[3193] 人は歳を重ねて寛容になれるか?

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《5月21日は金環日食休暇にしましょう》

■映画と夜と音楽と...[530]
 人は歳を重ねて寛容になれるか?
 十河 進

■ところのほんとのところ[71]
 ところのお正月
 所幸則 Tokoro Yukinori

■デジアナ逆十字固め...[122]
 「521金環日食観察会」を全国に広げよう!
 上原ゼンジ




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■映画と夜と音楽と...[530]
人は歳を重ねて寛容になれるか?

十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20120127140300.html
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〈シリアスマン/再会の食卓〉


●きちんと仕事をしようとすれば人に厭がられることもある

足かけ29年、専門誌の編集をして管理部門に異動し、もう丸8年が過ぎた。編集者時代は、一緒に仕事をしていない人には穏やかな人間に見えたらしく、「やさしそうなソゴーさん」と思われていたようだ。初めて編集長になり、スタッフを抱えたのは38歳のときだった。別の編集部からの異動で僕のスタッフになったひとりは、数ヶ月後、僕にきつく注意され「仏のソゴーさんだと思っていたのに...」とつぶやいた。

その後、何誌か編集長を務めたが、気楽だったのはひとりで不定期のムックを作っていたときだった。スタッフができると、どうしてもその人の仕事に不満が出て、つい口調が尖ったものになった。Aくんとふたりで季刊のデジタルデザイン誌を編集しているときは、周囲からはうまくいっているように見えたらしく、「あそこの上司と部下は相思相愛だから」と言われたことがある。

確かに、いろいろ組んだ中でAくんには安心して仕事がまかせられたし、仕事ぶりも誌面の仕上がりにも不満はなかった。何より仕事に対して真摯だった。しかし、Aくんから言わせれば、僕はいつも怒っていたし、自分がやった仕事以外はどれも不満に思っていると見えたらしい。当たっていないことはないと思うが、それほど狭量だったつもりはない。もっとも、上司と部下の関係の中で、部下がどう思っているかは想像の外だ。

管理部門に異動になったのは、だらしない編集者が多い中で、僕が「きちんとしていた」かららしい。確かに、いろんな意味で編集者は社会人として不適格な人が多いし、本を作ること以外に頭がまわらない。そんな中で僕はいつも締め切り前に入稿し、残業も少なく期日通りに(ときには発売日前に)雑誌を仕上げた。制作経費も事前に予算を組み、その枠内で納めた。まるで期日通りに予算内で映画を撮り終える職人監督みたいだ。

そんなところが見込まれたのだろう。50を過ぎたときに、総務経理部に異動になった。総務経理部と言っても、編集と営業・広告以外のすべての仕事をやらなければならない。労務、法務、庶務、財務、人事、経理...といった内容だ。会社の年間計画の立案も担当した。原価管理も仕事のうちだった。最近では、印刷会社や用紙会社への発注も受け持っている。大きい出版社だと、それだけの仕事で制作管理部や資材部がある。

管理部門に異動してしばらく経った頃、「ソゴーさん、人が変わった」と言われていると聞こえてきた。「あんな人だとは思わなかった」と、憤慨している人もいるという。「ソゴーさん、評判悪いですよ」と忠告してくれた後輩もいた。思い当たることは、いろいろあった。

労務担当として組合に対して強硬な態度に出たこともあるし、ビルの窓を開け放したまま帰るような、だらしない編集部員たちに毎日のように小言を言った。僕は、新しい仕事で張り切っていたわけではない。自分の仕事はきちんとやらなければ...と思っていただけだったが、「規律」や「綱紀粛正」という字が歩いているようだったのかもしれない。それでも、何度言っても直らないことに苛立っていた。

たとえば、会議室を誰かが使い終わって見にいくと、椅子があちこちの方向に出しっ放しになっている。テーブルにコーヒーのシミができていたりする。テーブルの下にメモ書きが落ちている。僕はテーブルを拭き、椅子をテーブルに並べて入れ、排煙窓を開けて換気する。67歳でリタイアした僕の前任者は、ずっとひとりでそんなことをやっていた。「取締役がそんなことやらなくても...」と、総務の仕事を引き継ぐときに僕は言った。

しかし、人のよい前任者は「何度注意しても直らないんだよ」と鷹揚に、しかし、あきらめ顔で笑った。だから、僕は管理部門に移った当初、そうしたことを社内の全員メールで流して注意したし、経費請求や休暇の届けなどについても不備があると厳しく対処した。今から思うと、杓子定規だったかもしれない。寛容ではなかった。それは、おそらく管理部門の仕事に慣れていなかったからだと思う。

あれから8年が過ぎ、会議室の跡片付けには何の改善も見られない。その他のことも、8年前と同じだ。いや、もっとだらしなくなっているかもしれない。しかし、いちいち目くじらを立てていたら、毎日、苦虫を噛みつぶした顔になる。諦めたのか、寛容になったのか、仕事に慣れ見切りができるようになったこともあるのか、最近の僕は、たまにきちんとした対応に出会うと、それだけでうれしくなる。

できて当たり前なのだが、「人間て、そうキチンとはできないよなあ」と思えるようになった。人に期待することが少なくなったのだ。いつの間にか、前任者のようなあきらめ顔になっているのかもしれない。鷹揚さも引き継ぎたいと思うけれど、まだどこか尖っている部分があるのは自覚している。それでも、歳と経験を重ねて寛容になったのだろうか。

●「身に降りかかる出来事をあるがままに受け入れよ」という教え?

映画や小説の主人公が理不尽な目に遭っているのに、まったく怒らなかったり、あるいは相手がカサにかかって無茶な要求をしているのに、主人公がいつの間にか受け入れたりする。そんな場面を見ると「どうして怒らない、拒否しない」と苛立つくせに、「現実に自分がそんな目に遭うと、同じような対応をするかもしれないな」と思うことがある。

相手から理不尽なことをされているのに、さらにつけ込まれたり、もっとエスカレートした要求をされたりしたとき、もしかしたら僕も受け入れてしまうのではないかと思ったのは、バーナード・マラマッドの短編「最後のモヒカン」を読んだ高校生のときだった。中央公論社が出していた文芸誌「海」の海外作家特集で紹介された一編だった。その短編は、世の中は不条理に充ちていることを僕に刷り込んだ。

不思議な小説だった。そんな物語を読んだのは初めてだった。「最後のモヒカン」の主人公フィデルマンは画家になる夢に挫折し、イタリアの画家論を書いて世に出ようとローマにやってくるが、到着した途端にペテン師に鞄を盗まれる。その中には大事な草稿が入っているので、彼は必死でペテン師を探す。しかし、探し当てたペテン師に翻弄され、さらに金や洋服を渡すはめになる。

現在の言葉だと、フィデルマンは完全な「M男」である。自虐的だし、優柔不断で、何かが起これば「自分が悪いのかもしれない...」と自省するタイプだ。主人公としては歯がゆいのだが、そのキャラクターが深く僕の中に落ちた。もしかしたら、自分はそっくりなのじゃないか、と10代の僕は思った。当時、その短編に触発されて書いた小説がある。主人公は被害者なのに、どんどん自分を追い詰めていく物語になった。

マラマッドは最もユダヤ人的な作家と言われ、ユダヤ人であることにこだわった物語を書いた。その後、僕もいろいろな知識を吸収し、マラマッドが創り出したフィデルマンというキャラクターは、迫害され続けてきたユダヤ人を象徴する存在ではないかと考えた。迫害され、差別されてきたユダヤ人。その歴史があるから、フィデルマンのようなキャラクターが現出したのではないか。

コーエン兄弟の「シリアスマン」(2009年)を見たときに僕が思い出したのは、マラマッドの「フィデルマンの絵」(フィデルマンの連作短編集)だった。「シリアスマン」の主人公マイケルはユダヤ人の大学教授。1960年代、彼の一家はアメリカ中西部のユダヤ人コミューンに住んでいる。息子はユダヤ人学校でヘブライ語を学び、マイケルが相談にいく相手はユダヤ教の司祭(ラビ)である。

シリアスマン(真面目な男)であるマイケルなのだが、ある日、突然、「あなたは大人なんだから、冷静な対応をしてね。こんなことで感情的になったらダメよ」と妻に前置きされたうえで、知人の男と愛し合っていると告げられる。その男と妻と三人で会うと、「子供たちを巻き込んではいけないから、きみが家を出るのが一番だ」と妻の不倫相手に言われる。

妻に「きみが彼の家にいけばいい」と言うと、妻と相手の男に何てバカな提案をするんだと言わんばかりに唖然とされ、「きみが近くのモーテルで暮らすのが最良の選択だ」と説得される。経費もすべて自分で払うことになる。不倫をしたのは妻であるのに...、彼は納得のいかないまま相手の提案を受けてしまう。歯がゆい態度だが、実際にはそんなものかもしれないと僕は思った

大学では韓国の留学生から「単位をくれるか。再試験をしてほしい」と頼まれる。どちらも拒否すると留学生は帰るが、机の上を見ると札束の入った封筒がある。露骨な賄賂だ。マイケルは金を返そうとするが、父親が出てきて「息子は賄賂など渡していない。名誉毀損で訴える」と言う。「訴訟がイヤなら単位をよこせ」と居丈高だ。学生が金を置いていったことを証明できないマイケルは、反論できない。

自宅に帰ると、隣のマッチョな主人がマイケルの家の芝刈りをしている。「そこはうちの庭だ」と抗議すると、「境界はあの木までだ」と隣の主人が主張する。相手に強く出られると、マイケルは承伏していないにもかかわらず、反論を控えてしまう。すべてが、そんな風に過ぎていく。彼は争いがイヤなのか、諦めが早いのか、あるいは...寛容なのだろうか。

──身に降りかかる出来事を あるがままに受け入れよ

ユダヤ教の教えの中にあるのかもしれないが、「シリアスマン」の冒頭には、そんなフレーズが象徴的に掲載される。二千年にわたって疎まれ、差別され、迫害され、虐殺されてきたユダヤ人の諦念なのだろうか。すべては神がなさることだから、あるがままに受け入れよという教えなのか。このフレーズを読んで、諦念と寛容はセットなのだと僕は気付いた。

●どんなに諦めきった人も完全に寛容になることはできない

諦めることができるのは、どんなときだろうか。最近、「人間はいつか死ぬ。どっちにしても大差はない」などと僕は悟ったようなことを口にするが、それは自分が60歳を越えたことが影響している。充分生きたと思うし、それなりの経験をしてきた。結局、人間はわかりあえないし、自分のことさえ完全には理解できない。そんな諦念があるから、たいていのことは受け入れられる。人は年令を重ね、経験を積み、死に近付くことで寛容になれる。

それでも、40年も連れ添った妻の元に40年前に生き別れた最初の夫が現れ、妻を連れ去りたいと言い出したとき、「それはいいことだ」と祝福することは僕にはできないだろう。妻もその男と暮らした一年を「そこには愛があった」と言い、「あなたとの間には感謝がある」と続ける。そんなことを言われたら、自分と妻の長い年月は何だったのだと、足下から何かが崩れていく崩壊感に襲われる。妻や相手の男を罵ることはないだろうが、寛容な態度がとれるはずはない。

しかし、「再会の食卓」(2010年)のルーは、男と共に台湾へいくという妻を祝福し、相手の男が渡すという大金を、「もうすぐ死ぬ。金などいらん」と辞退する。子供たちにも話をしなければならないと言い出し、自らが子供たちを説得する。強く反対する長女に「おまえは出ていけ」と言い放つ。ルーは、寛容なのだろうか。底抜けのお人好しなのだろうか。妻の幸せだけを願っているのだろうか。

日本の敗戦後、中国本土では蒋介石が率いる国民党軍と毛沢東の中国共産党軍による内線が続き、1949年、国民党は敗れて台湾へ逃げる。中国本土には中華人民共和国が設立され、現在に至る。リウは、そのとき、国民党兵士として台湾へ渡るのだが、港で待ち合わせた妻子とは会えない。リウとはぐれた妻のユィアーは生まれたばかりの長男を抱え、国民党兵士の妻と指弾されながら共産党政府の下で生きていかなければならない。

その子持ちのユィアーを愛し、周囲の反対を退け、共産党軍の幹部だった地位を投げ出してホーは結婚した。以来、造船所の溶接工として貧しいながらも二人の娘を得て、ホーとユィアーは共に生きてきた。リウとの間に生まれた男の子も、我が子として育ててきた。ところが、40年後、ユィアーに台湾で生きてきたリウから手紙が届く。長く対立していた共産党政府と台湾政府の間で合意ができ、リウが故郷である上海に戻れることになったのだ。

やってきたリウをホーは歓迎し、狭い我が家に泊め、毎日、ごちそうで歓待する。だが、リウとユィアーは愛を確かめ合い、「一緒に台湾にきてほしい」と言うリウにユィアーは頷く。ホーも快諾し、家族会議になる。リウの息子である長男は「あんたを父親とは思えない」と拒否するし、長女は強硬に反対し、次女の夫は金を要求する。そんな家族の反応を見て、ホーは「かあさんと離婚する」と言い出す。

ここからの展開は、喜劇的だ。ホーとユィアーは正装して役所に出かけ、「離婚したい」と言うと、「結婚証明書を持ってこい」と言われる。「混乱していた時代だから、そんなものはない」と答えると、「結婚していなければ、離婚はできない」とあくまで役人は杓子定規である。「困った。今日中に離婚しなければならないんだ」と、ホーはリウが台湾に帰る日程を数えて焦る。

結局、40年連れ添った夫婦は結婚証明書を作って結婚し、すぐに離婚をすることにする。それを思いついたホーは、ホッとしたように朗らかだ。結婚証明書のために結婚写真を撮りにいき、「老いらくの恋を実らせたのですね。いい写真に仕上げますよ」と写真館の技師に言われ、ホーはニコニコと機嫌がいい。そのホーの態度が理解できなかった。妻を最初の夫の元に戻すため、懸命に動きまわるホーが僕の妙な感情を掻きたてる。

ホーは何かというと「もう死が近い」と言う。だから、何かにこだわっても仕方がない...と続くのだろう。彼は何でも受け入れる。寛容である。寛容とは、悟りや人格に関わるものではなく、諦めによって生まれるものではないのか、諦念に裏付けされたものなのだと僕は思った。もっとも、「人はいずれ死ぬ」と静かに死を受け入れるのも悟りなのかもしれないが...

にこやかに妻との離婚手続きを進めるホーを見ていると、不意に昔読んだウィリアム・サローヤンの「我が名はアラム」(三浦朱門訳)に出てきた人物を思い出した。その連作短編集はアルメニアからアメリカに移住した一族のことを、主人公のアラム少年の視点から描いているのだが、何かというと「大したことはない、ほっとけ」と言う変人の伯父が登場する。

その伯父は床屋まで走ってきた息子が「家が火事だ」と言っても、「大したことない、ほっとけ」と無関心だし、「馬がいなくなった」と訴える農夫に「大したことはない、馬がなくなったのが何だ。おれ達は皆、故国を失ったじゃないか」と答える。何か大切なものを失ったら、それ以上のものを失うことを考えれば、何事も「大したことない」と思えるのかもしれない。10代だった僕は、その人物の言葉でそんなことを学んだ。

しかし、人間はそう簡単にすべてを諦め、寛容になれるはずはない。「再会の食卓」も後半、意外な(あるいは予想通りの)展開を見せる。中国共産党支配下の中国で生きてきた夫婦だ。国民党と共産党の対立があり、文化大革命があった。天安門事件もあったし、その後の経済発展もあった。ホーは、その渦中を妻や子を守って生き延びてきたのだ。いくら死が近いのを自覚し、何かにこだわることの愚かさを悟ったとしても、自己の存在の根幹に関わることに寛容であることはできない。それは、誇りと自尊心の問題である。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com http://twitter.com/sogo1951
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金曜日に休暇を取り三連休の予定だったのに、金曜日の早朝にひどい腹痛と嘔吐に襲われて七転八倒。ノロウィルスにでも感染したかと思ったが、金曜日の夕方には何とか回復。それでも土日はずっと部屋に籠もってゆっくりしていた。「あしたのジョー」実写版をWOWOWで見ながら...。

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< https://hon-to.jp/asp/ShowSeriesDetail.do;jsessionid=5B74240F5672207C2DF9991748732FCC?seriesId=B-MBJ-23510-8-113528X
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■ところのほんとのところ[71]
ところのお正月

所幸則 Tokoro Yukinori
< https://bn.dgcr.com/archives/20120127140200.html
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[ところ]は今年に入って、いろいろ動いています。初体験もしました。

[ところ]の初体験の話からしましょう。大晦日から元旦にかけて、年越しそばを食べるのはいつもの習慣。0時半ぐらいから、渋谷で一番古い木造建築でもある金王八幡宮に初詣に行くのもいつも通り。初詣は住んでいる場所から一番近い神社に行く主義なので、20年近く同じことをしているわけだが、この20年間で一番、それもダントツに参拝客が多かったのはビックリ。やはり震災の影響だろうか。

ここで[ところ]にとって初めてのことが起きた。おみくじは初詣でしか引かないのだけれど、20年間で初めての大吉が出たのだ!!! うれしい。本当にうれしい。今年はいい年になりそうだ。朝一の飛行機で広島に行くことになっていたので、初詣から戻って仮眠。正月早々、何故こんな忙しいことになったのか、自分自身とまどっている。

広島のホテルにチェックイン。コンビニでなにか買い込んで、人生でもっとも地味な元旦を送ることにするかと覚悟を決めていた。夕方、[ところ]の広島着を知った友人が、タクシーを飛ばして手作りのおせちの重箱三段重ねを持ってきてくれたので、感動で泣きそうになりました。

突然決まった元旦の広島行き(その理由はとりあえず内緒ですが...)。正月を広島で過ごしたのも[ところ]にとって初めてのことだった。

こうなったら、初めてのことをもっとやろう。原爆ドームから川を下って海に出て、宮島(厳島神社)までの遊覧船がとてもいいと、Twitterで知り合って何度か食事をしてリアル友だちになった、広島の不良中年風グラフィックデザイナーにすすめられていたのを思い出したのだ。

2日の朝、原爆ドームの船着場に行ってみたら、すぐ乗れたので行って来ました。これも[ところ]は初体験、河から見る広島の街はとても新鮮だった。厳島神社といえば世界遺産だし、超メジャーだし、すごい人出だった。初詣は済ませているし、地元ではない神社に初詣に行くのは[ところ]の主義に反するので、大鳥居を見て鹿たちに挨拶をして帰ったんですけどね。

さて、そのあと高松の実家で両親と新しい家族と過ごし、実家の近くの石清尾八幡宮にはお参りに行った。今後は高松でもかなりな時間を過ごすことになるので、神様に年老いた両親の健康と新家族の健康をお願いをした[ところ]でした。

東京に帰ると、シルクドソレイユで世界を回っている田口師永くん(短い時間だけど東京に滞在することになっていたので)、所塾の主なメンバー、グラフィックデザイナーのキヨマサくん、劇団アロッタファジャイナ主宰の松枝佳紀くんら9人で新年会を開いたのだけど、楽しすぎました。

メンバーがバラエティに富んでるというのもあるんだろうな。キヨマサくん以外はみんな所塾の塾生なんだけど(元塾生も含め)、CGアーティスト、シルクドソレイユのアスリート、建築の現場の人、ゲームのプロデューサー、WEBデザイナー、もとSEで現在クリーニング屋店主など、普通では繋がらないメンバーでしょう。共通項は[ところ]の写真が好きで、本気で写真作品を創りたいと思っている、ということだけなのです。

もともとは3人の若者が、どうしても[ところ]に写真のアドバイスして欲しい! と頼んできたことから始まったものですが、普段は友だちみたいに付き合ってます。ワークショップとは違って、塾とか、ゼミとか、部活の混じったような感じなので、なにかに例えようがないから説明がむずかしい。まあ、わからなくてもいいんですが。

そうそう、去年の9月から写真雑誌で「キャパ」、スローフォトという見開きの連載をしていますが、今発売中の号は福島で[ところ]なりに撮った写真です。こういう切り口の福島の写真はほかにないと思うので、ぜひ見てください。

それと、オランダの「ファインアートフォトマガジン」春号で特集が組まれます。[ところ]といえばいまや風景でしょうけれど、ここではヌードです。デザイン進行中らしいので、詳細はまた追ってお知らせします。

【ところ・ゆきのり】写真家
CHIAROSCUARO所幸則 < http://tokoroyukinori.seesaa.net/
>
所幸則公式サイト  < http://tokoroyukinori.com/
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■デジアナ逆十字固め...[122]
「521金環日食観察会」を全国に広げよう!

上原ゼンジ
< https://bn.dgcr.com/archives/20120127140100.html
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Facebookのタイムラインに次のような「近況」が流れてきた。

「所沢市では、市内の小中学生全てに金環日食を観察する機会があります。この取組みを全国に広めたいです。『日食観察会@所沢』」

コメントの主は、天体望遠鏡や顕微鏡などのメーカーであるビクセンの社長の新妻和重さん。ご自身のブログにリンクが張られており、今年の5月21日に見られる金環日食について書かれていた。要旨は金環日食が見られるのは7時30分ぐらい、ちょうど通学時間に当たってしまうため、きちんとした観察会をセッティングして、子供たちに見せてあげられないだろうか、ということだった。

ビクセン本社のある所沢市では、校長会が理解を示してくれ、市内の全小中学校で観察会が開催されることになった。できればこの取組みを全国に広めたいという話だ。今年金環日食があるということは知っていたが、それが通学時間に当たるということは知らなかった。

所沢市はお隣の市だが、残念ながら我がふじみ野市ではこのような動きはない。しかし、うちの今年中学に上がる娘にもぜひ見せてやりたい。当日は彼女の誕生日でもあるので、実現すればいい記念にもなるだろう。そう思うと私はいても立ってもいられなくなり、ふじみ野市役所に乗り込んで市長に直談判をした。

というような行動力は残念ながら持ちあわせていないので、市の広報にメールをしてみた。でもそれではちょっと足りなそうだ。そう言えばふじみ野市の市議会議員さんからFacebookでフォローをされていた。こういう時は議員さんに陳情すればいいのだろうか? と思ってFacebookでメッセージを送ってみた。するとしばらくして、次のようなコメントがタイムラインに流れた。

「全小中学校で『金環日食観察会』を実施したいと思います。みなさまどう思いますか? ぜひ覗いてみてください。」

リンクは仙田さだむ議員のブログにつながっており、市に日食観察会の提案をしてくれたようだ。ありがとう仙田議員! あなたのことは忘れません。そしてマーク・ザッカーバーグさんにも感謝します。

登校途中の子供たちが肉眼で太陽を見てしまうと危険だし、世紀の天体ショーをじっくりと観るためにも、日食観察会が全国に広がっていくことを私も望みます。ビクセンでは社員が日食を見られるように、この日は金環日食休暇にするとのこと。子供ばかりではなく、大人だって見てみたいもんね。

「521金環日食観察会」を広めようという取組みに賛同していただける方は、ぜひ、学校や市や議員さんやマスコミなどに働きかけをしていただければと思います。金環日食休暇にして欲しい人は、社長さんに直談判してみてください。当日は晴れるといいですね。

◇「521金環日食観察会」を全国に広げよう!
< http://www.zenji.info/column/eclipse.html
>

◇日食観察会@所沢/びっくりビクセンBlog
< http://ameblo.jp/vixen/entry-11139843487.html
>

●ついに「宙玉レンズ for iPhone」登場か?!

来月の頭にはカメラ関係のイベントである「CP+」と印刷、メディア業界のイベントである「page2012」が開催され、期日がもろにバッティングしている。私は両方とも顔を出そうと思っているのだが、CP+の方では間に合えば「宙玉レンズ for iPhone」の発表をしたい。

これはギズモショップから声をかけて貰って製作中なのだが、試作が上がるのがイベントの前ギリギリになってしまう。だから試作の出来が良ければ手にとってもらえるし、出来が悪ければアクリルケースの中に陳列。人様に見せられるようなものにならなければ、イメージ画の展示、という感じでしょうか。

この宙玉レンズは「ZENJIX」というブランドから出す予定。「ZENJIX」では3カ月に一点ぐらい新製品をリリースして行きたいと、さっきSkype会議でギズモショップの社長が言ってたんだけど、本当にそんな展開になるのでしょうか(笑)

でもこのギズモショップの清家英明社長はいろんなアイディアを持っているので、話していると凄く面白い。最近だとカメラ型のiPhoneケース「iCA」が発売になり、けっこう話題になっている。これはただケースにカメラのデザインがプリントがしてあるわけじゃなくて、レンズ部分(偽物)が本当に出っ張っていたりするので、かさ張って邪魔。だけどストラップを付ければ、首からぶら下げられるようになるという冗談のような製品。

ファインダー部を覗いて撮影できたり、シャッターを押すと本当に写真が撮れるというところがけっこう楽しい。またこれからこのケースに取り付け可能なフィルターやレンズ類がいろいろと登場する予定だが、その中の一つに宙玉レンズもラインナップされており、iCAに宙玉レンズがねじ込み式で装着できるようになるはずだ。

他にも海外の変わったカメラやレンズを扱っているので、CP+に行かれる方はぜひブースを覗いてみてください。もしかしたら、私も商品説明をしているかもしれません。

◇ギズモショップ
< http://www.gizmoshop.jp/
>
◇CP+
< http://www.cpplus.jp/
>

「page2012」は日本印刷技術協会主催で今年25回目を迎える老舗イベント。さまざまなメーカーやベンダー企業が出展する大規模なイベントだが、セミナーでは印刷、DTPの話ばかりではなく、電子書籍やデジタルサイネージの話など、最新のネタもいろいろとある。

私は「電塾+年に一度のJPC合同大勉強会」というオープンイベントで、「個別プロファイル解禁!?日本の印刷は専用プロファイルで上手くいく」という話をさせていただく予定。これは昨年出版された「写真の色補正・加工に強くなる〜レタッチ&カラーマネージメント知っておきたい97の知識と技」という本を印刷した時の、カラーマネージメントワークフローに関する話。

紙質があまり良くない紙の場合、なりゆきで色は沈んでしまうというのが常識ですが、その用紙の個別プロファイルを作成すれば、それなりに色はマッチするよ、という話。無駄な色校正も減るので、コストの削減にもつながります。タダなので、興味のある方はぜひどうぞ。

◇「電塾+年に一度のJPC合同大勉強会」
< http://www.jagat.or.jp/PAGE/2012/session/session_detail.asp?sh=5&tr=10&se=45
>
◇「page2012」
< http://www.jagat.or.jp/PAGE/2012/
>

【うえはらぜんじ】zenji@maminka.com < http://twitter.com/Zenji_Uehara
>
上原ゼンジのWEBサイト
< http://www.zenji.info/
>
Soratama - 宙玉レンズの専門サイト
< http://www.soratama.org/
>
上原ゼンジ写真実験室のFacebookページ
< https://www.facebook.com/zenlabo
>

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■編集後記(01/27)

・ほとんど毎日、水汲みや買い物、図書館通いのため自転車を走らせている。昨年後半から「自転車は車道を走るように」という原則を徹底させるため、警察が取り締まりを強化していると聞くが、そんな実感はない。相変わらず歩道は無法者の自転車天国だ。わたしは昔から原則として自転車で歩道を走らない。凸凹が多くて走りづらいし、とにかく歩行者が邪魔だ(!?)。車道の左側を走っていると、前方から自転車が来ることがよくある。堂々と右側を走って来る。コノヤローと思う。お互いそのまま進めば衝突するが、直前でどちらかがコースを変えるからぶつかったことはない。もちろん、相手の方がルール無視なのだから、こちらが道を譲る筋合いはない。粛々と進むべきである。前方に相手を認めたら、自転車を道端ぎりぎりに寄せるようにして進む。相手もそうしてくる。こうなると意地のはりあいだ。壮絶なチキンレースとなる。図々しいのはおばさんというのが定番だが、この場合、おばさんだけではなく、おじさんもいるしJKもいる。頭の悪そうな若者もいる。車輪が触れ合う寸前で止まり睨みあう、ってことはまずない。わたしは基本的にいい人なので(ホントか)、2回に1回は譲ってしまう。だが、不愉快である。敗北感もある。いつも、これからは絶対に譲らんぞと決意する。昨日はうっかり気がつくのが遅れて、禿げ頭じいさんにしてやられた。年長者に譲ったのだと自分を納得させ、今後はこんなミスは絶対犯さないと誓うのであった。(柴田)

・十河さんは締め切りに遅れたことがない。どころか早入稿。/おかしい。後記を書いたはずだったのに、ない。夢の中で書いていたようだ......。どんなネタだったか覚えてない......。/地元ネタ。天王寺というか阿倍野のユーゴー書店が去年閉店していた。学生時代に入り浸ったお店。成人してからも行っていた。ここでどれだけの本を買っただろう。紀ノ国屋や旭屋、ジュンク堂のようなお店にも行くけれど、広すぎず品揃えの良いユーゴー書店は格別だった。83年間の歴史に幕と聞いて、そんなに古くからあったのだと驚いた。Togetterによると、「教科書等の販売は新事務所で続けるみたいです」とのこと。写真がいくつかあったので保存しておこう。東入口が好きだったよ〜。閉店前に一度行っておきたかった。/「君行(きみいく)さんて名前やからユーゴー書店となったらしい。」知らなかった〜!(hammer.mule)
< http://kaiten-heiten.com/yugo-syoten/
>
開店閉店。こんなサイトがあったとは。
< http://togetter.com/li/224286
>
そうだった。向かいにも書店があったよ! よくハシゴしていた。