ローマでMANGA[40]MANGAを通して伝えたい日本の心
── midori ──

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イタリアのMANGA熱は相変わらず高い(もちろん、大人たちの世界とは別個の世界を築いていて、雑誌販売店〈キオスク〉で新聞を買いつつ、「やけに子供向けのデカ目の本が増えてるな」と思う人がいるくらいだろうけど)。

例えば「MANGA」で、イタリア語のみをオプションで設定して検索すると、あっという間に約17,000,000件がヒットする。イタリア・ウィキペディアにも「MANGA」がある。
< http://it.wikipedia.org/wiki/Manga
>
「MANGAとは日本語でマンガ一般を示す言葉である(...)日本以外では日本のマンガを示す言葉になっている」で始まり、歴史も紹介している。

2010年10月に更新されたという、上位5位の売上高を示した図が興味深かった。1位ワンピース(継続発売中)、2位ドラゴンボール(発刊完)に続いて、3位に「こち亀」... ただし、この順位は合計売上数で順位を付けている。単行本一冊につきの売上高は4位、5位も100万部を超えているのに対して「こち亀」は90万部だから、この数字で見ると順位は下がっていくとになると思う。それにしても、ワンピース、ドラゴンボール、スラムダンク、ナルト、ブリーチなどに血道をあげるイタリアのMANGAファンが「こち亀」を気に入るというその事実が面白い。

MANGAファンはワンピ、ドラゴンボールetc.のアクションのかっこ良さに惹かれてると思っている。だから、模倣刀を買ったり、カラテやジュードーを習ったりしてキャラに近づこうとする。ちょっと絵心のある者はキャラの絵をコピーして、更にはMANGA風の絵柄(主に萌え系)を自分のものにしようとする。

そんな人達がファンサイトやファンブログを作るケースがごまんとある。
例えば
< http://www.mondomanga.net/
>
< http://www.shoujo-love.net/
>

MANGA風の絵を描きたい人がすごく多くなっている。そこで高校の時の経済で習った規則が思い出される。──需要があれば供給が出てくる。



フィレンツェにアカデミア・エウローパ・ディ・MANGAというのができて、マンガの描き方の年間コース、サマーコース、コミックスフェアなどでのワークショップを盛んに開催している。
< http://www.accademiamanga.it/
>

代々木アニメーター学院と東京デザイナー学院と提携し、代々木への留学も用意している。ここがワークショップを用意すると、多数のMANGAファンサイト・ブログであっという間にコピペされてニュースが伝わる。
< http://txkun.blogspot.com/2010/05/workshop-di-giapponese-e-manga.html
>

Dondake!! Japan for Gaijin
< http://easyurl.jp/1pa2
>

Giappone-Italia
< http://easyurl.jp/1pa3
>

私の教え子にもサマーコースに参加した、という子がいた。合宿形式1週間で600ユーロ(約7万円)、漫画の描き方の他に日本食調理、日本語レッスンもあったそうな。

私がローマの学校でMANGAセミナーを持っていて、校長はMANGAここまで重要視していない(校長の考え方は、MANGAを教えても仕事に直結しないので、学生を愚弄することになる)ことに、なんでー? と思っている悔しさもあるのだろうけど、私はこのアカデミーには何か胡散臭さを感じる。

登録者になにか教えることよりも、経済効果のみを狙ってるように思えてならないのだ。登録しないと各コースの値段がわからないというのがまず嫌だ。そして何よりも、MANGAの絵のテクニックだけを教えるというのが、MANGA作家を作ることではなく、大衆の要求に応えてお金を出させる、ということであり、それが私の考えるMANGAのあり方に合わない。経済活動の基本というのはそういうもの(需要に応える)ではあるが、それだけを追求し、倫理やら哲学やらを置いてきてしまったところに、現代社会の歪が出てきていると思うからだ。

ここの他に、やはりフィレンツェの「TOKAGE」という日本の文化を紹介することを生業としているグループが、昨年「MANGAも紹介しなくちゃ」と、加藤絵理子さんも講師に招いてMANGAワークショップを開催した。
< http://www.tokaghe.com/
>
Tokage 加藤絵理子さんのワークショップ
< http://easyurl.jp/1pa1
>

他にも、MANGA・アニメニュースのサイト
< http://www.animeclick.it/
>

MANGAのか描き方の本を売るアマゾン・イタリア(でも英語版だ)
< http://www.amazon.it/Digital-Manga-Workshop-Lindsay-Cibos/dp/1904705464
>
↓(本の表紙画像)
< http://easyurl.jp/1pa4
>

こうした現象はイタリアだけではなく、国際的。
< http://www.kewego.it/video/iLyROoafvRBA.html
>
(ドイツ人が解説する漫画の描き方ビデオ)

ワークショップを紹介したGiapone-Italiaのサイトにあったコメント二つが、こうした熱に対するイタリアの若い人の日本への気持ちを代弁している。
曰く「彼ら(日本人)が作るアニメの質には誰も及ばない!!」
「そのとおり! 僕たちは真似することはできるけど彼らのレベルには届かない。日本人はMANGAの本当のマエストロで、誰もその技を盗めない!!」

ここまでだらだらと例を引いてきたのは、ひとつの結論に導くため。MANGAとアニメには日本人の心が宿っており、模倣刀やカラテやキャラコピーの裏で、本人が気づかないまま、日本の心を受け取っているのだ。

日本産の製品の多くは、使い勝手の良さなどを重視して製品ができるまでに多くの工夫がなされる。あたり前のように。MANGA・アニメもそうなのだ。少なくも私が覗いた日本のMANGA編集部では、作家を発掘し、育て、作品ができるまで編集部員も作家も真摯に取り組む。日本以外の漫画家が真摯ではない、という意味ではなく、日本では「もう一歩」深く取り組む。

上に記した二つのコメントは、そのもう一歩の深さをしかと受け取ったことを表している。だからこそ、MANGA・アニメから始まった興味が、日本語や歴史に対する興味に広がり、日本全体への興味と憧憬に広がっていくのだ。

その日本ブームでSUSHIがブームになり、中華料理屋がSUSHI屋に早変わりして、日本の寿司屋では普通の、シャリや魚などの材料に対する注意深さをまったくなくして、姿形を真似しただけのものを提供して、それが流行っているのを見るのはシャクにさわる。前述のアカデミア・エウロペア・ディ・MANGAには、まさに「中国スシ屋」の胡散臭さを感じるのだ。

日本の心とは、「作って売る人の儲け」は二番目に位置付け、一番目には「使う人の使い勝手の良さ」を置く。昔の話で言うと、ホンダがヨーロッパの石畳に合うように、石畳を輸入して研究したことや、誰だったか忘れてしまったけど、ある会社の社長さんがお弁当の醤油袋を破いたら中身が出て服を汚した。簡単に開けられる袋を開発しろと業務命令を出した。会社一丸となって開発に勤しみ、眼に見えないほどの穴を袋にあけることによって、どこからでも簡単に開ける小袋を開発した...という話(日本では当たり前だけど、イタリアでこうしたマヨネーズなどの袋、はさみがないと切り口があっても綺麗に開かないのが普通です)という話。

MANGA構築法はただ物語を順番に語っていくものではなく、キャラの感情を読者に伝えるための工夫なのだ。それを伝えずに、表面的な描き方だけを伝えるのはSUSHIブームに便乗して形だけ寿司にするのと同じ。

日本の心のもうひとつは眼に見えないことに価値を置くこと。出光興産の創始者、出光佐三氏の言葉「社員は家族だ。家計が苦しいからと家族を追い出すようなことができるか。会社を支えるのは人だ。これが唯一の資本であり今後の事業を作る。」は、それを会社経営の基本に置いて成功した例だと思う。
< http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-827.html
>

ついでに、以下の「からくり人形」に関するコラムも、この企業のあり方を伝えていて興味深い。
< http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1116.html
>

MANGA・アニメの多くは、アクションやファンタジーの衣を着ながらも、友情のすばらしさや困難を超えて成長する姿を描く。MANGAファンの多くは、そうした「気持よさ」を刀やアクションのせいだと思って、そっちを真似しつつ、魂の奥ではちゃんと形のないものの価値を受け取っている。

日本の心の底には性善説がまずあり、人を信じ、自分のことより他人を考えた。昭和30年代がブームの裏には、その当時を子供時代で過ごした年代が社会の中心から過去を振り返る年代にさしかかって懐かしむから、ということの他に、そうした日本の心がまだ生きている時代だったから、刀やアクションを真似するMANGAファンと同じように、魂の奥でそうした価値を認めているからではないか。

私も昭和30年代に少女時代を過ごした一人だ。同居していたおばあちゃんはよく「人様に迷惑をかけてはいけないよ」と言っていた。何事にも絶対はなく、日本人が全員性善で全員形のないもに価値を認めていたとは言わない。でも、かなりの高率で日本人はそうだったし、日本って実はすごいユートピア社会だったのではないかと思うこの頃。

まず他人を疑ってかかれ、何事も私のせいではなく他人のせい、私が得するためには他人を陥れろ、例え間違っても謝ったら負け、というのが日本以外の国ではほぼ当たり前の事を思うと、ユートピアだったと言っていいと思う。日本もだんだんこうして「外国化」してきているからこそ、昭和30年代が懐かしいのではないか。だいたい、家の入り口に鍵をかけるのは就寝するときだけだった、というのは、どう考えてもすごい。その鍵も、その気になれば簡単に壊せる類のものだった。

そしてここでコラムの方向がちょっと変わる。
私の中ではすべてつながってるのだけど。

日本の心を見直し、素直に「素晴らしい」と思っていいのだと思うこの頃。私はMANGAを通して、それを伝えたい。

MANGAセミナーの他に、本も出す。この本はデジクリ3019号に書いた、「イタリア漫画界にTSUNAMIを起こす!」のその後だ。
https://bn.dgcr.com/archives/20110303140100.html
>

出版部を作ったマンガ学校の社長に打診したら簡単にOKが出たのだ。今、車庫係をしながらマンガを描いているマウロ君と、家事とか他の仕事をしながら本文を書く私の仕事の鈍さが難だけど、着々と進行中。校長も、学校のコースとしてでなく、読者が勝手に精進する糧にするなら学生を愚弄することにならないと考えたのだろう。

もうひとつは、私の自作マンガ。何10年も模索して(というと聞こえがいいが、未熟だったため)やっとテーマが決まり、誰に向けるものか(イタリア人)も決まり、トーンも決まり、商業化のつもりではなく配信のつもりでFacebookにアップし始めた。私の幼少時の思い出を元に、実際に住んでいた伝統的日本式家屋を主な舞台とした、小さな日常のデキゴト4ページというシリーズ。

< http://easyurl.jp/1paa
>
< http://easyurl.jp/1pae
>
< http://easyurl.jp/1pah
>
< http://easyurl.jp/1paj
>

Facebook内のオトモダチで、講談社モーニングに作品を掲載したことのあるイゴルト(Igort)
< http://www.nekonoashi.com/jp/igort.html
>
< http://www.igort.com/
>

が、個人メッセージを送ってくれて「面白いね。もっと描いてご覧よ。ココニーノ(イゴルトがアートディレクターをしているマンガ出版社)で出すかもしれないよ」と言ってくれた。実現すれば、配信の幅がもっと広がる!
< http://www.coconinopress.it/
>

還暦を数年後に控えて、やっと自分の道が明確になって来た感じだ。イタリアの格言に「例え遅くなっても、全く行き着かないよりはいい」というのがあるけれど、それだ。

【みどり】midorigo@mac.com

延々として進まぬ、東日本の復興。被災者の現在の生活改善すらなされていない様子。また、実際に被害場所で作業する自衛隊、作業員の環境も劣悪らしい。自衛隊のブログで、穴の開いた手袋、ぬかるみでの作業で胴付長靴を履くが、軽易なゴム製のためガレキの中で釘が足に刺さるという負傷事故多発、怪我をしても抗生物質がない。連絡用の無線機は小隊に一台、分隊にはなし、だから隊員は私物の携帯で連絡、、、などなどを知った。
< http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5869
>

ほかにもニコニコ動画で国会中継をよく見ている。もう怖いもの見たさ。現政府は日本を解体したいのだと考えると、宮崎県の口蹄疫の捨て置きとともに、意味がわかる。例えばこれを見て欲しい。
H23/05/24 衆院震災復興特別委・小野寺五典【被災地の衛生環境・蛆の絨毯】
< http://www.nicovideo.jp/watch/sm14544892
>
(ニコ動に登録しないとみられません)

イタリア語の単語を覚えられます!と言うメルマガだしてます。
< http://archive.mag2.com/0000075559/index.html
>