映画と夜と音楽と...[527]20年間に三度の邂逅があった/十河 進

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〈女教師/竜二/身も心も〉


●アートシアター系の映画館で見た日活ロマンポルノ作品

一度だけ、カミさんと並んで日活ロマンポルノを見たことがある。そういうものを見ると極端に照れる夫婦だったから、スクリーンいっぱいに男女がもつれあい、女のあえぎ声が館内を充たしたとき、互いに前だけを見て相手の表情や反応を無視する行動に出た。隣にいるのは知らない人だよというポーズを取り、反対側の椅子の肘掛けに身を預けた。

日活ロマンポルノは作品的に評価の高いものも多かったが、セックスシーンを見せるのが目的だったから、一般映画に比べるとそのシーンを長く詳細に描写する。そういう場面をカップルで見るのは、ちょっと気まずいものがあった。1977年の冬、結婚して2年が過ぎていたけれど、ふたりともまだ20代半ばだったから、余計にそうだったのかもしれない。

映画館は、日活系のロマンポルノ上映館ではなく(夫婦でそういうところには入りにくいですよね)、今はなくなってしまった有楽町日劇の地下にあった日劇文化だった。アート・シアター・ギルド(ATG)系列館である。ATG作品を見るには新宿文化へいくことが多かったが、その年、僕は何度か日劇文化で映画を見た記憶がある。

1977年、日劇文化で見たのは制作後30年経って初めて日本公開になった、オーソン・ウェルズ監督主演の「上海から来た女」(1947年)だった。それが夏のこと。暮れに僕とカミさんはATG作品「─北村透谷─わが冬の歌」(1977年)を見るために日劇文化へいった。子供もいなかったから、その頃は夫婦で映画を見にいくこともあったのだ。

「─北村透谷─わが冬の歌」は、みなみらんぼうが北村透谷を演じた作品である。妻の役は田中真理。日活ロマンポルノのスタートのときから活躍していた女優であり、猥褻罪で起訴されても権力と闘った闘士である。監督は、やはり日活ロマンポルノを量産していた山口清一郎だった。脚本を書いたのは、その時代を得意分野にしていた戯曲家の菅孝行である。

記憶がハッキリしないのだけれど、おそらくそのときの併映がロマンポルノ「女教師」(1977年)だった。数カ月前、日活系列館で他の作品と一緒に上映されたが評判がよく、ATG系の日劇文化で再映になったのだろう。監督の田中登はロマンポルノでデビューしたが、どの作品も評価が高かった。東映に呼ばれて高倉健や安藤昇の主演作を撮り、再び古巣に戻りロマンポルノを手がけた。

原作は流行作家だった清水一行、脚本はNHK大河ドラマも手がけていた中島丈博であり、出演者は砂塚英夫、山田吾一、久米明、穂積隆信、樹木希林、蟹江敬三といった豪華な顔ぶれだった。ヒロインの教師を演じた永島暎子を僕は初めて見たのだが、その映画ではあまり印象に残っていない。大胆なセックスシーンを演じて主演を取ったんだな、と少し侮る気持ちがあったのかもしれない。

僕は小心者で自意識過剰で、周囲の目を気にするところがある。若い頃は特にそうだったから、堂々とロマンポルノの上映館には入れなかった。だから日劇文化でATG作品の併映として上映されたとき、これ幸いとばかりに見にいったのだろう。「─北村透谷─わが冬の歌」という作品は特に評判がよかったわけでもなかったし、北村透谷に興味があったわけでもない。みなみらんぼうの歌は好きでLPも持っていたが、役者として見たいとは思わなかった。

「女教師」を見たひと月後くらいだったか、会社の怖い先輩のK女史がやはり日劇文化で「女教師」を見たのが酒席の会話で判明した。「一度見てみたかったのよ」と彼女は言い訳をした。「どうってことなかったでしょう」と僕が冷やかすと、「そんなことないわよ。顔が真っ赤になったわよ」とお嬢さん育ちのK女史は言った。もしかしたらうちのカミさんも、一度ロマンポルノなるものを見てみたかったのかもしれない。




●永島暎子は「竜二」の妻役で多くの映画賞を獲得した

僕が永島暎子に再会したのは、5年後のことだった。1983年の秋、東映セントラル系で公開になった「竜二」(1983年)で、永島暎子は主人公のヤクザ竜二の妻役で出演していた。当時、東映セントラルフィルムの広報担当だったNさんが試写会の案内を送ってくれていたから、僕は西銀座にある東映本社の試写室で見た。

東映セントラルフィルムには、低予算のB級映画を配給する会社というイメージがある。それに、自主制作の作品を見付けてきて、系列館で公開することも多かった。どれも大作ではなかったが、コアな映画ファンに熱心に支持されるような作品を公開してくれる会社だった。

僕がNさんと知り合ったのも、完成試写を草月ホールでやったきり公開が決まらなかった「泥の河」(1981年)を東映セントラルフィルムが配給することになったとき、小栗康平監督にインタビューしたいと申し込んだのがきっかけだった。「竜二」も金子正次という俳優が脚本を書き主演した自主制作の作品だった。

金子正次という俳優も川島透という監督も、僕はまったく知らなかった。出演者で最も名が売れていたのは、元ジャニーズの北公次だった。「アイドルだった北公次が、とうとうこんなマイナーな映画に...」と思われるようなシチュエーションである。彼は弟分を演じたが、竜二が堅気になった後、組の幹部にのし上がり羽振りのよさを見せつける重要な役だった。

「竜二」はヤクザ映画だったけれど、暴力シーンはほとんどない。竜二は組の幹部で、ふたりの弟分(北公次と桜金造)に「兄貴、兄貴」と奉られている。兄貴であるためにはいろいろと見栄を張らなければならないが、かっこよさがヤクザの身上である。極端に言えば、周囲からかっこよく見られるために命を張ることさえある。

そんな世界になじんでいた男が長い拘置所生活の中で、妻や娘と地道に暮らしたくなる。竜二は足を洗い、小さなアパートで妻と娘と暮らし始める。だが、妻はそんな竜二に不安を抱いている。彼女は夫と娘と穏やかに暮らすことに、ささやかな幸せを感じている。しかし、夫がそんな生活になじむとは思えない。

狭いアパートに昔の弟分が訪ねてくる。幹部になった彼はパリッとした値の張るスーツを着込み、オールバックにした長髪がつやつやと輝いている。運転手兼ボディーガードが、アパートの玄関で直立不動の姿で待っている。言葉だけは丁寧で「兄貴」と昔のように口にするが、その姿や態度が「今や昔のアンタを追い抜いたぜ」と言っている気がする。

人間には、どうしようもないことがある。わかっていても、自分の決意や気持ちを裏切る行為をしてしまうことがある。竜二は訪ねてきた弟分に昔の己を見る。肩で風を切っていた、あの頃に戻りたいと熱望する。妻を愛している。娘は目の中に入れても痛くないほど可愛い。だが...

隣近所には安い給料で朝から晩まで働き、妻子との暮らしに安らぎを得ている男たちがいる。安物の服を着て、小汚いアパートに住んでいる普通の男たちだ。竜二も彼らと同じようになろうと思った。妻や娘のために...。それを自身も望んだはずだ。しかし、竜二には耐えられない。ヤクザだった頃のヒリヒリするような緊張感、そんなものはどこにもない。

そんな竜二を黙って見つめる妻を、永島暎子は見事に演じた。竜二の心情と共に妻の気持ちの揺れも丁寧に描かれていた。セリフでは表現しないが、娘と遊ぶ夫の姿を見てささやかな幸せを感じたり、訪ねてきた弟分が帰った後の夫に不安を抱いたりという心理的な演技が際だっていた。

そんなふたりの熱演が評価されたのだろう。「竜二」はキネマ旬報ベストテンで6位に選ばれ、永島暎子は助演女優賞を獲得した。しかし、「竜二」にすべてを賭けていた金子正次は「竜二」公開の一週間後、ガンでこの世を去った。彼が遺したいくつかの脚本は、「チ・ン・ピ・ラ」(1984年)「ちょうちん」(1987年)「獅子王たちの夏」(1991年)として映画化された。

●40を過ぎた永島暎子は大人の女として僕の前に現れた

永島暎子との三度目の邂逅は、1997年のことだった。シナリオライター荒井晴彦さんが初めて監督した「身も心も」(1997年)である。「竜二」から14年という時間が流れ、40を過ぎた永島暎子は大人の女として僕の前に現れた。といっても、僕の方が4、5歳上だから自分が年を取ることによって、その年代の女性が魅力的に見えるようになったのかもしれない。

「身も心も」は、「あの時代」にこだわる中年男女四人の物語である。主要人物を1950年生まれの奥田瑛二、1948年生まれの柄本明、1957年生まれのかたせ梨乃、1955年生まれの永島暎子が演じた。監督の荒井晴彦さんは、1947年生まれだ。「あの時代」を早稲田大学で体験し、映画の世界に入った全共闘世代である。

「身も心も」は湯布院で撮影された。主要な舞台になる広い庭のある岡本夫妻の家と、古い土蔵を改造したような喫茶店の佇まいが印象に残る。自然風景が美しい。緑がくっきりしていて、こんなところで暮らしたいなあと思わせる。岡本夫妻の家はフローリングの床と障子のバランスがよくて、インテリアもよく考えられていた。

岡本(奥田瑛二)の寝室は書棚の間にベッドがある。ベッドの頭の部分にゴダールの「男性・女性」の大きなスチール写真のパネルが置かれている。ジャン・ピエール・レオーがこちらを向き、手前のシャンタル・ゴヤが振り返っている。同じスチール写真を僕は30年も自宅の廊下の壁に掛けているので、「身も心も」を見たときにアッと思った。

冒頭、ニューヨークへ一年留学することになった大学教授の岡本が荷造りをしている。妻の綾(かたせ梨乃)は喫茶店を経営しているので、一緒にニューヨークへいくのは気が乗らない様子だ。夫婦の心理的なすれ違いがうかがえる。岡本が「関谷に留守宅に住んでもらい、店は麗子に頼めばいいじゃないか」と言う。

関谷(柄本明)は仕事のないシナリオライターで、妻と娘とは別居中である。辞書のリライトとチェックの仕事を岡本に紹介され、東京から留守番にやってくる。麗子(永島暎子)は映画のパンフレットやチラシのデザインをやっているデザイナーで、若い恋人に「結婚しよう」と言われたこともあり、頭を冷やすために喫茶店を引き受ける。

関谷と麗子は20数年ぶりに会い、岡本家で酒を飲んで昔話を始める。学生時代、関谷と綾は恋人同士だった。関谷と岡本は親友で、あるとき、バリケードが機動隊によって強制排除されることが決まり、誰がバリケードの中に残るかを決めることになる。勝った方が残るのである。岡本は負け、「ホッとした自分」を今も後ろめたく思っている。

関谷は機動隊に火炎瓶を投げて逮捕され、起訴されて3年の実刑を受ける。その間に綾は岡本と関係ができる。一方、綾の親友だった麗子と岡本も恋仲だった。つまり、岡本夫妻はどちらも親友の恋人を奪い、20数年を生きてきたのである。そして今、妻の元恋人の関谷に留守宅を預け、夫の元恋人の麗子に喫茶店をまかせ、ふたりでニューヨークへいく。

●世代的記号が散りばめられている忘れられない映画

岡本夫妻の家で関谷に会った麗子は、彼が刑務所から出てきてすぐに岡本や綾と一緒に呑んだ、20数年前の夜のことを語り始める。いつまでも正座している関谷に「足を崩せば」と言ったのに、関谷が「正座の方が慣れてる」と答えたことを可笑しそうに思い出す。岡本が「刑務所座りだよ」と説明したが、麗子にはピンとこなかったのだ。

「刑務所座り」という言葉で、僕はスッと「あの時代」に戻った。デモで逮捕されても、完全黙秘を貫くと起訴ぎりぎりの23日間拘留された。2泊3日で出てきた奴は「おまえ、黙秘しなかったな」と責められた。拘置所では正座したままでいなければならないし、番号で呼ばれる。僕は逮捕された仲間のために、授業中にカンパ袋がまわってきたことを思い出した。

麗子が「何で起訴されたの?」と聞くと、関谷が「建造物放火、公務執行妨害、傷害、凶器準備集合罪...」と答える。そうだ、あの頃は何でも「公務執行妨害」で逮捕されたものだった。「何それ?」と聞き返す麗子に、「バリケードを壊しにきた機動隊に火炎瓶を投げた。バリケードがちょっと燃えただけだ。いいよ、大昔の話はもう...」と関谷が気怠そうに答える。

否定するにしろ共感するにしろ、「身も心も」は「あの時代」を10代後半から20代前半で経験した人間たちにとっては無視できない映画だ。「あの時代」から四半世紀も過ぎたのに、四人の男女は「大昔の話」に捉えられている。そして、「あの時代」のせいで貫けなかったことを再現しようとするのだ。しかし、そんなこと、できるはずがないではないか。

──大学解体を叫んでいたのに、おまえは、今、大学教授だ
──「ゴダールはシナリオなしで映画を撮る」と言っていたおまえが、シナリオライターだ

関谷と岡本は並んでブランコを漕ぎながら、そんな会話をする。だが、そんな慚愧に堪えない思いは何も特定の世代のものではない。「俺たち、もうすぐ50だなあ」とため息をつきながら「遠くまできてしまった」という感慨を抱くのは、どんな世代でも同じだろう。若い頃に思っていたことと正反対の人間になっているなんて、いくらでもあることだ。

ただ「身も心も」という映画が忘れられないのは、長田弘の「クリストファーよ、ぼくたちは何処にいるのか」という長編詩の一節を柄本明が読み上げたり、「SEXY」という石川セリの歌が流れたり、ゴダールの「男性・女性」のスチールがアップになったり、ラストクレジットにギターで叙情的に奏でる「インターナショナル」が流れたりする、世代的記号が散りばめられているからだ。

そして、永島暎子は「女教師」以上のハードなセックスシーンを延々と展開する。刺激的な体位で奮闘してはいるが、かたせ梨乃がどこか腰の引けた感じがするのに比べ、永島暎子のセックスシーンは感動的なほど本気である。どう撮ってもいいわよという心意気が伝わる。柄本明のお尻ばかり見せられるのは辟易するが、永島暎子は成熟した女性の普通のセックス(僕はあまり詳しくは知りませんが)を見せてくれる。

そう言えば、「女教師」にヒロインの永島暎子を犯す生徒役で、古尾谷康雅という背の高い若者が出ていた。後に雅人と改名し、大森一樹監督が自らの体験をベースに描いた医学生映画「ヒポクラテスたち」(1980年)で注目され、「スローなブギにしてくれ」(1981年)の主演でメジャーになるのだが、「僕のデビューは田中登監督の『女教師』」と誇っていたという。田中登監督を尊敬していたのだろう。

僕は古尾谷雅人さんとは一度だけだが、役者をやっている先輩の河西健司さんの結婚パーティで会ったことがある。トイレで並んだとき、隣の男の腰の位置が異常に高いので、フッと見上げると彼だった。188センチあると聞いた。披露宴の仲人兼司会者は、小劇場の芝居やマイナーな映画を応援し続けたTBSアナウンサーの林美雄さんだった。

あれから20数年が過ぎ、林美雄さんは58歳で病没し、古尾谷雅人さんは45歳で自殺した。ときは流れ、人は死ぬ。僕もいつの間にか60になり、人生の黄昏を迎えようとしている。何らかの邂逅(できることなら生涯最高の映画と出逢いたいものですが)はこれからもあるだろうが、そろそろいつ死んでもいい覚悟を固めねばならない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >

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