[3115] 1977年の西條八十

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《「共感なき平穏」という特徴が見えてきた》

■映画と夜と音楽と...[515]
 1977年の西條八十
 十河 進

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■映画と夜と音楽と...[515]
1977年の西條八十

十河 進
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〈新幹線大爆破/君よ憤怒の河を渉れ/人間の証明/野生の証明/ロッキー〉


●「唄を忘れたカナリヤは棄てましょか」と書いた西條八十の暗さ

先日の朝日新聞のbeで西條八十の「かなりや」が取り上げられていた。「唄を忘れたカナリヤは...」という例の童謡である。1918年(大正7年)に児童雑誌「赤い鳥」に発表された詩に、翌年、曲がつけられたという。唄を忘れたカナリヤ(=役立たず)は裏山に棄ててしまおうか、という発想はあまり子供向きではないと思うのだが、昔は誰でもが知っている童謡だった。

ところで、僕の名前は「十河」と書いて「そごう」と読む。地元を出て以来、きちんと読まれたことはない。ルビ付き名刺を出すと「これで、そごうと読むんですか」と不思議がられる。ときには大仰に驚かれて、しらけることもある。そんなとき、昔は「西條八十は『やそ』と読みますよね」と言っていたが、最近は「西條八十」が通じないことが多いので、「三十路(みそじ)って言い方するでしょう」と答えている。

そんなことで僕は昔から西條八十になじみがあり、今でも本棚には「現代日本名詩集大成4 佐藤春夫・室生犀星・西條八十・萩原朔太郎」が並んでいる。発行元は創元新社。昭和41年12月発行で、すでに6版である。中学3年生のときに買った。その後、僕は鮎川信夫、田村隆一などの荒地派を経て、「現代詩手帖」を知り若手詩人たちの作品を読み始める。

僕が持っている「現代日本名詩集大成4 佐藤春夫・室生犀星・西條八十・萩原朔太郎」には、「あわれ 秋かぜよ 情あらば伝へてよ」と始まる佐藤春夫の「秋刀魚の歌」や「ふるさとは遠きにありて思ふもの」で有名な室生犀星の「小景異情」などが載っているが、西條八十の代表作は? となると、僕が好きな詩はあるのだが、誰もが知っているといったものがない。

西條八十は、抒情派の詩人であり、フランス文学者だった。1892年(明治25年)に生まれ、名を成して後、フランスに留学。ソルボンヌ大学に学び、帰国後は早稲田大学で教鞭を執った。ランボウを愛し、彼の詩を研究した。1970年(昭和45年)に死んだが、僕が「現代日本名詩集大成」を買ったときには、まだ元気だったのだ。

彼は多くの詩を書いたけれど、どちらかと言えば作詞家としての作品の方が圧倒的に有名である。戦前には「愛染かつら」(1938年)の主題歌「旅の夜風」が大ヒットするし、戦争中は「若い血潮の予科練の...」と歌う「若鷲の歌」や「同期の桜」などたくさんの軍歌を作詞し、戦後は「青い山脈」(1949年)を作詞している。舟木一夫の「絶唱」や「夕笛」まで書いているのは知らなかった。

西條八十の詩で有名になったのは、「母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね。えゝ夏、碓氷から霧積へ行くみちで、谷底に落としたあの麦藁帽子ですよ」というフレーズで始まる「帽子」という作品である。僕はずいぶ前に霧積温泉にある霧積館に一度泊まったことがあるが、そこには西條八十の詩碑があり、箸袋にも「帽子」の詩句が印刷されていた。

この詩は「人間の証明」(1977年)で有名になった。映画公開は1977年の秋のことだったが、その一年も前からイメージカットだけのCMが流された記憶がある。そのイメージカットで使われたのが「麦藁帽子」であり、西條八十の詩だった。角川映画第2弾として脚本公募などの話題作りが華やかに展開され、原作の森村誠一の小説と制作中の映画を大々的に宣伝した。

当時の日本映画では珍しかった大がかりなニューヨーク・ロケを敢行し、そのロケレポートが映画雑誌に載ったり、テレビの特番で放映されたりした。当時、主演級ではなかったがハリウッド・スターとして顔が売れていた大男ジョージ・ケネディをニューヨークの刑事役で出演させ、主人公の棟居刑事(松田優作)と共演させたのも話題を呼んだ。

●麦藁帽や西條八十の詩が原作ほどメロディアスな効果を上げていない

「人間の証明」のテレビCMがひっきりなしに流れた1977年は、西條八十の死からすでに7年が経過していた。もし生きていたら、西條八十はそのCMを許可しただろうか。その詩が醸し出すノスタルジックな雰囲気が、「人間の証明」という殺人ドラマをロマンチックなものに感じさせ、多くの人が映画館に足を運んだ。しかし、人々の期待は裏切られた。

「人間の証明」の監督は、前年、「新幹線大爆破」(1975年)でキネマ旬報読者が選ぶベストテンで一位を獲得した佐藤純弥だった。それだけに、僕も期待した。「君よ憤怒の河を渉れ」(1976年)を続けて撮った佐藤監督は、僕にとっては最も気になる存在だった。日本にはあまり存在しない、壮大なアクション映画が撮れる監督だった。

僕の手元にある「キネマ旬報1977年11月下旬号」の「今号の問題作批評」で「人間の証明」が取り上げられている。評者は大黒東洋士と押川義行とある。大黒さんの批評文のタイトルは「致命的な演出ミス」であり、大作「人間の証明」がヒットしたことを業界人として喜びながらも、そのクオリティのひどさを指摘し、提灯持ちをつとめた映画評論家には皮肉な書き方をしている。

押川さんの批評文は「一女性の戦後史」と題したもので、岡田茉莉子が演じたヒロインの戦後史をたどることで別の側面を見ようとする深読み批評だが、映画の出来に関しては「麦藁帽や西條八十の詩が、原作ほどメロディアスな効果を上げていないのは、文章と映像の表現の違いというより、推理上の素材としてしか生かされなかったせいだ」と、あまり誉めてはいない。

これは、プロデューサーの角川春樹が口を出しすぎたせいだとか、話題作りのための脚本募集(賞金500万円)であまりよいものが集まらなかったにもかかわらず、ニューヨーク・シーンを加えたり結末を変えた松山善三の脚本(覆面審査だったので決定後に判明)を採用したせいだとか言われたが、僕もリアリティのない大味なミステリもどきの作品になったと思う。

しかし、映画はヒットし、10月8日からの公開にもかかわらず、キネマ旬報掲載の上映スケジュールによれば、日比谷や新宿のロードショー館では12月9日まで実に2ヶ月も公開されていた。ただ、僕の記憶が確かならば、その頃になると口コミで「大した映画じゃないよ」という評判が流布され始めていた。

主演の松田優作も、まだ自分のキャラクターを確立していない時期だった。「太陽にほえろ」で人気者にはなったが、テレビ向きの優等生的な演技であり、後年、凄みを感じさせるほどの役者になるとは想像もできなかった。松田優作がそのキャラクターを確立するのは、村川透監督と組んだ「最も危険な遊戯」「殺人遊戯」(1978年)「処刑遊戯」(1979年)の鳴海昌平役からである。

彼は殺し屋・鳴海昌平役をどんどん自分のものにしてゆき、松田優作=鳴海昌平のレベルにまで到達する。アドリブを連発し、本気かふざけているのかわからない独特のキャラクターはテレビシリーズ「探偵物語」(1979年)に引き継がれ、松田優作のイメージを作った。後年の凄みを感じる松田優作を見慣れた人が「人間の証明」を見ると、これが松田優作? と思うだろう。

●豊富な資金力を背景に膨大な広告量でベストセラーにする大手の手法

作品的にはイマイチだったが、「人間の証明」的広告展開はその後の映画業界を変えてしまった。もちろん「読んでから見るか、見てから読むか」というキャッチフレーズで、「犬神家の一族」(1976年)の映画も原作もヒットさせた角川春樹的プロデュースの手法は、すでに映画界に刺激を与えてはいたのではあるけれど、「人間の証明」はそれをさらに推し進めたのである。

「犬神家の一族」の広告展開で僕が驚いたのは、ほとんど忘れ去られていた作家だった横溝正史を復活させたことである。現在では、文庫のテレビCMやキャンペーン展開は当たり前のことだが、「ネバー・ギブアップ」というキャッチフレーズで角川文庫というブランドを広告したポスターやテレビCMが登場したとき、多くの人は驚いたものだった。

角川文庫は新潮文庫やアカデミックな岩波文庫に後れをとっていたが、そのキャンペーン展開によって一気に知名度とブランド力を上げた。それは角川春樹さんの戦略でもあったし、当時は角川春樹さんの懐刀であり現在は幻冬舎の社長でもある見城徹さんのやり方でもあった。現在、その広告戦略は幻冬舎に受け継がれている。新聞一面を使う派手な幻冬舎の書籍広告を見るたびにそう思う。

しかし、広告戦略だけでベストセラーは作り出せるのだろうか。映画はヒットさせられるのだろうか。広告によってベストセラーになり、映画もヒットした「人間の証明」に落胆しながら、25歳の僕が問うていたのはそういうことだった。もちろん小説や映画だから受け取り方はいろいろあるし、毀誉褒貶もある。「人間の証明」を読んで感動し、「人間の証明」を見て滂沱の涙を流した人がいるかもしれない。しかし...、あれが正しいやり方なのか。

僕がそんな疑問にこだわったのは、僕自身が40人ほどの出版社に入り、少ない制作費をやりくりしながら、日々、専門誌を作ることに追われていたからだった。まだ新人同様の入社3年目だった。出版社としてあれが正しい姿なのだろうかと、僕は昼食に出るたびに目に入る角川書店本社ビルを睨んで考えた。当時、角川春樹さんは時代の寵児だった。

もちろん横溝正史の小説は面白い。面白いから、広く世に広告したことによって、横溝正史ブームが起こったのだ。それ以前からミステリ好きの僕はけっこう読んでいたが、当時は江戸川乱歩の方がずっと知名度があったし、名探偵と言えば明智小五郎だった。金田一耕助と言っても誰も知らず、国語学者と間違われるのがオチだった。片岡千恵蔵が金田一耕助を演じたのは、昭和20年代のことである。

角川書店は横溝正史ブームの次に、森村誠一ブームを狙ったのだ。ホテルマンから作家になり乱歩賞を受賞した森村さんだったが、その頃は地味な作家という印象だった。僕も乱歩賞受賞作「高層の死角」を読んだくらいだったけれど、「人間の証明」に続いて「野生の証明」(1978年)も角川映画の原作として派手な広告展開をしてベストセラーになった。

「人間の証明」が公開された1977年、洋画最大のヒットは「ロッキー」(1976年)だった。その映画の脚本を書き主演したのは、まったく無名だったシルベスター・スタローンという俳優だった。30まで芽が出ず、下積時代にはポルノ映画に端役で出演したこともあるという話さえ伝わってきた。それは、シンデレラ・ストーリーを強調するための与太話だったのかもしれないけれど...。

無名の俳優しか出ていなかった低予算の「ロッキー」がアメリカでも日本でもヒットしたのは、無名のボクサーがチャンピオンと互角に戦うという内容と、無名の俳優が書いた脚本が注目され主演をしたことが重なったからである。不遇な人間が世間を見返したのだ。鬱屈を抱えて生きていた男が、「ざまーみろ、俺はやったぞ」と雄叫びをあげることができたのだ。もちろん、僕も「ロッキー」を見て心の中に溜まっていた何かを晴らした。

そして、1977年度キネマ旬報の邦画ベストテン一位は山田洋次監督の「幸せの黄色いハンカチ」だった。もう一本、高倉健主演作品「八甲田山」が4位に入り、東宝が制作した金田一耕助シリーズ「悪魔の毛鞠唄」が6位に入っていたが、「人間の証明」のタイトルはどこにもなかった。あれだけ金をかけて宣伝したのに、まったく評価されなかったのだ。

●同じ出版業界にいてスケールが何もかも違うことに対する苛立ち

僕の人生を「何も知らなかった子供時代」と「苦い現実を思い知らされた大人の時代」に分けるとすると、1977年は前者に入る。僕は子供で、甘ちゃんで、世間のことは何もわかっていない、青臭い若造だった。不安と劣等感に苛まれているくせに自意識だけは強く、自分の好みにこだわりを持ち、偏狭だった。評価は他者がするのだと気付かず、人はなぜ自分をそんな風に見るのかと不満に思っていた。

僕は出版社への就職にこだわり、何とか映像関係の専門誌を出す出版社に入ったが、一年前に小学館に入社していた同級生の男と、僕と同じ時期に講談社に入社した同窓生の女に会うたびに、自分の会社の小ささを思い知らされ、悔しい思いをしていた。今から思うとひがんでいただけだが、同じ業界にいてスケールが何もかも違うことに苛立った。

自分の会社のスケールメリットがわかっていなかったこともあるのだが、僕が出す企画については「いくら金がかかると思ってるんだ」と、当時の編集長によく言われたものだ。対談を企画し「場所を××で」と言うと、「そんなところに金は使えない」とはねられ、有名な筆者に頼もうとすると「原稿料が高くてダメ」と拒否された。そうこうするうちに、僕は自主規制を始めた。

入社して半年ほど経ったとき、僕はテレビ番組の取材をすることになった。相手は、アナウンサーの見城美枝子(当時はケンケンの愛称だった)さんとディレクターのふたりだった。僕はTBSのロビーのティールームでインタビューをした。取材が終わって「お忙しいところ、ありがとうございました」と頭を下げたとき、ディレクターがテーブルの上の伝票を取り上げた。「あっ、それは僕が...」と礼儀上は言ったけれど、そのまま僕は相手にごちそうになった。

そのときのことが今も強烈に記憶に残っているのは、自分のせこさとみっともなさが刻み込まれたからだ。根が貧乏性の僕は、それまで取材費を請求したことがなかった。請求しても上司に認められないかもしれないと思ったのだ。そう思わせるほど、制作費や経費に関してはシビアだった。企画を考えると同時に、どれだけ安く仕上げるか考えなければならなかった。企画、取材、撮影、原稿書き、レイアウト、校正など担当するページのすべてを自分ひとりでやるしかなかった。

見城美枝子さんにインタビューした本が仕上がり、「謝礼どうしましょうか?」と訊くと、「ウィスキーでも持っていくか」と編集長は答えた。僕は贈呈本とサントリーのウィスキーを持ってTBSにいきディレクターに礼を言って渡したが、自分の作っている本がどれくらいの原稿料を払っているのかも全く知らなかった。それにしても原稿料代わりにウィスキー一本かよ...と、僕は己の不遇を嘆いた。

小学館の男は何10万部も出している月刊誌の編集部にいて、マンガ家たちとの派手な付き合いや原稿待ちの苦労話をする。講談社に入った女は彼の中学時代からのガールフレンドで、彼女は僕が話す中小出版社の編集者の悲哀あふれるエピソードを聞く度に、「信じられな〜い。うちの会社じゃ......よ」というフレーズを連発した。今も覚えているのは「えー、編集部の人が直接、印刷所の人と会うの? うちじゃそんなの制作部の仕事よ」という言葉である。

無邪気なのか、無神経なのか。数千人の社員がいる会社のシステムと40人しかいない会社のシステムを比較するなよ、と僕は思った。編集部員が印刷会社の営業マンと打ち合わせをし、進行スケジュールを決め、原稿をやりとりし、校正を読んで返す、これは僕にとっては当たり前のことだった。だが、彼女の会社には制作部があり、校閲部がある。彼女の仕事は豊富な制作費と下請けプロダクションのスタッフを使って、コンテンツを作ることだけだったのである。

今から思えば、そんな気分が角川書店の派手な広告展開でベストセラーを作ったり、映画をヒットさせたりすることへの批判に拍車をかけたのだろう。金にあかして...というやり方に反発したのだ。それが、結果的に「人間の証明」に対する、辛辣な評価になったのかもしれない。僕は誰にも言えないルサンチマンを抱え込み、大手出版社の資金力を背景にしたシステムに反感を抱いた。

●西條八十の暗さが鬱屈を抱えた僕には心地よかった

今では僕の会社も、仕事の内容や現場はずいぶん様変わりした。どの編集部も自分でレイアウトすることはない。すべてデザイナーに依頼する。取材で撮影があるときはカメラマンに依頼する。タレントを使うロケは、ロケバスを用意してヘアーメイクにスタイリストを付ける。マネージャーも同行する。原稿はライターが書き、雑用は編集アシスタントのようなアルバイトが処理する。

昔、1,000枚近い読者ハガキのすべての項目の集計を取るために、2日間机に向かってそれだけに集中したことを今の編集部員に話すと、「だって時給の高い正社員がそんなことしたらもったいないじゃないですか」と言われるだろう。愛読者ハガキの分析などは、アルバイトの仕事だと割り切っている。しかし、自分でデータ集計をしたおかげで、僕には読者像がはっきりと把握できたのだ。

同じように、印刷会社とのやりとりで印刷現場のことも学んだし、校正を戻してからの下版、刷版、印刷、製本という工程も実感した。レイアウトをやらなければならなかったので女性誌などのデザインを研究し、写真の使い方を工夫したり、文字を抜いたりノセにしたり、網をかけたりといった様々な手法を試してみた。だから、後にデザイナーに仕事を依頼するようになってもディレクションができた。

取材撮影ではいろいろ失敗したが、次からは気を付けるようになった。元々、写真をやってはいたのだが、ストロボを発光させて撮るようなインタビュー写真はあまり経験がなかったから、ガラス窓を背景にした人物の正面からストロボを光らせたりした。また、プリントが上がるとふすまの桟が人物の頭から出ていた。だが、自分で撮影することで学び、写真を見る眼がシビアになったし、カメラマンに指示が出せるようになった。

昔、僕が羨んだ大手出版社のようなシステムが今では実現されているが(現場の編集者はそうは思っていないだろうけれど)、それによって編集者の知識は狭められたと思う。先日も印刷用紙の話を10年選手になる編集者にしていて、「A判横目」と言ったら「それ、何ですか?」と聞き返された。もっとも、こんなことを書いていると、「年寄りの繰り言」としか思われない。

振り返ってみれば、1977年に入社3年目だった僕は、今の若い人たちより自信がなく、何事にも物怖じしていた小心で神経質な編集者だった。僕は自信にあふれた大手出版社に勤めるふたりの友人の前で、ひがみ根性を丸出しにして妬んでいた。どうせ俺は...と拗ねた。そのくせ、そう思っていると知られることを極端に怖れた。見栄が棄てられず、本当の現実の厳しさをわかっていなかった。

そんな頃、「母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね」という詩句が知れ渡り、10数年ぶりに僕は西條八十の詩を読み返したくなった。中学生のときに買った「現代日本名詩集大成」を本棚から取り出し、西條八十が心象を抽象的な詩句に昇華する詩人であり、心の中に重い鬱屈を抱えていたことを改めて知った。唄を忘れたカナリヤを後ろの山に棄てる発想をする、西條八十の暗黒を抱えた心象を読み取り、その暗さに共感した。西條八十の詩が心地よかった。

青空の
茫の中に、
真昼
悲しき市ありて。

きのふも
今日も
風かげに
黄金の洋燈が
見えがくれ。

甲斐ない夢を
追はうより、
昨日も
けふも
青茫、
市街を眺めて
ただひとり。
(茫の中)

その年、西條八十の詩を読むことで、僕は暗く鬱屈し渦を巻くように己の心の底に蟠るルサンチマンをなだめることができたのだった。僕は何かというと、「甲斐ない夢を追はうより......市街を眺めてただひとり」と口ずさんだ。自己憐憫にひたる己に自己陶酔していたのかもしれない。しかし、甲斐ない夢は、決して叶わぬ夢だった。人は身の丈に合った夢しか見ることはできないのだ、と当時の僕は言い聞かせていた。悔し涙を流しながら...。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
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会社に40年勤めた4年先輩の人が8月いっぱいで退職した。言い争いもずいぶんしたが、本当に世話になった人である。同僚とふたりで記念品を送ろうと考え、タバコ好きなので銀のジッポーにメッセージを彫り込むことにした。ジッポー専門店で依頼したが、見た目はステンレスとあまり違わない。いっそ「純銀」と彫り込んでもらおうか、などと野暮なことはもちろん考えませんでした。

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セーラー服と社会学

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このところセーラー服を着て外出することの多い私であるが、これは、リアル女子高生に大笑いされているのをモテていると勘違いしているといったイタい理由からでは決してなく、もっと高尚な狙いあってのことである。現代社会のエッセンスを抽出するためのフィールドワークという位置づけである。つまり、社会学研究の一環。

自分があたかも透明人間になったかのような視点で社会を眺めて特徴を発見していくアプローチを「観察社会学」と呼ぶことにすると、その社会の中に本来自然な形では存在しえないはずの要素を人為的に放り込み、人々の反応から特徴をつかみ出すアプローチは「実験社会学」と呼ぶことができよう。

高度にシステム化され、平和と秩序が維持された都会の風景の中に、セーラー服のおっさんを投入することによって、現代社会のどのような側面が見えてくるか。表面的には何の騒ぎも起きず、日常の営みが平和に継続されていくものの、それはシステムが何の影響も受けずに回っているということであって、人々が相互理解や共感によってつながり合い、互いを受容しあい、社会が一体化しているということではない。考えや価値観のばらばらな個が、相互の深い領域にあえて踏み込まないことによって無用の軋轢を避け、スムーズな社会運営が維持されている「共感なき平穏」という特徴が見えてきたことを報告したい。

余談だが。人類は2種類に大別される。透明人間と不透明人間である。前者は見えないので得体が知れない。後者は全容が不透明なので、やはり得体が知れない。ゆえにすべての人類は得体が知れない。

●騒ぎは起きない

フィールドワークの詳細については前回すでに報告しているので、ここでは概略だけ述べておこう。まず、どんな姿であったかについては、目撃者からどう見えていたかという観点から、ツイッターへの書き込みを総合すると、「落ち武者、仙人、あるいはダンブルドア校長のような風貌の、推定60代から70代のおじいさんが、セーラー服を着て堂々と歩いていた。頭は禿げており、ヒゲを三つ編みにしてリボンをつけていた。中学生が持つようなスクールバッグを持ち、大きな尻尾のストラップをつけていた。スカートはかなり短く、スネ毛は剃ってあり、紺のハイソックスにローファ」。その姿の異様さについては、「人類にはまだ早すぎた」とのコメントもある。

この姿で、日常行くところは会社以外、ほぼ行った。喫茶店、ラーメン屋、回転寿司、居酒屋、メイドバー、カラオケ店、漫画喫茶、ヨドバシカメラ、不動産屋、など。出没地域は中野、新宿、渋谷、池袋、高田馬場、原宿、秋葉原、浅草橋、代官山、下北沢、鶴見、八重洲、市ヶ谷など。

それで、一体何が起きるかというと、端的に言って、何も起きない。大声でののしる者もなく、人だかりもできず、通報する者もなく、職質もされず、石を投げられることもなく、店から追い出されることもない。

大声で笑う人はいる。特に、若い女性。箸が転んでもおかしい年頃の子は、おっさんがセーラー服着ててもおかしいようで。女性二人連れで歩いていて、私の姿を発見するなり、一方が他方の肩を借りて、ギャハハギャハハと笑い崩れる姿など、よく目にする。大笑いする人は、こちらから認識できているよりも多いかもしれない。というのは、すれ違ってから振り返って大笑いしてる人がけっこういるらしいから。というか、少し離れて後ろを歩いた人の証言によると、みんな振り返って笑ってるらしい。

電車の中では、無反応な人が多い。ぜんぜん関心がないのか、あるいは気になって仕方がないけど顔には表さないようにしているのかは、判然としない。後者だとしたら、たいへん礼儀正しい態度だといえる。大人の男性はほとんどが無表情。無関心なのか、笑いをこらえているのか、不快になっちゃったのか、さっぱり読み取れない。

話しかけてくる人は、あまりいない。そうだよね、勇気要るよね。頭おかしい人かも、って思うと、ちょっと怖いよね。もし立場が逆だったら、私も無理かも。笑った勢いで思わず、って人がたまにいる。「いい女が立ってるかと思って見れば...」。「ひー、どうもすみません」。

信じないかもしれないが、全力で力強く大絶賛してくれる人もいる。そんなにほめられると、いや〜、やっぱり間違ってなかったんだ、よかったよかった、......と勘違いしそうになる。写真撮らせてください、と断ってくる人もいて、これまた礼儀正しい。一人が撮り始めると、通りすがりに、じゃあ私も、みたいな感じで撮ってく人がけっこういて、人だかりができそうになるときがある。

子供は真っ正直に反応するので、こっちが恥ずかしくなるときがある。御茶ノ水駅のホームで総武線の電車を待っていると、向かいの新宿方面のホームに停車中の総武線の電車のドア越しに、小学校高学年ぐらいの男の子二人が、ものすごくびっくりした顔で、ずっとこっちを凝視していた。もっと小さい子は、目の前の現実を素直に受容しているふうの子が多い。

ネガティブな反応は、ほとんどない。けど、ぜんぜんないわけではない。カップルでいた男性から、聞こえよがしに「きったねー、何考えてんだ」とか。電車で空席に座ったら、隣の若い男性がすっと立って、違う車両へと逃げていったとか。

●システム化とセグメンテーション化の現代日本社会

現代の日本社会はどのような特徴を有しているといえるだろうか。

まず第一に、システム化社会であると思う。システム化社会を次のように定義してみよう。社会を構成する人々が、その社会において最優先すべき課題は、あらゆるトラブルや不足を回避し、安全性、安定性、利便性、快適性を維持するような仕組みを構築することであるという共通認識をもち、実際に法、ルール、基準、マニュアルの整備や、防災、防犯、生活物資やエネルギーの供給、交通、商取引などの仕組みの構築が細部へ細部へと急速に進んでいく社会。

世の中において、事件、事故、トラブル、物資やエネルギーの供給不足、不快な出来事、不便さの我慢などが起きるのは、システムがまだ不完全であるせいだ、と考える人が多くなってきているのでないだろうか。人々のモラルのレベルが下がったせいであり、教育によって改善を図るべきであると唱える人はあまり多くなく、事あるごとに、システムがより緻密化、厳密化していくような気がする。

軽犯罪法をみると、それにひっかかる行為のリストの中には、けっこう笑えるものがある。「正当な理由がなくて他人の標灯または街路などに設けられた灯火を消す」など。これ、どうやったら消せるんでしょ?「するな」と諭すよりも、しようと思ってもできないような仕組みを作っちゃったほうが、確実。モラルよりも仕組みのほうが合理的。

システム化が進むことにより、人間の尊厳がないがしろにされていくのではないかと懸念して抵抗を示す人も減ってきているように感じる。かつては、国民全員に番号が割り振られてデータベース管理されたりしたら、人間の尊厳にかかわる、と言って猛反対する人が多くいたが、ひとたび住基ネットが導入されてみたら、なんかもうどうでもよくなってきてはいないだろうか。公道に防犯カメラを設置するのも、すっかり定着して、今やそこいらじゅうだし。個人の尊厳よりも社会秩序の維持が優先されることを人々が受け入れるようになってきている。

万事マニュアル化も、当たり前のトレンドになっている気がする。かつては「マニュアル対応」といえば、お役所の窓口の係の人や、ファーストフード店のアルバイト店員が、場のニーズに応じた柔軟な対応ができず、マニュアル通りの杓子定規な対応しかできないのがまるでロボットのようで奇妙に映るのを揶揄する言葉であった。なんか最近は、マニュアル対応のほうが安心するって人が多いのではなかろうか。

もし自分だけが他のお客と異なる対応をされたりしたら、それが厚遇にせよ冷遇にせよ、居心地が悪い。あるいは、日によって店員によって対応がまちまちだったりしたら、気が気じゃない。いつ、誰が行っても、誰が対応しても、均一で予測可能な対応。まったく印象に残らない。それが安心、快適。場に応じたきめ細かい対応が必要なら、多種多様な場面を想定してマニュアルのほうをきめ細かくしていけばいい。いつも行く店で、今回だけ「いらっしゃいませ、こんばんは」ではなく、「こんばんは、いらっしゃいませ」だったら、その夜はとてもじゃないが眠れそうにない。

社会維持システムの構築が最優先だとすると、その陰には、順位を下げられたさまざまな営みがある。哲学・宗教・思想、純粋科学・学術、芸術・文化・芸能、政治理念(イデオロギー)、国家の経済的繁栄、富国強兵、国際社会における自国の存在感、倫理・奉仕精神、個人の尊厳、知性・教養の研鑽、立身出世・地位向上、家族や友人の関係性、娯楽・快楽・祭り、など。

これらのどれよりもシステム化を上に置くというのは、まるで我々がみずからシステムに従属するロボットのようになろうと指向しているみたいで奇妙な感じがしなくもないし、それでよく生きている意味が見いだせるなぁ、と若干心配にならなくもない。

旅行に行くのは、事前にできるだけ多く情報を収集し、かけたコストに対して得たパフォーマンスの比率が高かったことをもって、お得感を楽しむことを目的とするゲームってことで、いいんだっけ? つまるところ人生もまた、システムを知悉し、上手に活用することによって、人よりもちょっとだけ得することを目的として営み続けるコストパフォーマンスゲームってことで、いんだっけ?  なんという形而下的な。楽しいかなぁ?

が、しかし実際、今の社会がシステム化社会であること自体には、同意していただけるのではないでしょうか?

さて、第二に、情報のセグメンテーション化があると思う。

これについては、'08年4月25日(金)にこの欄をまるまる一回使って論じているので、興味があれば参照してください。
< https://bn.dgcr.com/archives/20080425140100.html
>

定義に関する箇所を抜き出しておくと、感覚的には、情報の流通を誰かが意図的にブロックしているわけでもないのに、現実の情報の流れに相当の偏りが自然に生じてしまうような状態になっているとき、私は「情報がセグメンテーション化しているなぁ」と感じている。定義しようとすると、次のような感じ。情報のセグメンテーション化とは、ある社会の内部を情報が流通する際の伝達のしかたの構造において、個々の情報単位がそれの属する分野に関心のある人たちであらかじめ構成された集団の間を非常に迅速にあまねく流通するけれども、その集団の外ではほとんど流通することのないような情報伝達構造のことである。

「情報のセグメンテーション化」という呼称は、私が勝手につけただけであるからして、同じ概念を違う言葉で言い表している社会学者はきっといるだろうと前々から思ってはいた。実は、宮台真司氏の言うところの「島宇宙」に近いことを最近知った。

宮台氏の島宇宙とは、主として中学・高校の状況について表した概念だが、クラスのような大きな単位でのまとまり感は消滅し、人と人とのつながりが3〜4人の小集団に分離してしまっている状態をいう。コミュニケーションは小集団内で閉じており、誰もが自分の属する集団の外のことには無関心なので、小集団間のコミュニケーションはほとんど起きない(宮台真司『制服少女たちの選択』講談社1994/11)。

情報伝達が小区画内に限られているという点においてはほとんど同じといえよう。もっとも「情報のセグメンテーション化」のほうは、地理的に近いとか、実際によく顔を合わせるといった近さによる仲良しグループとは限らなくて、たとえばmixiコミュのような、共通の関心によって寄り集まった人為的なグループをイメージしている。

だから、たとえば、山登りと将棋とメイドさんが好きな人は、それぞれの関心によって形成された3つのグループに属して、それぞれのグループの空気に応じて情報をやりとりする、というイメージである。

「アトム社会」という用語を25年くらい前に聞いた気もするが、何だっけ? ちょっと定義が見当たらない。

この傾向がいっそう進むと、3〜4人の小集団でさえいずれは自然解体し、一人一人がバラバラになっていくのではないかという気がする。新たな出会いは、機会も少ないし、ストレスになるし、で敷居が高い。一方、別れは、着信拒否で済んじゃうので、チョー便利。たいていの恋愛はそうやって終わるのではなかろうか。今にみんな等しく仲間はずれ。

第三に、苦情社会になってきたと言えるのではなかろうか。

社会のシステム化が進んで、ものごとがおおむねスムーズに回っていく傍ら、モンスターペアレンツのような、かつてあまり見なかったタイプのお騒がせな人たちが出現したりしてきている。しかし、これも、システム化社会の必然の帰結という気がする。

たいていのシステムは、アクセス権限が複数にレベル分けされている。管理者レベルと一般ユーザーレベルのように。お店の人とお客さん、作る人と使う人。スタッフ参加とサークル参加と一般参加。どのレベルのアクセス権限を持っているかによって、人々の立場が分かれる。ごく少数の管理者。多数の一般ユーザー。その他の非ユーザー。

自動改札システムの管理者は、おそらく食品衛生の管理者ではない。同じ人物であっても、個々のシステムによって、立場が変わる。「関係者以外立入禁止」のドアはそこらじゅうにあるが、その中で、自分が入る権限を持っているドアはごく少数であろう。

一般ユーザーは、システムそのものを変える権限を与えられていない。なので、システムに何らかの問題があって不利益をこうむった場合、自力では解決できない。解決の責を負わないという気楽さはあるものの、人を頼りにするしか道はないという不自由さもある。管理者に苦情を言うしかない。苦情にも正当性・妥当性のレベルがグラデーションのようにある。「それは言わないとダメだろ」レベルから「そこまで言うか」レベルまで。

このところよく苦情関連のことが話題になるが、一般的な型として言えば、「私が不快な思いをしたのは、不快な思いをさせた側が悪いのか」とくくることができそうである。一律にこうだということはできず、ケースバイケースの問題となる。社会通念だって時代や地域によって変わるし。

Yahoo! のサイトのコーナーのひとつに「yahoo 知恵袋」というのがあり、誰かが投稿した質問に、みんなで答えていくことができる。そこに、女性の下着売り場に男性が入ることをどう思うか、という質問が寄せられ、熱い議論になっていた。議論というか、大の大人がこんな些末な話題に全力を投入して、感情むき出しのなじり合い叩き合い。読んでるだけで具合が悪くなりそう。

だいたい、そもそもの質問は、正確には「女性の下着売り場に立ち入る男性をどう思うか」ではないのである。その質問自体は以前に出ていて、「快く思わない人がいる」のは理解できると、あらかじめ断っている。そのときの議論の中に、「男性が下着売り場にいるとそれだけで変質者」「カップルで来ていると男性も連れてくる女性もバカだと思う」「売り場で男性を見たら睨む、聞こえるように文句を言う」といった意見が出ていたが、ただ単に買い物にくる男性やカップルを、来ただけで白い目で見ることは妥当性はあるのか。「このように激しく非難する女性をどう思うか」という質問なのである。ちなみに、質問者は女性である。

ところが、これに対する回答が、またすごい。質問者が前進させようとしている議論を、その意図丸無視で後退させて蒸し返しているだけ。「私もイヤです。下着売り場に平気な顔で来れる男性が。男らしくなさそうで」「私は嫌なんですよね。服や化粧品ならまだ許せるんですが、下着って本来なら気を許した家族や彼氏しか見られないものじゃないですか」「世間の目を気にしないような男性とは付き合いたくない」。

だ〜か〜ら〜、下着売り場に来る男性についての質問じゃなくて、それを激しく叩く女性をどう思うかって、質問なのに〜。不快に思う人がいるのは承知してるって、元の質問の中にちゃんと書いてあるのに〜。そのズレを指摘する人もいる。「あのさ、答えてる一部の人たち、質問者の質問よく読めよ!」。

ただ、言葉の調子が強いもんだから、内容にではなく、調子に反応する答えが返ってくる。「なぜそんなにファビョッてるの? 下着屋で嫌な思いでもしたの?」。ここまで徹底した議論のかみ合わなさ、ちょっとした狂気を感じてぞくぞくする。

かみ合わない議論に対しては、たとえ整理するつもりで割って入ったとしても、それがうまくいくことは皆無で、混乱した議論をいっそう混乱させたという徒労感に終わることがほとんどである。なので、私としては、相手にしないことにしている。ただ、現代社会において、まともなコミュニケーションがいかに成り立ちづらいかを実感できるための資料としては、我慢して読まなきゃいけないのかなぁ、とも思う。ほんっと、具合悪くなりそ。

さて、話を元に戻して、ポイントは「私が不快な思いをしたのは、不快な思いをさせた側が悪いのか」にある。同じカテゴリに属する問題についてはすべて同じ結論に至るべきだ、というわけにはいかないけど、例はいろいろあげられる。男性と女性の立場をひっくり返して、電車の中で化粧をする女性をどう思うか、とか。

私の個人的な意見としては、プライベートな空間に閉じ込めておいたほうが適切と思われる行為を、公の場所で見てしまうというのは、多少の気まずさを伴うけど、迷惑とか不快というほどのこととは感じていない。以前、夕刻に、志木あたりから池袋まで、田舎のイモねーちゃんが夜の蝶に変身していくさまをとっくりと拝見させてもらったことがあり、けっこうな恐怖ではあったけど、いい勉強をさせてもらってありがとう、の気持ちもある。まあ、こっちだってセーラー服を着て電車に乗ったりするわけだから、文句の言える立場では、ないわな。

テレビの番組が韓流に偏っているのが気に入らない、だったかの理由で、テレビ局の前に大勢の人が集まって抗議デモしたり、スポンサーの商品の不買運動を展開したり、ってことがあったらしい。気に入らないと思うこと自体は分かるとして、抗議デモに不買運動って、どうなんでしょ? テレビ番組って制作するのに費用がかかるわけだけど、アナタがお金を払ってるわけではないんでしょ?

ってことは、テレビ局って、アナタを楽しませる目的で存在してるわけではなくて、制作費を極力抑えつつも、視聴率を稼ぐことによってより多額の広告料をもらうことで、利益を得るのが目的の商売なんでは? 気に入らないのなら見ない、では解決にならないのでしょうか?

自分が不快に思うことと、抗議という行動に出ることとの間には、客観的な視点から正当性・妥当性を個別に検討する、というワンステップが入るのが望ましかろう。案件ごとに、正当性の度合いがまちまちだろうから。ところが、世の中には、そのふたつが考えなしに直結しちゃってる人が多くなってきているように感じる。これはちょっと怖い。コミュニケーションの範囲が狭いからそうなる? 小さなお山の大将。オレ様。

余談だが、下着販売会社ピーチ・ジョンが広告にAKB48のメンバーを起用し、9月7日から3,000円以上商品を購入するとポスターが先着でもらえるというキャンペーンを行った結果、新宿のルミネ店が男性客でにぎわったらしい。時代の空気もまた常に変化してるってことか。

さて、前置きが長くなったが、以上のような社会背景を踏まえた上で、セーラー服とおっさんを用いた実験社会学的アプローチによって、どんなことが裏付けられたのか、論じてみたい。......のつもりだったが、前置きが長すぎて、本論を書く紙面がなくなってしまった。続きはまたそのうち気が向いたときにでも。もし街で、セーラー服を着たおっさんを見かけたときは、社会学の研究にいそしんでいるのだとご理解いただき、暖かい目で見守っていただけるとたいへんありがたいです。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp セーラー服仙人カメコ社会学者。

前回、「30歳以上で、セーラー服で来店するとラーメンがタダ」という鶴見の「ラーメンショップ高梨」をご紹介しました。映像作家の寺嶋真里さんが、条件をクリアしたことを記念に、コラボ企画として、上記達成の上、申し出た方、先着一名様に限り、最新作『アリスが落ちた穴の中』の豪華版DVDボックスをプレゼントします。9月15日(木)時点でまだ受け取った方はいないそうです。

ラーメンと寺嶋さんのDVDボックスがタダになったとしても、セーラー服のほうがまだ高い、とお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが。セーラー服は、一着持っていると、ものすごく遊べるし、勉強になります。私たちが前例という名のレールをつけておいたので、敷居がだいぶん低くなっているんじゃないかと。いい機会では?

店に置いてきた私の写真を地デジ波に乗せていただいたテレビ朝日の「さきっちょ☆」、ディレクタ氏によると、視聴者からの苦情は一件もなかったとのこと。時代は、セーラー服のおっさんを受け入れる方向に?

店の情報は、こちら。不定休なので、電話してから行くのがお薦め。
< http://r.tabelog.com/kanagawa/A1402/A140210/14036225/
>

寺嶋さんの映像作品は、年内は、パリ、山形、名古屋、神田、高円寺で上映されます。作品のウェブサイトに徐々に情報がアップされていきます。
< http://www.rose-alice.net/
>

読んだだけで具合が悪くなりそうな例の議論は、こちら。
耐性のある方はどうぞ。
< http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1241161107
>

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■編集後記(9/16)

・大好きなサイト「Daily Portal Z」に、大好きな紙ヒコーキの記事があった。所沢航空発祥100周年記念折り紙ヒコーキ大会のレポートだ。日本折り紙ヒコーキ協会の会長・戸田拓夫さんは、折り紙ヒコーキ室内滞空時間競技のギネス記録(27秒09)保持者である。この人の指導で「スカイキング」という紙ヒコーキを折り、室内滞空時間競技を行う。苦闘して完成させたスカイキングで競技に参加したDaily Portalチーム3人の大人の成績は? お気楽に参加してかなり奥深い世界を味わったようだ。気になるスカイキングの作り方も掲載されているので、もちろん私もトライ。ところが先端部分の細工がよくわからず(記事でもスルーしているので)自己流で仕上げた。室内で飛ばすと、こんなによく飛ぶ紙ヒコーキは初めてだというくらいの出来。しかし、どうしても正式な作り方を知りたくなってネットを渉猟。戸田会長自ら解説しなが、丁寧に折り上げていく、わかりやすいムービーを見つけた。これで完璧、2機折り上げた。かっこいい。いい大人がひとりでやるのは恥ずかしいので、幼稚園児が帰って来たら外に連れ出して一緒に飛ばすつもりだ。ばかだねえ。(柴田)
< http://portal.nifty.com/kiji/110914147958_1.htm
>
Daily Portal Z 折り紙ヒコーキで入賞を狙え!
< http://www.kagakunavi.jp/library/show/36
>
かがくナビ 折り紙ヒコーキ作成講座 ほかにもいいムービーがいっぱい

・料理をしていたら、リビングのテレビから「セーラー服を着た男性が」という声が聞こえ、慌てて駆け寄ったが別人であった。残念。テキトーにつけていたので、番組名は覚えていない。考えてみたら、セーラー(水兵)さんから来てるんだから、スカートじゃなければ......ってそれは意味ないか。/DTPエキスパート認証 更新試験の回答提出完了。どうにか期限には間に合ったぜ。久しぶりに証明写真をとったぜ。送付先が郵便私書箱なので、宅配便は使えず、特定記録(従来の配達記録の代わり)にしたぜ。今年の問題には、HTML5や電子書籍、スマートフォンに関するものあり。DTPエキスパートと銘打った試験だが、三分の一はWeb系の人間でも答えられると思う。USBやWi-Fi、BluetoothやDVIに関する問題まで出るので。この試験で一番実務で役に経ったのは見積方法。以後、印刷物の見積項目は真似ることにした。今回のテストにも出たよ。(hammer.mule)
< http://web-conte.com/yellow/diary_0807/18.php
>
エドワード皇太子(1846年)
< http://www.jagat.jp/content/blogcategory/42/306/
>
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