バーバラさんは前の年の9月からイギリスに留学してアートを学んで帰ってきたばかりだそうで、英語がすげー上手くなってる。

そりゃあ、めちゃめちゃいい話で、一も二もなくOKなんだけど、さてどんな写真をどう展示するかと考えると、懸念事項はいろいろわいてくる。「日本の若者文化」と言ったら、期待されているのは、たぶん萌え系の漫画・アニメ・ゲームなどの、いわゆるオタク文化なんだろうな。だとしたら、コスプレ写真を展示するのが、向こうからの期待に対してはド真ん中の回答ってことになるのだろう。

けど、日本ではオタク文化が花盛りということ自体は、5年前の時点ですでにけっこうよく知られていた。今ではきっと知らない人のほうが少ないだろう。だとしたら、それを展示したとしても、「ごく最近はボーカロイドなどが人気です」といった形の流行情報のアップデートにしかすぎず、「日本文化の知られざる一側面をここに明かそう」といったインパクトは微塵もなさそう。下手すりゃ、最新情報もすでにリアルタイム伝わっていて、「ああ、あれね、知ってる知ってる」ぐらいで終わっちゃいそう。

私としては、創作人形の写真のほうを展示したいのだが。創作人形は、日本でもまだ一般的に知られているとは言いがたい。それに、表現にこめられた精神性においても、一般的な人形のイメージに沿った愛玩性とか、オタク文化の主流のようになっている「萌え」に限定されない自由さがあって、美術館に掲げるアートとしては面白いのではないか。

しかし、それはそれで懸念事項はある。自由な分、その表現性はダークな方面におよぶことが多い。エロかったりグロかったり。ホラーがかった怖さがあったり。病んだ精神であったり、死を示唆する何かであったり。天からの恩寵を賛美するような宗教美術とは違うんだけど、そういうの、神聖なる教会の敷地内でやっていいのだろうか。バーバラさんに聞くと、これが意外にもだいじょうぶなんだという。

ただし、十字架など、キリスト教のシンボルをアート作品の一部として使用することは、厳重に禁じられているのだそう。教会の外での、一般的な人々の認識はもっと自由なんだけど、教会は保守的なところで、これは「おきて」であってどうにもならないのだという。そこは気をつけるとして、それなら創作人形でいけそうだ。あともうひとつ、封印されてしまったことがある。試しに聞いてみる俺も俺だけど。セーラー服着てうろうろするのは「賢明でない」とのことで。ちぇっ。

秋ごろ、村上隆氏がベルサイユ宮殿で開催した展示が物議をかもし、オーナーだかが中止を求めて裁判所に訴えたというのがニュースになっていて、気になっていた。そういう物議をかもしたこと自体、見る者の精神に不協和音を生じさせようという作品の狙いが成功したことの現われのように私には感じられるのだが。

ごく最近では、苦情に屈しちゃった例として、このニュースが非常に気になる。渋谷の西武百貨店で1月25日(火)から開催されていた「SHIBU Culture 〜デパート de サブカル〜」と題した作品展が、「展示内容が百貨店にそぐわない」との苦情を複数の客から受けて、6日(日)までの開催予定を早めて1日(火)で中止になっている。知り合いのアーティストさんも3人ほど出展していて、行こうと思ってたのにー。
< http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110202/k10013813061000.html >
西武百貨店の元社長である水野誠一氏からの「喝」には、気持ちが救われ、深くうなずく。
< http://togetter.com/li/96047 >

●旅には道連れがほしい

こんないい場所で展示できる話が舞い込んでいるのに、たまたまスタッフと知り合いだったという理由で私が全日本代表のような顔をして乗り込んでいくというのは、心許ない。というか、ずうずうしいにもほどがある。ここはやはり、自分は一歩脇に寄ってプロモーション役となり、すごいアーティストさんにご登場願い、「どうだ!」と誇れるような展示にしたい。

かといって、これのために、一面識もないアーティストさんに初コンタクトをとるのは、気が進まなかった。前回、事前に郵送した写真が届かないというトラブルが発生するなど、けっこう苦労している。今回だって、どんな苦難が待ち受けているか分かったものではなく、もしかすると、ものすごい踏ん張りをもって乗り越えていかなくてはならない事態に直面することだってありうる。そういうときに大事なのは、信頼関係だ。よく知らない者どうし、非難の浴びせあい、責任のなすり合いになっては、もたない。

ご批判もあろうかとは思うが「仲良しグループ」でチーム結成したかった。そんな思惑があって、人形作家である清水真理さんと、映像作家である寺嶋真里さんにお声をかけた。お二人は、割とお会いする機会が多いこともあって、たいへん気軽な調子で話ができる間柄であるが、アーティストとしての格においては、私からみれば雲の上である。

清水真理さんは、人形作家として押しも押されもせぬトップクラスを走り、複数個所での個展やグループ展での同時展示なんて、いつものことであたりまえ、という調子でばりばりこなしている。また、みずから人形教室「アトリエ果樹園」を開いている。スーパーリアルでロマンチックな少女の人形もすばらしいし、奇形や人面蒼などの異形の人形もいい。
< http://garirewo.s318.xrea.com/strnew/ >

寺嶋真里さんは、去年の6月25日(金)のこの欄で代筆していただいている。長年にわたって自主制作映像を世に送り出しつづけ、いくつかの輝かしい受賞歴もある。最新作の「アリスが落ちた穴の中 Dark Marchen Show!!」は、パフォーマーグループであるRose de Reficul et Guigglesさんや清水真理さんの人形が登場する作品で、評判上々だ。すでにドイツとオランダで上映されている。オランダは、ロッテルダム国際映画祭の正式招待作品として上映され、お客さんの入りも上々だったそうである。目下、豪華版ART ALBUM+DVDを鋭意制作中で、ボックスの装丁は、日本屈指の装丁家・アートディレクターであるミルキィ・イソベ氏が手がけている。3月20日(日)には、発売記念として、パラボリカ・ビスにて上映会を予定している。
< http://honey-terashima.net/ >

お二人をイタリアの展示にお誘いするにあたり、原宿でナンパしたつながりで、ってとこが説得力弱くて困ったが、快諾していただけた。4月3日(日)の当日には、会場に行こうという話になっている。最安値の航空券が、もしモスクワ乗換えの便のだったらどうしようか、なんて話でわいわい言っている。寺嶋さんと私は「ぜーーーったいやだ」って言っているのに対し、清水さんは「私は平気」と言っていて、強いなぁ。

●乙女喫茶会議

夏コミの時期に合わせてバーバラさんが日本に来たので、8月15日(日)に清水さん、寺嶋さんと会っていただいた。場所は池袋の乙女喫茶 "Cougar"。バーバラさんが前回日本に来たのは、2005年の夏こと。コミケの翌日、8月15日(月)に六義園でコスプレ個人撮影を実行している。バーバラさんは、ナルトの綱手(ツナデ)のコスで。ちなみに、今は、その手の撮影には許可が下りなくなっている。

撮影の後、中野のメイドバー「エデン」で飲んでいる。そのとき、ヲタ仲間であるアメフラシさんに来てもらった。アメフラシさんとは、その年の4月22日(金)に秋葉原のメイド居酒屋「ひよこ家」で知り合い、6月11日(土)にはサバゲを経験させてもらっている。エデンに来たときは、カウボーイ姿で、やたらとかっこよくキメていた。

そのアメフラシさんは、今、"Cougar" でてんちょさんをしている。バーバラさんとアメフラシさんは、ぴったり5年ぶりの再会だったことに、今、気がついた。その打合せで、バーバラさんからイベントの主旨を説明してもらい、じゃあがんばりましょう、とみんなで決意を固めたのであった。

●盛り上がる現地スタッフ

3人のプロフィールや過去作品の写真などの資料をバーバラさんに送ったところ、今度は、現地のスタッフたちが大いに盛り上がった模様である。こんなにすばらしい作品が展示されるのであれば、大々的に宣伝をして、できる限りの集客をしましょう、ということになったようで。イベントの1ヶ月前、3月6日(日)に、プレス向け限定でプレ展示をしましょうという話になっている。

さらに、たった一日だけの展示ではもったいなくありませんかー、というこちらの希望を汲んでくれて、我々の作品については、イベント後2ヶ月間、延長展示しましょうという話にしてくれた。

さらにさらに、バーバラさんのお知り合いで、ミラノ在住のキュレーター(学芸員)である、クリスチャン・ガンチターノ(Christian Gancitano)氏が、協力を申し出てくれたそうである。クリスチャンさんは、日本の現代アートやポップカルチャーを研究している数少ないイタリア人のひとりであり、テレビにも出たりする、けっこう有名な人らしい。奥さんは日本人で、現代アート作家である長尾智子さん。かつては歌舞伎や文楽など、日本の伝統文化を研究していて、2004年に歌舞伎座のゲストとして日本に来たとき、長尾さんと知り合ったそうである。

11月6日(土)、7日(日)のデザインフェスタでは、私はセーラー服を着て、ヒゲを三つ編みにして参加し、大いに人気を博し、写真を撮られまくりであったが、どなたかによってネットに上げられた写真をクリスチャン氏が偶然発見し、即座に私だと認識し、「おお、こいつは真のアーティストだ!」と感動の声をあげられたとか。

そんなこともあって、クリスチャン氏はわれわれの展示に手を貸してくれることにたいへん乗り気で、3月6日(日)のプレス向けプレ展示では、われわれの作品について来場者たちに解説してくださるそうである。テレビとか、来てくれるといいな。さらに、イタリア駐在の日本領事館の副領事とお知り合いのようで、近々、会って説明してきてくださるとのこと。

それと、これはまだ内緒だが、日本のとある雑誌が展示のことを取り上げてくださるそうである。

●逆ザビエルになりたい

もし、たくさんの方々にご来場いただき、「おお、日本にはこんなにすばらしいアートがあったのか!! トレビアーン!!」と言っていただけたら(ってそりゃフランス語だ、「ブラボー!!」でいいんだっけ?)、この展示は大成功である。けど、実は、もう少し欲を出して、その先を密かに狙っている。この展示が次の展示を呼び、どんどん波紋が広がってくれないだろうか、と。

今、創作人形は、日本でも一般的にはそれほど知られていないと思う。まして、ヨーロッパでは、ほぼまったく知られていないに等しいと思う。今までにも、日本人の人形作家による展示がヨーロッパで開かれたことはぽつぽつとあり、その都度好評を博してはいたようであるが、大きなうねりには発展しなかった模様である。

もし数年後に、日本発の創作人形に関する知識がヨーロッパ中のほとんどの人に浸透していて、日本のトップ100人ほどの人形作家さんたちの作品がヨーロッパでばんばん売れまくっている、というような状況になっていたとしたら、それはわれわれの展示に端を発していた、ってことになりはしないか。日本にキリスト経を伝来させたフランシスコ・ザビエルみたく、ヨーロッパに創作人形を伝えた人として、歴史に名を残せたりしないだろうか。

日本には、市松人形とか、京人形とか、伝統的な人形の文化があり、現代の創作人形もそこから多少の影響を受けてはいるのかもしれないが、直接的な流れとしては、ハンス・ベルメールに端を発する。澁澤龍彦氏によって日本に紹介され、四谷シモン氏、吉田良氏、天野可淡氏などが球体関節を取り入れてみずから人形制作するようになり、現在はそのお弟子さんの代が人形作家として立派に育ち上がり、創作人形というひとつのジャンルを形成するまでになっている。ベルメールがそんな形で発展をみせたのは日本だけだそうである。だから今、ヨーロッパ発のアートがこんなふうに日本で育ちました、といって投げ返してみせるのが面白いのではないか。

そのあたりのことは雑誌「夜想」の最新号でベルメール特集が組まれ、詳しく解説されている。余談だが、その号ではPEACH-PITさんのインタビューも載っている。PEACH-PITさんは「ローゼンメイデン」の作者であり、そこに出てくる人形「真紅」が俺の嫁である、ということは義理の母ってことでいいのかな?

「夜想」はイタリアでもけっこう知られているみたいで、バーバラさんも一冊持っていると言っていた。われわれのイベントでも販売しようという話になっている。まあ、いろいろ楽しみなイベントになってきた。神様、これからは品行方正に暮らしますんで、よろしくお願いしますよ。パンパン。あ、違った。アーメン。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
カメコ。......という職業はなく。って昨日書きましたね。

写真みたいな歌だな、って思った。薔薇の花に雨滴、子猫のヒゲ、ぴかぴかの銅のやかん、毛糸の手袋、ひもでくくった茶色い紙の小包、私の好きなもの。JR東海「そうだ、京都行こう」の歌。違う違う、ミュージカル「サウンドオブミュージック」の歌 "My Favorite Things"。
隔週水曜日に習いに行っているボイストレーニングで私に課せられた次の曲。元と同じ女声キーなので、全部裏声で。歌っていて、非常に気持ちがいい。けど、脈絡のない言葉が並んでいる歌詞って、覚えられないよ〜。俺バージョンの "My Favorite Things" を考えてみる。猫耳、ツインテール、絶対領域......。そうだ、アキバ行こう。

千葉なのになんで都バスが走ってるのか。都営バスじゃなくて、みやこバスだった。床が木製だった。なにかと力の抜けたフェイント攻撃の多い千葉。イノシシの肉ののった丼飯を「十六丼」という。4×4=16。やられたね。茨城の「佐貫うどん」以来の脱力系名物だ。これが配信される金曜日、大多喜のハーブガーデンに行って、清水真理さんの人形を撮ってきます。結婚式の挙げられるチャペルがあって、そこで撮ったらロマンチックでよいかな〜、と思ったんだけど、あ゛、ぜんぜんだめじゃん。そういうの、イタリアの教会では展示禁止だった。

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■編集後記(2/4)

・思えば部活な一生でした(って、まだ終わっていないんだけど)。中学では科学部、高校では生物部、大学ではサイクリング部で活動しながらレタリング研究会創立。会社員になってしばらくはおとなしくしていたが、27歳で組合結成。これだって部活みたいなもんだ。1990年と91年の2回開催した、Photoshopのお化けにハイビジョンを組み合わせたようなクリエイティブ・ツール「グラフィック・ペイントボックス」を用いた最先端デザイン展「SUPER DESIGNING展」の企画・運営に参加。1990年にデジタル・アーティストの自主的な集まり「ディジタル・イメージ」を結成、わたしは12年間運営に参画。このふたつが関わった人の多さから、最大級のリアルな部活だった。部活のおかげでイギリスにも中国にも行けた。オンラインマガジン「WONDER-J」、PDFオンラインマガジン「月刊アイピーネット」、「日本語の文字と組版を考える会」、JPC(Japan Publishing Consortium)なんてのもあったな。デジクリを創刊したのは1998年4月、もちろん部活ノリで始めたものの、ビジネス化を目指さない理由はない。その後、まあ、いろいろあって未だに部活なんだけど......。まったくお金にはなりません。ほとんどバーチャルな世界のわたしに、もう12年もつきあってくれているリアル世界の濱村デスクに申し訳ない......。(柴田)

・おんぶにだっこなのに、申し訳ないとは、こちらこそ恐縮ですわ。/大量の修正指示書がFAXやPDFが届く。大量の場合は、わざわざ自宅にまで届けられる。打ち合わせに出る時間がもったいないだろうと、帰り際に寄ってくださるのだ。自宅マンションのロビーでの打ち合わせも、数回経験済みだ(忙殺されてて来客用の掃除をしていない)。急に来られた時なんて、汚いカッコでやったぜ。女捨ててるぜ、怖いものないぜ。作成しているサイトの総ページ数が多いというのもあるのだが、指示書の束を枚数で数えられることはほとんどなく、今は1cmぐらいです、と示したら、優秀だな、○○さんは5cmぐらいはあるぞ、という話になり、もうすぐ終われるな〜と思っていたら、派生仕事が続々と。で、それをやっているうちに、またまた指示書が3cmぐらい届くというループ。ため息。あかん、もう無理、と思った時に買ったのが簿記用済印。修正が終わり、これを押す時の気分ったら。もう最高の気分。子供の時からスタンプ好きで(みんな好きだよね?)、押すだけでも楽しいのに、これに達成感が加わるわけで。よく、モチベーションをあげるために自分にごほうびを、などと書かれた本があるけど、甘いものや旅行などは、私には役立たない。ごほうびまでの道が遠い。なのに、このスタンプだけで元気になれるのって、とても不思議。スタンプ済みの束を見て、ここまでやったんだ私は、まだまだやれる、と。簿記用だから、お客さんに見られても大丈夫だし、直径6mmと小さいし、他にも使えるし。本当のことを言えば、リラックマのが欲しかったが(以前から欲しいと思いつつ、使い道がなくてそのまま。大きすぎる。)、イラスト入りはさすがにまずいだろうし、大きいし。小さな済印もあったけど浸透印じゃなかったの。ここはゆずれん。完了儀式用の済印は浸透印じゃないとあかんねん!(hammer.mule)
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簿記用。赤のにした。青だと高揚しない。
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リラックマのチェック印。浸透印じゃない。
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「みました。」って......
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やっぱりこっちやで。「ここらでひとハナさかせてみますか」
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これも好き。「やればできるんです」