電網悠語:HTML5時代直前Web再考編[176]死んだサイトより もっとかわいそうなのは/三井英樹

投稿:  著者:  読了時間:6分(本文:約2,600文字)


Webが変わってきている。そう思い始めて、更に時間が経ったけれど、一向に全体像が見えないまま、変わり続けている。広く、深く、意味付けも。

Webに関わる人たちが変わってきている。そう思い始めて随分時間が経ったけれど、更に変わり続けている。一向に誰かが定位置に収まる気配もなく。

もはや自分の持っている情報や考え方が、こらからの人たちに意味があるのか分からないけれど、再度書く機会をいただきました。約一年ぶりに、私の中のWebを書き綴ります。お気に召せば、お付き合いを
m(_"_)m





Webを広報として捉えたとき、攻めのベクトルと、守りのベクトルがある。得てして攻めのお話が主に取り上げられるけれど、守りは意識するよりも大切かもしれない。

  死んだ女より
  もっとかわいそうなのは
  忘れられた女です
    マリー・ローランサン「鎮静剤」
    < http://marieantoinette.himegimi.jp/booktinsei.htm >

人の住まない家、人の通らない道、人の流れが絶たれたものの哀しさは大きい。それが人であれば尚のことだろう。生きているが故にその哀しさが深くなる。孤独の中に佇(たたず)む姿が自分事であるならば、想像するだに恐ろしい。

でも、忘れられたWebサイトも、悲惨なものの極点かもしれない。Webサイトは基本的には一人では作れない。多くの人たちの苦労が染み付いている。それが忘れられるように佇んでいる。睡眠を削って議論し、技術を学びアイデアを駆使し、多くの犠牲や痛みを伴って、作り上げたモノにアクセスがない。

アクセスカウンターが底辺で微動するだけになり、担当者はそれさえ見なくなる。人の流れが停まったものに特有の澱み(よどみ)が生まれる。経営側や上の部署にレポートさえされなくなる。言う側も聞く側も辛い。忘れられないためには、何ができるのか。何をすべきなんだろう。

忘れられないための何か。守りのベクトルが鍵なのか。



Webが特別なものでなくなってから久しい。もはや殆どの企業の玄関口だろう。超ローカル企業では不要かもしれないが、それはそもそもWebで何かを伝えることに意味のない企業体制である場合が大きいだろう。

ある程度の偶然性ででも見つけられ連絡を受けるべき事業があるのであれば、もはやWebサイトを持っていないのは、ユーザが探している以上、経営的な怠慢だ。建物に玄関口があるように、少し広範囲なユーザを取り込む必要のある企業にはWebサイトは必須だ。でも、物理的な玄関口ほど、その整備方法は定まっていないし、少ないルールも守られていない。

玄関口には、見栄も混じるし、建造物としての制約も入る。見栄は、他社と比べて増減するが、基本的には他社よりも見劣りがするように目指す会社はないだろう。「もてなし」という言葉とともに、そこを通過する人に不快感を与えぬように、ベストを尽くして設計し、定期的に掃除もするし、模様替えもする。季節の変わり目に飾り物を置き、風情を醸し出し、年末年初には、一年の労を想い、翌年の躍進への祈りを込めて、佇まいを正す。

建造物としてのルールもある。建築基準法的な安全上のルールもある。守らなければ罰せられるし、守れられないまま建築されると、後が大変なのは様々なニュースで実体験済みだ。

でも、Webサイトという玄関口は未だ未だ発展途上だ。埃を拭くようにメンテナンスされているサイトは少なく、担当者も開発者もページ数を理由に直接見ることもは少なくなっているのだろう。唯一の規定といっても良いだろうJIS規定(JISX 8341-3)すら最近は守られなくなっている。


  ▼JSA Web Store - JIS X 8341-3:2010
  高齢者・障害者等配慮設計指針─情報通信における機器、ソフトウェア
  及びサービス─第3部:ウェブコンテンツ
  < http://goo.gl/EcPwT >(あまりに長いので省略形で)

各種メディアが使うアンケートや、そのアンケート専門業者の作るアンケートページですらlabel要素すら守られていない場合も多い。自分たちが自ら壊してどうするんだと思わざるを得ない。ただ、形を守れば誰でも実装できることですら、コスト削減を理由なのか無視している。

  ▼label要素 XHTML HTML辞典
  < http://w3g.jp/xhtml/dic/label >

これは、やることをやらずに、やるべきことに目をつぶって、「忘れられる道」を進んでいる気がしてならない。これだけを守れば忘れらないかと問われれば違うと答えてしまうけれど、こうした基本の忘却の積み重ねが無関係とも思えない。



青春の頃、好きな人が気になってしかたがない時期が誰にでもあったろう。あの娘は、何が好みなのか、何か困っていることはないか、何かできることはないか。自分のできる範囲なんて考えず、制約も付けずに、悩んだ時期。

そんな想い、そんな想われ方をしている時が一番幸せなのかもしれない。でも、そんな風に来訪者を考えられたなら、そんな幸せな、苦労はしても幸せな日々が続くのかもしれない。

来訪者(潜在的なファン)は、何が好みなのか、何が疎ましいのか、何か困っていることはないか、何かできることはないか、何か伝えるべきことはないか。そんな熟考ができる人も限られている。部外者が考えても致し方なく、第三者が説教的に伝えても効果は薄い。



だから逆算して、きちんと企画しなければならない。企画とは、(成功する)画(絵)を企てること。虚しい絵を描くのではない。人が群れ、活気に溢れ、苦労が徒労に終わらない、もっと力を出したくなる絵。守るべきを守った、将来への遺恨を絶った(間違ったコードはリニューアルの最大の敵です)、きちんとした絵。

だから企画側の責任は重い。「死んだサイトより もっとかわいそうなのは忘れられたサイトです」。投じられた資金も汗も涙も、無駄にしたくないし、すべきでない。

HTML5時代を目前にして思う。忘れられてしまうようなサイトは作ってはならない、断じて。肝に銘じたい。


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・ご無沙汰です。前回が2010/11/25なので、約一年ぶり。またまた暗い話を書く機会を頂きました。よろしくお願いします。
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