デジクリトーク 『呱呱』(ここ)/フジワラヨウコウ・森山由海・藤原ヨウコウ

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柴田記:
数日前に、藤原ヨウコウさん(リアルにおつきあいしていた頃はこの名前だった)から印刷物が届いた。A1判に印刷された絵画である。刷り色は一見墨と銀のようだが、目を寄せ見方を変えると、ただならぬ高度な印刷が施されていることが分かる。絵柄は......よくわからない。仕事場の机の前にしばらく貼って時々見上げていたが、正直言って心癒されるものではない。むしろ異世界に誘われそうな怪しげな雰囲気だ。まさしく藤原ヨウコウの世界。......だから、いまは背面の壁に移動させている。

柴田:何ですか、このビジュアルは。
藤原:どのように見えてもイイのですよ。むしろどのように見えるかを鑑賞者に完全に委託したと言ってもイイです。そういう意味ではものすごい無責任な作品(笑)。光の当たり具合、見る時の時間帯に寄っても見え方が変わります。要は、物理的手段でしか表現できないモノを複製できる印刷を再評価しようという、試みのひとつでもあります。
柴田:これを見た妻は、よくわからないけど気持ちがいいものではない、と言っています。
藤原:この辺意見は真っ二つですね。まぁ、ボクの作品ですから仕方がないかも(大笑い)
柴田:いくら念をこらして見ていても、いったい何が描かれているのかわかりません。さいきん悪夢をよく見るのですが、このせいでしょうか。
藤原:あ、それ正解ですね(笑)

こんなわけのわかないやりとりをしたが、この印刷物はいったいなんなのか。藤原さんのサイト「夢幻空想綺界画帖異録」に、この作品の印刷プロジェクトが紹介されている。その一部を掲載する。───続きはWEBで、なんちて。


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今回我々は『21世紀に向けた印刷出版文化の再評価と、未来への展開』を主旨としてこの作品を制作した。特にアート印刷工芸社さんは全社一丸となってボクのデータを「印刷じゃないと真価が発揮できないモノ」として試行錯誤を頂いた。

最終的にはこのような形になったのだが、アート印刷工芸社さんはこの最終型に至るまでに途方もない努力を惜しまずに尽力して下さった。ボクが見た限りでは5〜7種類ぐらいの印刷をして下さったのだが、ボクが見ていないモノも多数存在する。

このプロジェクトは従来の印刷とは全く異なるアプローチで行われている。従来の印刷は「再現性と、限られた時間内に納入する」というのが現状である。何度もブログで言及しているがこれは大量生産大量消費という「経済効果」をベースに生まれた工業手法である。だが、印刷物には印刷物にしかない魅力もある。決してモニターで見るモノが全てではないのだ。

これまたこのブログで何度も言及しているように、印刷というのは極めて繊細であり、印刷でないとできない表現というのが実在する。江戸期の浮世絵版画がその最たるモノであろう。浮世絵版画の世界では「右から左に」と言うコトは基本的にあり得ない。必ず、彫師、摺師の解釈が介入するのである。イイ例が北斎の浮世絵版画であろう。

北斎の肉筆画をご覧になったことがある人なら分かると思うのだが、北斎の肉筆画は独特のけばけばしさと下品さ・粗野さがある。が、彫師・摺師が介入することによって、あの洗練された美しい線が生まれるのだ。なぜこうしたことが許されたのか? 答えは簡単である。北斎の版下絵に対する深い理解とよりよいアガリを彼らが考えるからであり、それを北斎が認めていたという事実である。言い方を変えれば浮世絵版画は文字通りのチーム作業で、互いのコミュニケーションを通じてより優れた印刷物を生み出そうとした土壌が、浮世絵版画という世界に類を見ない印刷物を日本から生み出した。

DTPが普及してから印刷現場におけるこのような考え方は急速に消え去っていった。その結果、生み出されるのは巨大な輪転式プリンターによるプリントアウトに過ぎない、と極言してもイイ。人が介在せずにオペレーションによってデータを右から左に流すのだからこうした事態が起こるのは当然の結果と言ってもよかろう。

だが、その結果我々は多くの犠牲を払ってしまったことをここに宣言する。

印刷のメイン・ストリームは無製版オンデマンドプリントへと移行するだろう。が、このロード・マップが示すのは最終的な「印刷物の死滅」である。実際、ほとんど虫の息になっているのだ。ほんの20数年前までごく普通に行われていた高度な製版技術も、刷版も人が介入することによって初めて成立していたのだ。逆の言い方をすれば「便利さにもたれかかって、人が思考を停止している」のが現状である。「そんなことはない」と現在現場にいる人は不快の念を示すだろうが、アナログ製版時代の職人技はデジタルではそうそう再現できない。当時の現場を見ていない連中に文句を言われる筋合いはない。あの時、確かに人が人としてモノと正面から対峙していたのだ。

だからと言って悲観することはない。まだまだ印刷には出来ることが沢山ある。
学び、考え、実践せよ。

続きはWEBで! ホントに
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