[3232] 存在感あふれる82歳の老優

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《大阪のオバちゃんに説明するというトレーニングも悪くない》

■映画と夜と音楽と...[538]
 存在感あふれる82歳の老優
 十河 進

■ところのほんとのところ[76]
 人のことが以前よりいとおしくなった
 所幸則 Tokoro Yukinori

■デジアナ逆十字固め...[124]
 大阪のオバちゃんに分かるように
 上原ゼンジ



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■映画と夜と音楽と...[538]
存在感あふれる82歳の老優

十河 進
< http://bn.dgcr.com/archives/20120323140300.html >
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〈第七の封印/野いちご/処女の泉/偉大な生涯の物語/ハワイ/さらばベルリンの灯/クレムリンレター・密書/エクソシスト/コンドル/ペレ/シャッター・アイランド/ロビン・フッド〉


●三人の助演男優賞受賞者の平均年令は78歳になる

今年のアカデミー賞の見どころは、やはり助演男優賞の顔ぶれだった。マックス・フォン・シドー、クリストファー・プラマー、ニック・ノルティの三人で平均年令78歳になる。51歳のケネス・プラナーが若く見える。30前のジョナ・ヒルは子供のようだった。平均78歳の三人にとっては、ケネス・プラナーが息子の世代、ジョナ・ヒルは孫の世代である。

一方、ゲイリー・オールドマンが、ジョン・ル・カレの「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」を映画化した「裏切りのサーカス」(2011年)で、ジョージ・スマイリーを演じて最優秀主演男優賞にノミネートされていた。プレゼンターは前年の最優秀主演女優賞受賞者が務めるから、今年はナタリー・ポートマンだ。彼女が「ゲイリー」と呼びかけたとき、一瞬、「レオン」(1994年)のワンシーンが浮かんだ。

僕としては最優秀主演男優賞はゲイリー・オールドマン、最優秀助演男優賞はマックス・フォン・シドーに獲ってほしかったが、賞レースにはそれほどの興味はない。ゲイリー・オールドマンも助演男優賞の方が似合う地味な俳優だ。僕は昔から渋くて地味な男っぽい役者が好きで、アメリカならリー・マーヴィン、今はハーヴェイ・カイテルなどをひいきにしている。フランスならリノ・ヴァンチュラ、今はダニエル・オートゥイユが好きだ。

そんな嗜好を持っているので、10代の頃から老け顔のマックス・フォン・シドーが好きだった。中学生の頃、定期的に買っていた「スクリーン」だったか「映画の友」に、ベルイマン作品の評論が連載されており、そこに掲載されていた「第七の封印」(1956年)のスチル写真を見て、死神とチェスをする十字軍の騎士の風貌に惹かれた。長い顔だったが、哲学者のようだった。その風貌を見ているだけで、深遠な何かが伝わってくる気がした。

「第七の封印」が日本で公開されたのは、1963年11月のことだ。制作が後だった「野いちご」(1957年)の方が一年早く公開されている。「処女の泉」(1960年)の日本公開は、さらにその一年前の1961年である。「処女の泉」が公開されて評判になり、遡る形でベルイマン作品が輸入されたのだろう。おそらく、東京以外では公開されなかったのではあるまいか。そういう時代だった。

ベルイマン映画は難解である。カンヌ映画祭で評価されても、一般客が見るような作品ではない。当時も今も、映画ジャーナリズムは東京中心だ。東京にいれば、日本に入ってくるすべての映画は見られる。しかし、当時は今よりもっと地方格差があった。僕は上京するまでベルイマン作品を見ることはできなかったが、映画雑誌を買い始めた頃、ベルイマンはインテリ映画ファンの間でブームだったのだ。

マックス・フォン・シドーは、その当時封切られたすべてのベルイマン作品に出演していた。スウェーデン生まれの俳優がスウェーデンの映画監督と組んで映画を撮っていたら、いつの間にか世界的に評価されて有名になり、ハリウッドからオファーを受け「偉大な生涯の物語」(1965年)にイエス・キリスト役で出演する。これは超大作で、チャールトン・ヘストン、ジョン・ウエイン、シドニー・ポワチエなど多彩なハリウッド・スターが出た。

マックス・フォン・シドーは、その神秘的かつ哲学的な風貌を買われてイエス・キリスト役に...と要請されたのだろう。黙って立っているだけで、存在感がある。哲人のオーラが漂う。低く響く声が神秘性を感じさせ、深い言葉が聞けるのではないかと期待する。グレタ・ガルボ、イングリッド・バーグマン、アン・マーグレットという美女だけではなく、スウェーデンはハリウッド映画界に逸材を送ったのだ。

●人気絶頂のジュリー・アンドリュースとの夫婦役

「サウンド・オブ・ミュージック」(1964年)を見た日のことは、今も鮮やかに甦る。1965年の初夏の頃だった。僕は14歳で中学二年生、高松市の田町商店街と常磐街のアーケードが途切れた、五差路の角にあったスカラ座(上階は東宝の封切館だった)まで自転車でいき、映画館の横に自転車を置いた。期待に胸を膨らませてチケットを買い、地下のスカラ座に入った。スカラ座の意味さえ知らない頃である。

「サウンド・オブ・ミュージック」は、いきなり映し出されたアルプスの空撮シーンに魅了され、そのまま草原のシーンになり豆粒のようなマリアにキャメラが寄っていくオープニングシーンでスクリーンに没入した。静かに響いている音楽が次第に高まり、マリアが歌い出すと同時に演奏も最高潮を迎える。今でも見事なオープニング映像であり、見事な音楽の使い方だと思う。

マリアが修道院に戻り修道女たちが「マリア」と歌うシーン、ギターケースを持ってトラップ家へ向かう途中「自信を持って」と歌うシーン、トラップ大佐が笛で子供たちを集合させるシーン、長女が家を抜け出し恋人と歌う「もうすぐ17歳」、雷鳴を怖れて集まった子供たちに「マイ・フェイヴァリット・シング」を歌うシーンなど、僕はすべてのシーンを順を追って話せる。

「サウンド・オブ・ミュージック」は、14歳の僕の心を捉えたのだ。鷲づかみにした。映画を見終わり僕はプログラムを購入し、スカラ座を出ると自転車を押してアーケードのある常磐街に向かい、常磐館という映画館の向かいにあるタマルレコード店に入った。そこで僕は「サウンド・オブ・ミュージック」のサントラ盤LPレコードを買い、それから数か月、毎日のようにそのレコードを聴いて映画を反芻した。

それほど僕の心を捉えた「サウンド・オブ・ミュージック」だ。当然、僕はジュリー・アンドリュースの大ファンになった。アイドル的に憧れたのは、次女を演じたアンジェラ・カートライトだった。僕より一歳年下、当時は13歳である。14歳の少年が好きになるのは当然だった。彼女がテレビの「宇宙家族ロビンソン」に出演し毎週見られるとわかったとき、僕は小躍りして喜んだものである。

それほど好きになった「サウンド・オブ・ミュージック」だったが、トラップ大佐を演じたクリストファー・プラマーは好きになれなかった。いや、積極的にキライだった。最初に登場したときの規律を重視する堅物の軍人に好意が持てなかったし、最後に「エーデルワイス」を歌って国を捨てるのが納得いかなかったが、単に幼い嫉妬心を燃やしていただけなのかもしれない。プラマーはジュリー・アンドリュースの相手としては、年寄りすぎるように見えた。

だから、映画雑誌でクリストファー・プラマーの新作が「トリプルクロス」(1966年)だと知っても、それが007シリーズを撮ったテレンス・ヤング監督作品だとしても、僕は見にはいかなかった。その代わり、映画雑誌に見開きの広告が出たジュリー・アンドリュースの新作「ハワイ」(1965年)を僕は待ちわびた。「ハワイ」は、後に「明日に向かって撃て」(1969年)を撮るジョージ・ロイ・ヒル監督作品であり、ジュリーの共演者はマックス・フォン・シドーだった。

ここから僕の記憶は曖昧になる。僕は「ハワイ」が高松で公開になるのを待ちわびたが、結局、僕は「ハワイ」を高松では見ていない。見逃したのか、あるいは高松で公開にならなかったのか。当時、地方で公開されなかった映画は多かった。「ハワイ」は宣教師夫婦が19世紀初頭のハワイを訪れ、布教活動をする年代記ものである。それに、「ハワイ」はミュージカルではなかった。観客はジュリーにミュージカルを期待するから、客が入らないと判断されたのだろうか。

「ハワイ」には、ジュリー・アンドリュース以外にスターは出ていない。主役のマックス・フォン・シドーという俳優を、高松市内に住む何人が知っていただろう。誰が、その長い顔を見たいと思うだろう。ベルイマン映画を見た人間は、四国の地方都市にほとんどいなかったはずだ。他にはリチャード・ハリスと若きジーン・ハックマン(彼らは27年後「許されざる者」で保安官と賞金稼ぎとして出逢う)が出演しているが、知名度は低く客が呼べるスターではなかった。

●「エクソシスト」の神父役で有名になるのだが...

マックス・フォン・シドーが一般的に名前を知られるのは、大ヒットした「エクソシスト」(1973年)のメリン神父役によってである。イエス・キリストや宣教師、神父役をキャスティングするとき、やはりマックス・フォン・シドーの顔が浮かぶのだろうなあ、と改めて思う。「フレンチ・コネクション」(1971年)で売れっ子監督になったウィリアム・フリードキンも、悪魔払いの神父は「マックスがピッタリだ」と思ったに違いない。

そう思って振り返ると、マックス・フォン・シドーは宗教関係の役が多い。宗教者的な顔つき(?)だと言われれば、そうかもしれないと思う。僕はずっと哲学者の顔だと思ってきたが、哲学者と宗教者は近い。どちらも深遠なテーマを考えている人、というイメージがある。悟りの境地に至った達人の顔を思い浮かべると、マックス・フォン・シドーが浮かぶ。「スター・ウォーズ」のオビワン・ケノビは、マックス・フォン・シドーの方がよかったのではないか?

そんな哲人顔のマックス・フォン・シドーを腕利きの殺し屋として起用したのが、「コンドル」(1975年)だった。ハリウッドに呼ばれたマックス・フォン・シドーは、「さらばベルリンの灯」(1966年)や「クレムリンレター/密書」(1969年)というスパイ映画で、「不気味で何を考えているかわからない謎のキャラクター」という典型を創り上げた。「コンドル」の殺し屋役は、その延長にある。

「さらばベルリンの灯」の原作は、アダム・ホールが書いた秘密情報部員クィラー・シリーズ第一作「不死鳥を倒せ」である。当時、大ヒットした007シリーズを代表とする荒唐無稽なスパイ映画に対抗するシリアスなスパイもので、地味な演技派ジョージ・シーガルがクィラーを演じた。主題歌は「ロシアより愛を込めて」のマット・モンローが歌い、ジョン・バリーが作曲したテーマ曲もヒットした。

僕は地味でシリアスなクィラーが好きで、早川ノヴェルズで出た二作目の「第9指令」と五作目の「暗合指令タンゴ」も買った。同じ頃に「クレムリンの密書」というスパイ小説が早川ノヴェルズで発売になり、本の後半はページがめくれないように袋におおわれた製本になっていた。その部分を破らずに版元に送れば返金する、という謳い文句が書かれていた。

要するに、半分まで読んで「この先を読まずにいられますか」という自信を見せているのだ。アメリカのオリジナル版がそういう形で出たのかもしれないが、早川書房がそんな単行本を出すのは初めてではなかった。「クレムリンの密書」は巨匠ジョン・ヒューストンが監督し、リチャード・プーン、オーソン・ウェルズ、マックス・フォン・シドーといった、ひと癖ありそうな俳優ばかりを使った。

スパイものでは登場する人物たちが、本当は何者なのかわからないという雰囲気が必要だ。こちら側だと思っていた人物が実はあちら側の二重スパイで、しかし、それは味方を欺くためだった偽装であり、本当はやはりこちら側だったのだというどんでん返しのどんでん返しが必要である。そういう謎に充ちた人物を演じるのに、マックス・フォン・シドーの思慮深そうだが狡猾にも見え、何を企んでいるのかわからない不気味さは最適だったのである。

●知的で静かでプロフェッショナルな殺し屋役がピッタリだった

「コンドル」を見たのは、就職をした年の冬のことだった。「スティング」(1973年)「華麗なるギャツビー」(1974年)と主演作が続き、人気絶頂だったロバート・レッドフォード主演だからテレビでもずいぶん紹介されたものだ。そういう番組を見ると、あらかじめ大筋がわかってしまい、どんでん返しまで想像できることがあるので僕はあまり見ないようにしていたけれど、マックス・フォン・シドーの殺し屋が評判になっていた。

僕はナタリー・ウッドと共演した「雨のニューオリンズ」(1965年)の頃からロバート・レッドフォードが好きだったのと、殺し屋役のマックス・フォン・シドーがあまりに評判になっていたので封切り時に劇場に足を運んだ。記憶ではカミサンだけではなく、友人夫婦も一緒に見にいったと思う。見終わった友人が、「レッドフォードの見せ場があまりなかったな」と言ったのをよく憶えている。

確かに、レッドフォードが演じたのはCIAの下級職員で、訳がわからず逃げまわるだけの役だった。彼は、ニューヨークにあるCIAの下部組織に事務員として勤めている。そこは「××文化協会」のように偽装した少人数のオフィスだ。ある日、主人公がたまたま近くへ出かけていたとき、殺し屋がやってきて容赦なく職員全員を殺す。帰ってきた主人公は緊急時連絡先に電話を入れるが、落ち合った上司に殺されそうになる。

なぜ職員が皆殺しにされたのか、なぜ生き残った主人公が組織や殺し屋に執拗に狙われ続けるのか、そんな謎で観客を惹きつける。逃げる主人公、彼を追う殺し屋。殺し屋は静かでプロフェッショナルな雰囲気を醸し出し、着実に主人公に迫る。まったく感情を見せずに人を殺すマックス・フォン・シドーが怖い。寡黙な役が多い人だったが、この映画でもほとんどセリフがなかったのではないか。余計なことを言わないから、さらに凄みを感じた。

そんなはまり役だったけれど、その後、マックス・フォン・シドーは、そういう役はあまりやっていない。ひとつの役柄に縛られるのを、嫌ったのかもしれない。大ヒットし続編も作られた「エクソシスト・シリーズ」には律儀に付き合っているが、固定したキャラクターは演じていない。アカデミー最優秀主演男優賞にノミネートされた、デンマーク映画「ペレ」(1987年)で演じたのは貧しい老農夫だった。しかし、これは見ているのが辛いほど暗い映画だった。

マックス・フォン・シドーは歳を重ねても元気で、最近では「シャッター・アイランド」(2009年)と「ロビン・フッド」(2010年)に出ている。彼が出てきたとき、僕は「ああ、マックス・フォン・シドーだ」と感慨深かった。僕が知ってからでも半世紀近い俳優人生である。「シャッター・アイランド」では例によって謎めいたキャラクターを生かしていたが、「ロビン・フッド」では威厳にあふれた役だったので、なおさらうれしくなった。

監督のリドリー・スコットも、マックス・フォン・シドーを使いたかったに違いない。ロビン役のラッセル・クロウと、マリアン役のケイト・ブランシェットに次ぐ重要な役である。スウェーデン人なのに、ノッティンガムの領主サー・ウォルター・ロクスリーとしての存在感が素晴らしかった。死んだ息子の剣を届けにきたロビンを、見えない目で抱きしめるシーンでも威厳と深い愛情を感じさせ、思わず涙を誘われそうになった。

82歳のマックス・フォン・シドーは、今や「そこに存在するだけで人を感動させる」境地に達した。その姿を見るだけで、表情を見るだけで、深遠な何かが伝わる。人が生きることの意味を感じる。今年、アカデミー最優秀助演男優賞にノミネートされた役では、ひと言も喋らないと聞いた。もしかしたら、半世紀を超える俳優人生で彼が口にしたセリフの数は、エディ・マーフィが「48時間」(1982年)一本で喋ったセリフより少ないかもしれない。

そう言えば、「48時間」でエディ・マーフィのマシンガントークにうんざりする刑事は、30歳若かったニック・ノルティだった。もっとも、「48時間」でいつも苦虫を噛みつぶしたような顔をしていたニック・ノルティは、70を過ぎても同じ表情でコダックシアターの椅子に腰を降ろしていた。クリストファー・プラマー受賞の瞬間も、彼は眉間に皺を寄せ苦虫を噛みつぶした顔で拍手した。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >

このテキストが掲載になった翌日の土曜日、熱海で開催される第30回日本冒険小説協会全国大会に出席の予定。会長の内藤陳さんは帰天しましたが、先日、西村健さんの新作「地の底のヤマ」が講談社主催の吉川英治文学賞新人賞を受賞し、協会は盛り上がっているはず。新人賞とは言っても、30年の作家歴があった今野敏さんが受賞したのは5年前のことだった。

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「2001年版 疾風怒濤編」350円+税
「2002年版 艱難辛苦編」350円+税
「2003年版 青息吐息編」350円+税
「2004年版 明鏡止水編」350円+税
「2005年版 暗雲低迷編」350円+税
「2006年版 臥薪嘗胆編」350円+税 各年度版を順次配信
< https://hon-to.jp/asp/ShowSeriesDetail.do;jsessionid=5B74240F5672207C2DF9991748732FCC?seriesId=B-MBJ-23510-8-113528X >

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■ところのほんとのところ[76]
人のことが以前よりいとおしくなった

所幸則 Tokoro Yukinori
< http://bn.dgcr.com/archives/20120323140200.html >
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渋谷の新作が続々と撮れている。[ところ]の渋谷の作品は、最近ずいぶん有機的になってきたように思えるという意見が多い。そういわれて[ところ]は最近の作品をあらためて見返してみた。

例えば「CAPA」4月号の連載ページ【スローフォト】の作品は、渋谷センター街を撮った新作だ。確かに躍動感が溢れている。だからこそ、この3月に載せたかったのである。ぜひ印刷物で見て欲しい。

そうか、たしかに変わっている。徐々にシフトして行ったから、本人は意識していなかったんだなと納得、やはり震災のことが頭にずっと残ってるんだなと思う。

[ところ]こと写真家所幸則は人を撮る時は人、街を撮る時は街が主役と、完全に分けて撮ろうと決めているところがあった。街を撮るとき人は空気であり、街の装いであるといった意識が強かった。

しかし[ところ]も人であり、人のこと、人の命の尊さ儚さを今まで以上に感じ取って、渋谷の町を撮っているときでも、目の前を通り過ぎる人を以前よりずっと強く気にしていることを自覚できた。それは人に対する意識、愛情と言ってもよいかもしれない。

ヌードシリーズの個展はもう告知してもいいだろう。今回のテーマというか、リリース文はこうです。

曖昧な人の記憶、現実とは実は曖昧なもの。確かにあったと思っている記憶も現実も「本当にあったように思えてしまう事」なのかもしれない。僕が現実に見て残したいと思って撮った美しいもの展示します。
所幸則写真展【One second 本当にあったように思えてしまう事】
Niiyama's Gallery 赤坂見附の駅から5〜7分

一か月程行います。多分、5月のゴールデンウィーク明けです。次回にはきちんとお知らせできると思います。実はお知らせはあと二つありますが、それも次回ということで。

さて、前回で書いたポートレートシリーズ、これが実に面白い写真になっています。個性的な人揃いだからなのか? なぜ撮るのかという意味がしっかりしているからなのか? 多分両方なんだと思います。

加えて、「街、風景、時間」というテーマで撮っていたから、人を撮ることに飢えていたのかも? などとも思いを巡らせるのです。それはつまり、人のことが以前よりいとおしくなったからだと思う[ところ]なのです。

【ところ・ゆきのり】写真家
CHIAROSCUARO所幸則 < http://tokoroyukinori.seesaa.net/ >
所幸則公式サイト  < http://tokoroyukinori.com/ >

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■デジアナ逆十字固め...[124]
大阪のオバちゃんに分かるように

上原ゼンジ
< http://bn.dgcr.com/archives/20120323140100.html >
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久しぶりにテレビの取材を受けた。最近三件ばかり打診があったが、すべてボツっていたので、どうなるのかと思っていたら今回はすんなりと企画が通ったようだ。

テレビの企画が決まっていく過程としては、まずプロデューサーや構成作家が集まってネタを考え、そのネタに合う人や商品などをリサーチ会社が探しだし、出演できるかどうかの打診をし、オーケーであったら再度企画会議でGoするかどうかを決める、というようなことをやっているらしい。

つまり、打診があった後に企画が通らなければ、話はなくなってしまう。ただし企画が通れば、かなりバタバタと撮影に向けてことが運んでいくことになる。今回の場合は、打診があってから2日で企画が通り、5日後に打ち合わせ、そして9日後にロケの収録ということになった。

番組は読売テレビの「大阪ほんわかテレビ」。残念ながら関西ローカルの番組です。関東では「中井正広のブラックバラエティ」をやっている時間帯だ。どんな番組か知らなかったのでホームページを覗いてみた。

出演者は、笑福亭仁鶴、間寛平、中川家、なだぎ武といった方々らしい。なかなか豪華な顔ぶれですね。特に笑福亭仁鶴さんの名前に私は強く反応しました。生まれて初めて買ったレコードが、笑福亭仁鶴の「どんなんかなァ」だったから(笑)

当時は京都に住んでいて、仁鶴師匠は憧れの人でした。1970年頃の話。私は小学2年生、師匠は33歳。今では吉本興業の特別顧問で、上方お笑い界の重鎮になっているけれど。

私は小学校3年になる時に関東に引っ越してきたのだが、当時関東には関西のお笑いが全然なくて悲しかった。今は関西のお笑いが日本を席巻してるけど、42年前はまださびしい状況でねえ。唯一の楽しみは日清フーズ提供の「ヤングおー!おー!」ぐらいだったな。まだ、さんまは登場しておらず、ザ・パンダが大人気だった。

ディレクターさんは、わざわざ大阪から打ち合わせに来てくれた。そして私が作った宙玉レンズや手ブレ増幅装置などを実際に見てもらい、段取りなどを考えていった。ただ、今までのテレビ出演経験の中で、意にそぐわないことをやらされたこともあったので、その辺りは注意をしなければいけない。

たとえば、テレビ向きのネタとか、視聴者がすぐにできるようなものを求められるんだけど、他のテレビ番組でやっていたようなネタを拾ってきて、やってくれと言われる場合もある。それ、オレが考えたアイディアじゃないし、やってもそんなに面白くないでしょ、というようなケース。

だからテレビを観ていても、ああこれはこの人の発想じゃなくて、構成作家がどこかで見つけてきたアイディアなんだろうなあ、というのが気になってしまう。だって何かの専門家が、そんなにテレビ向けするようなネタをたくさん持ってるとは思えないし。

●写真を言葉で伝える

ディレクターさんからは、構成を考えるためにいろいろと話を聞かれた。たとえば「なぜこういうことを始めるようになったんですか?」というようなこと。これは私にとって重要な問題なので、まず何から話したらいいだろうか? などと考えていてはいけない。

ディレクターさんが求めているのは、「大阪のオバちゃん」がパッと分かるような回答だ。写真の技術的なことも、オバちゃんが理解できるような言葉で説明をしなければいけない。これって実はけっこう難しい。

たとえば「何を撮ってるんですか?」と聞かれた場合、写っている以外の何かを撮ろうとしてるんだから、そんな簡単に言葉にできるようなもんじゃないんだ! と言いたいような場合もある。一方で写真家は撮影するだけじゃなく、自分のやっていることをきちんと言語化して説明できなければダメだ、という言い方もある。

確かに日本の写真家はそういう部分が弱かったかもしれない。だから最近は写真家のホームページでも、きちんとアーティストステートメントを掲げている人も増えてきた。これは写真家に限らず、アーティストが自分のやっていることについて、きちんと文章化にしておこうということ。自分で自分のやっていることを整理するためにも、人に理解してもらうという意味でもいいことだと思う。

ただ実際にそういった写真家のステーツメンツを読んでみると、堅苦しかったり、難しげな場合が多い。まあ、言いたいことは分かるけど、あまり観念的にならずに、やさしい言葉で考えていることが伝えられればそれに越したことはない。

そんな時に、大阪のオバちゃんに説明するというトレーニングも悪くないと思う。写真によけいな言葉はいらないという思いはあるけれど、自分でもなるべく簡潔で分かりやすいアーティストステートメントは書いてみたい。

●新しい写真を関西限定公開

埼玉の自宅までロケに来てくれたのは、お笑いコンビのダイアンだ。最初ダイアンという名前を聞いてもピンと来なかったけど、YouTubeでネタを見たら思い出した。M-1の決勝にも二度進出している芸人さんだ。

関西のお笑い芸人が家に来て、どう対応すればいいものかと思ったけど、実際には収録は割とスムーズに進んでいった。一対一でなんか話さなきゃと思うと緊張もするが、コンビが二人で勝手にボケたり、突っ込んだりという時間があったので、それでこちらも落ち着くことができた。ただし、二人のネタが始まってしまうと、こちらはどこから入ったらいいのか困ってしまうこともあったのだが......。

いちおう今回はテレビ映えのするネタもいくつか用意した。一つはドリルドライバーを使った写真。まず子供部屋にクリスマスのイルミネーションを張り、その前にダイアンの津田さんに立ってもらう。そして電動ドリルドライバーに付けたカメラを回転させながら撮影を行う。

この時ストロボを軽く発光させるというのがミソ。するとまずイルミネーションがグルグルと回転した軌跡が写る。さらに発光させた瞬間に人物が浮かび上がり、その二つが合体したように写るのだ。この絵面は新しいかもしれないな。もうちょっとスマートに仕上げて、宙玉レンズのように普及させたいものだ。

相方の西澤さんは水玉レンズで撮影した。これはレンズ前に透明なアクリル板を取り付け、そこにスプレーで水滴を付ける。水滴の一つ一つに西澤さんが写るのだ。これはかなり不気味な写真になりました。考えてみたらこれらの撮影法で人物を被写体にしたのは初めてだった。関西限定ではありますが、世界初公開の写真をお楽しみください!

◇大阪ほんわかテレビ
4月1日 23:20〜(読売テレビ)
< http://www.ytv.co.jp/honwaka/ >

【うえはらぜんじ】zenji@maminka.com < http://twitter.com/Zenji_Uehara >
上原ゼンジのWEBサイト
< http://www.zenji.info/ >
Soratama - 宙玉レンズの専門サイト
< http://www.soratama.org/ >
上原ゼンジ写真実験室のFacebookページ
< https://www.facebook.com/zenlabo >

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編集後記(03/23)

●お金も時間もたっぷりあった若い頃(今は時間だけ)、休みの日はよくひとりで散歩に出た。テーマは名水・湧水。埼玉と東京の有名どころは殆ど回った。そしていま、新たな散歩のテーマを見つけた。有坂蓉子「富士塚ゆる散歩」(講談社、2012)を読んで、富士塚ゆる巡りを志す。アーティストが書いたこの本は、果たして読者がいるのかと思われるくらい、個人的芸術的趣味満開のものすごくディープな内容なのだ。おもしろいけど。だが、散歩本なのに地図が貧弱すぎてまったく役立たず。

富士塚とは富士山を模した人工の山で、この山に登ることで「富士登山と同じ御利益がある」という。この現世利益はありがたすぎる。もはやリアル富士登山は無理なので、お手軽なバーチャル富士登山へゴー。富士塚は関東を中心に最低300、東京だけでも70以上はあるという。我が家から近いところにも富士塚があるようだ。春分の日、川口市のふたつの神社に自転車で行ってみた。

川口神社の神域をなめるように見て歩いたが、どこにも山らしき姿は見当たらない。消滅して石碑だけになってしまったのか。あきらめて帰りかけると、門の脇にわずかな高みがあり「浅間神社」と彫られた大きな石碑が立っていた。裏側に「冨士参拝登山」とあり、前面にいちおう登山道に見立てた短かな溝があった。間違いなく富士塚だ。3歩で登頂。

次に、少し離れた氷川神社に行く。鳥居をくぐるとすぐ左手に小高い山が見えた。立て札に浅間神社、御祭神 木花佐久夜昆売命とある。このはなさくやびめ。昆の字、正しくは毘である。山の下を半回りすれば鳥居のある正面、「当社富士塚は『月三講』という講社が万延元年(1860年)に築造したもので(略)山に登ることにより、安産・子育て・厄除・病気平癒などの心願成就されると言われています」と解説があった。登山道は螺旋道で、33歩で頂上に至り、木をくり抜いた中に神棚があった。高さ数メートルの山頂からの眺めはまあまあ。「富士塚ゆる散歩」には厳選50基の個性豊かな富士塚のカタログがある。これを参考に自転車か電車で行ってみたいと思う。(柴田)
< http://bn.dgcr.com/archives/20120323114540.html >
川口神社の石碑、氷川神社の富士塚登山道、氷川神社の富士塚 頂上に人が
いるのが見える
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/406217443X/dgcrcom-22/ >
→アマゾンで見る

●大阪ほんわかテレビ、録画予約しなくっちゃ。/後記のストックがなくなった。年度末で頭ぱんぱん。それなのにどうしても見たいショーがあって行ってしまった。まだ余裕があった。チケットとる時から、友人には行けないかもしれないと言っていた。なぜこの時期にやるのだと言ってみたりもした。飲み会に誘われていたのに行けなかった。お芝居もショーもセミナーも何もかも3月にやるのは禁止にしてもらいたい。完全に八つ当たり(笑)。Photoshop CS6のパブリックβがダウンロード開始? どんな人が、この時期にのんびり触ってられるってんだよ、とやさぐれてみる。触れる人は自己管理ができてるからだろう。プライベートとの両立、体を鍛える、規則正しい生活、正しい食生活、うんぬんかんぬん。いかに自分が要領悪いかってことよね。できてる人はいるんだから。月に2回ぐらいは遊びの予定を入れたい。週二回はスポーツジムに通えるようになりたい。体力が落ちてるから、できていないこともある。やりたいことをやれるように頭使いなさい、私。(hammer.mule)
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パブリックベータ