わが逃走[83]脱無関心のすすめ の巻/齋藤 浩

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ご無沙汰。わが逃走です。毎日が心配の連続で、時間の経過がものすごく早く感じます。気がつけば、あの大惨事から一か月も経ってしまいました。

なんか「ご冥福を」とか「お見舞い申し上げます」とか、いくら本当に思っていることでも、文字にした途端プリセットされた定型文に見えてきちゃう。
被災地にはもうこれ以上がんばれない人だってたくさんいるのに「がんばってください」なんて言えません。

被害の少なかった人は自ら黙ってがんばればいいのかなと思ってます。黙々とできることをこなしているうちに、巡り巡ってその人たちの役に立つことに繋がるはずです。世の中ってそういうふうに出来ているものなので。



1・脱無関心のすすめ

正義だ悪だと言ってケンカするのではなく、まずは関心を持つことを勧めたい。教えてもらうのはもうやめにして、学ぶことを勧めたい。ここまで状況が悪化したにもかかわらず無関心に徹し、仮に最悪の事態になってから「知りませんでした」というのはもはや無理です。

まあ確かに他人のせいにできるのなら楽かもしれないけど、もはや事態は誰かに責任を押し付けられるレベルをはるかに越えています。

何十年、何百年、場合によったら何万年後の子孫にも影響をもたらすことになるんだから、そろそろ村社会の束縛をちょっとだけ緩めて、知るための努力をしましょう。

あからさまに反対だ賛成だと叫ぶ必要なんかないんです。そもそも二元論で片がつく話ではないので。そして、それぞれが納得できる事実をあつめたら、自分の意見を持ちましょう。

2・石畳と高下駄

世界にはいろんな文化があって、それらには気候や風土などその地に根ざした背景があるはずです。

自然を支配することで生き延びてきた狩猟採集民族と、自然に畏怖の念を抱きつつ共存してきた農耕民族とでは、物事に対する思想が異なるのは当然といえば当然です。

例えば、雨に対する考え方の違いを思い出してみます。雨は生命の源であり、雨が降らなければ生きていけない。だけれども、濡れるのは嫌だ。

西洋では道路に石畳を敷いて舗装してしまう。まさに自然に戦いを挑み、自然を支配する訳です。それに対してわが国ではどうしたかというと、高下駄を履いて足下が濡れるのを防いだのですね。自然に敬意を表しつつ問題を解決している。

どちらが正解かといえば、どちらも正解でしょう。でも、根底にある思想の違いがその地の風土に密接な関係があるのだとしたら、日本という土地には高下駄的思想に基づいたテクノロジーこそ向いているのではないか。私はそう考えます。

【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
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1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。