映画と夜と音楽と...[525]時代の気分を共有する/十河 進

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〈ノルウェイの森/青いパパイヤの香り/風の歌を聴け〉

●「ノルウェイの森」を象徴する草原を渡る風のイメージ

草原を渡る風の匂い──彼はそう書いている。

10年ほど前、このコラムで「ノルウェイの森」について書こうとしたとき、僕はそんな風に書き始めた。しかし、先日、改めて「ノルウェイの森」を読み返してみたら、そんなフレーズはどこにもなかった。何か別の村上作品だったのかもしれない。ただし、「ノルウェイの森」の冒頭は、草原を吹き抜ける風のイメージが圧倒的な強さで迫ってくる。

──飛行機が完全にストップして、人々がシートベルトを外し、物入れの中からバッグやら上着やらをとりだし始めるまで、僕はずっとあの高原の中にいた。僕は草の匂いをかぎ、肌に風を感じ、鳥の声を聴いた。それは一九六九年の秋で、僕はもうすぐ二十歳になろうとしていた。(ノルウェイの森・第一章)

37歳の「僕」はハンブルグ空港に着いた飛行機の中で流れた「ノルウェイの森」を聴いて、突然、19歳のときのつらい恋を思い出す。直子といた高原のイメージが頭の中にあふれかえり、座席にうずくまる。その草原は「草の匂い、かすかな冷ややかさを含んだ風、山の稜線...」という描写で何度も繰り返される。

映画化された「ノルウェイの森」(2010年)を見たとき、トラン・アン・ユン監督が再現したかったのは、この草原のイメージだったのではないかと思った。ロケ地はわからないが、自然を写した映像は美しい。スクリーンの中に浸りたいと熱望するほどだ。風が吹き、草の匂いさえしそうだった。秋の草原だけではない。雪景色の美しさ、冬の海の荒々しさも印象に残った。

「青いパパイヤの香り」(1993年)のトラン・アン・ユン監督が「ノルウェイの森」を映画化するというニュースを聞いたとき、「なぜ村上春樹の小説をフランス育ちのベトナム人監督が撮るの?」と思ったが、今や世界文学になった作品だからと思い直し、「トラン・アン・ユン監督なら美しく瑞々しい映像に充ちた映画になるかもしれないな」と期待した。




期待通り、映像は美しく瑞々しい。久しぶりに、スクリーンを吹き抜ける風を観客席で感じた。萌え上がる、くっきりとした緑。草原をおおう真っ白な雪。僕と直子が歩きまわる東京の公園さえ美しい。しかし...と、僕は腕を組みながらつぶやかざるを得ない。もっとも、デビュー作以来、同時代人として作品を読んできた村上春樹ファンの僕は、映画化された「ノルウェイの森」に一体、何を期待していたのかという疑問も湧いてきた。

内田樹さんは村上春樹さんの熱烈な愛読者で、村上作品に関する評論集も出している人だが、先日、文春新書で出した「うほほいシネクラブ 街場の映画論」の中で映画「ノルウェイの森」について、こんな風に書き始めていた。

──好きな小説が映画化されたときどこを見るか。これはなかなかむずかしいです。基本的にはやりかたは三つあると思います。
(1)原作をどれくらい忠実に映画化したか、その忠実度を評価する。
(2)原作からどれくらい離れたか、何を削り、何を付け加えたか、フィルムメーカーの創意工夫を評価する。
(3)原作のことは忘れて、単独の映画作品として、「同じジャンルの他の映画」とのシナリオや映像や演技の質的な違いを評価する。

「ノルウェイの森」を三回も読んだという内田さんは、「忠実度においてすぐれた点」と「裏切り度においてすぐれた点」の両方についてレポートするのだが、結局、その文章を読んで感じるのは、映画版「ノルウェイの森」を内田さんはあまり気に入っていないということだった。そうストレートには書いていないけれど、読み取れてしまうのは仕方がない。

ちなみに、内田さんは年令では僕のひとつ上、出身は東京大学である。ただし、現役のときに東大入試が中止になった、いわゆる赤頭巾ちゃん世代(懐かしき庄司薫くん)だから、一年遅らせて受験したのかもしれない。だとすれば、内田さんが「あの時代」をどう切り抜け、村上春樹作品をどう読み続けてきたか、何となくわかる気はする。

●「ノルウェイの森」は累計で一千万部を越えたという

「ノルウェイの森」は、1987年に出版された。奥付では「9月10日第一刷発行」になっているが、ひと月ほど先の日付にするのが出版界の常識だから、実際に書店に並んだのは8月だったと思う。発売日の朝日新聞の朝刊に掲載された大きな書籍広告を僕は憶えている。「100パーセントの恋愛小説」というキャッチコピーだった。「笑わせるぜ」と思いながらも、僕はすぐに上下二巻を買って読んだ。

「風の歌を聴け」(1979年)「1973年のピンボール」(1980年)「羊をめぐる冒険」(1982年)「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」(1985年)と読み続けてきた僕にとって、二年ぶりの長編だった。もちろん、その間に出た短編集もエッセイもすべて読んでいたが、僕の期待度が高かったのは仕方がないことだと思う。

「ノルウェイの森」を読み始めてすぐ、僕は落胆した。「これは『螢』じゃないか」と思った。短編集「螢・納屋を焼く・その他の短編」が出たのは1984年だ。タイトルになるだけあって、「螢」と「納屋を焼く」という短編のインパクトは強く、読後感がいつまでも残る。「ノルウェイの森」の短い第一章が終わり、長い第二章が始まったとき、「まんま『螢』じゃん」と口に出した。

それでも「ノルウェイの森」は読み始めたらやめられず、赤と緑の上下巻を数日で読了した。だが、違和感が強く残った。「これは村上春樹の小説じゃない」と思った。羊男も登場しないし、街を取り囲む壁もない。そんなことは気にならないが、今までの村上作品とは違い、物語と作者の距離感がまったく違う。これでは「ワタナベくん」と呼ばれる「僕」は、作者本人として読まれてもいいと思っているみたいじゃないか。

「ノルウェイの森」の「僕(ワタナベくん)」は、神戸出身で早稲田大学に入学し、演劇を学んでいる。椿山荘の近くにある寮に入る。小説には椿山荘とは書かれていないが、近くのホテルが客寄せに放った螢が紛れ込むのだから、椿山荘の近くなのは間違いない。小説を読むと都電荒川線の駅の近くだ。「学習院下」なのかもしれない。早稲田は近いし、緑の住む大塚にも近い。

自殺した高校時代の親友キズキの恋人だった直子と「僕」は中央線で偶然に出逢い、四ツ谷駅で降り、線路沿いの散歩道を一緒に歩いて飯田橋で右に折れ、神保町の交差点を越えてお茶の水の坂を上り、そのまま本郷に抜ける。その道順を僕は具体的にたどれた。登場人物には名前があるし、実際の地名が登場する。「何だか違うぞ。リアリズムの手法で書かれた普通の小説みたいだ」と再び僕は思った。

しかし、登場人物が普通の名前で呼び合い、どこか具体的にわかる地名が出て、19歳の僕が自殺した友人の元恋人に惹かれていく恋愛小説は、そうであったが故に多くの読者を獲得した。半年後、僕は「この人は絶対に小説なんか読まないだろう」と思っていた先輩から、「ソゴーくん、『ノルウェイの森』持ってたら貸してくれないか」と言われた。自分で買って読む気は最初からないようだった。

●最も村上春樹的ではないのが「ノルウェイの森」だった

僕が「ノルウェイの森」をあまり評価しないのは、それが村上春樹的ではない作品だからだ。「ノルウェイの森」の翌年に出た「ダンス・ダンス・ダンス」を読んだとき、僕はホッとしたものである。「ああ、本来の村上春樹が戻ってきた。ものすごく大勢の人には売れないかもしれないが、これが村上作品なんだ」と、「ノルウェイの森」しか読んでいない人たちに声を大にして言いたかった。

冒頭の話に戻ろう。なぜ僕は「草原を渡る風の匂い」と書いてしまったのか。村上春樹的表現としては、そちらの方が相応しいと思っていたから、誤って記憶したのだと思う。「草の匂いをかぎ、肌に風を感じ」るのでは、あまりにフツーではないか。それに初期の作品には「その日はずっと秋の匂いがした」とか、「街中に雨上がりの夕暮れの匂いがする」といった表現が頻出する。

「秋の匂い」あるいは「夕暮れの匂い」という表現は読み手のイメージを喚起させるが、共通したもの(この場合は「同じ匂い」)を連想させはしない。読み手それぞれが想像する何かである。それが村上春樹作品を読む喜びだった。しかし、「草の匂い」と書くと、ほとんどの人が共通する具体的な匂いを浮かべるだろう。だからこそ、「ノルウェイの森」は多くの読者を得たのだが、僕は「秋の匂い」といった抽象的な表現を好んだ。

「風の歌を聴け」が文芸誌「群像」の新人賞を獲得して同誌に掲載されたとき、舞台となる場所は具体的に示されていないため、多くの評では抽象的な場所だと捉えられていた。中には「アメリカのウェストコーストを舞台にしたような物語」と書いている人もいた。作者が神戸出身だとわかり、神戸をイメージしていると言われ始めたのは少し経ってからのことだった。

初期の「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」にも、「ノルウェイの森」で深く追及されるテーマが書かれている。それは「風の歌を聴け」にさりげなく記述され、「1973年のピンボール」で直子という名を与えられて長めのエピソードが語られ、「螢」の直子として具現化され、やがて「ノルウェイの森」の直子へと発展した。直子的なるものを正面から書くには、それまでの作品における対象との距離感では書けなかったのだろう。

──僕は21歳で、少なくとも今のところは死ぬつもりもない。僕はこれまでに三人の女の子と寝た。────中略────三人目の相手は大学の図書館で知り合った仏文科の女子学生だったが、彼女は翌年の春休みにテニス・コートの脇にあるみすぼらしい雑木林の中で首を吊って死んだ。(風の歌を聴け・チャプター19)

初めて「群像」で「風の歌を聴け」を読んだとき、「僕が寝た三人の女の子」のエピソードに衝撃を受けた。特に二人目のヒッピーの女の子とのいきさつと、数行で片付けられてしまった「首を吊って死んだ女の子」のイメージが僕を捉えた。都会的でオシャレな小説としてもてはやされた作品の中で、その出来事に作者が強く捉えられている気がした。もしかしたら実体験ではないか、と僕は思った。

僕と同世代の大森一樹監督も同じだったのだろう。僕は月刊誌編集部にいたとき、大森一樹監督に連載エッセイをもらっていた。ちょうどその頃、大森監督は「風の歌を聴け」(1981年)の映画化を進めていて、ある日、僕に「シナリオにしているのだが、あの小説のどこがいいのかわからなくなってきた」と漏らした。本音だったのかもしれない。

しかし、仕上がった作品は実験的で、原作ではほとんど触れられていない神戸と東京を走る高速バス「ドリーム号」を象徴的に登場させた。内田樹さんにならって「原作からどれくらい離れたか、何を削り、何を付け加えたか」を見ると、フィルムメーカーの創意工夫が評価できる作品だった。そして、その中で大森監督は「僕が寝た三人の女の子」のエピソードを原作以上にきっちりと描き込んでいた。

原作で「地下鉄の新宿駅であったヒッピーの女の子」としか描かれていない二人目の女の子との出逢いを、大森監督は新宿争乱の夜に設定していた。「僕」は学生と機動隊で荒れる新宿駅の地下道でその子と出逢い、自分のアパートに泊める。その映像を見て僕はハッとした。原作を読んだときに気付かなかったことを、大森監督は具体的な映像にしてくれたのである。

首を吊って死ぬ仏文科の女子学生を演じたのは、まだ早稲田の学生だった室井滋さんである。首を吊るシーンはなかったと思うが、小林薫が演じた「僕」と布団の中にいる彼女の細い裸の肩を今も憶えている。当時の大森監督は、自主映画の仲間だった室井滋を必ず何らかの役で使った。その当時、僕も何度か室井滋さんと会ったことがある。その頃の彼女は実に、首を吊って自殺しそうな仏文科の女学生っぽかったのである。

●再読した「ノルウェイの森」から無垢と世俗の闘いを読み取る

現在、「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」の海外での翻訳発売を村上春樹さんは許可していないという。その初期二篇は日本でしか読めないのだ。僕の最も好きな村上作品は「1973年のピンボール」である。暗記するくらい読んだ。その理由は、10年前に「一九七三年のためのレクイエム」(「映画がなければ生きていけない」第一巻216頁参照)というコラムで書いた。

その「1973年のピンボール」の冒頭に直子が登場する。1969年に大学に入った「僕」は直子と出逢い、直子が話していた小さな街の駅を見るために四年後の1973年5月、「髭を剃り、半年ぶりにネクタイをしめ、新しいコードヴァンの靴をおろし」て郊外電車に乗る。感傷的な行為だが、ハードボイルド的に「僕」の心理は記述されない。そのエピソードは、こう締めくくられる。

──帰りの電車の中で何度も自分に言いきかせた。全ては終っちまったんだ、もう忘れろ、と。そのためにここまで来たんじゃないか、と。でも忘れることなんてできなかった。直子を愛していたことも。そして彼女がもう死んでしまったことも。結局のところ何ひとつ終ってはいなかったからだ。(1973年のピンボール)

「ノルウェイの森」で直子を演じたのは、菊池凛子だった。女子高生を演じた彼女の出世作「バベル」(2006年)でも思ったが、どう見ても年令が食い違いすぎる。外国人が見ると違和感がないのかもしれないが、19歳の直子には無理がある。内田樹さんも「僕」(松山ケンイチ)と緑(水原希子)のキャスティングを誉めた後、「直子(菊池凛子)のキャラクター設定については賛否両論があるでしょう」と書いている。

「ノルウェイの森」を初めて読んだとき、僕が気に入ったのは緑というキャラクターだった。彼女は村上作品でおなじみの突拍子もないことを口にする、現実にいれば非常識な女だろうけど、こんな子と話してみたいと思わせる魅力があった。「ねえ、ワタナベくん、今、私が何考えてるかわかる?」というセリフは映画でも使われ、水原希子は緑になりきる。初めてこの女優を見たが、彼女の緑は僕の中にずっと残るだろう。

原作で「僕」が父親の葬儀を終えて旅をしてきた緑と落ち合うのは、新宿紀伊国屋とアドホックを通り抜けた、靖国通り沿いにあるジャズバーDUGである。映画版では別のカウンターバーになっていたが、当時のDUGを再現してくれたらなあ、と僕は思った。つい半年ほど前、僕は久しぶりにDUGに入ったけれど、やはり40年前のDUGとは雰囲気が違う。

しかし、DUGにいると時代の空気感が甦るのか、様々なシーンが記憶の底から浮かんできた。当時の気分さえ、手に取るようにわかった。学生にとっては安い店ではなかったけれど、僕はときどきカウンターに腰を降ろしてウィスキーを頼んだ。コルトレーンやマイルスが流れていた。友人の妹が大学生になったとき、お祝いのつもりでDUGに連れていったこともあった。彼女は、初めてアルコールを口にするのだと頬を染めた。

時代の空気感の再現として、「ノルウェイの森」で感心したのは内田樹さんと同じように早稲田大学の構内の描写である。坪内逍遙賞を授与するくらい村上さんが早稲田出身であることを大学として誇りにしているからか、早稲田大学は全面協力したらしい。現実の早稲田キャンパスを使用したのかはわからないが、ヘルメットの集団が走り、独特の書体で描かれた立て看板があり、雑然とした雰囲気が再現されていた。

──このヘルメットをかぶった学生たちのシュプレヒコールとヘルメットの色分けはまことに現実に忠実でした(社青同がたくさんいて、MLが一人だけしかいないとか、ね。中核と革マルの白メットが出てこないのは「時代考証」した方の個人的な趣味でしょうけど)。(うほほいシネクラブ 街場の映画論)

ということで、映画版「ノルウェイの森」では自然風景と60年代末の気分や空気感が再現されているシーンばかりに目がいったので、肝心の物語については映画を見終わってから改めて原作を読んでみた。その結果、「ああ、昔は何を読んでいたのか」と頭を抱えた。何て未熟だったのだと、若気の至りを村上さんに詫びた。それはトーマス・マンの「トニオ・クレーゲル」と同じ意味合いで、深く象徴的な物語だった。

そこには、無垢と世俗の闘いが描かれていた。直子は無垢(あるいは詩人の魂)なるものを象徴し、一方に世俗的なものを象徴する永沢さんがいる。彼は世俗を突き詰めて、ひとつの典型となっている。無垢な魂を抱えたキズキやハツミさんは自殺をする。しかし、「僕」や緑はその両方を抱えながら生きていく他ない。多くの人々は無垢のまま死ねないのなら、世俗の中で生きていくしかないのである。僕やあなたと同じように...。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >

自室のレイアウトを少しいじった。ベッドの位置も微妙に変わった。原稿書きコーナーと、DVDを見たり音楽を聴いたりするコーナーを分けるか一緒にするかでずっと改良を重ねているが、なかなか理想型にはならない。理想型になったとしても、きっと飽きてときどき変更するんだろうなあ。

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