ローマでMANGA[50]糸は「ちばてつや」だった/midori

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今回、「ローマでMANGA」というタイトルで書き始めて50回目の節目を迎えました。この節目に、今後は話題をちょこっと変えようと思うに至ったきっかけが起こったとは、神様はお見通しだったのか......。

話題を変えようと思ったきっかけは、先日来伊された東京大学大学院教育学研究科教授の白石さやさんにお会いしたこと(お会いした当初は互いに「先生」と呼び合っていたけど、白石さんのほうから「先生はやめましょうか」と言ってくださって苗字+さんで呼びあいました)。

白石さんはコーネル大学の文化人類学部で東南アジア研究のPh.Dを取得し、国民国家、近代的学校教育、近代家族、近代的子供期等の研究をされてきましたが、1990年代頃から東南アジアの子ども達の生活がマンガやアニメによって大きく変化してきたこと、それがアメリカや欧州での普及の仕方と異なることから関心をお持ちになり、15年余りにわたって世界の各都市での調査を重ねて来られたとのこと。

その調査をもとに「文化のグローバル化モデル」として本にまとめたいとお考えで、「欧州での普及に関しては『Candy Candy』以来の先進国としてのイタリアを見逃すわけにはいきません」ということでイタリアにいらっしゃり、日本アニメを吹き替えている声優、オタクたち、マンガ学校の生徒に混ざって私もインタビューを受けました。

講談社のモーニング編集部で「ローマ支局」をしていたことや、イタリアでのマンガの推移、日本MANGAの広まり方など、知っていることや私の考察をお話するととても面白がって、「こういうこと本に書いてくださいよ」とまで言ってくださったのでした。

日本の大学で「マンガ科」なるものが設置されていること、それが増えていることは知っていますが、そのほとんどが専門学校のようにMANGAの描き方を教えることに止まってことに不満を覚え、大学であるからにはMANGAについて分析と考察をする学科があってもいいのではと常々思ってました。

この件には白石さんも同意見で、それが生まれない背景には、MANGAを考察の対象とする人が少ないことや、情報の蓄積がないのだとのご意見でした。私の経験や知識がそうした情報蓄積の一部になれば、今までしてきたことも無駄ではないと強く思い、その発表をとりあえず置いておく場にこのデジクリが最適と、今回から私とMANGAとイタリアの関わりを、過去に遡って情報蓄積したいと思います。

第一回目は題して「糸は『ちばてつや』だった」




私がイタリアに住んで、MANGAに関わった仕事や活動をするようになったのは「ちばてつやさん」のせいというのは嘘だけど、なにかつながりの細い糸はある。私とちばてつやさんの間に介するのは講談社だ。

もったいぶってないでさっさと言うと、まず、1962年に創刊された講談社の「少女フレンド」で読んだちばてつや氏の「ユキの太陽」で、8歳の私は頭をぶん殴られたという"事件"がある。

それまでも少年誌でちば氏の作品は読んでいた。でも私は女の子である。「ちかいの魔球」は面白く読んだけど、ちょっと距離があった。「ユカをよぶ海」や「リナ」も読んだはずだけれど、頭をぶん殴られなかった。なぜなのかは謎。この二話を読んだ時はまだ小さすぎたのかもしれない(字を読めるようになったのは早かった)。

ユキが私と同年代という設定だったせいか、少女マンガなのにそれまでのよよと泣き崩れる主人公と違って元気いっぱいだったせいか。。。

第一話は、孤児のユキが孤児院に迎えに来た里親のおじさんの頭を、嬉しくてシャベルでぶん殴ってしまうところで終わった。私は続きが読みたくて読みたくて、じっとしていられない一週間を過ごし、また次の週も続きを読みたくて読みたくて、毎週50円を握って近所の薬局へ「少女フレンド」を買いにいくのが楽しみで仕方がなかった。

大きく時間が飛ぶ。短大を出た友だちが講談社の子会社に就職し、「少年マガジン」編集部に配属された。私を買ってくれていたその友人が、「少年マガジン」の編集者を紹介してくれた。その編集者、阿久津さんが、ちばてつやさんの担当編集者だったのだ。当時は「あしたのジョー」の連載中だった。

だから、ちばてつやさんとは直接面識がないのだけれど、私の中では人生の転機の中で姿を表した方なのだ。阿久津さんには私の絵を見てもらったりしたけれど、少年誌には合わずに仕事には発展しなかった。でも、友だちも交えて時々お寿司をご馳走になり、編集の仕事の話を聞くのは大きな楽しみだった。

それから話はさらに4年後に飛ぶ。私が大学を卒業したのは、不況不況と言われていた年だった。実際、4年制への募集は一件しかなかった。女子の四大卒は大いに敬遠された年だった。

私も他の同窓生も、それぞれに入社試験を受けに行ったのだった。私はどこもかしこも落ちて、知り合いを通じて籐家具の製造販売会社に就職した。「デザイナー」という触れ込みだったけれど、まずは現場からということで販売店へ回された。

本当にデザイナーとしてやる気があれば、自分でどんどんデザインして案を上げていけばよかったのだけど、立体ものはどうも...やりたかったのは平面だし...と自分で境を作り、不満をためながら販売員に一年半ほど収まっていた。

1978年、同じ学部に通って卒業後も付き合っていた友人Yに二人でヨーロッパを旅行しようと提案された。不満だった就職先を未練なくあっさり辞めて、3か月の南ヨーロッパ旅行に出発。イタリアに恋して「一年は住んでみたい」という思いを胸に帰国。その思いを実現すべく派遣店員でお金を貯めて、翌年、またイタリアのローマの地を踏んだのだった。

ローマでは土産物屋さんで働いたり、語学学校に通ったりしながら、私はある下心を持って講談社にコンタクトをとった。下心とは、ゆくゆく何か仕事になっちゃったりして......というものであり、イタリアで発売されるマンガ月刊誌をことごとく購入し、出版社、版型、掲載作品の作者名、タイトル邦訳、内容のあらすじなどを書いて阿久津さんに送るというものだった。

これが、その後の私のイタリアにおけるマンガとMANGAに関わっていく道をつけたことになるわけ。これも、神の思し召しではないかと思ってしまうのだが、私がイタリアを訪れた1978年というのは、それまでのイタリアにおけるマンガのあり方を一変するマンガ月刊雑誌が創刊され始めて間もない時、そして「一年の予定で」再び戻ってきた1979年以降は、次々とマンガ月刊誌が創刊されたのだった。

その後、5年程度でこのムーブメントは消えてしまうのだが、ちょうど、創刊ブームの時に長期滞在しに来た、というのは、もう、運命としか言えないでしょう。

それまでのイタリアのマンガ界状況は知らなかったし、否、多くの日本人と同じように、世界中どこでもマンガがあるのは当たり前と考えていたので(自分にとって当然のことは他人にも当然とつい思ってしまいますよね)、イタリアのマンガ界がその時に大きく変わったのだとは、後になってわかってきた事実だった。

私がイタリアに来た時にあった雑誌は──

◯Diabolik(1962年創刊)
< http://www.diabolik.it/ >
< http://www.diabolik.it/popup_cronologia1.asp?id=16 >
姉妹作家が描くスマートな泥棒カップルの話。白黒単行本、毎回読み切り。

◯Tex(1973年創刊)
< http://www.sergiobonellieditore.it/auto/cpers_index?pers=tex >
カウボーイが主人公の単行本、白黒。単行本ごとに読み切りではなく、何号かにわたっての中編。作家、作画家、ペン入れ、表紙絵とチームで制作して週刊を可能にしている。出版社のSergio Bonelli Editoriでは、こうしたチームを幾つか作り、現在では30近くのタイトルを発行している。

◯Lancio story(1974年創刊)
◯Skorpio(1977年創刊)
< http://www.editorialeaurea.it/ >
どちらもEura Editoriale社刊。これは週刊だったような記憶がある。大きさは日本のMANGA単行本より若干大きめ程度。表紙はカラーで、内容は白黒。主にスペイン、スペイン経由のアルゼンチンの作家の作品を複数載せていた。つまり、この出版社が開拓、育てた作家のオリジナル作品ではなく既成の作品の出版権のみを購入して出版なので、安価で頻度の高い出版を可能にした、というわけ。

◯Linus
◯AlterLinus(1974年創刊)
◯Alter Alter(1977年創刊)
< http://www.slumberland.it/contenuto.php?tipo=rivista&id=2&nome=alterlinus_/_alteralter_/_il_grande_alter >
どちらもMilano Libriという出版社刊で、読み物とマンガが半々くらいの雑誌。版型は変形A4版(若干縦が短い)。

"Linus"は、ご存知、シュルツの「ピーナッツ」を主に掲載。他の二誌はヨーロッパマンガに興味がある人なら知っている、フランスの作家メビウスの作品も時々載せていた。

アルゼンチン、スペインでデビュー、活躍していたイタリア人作家を取り上げ逆輸入でイタリア人作家の技量を知らしめた(Hugo Pratt)。
セクシーコミックス「Valentina」の作家Guido Crepaxのデビューもこの雑誌。

私が阿久津さんに送るようになってから、この雑誌からSergio Toppi, Filippo Scozzari, Andrea Pazienzaという後の(と言ってもほんの数年なのだけど)大御所を輩出し、新しいイタリア・コミックス・ムーブメントを起こした「バルボリーネ・グループ(Mattotti, Carpinteri, Igort, Jori, Kramsky)」の作品を載せ、実験的コミックスを世に出した。同時期、「悪い子達」の雑誌が次々と出た。読み物も多く、マンガも読み物もタブーを無視したアングラ的内容。

◯IL MALE(悪)(1977年創刊)
実験的な作品ばかり載せた月刊誌。

◯Il Cannibale(食人)(1979年創刊)
Vincenzo Sparagna というジャーナリスト、作家、イラストレーターがIL MALEから離れて作った雑誌。

◯Frigidaire(不感症)(1980年創刊)
< http://www.frigolandia.eu/catalogo_frigidaire_1_24.htm >

Sparagna 氏が実験的、意欲的作家群Stefano Tamburini、Filippo Scozzari、 Andrea Pazienza、Massimo Mattioli、Tanino Liberatoreと共に創刊。先に記述した「バルボリーネ・グループ」に名を連ねた作家がほとんど。その中で雑誌創刊に関わっていないが、作家としてIgortも参加。このIgortが後に講談社モーニングと関わりを持ち、私が引きこまれていく。
Igort < http://www.igort.com/home.html >

◯Corto Maltese(1983年創刊)
Fumetti RIZZOLI/MILANO LIBRI, Collana CORTO MALTESE RIVISTA

イタリアの大手出版社Rizzoli、後にMilano Libriから創刊された「良い子の」マンガ雑誌。アングラ的ではなく、ちゃんとストーリーがあり、伝統的なイタリアコミックスと比べて洗練された絵柄のマンガ作品を載せた。

雑誌タイトルと同名の、大御所Hugo Prattが1966年から描いているストーリーを表看板に持ってきた。先出のCrepaxやPazienzaも名を連ねた。ここで連載を始めた柔らかい線のMilo Manaraが大人気を博した。この作家は各雑誌で引っ張りだこになり、読者の食指を動かすために大々的に掲載をうたいながら実際はカラーイラスト一枚の掲載だったりして、読者の当てがはずれて少しづつ漫画雑誌の読者離れを引き起こした間接的原因となった、と私は考えている。
Milo Manara < http://www.milomanara.it/ >

その他にも、

◯1989
スペイン、アルゼンチンの作家のSF専門誌。結構長く発行して、年代が進んでタイトルの1989年になってしまった時は一挙に2989(年)に改タイトル。この年に辿り着く前に廃刊。

◯Metal Hurlant
フランスの同名雑誌のイタリア語版。こちらもSF。

◯Pilot
< http://www.fumetto-online.it/it/ricerca_editore.php?EDITORE=NUOVA%20FRONTIERA&COLLANA=PILOT&vall=1 >
フランスの同名雑誌のイタリア語版。フランスコミックスの一般人の日常や愛憎の葛藤など描いた、ポップアート調の洒落た雰囲気の漫画雑誌。中とじで、見開きで一枚絵になる表紙も他の雑誌と違っていた。一枚、雑誌から表紙だけはがして額に入れて部屋に飾っていたことがある。

◯Comic Art
遅れて出てきた月刊誌。ローマの同名出版社刊。後にこの編集長兼出版社代表者と会ったこともあるけれど、その人柄からもいかにも「この形態が売れてるから便乗しよう」というだけで発刊、ポリシーがなく読んで気持ちのよい雑誌ではなかった。

イタリアマンガ界の概要を言えば、それまで幼児、子供を対象にしたビジュアル雑誌にほそぼそとギャク調の短編マンガか、大人向けの白黒ポケット版がいくつかある程度だった。

そこへ70年代の中頃に、オトナの文化的素養を持つ読者の鑑賞に耐えられる、美術的、社会的、哲学的な作品が出始め、70年代終わりから80年代始めにかけて怒涛のごとく現れた。私の渡伊の時期はそんな大事な時期と重なったわけだ。

(イタリアのマンガの概略については飛鳥新社刊「euromanga」2号の読み物「イタリアの漫画」で知識を得られます。下記アマゾンのURL、「中身検索」でこの記事の全文を読めちゃいます)
< http://www.amazon.co.jp/dp/4870319055/ >

さて、これで私の「情報蓄積」の下地塗りが完成。次回から私が関わった具体的な事例を紹介して組み立てていきます。

【みどり】midorigo@mac.com

国会中継みてますかー? NHKだと大事な所で切ったりするので、ぜひニコニコ動画で。民主党がどんな政治をしているのか、国民の義務として確かめましょう。たとえば、3月19日の参院予算委員会。
< http://www.nicovideo.jp/watch/sm17296977 >

主に料理の写真を載せたブログを書いてます。
< http://midoroma.blog87.fc2.com/ >