私症説[33]何も変わらない私/永吉克之

投稿:  著者:  読了時間:5分(本文:約2,400文字)


こっ恥ずかしいので、かつて自分が書いたものを読み返すことはあまりないのだが、自分の文章がどのくらい変わってきているのか知りたくなって、デジクリでの連載第1回目の「天職とは」という、2001年6月27日掲載のコラムを改めて読んで慄(ぞっ)とした。基本的な発想がぜんぜん変わっていないのである。

聞きかじりの科学的根拠でムリヤリ意見を正当化する手法や、後半はフィクションになだれ込んで結論をうやむやにするという手法を、このときすでに用いている。処女作にはその作家のすべてがある、といったようなことをよく聞くが、その典型例を拙文に見たのであった。

そんなわけで、そのテキストをここに再び掲載することにした。最近の私の文章と比較していただければ幸甚である。これは、作家がその発想やスタイルを変えるのがいかに困難かを訴えることが私の義務であると考えたからである。決して、「現代日本におけるカースト制度〜格差社会に生きる」というタイトルで一旦は書いたものの、やたらと奇をてらっているだけでぜんぜん面白くないし、かといって書き直している時間がないので苦し紛れに昔のコラムでその場しのぎをしよう、というのではない。

耐えられないくらいしょうもないボケを削除するなど、数カ所に手を加えたが、基本的には10年前のままの姿を晒している。



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■デジクリトーク
天職とは

永吉克之
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正式に絵を描きはじめて、もう26〜7年になるのだが、いまだに絵を描くことが天職だという実感がない。ただ、作品が売れていなくて商売になっていないので、天「職」というのも、ドあつかましいかもしれないが、その割には、コンペで入賞することが何度かあったので「なーんだ、やっぱり天職じゃん」と思い直したりするが、やっぱり実感がない。

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言語を司っている言語野という部分が左脳にあって、ここに障害があると、当然、話ができなくなるのだが、本人がなんとか話そうと努力をするうちに、右脳に言語野の代わりをする部分が発生して話せるようになることがあるらしい。

ひょっとしたら私の天職は、柔道着専門の縫製工場の経営かもしれない。しかし「ヴィジュアルアーティストになりた〜い」という強い願望と努力によって、脳内で、縫製工場の経営の才能を司っている部分が「......あんたの勝ちや。今日からは、あんたがここの主人や。ええ仕事しなはれや」ということで協力してくれるようになったのかもしれない。だから、実感がないのだろう。そういえば、「君の作品は柔道着専門の縫製工場の経営の香りがするね」といわれたことがあるような気がする。

私が美術を教えているコンピュータの専門学校の生徒の中には、絵を描かせても文章を書かせても何をさせても、ソツなくこなしてしまう者が何人かいるが、たいていの場合、彼らはマルチな才能を発揮しているのではなく、ものまねの才能を応用して絵や文を作っているといったほうがいい。今までに、見聞きしてきたものを器用に組み合わせているのだ。だから、彼らの天職は、ものまねである。

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かつて某知識人が、「絵描きが絵を描いたって面白くない。数学者が絵を描いたら面白いものができるかもしれない」という内容のことを言っていたのを思い出した。つまり、数学者の感性で絵を描くということなのだろう。抽象的で、やや短絡的な気もするが美しい。大工が、建築的感性で、動物の調教をするとか、金物屋の感性でダンスの振り付けをする、といったようなことは、美しくはないが面白い。

絵描きの感性で小説を書いたらどうなるか。あらすじだけだが、書いてみた。これは、呪われた家系に生まれた男の物語で、本人は、人並みに生きていきたいと願っているのに、血筋には逆らえず、意に反して、つぎつぎと殺人を犯していくという青春学園ドラマだ。

小説「血に餓えた男の血」あらすじ

主人公は、岩手県内に勤務する34歳の公務員。妻と小学生の娘との3人暮らしで、幸せな生活を送っていた。ところが、あることがきっかけで、以前から彼の妻に横恋慕していた焼肉屋の店主と妻との関係を疑い始めた主人公は、嫉妬に悩んだ末、アマゾンの人喰いワニを密輸して、妻をその餌食にしてしまう。

そして、この最初の殺人が、彼の中に眠っていた呪われた血をめざめさせる。つぎに、浮気相手とにらんでいた焼肉屋の店主を「オーロラを見よう」と北極までおびきだし、睡眠薬を飲ませて氷原に放置し、凍死させる。

次に、妻の殺害を目撃したソーセージ製造会社社長の口を封じるため、この会社のソーセージからミドリガメが出てきた、というデマを流して工場閉鎖に追い込み、自殺に至らせる。

その後も呪われた血は彼を殺人に駆り立てる。手口も巧妙さが影を潜め、刺殺、射殺、爆殺など、荒っぽさがエスカレートしてゆく。殺す理由も「店員の愛想がわるい」から、「ジョークを笑ってくれない」「いっしょに遣随使になろうと誘ったのに断られた」などにいたるまで、さまざまである。

しかし、97人まで殺した頃、愛娘が属する児童劇団が上演する『欲望という名の電車』を見て彼は目覚める。そして、「もう、憎しみは捨てよう。恨みはインド洋に流そう」と、人生の再出発を決意する。その後、彼は再婚する。

娘と後妻との関係も良好で、後妻との間には息子が生まれ、主人公の心には、揺るぎない平安が訪れるのであった。そして、主人公の息子は後に、新聞配達をしながら、苦学して国王になるのだが、それは続編で描くつもりだった。

以上だが、どの辺に絵描きの感性が生かされているのか、これだけでは分かるはずがない。

【ながよしのかつゆき】thereisaship@yahoo.co.jp
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