ユーレカの日々[08]マンガが生き残る唯一の方法/まつむらまきお

投稿:  著者:  読了時間:12分(本文:約5,800文字)


iBooks Authorが発表された。Apple最新の電子Bookオーサリング環境だ。残念ながらうちのMacのOSは「古いFlashなどを起動させる必要があるかもしれない」ため、未だ古いOSのまま。これではiBooks Authorをインストールできない。悔しいので、いろいろ記事を読んでいると、まだいくつか問題があるようだ。

一番残念なのは、文字組みが横書きのみで、縦書きができないという点。どうやら右綴じの本も作れない。

縦書きの組版はEPUB 3として標準化されているので、いずれiBooks Authorも対応するだろうが、そういえば同じAppleのワープロ「Pages」はもうVer4にもなるのに、未だ縦書きに対応していない。それを考えると、iBooks Authorの縦書き対応はかなり望み薄なのかもしれない。

そういえば20年ほど前も、IllustratorやPageMakerで縦書きができるようになるまで、随分待たされた。21世紀になっても、やはり縦書きはマイノリティなのだ。

現在、縦書きを日常的に使っているのは日本くらいだ。もともと日本と同じ漢字縦書き文化だった韓国も中国も、看板などを除いて現在はあらゆる文章、文字が横書きに移行している。

日本では江戸時代に横書きが始まったそうだ。この時代の横書きは、長い文章ではなく、広告や看板など。つまり、欧米の「グラフィックデザイン」「図版」「設計図」などを翻訳、模倣する必要性から、本来縦組みのみの日本語を無理やり横組にしたのが始まりなのだろう。

縦書きの場合、行は右から左へと流れる。なので横書きも当初それにならって右から左へと書いた。これが欧文と同じ左から右への進行になったのは1942年、国語審議会の答申からだそうだ。

ところが、他の国と違い、日本の場合は縦書きもそのまま残った。実用文書のほとんどは横書きだが、新聞、小説、週刊誌など文芸系は縦書きだ。そして、日本の出版物の約4割を占める「マンガ」もまた、縦書きだ。




なぜ、マンガは横書きにならず、セリフを縦書きで書くようになったのだろう?日本のマンガのスタイルは昭和初期に確立していった。たとえば、大城のぼるの「火星探検」(1940年)はコマ割り、フキダシなど今のマンガのフォーマットで描かれているが、タイトル文字は右から左へ「検探星火」と書かれている。
< http://www.amazon.co.jp/%E7%81%AB%E6%98%9F%E6%8E%A2%E9%99%BA%E2%80%95%E5%BE%A9%E5%88%BB%E7%89%88-%E6%97%AD-%E5%A4%AA%E9%83%8E/dp/4778030095 >

なるほど、まだ日本に左から右への横書きが定着する以前から、日本のマンガのフォーマットはできていて、現在に至るまでそのまま縦書きが続いているというわけだ。

「検探星火」から72年。日本のマンガは世界に類を見ないほど、高度にビジュアルと文学が融合した表現に到達している。読者は子どもから60代まで拡がり、マンガだけに止まらず、アニメ化やドラマ化、映画化される作品も数多い。マンガを原作としたアニメは海外に輸出され、一定数のファンを獲得している。

ならば、日本のマンガを海外市場へ出したい、と思うのが人情だ。日本国内で年間1万ものマンガ本が出版されているという。複数巻出るものが主なので、タイトルとしては3〜4,000タイトル程であろうか。コンテンツ数としては年間300本前後のハリウッド映画をはるかに凌駕する。ましてや電子出版の時代だ。物質としての本を生産流通させなくても、世界を相手にコンテンツ販売ができる条件はそろった。

なのに、マンガは海外向けに輸出がとても難しい。それは「縦書き」だからだ。

日本のマンガを海外向けに翻訳するには、単にセリフを翻訳するだけでは済まない。セリフ内だけを横書きにしても、コマの進行が左向きのままでは、読みにくくてしょうがない。

かつて、「はだしのゲン」が翻訳出版されたときには、各コマの配置を左右入れ替え、ページの進行方向を逆転させる、という方法がとられた。

たしかにこの方法で、物語の進行は追えるのだが、マンガ家はコマ内の構図やフキダシの位置を右から左へと流れるように配置している。その構成がむちゃくちゃになってしまう。また、台形などの変形コマや、少女漫画にみられるような、複雑にコラージュされたコマ構成では、この方法は使えない。

次に試みられたのが、原稿全体を鏡像にする方法。80年代後半に出版された「AKIRA」の海外版などがそれだ。

この方法ならコマ運びや構図の流れを損なわなくて済むが、絵そのものに違和感(いわゆる、デッサンの狂い)が出たり、利き手やクルマの通行方向、自転車のチェーンの位置、胸ポケットの位置など、左右非対称だと都合が悪い場合も多い。ブラックジャックの手術の場面では臓器の位置が反対になってしまうし、グルメ漫画ではヒラメがカレイになってしまう。

最近は、欧米のマニアの「原作に近い状態で読みたい」という声により、単純にフキダシ内のセリフのみを横組にする、というスタイルが定着した。コマ、ページの進行は右から左だ。

この方法は先の2つの方法よりも工程が楽だが、もともと縦書きのためにデザインされているフキダシは縦長が多く、横組の欧文はとても収まりが悪い。日本語と違い、単語分かち書きの欧文では、ある程度の桁数を確保しないと、文章として組みにくい。

そのため、絵に影響がでない程度にフキダシを横長に変形させるといった小細工も必要となる。フキダシの比率が変わると、流れるようにデザイン、配置された誌面のバランスが崩れてしまう。また、フキダシだけでなく、オノマトペ、擬音を外国語に差し替える必要もある。そのため、翻訳版の制作にはやはり手間がかかってしまう。

ここまで手間をかけて翻訳出版しても、このような状態のコンテンツを読むのは、あくまでもマニアのみだ。文字を追う視線は右方向、コマを追う視線は左方向とというのは一般人にとって、とても読みにくい。Narutoやドラゴンボールの翻訳版が海外で人気、と報道されることがあるが、これらはあくまでも先に「アニメ」があり、原作まで読みたい、と思うマニア市場での話だ。

そうなのだ。いくら頑張ってもダメなのだ。マンガが縦書きである限り、世界へ出ていくことは不可能なのだ。

いくら評論家やマニアが素晴らしいと言ったところで、普通の子どもや女子高生やオッサンやオバサンが読まなければ、産業にならない。

今、出版業界は大不振だ。さらに最近は若者のマンガ離れが起きている。実際、少女マンガ雑誌は幼年と高年齢向けに二分化され、中学生〜20代の女性向けの雑誌は数少ない。ジャンプなどの少年誌も、ONE PIECEなどの一部の人気作品の単行本ばかりが売れ、雑誌や他の作品の売上が落ちている。

従来マンガが占めていたい余暇時間をゲームやネットやレンタルビデオ、ケータイといったものに喰われている、という理由もあるが、それ以上に、マンガコンテンツがあまりにも多すぎることが大きな原因だろう。

手塚治虫のアトムからすでに40年以上たち、日本国内ではマンガコンテンツの数は飽和状態だ。一生かかっても読みきれない数のマンガが、ブックオフに行けば1冊100〜200円という価格で手に入る。人気連載は延々と終わらないので、毎号雑誌を買うまでもなく、単行本を買っていれば、何年間も十分に楽しめる。

正直言って、今、すべてのマンガ雑誌が潰れて、すべてのマンガ家が死に絶えても、既存のコンテンツ(しかも古書)さえあればだれも困らないのではないかと思う。このような状態では、マンガ産業への新規参入、新人の出現が難しくなり、産業として先細りになるのは目に見えている。

ならばどうすれば、いいのか?

答えは簡単だ。最初から欧米のマンガ同様に横書き、左綴じで制作すればいい。マンガ産業が生き残るには、マンガのフォーマット変換が必要だ。海外という市場へ出ていくためには、すべてのマンガを横書きにすべきなのだ。

テレビのアナログ放送からデジタル放送への移行と同様に、法律ですべての新作マンガを横書きに移行する。

連載の途中で横書きに変わってしまうのはさすがにまずいだろうから、5年ほどの移行期間を設け、新連載の作品から順次、横書きにする。雑誌では、右側から読めば旧来の縦書き連載、左から読めば、国際基準の横書きの新連載マンガで構成する。

最初のうちは横書きのマンガは読みにくく感じるかもしれない。しかし、そんなことはすぐに慣れる。中国も韓国も、過去縦書き文化から横書き文化への移行を経験し、乗り越えているのだ。日本でもアメコミやBDの翻訳は横書きで出版されている。映画の字幕も横書きで、なんの違和感もなくそれを読んでいる。できない理由はなにもないはずだ。

最初から横書き、国際化を考えて制作されたマンガは、翻訳版の制作が飛躍的に楽になる。それこそ、ネーム(ストーリー、セリフ構成)の打ち合わせ時点から翻訳担当を立ちあわせ、日本での発売と同時に国際版の電子配信も可能となるだろう。

近年増えている海外からのマンガ留学生をアシスタントに雇えば、マンガ家サイドで多国語化も可能だ。フキダシは最初から横長に描かれ、オノマトペなどの書き文字も、最初から多国語版への差し替えを考え、別編集される。PIXARやディズニーでは劇中のタイトルや看板の文字などが国際版を考慮し、最初から複数国語でつくられている。マンガ制作でこれができない理由などない。

特に幼年者向き児童マンガから、横書き化を始めるべきだ。旧来のマンガに慣れた日本人は横書きマンガに慣れるのにはある程度時間がかかる。現在、マンガ離れを起こしている児童マンガから横書きをすることで、読者をスムーズに移行させることができる。

この横書き移行でメリットがあるのは国際市場を狙える出版社と、新人作家だ。現在の人気作家は、古いコンテンツに縛られるが、新人、新連載は縛られることなく世界という市場を視野に入れたコンテンツを存分に発表できる。大御所だらけで新規参入が難しくなっているマンガ界において、市場の拡大、活性化が望める。

旧来のコンテンツはどうするのか。

これに対する答えも実に簡単だ。縦書きの本は歴史的文化遺産としてそのまま出版したり、先に紹介したような翻訳版の出版もありうるが、本当に海外でも受け入れられるコンテンツであれば、リメイクすればいい。

たとえばドラえもん。これを海外に流通させるのに、原作を横書きに改変するのでなく、あらたに別の作家がリメイクすればいいのだ。そのリメイクは日本作家に限らず、海外の作家に描かせてもいい。日本映画がハリウッドでリメイクされるのと同じことだ。

とんでもない話に聞こえるかもしれないが、ルパン三世も、ブラックジャックも、国内で別作家がリメイクした作品が存在する。逆のパターンでは、アメコミであるスパイダーマンを池上遼一が日本でリメイクしている。

これらはストーリーも新作だったが、旧作のキャラクター、プロットをそのまま、様々な国の絵柄や風習、今の解釈でリメイクすればいい。こうすることで、新たな市場も生まれ、かつ、オリジナルの価値もまた上がるだろう。

横書きでマンガを描く試みは、作家レベルでは過去、何度か行われてきた。ネットでの掲載のためや、海外の雑誌に掲載するために横書き形式で発表した日本作家も数多く居る。だが、既存の大量のコンテンツ、慣習相手に、それは主流にはなっていない。必要なのは、流通母体である、週刊誌のフォーマット移行なのだ。

わざわざ、国内の雑誌すべてを変えなくても、輸出用のリメイクを推進すればいいのではないか、という意見もあるだろう。しかし、それではアニメ化された作品など、手堅いごく少数の作品しか輸出されない。

それぞれの国でどのタイトルが受け入れられるのかは、未知数だ。日本のマンガの強みは質以前に、その量にある。数打てば当たるものも増える。また、横書きであれば、翻訳されていない状態であってもビジュアルのみで興味を惹くことができる。海外で受け入れられる作品は桁違いに増えるだろう。

マンガに限らず、いずれ、新聞や雑誌、小説なども横書きに移行せざるをえない日がやってくるだろう。それは韓国や中国を見れば明らかだ。文字コンテンツは横書き版を制作するのに手間はかからない。

実際、執筆も、ネットへの転載も横書きであり、紙版だけが縦書きという、考えてみれば奇妙な状況になっている。国語の教科書を横書きに変えれば、おそらく5年もたたない間に縦書き文化は廃れるだろう。その時、マンガだけはまだ縦書きを続けるつもりなのだろうか?

日本文化の保護はもちろん必要だろう。しかし、それと経済活動とを同列に語るのはナンセンスだ。なにより、文化というものはどこかの時点で完成するものではなく、常に変化しつづけるのが本質だろう。

デジクリのmidoriさんの連載にもあるように、欧米でも日本のマンガスタイルで絵やマンガを描く人が増えて生きている。ハウツー本もたくさん出版されている。おそらく数年後にはヨーロッパやアメリカのマンガ市場で、日本のマンガスタイルの大ヒットタイトルが生まれる時代になる。

それらは日本のスタイルでありながら、おそらく横書きで描かれ、横書きゆえにすぐに世界中に翻訳出版されるだろう。そんな時代になっても、日本のマンガは国内市場のみを相手に縦書きを続けるのだろうか。

電子出版時代はもう、避けようがない。

日本のマンガが、出版業界が生き残るためにはマンガの横書きへの移行しかない。というのは、考えすぎだろうか。

【まつむら まきお/まんが家、イラストレーター・成安造形大学准教授】
< twitter:http://www.twitter.com/makio_matsumura >
< http://www.makion.net/ > < mailto:makio@makion.net >

2月5日(日)のコミティアに参加します。スペースは「と01a」。新刊あります。「デジクリ読んでます」と言ってくれた方にはポストカードを差し上げますので、ぜひお立ち寄りください。
comitia
< http://www.comitia.co.jp/ >