わが逃走[88]稚内防波ドームを思い出すの巻
── 齋藤 浩 ──

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とにかく美しいのである。写真で初めて見たときは息をのむというか、もう目が離せなくなってしまった。

もう、何が何でも行きたいと思い、またその美しさを誰かと共有したかったのですが、当時私の周囲の人の多くはお花が咲いてるところかアトラクションがあるところにしか興味がなく、価値を共有できる人に出会えたのは30過ぎてからって感じです。

でもまあおかげさまをもちまして、30代も半ばになってからでしたが、憧れの地に赴く事ができたのです。

北海道の先っちょ、稚内の防波堤にかかる庇、と言ったらわかりやすいかな。形状としては鈴廣のかまぼこをタテに半分に切った感じ。ヤマザキのロールケーキを薪割りの容量で4分割した感じ。

長さ427メートル、高さ11.4メートル、幅15.2メートル。

中に入ると半円筒状の天井が永遠に続いているようで、一点通し図法マニアとしてはたまらない。

完成は昭和11年。地元の方によれば当時この中に木造二階建てのプラットホームがあったのだそうだ。



一階に到着した国際列車から降りて2階に上ると、ここに横付けされた樺太行きの船に乗れたのだ。波にも雨にもぬれずに、である。

これはちょっと格好良すぎでしょう。第一次大戦と第二次大戦の合間の、あの旅行ブーム! カッサンドルがノルド・エクスプレスやノルマンディ号のポスターを次々に発表した時代に、日本でも流線型の蒸気機関車が引く長距離列車に乗って、ここ稚内から世界へと旅立っていったのだ!!

そんなシーンを妄想しながら最果ての地・稚内に立ったオレ。すでに再開発された後でしたが、古き良き昭和の風情もほんの少しですが感じることができました。

なにやら今は稚内駅も超近代的な駅ビルになってしまったそうで、その地の独自性を感じることのできるものが、また一つ減ってしまったかと思うと残念でなりません。おじいちゃんと孫が同じ景色を共有できることって、ものすごい財産だと思うんだけどなあ。

おっと話がそれた。今日のテーマは防波ドームでした。

それでは写真で紹介していきたいと思います。機材は初代EOS kiss DIGITAL。訪れたのは今から5年前の2006年8月。80年代に大規模修繕をしたそうなので、とても良い状態を保っています。

この列柱!
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そして連続する天井のリブの美しさを見よ!
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これを構造美と言わずして何とする?! 設計した土谷実は当時26歳。機能と美しさを兼ね備えた構造をめざしたとのこと。

常々思うが、設計者の顔が見えないモノに良いものなし。もちろん「誰々が設計したから」というように、それがブランドになることは良いことではない。デザイナーも設計者も、あくまで匿名であるべきだと私は考えます。

しかし、売ることを優先し相手の美意識を誤って分析した結果、未だに花柄の魔法瓶やプラスチック製煉瓦外壁の住宅なんかが増殖し続けている現実を見ると、昔の人は自分の責任において、人々に美意識というものを教育していたのだなあと思うのです。立派です。

"売るため"のデザインや、"あたりさわりのない"設計は、結局はその場しのぎで終わってしまいます。

ここ数ヶ月の世の中の激変で、大量生産大量消費社会は確実に終わりに近づいていることがリアルに想像できるようになりました。

だからこそ、デザイナーや設計者は末永く機能し末永く誇れるものを提案し、出資者ではなく使い手のためのモノづくりを、より意識すべきと考える今日この頃です。75年前の建造物の写真を久々に眺めつつ、そんなことを思いました。

全体像。ここに船が横付けされた(当時この道路は海だった?)。
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全体像。礼文島行きのフェリーから撮影。完成時は高い建物もなく、バックの緑との対比がより美しかったに違いない。
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全体像。稚内公園より見下ろす。
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同じく引きのカット。海の向こうは宗谷岬。
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【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
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1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。

・さいきん通巻番号がええかげんになってスイマセン(編集部)