歌う田舎者[22]旅の鼻水はかみ捨て
── もみのこゆきと ──

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ちいさなストレスが降り積もり続けたある日、ばっさり髪を切ってみた。ニュースタイルを見た友人曰く「滝川クリステルみたい」。
そうかそうか。すっかりいい気になって、別の友人にメールした。
「すっぱりさっぱり髪を切りました。これからはシルビア・クリステルとお呼びになってね」

相手に指摘されるまで、その間違いに気付かなかった自分の年齢が憎い。えぇ、えぇ、そうですとも。わしの年齢じゃ、クリステルと言えばシルビアの方に決まっとるやないかい。何か文句でも?

そんなある日、職場の偉いおじちゃんが笑顔で話しかけてきた。
「もみのこさん、もうすぐGWだけど、どこか行くの? さすがにもう一人旅なんてする勇気とか元気とかないでしょ」
「......は?」
勇気がないだとぅうぅうぅうぅうぅうぅ!!(←前川清風ビブラート)
勇気がないんじゃなくて、休みがないんじゃねーか!

わしがこの職場に転職したときの自己紹介はこうであった。「一年に一回はパスポートに印鑑をもらえないと壊れます。ホントです」

皆さま笑って聞いておられたが、新婚旅行と入院以外は長期休暇なんてとんでもない職場であったのだ。ある同僚からは「金曜日とか月曜日に有休すると、連休になるから嫌がられます。気をつけた方がいいですよ」というご注進も賜った。



連続する休みが土日だけっつーことは、せいぜい霧島新燃岳の視察くらいしか行けないではないか。よって、5年もパスポートに印鑑をもらうことなく、発狂寸前になろうとも、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んできたと言うのに、勇気がないとはなにごとか。偽装結婚と偽装入院を繰り返すぞ、この野郎! しかも「元気とかないでしょ」って、おまえ、わしのことを年寄り扱いしたな!

「ぼっけもん」という鹿児島弁がある。Wikipediaによると「薩摩・鹿児島県人の気質を表した言葉。挑戦心がある、豪胆な、向こう見ずな、大胆な、無鉄砲な、豪傑な、やんちゃな、元気な、無茶な、荒くれ者、ウジウジしない、肝っ玉が太い、無邪気な様・人物を表現した言葉」ということになっている。

対義語は「やっせんぼ」であり、意気地なし・弱虫を指す。「薩摩人はぼっけもんでなければ生きていけない。やっせんぼは生きていく資格がない」との名言もあるくらいだ。今わしが作ったんだが。

わらわは「やっせんぼ」と言われることが一番嫌いなのじゃ。天璋院篤姫の血を引く薩摩おごじょが「やっせんぼ」などと言われて、おめおめと引き下がるわけにはいかぬ。女の道は一本道。わらわのプライドを賭けても一人旅に出なければならぬ。

♪わたしはいま〜 みなみのひと〜つぼ〜しを〜♪ そう。プライドと言えば今井美樹。プライドは香取慎吾・安田成美主演の「ドク」の主題歌だ。舞台はベトナムである。されば赴こうではないか、越南へ。そして、まだ年寄りではないことを示すのだ!

......と職場の女子に言ってみたところ、「それってすごく昔のドラマですよね」「え、ついこないだじゃなかった?」「あたしが中学生の頃だったんじゃないかなぁ」「げっ、中学生?」「受験勉強してる頃、カラオケでプライド歌ってたような気がするなぁ」「そ......その頃、わしゃあ普通に働いとったよ」よくよく調べてみると1996年放送のドラマである。村山富市が退陣した年だ。やはりわしは年寄りなのか。

それはさておき、俄然突然旅に出る気になったわしは、GWまで残すところ一週間となってからHISに航空券の相談に行き、直行便は取れなかったものの、福岡発着の中華航空台北乗り換えチケットを確保。失効していたパスポートを取得しなおしたのは出発日の2日前である。

♪た〜び〜は〜 つなわ〜たり〜♪と、『恋の綱わたり』by中村晃子の節で鼻歌を唸るわし。えっ? そんな歌ぜんぜん知らない? やはりわしは年寄りなのか。

ホテルもなかなか取れず、前日深夜までネット検索してホーチミン4泊・台北1泊をなんとか確保したのだが、ベトナムは4/30が南部解放記念日、5/1がメーデーで、日本のGW期間はあちらも連休で混雑する時期らしい。GWにベトナムに行く方は初動が大事である。

全線開通した九州新幹線の始発便で福岡空港へ向かったが、GWということもあって、チェックインカウンターは激混みである。ちなみに九州新幹線が全線開通していなかったら、10時10分福岡空港発の国際線に乗るためには前泊が必要になるところだった。あぁ、しかし、久々に憧れの飛行機、それも国際線。田舎者にとって飛行機に乗る人はスター以外の何者でもない。

心躍る憧れの飛行機に乗り、スター気どりで台北に到着。iPhoneの電源を入れると、自動的に台湾時刻になっていて、海外パケットし放題対象のTaiwan Mobileに接続したぜ的メールが来ている。なんだかわからないがすごいぞ。

そうこうしていると、免税店の店員さんに「アニョハセヨー」と声をかけられた。わしって韓国人に見えるのか? もう脳内では、「台北の免税店を歩く、少女時代似の滝川クリステル」という妄想が炸裂している。

コスメ価格のチェックだけして、ホーチミン行きに乗り換えると、なんだか機内がくそ寒い。空中小姐のねえさんが毛布を配っていたが、まぁ飛行時間は3時間だからいいか......と思っているうちに爆睡意識不明。

あたくしの美しさを未来永劫保つには、氷の世界が一番ね......と、冷凍庫で眠る美女になった夢から醒めると、鳥肌が立ちまくっている。夕刻、ホーチミンに着いた途端に右の鼻から鼻水が止まらない。シルビア・クリステルを気取って、エマニエル椅子に全裸で足組んで座っていたわけではないのだが、やはり機内の冷房が効きすぎだったのだ。すっかり風邪をひいたらしい。

5月のデジクリ当番は、エレガントかつエキゾチックなホーチミンの旅で決まりね。デジクリ読者の皆様に、ディエンビエンフーの戦いでフランスが敗北してから、アメリカの本格的侵略によるベトナム戦争、大量のダイオキシンを含むエージェント・オレンジ散布の被害、そして中越紛争に至るまでを「そうだったのか! ベトナム」と題して解説してさし上げるわ。

あたくし、ただ美人なだけじゃなくってよ。民草たちよ、この溢れるインテリジェンスにひれ伏すがいいわ、おーっほっほっほっほっ!!......と高笑いしようと思っていたのに。......あ、すいません、ここの部分、ガイドブックをカンニングしました。いや、ホーチミンが人の名前だってのは知ってるんです、えぇ。ほら、インテリジェンスに溢れてますでしょ?

しかし元気だったのはここまでであった。その後、鼻水は刻々と悪化の一途を辿る。一夜明けて次の日、ホーチミンの町歩きをしたのだが、右の鼻どころか、左の鼻からもずるずると鼻水が。

朝、ホテルでフォー・ボー(牛肉麺)を少し啜り、戦争証跡博物館を2時間ほど見ていたのだが、どうやら昼休み時間はお客も締め出す仕組みとなっているらしく、拷問の島と呼ばれるコンソン島の牢獄を復元した建物は一瞬しか見ることができなかった。拷問研究家のわしとしては残念至極である。この博物館はベトナム戦争の歴史がテーマになっているのだが、戦いで損傷した人体や、枯葉剤の影響による奇形児の写真など、空恐ろしい写真が多く、すっかり食欲がなくなった。

3時過ぎまでサイゴン大教会や中央郵便局など定番の観光地を見て回ったが、さすがに何か胃袋に入れないと異国でぶっ倒れても困る。通りすがりのカフェに「Free Wi-Fi OK!」と書いてあるのを見つけ、お店のにいちゃんにiPhoneを差し出し設定をしてもらう。

グアバジュースを飲みながらtwitterやメールなどを少々。ホーチミンの銀座にあたるドンコイ通りの旅行代理店に行き、翌日のメコン川クルーズと、翌々日のクチトンネルツアーを予約してホテルに帰還。なんだか微熱が出ているっぽい。明けて翌日、メコン川クルーズは、バスの中でひたすら鼻をかんでいた。

メコン川から戻ると、どうやらまともに発熱している。38度5分はありそうだ。クチトンネルに行ってる場合なのか。いや、しかしホテルのベッドでずっと寝てるのも芸がない。ホテルで寝るんだったら、観光バスで寝るのと変わらないんじゃね?

薬を飲めばいいのだが、そもそもほとんど風邪などひかないわしは、風邪だけはねーだろ、と正露丸・鎮痛剤・頭痛薬はリュックに突っ込んだのに、風邪薬だけ外していたのだ。よほど日ごろの行いが悪いに違いない。

翌日、クチトンネルツアーに参加する前に、薬屋に寄った。「スンマセン、カゼ、ゴホゴホ。ハナミズ、ズルズル。ネツ、ポッポ」と店番のおばちゃんに訴え、風邪薬を買ったのだが、日本のように紙箱に入っているのではなく、アルミシート1枚の状態である。10錠入って1USドル(ベトナムの通貨単位はドンだが、USドルの通用度も高い)。

大丈夫なのか......と裏をひっくり返してみると、『Ameflu』と書いてある。はぁ、タミフルじゃなくてアメフルですか。ますます大丈夫なのか、これ......と思っていたら、同じ薬屋でうろうろしていた日本人一人旅の若造(推定年齢20歳)に話しかけられた。

「あの〜、ベトナムの薬って飲んだことあります?」「いや、ないっすよ。ないけどあんまり具合悪いんで」「大丈夫なんすかね」「さぁ。わかんないですけど、多分、僕は死にましぇーん!」「............」

通じませんかそうですか。「101回目のプロポーズ」。1991年のフジテレビ月9である。やはりわしは年寄りなのか。聞けば、彼は前夜食べた貝で腹下しをしているらしい。手持ちの正露丸を6錠分けてあげた。

旅の体調不良における困り度としては、風邪より腹下しの方がずっと困る。クチトンネルツアーのバスに乗り込んだら、腹下しの彼も乗りこんでいた。しかしバスが30分ほど走ったところで、ぎゅるぎゅる来たらしく、予定外のガソリンスタンドに無理やり停車してもらってトイレ休憩するも復活できず、バイクタクシーを拾って一人で帰っていった。お気の毒である。

わしの方は、怪しいアメフルが効いて、鼻水は少し止まったのだが、熱っぽさで体がきつい。風邪で食欲がなくなり、生ジュースばかり飲んでいるうちに、ホーチミンの休日は終わってしまった。ちなみに滞在中に飲んだ生ジュースは、グアバジュース、スイカジュース、ココナツミルクジュース、パイナップルジュース、キャロットジュース、マンゴージュース、ストロベリーミルクジュースである。

ベトナムを離れ、台湾に入っても風邪は一向に良くならず、士林観光夜市で屋台料理でも食べようと思ったが、食べ物の匂いを嗅いだだけで吐きそうになる。メロンジュースを飲んだら寒気がしてきたので、早々にホテルに引き上げ、鼻水たらしながら日本に戻って来た。

何だったのだ、今回の旅は。GW明け、職場でのランチタイム。うら若き乙女たちが瞳に星をちりばめて尋ねる。

「もみのこさ〜ん、ベトナムどうでした〜?」「いや、風邪でねぇ、あんまりいいことなかったわ」「日本じゃできない体験とかしなかったんですか?」「そぉねぇ......クチトンネルでライフルをぶっ放したくらいかなぁ。決め台詞はもちろん『カ・イ・カ・ン!』だけどな」「.........」
うら若き乙女には通じなかったようだ。「セーラー服と機関銃」。1981年である。やはりわしは年寄りなのか。うぅぅ......もう一生黙ってた方がいいですか。

しかし、久々に国境を越える旅をして思った。一人旅は年寄りになる前にやっとかなくちゃだめだ。まず、重い荷物をしょって歩くのが辛くなる。「地球の歩き方」の地図の字が老眼で読めない。空恐ろしいくらいステキなトイレに当たった場合、便器に腰をおろさず、中腰でうんち・おしっこをする体力がない。無理をすると、怪我して「年寄りの冷や水」と言われかねない。「年寄りの冷や水」にならなくても、「年寄りの鼻水」になる可能性はある。

●ベトナム・恨みごとメモ

ちきしょー! わしの旅の楽しみは喰いもんなのだ。それなのに現地で食べたまともなものは、タクシー飛ばして食べに行ったミエン・サオ・クア(春雨と蟹肉の炒め物)のみ。半分は蟹肉という贅沢な配合だった。何の葉っぱだかわからないが、大量のサラダも付いている。炒めるときの味付けは、ヌクマム(ベトナム魚醤)とかオイスターソースとか、そんな感じで日本人にもなじみやすい味だ。しかし、わしはもっと、あれもこれもどれもそれも喰いたかった。

・毎晩夢に出てくる喰いたかったものリスト
【バイン・ミー】
フランスパンにレバーペーストや甘酢漬け野菜・コリアンダー・ハムなどを挟んだベトナムサンドイッチ。ベトナムはフランスの支配下にあったので、フランスパンも絶対うまいはずだ。これをテイクアウトしてサイゴン川の流れを眺めながら喰いたかった。あぁ、ちきしょー。

【バイン・セオ】
海老・豚肉・もやしなどを包み込んで焼いたベトナムお好み焼き。サニーレタスなどに包んで食すらしい。粉モン好きは外しちゃいかんでしょう。

【フォー】
米粉を使ったベトナムうどん。ホテルの朝ごはんで半分しか食べなかった。コリアンダーをてんこ盛りにして食べたかったのに。

【バイン・フラン】
歯のない爺さんに最適な超とろとろプリンばかりがデザート市場を席巻する昨今、バイン・フランと呼ばれるベトナムプリンは、写真を見る限り、昔ながらの少々固めなプリンに見える。アルミ容器に材料を流し入れて、蒸し器で作る、表面がスでぼこぼこのプリン。練乳で作るのがポイントのようだ。

【ベトナムコーヒー】
ベトナムは世界第2位のコーヒー生産国である。恋を忘れた哀れな男にコーヒーを教えるのは、今やアラブの偉いお坊さんではなくて、ベトナムのアオザイ娘なのだ。ベトナムコーヒーは、ペーパーフィルターでなく、穴のあいたアルミフィルターで抽出するが、受け側のカップに練乳を入れて、甘くして飲むのがポピュラー。

県境を越えたら、その土地でしか食べられないものをひたすら喰い尽くすのがポリシーのわしである。しかし県境どころか国境を越えたというのに、このていたらく。あな口惜しや。こんなに宿題を消化せずして何たることか。

薩摩藩には一軒だけベトナム料理屋さんがある。行ったことはないのだが、Lonely Planetにも掲載されているようなので、夢に取り殺されないように、喰いたかったものを味見に行くしかあるまいて。

●台湾・恨みごとメモ

ちきしょー! わしの旅の楽しみは食いもんなのだ。しかも、台湾と言えば、わしがこの世で最も愛してやまない中華春巻の聖地ではないか。それなのに、店の前まで来ていながら、どうしても食べる元気が出なかった。台湾で食べたのは鼎泰豐の小籠包だけである。鼎泰豐、日本にもあるんだがな。
♪喰いたかった〜喰いたかった〜喰いたかった〜 YES!春巻〜♪

※「エマニエル夫人」シルビア・クリステル
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※「プライド」今井美樹
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※「恋の綱わたり」中村晃子
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※「101回目のプロポーズ」武田鉄矢・浅野温子
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※「セーラー服と機関銃」薬師丸ひろ子
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※「コーヒールンバ」西田佐知子
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※「会いたかった」AKB48
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※薩摩藩唯一のベトナム料理店「香香」
< http://xiangxiang1208.blog121.fc2.com/
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【もみのこ ゆきと】qkjgq410(a)yahoo.co.jp

働くおじさん・働くおばさんと無駄話するのが仕事の窓際事務員。この旅から帰って体重計に乗ったら、2kg落ちていた。やはりダイエットは食べないことが一番なのか。

現地ツアーのガイドさんが、ひとしきり枯葉剤の影響を説明してくれたあとに聞いてみた。「第二次世界大戦後、中国や韓国・北朝鮮が反日教育をしているように、ベトナムでも反米教育とかあるんですか」「今はそんなことありません。戦争終わってすぐはあったようですが、今はアメリカ人はトモダチ。逆に同じ体制の国だけど、中国はダメです。キライです、イヤです」なのだそうだ。

クチトンネルでのAK-47(1947年式カラシニコフ自動小銃)の射撃、発射時の反動や音が強烈で、薬莢が飛んでくるのも恐ろしく、腰抜かすかと思った。ベトナム戦争時の映像を見ると、年端もいかない少女たちが、昼は畑に作物を植え、夜はゲリラとなって銃を担ぎ戦っているが、わしはとてもゲリラになんかなれない......と思ったが、戦乱で父を殺され、母を殺されたら、やはり銃を担いで行っちまうかもしれない。

「日本では震災があってタイヘンでしたね。ワタシ日本大好きだから、ニュース見てナミダ出ました」と一人旅の観光客に日本語混じりの英語で声をかけて、イカサマ賭博等々に誘い込む自称シンガポール人がホーチミン中心部でうろうろしているので、お出かけの際は、皆さまお気をつけて。わし、声をかけられました。

コリアンダー(パクチー・香菜)などというオシャレな野菜は、薩摩藩のスーパーではほとんど見かけないのだが、わしは大好きだ。入手できないので、仕方なくプランターに種蒔いて、自分ちで栽培している。コリアンダーを食べると、気分だけでも国境を越えた気分になる。

風邪は未だに治らない。鼻かみティッシュの使用量は10倍を越えている(当社比)。ずるずるだったり詰まったりで、朝から晩まで妙に意識して呼吸をしていると、思いのほか疲れるようで、仕事から帰って晩御飯とお風呂が終わると、起きていられないのだ。いやぁ、健康が一番だねぇ......と言い出したらやはり年寄りの証拠か。