[3198] ふりむくな、後ろには夢がない

投稿:  著者:  読了時間:31分(本文:約15,200文字)


《環境がオレに適応してきた》

■映画と夜と音楽と...[530]
 ふりむくな、後ろには夢がない
 十河 進

■Otakuワールドへようこそ![146]
 セーラー服着たおっさんが入れない意外な店
 GrowHair




━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■映画と夜と音楽と...[530]
ふりむくな、後ろには夢がない

十河 進
< http://bn.dgcr.com/archives/20120203140200.html >
───────────────────────────────────
〈あしたのジョー/ボクサー/サード/涙を、獅子のたて髪に/無頼漢〉


●CGで創り出された「あしたのジョー」の世界

先日、WOWOWで実写版「あしたのジョー」(2010年)を見た。最近のCG技術を使って、昭和40年代当時の街並みを再現していた。「あしたのジョー」の連載が始まったのは、昭和43年(1968年)である。原作はそれより以前の時代を背景にしているから、ドヤ街が現実的だった頃でなければ物語としてのリアリティは出ない。あの頃はみんな貧しく、誰もがハングリーな時代だった。

珍しくカミサンとソファに並んで見ていたのだが、「昔、丹下段平をやったのは、重慶ちゃんよね」とカミサンが言う。最初の実写版「あしたのジョー」(1970年)は、新国劇の役者が中心だった。矢吹丈が石橋正次、力石徹が亀石征一郎、丹下段平は辰巳柳太郎である。監督は長谷部安春。同じ年に、名作「野良猫ロック・セックスハンター」「野良猫ロック・マシンアニマル」を作っている。

「藤岡重慶は、アニメで丹下段平の声をやったんだよ。ジョーの声はあおい輝彦...」と僕は訂正した。すぐに少しつっけんどんだったかなと反省し、「藤岡重慶の風貌は、丹下段平みたいだったけど...」と付け加えた。僕らの世代で藤岡重慶と言えば、小学生の頃にNHKで放映されていた「事件記者」の刑事役を思い出す。その後、映画やテレビで悪役(ヤクザか刑事役ばかりだった)を演じた。

一度だけ、ご本人を見かけたことがある。もう30年以上昔のことだ。新宿の靖国通り沿い、伊勢丹会館の前だった。派手なシャツを着て歩いていた。「あっ、藤岡重慶だ」と僕は立ち止まり、ぶしつけな視線を向けジロリと睨まれた。凄みがあり、僕は身を引く感じになった。それだけのことだったが、妙に憶えている。よほど印象が強かったのだろう。

カミサンが一緒だった記憶がある。結婚して4年ほど阿佐ヶ谷に住んでいて、新宿にはよく出かけていたから、たぶんその頃のことだ。あのとき、「あっ、重慶ちゃんだ」と、カミサンが言ったのではなかったか。その頃からカミサンは「重慶ちゃん」と呼んでいた。もしかしたら、ああいうワイルドでタフなタイプが好みなのだろうか。だとしたら、なぜ僕と結婚しているのか謎である。

そんなことを思い出しながら「あしたのジョー」を見ていた。ボクシングシーンもCGでダイナミックに見せているが、作りものめいていてちょっとシラける感じもあった。伊勢谷友介の力石徹は雰囲気を出していてよかったのだが、マンガ通りにジムにたくさんの石油ストーブを置いて汗を流す過酷な減量シーンでは、「おいおい、それじゃあ火傷するだろう」とツッコミを入れたくなった。

僕らの世代にとって、「あしたのジョー」は単なるマンガではない。ひとつの神話である。1968年正月号から連載が始まった「あしたのジョー」は2年後、力石徹との死闘を数週間にわたって描き、当時の夢枕獏に「来週の『あしたのジョー』を読むまでは死ねない」とまで思わせた。1970年4月、よど号ハイジャック犯たちは「我々は、あしたのジョーである」と言い置いて北朝鮮に亡命した。

そう、1970年のことだった。矢吹丈との死闘に勝利した力石徹の死を、日本中の若者たちが悲しんだのだ。そんな若者たちの悲しみを癒すために、マンガの登場人物としては初めて現実の葬儀がおこなわれた。中心になったのは劇団「天井桟敷」であり、「天井桟敷」を主宰し、劇作家、詩人、歌人、小説家、映画監督と多彩な肩書きを持つ寺山修司が葬儀委員長を務めた。3月24日のことだった。

その年の4月からテレビで「あしたのジョー」のアニメが始まった。パセティックな主題歌が話題になった。歌手は尾藤イサオ。リズム・アンド・ブルースのようにソウルフルに歌った。作曲はジャズ・ピアニストの八木正生。歌詞を書いたのは寺山修司だった。「サンドバッグに浮かんで消える」と聴こえてくると、背中がゾクゾクした。「明日はどっちだ」と終わると、己の明日を思った。僕は18歳だった。

●ボクサーを過剰に愛した寺山修司という詩人

寺山修司は、過剰にボクサーを愛した。彼の長編第一作「あゝ、荒野」は、ふたりのボクサー志望の少年の話である。昨年末、蜷川幸夫演出、松本潤・小出恵介主演で舞台化された。「なぜ、今...」と僕は思ったが、蜷川幸夫にとって「天井桟敷」の寺山修司、紅テント「状況劇場」の唐十郎は同時代人であり、先行する気になる演劇人だったのだろう。

寺山修司は菅原文太の要請に応えて、東映で「ボクサー」(1977年)という映画を監督した。元チャンピオンが菅原文太、若いボクサー役は「失恋レストラン」をヒットさせ人気があった清水健太郎である。当時、「へぇー、寺山修司が東映作品ねぇ」と、商業映画とは一線を引いているようだった寺山修司が監督を引き受けたことに驚いた。ボクサー映画だから監督したのだろう。

先日、寺山修司作だと聞いた「ふりむくな ふりむくな 後ろには夢がない」というフレーズを探したくなって、自宅にある寺山修司の本を見てみたら「ポケットに名言を」という文庫本が出てきた。10年前に買ったものだ。寺山修司が亡くなったのは29年も前なのに、10年前でもまだ文庫が入手できたのだ。その中で寺山修司は、こんなことを書いていた。

──少年時代、私はボクサーになりたいと思っていた。しかし、ジャック・ロンドンの小説を読み、減量の苦しみと「食うべきか、勝つべきか」の二者択一を迫られたとき、食うべきだ、と思った。Hungry Youngmen(腹の減った若者たち)はAngry Youngment(怒れる若者たち)になれないと知ったのである。

ちょっと言葉遊びのような感じがしないでもないけれど、元来、寺山修司は言葉を操るのに長けた人だった。あの有名な「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」という短歌は、彼が10代で書いたものだ。早熟な才能だった。その後、20代半ばで戯曲やシナリオを書き、30代半ばで「書を捨てよ、町に出よう」(1971年)を監督し、サンレモ映画祭でグランプリを獲得する。

しかし、僕は寺山修司の監督作よりシナリオを担当した作品の方が肌に合う。主に篠田正浩監督と組んだものだが、初期の「涙を、獅子のたて髪に」(1962年)や「無頼漢」(1970年)は印象深い作品だった。その頃、松竹には寺山の早稲田大学時代の仲のよい友人だった、山田太一が助監督として木下恵介監督の下にいた。昔、映像作家かわなかのぶひろさんの作品を見ていたら、寺山修司の葬儀が記録されていて弔問にきた山田太一が写っていた。

寺山修司がシナリオを書いた、東陽一監督の「サード」(1978年)も僕の好きな作品である。人を殺して少年院に収容されている「サード(三塁手)」と呼ばれる少年(永島敏行)の苛立ちを描いた作品だった。サードはガールフレンドの売春を斡旋し、相手のヤクザとトラブルになって殺してしまい少年院にいる。面会にくる母親(島倉千代子)にも心を開かない。サードがダイヤモンドを何度も何度も全速力で走るシーンが記憶に残っている。

収容されている少年たちの中に、「短歌」と呼ばれる少年がいる。彼は、短歌で少年院の生活を描写する。彼が口にするのは短歌だけだった印象がある。その短歌がよくできていて、いかにも寺山修司らしい味付けになっていた。登場する少年少女は全員が渾名で、少女たちは「新聞部」「テニス部」と呼ばれ、「サード」とつるむ少年は「2B」だった。

●言葉を魔法のように自由に操った寺山修司のセンス

「涙を、獅子のたて髪に」というタイトルを映画雑誌で見たのは、高校生のときだったろうか。「なんて、かっこいいタイトルなんだろう」と10代半ばの僕は興奮した。詩の一節を口ずさむように、ときどき僕は「涙を、獅子のたて髪に」とつぶやいた。このタイトルは寺山修司のセンスに違いない。主演は藤木孝と加賀まりこである。しかし、映画そのものはなかなか見る機会がなかった。

ようやく「涙を、獅子のたて髪に」を見たのは公開から20年以上がたったときだった。公開当時、ロカビリーの人気歌手だった藤木孝の不良性が観客にはストレートに受け取られたのだろうが、そんな時代の雰囲気に寄りかかった要素がはぎ取られた結果、僕には古さばかりが目立った。加えて、物語がエリア・カザンとマーロン・ブランドの「波止場」(1954年)に似ている気がした。

もっとも、古さを感じながら見ていると、逆の面白さが湧き上がってきた。「こんな昔から、こういう感性があったのか」という驚きである。若者の風俗を描いている部分が古くなるのはやむを得ないのだが、いつの時代も同じなんだなあと思わせるものが随所にある。それに、加賀まりこが幼くて可愛いのが発見だった。若き岸田今日子がアンニュイな雰囲気を醸し出し、妖女ぶりが楽しかった。

もしかしたら寺山修司はマーロン・ブランドが好きだったのだろうか、と「涙を、獅子のたて髪に」を見終わったとき、不意に思った。物語は、間違いなく「波止場」にインスパイアされている。それにマーロン・ブランドには、「若き獅子たち/THE YOUNG LIONS」(1958年)という作品がある。「涙を、獅子のたて髪に」の4年前の公開だった。

「無頼漢」は、上京して初めて封切館で見た日本映画だった。安い名画ではなく高い入場料を払ったのだから、よほど見たかったのだ。篠田正浩監督作品で、仲代達也、丹波哲郎、岩下志麻、太地喜和子らが出ていた。原作は河竹黙阿弥だった。いわゆる「天保六花撰」の話である。仲代達也は直侍こと片岡直次郎、丹波哲郎は河内山宗俊、岩下志麻が三千歳、金子市之丞が米倉斉加年、暗闇の丑松が小沢昭一、森田屋が渡辺文雄だった。

僕は、歌舞伎に関しては何の知識もないので、「無頼漢」を見たときも元ネタがわかるまでに時間がかかった。友人のTが「無頼漢」を見た後、僕の下宿にやってきて、「あれ、天保六花撰だぜ」と言ったときも僕はキョトンとしていた。「『とんだところに、北村大膳...』ってセリフがあったろ。『きた』と『きたむら』をかけてて、いかにも歌舞伎だろ。寺山修司はああいうところ、ホントに言葉のセンスいいよな」とTは言った。

歌舞伎の見せ場なのだろうが、河内山宗俊が高僧に化けてある大名屋敷に乗り込み大金をせしめて帰ろうとしたとき、「あいや、待たれい」などと言いながら北村大膳なる者が現れ、お数寄屋坊主の河内山宗俊だと正体がばれるところで「とんだところに、北村大膳」という七五調の長台詞を丹波哲郎が言う。語呂がいいから、一度で耳に残る。元は歌舞伎らしい、と僕も気付いてはいた。しかし、Tに言われるまで、僕は脚本が寺山修司だとは気付かなかった。

●夢は前にしか存在しないことを気付かせてくれた

前述のように、先日から「ふりむくな ふりむくな 後ろには夢がない」というフレーズの出典を探していた。「さらばハイセイコー」という詩だ。しかし、僕が持っている寺山修司の詩集には入っていなかったし、何冊か持っている本を探しても出てこなかった。なぜかネットで検索するという発想が浮かばなかった。寺山修司が29年も前に死んだ人だったからだろうか。

そんなとき、会社で営業部のTくんに呼び止められ、iPadで写真を見せられた。「寺山修司記念館ですよ」と言う。旅行好きのTくんは、最近、寺山修司記念館にいったのだった。妙な暗合に少し驚いたが、その写真を見せてもらった。記念館の入り口に等身大らしい寺山修司の写真が立っていた。青森県三沢市にあるという。

翌日、Tくんは記念館で買ったという分厚い資料集二冊と薄手のフィルモグラフィーを一冊を持ってきてくれた。それを眺めると、寺山修司という天才の幅広い活動歴がわかる。短歌、詩、小説、歌詞、演劇、映画など、あらゆる表現分野で実績を遺している。改めて、凄い人だったなあ、と思う。

僕は大学生の頃から浅川マキのアルバムを愛聴しているが、「かもめ」を始め寺山修司作詞の歌は多い。大ヒットしたのはカルメン・マキが唄った「時には母のない子のように」(元ネタはジャズの名曲だが)である。尾藤イサオが唄った「あしたのジョー」の主題歌は広く知られているけれど、フォーリーブスや郷ひろみの歌まで作詞しているとは知らなかった。

寺山修司は、競馬の世界でも有名だ。彼は、終生、競馬を愛した。競馬好きが昂じて、馬主にまでなった。「たかが競馬、されど競馬」というフレーズも寺山が書いて広まった。僕が探していた「ふりむくな ふりむくな 後ろには夢がない」というフレーズも競馬を描いたものである。

そのフレーズに僕が強く反応したのは、僕自身が「夢」にこだわっているからだろう。僕は人が生きることには、本来、何の意味もないと思っているが、生きる意味を生み出すのが「夢」だと考えている。人は何らかの生きる意味を持って生まれてくるのではなく、自分で生きる意味を創り出すしかない。それが「夢を持つこと」なのだ。

どんな「夢」だっていい。人に話したら笑われるかもしれない「夢」でも、その人にとっては「夢」である。「夢」を抱かずに生きるのは辛い。「夢」を持たず、さらに何の希望もなくなれば、生きている必要はなくなる。そして、「夢」は前にしか存在しない。実現した「夢」は、「夢」でなくなる。過去に「夢」はない。後ろに「夢」はない。だから、振り返っても意味はない。

そんな風に考えていた僕に、「ふりむくな ふりむくな 後ろには夢がない」というフレーズは深く深く落ちた。それは、ハイセイコーという名馬の引退を惜しんで寺山修司が記したものだという。何頭もの馬がゴールをめざして疾走するイメージが頭に浮かんだ。「ゴール=夢」をめざし、ただ前を向いて走っている馬たち。「ふりむくな」か...、何てうまい言葉を使うのだろう。

結局、ネットで検索したら簡単に「さらばハイセイコー」という詩がヒットした。「ふりむくと...」という言葉で始まるパラグラフが17回くり返され、18回目のパラグラフにようやく「ふりむくな ふりむくな 後ろには夢がない」というフレーズが現れる。そして、そのパラグラフの最後は、こう締めくくられていた。

ハイセイコーがいなくなっても
全てのレースが終わるわけじゃない
人生という名の競馬場には
次のレースをまちかまえている
百万頭の名もないハイセイコーの群れが
朝焼けの中で追い切りをしている地響きが聞こえてくる

そう、夢を追ったのはハイセイコーだけじゃない。夢を実現したのもハイセイコーだけではない。百万頭の名もない馬たちが、みんな、夢を追って馬場を駆け抜けているのだ。絶え間なく、次から次へ、永遠に...続いていく。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >

このテキストが出た翌日は、内藤陳さんの帰天祭です。日本冒険小説協会会長だった陳さんは神であり、神が天に帰ったのですから帰天祭というわけです。4時から5時半まで一般弔問客の献杯を受付け、6時半からは関わりのあった人たちが集まって帰天祭の予定。場所は椿山荘。僕は、初めて椿山荘にいきます。

●第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」受賞!! 
既刊三巻発売中
「映画がなければ生きていけない1999-2002」2,000円+税(水曜社)
「映画がなければ生きていけない2003-2006」2,000円+税(水曜社)
「映画がなければ生きていけない2007-2009」2,000円+税(水曜社)
●電子書籍版「映画がなければ生きていけない」シリーズがアップされました!!
「1999年版 天地創造編」100円+税
「2000年版 暗中模索編」350円+税
「2001年版 疾風怒濤編」350円+税
「2002年版 艱難辛苦編」350円+税 各年度版を順次配信
< https://hon-to.jp/asp/ShowSeriesDetail.do;jsessionid=5B74240F5672207C2DF9991748732FCC?seriesId=B-MBJ-23510-8-113528X >

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■Otakuワールドへようこそ![146]
セーラー服着たおっさんが入れない意外な店

GrowHair
< http://bn.dgcr.com/archives/20120203140100.html >
───────────────────────────────────

●まさかの入店拒否、しかもそのお店とは......

セーラー服を着て外を出歩くのも、1月29日(日)で38回目になった。もはや私にとっては日常である。夏服、冬服をそれぞれ2着ずつをローテーション、一年中いつでも着て出かけられる態勢が整っている。どこへ行くのもまったく平気。まわりは驚いたり笑ったりしてても、こっちはどこ吹く風の平常心。

最初はそうはいかなかった。まず、人に訳を聞かれたときの答えを用意しておかなければ、というより、自分への言い訳が必要だった。神奈川県鶴見にある通称「ラーメンショップ高梨」が掲げる「30歳以上、セーラー服で来店、ラーメン1杯タダ」の企画に乗っかることで、なんとか敷居をまたぐことができた。

それは去年の6月11日(土)のこと。西武新宿線、山手線、京浜急行を乗り継いで行ってきた。スカートがスースーするだけでなく、心にもなんだか冷たい風がスースー吹きぬけるような感覚があり、まるで自分が自分でないようであった。

それが2度目、3度目となり、特に何も起きないと分かってくると、次第に大胆になっていった。普段行くところは一通り行っておこう。通勤は別として。めったに行かないところにも行ってみよう。コンビニ、スーパー、喫茶店、ハンバーガーショップ、ラーメン屋、カレー屋、回転寿司、中華料理屋、そば屋、ケーキ屋、漫画喫茶、居酒屋、カラオケ、メイドバー、乙女喫茶、スナック、キャバクラ、女装バー、靴屋、本屋、家電量販店、百貨店、画廊、銀行、郵便局、不動産屋、制服専門店、紳士服専門店など。

入店拒否されることは一度もなかった。なので、どこへ入っても大丈夫なものだと思うようになっていった。12月10日(土)までは。青天の霹靂、まさかの入店拒否。その店とは、秋葉原にある「m's(エムズ)」である。大人のデパート。皆様の性生活を応援するアダルトグッズのお店。6階:コスチューム、5階:ランジェリー、4階:コンドーム、ローション、ほか、3階:バイブ、ローター、SM 用品、ほか、2階:オナホール、ダッチ、1階:DVD&Blu-ray、地下1階:DVD&Blu-ray。
< http://www.ms-online.co.jp/pc/ >

セーラー服の下に着るキャミソールを入手したかった。1階でエレベータを待っていると、店員に声をかけられる。「制服の方はお断りしているのですが」「えっ?」「入り口にも張り紙がしてあります」「そうでしたか」。仕方なく店を出た。けど、納得いかない。セーラー服着たおっさんなんて、こういうお店にとっては歓迎すべき上客なんじゃないの?

もしかして未成年に見えたとか? いや、いくらなんでもそれはないな。ツイッターではよく60だ70だとつぶやかれる風貌だし。実際は49歳だけど。なら、もしかしてアルバイト店員のマニュアル対応? 未成年を入店させるとマズいので、マニュアルに学生服着用者は入店をお断りするように、とか書いてあって、それを杓子定規に守っただけ、とか?

そこを確認してみたく、後日、店に電話してみた。そしたら、あれは間違いではなく、店のポリシーとして、年齢・性別を問わず、学生服での来店お断りなのだそうだ。理由は? 警察からそういうふうに指導を受けているから。にわかには信じがたい。学生の格好をしていようと、成人を入店させることになんら違法性はあるまい。店側が勝手にビビッてるだけなんじゃないの?

「指導内容を文書で残してありますか?」「それはないですが」。警察からの指導は、ほとんどいじめとかいちゃもんに近い、理不尽なものなのだそうだ。このテの店に対し、風当たりが非常に強いらしい。

権力の座に長いこと胡坐をかきつづけて、その精神においてほぼ四つ足動物のレベルまで堕しているあの集団のことだ、そういうこともあるのかもしれない。たとえ合法的に営業していようと、面倒くさい問題の起きそうな感じのする店舗は、いじめて追い出してでも排除して、仕事を減らしたい、と。そんな感じはなんとなくする。あの合法武装チワワ軍団からは、オレもさんざんイヤな目にあって、ついカッとなりそうなのを、公務執行妨害扱いされても困るんで、我慢してるからなぁ。

そう考えると店にも同情できる。「30人ほど従業員を抱えてまして、営業停止を食らうわけにはまいりませんので」。うーむ。それで、買うかもしれないお客を追い返さざるを得ないとはなぁ。それにしても、セーラー服着たおっさんを入店拒否する、今までで唯一のお店がアダルトグッズ店だとはなぁ、なんとも皮肉なことよ。

私は50年近く生きていても、まだまだ世の中のことがよく分かっていない。だからこういう実験社会学的アプローチは有用なのだ。今後もこつこつと地味に研究を積み重ねていきたい。

●セーラー服で初のコミケ

たいていのところにはセーラー服を着て平気で行けちゃうようになった私であるが、ひとつ、敷居が高くてなかなか一歩を踏み出す勇気が起きない場があった。コミケである。同じ東京ビッグサイトで開かれるイベントでも、デザフェスはまるで私がセーラー服で歩きまわるために用意されたかのような場であるのと対照的だ。空気が違うのだ。

第一に、キャラのコスプレではない。コミケでは、おっさんのメイドさんやら、美少女戦士やら、リリアン女学園の山百合会の薔薇様たちやら、ローゼンメイデンのドールたちやら、うじゃうじゃいるので、女装自体は何の違和感もない。けど、私は普通にセーラー服を着ているだけであって、キャラに扮しているわけではないってとこが、ズレてる。

第二に、コミケはコスプレ来場禁止である。このことの意味を語るには、オタク&コミケの歴史を紐解かねばなるまい。コミケの36年の歴史において、つい最近までオタクは世間から珍獣と同等に見られたり、犯罪者予備軍として危険視されたりする、虐げられた存在だった。

我々第一世代オタクは、自分の好きなものにのめり込んでいたら、気がついてみると世間一般の価値観からズレた、奇異な存在になっていたけど、まあ、好きなもんは好きなんだから仕方ないよね、と、ある程度諦念をもってオタクであることを受け入れる傾向にあった。もっとも'90年代のマスゴミの偏見報道には腹が立たないわけではなかったけど。

しかし、下の世代になると、迫害されている私たち、と、神経をピリピリさせがちであった。子供ではない年齢になっても漫画・アニメ・ゲームが好きだってだけなのに、何で珍獣、変質者、宇宙人扱いされにゃあかんのだ、と。

いずれにせよ、世間から後ろ指さされる材料をむやみに提供しないようにしよう、という暗黙の申し合わせができていて、団結心、連帯感をもって互いに結びついているムードがあった。特に、コミケのような大規模なイベントでは、少数の来場者の逸脱行為が事件として扱われるような事態が発生すれば、存続が危ぶまれる可能性だってある。

だから、こういう申し合わせを破ると、オタクを敵に売った裏切り者とみなされ、たいへんに叩かれるのである。オタクによるオタク叩きはけっこうキツい。私の場合は、普段の週末だって着て出歩いてるわけだから、コスプレではなく普段着だ、という理屈が成り立たないわけではないが、まわりがそう見てくれるかどうか。

12月30日(金)、山根さんちで酔っぱらっている武さん(※)に説明すると、武さんはまったく納得してくれなかった。激しく批判を投げかけてくる。「アイデンティティを引っ込めてまで何しにコミケに行くのだ!」。うーーーん、ごもっとも。オタクがコミケで縮こまっていてどうするよ!

(※)デジクリにチャット形式で「武&山根の展覧会レビュー」を書いている武盾一郎さんと山根康弘さん。

こういう経緯を経て、あまり気は進まなかったが3日目の12月31日(土)、セーラー服を着てコミケに行った。入場待機列の刷けた昼ごろ行ったので、すんなり入れた。スタッフから声をかけられることはなかった。

コスプレ広場へ。キャラのコスではないので、自分としてはコスプレイヤーという認識はまったくなく、あくまでもカメコとして。......のつもりだったのだが、意外とカメコさんたちから撮影リクの声がかかる。デザフェスでは撮られ慣れていても、ここでは面食らう。ニコ生で配信中という人からインタビューを受けた。後日、YouTube に上がっているのを見つけた。「C81コミケ会場にセーラー服おじさん現る(2011.12.31)」というタイトルで。
< >

この動画のことはツイッターでもちょっと話題になったりしたが(面白いとか、キモいとか)、今はすっかり過去のものとなり、閲覧数は約1,500でほぼ止まっている。数を気にするわけではないけど、同じ日に同じ人が収録したとみられる「C81コミケ会場で10歳のレイヤーに声かけ事案発生(2011.12.31)」のほうは軽く5万件を超えているのはちょっと納得いかない。オレのほうが面白いと思うけどなぁ。需要の差が如実に数字に表れていると言えよう。

帰り。ビッグサイトから出たところでスタッフに呼び止められる。「コスプレではここから出られません」。ちょっと緊張が走る。出られませんと言われても着替えがあるわけでなし。「えーっと、普段着なんですけど。いつも週末はこんな格好でして」。冷や汗たらたらの言い訳。笑って許してくれた。ほっ、助かった。

次回以降、すんなり出入りできるようになるためには、キャンディ・ミルキィさんや安穂野香さんぐらい有名になっておけばいいってことかな? あるいは、女装が大流行りして珍しくなくなってる、とか。みなさん、ご協力よろしく。

●女装子の集うカラオケバー

池袋に女装・ニューハーフ・女子のいるカラオケバー「J's BAR CROSS DRESS」を見つけたのは12月7日(水)のことである。池袋は通勤の乗換え駅で、仕事帰りに晩飯を食うことが多い。この日もなじみの四川料理の店に寄り、その後、腹ごなしに軽くぶらぶらしていた。

「女装」の文字が目に飛び込んでくる。こんな看板、前からあったっけ(後で聞くと店は9月ごろオープンしたが、通りに看板を出したのはつい最近だそうである)。
< http://crossdress.cloud-line.com/ >

私はノンケなのでそれほどときめかないけど、何かの勉強になるかと入ってみた。カウンター7席ほどとテーブル席8席ほど。カウンターの向こうには「おネエさん」が3人。暖かく迎えてくれる。お客さんにも女装子さんがいる。こういう方々って、社会一般からはあまりウケがよろしくなく、日陰者として傷つきながら生きてきたのだろうか。感性がとても繊細で、人に対して優しいのである。そういうところが、たいへん居心地よい。

飲み物の選択肢は限定されるけど、飲み放題、歌い放題コースで1時間2,500円という安さも嬉しい。勉強になったと言えば、そっちの世界の用語をいくつか教えてもらった。解説しているとデジクリの品位が著しく下がりそうなので自粛するけれど、興味のある方は、たとえば「ところてん ホモ」ぐらいでググってみれば、ところてんの特殊な意味を知ることができるであろう。

近くにハッテン場があるのをお店の人から教えてもらったが、残念ながらノンケの私には不要な情報であった。なんかすご〜く繁盛していて、順番待ちでなかなか入れないらしい。腐女子の妄想の世界だけかと思ったら、リアルでもホモって増えているのだろうか。この不景気の世にあって、ハッテン場は発展産業なのか。

ユングの心理学に「アニマ」と「アニムス」という用語が出てくる。簡単に言っちゃうと、男性の内面に住む女性的な像をアニマと言い、逆をアニムスと言う。宴会などで男性が戯れに女装して、ウケをとるためにわざとらしく女性っぽい仕草や言葉遣いをすると、たいてい非常に気持ちが悪い。それは、その男性のもつアニマがとても貧弱であるからにほかならない、と私は考えている。

男性でも、その道を極め、アニマが洗練されてくれば、気持ち悪くないのではなかろうか。そのあたりも勉強したいポイントであった。お店の人で、どっからどう見ても女性という人がいた。容姿だけでなく、声も、しゃべり方も、発想も、すべて完璧に女性。「失礼ですけど、あなたは女性ですよね?」「お金かけると、ここまでできちゃうのよぉ♪」「えっ!」。

聞けば、トイレも女子用に入り、誰も怪しまないそうである。うん、むしろこの人が男子用に入ってきたら、ビビる。「女子用はあちらですよ」とか言っちゃいそう。アニマというより、アイデンティティが完全に女性だ。なんか「完璧」って意外とあんまり面白くなかったりするもんだな、とさえ思えた。

2度目は12月10日(土)、セーラー服を着て行った。3度目は1月21日(土)、やはりセーラー服で。もはや常連になりつつある。木を隠すなら森の中、女装子を隠すなら女装バー。って隠れてないか。1月13日(金)には新宿店がオープンしている。
< http://crossdress-shinjyuku.cloud-line.com/ >

世間から踏んづけられて、かえって強くたくましくなって生きているという点では、オタクもオカマも同じ穴のムジナなのかもしれない。麦踏みみたいなもんか。ところで、女子高生の真似なんかして短いスカートに生足さらして表を歩いていると、非常に寒い。けど、不思議と風邪ひきそうな気配がまったくない。この健康法、何と呼ぼう。あ、バカは風邪ひかない健康法か。お薦め。セーラー服着て女装バーに行って健康を増進しよう!

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

カメコ。1月28日(土)には奈良に行ってきた。セーラー服を着て新幹線に乗るのは二度目。前回の9月24日(土)と目的地は同じ。耽美でダークなパフォーマンスグループ「Rose de Reficul et Guiggles」のロウズさんが経営する淑女雑貨のお店「Toe Cocotte (トゥ・ココット)」である。このグループは映像作家寺嶋真里さんの『アリスが落ちた穴の中』に出演しており、寺嶋さんと一緒に行こうという話を去年の8月からずっとしていたのであった。ところが寺嶋さんは上映会や新作の制作などで非常に忙しく、待ちきれなくなった私は9月に一人で行っていた。
< http://toecocotte.com/ >

今回、やっと一緒に。京都で学生時代を過ごした寺嶋さんは、そのあたりに知合いが多く、2日前から先に行っていた。で、土曜日に京都駅で待合せた。前回は一人だったので、自分の写真が残っていないが、今回は寺嶋さんに撮ってもらえた。新幹線ホームの下のコンコースで。

修学旅行の季節ではないけれど、一組遭遇した。写真を撮っている時点ではほとんど気づかれていなかったが、その後、堂々と横を歩いたら、めっちゃ笑われた。彼らが後になって、京都で何を見て来たかと振り返るとき、私の姿だけが記憶に鮮烈に刻み込まれ、他が霞んで何も思い出せないなんてことになってたら、すまぬ。しかし、笑うと免疫力が高まり、健康が増進されるというから、その点では私などは表彰されてもいいレベルだと思う。
< https://picasaweb.google.com/107971446412217280378/Kyoto120128 >

寺嶋さんの映像収録以降、ロウズさんのグループに新メンバーが入った。Yuwanちゃん(5歳)である。前回行った時点で、すでに一回ステージに上がっているそうである。もうすでにパフォーマーとしての自覚が出来上がっているのか、カメラを構えると、ポーズをとったり、笑ったりと、絵になることをしてくれる。かわいいかわいい。すばらしい被写体。撮れば撮るほどリラックスしてきて、絵が面白くなっていく。

セーラー服着たおっさんがべろべろに酔っ払いつつ、5歳の少女を激写、って図もなんだかシュールな感じがしないでもないが。気づくと300枚近く撮っていた。撮られ慣れてると思ったが、実はそうでもなく、ロウズさんによれば、今まで初めて会った人からカメラを構えられても、あんまりいい表情はしてくれなかったそうである。うん、相性かな。今からツバつけとけば、などと頭をよぎったが、聞けばすでに彼氏がいるそうである。なんと、出遅れたか。
< https://picasaweb.google.com/107971446412217280378/Yuwan110924 >

私は日帰りで東京〜京都〜奈良〜王寺〜天王寺〜新大阪〜東京と回ってきたが、このところツイッターを検索しても、目撃情報がめっきり少なくなってきた。こういうオッサンがいるって情報がすでに世の中に行き渡り、あんまり驚かれなくなったってことだろうか。環境がオレに適応してきた、と。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■編集後記(02/03)

・グルメドキュメンタリードラマ「孤独のグルメ」を見た(テレビ東京系、水曜深夜0:43)。深夜番組どころか、最近は10時以降にテレビを見たことがない。たまたま新聞にこの番組の記事が載っていたので、初めてその存在を知った。これは見なければならない。地デジチューナでHDD録画しておき、真っ昼間に再生して見た。原作は「週刊SPA!」に不定期連載中だという。まだ続いていたのか。1997年に発行された単行本は持っている。原作は久住昌之、作画は谷口ジローである。このドラマは、主人公がぶらりと入った店(実在の大衆向けの店)で料理と対話する(脳内で独白する)というストーリーで、ドラマらしい出来事はほとんど起こらない。この回(第5話)は杉並区永福町の釣り堀&食堂で、親子丼と焼うどん、さらにお汁粉をひたすら食べながら、食の信念(うんちくではない)を独白する。エンドタイトルが出た後で、作者の久住がドラマの舞台になった店を訪れ食べながら語るコーナーがあって、この人の軽妙なキャラがナイス。ドラマの主人公は松重豊。なんか魚っぽい顔だ。妙なすごみがある。違うような気がする。もちろん、単行本を取り出して全18話を読む。何度目になるのか。絵のクオリティの高さにほれぼれ。じつに味のある漫画だ。このビミョーな感覚は実写ドラマでは無理じゃないかな。(柴田)
< http://www.tv-tokyo.co.jp/kodokunogurume/ >
「孤独のグルメ」公式サイト
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/459405644X/dgcrcom-22/ >
→アマゾンで見る(レビュー118件)

・黒のタートルネックとジーンズ、眼鏡の男性が、AdroidタブレットをプレゼンしているCM。ぎりぎり? 台湾メーカーのCMなんだって。/Siriを使っていると、なるなるあるある。スコットランド訛りも受け付けてもらえないのか。/フランス語はまったくダメ。フランスに行ったら「新聞くれ」と言えばいいらしい。「S'il vous plait(お願いします)」に空耳するらしい。/スマートフォン所持者。今や20%超。一番多いのが20代男性で約40%。60代男性も10%ほどいらして、凄いなぁと。と言っても今の60代って見た目も精神も若いよね。いわゆるガラパゴスケータイ、ガラケーはフィーチャーフォンと呼ぶそうな。機能特化型という意味らしい。(hammer.mule)
< >
Action Pad
< >
Siriの日本語版よ、早く出てくれー
< http://kakuseix.com/main/mest.html >
かの有名な「インド人を右に」