武&山根の展覧会レビュー「どうしようもない」ことの可能性──【鬼海弘雄写真展 東京ポートレイト】を観て
── 武盾一郎&山根康弘 ──

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武:もしもしー
山:こんちは。あ、酒がない、買ってくる。
武:ほいな。俺の分も買ってきてくれ。したっけ、どこでもドアで届けてくれw
山:小学生か。ちょいと行ってきます!
武:ほい

山:お待たせしました!
武:何買ってきたん?
山:二階堂。
武:おー! 俺は猿酒じゃ!
山:まだ作ってるんですか。
武:うん。けど、前ほど美味しく感じないんだよ。
山:なんで。

武:舌が肥えたのかな。
山:まさかw
武:ドライイーストが古いせいかな。納豆菌が繁殖しちゃったのかな?
山:それもう酒ちゃうんちゃう?
武:いや、でもシュワシュワブクブクしてるから。ともかくなんか醗酵してりゃいいんだよ。
山:ええんかい!

武:なんだかすげえ酔っぱらってるw
山:もう酔ってんのか! 無理矢理展示の話いこう。
武:理性係たのんだぞ。
山:それは約束出来ないが。さて今回は、チケット頂いたので、東京都写真美術館に行ってきました! 鬼海弘雄『東京ポートレイト』です!



●【鬼海弘雄『東京ポートレイト』/東京都写真美術館】

武:読めないw
山:「きかいひろお」さんですね。
武:ありがとうございますw いやあ、結論から言うと良かったっす。
山:僕はなぜかずいぶん昔の写真集を持っていたんですね。
武:俺ね、恐竜展とかの方がいいかなあって思ってたんですよ。
山:そうやったんやw

武:うん。もうね、アート語るのメンドクサイから、博物誌でいこうよ的にね。
山:そっちも大変そうやけど。。
武:藝術もそうだけど、人間が想いを寄せるものにどれだけ意味があるのかっていうとさ、ないじゃん。
山:そうなんか?!
武:ならば、「太古の昔に地球上でこんな営みがありましたマル」ってことを観て「あーそーなんだー!」ていう発見の方がいいじゃん、て考えてたの。

山:まあそれも人間の想いやろうけど。
武:けどね、今回、これを観て、人間の「たったひとりの可能性」つまりは「ポートレート」を観れたなあ、と。
山:たったひとりの可能性、ですか。
武:うん。なんていうかな。それをちょっと説明して行きたいな。俺的にはw

山:では、どのようにいきましょか。まずですね、今回の展示で最も大きかったこと。それは奇しくも、たまたま作家が作品解説をしてたとこに行ったことですね。
武:それですw その偶然を引き寄せたってだけでもう大丈夫ですよ。
山:これは考えてなかったので、びっくりした。

武:俺は故人だと思ってたので、キュレータさんが作品解説をしてると思ってたんですよ。
山:勝手に死なすな!
武:モノクロ写真家だったら故人も多いじゃん。で、まるで自分の作品のような口ぶりだなあって思ってたんよ。
山:作家と思ってなかったんかw

武:聴いてるうちに「あれ? これ作家さんが自分の作品を解説してるのか?」って徐々に気が付いて行ったの。
山:ほんまかい。でも、僕も初めてお会いしましたが、ずいぶん謙虚な方でしたねえ。

武:そうですね。とんがってない。写真家ってそういう人多い感じする、カメラってフレーミングするじゃないですか、言ってみればコントロールする側じゃないですか、ある種の既得権側だからこそ謙虚になるんじゃないかな。いやね、おれ、実はあんまり写真に感動出来ないんですよ、メンドクサイんですよ。
山:へー。
武:つまんないよ、モノクロ写真なんて。恐竜見てた方がずっと面白いよ。
山:そうは思わんけどw

●どうにもしようがない

武:けど、話を聴いてるうちにどんどん惹き込まれて行ったんです。で、都築響一さんが現れて「この人が写真家だったんだ」って気が付いたw
山:そうや。なぜか都築響一さんがいたw
武:デブなおっさんおるなあって思ったら、なんと!
山:被写体にいそうww

武:ポートレートはほとんど「下層な個性豊かな人」っぽいけど、俺的にはなんだか複雑だったなあ。なぜか? このポートレートを観てるのが俺なのに、この被写体側が俺な気がしてならなんだ。
山:「個性豊か」という言い方ではなく、「存在感」という言い方やったね。

武:「尊厳」とか。「人間の尊厳」を最底辺の人々から発見した、というかね。
山:そうね。
武:残酷なフレーミングだなあ。
山:「フレーミング」か。
武:「投影」でもいいけど。「憧れ」でもいいけど。
山:「憧れ」ね、、確かに。

武:カメラマンて既得権側なんだけど、作家自身が東北出身なので東京では非差別側の意識が分る、というかね。撮る側の特権性、上から目線を消失させてる写真だよね。そう言う立ち位置で写真撮ってるのはステキ。
山:では、立ち位置はいったいどこにあるのか?
武:カメラマンの身体そのものじゃね?

山:なるほど。つまり撮られてる人達と一緒ってことか。撮られている人達もほとんどみんな、自分を隠そうともしてない、自分そのもの。
武:そうそう。そうであってほしい。
山:なんやろ、カメラって、当たり前ですが被写体がある訳じゃないですか。人を撮ってると、人が眼の前にいるわけやし。

武:「どうにもしようがない」人間が目の前にいるので、その「どうにもしようがない」人間個人の尊厳を写し撮ろうとした。ということだろうな。ポートレートの被写体は、どうしたってブルーカラーとか無職っぽい人とかの類いが多い感じで、そこになにか、自由を感じだんだろうかね。ひとりひとりが本当にフリーダムだからなw もう、変えようのない「どうしようもない」人たちw
山:「どうしようもない」ってなんなんやろな。

武:今後、権威的にも経済的にものし上がらないところで生きている感じ。底辺のままで「どうしようもなく」そのまんまでいる人物たち。。
山:なるほど。
武:最下層フリーダムw
山:すごいなw
武:すげえよな。俺。
山:あんたかい!

武:でね、それを撮ってる人がエリート意識丸出しだったらオモロくないんですよ。
山:と言うより、撮れる人限られるやろうな。

●関係性

武:被写体との関係性が写真になってるのが良いですよ。
山:関係性ってなんやろ。
武:一対一。
山:タイマンですか。

武:人間関係の原初はタイマンだと思うよ。撮る側と撮られる側ってのがあるけど。そこできちんとタイマンになってるならいい写真になるんじゃね?
山:でも関係性の問題って、それだけでもないんとちゃうか。
武:だからそこに権威が介在する場合もある。「カメラマンのわたくしが偉くて、あなたを撮ってあげてます!」的なのもあるかもしれないからね。
山:まあねえ。

武:暴力じゃんそれって。俺はカメラを暴力だと思ってるからねw 発表する権威的メディアが背後に控えてる場合とくに。アートと思って撮ってるのだって一種の権威暴力だからね。映像とか写真ってエリート主義と権威と権力の暴力がくっ付いてくる感じがするので、画家で良かったとつくづく思うよ。
山:昨日も話したけど、カメラの場合、距離があるよな。
武:あるね。

山:距離の問題っておおきいでしょ。物理的距離。
武:見たけど触れないってことだよね。
山:触れないか。
武:そうそう。ぶっちゃけるとカメラって卑怯なメディアなんですよ。なのでカメラマンは自分は卑怯者という自覚をしてるかどうかになると思うよ。自分が正義だとか思ってる場合や、卑怯だと思ってない立ち位置からの写真や映像は、個人的には好きじゃないな。フンガフンガ!

山:え、なに? トイレ行ってた。
武:ゴルア! 熱く語ってたのに!
山:正義がどうしたって?
武:盛り上がってるとこなのにー! ほんとにムカつく奴だ。
山:なんでやねんなw

●自由と希望

武:写真に撮られてる人物や風景はね、どうしたって、どうしようもない、底辺の人物とその風景なんですよ。で、その人々の、図々しいまでもの自由さを撮っているよね。それが希望を感じさせてくれたかな。
山:希望か。
武:俺はね、自由と希望を感じたですよ。被写体はね、きっと今後も報われる事なく、すぐ死ぬ事もなく、変わる事もなく、そのフリーダムな個のままに生きるんだろうなあ、という希望。

山:それは被写体のせいなのか、撮る人間のせいなのか。
武:関係性だろうな。
山:でも被写体寄りよな。これらの写真は。
武:そうそう。
山:なんでやろ。

武:そういう写真を撮る人なんですよ! フレーミングってのは基本的には暴力なのに、そうではない写真。
山:なんでやろうなあ? とやっぱり思う。
武:作家本人があんまり自分を偉いとは思ってないんでしょうねw 我が儘だろうけどw 臆病者然としてる感じがしました。それは凄い事ですけど。臆病を隠すからね人は。自信がない感じとか素直にだしちゃいけないじゃんw それを素直に出すのが、すげえな、と。
山:確かに凄いんだよな。

武:その写真の凄さはでもね、被写体のあの個体の凄さに依ってるんだよなあ!
山:それはあるよなあ。
武:ずるい人だよね。
山:まあねえ。
武:山根っぽいな
山:なんでやねん。

武:他意はないよw 案外と山根は写真家側なんだよ。
山:そうか?
武:「被写体になりたい」て山根は言ってたけど、ひょっとしたら、作家は被写体になりたいのかもねw
山:憧れか、共感か、ないものねだりか。

●未来のスタンダード?

武:あとなにか印象に残ったことは?
山:そうやな。本人が最後に話してはったことで、「できない」の話かな。今は「できない」ということが何か悪いことのように扱われているが、それはとても大切なことなんだ、というお話。
武:ああ、「できない」とか「足りない」とかが表現を支えてるんだっていう話ね。

山:そうそう。一見ネガティブとして捉えられてしまうことにこそ本質がある、というのか。
武:「できる」とか「足りてる」の方ばかりに価値を見出すけど、「できない」「足りない」人間の個体の「どうしようもない」というところにこそ可能性が見出せるんではないかなあ、と。
山:そのどうしようもなさを、変えようとしたりもせず、そのままにする。

武:希望を感じたってのはね、そういうのが未来のスタンダードになってくんじゃないかなあって思ったんすよ。「個人の尊厳」って言っちゃうとあれだけどさ、いろんな人がいて、ありのままのどうしようもない個体なわけでさ、そこに可能性があるんじゃないかなあって。
山:それが未来のスタンダードになる、とは?

武:被写体の多くはこういっちゃなんだけど貧しい人たちっていうかさ、70年代後半〜90年代ならそれらの人たちは特殊性があったかも知れないけど、今後はほとんどの人たちはずっと貧乏なんだと思うんさよ。そうなると、この写真の人たちのように個体個体がそのまんま表出されていくんじゃないかなあって思ったんすよ。同調定型って「中流」の発想だからね。
山:でもめっちゃ金持ってそうな人もおったぞ。

武:ああ、でも「どうしようもない」感じではあったよねw
山:そうやな。何かがそう感じさせる。ということはつまり、貧乏とか金持ちとか関係ないってことやからな。
武:ああそうね。てことは俺の未来も「どうしようもなく」明るいのだ。なっ!
山:希望を持って、ご自由にどうぞw

【鬼海弘雄写真展 東京ポートレイト/東京都写真美術館】
< http://syabi.com/contents/exhibition/index-1384.html
>
会期:2011年8月13日(土)〜10月2日(日)
休館日:毎週月曜日(休館日が祝日・振替休日の場合はその翌日)
料金:一般800円、学生700円、中高生・65歳以上600円

【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/なんか元気です!】
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武盾一郎の企画書
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Take Junichiro Art works
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代官山アートラッシュで展示やります!
< http://www.artsrush.jp/
>
アートラッシュ企画展Vol.155『月 〜moon〜』展
会期:2011年9月14日(水)〜9月26日(月)火休 入場無料
参加作家:きりえや高木亮(切り絵)、小沼智靖(木漆芸作家)、笹目友弘&イモ(彫金)、境野裕子(手造り時計)、須藤忠隆(陶芸)、武盾一郎(絵画)、野谷美佐緒(グラフィックデザイナー)、湯浅紀美子(日本画)、Myu(七宝)

【山根康弘(やまね やすひろ)/絶好調だが】
yamane@swamp-publication.com
SWAMP-PUBLICATION
< http://swamp-publication.com/
>