ショート・ストーリーのKUNI[95]デンキ
── ヤマシタクニコ ──

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ずうっとむかし、デンキは好きなだけ使えたのだそうだ。
まちは夜になっても明るく、テレビは朝からばんまでにぎやかに音楽やドラマをおくりだしていた。暑い夏を涼しくするのにも、寒い冬をあたたかくするのにも、ひとびとはデンキをふんだんに使った。

でも、ぼくはそんな時代のことはよく知らない。
デンキのことだけではなく、いろんなことを、ぼくは知らない。ぼくがわかるのはこの世の中のごくごく一部だけだ。

ぼくはデンキというものを見たことがない。だから、想像でしかないけど、たぶん、デンキはきん色にかがやくさらさらした液体だ。葉っぱのようなにおいもかすかにするかもしれない。何のこんきょもないけど、ぼくたちのいえを明るくしたりあたたかくするのはそういうものであるような気がする。

いま、デンキはそれぞれの家庭にみあったぶんりょうが国から支給されることになっている。ぼくたちは支給された範囲内で、デンキをやりくりして使っている。

どうして「ずうっとむかし」みたいにデンキをたくさん使えなくなったのだろう。ぼくはふと思うことがあるけど、そんなことはだれも、話題にさえしない。まるで人間たちみんなのはずかしい過去であるみたいに。



ママはときどき、庭のかたすみのデンキ小屋に行く。そして、今月のデンキがあとどれくらい残っているか、どうせつやくしたら月末まで持たせることができるか、考えているみたいだ。

そのときぼくの想像では、ママは小屋の中にある木おけのふたを開け、きん色の液体の減り具合を、おけの側面にきざまれた目盛りではかっている。柄のながいスプーンでかきまぜて、のうどを均一にしたりもする。

ぼくの想像はまったくじじつとちがっているかもしれない。小さいころママが読んでくれた何かの物語の一場面と混同しているだけかもしれない。ぶんでんばんがどうとかこうとかと言ってるのをきいたような気もするけど、ぼくにはなんのことかわからない。

音は下から上にのぼるって、知ってる?
音は横にはあまりとどかないけど、下の音は上に、よくきこえるんだ。
ぼくの部屋は二階にある。そこから庭先の声は手に取るようにきこえることを、ママもパパもあまり知らないみたいだ。

ある日の昼下がり、男のひとがうちに来た。男のひとは家の中に入り、一階の居間でママと話をしていたようだ。居間のとびらはぴったりととざされていたらしく、ぼくにはママとその男のひとの話し声は聞こえなかったけど。

しばらくして、ママと男のひとが庭に出てきた。
「うちもそんなによゆうはないのよ。とくべつあつかいされてるわけじゃないから」
ママがそういう声が聞こえた。
「わかっているさ。でも、少しだけでも」
男のひとの、ささやくような声がした。
「きみしか頼めるひとがいないんだ」
ああ。ぼくはわかった。男のひとは、きん色の液体がほしいのだ。男のひとのうちにはデンキがあまりないのだ。

ぼくは想像してみる。デンキ小屋でおけのふたを開けた男のひとが、悲しげにためいきをつくところを。きん色の液体はおけをさかさにしてもコップ一杯ほどにしかならないのだ。たぶん。
そうこうしているうち、ふたりの声が聞こえなくなった。
それから、小屋のとびらが開く音がした。

その晩から、ママはいつも聞いているラジオの「あなたと私のゴールデンアワー」をきかなくなった。ばんごはんの前の45分間、ママはそれをききながら食卓をととのえ、パパの帰りを待っていた。

「あの番組だけが私の息抜きなのよ」
ママが電話でともだちにそう言ってるのを聞いたこともあったのに。テレビはぼくが赤ちゃんのころにしょぶんしたらしい。

それから何か月かがたった日曜日の昼間、ママがとなり町にできたという大型のショッピングセンターに出かけていたときのことだ。

電話の音がして、パパはいそいそと受話器をとった。
「うん...うん...わかった」
それからパパは急いで出かけ、やがて帰ってきた。女のひとといっしょに。

パパも居間のとびらをぴったりとしめた。長いあいだ、ぼくにはなにも聞こえてこなかった。それからパパも庭に出た。小屋の前に女のひととふたりでいるようだった。
「いいの? ほんとに」
「ああ、いいんだ。うちはどうにでもなる」
「うれしいわ」

ぼくはまた想像した。小屋の中に入っていくパパと女のひと。木おけのふたをとり、パパはスプーンできん色の液体をすくって女のひとにわけてあげる。女のひとはそれをすきとおったガラスのいれもので受け取る。女のひとのうちも、デンキが足りないんだ。

そのつぎのつぎの日。だったと思う。
ママが小屋に行った。そして戻ってくるなりわあっと泣きながら居間にとびこんだ。
「ひどい、ひどいじゃない!」
がたん、と何かが倒れる音がした。どたどた、と足音。

「だれにやったのよ、だれに」
パパはだまっていた。ママはこわれたみたいに大声で泣きわめき、しゃくりあげながらパパをせめた。
「かってなこと...かってなこと、しないでよお!」
パパはだまっていた。

「あんたひとりのデンキじゃないんだから!」
がしゃんとガラスが割れる音、どすんという鈍い音がした。パパはそれでもだまっていた。ママだけがひとり、泣きながらわめいていた。

その晩、ママはぼくの部屋にやってきた。
「ごめんね」
月明かりの中でぼくの目とママの目があった。

「ママが大きな声出したから心配した? ごめんね。なんでもないから」
ぼくの頭をなでながらそう言った。
「だいじょうぶ。ママもパパも、何があっても、あんたのじんこうこきゅうきとひじょうそうちだけはとまらないようにするから」
ママはぼくのおでこにキスをすると、スリッパの音をひたひたとさせながら下におりていった。

あかちゃんのころからじんこうこきゅうきをつけ、この部屋から外に出たことがないぼくには、よくわからないことが多い。ぼくは想像するだけだ。
デンキはきん色でもかがやいてもいないのかもしれない。
そんな気がしてきた。

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