ところのほんとのところ[52]写真機材に対する愛着──カメラ/所幸則 Tokoro Yukinori

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前回はカメラに初めて触れた小学生の頃の話を書いた。[ところ]にとってそれが原点だったと思う。スタート時にはカメラ自体に興味は全くなく、写真という不思議なものへの好奇心のみだった。さすがに中学入学祝いに買ってもらったヤシカ以降、回りの友人たちの影響を受けたのは否定出来ない。

当時男の子と言えばカメラにオーディオ、バイク(もしくは車)に非常に憧れがあった。なぜあのころみんなが機械ものに興味があったのかよくわからないが、[ところ]も例外ではなかった。思春期の男の子の性(さが)みたいなものだろう。

近所のカメラ屋のおじさんが愛用してるのがペンタックスだったし、同級生に数人ペンタックスを持ってる者がいて、自分のカメラがペンタックスと同じマウントのおかげで、レンズが借りられて良かったと思っていた。

しかし、半年もたってクラスメートの知り合いも増えだすと、6年制中高一貫教育の私学ゆえ金持ちの家庭の子が多く、本気の趣味でもないのにニコン、キヤノン、ライカを持っている同級生が多いことに気づいてきた。彼らの半数は父親との共有だと思われたが、ちょっと羨ましかった。

[ところ]はカメラよりも、写真はどうやって写真になるのかということに強く興味を持ち始めた。それまでは、印画紙に焼き付けられて初めて写真と実感していた。家に暗室を作って、フジの大きな引き伸ばし機やフィルム現像用のタンクなどを揃え、中学3年ぐらいにはカラープリントまで始めていた。



そのころになると、少し気に入ったデザインのカメラがでてきた。オリンパスOM-1だった。レンズマウントのところにシャッタースピードダイヤルがあって、とても機能的に思えたこともあり購入した。オリンパスが気に入ったのは、XAというポケットにもスルっと入る、格好よくていつでも持ち歩ける35mmフィルムのカメラなんかも出していて、チャレンジしているイメージがあったからだ。

その後、露出方式が革新的と言われるOM-2が出て、親に無理を言って買ってもらった。有頂天だった[ところ]は、親友と出雲に撮影旅行に出かけたが、バス停に買ってもらったばかりのOM-2を忘れてきてしまった。非常にショックだったのを覚えてるし、そのバス停はいまでもうっすらと映像として浮かんで来る。高校になると、写真部というものに顔を出すようになる。

暗室もあったが部員の数からいくと順番待ちが大変だったので、[ところ]は暗室作業ほとんど自宅でやっていた。坊ちゃん学校のせいか、写真部員の自前カメラは、ニコンの当時のフラッグシップ機F2フォトミックかフォトミックSだった。さらにキヤノン軍団のF-1である。

確かに高級そうではあるけれど、なにか無骨な感じで[ところ]はあまり好きではなかった。たまたまコンタックスRTSのカタログを見た時、美しいカメラだなと思った。ポルシェデザインで、レンズもカールツアイスという西ドイツの香りもたまらなかった。碁石の形を少し小さくしたようなシャッターボタンも独特で、シャッターストロークも短く、触れればシャッターが切れる。そういう感じだった。

問題は、[ところ]にとって高過ぎる価格だ。モータードライブのデザインは、当時の日本のメーカーにはない人間の指に綺麗におさまる曲線だった。これが高かった。レンズも欲しいものは8万から40万、全部で80万ぐらいしただろうか。とても親に言える額ではない。

[ところ]の中一からの親友で悪友が、パチプロの息子だった。医者や弁護士の親が多かった同級生のなかでは異色の存在だったが、男から見てもとても格好良くいい奴だった。当時は、まだパチンコが今のような博打性が高くなる前。釘さえ読めて、正確に打てればかなりの確率で勝てるという時代だった。その悪友と、中学3年のころからパチンコ屋にいって、釘を見てもらい少し稼いでいた[ところ]は、バイクも自分専用のガレージも持っていた。

バイクはDT-90から、RG-50、そしてCB400FOUR-Iへと移り変わった、もちろん無免許。ただし暴走族ではないし、暴力的でもない。ものすごく不良でもなくても、そういう男の子が生息していた時代だ。

ボディだけは親に買ってもらい、バイクにお金を使わなくなった[ところ]はカメラ機材につぎ込むことにした。その間に、アサヒカメラで木村伊兵衛の写真を見て、GOROという雑誌で女性の写真を見て、スナップショットとポートレートを本気で撮っていた、と[ところ]は思っている。

あらゆる高校に出向き、いいなと思った子にモデルを頼んだりしていたので、それらの高校の男子に取り囲まれたり、待ち伏せされたりしたこともある。これは余談。

[ところ]がコンタックスRTS所有している時代に大学入試があった。使っているカメラはと面接で聞かれて、コンタックスですと答えると、それならバイトばかりして写真を撮らないような学生にはならないねと言われた。推薦入試みたいなものだったし、たぶんコンタックスで受かったのではと思う。

大学生の時にキヤノンF-1も買う。モータードライブ付けると格好良かったからだ。授業で4×5の実習があると聞いて、みんなと貸し借りしながら練習するのは効率がわるいと思って4×5と三脚を買う。これは今でも所有している貴重なものだ。

大学を卒業後、フリーになってハッセルブラッドも買う。ファッションモールのポスターや小冊子を作る仕事でマカオロケに行ったときは、あまりに多湿だったせいかでコンタックスRTSのシャッターがおかしくなった。3台持っていったのに3台とも調子が悪い。ハッセルを持っていたから、なんとか仕事をやり遂げられてほっとしたが、プロの仕事では壊れにくいカメラにするべきだとその時思った。

日本に帰ってコンタックスをメインテナンスにだした後、ニコンF2フォトミックに全部買い換える。ニコンF3、FUJIFILM-GA645Zi、トヨビュー4×5、5×7、8×10、ホースマン4×5、5×7、8×10、その後ぱっと思いつくだけでもこれだけのカメラを使ってきたが壊れたものは捨て、レンズ関係は回りにあげるか売り払った。

[ところ]が部屋にモノが増えていくことが嫌な性格だというのもあるだろう。今となっては残っているのは、ニコンF3と巻き上げレバーの壊れかけたハッセルブラッド500CM、そしてFUJIFILM-GA645Ziぐらいだ。

ニコンF2フォトミックは、モータードライブ付きで身近な人に渡してある。フォトグラファー仲間は、随分昔からのカメラを抱えて生きているようだ。多分[ところ]もコンタックスRTSがプロの撮影で酷使しても平気なカメラだったら、愛着を持って今も大事にしていたかもしれないが、これも運命なのだろう。

そして、カメラはとうとうデジタルカメラの時代になる。遊びで使うカメラは、QV-10からCOOLPIX950まであらゆるメーカーのものを使っていたが、いよいよ作品レベルの撮影にまで使えるカメラが出てきたので、ある日ナショナルフォトにその時点での最高機種2台を並べてもらった。ニコンとキャノンだった。

交換レンズをたくさん所有しているニコンに少し気持ちが傾いたし、事前調査では4対6でニコンお薦め派が多かったのだけれど、ファインダーの見やすさ、広さでキヤノンにした。レンズも買い直しだったが、そんなに本数を多用するタイプではなくなっていたので支障もなかった。

ここでも、メーカーに対する思い入れより、現実に目の前のカメラが快適かどうかで判断した結果だ。フラッグシップ機だけあって、故障も6年使ってほぼなかった。それでも、時代遅れになっても手元に残したいと思うまでには至らない。

そして今、DP-1というカメラを大事にしている。これは初めて今の[ところ]の作風に行き着いたカメラだからだ。デザインもすごく気に入っている。現在はDP-1xとα900が中心になっているが、もっとも愛着があるのは初代DP-1だ。ここまでの愛着感を持ったのは初めてかもしれない。α900もレンズがカール・ツァイスをチョイスできるということもあり、次世代機のデザインによっては[ところ]にとってのコンタックスRTSのような存在になるかもしれない。

【ところ・ゆきのり】写真家
CHIAROSCUARO所幸則 < http://tokoroyukinori.seesaa.net/ >
所幸則公式サイト  < http://tokoroyukinori.com/ >