[3127] 死んだサイトより もっとかわいそうなのは

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《まるで沖縄の隣町が北海道であるかのごとし!》

■わが逃走[92]
 溶岩と火山と星空の巻
 齋藤 浩

■電網悠語:HTML5時代直前Web再考編[176]
 死んだサイトより もっとかわいそうなのは
 三井英樹



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■わが逃走[92]
溶岩と火山と星空の巻

齋藤 浩
< https://bn.dgcr.com/archives/20111006140200.html
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先日訳あって、極親しい間柄の年上の女性Aさんと太平洋のとある火山島へ行って参りました。

隣の島までは日本からの直行便が出ており、そこから国内便に乗り換えてかの地へ降り立った印象は、見渡す限りの青い空と黒い地面が半々に続く、だだっ広い世界! であった。空港も非常にローカルで、いくつかの小屋があるのみ。

荷物を受け取り、現地スタッフが用意してくれた車でホテルへと向かう。もちろん右も左も漆黒の溶岩。彼方の地平線がゆるやかに傾斜していると思ったら、なんとそれは4000メートル級火山の稜線であった。

もう、想像していた規模をはるかに越える大きさ。おそるべし火山島。
< https://bn.dgcr.com/archives/2011/10/06/images/fig01 >

日本との時差は19時間。飛行機ではあまり眠れなかったのでホテルに着くや否や睡魔に襲われる。軽い食事をとり、ぐっすり眠る。

翌日は晴れ。東から吹く貿易風に乗った雲は島の中央にある火山にぶつかって雨を降らすので、ホテルのある西側は一年の90%が晴れだという。空気は乾燥しており日向は暑いが、日陰にはいれば過ごしやすい。

この日はまず近場の見学ということで、Aさんとともに、先住民族が岩に刻んだ『ペトログリフ』があるというMalama Trailへと向かう。

ペトログリフとは、簡単に言ってしまえば岩石等に刻まれた絵や文字のこと。古代の遺跡にあるアレといえばわかりやすいかもしれないが、この島のものは数百年前のものが多いらしい。

人類史的にいえばかなり新しい部類なので意外に感じたが、島の人たちは文字を持たなかったので、そもそもこれが絵なのか象形文字的なものなのかは未だ不明。研究もそんなに進んでないらしい。

溶岩の地面と低木からなる細道をゆく。
< https://bn.dgcr.com/archives/2011/10/06/images/fig02 >

乾いた地面の土埃はかなりなもので、わずか数分歩いただけで膝から下はきれいなカーキ色のグラデーションになる。額から滴り落ちる大量の汗も地面に落ちた瞬間に蒸発してしまう。周囲の木々は枯れているようでいて新芽が出てきているようにも見える不思議な景色だ。今は本当に9月なのだろうか。季節感覚が麻痺する。

20分も歩いた頃、急に開けた場所に出た。地平線まで続いているようにも見える岩盤には、人やウミガメとおぼしき線画がいたるところに描かれていた。
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風がまるで波の音のように聞こえていたのだが、それもいつのまにか慣れてしまい無音状態に感じる。おそろしいほど静か。

Aさんと二言三言、言葉を交わしたはずなのだが、その言葉すら消音装置に吸い込まれてしまうような静寂。光と影と岩だけの世界に象形文字とおぼしきものと対峙する。

もはや誰が何の為になどとという謎は脳内から一掃されてしまい、「こういうものなのだ」でひとり納得する。脳内で"降りて来たおじいちゃん"に「この絵はいつ頃からあるの?」と尋ねてみると「ずっと昔からあるんじゃ。それ以上のことはわしも知らん。ただ、これらを傷つけてはいけない。」と答えるのみ。

研究がそんなに進んでないのもわかるような気がしてきた。要するに、誰でもそんな気持ちになってしまう不思議な場所なのだ。

つぎの日も晴れ。この日は現地ツアーに参加、火山と溶岩にまつわるスポットを見学する。

ゆっくり、たっぷり朝食をとり、昼過ぎにホテルを出た。ちなみにホテルの朝食はすこぶる旨く、とくに「本日の芋料理」は最高である。この火山島には世界の気候帯のほとんどがみられるそうで、当然高原野菜も熱帯の果物も美味だ。おかげで体の調子もよい。

さて、ガイドのコージさんに案内され海沿いから徐々に標高の高い地へと車は走る。さっきまで岩だらけの荒野だった車窓からの景色は、"気候の境目"を越えると途端に豊かな緑の高原へと変わった。

周囲はなんと牧場で、たくさんの牛たちがのんびり草を食べている。この極端な変化は一体何?? まるで沖縄の隣町が北海道であるかのごとし!

そしてさらに走ること一時間、右側は巨大なシダ植物で構成されるジャングルとなり、左側は海。あまりの変化についてゆけず、脳が戸惑う。すると都合のいいことに昨日に引き続き"脳内おじいちゃん"がやってきた。

「ここはこういうところなのじゃ気にするでない。受け入れるのみ」なるほど、そういうもんなのね。少し安心したところで車が止まった。名瀑に到着である。落差128メートル。華厳の滝と似ているといえば似ているかもしれないが、周囲が熱帯の植物で覆われていると幽霊も出なさそうだ。
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車窓からの風景を見ていても感じたが、このあたりはすぐ手前までジャングルで、突然海になる地形だったりする。いかにも悪の秘密基地がありそうな雰囲気が素晴らしい。この島で初代仮面ライダーのリメイク版をロケしたら素晴らしいだろうな。

さらに一時間ほど車は走る。ちなみに東京での一時間では10キロも移動できないこともあるが、この火山島で一時間あればものすごい距離を走れる。気がつくとかなり標高が上がっており、密林地帯を抜けると地平線まで溶岩の大地が続く。
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そのスケールの大きさに驚く暇もなく、火口前で再度車は止まった。で、これだもの。
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一瞬、地球じゃないみたい! と思ったが違う。これが地球なのだ。まさに今もここから新しい大地が生まれている、新陳代謝の現場を間近で見ているってことなのか。で、さらに日が沈むとこうなる。
< https://bn.dgcr.com/archives/2011/10/06/images/fig07 >

なるほど、『はらわたが煮えくり返る』の語源はこれだったのか! 地球のはらわたの様子が間近に感じられる距離に立つなんて想像もできなかったが、実際目の当たりにした今ですら現実と認識できない。脳内おじいちゃんの言うとおり「そういうもの」と思い込む意外、正常な気持ちに戻れないオレがいる。

とにかく地球は生きていて、今も成長を続けている。そりゃあ地震だって津波だっておきるよね。それが生き物のあるべき姿なんだから。

空を見上げた。ものすごい星空である。
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< https://bn.dgcr.com/archives/2011/10/06/images/fig09 >

巨大な生き物である地球ですら、無数にある光の点のうちのひとつでしかないのだ。そんな生き物の上に付着した埃のような人間はあまりに小さく、無力だ。

私は特定の宗教を信仰してはいないが、神様の存在は信じている。対象物を見失うと、当然のことながら目的地も見失う。システム(=地球や宇宙)を考えずとも日常生活は円滑に進む。しかし、すべての人間が地球や宇宙に畏怖の念を抱かなくなったとき、おそらく神は死ぬ。

以上、ハワイ島のリゾートホテルで過ごしたバケーションのレポートでした。ちなみに紹介したのはアカカ滝、ハレマウマウ火口、サドルロードなどなど。いやー、ワイキキ素通りして大正解。ホテルから眺める海はこんなです。
< https://bn.dgcr.com/archives/2011/10/06/images/fig10 >

てな訳で、マハロ〜。

【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
< http://tongpoographics.jp/
>

1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。

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■電網悠語:HTML5時代直前Web再考編[176]
死んだサイトより もっとかわいそうなのは

三井英樹
< https://bn.dgcr.com/archives/20111006140100.html
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Webが変わってきている。そう思い始めて、更に時間が経ったけれど、一向に全体像が見えないまま、変わり続けている。広く、深く、意味付けも。

Webに関わる人たちが変わってきている。そう思い始めて随分時間が経ったけれど、更に変わり続けている。一向に誰かが定位置に収まる気配もなく。

もはや自分の持っている情報や考え方が、こらからの人たちに意味があるのか分からないけれど、再度書く機会をいただきました。約一年ぶりに、私の中のWebを書き綴ります。お気に召せば、お付き合いを
m(_"_)m



Webを広報として捉えたとき、攻めのベクトルと、守りのベクトルがある。得てして攻めのお話が主に取り上げられるけれど、守りは意識するよりも大切かもしれない。

  死んだ女より
  もっとかわいそうなのは
  忘れられた女です
    マリー・ローランサン「鎮静剤」
    < http://marieantoinette.himegimi.jp/booktinsei.htm
>

人の住まない家、人の通らない道、人の流れが絶たれたものの哀しさは大きい。それが人であれば尚のことだろう。生きているが故にその哀しさが深くなる。孤独の中に佇(たたず)む姿が自分事であるならば、想像するだに恐ろしい。

でも、忘れられたWebサイトも、悲惨なものの極点かもしれない。Webサイトは基本的には一人では作れない。多くの人たちの苦労が染み付いている。それが忘れられるように佇んでいる。睡眠を削って議論し、技術を学びアイデアを駆使し、多くの犠牲や痛みを伴って、作り上げたモノにアクセスがない。

アクセスカウンターが底辺で微動するだけになり、担当者はそれさえ見なくなる。人の流れが停まったものに特有の澱み(よどみ)が生まれる。経営側や上の部署にレポートさえされなくなる。言う側も聞く側も辛い。忘れられないためには、何ができるのか。何をすべきなんだろう。

忘れられないための何か。守りのベクトルが鍵なのか。



Webが特別なものでなくなってから久しい。もはや殆どの企業の玄関口だろう。超ローカル企業では不要かもしれないが、それはそもそもWebで何かを伝えることに意味のない企業体制である場合が大きいだろう。

ある程度の偶然性ででも見つけられ連絡を受けるべき事業があるのであれば、もはやWebサイトを持っていないのは、ユーザが探している以上、経営的な怠慢だ。建物に玄関口があるように、少し広範囲なユーザを取り込む必要のある企業にはWebサイトは必須だ。でも、物理的な玄関口ほど、その整備方法は定まっていないし、少ないルールも守られていない。

玄関口には、見栄も混じるし、建造物としての制約も入る。見栄は、他社と比べて増減するが、基本的には他社よりも見劣りがするように目指す会社はないだろう。「もてなし」という言葉とともに、そこを通過する人に不快感を与えぬように、ベストを尽くして設計し、定期的に掃除もするし、模様替えもする。季節の変わり目に飾り物を置き、風情を醸し出し、年末年初には、一年の労を想い、翌年の躍進への祈りを込めて、佇まいを正す。

建造物としてのルールもある。建築基準法的な安全上のルールもある。守らなければ罰せられるし、守れられないまま建築されると、後が大変なのは様々なニュースで実体験済みだ。

でも、Webサイトという玄関口は未だ未だ発展途上だ。埃を拭くようにメンテナンスされているサイトは少なく、担当者も開発者もページ数を理由に直接見ることもは少なくなっているのだろう。唯一の規定といっても良いだろうJIS規定(JISX 8341-3)すら最近は守られなくなっている。


  ▼JSA Web Store - JIS X 8341-3:2010
  高齢者・障害者等配慮設計指針─情報通信における機器、ソフトウェア
  及びサービス─第3部:ウェブコンテンツ
  < http://goo.gl/EcPwT
>(あまりに長いので省略形で)

各種メディアが使うアンケートや、そのアンケート専門業者の作るアンケートページですらlabel要素すら守られていない場合も多い。自分たちが自ら壊してどうするんだと思わざるを得ない。ただ、形を守れば誰でも実装できることですら、コスト削減を理由なのか無視している。

  ▼label要素 XHTML HTML辞典
  < http://w3g.jp/xhtml/dic/label
>

これは、やることをやらずに、やるべきことに目をつぶって、「忘れられる道」を進んでいる気がしてならない。これだけを守れば忘れらないかと問われれば違うと答えてしまうけれど、こうした基本の忘却の積み重ねが無関係とも思えない。



青春の頃、好きな人が気になってしかたがない時期が誰にでもあったろう。あの娘は、何が好みなのか、何か困っていることはないか、何かできることはないか。自分のできる範囲なんて考えず、制約も付けずに、悩んだ時期。

そんな想い、そんな想われ方をしている時が一番幸せなのかもしれない。でも、そんな風に来訪者を考えられたなら、そんな幸せな、苦労はしても幸せな日々が続くのかもしれない。

来訪者(潜在的なファン)は、何が好みなのか、何が疎ましいのか、何か困っていることはないか、何かできることはないか、何か伝えるべきことはないか。そんな熟考ができる人も限られている。部外者が考えても致し方なく、第三者が説教的に伝えても効果は薄い。



だから逆算して、きちんと企画しなければならない。企画とは、(成功する)画(絵)を企てること。虚しい絵を描くのではない。人が群れ、活気に溢れ、苦労が徒労に終わらない、もっと力を出したくなる絵。守るべきを守った、将来への遺恨を絶った(間違ったコードはリニューアルの最大の敵です)、きちんとした絵。

だから企画側の責任は重い。「死んだサイトより もっとかわいそうなのは忘れられたサイトです」。投じられた資金も汗も涙も、無駄にしたくないし、すべきでない。

HTML5時代を目前にして思う。忘れられてしまうようなサイトは作ってはならない、断じて。肝に銘じたい。


【みつい・ひでき】感想などは mit_dgcr(a)yahoo.co.jp まで
・ご無沙汰です。前回が2010/11/25なので、約一年ぶり。またまた暗い話を書く機会を頂きました。よろしくお願いします。
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■編集後記(10/06)

・読売朝刊の連載「電力維新」によれば、原発から出る使用済み核燃料を地下に埋設する最終処分場建設が決まっているのは、世界中でフィンランドとスウェーデンだけだという。ともに地震が少ない国だ。米英独仏加なども候補地を選定中で、処分場建設は依然難題だという。日本はフィンランドとは違い、使用済み核燃料を再処理して、プルトニウムなどを有効活用する核燃料サイクル政策を推進中だ。再処理工場は青森県六ヶ所村にあるが、まだ本格稼働はしていない。当初97年完工予定だったが、トラブル続きで18回も延期され来年10月の操業も危うい(核燃料サイクルはすでに破綻しており、再処理の根拠は失われているともいわれているが)。そこで出る最も危険な核廃棄物を最終的に処分する場所がいまだ選定されていないまま、原子炉の使用済み核燃料は増え続けている。全国17か所の原発の貯蔵プールに保管される核のゴミは既に14,000トン、貯蔵率70%、あと数年で満杯になるという。最後のゴミ捨て場が決まるまで、原発はひとまず停止させて、もうゴミは出さないほうがいい。もっとも地震国で地下水の豊富な日本で、安全確実な処理場所はないだろう。シベリアに捨てさせてもらうという案もあったな。中国や韓国では最終処分をどうするつもりなんだろう。日本の周囲にも危険がいっぱいである。(柴田)

・ハワイはすてき。/三井さん登場! わーい!!! 忘れられたサイトか......。/スティーブ・ジョブズ氏死去。CEOを辞任した時からわかってはいたけれど、こんなに早いなんて。ジョブズの基調講演を生で観たのは一度きりだ。(パソコンとしての)Macがなかったらフリーなんてなれなかった。少ない貯金を崩して買った。高い買い物だったから、購入ガイド本で必死に研究した。ケチケチな私なのに、今まで何台のMacを使ってきただろう。iMacはそういや一度も買ったことはなかったな。お誕生日にMacから祝われ嬉しかった。懐かしい。勉強のためにと思っていたのにパソコン通信にはまったりもした。インターネットもその流れ。広告だらけの分厚いMAC LIFEが好きで、隅々までチェックしていた。後年、そのMAC LIFEに毎月画像を掲載してもらえるようになるとは思わなかったなぁ。MacPowerにも載せてもらったっけ。Macを買っていなかったら、今の私はいない。ありがとう、ジョブズ。/iPodが出た時、iPhoneが出た時、iPadが出た時、とても興奮したなぁ。/Appleのサイト。ジョブズがトップになってるね。背景もグレー。Lionあたりのページはイエローがかっていたのにグレーに。/Twitterのトレンド。日本語でも8つがジョブズ関係。アメリカだと一時は全部がジョブズ。/MacFan。CEO降板のための表紙なのに、訃報に応じたものかと思ってしまった。/「One More Thing」をもう一度聞きたかった。(hammer.mule)
< http://www.apple.com/
>  Steve Jobs 1955-2011
< http://macfan.jp/
>  「ありがとう、スティーブ」
<
>  Hi! I'm Steve Jobs.
<
>
同じく1983年。パネルディスカッション。ビルゲイツもいるよ
<
>  iPod版1984
<
>  Think Different
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>  名言集
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>  大学で
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>  2001年
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>  辞任ニュース
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>  ドキュメンタリー
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2分でわかるAppleの歴史
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