歌う田舎者[25]THE ENGLISH PATIENT─わたしの英語は病気です─
── もみのこゆきと ──

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晩夏といえども、まだまだうだるような熱気が、アスファルトに陽炎をたちのぼらせる昼下がり。ローソンで杏仁豆腐を買って事務所に戻ろうとすると、数メートル先にいるのは我が職場が誇るうら若き美女、ミス・ミニスカートではないか。しかも怪しい男4人に取り囲まれ、困っている様子。姉さん、事件です! 義を見て為さざるは勇無きなり。さっそく人ごみをかき分けて、現場に急行したわたしである。

「ちょっとっ、なんなのよ、あんたたち」
「あっ、もみのこさんっ」
ミス・ミニスカートは涙目になっている。

「こっ、この人たちが......」
「なにっ、こいつらがどんなひどいことを?」
「桜島フェリー乗り場を教えろって」
「は?」
「あっ、もみのこさん、英語大丈夫ですよね、ねっ?」
「えっ!」

ミス・ミニスカートを取り囲んでいた男4人は、外国人観光客だったのだ。あ、こっちの人は英語できるらしいぞ、とばかりに向きなおった男4人は、鉛筆で『櫻島』とミミズの這ったようなきったない字で書かれた紙きれを差し出し、片言の日本語で尋ねた。

「スミマセン、サクラジマフェリーハ ドコデスカ」



近場は中国・韓国から、遠くはロシア・チュニジアまで、さすらいの旅人として、その名を世界に轟かせるわたしである。「一人で海外に出かけるなんて、もみのこさんって英語ペラペラなんですね。すごーい!」と羨望の眼差しを浴びる実力を、ついに示す時が来た。

ミス・ミニスカートと男4人は、わたしが英語で話し出すのを、固唾を呑んで見守っている。......ふ、ふふふふ。そんなにわたしの英語が聞きたいの? 仕方がないわね。さぁ、耳をかっぽじって、よくお聞きっ!!

「あ〜〜〜う〜〜〜......ごっ、ごーすとれいと、あーーーんど、れふと、れふと......」

ぽかんと口を開け、石のように固まるミス・ミニスカートと男4人。なんだ、こいつら。わたしの流麗なる英語がわからんというのか。若いのに君ら耳が遠いのか。仕方がない奴等だ。では解説して進ぜよう。

『あ〜〜〜う〜〜〜』

上品な日本人は会話の最初に必ず『あ〜〜〜う〜〜〜』を入れなければならないことになっている。いきなり本題に入るのは、いかにも気持ちに余裕のない下々の人間がやること。急いては事を仕損じる。

わたしとしても、故大平正芳首相の映像を何万回も見て、品格ある『あ〜〜〜う〜〜〜』の発音について、子どもの頃から反復練習を積み重ねてきたのだ。このイントロから会話に入ることによって、外国人観光客は「おぉ、これが日本の侘び寂びか!」と感涙にむせぶのである。

『ごっ、ごーすとれいと』

これから発言するフレーズの頭は『ご』ですよ。『く』でもなければ『さ』でもありません。このような情報を、会話の冒頭で一文字分先に与えることによって、相手の想像力を刺激するのである。いわゆる一種の謎かけのようなものと言えようか。

では、このシチュエーションで『ご』と言えば、次に出てくるのは?
『ご、ごうひろみ?』
『ご、ごろーのぐち?』
『わかった!さいじょーひでき!』

ピンポンピンポーン!! 正解です。郷ひろみ・野口五郎・西城秀樹と言えば、1970年代の日本を代表するトップアイドルで、新御三家と呼ばれていました。え? 知りませんか? 新御三家。新御三家の前には当然御三家がいるんですが、3人の名前を答えられないデジクリ読者は、顔を洗って出直してきなさい。えぇと......何の話でしたっけ?

『あーーーんど』

ここは『あんど』ではダメである。『あーーーんど』と音を延ばすのは、次に控える大事なキーワードに向けて心の準備ができるように、会話を数秒引っ張ってさし上げるという日本人の優しさ、思い遣りを如実に物語る接続詞の発音の仕方なのである。

優しければ優しいほど長くなる傾向があるので、日本人の『あんど』が『あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんど』になる場合、「ひょっとしてオレは惚れられたんじゃないか??」と判断してもよろしい。間違っても、次の単語が思い出せずに時間稼ぎをしているわけではない。

『れふと、れふと』

右でも上でも下でもない、まぎれもない左、『れふと』である。相手が聞き洩らしてはいけない重大なキーワードは、繰り返して伝える必要がある。みのもんたも言っているではないか。「奥さん、大事なことだから2回言いましたよ」。

ここまで完璧な英語があろうか。しかも日本文化のエスプリと遊び心を織り混ぜた感動的な英語である。それなのに、どいつもこいつも口をぽかんと開けて理解不能な顔をしているとは失礼にもほどがある。

「わたしの言うことが理解できないっていうのね......わかったわ。うふん、手のかかる人たちですこと。もう体で教えてさしあげるしかないわね、ハニー」甘く囁いたわたしは、男の腕をむんずとつかみ、桜島フェリー乗り場へずんずん歩きだし、指さし確認だけで立派に道案内を務め上げたのであった。

ふっ、また今日も国際親善に貢献してしまった。冷たく冷えていたローソンの杏仁豆腐は、すっかり温まっている。国際親善とは、斯様に我が昼休みを犠牲にし、杏仁豆腐も犠牲にしなければ務まらないものなのである。

思いおこせば栄光の中学生時代、「英語の神童」の呼び名をほしいままにしていたのは、ほかならぬこのわたしである。「もみのこちゃん、将来は何になるの? やっぱり通訳?」と良く聞かれたものだ。まぁ、これだけ英語ができれば、万が一にも宝塚に入れなかった時の滑り止めとして、外務大臣くらいやってやってもいいか、と子供心に慎ましい将来設計を思い描いていたのだが、高校に入学したとたんに英語の成績は地に落ち、1学年500人いる中で、450番より上の成績を取ったことは、ただの一度もなかったと記憶する。

だからどーしたというのだ! 日本人は日本語ができればそれでいいのだ。なんでもかんでもカタカナにすりゃあカッコいいなどと、誰が言った?「寝るのはふとん、下着はふんどし、ごはんのことをライスだなんて言うんじゃないよ」と『味噌汁の詩』で千昌夫先生も歌っておられる。

わたしは軽佻浮薄な英語を社内公用語にしやがっている楽天の社員に言いたい。
「君たちのお父さんお母さんは泣いているぞ!」

だいたい薩摩藩士が生麦村で紅毛人を殺傷して以来、わが藩はエゲレスと戦争をしているのである。敵性言語である英語などに手を染めては、特高の取り締まりに遭い、拷問の上、路上にうち捨てられる運命にあるのだ。

だから初めて東京に行ったときの衝撃と言ったらなかった。原宿で竹の子族が♪ジン ジン ジンギスカーン♪と歌い踊っていた頃、「うんだもしたん、こいが原宿ごわひか(訳:まぁ、これが原宿ですか)」とつぶやきつつ、竹下通りを歩くわたしの目を釘付けにしたのは、外国人と英語でペラペラ話す、鼻にピアスの兄ちゃんであった。

ちなみに当時の薩摩藩では、英語を話せる人間など、父ちゃんが医者か大学教授と相場は決まっていた。♪わたしのパ〜パは 商社の男〜パヤツパ〜♪などという帰国子女も薩摩藩にはいなかった。

おっ、おい、鼻ピアス、おまえの父ちゃんは医者か? 言葉にならない問いかけを発しているうちに、髪を金色に染めたねーちゃんまで加わって、煙草を吸いながら英語で会話に加わり始めたのである。

ちょ、ちょ、ちょっと待て。おい、パツキンのねーちゃんよ、おまえの父ちゃんは大学教授なのか? 薩摩藩では、鼻ピアス、パツキン、煙草とくれば、まごうかたなき『不良』であり、生活指導の先生に毎日呼び出される偏差値38の生徒と決まっていたのだ。それなのに英語ペラペラとは、こはいかに。もしかすると東京人の父ちゃんは、みなみな医者か大学教授か商社の男パヤツパーなのか? それとも、東京人は生まれながらに英語が話せるのか?

......ぬかった。ぬかったわ。なぜ薩摩藩に生まれてしまったのだ。なぜ父ちゃんが医者でも大学教授でも商社の男パヤツパーでもないのだ。Facebookで外国人と英語でやりとりする人々を見るたび、「この東京人め......」と手ぬぐいをかみしめ、悔し涙するわたしである。

「しかし、そんな実力でよく世界を股にかけて旅をしてますな」とお尋ねの向きあらば、お答えしよう。股にはかけてますが、股には入れてません。何をですか? あ、そこが質問のポイントじゃないんですね。えぇえぇ、わかりますとも。清廉潔白純情無比なわたくしに何を言わせるんですか。それはいわゆるひとつの"言いまつがい"ってヤツですよ。もとい、海外では想像力だけを頼りに、さすらいの旅人は流麗に英語を使いこなしているのであります。

それは数年前のプラハの夜。モーツァルトのレクイエムを聴きに行ったスメタナホールで、アメリカ人にナンパされ、ビアホールで一杯やらないか? と誘われたときのこと。

「あ〜〜〜う〜〜〜......あい うぉんと とぅ どりんく。ばっと、まい いんぐりっしゅ いず......いず......」
「Oh...... no problem!」
「いや、それが、その、えっと......あい きゃんと すぴーく いんぐりっしゅ」
「don't worry」
「いや、その、できないのレベルが重症っつーか......あ〜〜、まい いんぐりっしゅ いず......しっく、しっくしっく!」
「??......sick?」
「イエス! あいあむ いんぐりっしゅ ぺいしぇんと!」

重症と言えばもちろん病気であることを意味する。病気はsickだ。sickな人は医者にとって患者であるからしてpatientである。English patientと言えば、あなたもどこかで聞いたことがあるだろう。わたしもどこかで聞いたことがある。ということは、重症レベルで英語ができない人という慣用句に違いない。

わたしはpatientという単語を思い出した自分が、天才ではないかと思ったくらいだ。えっ? それは映画のタイトルであって、英語の慣用句ではない? またまた何を言い出すかと思ったら、そんなガセネタを......ホントですかそうですか。

やはり外国人とあんなことやこんなことをするためには、想像力と創造力に満ち満ちた英語力に、より一層磨きをかける必要があるのではないか。そんなわけで、今度の日曜、9/11にTOEICを初体験することにしたわたしである。

本屋でなんとなく買ったのは「新TOEICテスト はじめてでも600点が取れる!」というテキストだ。しかし、まだ1/10も読んでいない。CDを聞いてもさっぱりわからないから進まないのだ。

で、デジクリの原稿を書いているたった今、ググって気付いた。TOEIC600点とはIBMの課長レベルなのだそうである。おー、まいがーっ!

※「ものまね大物政治家(田中角栄・渡辺美智雄・大平正芳・福田赳夫etc)」
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※郷ひろみ メドレー
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※野口五郎メドレー
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※西城秀樹メドレー
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※「ジンギスカン」Dschingis Khan
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※「味噌汁の詩」千昌夫
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※「私の彼はサラリーマン」SHINE'S
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【もみのこ ゆきと】qkjgq410(a)yahoo.co.jp

働くおじさん・働くおばさんと無駄話するのが仕事の窓際事務員。かつてはシステムエンジニア。
その昔、フランスの女王はこう呟いたという。
「パンがなければ、ケーキを食べたらいいのに」
薩摩藩の女王も負けじと呟く。
「桜島フェリー乗り場がわからなければ、泳いで渡ればいいのに」

薩摩藩の小学校のいくつかには、薩摩半島側から桜島まで泳いで渡る「桜島横断遠泳」という学校行事があるのだ。今度外国人観光客に聞かれたら、そう言ってやろうと思うのだが、英語で何と言えばいいのか全然わからんわ。