武&山根の展覧会レビュー 良い仕事ってなんだろう?──【田窪恭治展 風景芸術】を観て/武 盾一郎&山根康弘

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山:こんばんはー。

武:どうもです! すでに酔っぱらっております。だるい。ねもい。

山:まだ始まってもおらんやないか。

武:まいったなあ。。

山:酔い覚ましにコーヒーでも飲んだらええねん。

武:そうだ、コーヒー飲もう。


山:僕は発泡酒を。。。そう言えば一ヶ月ぐらい前に武さんが置いていった菊水の「ふなぐち」がまだ置きっぱなしやな。日本酒ブームが僕の中で終わった。

武:えっ!「ふなぐち」美味しいよ。

山:嫌いじゃないけど日本酒ブームが去ったんです。今はなぜか発泡酒なんです。焼酎もなく。

武:俺はブームで日本酒呑んでるわけでもないからなあ。


山:でも、こないだ大久保のおでん屋で呑んだ日本酒はうまかった。雰囲気やけどね。

武:美味しかったね、燗がちょうど良かったよ。ちょっと上品で、細部まで味に気をつかってる感じで良いお店でしたね、店閉まるの早くなかった?

山:あっこ終わんの早いですよ。上品かどうかはわからんが、丁寧ではある。

武:ああ、そうね。丁寧な感じだよね。

山:夏場に行くのもなかなかいい。さて、という訳で本題に行きましょう!

武:行って来ましたよ!牙!あ、木場!AKB48!



●【田窪恭治展/東京都現代美術館】
< http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/122 >


山:全く面白くない。。。えっと、気を取り直して、久しぶりに行きました都現美。田窪恭治展です。この方のプロフィールなどは、サイトを見て頂くとして、なんでしょう、あんまり知られてない人のような気がするんですけどどうでしょう。

武:そうなんかなあ。俺はテレビで『林檎の礼拝堂』のプロジェクト観たんだよね。

山:結構昔やろ。

武:うん。10年くらいは前だと思う。


山:知ってはいたけど、その後の活動はまったく知らんかった。

武:ふむ、あのテレビ番組の情報はネットにないのかなあ?

山:こういうサイトがある。
< http://sciencenet.cocolog-nifty.com/takubo_/ >

武:いっぱい観れますねえ。おもろいな。ついつい観てしまう。

山:いっぱいありすぎて眠くなってきた。

武:おいっ!w


山:昔からの映像がこんだけあるのは、この作家がパフォーマンス(イヴェント)の作品を作ってきてたからなんかな。現場系。

武:学生の頃からコンセプチュアルだし、「パフォーマンス」や「プロジェクト」だとアーカイブ(映像)が必要だしね。

山:つまり、常に他の協力を得られていた、ということでもある。


武:そうなんすよ。そこが特筆するところだよね。「プロジェクトを立ち上げて協賛を得る」、ここが凄いなあと感心しました。「出来事」より「枠」の人。枠にまつわる人々との恊働。「アーティストの仕事はどこなのか」が明確な人ですよね。コンセプトがとてもしっかりしてて、そのコンセプトに基づいた技法を用いて絵を描く。絵そのものが独特な線や構成、つまり「画風」を醸し出してるわけではないんだけどね。「上手でキレイ」以上でも以下でもない感じ。近代の画家のような孤独・孤立に追い込まれた苦闘はさほど感じられず、だけれどもずっと描き続けてる、と。


山:本人が「絵」に魅了させられて描いている、という印象をあまりうけない。

武:うん。「装置としての絵」だよね。

山:でもずっと「絵」を描いてるんですね。

武:「絵画世界に入り込んで絵を描く」というのは近代で一通り終わった、という美術史解釈があるじゃないですか。「個人」という概念、「自我」「自意識」というのが注目されてた時代はやはり芸術家も「自己世界」を追求した、と。

山:ややこしなりそうなんで、ひとまず展示を順を追って行ってみよか。


●『琴平山再生計画』


武:そうですね。まずは、『琴平山再生計画』ですか。

山:現在継続しているプロジェクトやね。
『金刀比羅宮』のサイト < http://www.konpira.or.jp/menu/master/menu.html >

武:有田焼の磁器に椿をドローイングしてる。それも沢山w その絵に惹き込まれるかどうかっていうとそれはなくて、数があるとか、面がでかいとか、そういうフレーム、装置として驚きはある。けど、「手で描いてるわ」という感じはあるんだよね。


山:僕は正直な所、金がかかっている、ということしかわからなかった。

武:まあ、場所性の強いものの展示方法として再現ってあるけど、建築物の一部を再現して陳列してもやっぱり伝わりづらい所あるよね。

山:現在構想中の『神椿ブリッジ(仮)』のプランの紹介ということで、ものごっつい鉄の構造物がありましたけど、そちらの方も、なぜここで展示する必要があるのかはわからなかった。ドローイングとかの方がええやんか。ドローイング5千枚ぐらいとか。


武:「フレーム・枠組みを見せないと」ってあるんだと思う。田窪は「絵師」ではなく「アーティスト」だ、ということなのかなあ。。

山:あ、でもひとつよかったのがある。鋳物と、コルテン鋼というのがが床に敷き詰められてたんですけど、歩くと鋳物がカタカタなるので、それはちょっと良かった。

武:それを体感して欲しかったんだな。展示として。

山:ずいぶんと贅沢やな。


●『絶対現場』


武:あとは現場に行ってみなさいとw で、次。『絶対現場』(1987年)。再開発で壊される「二階建ての木造住宅2棟を、梁と柱の構造部分まで解体していき、最後に床にガラス板を張り、来場者がその上を歩いたのち、完全に解体し、そのプロセスを写真で記録する」プロジェクト。

山:20年以上前のプロジェクトやね。その記録写真が展示されていました。


武:ここに田窪の「アートに対するの立ち位置」が分かった気がしたんですよ。アーティストは出来事側に居ないんです。再開発、壊される建物、壊す現場作業員、これらが「出来事」そのもの。アーティストはそこにガラスを敷いて視覚装置を設置。来場者が体験しそれを記録(フレーミング)するプロジェクト。「再開発による建物の破壊という事象の当事者側にアーティストは決してならない(なろうとしない)」という立ち位置。ある種の特権意識なんかな。


山:映像も先程のサイトにあります。こちらの(6)と(7)かな。
< http://sciencenet.cocolog-nifty.com/takubo_/2006/07/mmsscience4dvrd.html >

武:おお、面白い。建物が壊されるってやっぱり興奮するもんなあ。

山:これはねえ、楽しいと思うw

武:80年代ってまだ映像が特別なことだったよ一般では。この時代にこれだけちゃんと映像を記録しているってのも贅沢だよね。


山:これは鈴木了二という建築家との恊働プロジェクトやし、どっちかと言うとこれは建築家主導やったとかな。わかりませんけど。あ、そう言えばこの人、前に観たな。
< http://bn.dgcr.com/archives/20100519140200.html >

武:なるほど。


山:展示に映像もあった方がいいよなー。コンセプトでは写真で記録する、っていうことなんやろうけど、実際には映像もあるんやから。映像では最後にガラス割って遊んでたりするし、楽しさはこの方が伝わりやすい。でも、この作品で「家」とか「建築」とかを考えるという意味はわかるような。実際に家が骨組みだけになっていく状況は、見ること殆どないやろうし。

武:作られる過程じゃなくて壊される過程だからね。それも再開発によってだから意味っぽさもある。実際に楽しそうだし、いいなあ。まさに俺が昔イメージしてた「現代美術」というやつですw


●『林檎の礼拝堂再生プロジェクト』


山:じゃあ次ですか。

武:ほい。『林檎の礼拝堂再生プロジェクト』。B2Fに降りると、壁面のドローイングがまず目をひいた。礼拝堂の実際の壁面の絵みたいな。白地を削って林檎描いてるの。

山:あれはドローイングになるのか。


武:壁画ですけど、俺としてはドローイングだと思う。「線を削って描く」これこそ、ドローイングの原点。いや、絵画の原点と言っていい。『林檎の礼拝堂』はいろいろいいんですよ。田舎のコミュティのシンボルとしての古い教会。現地で暮らしながら、そのシンボリックな建造物の内壁に削って線を出すという原初的な描き方で描いていく。状況とコンセプトと画法、どれもガッツリと合点がいくんですよ。理想的です。

山:「田窪恭治インタビュー」からちょっと引用。

「最初教会に入った時に「いけるな」という感じがありましたね。観たものが自分の等身大かどうか無意識のうちに探っている。だからそれより大きい教会だったらハッタリを吹かなきゃならない。嘘つかなきゃいけない。何十億円も集めなきゃいけない。今の自分の力量以上だという。で、もっと小さい所だと「何だ、今まで別な形でやってきていることで済んじゃってるじゃないか」と。風景の観察というか、初対面の直感みたいなもんですかね。頭より細胞が反応した。それであそこじゃなければできないと僕は判断したんです。その時に礼拝堂が持っているイメージを壊さないことというのが第一義だったんです。性格とか魂とか、それに近いものが家にもあるのかなと。」


武:田窪の平行世界じゃないけど、俺も似て非なるパラレルワールドのようなことをやってたんだよね。神戸の被災した人たちのテント村公園。コミュニティのシンボルとしてあった『しんげんち』というコンテナハウス。現地に暮らしながら、油性ペンキと筆でペインティングという画法で、建物の外側に描き建物外観を一変させようとした。それも田窪と同じような時期だ。
< http://take-junichiro.tumblr.com/post/79862424/1998 >


山:そう言えばそうやな。

武:田窪は完成に10年かかるが、俺は立ち直るのに10年をついやした。
< http://take-junichiro.tumblr.com/post/80016378/1998-1999 >

山:最初の3年間は、教会にはまったく何もせずに過ごしたみたいやね。資金調達がうまくいかなくて。

武:金も成功もひっぱれなかったのが俺。


山:「田窪恭治インタビュー」から。
「あの11年間というのが僕にとってすごく幸せだったんですよ。というのは、余計な世過ぎしのぎとか自分の売名とかやらずに済んだんですね。とにかく楽しくてしょうがなかったんです。資金が貯まらないから僕が考えている倍くらいの時間がかかってしまったんですけれど。この時間というのがとにかく僕にとって幸せな時間だったんです。みんなは可哀想だとか、子供はどうだとかいろんなことを言ってくれていたんですけれど。今でもそのリアリティを説明できないんですけど、この時間は俺だけのもんだ、みたいなね。僕だって東京に残ってれば、世過ぎをやってたと思いますよ。」


武:あの11年間というのが俺にとって死にたいと思っていた時期ですよ。いやあ、営業と才能と運でこうも違うのか、と思うぜよ。後悔はしてないが。

山:「田窪恭治インタビュー」から。
「当時日本では、資生堂の社長だった福原氏が中心となってメセナ(企業の文
化支援活動)の必要性を感じて体制を作り始めていた時期だったんです。いろ
んな意味で運が良かったっていうか。」


武:なんか陰と陽の映し鏡のような感じさえするよw 正反対なのに平行性があるん。と、俺が勝手に思ってるだけだけどさw

山:別に正反対とも思わんが。正反対にしたいんとちゃうんかw

武:田窪は「自分」を絵に入れないというか。絵画世界にダイブしないじゃないですか。俺は逆なんだよね。

山:それはそうかもしれんけど。


武:で、進めていきますと、『石膏板に顔料と黒鉛を塗り重ね削る』いろんな削る試作をしてるのが展示されてたけど面白かったな。

山:礼拝堂そのものの模型とかドローイングとかもあって、礼拝堂そのものを自分でつかんでいく過程を想像できる。おそらくそれは徐々に徐々にと進んでいったんだろうな、と感じる。驚きはないねんけど、真摯にやってる感じ。

武:何か「カチッ」とハマってる感じするよね。


山:ただそのはまり具合が、僕が以前勝手な印象として持っていたものとはずいぶんと違ったんで、それに驚いたw

武:どういうふうに違うの?

山:昔はもうちょっと神秘的なものやと思ってたんですけど、ぜんぜんそこらへんを感じなかった。

武:ああ。教会だしねw


山:実際の教会に行くと違うんかな、とも一瞬思ったけど、多分、そんなに違わないと思う。淡々と、村人とともに存在してるんやと思うんですよ。

武:そうだろうね、ごく普通に平凡に風景に溶け込んでいるんだろうね。

山:そう思ったのは少し残念やけど、その日常性には納得、共感もできる。で、『琴平山』の方には神秘も日常も意味も何も感じなかった。

武:コネは感じたけど。

山:感じたって言うか、書いてあったけどな。宮司と同級生って。


●襖絵『ヤブツバキ』


武:で、『金刀比羅宮椿書院』の襖絵『ヤブツバキ』。あれは実際の制作過程の襖が展示されてたってことなのかしら?

山:「琴平山で2006年から手がけているオイルパステルによる襖絵は、円山応挙と伊藤若冲による襖絵のある二つの書院の間にある白書院を飾るものです。本展では田窪による襖絵《ヤブツバキ》を、現地の書院と同じ構造の建具の中に組み立て、椿の自生する庭を視野に入れた書院空間を創ります。」とありますが。


武:つまりどういうこっちゃ?

山:同じように作ったってことやろ。

武:絵も?

山:絵はまた描いたんとちゃうの。

武:誰が?

山:本人やろ。そりゃ。

武:そうなんか?

山:そりゃそうやなかったら意味ないやろ。まあどちらにしても意味があるのかないのかはしりませんが。


武:本物じゃなければ、写真を実寸でプリントしてもいいんじゃね?

山:でも描いてたで、あれ。柱にも飛び出てたし。

武:制作中の途中の絵を自分で模写したってことか。

山:模写っていうわけでもないんやろうけど、描いたんとちゃうか。

武:「描く行為」に意味を持たせてる人ではあるだろうからなあ。けど、いまいちよく分からないw 襖がずらっと並ぶインスタレーション、展示装置としては目を奪われハッとしたけど、絵画そのものにはあんまり心うごかなかったというか。


山:画期的な方法でもないし、ただ作業を重ねているような。だからなのか、あんまり驚きはない。それでいろいろとでかいのを展示したんかな。

武:ああ分かる。『林檎の礼拝堂』はなんらかしらの「根拠」を感じるけど、襖絵は「根拠」が直観的に掴めなかったよ。『琴平山再生プロジェクト』は途中ってのもあるんだけどさ。

山:そうやな。


●本人は描かなくてもいい?


武:良い仕事ってなんだろうな。人生、一度は誰でも、「カチッ!」と合う仕事をするんだと思うんですよ。けど、二匹目のドジョウはそうそう居なくてさ。違う方法論に行くか、それとも全く同じスタイルを貫くか。。ひょっとしたら「ひたすら椿を描く」っていうところに新境地を見いだそうとしてるのではないのかなあ。


山:なんか無理矢理の、食う為だけのパフォーマンスに見えてしまうんよね。それが悪いとはいいませんけど、別に描かなくてもええんちゃうの? とか思ってまう。全体の枠を作るプロデューサー的な役割で。

武:ああ。なるほど。どこか描く作業で現場に介入していたいってことかあ。

山:現場で邪魔しないレベルでちょっとやって、後は職人に任せて、ってやったらあかんのかな。


武:現場に居ることがアーティストとしてのプライドでもあるんかも。

山:それは全然ええねんけど、本人が描かなくてもいいような気がしたんよね。

武:そういわれるとそんな感じしたかなあ。ポジティブにしろネガティブにしろ「描いてないとならない必然性」はちょっと感じなかったなあ。。

山:なんかあるんやろうけどな。展示ではそれは見えてこなかった、と。

武:けど晩年また変わってくる感じしそうですよ。


山:どうなんやろ。とまあ、いろいろ言うても、こんなこと出来る人はそんなにたくさんいる訳ではないから、是非ともいい作品を作って頂きたいです。

武:椿をひたすら描くという反復作業にはなんか感じるよ。俺も神社仏閣に10年がかりで襖絵みたいな巨大な絵を描きたいよ。この世のものとは思えないような「風景芸術」を。

山:はあ。頑張って下さい。

武:なんすかそのうすっぺらい言葉w

【田窪恭治展 風景芸術】
< http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/122 >
会期:2011年2月26日(土)〜5月8日(日)月休 3/21開館・3/22休館
開館時間:10:00〜18:00(入場は閉館の30分前まで)
会場:東京都現代美術館 企画展示室 1F、B2F
観覧料:一般1,200円、学生・65歳以上900円、中高生600円、小学生以下無料

【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/描き続けることから】
take.junichiro@gmail.com
twitter < http://twitter.com/Take_J >
Take Junichiro Art works
< http://take-junichiro.tumblr.com/ >

【山根康弘(やまね やすひろ)/少々疲れ気味】
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