映画と夜と音楽と...[538]存在感あふれる82歳の老優
── 十河 進 ──

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〈第七の封印/野いちご/処女の泉/偉大な生涯の物語/ハワイ/さらばベルリンの灯/クレムリンレター・密書/エクソシスト/コンドル/ペレ/シャッター・アイランド/ロビン・フッド〉


●三人の助演男優賞受賞者の平均年令は78歳になる

今年のアカデミー賞の見どころは、やはり助演男優賞の顔ぶれだった。マックス・フォン・シドー、クリストファー・プラマー、ニック・ノルティの三人で平均年令78歳になる。51歳のケネス・プラナーが若く見える。30前のジョナ・ヒルは子供のようだった。平均78歳の三人にとっては、ケネス・プラナーが息子の世代、ジョナ・ヒルは孫の世代である。

一方、ゲイリー・オールドマンが、ジョン・ル・カレの「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」を映画化した「裏切りのサーカス」(2011年)で、ジョージ・スマイリーを演じて最優秀主演男優賞にノミネートされていた。プレゼンターは前年の最優秀主演女優賞受賞者が務めるから、今年はナタリー・ポートマンだ。彼女が「ゲイリー」と呼びかけたとき、一瞬、「レオン」(1994年)のワンシーンが浮かんだ。

僕としては最優秀主演男優賞はゲイリー・オールドマン、最優秀助演男優賞はマックス・フォン・シドーに獲ってほしかったが、賞レースにはそれほどの興味はない。ゲイリー・オールドマンも助演男優賞の方が似合う地味な俳優だ。僕は昔から渋くて地味な男っぽい役者が好きで、アメリカならリー・マーヴィン、今はハーヴェイ・カイテルなどをひいきにしている。フランスならリノ・ヴァンチュラ、今はダニエル・オートゥイユが好きだ。

そんな嗜好を持っているので、10代の頃から老け顔のマックス・フォン・シドーが好きだった。中学生の頃、定期的に買っていた「スクリーン」だったか「映画の友」に、ベルイマン作品の評論が連載されており、そこに掲載されていた「第七の封印」(1956年)のスチル写真を見て、死神とチェスをする十字軍の騎士の風貌に惹かれた。長い顔だったが、哲学者のようだった。その風貌を見ているだけで、深遠な何かが伝わってくる気がした。

「第七の封印」が日本で公開されたのは、1963年11月のことだ。制作が後だった「野いちご」(1957年)の方が一年早く公開されている。「処女の泉」(1960年)の日本公開は、さらにその一年前の1961年である。「処女の泉」が公開されて評判になり、遡る形でベルイマン作品が輸入されたのだろう。おそらく、東京以外では公開されなかったのではあるまいか。そういう時代だった。




ベルイマン映画は難解である。カンヌ映画祭で評価されても、一般客が見るような作品ではない。当時も今も、映画ジャーナリズムは東京中心だ。東京にいれば、日本に入ってくるすべての映画は見られる。しかし、当時は今よりもっと地方格差があった。僕は上京するまでベルイマン作品を見ることはできなかったが、映画雑誌を買い始めた頃、ベルイマンはインテリ映画ファンの間でブームだったのだ。

マックス・フォン・シドーは、その当時封切られたすべてのベルイマン作品に出演していた。スウェーデン生まれの俳優がスウェーデンの映画監督と組んで映画を撮っていたら、いつの間にか世界的に評価されて有名になり、ハリウッドからオファーを受け「偉大な生涯の物語」(1965年)にイエス・キリスト役で出演する。これは超大作で、チャールトン・ヘストン、ジョン・ウエイン、シドニー・ポワチエなど多彩なハリウッド・スターが出た。

マックス・フォン・シドーは、その神秘的かつ哲学的な風貌を買われてイエス・キリスト役に...と要請されたのだろう。黙って立っているだけで、存在感がある。哲人のオーラが漂う。低く響く声が神秘性を感じさせ、深い言葉が聞けるのではないかと期待する。グレタ・ガルボ、イングリッド・バーグマン、アン・マーグレットという美女だけではなく、スウェーデンはハリウッド映画界に逸材を送ったのだ。

●人気絶頂のジュリー・アンドリュースとの夫婦役

「サウンド・オブ・ミュージック」(1964年)を見た日のことは、今も鮮やかに甦る。1965年の初夏の頃だった。僕は14歳で中学二年生、高松市の田町商店街と常磐街のアーケードが途切れた、五差路の角にあったスカラ座(上階は東宝の封切館だった)まで自転車でいき、映画館の横に自転車を置いた。期待に胸を膨らませてチケットを買い、地下のスカラ座に入った。スカラ座の意味さえ知らない頃である。

「サウンド・オブ・ミュージック」は、いきなり映し出されたアルプスの空撮シーンに魅了され、そのまま草原のシーンになり豆粒のようなマリアにキャメラが寄っていくオープニングシーンでスクリーンに没入した。静かに響いている音楽が次第に高まり、マリアが歌い出すと同時に演奏も最高潮を迎える。今でも見事なオープニング映像であり、見事な音楽の使い方だと思う。

マリアが修道院に戻り修道女たちが「マリア」と歌うシーン、ギターケースを持ってトラップ家へ向かう途中「自信を持って」と歌うシーン、トラップ大佐が笛で子供たちを集合させるシーン、長女が家を抜け出し恋人と歌う「もうすぐ17歳」、雷鳴を怖れて集まった子供たちに「マイ・フェイヴァリット・シング」を歌うシーンなど、僕はすべてのシーンを順を追って話せる。

「サウンド・オブ・ミュージック」は、14歳の僕の心を捉えたのだ。鷲づかみにした。映画を見終わり僕はプログラムを購入し、スカラ座を出ると自転車を押してアーケードのある常磐街に向かい、常磐館という映画館の向かいにあるタマルレコード店に入った。そこで僕は「サウンド・オブ・ミュージック」のサントラ盤LPレコードを買い、それから数か月、毎日のようにそのレコードを聴いて映画を反芻した。

それほど僕の心を捉えた「サウンド・オブ・ミュージック」だ。当然、僕はジュリー・アンドリュースの大ファンになった。アイドル的に憧れたのは、次女を演じたアンジェラ・カートライトだった。僕より一歳年下、当時は13歳である。14歳の少年が好きになるのは当然だった。彼女がテレビの「宇宙家族ロビンソン」に出演し毎週見られるとわかったとき、僕は小躍りして喜んだものである。

それほど好きになった「サウンド・オブ・ミュージック」だったが、トラップ大佐を演じたクリストファー・プラマーは好きになれなかった。いや、積極的にキライだった。最初に登場したときの規律を重視する堅物の軍人に好意が持てなかったし、最後に「エーデルワイス」を歌って国を捨てるのが納得いかなかったが、単に幼い嫉妬心を燃やしていただけなのかもしれない。プラマーはジュリー・アンドリュースの相手としては、年寄りすぎるように見えた。

だから、映画雑誌でクリストファー・プラマーの新作が「トリプルクロス」(1966年)だと知っても、それが007シリーズを撮ったテレンス・ヤング監督作品だとしても、僕は見にはいかなかった。その代わり、映画雑誌に見開きの広告が出たジュリー・アンドリュースの新作「ハワイ」(1965年)を僕は待ちわびた。「ハワイ」は、後に「明日に向かって撃て」(1969年)を撮るジョージ・ロイ・ヒル監督作品であり、ジュリーの共演者はマックス・フォン・シドーだった。

ここから僕の記憶は曖昧になる。僕は「ハワイ」が高松で公開になるのを待ちわびたが、結局、僕は「ハワイ」を高松では見ていない。見逃したのか、あるいは高松で公開にならなかったのか。当時、地方で公開されなかった映画は多かった。「ハワイ」は宣教師夫婦が19世紀初頭のハワイを訪れ、布教活動をする年代記ものである。それに、「ハワイ」はミュージカルではなかった。観客はジュリーにミュージカルを期待するから、客が入らないと判断されたのだろうか。

「ハワイ」には、ジュリー・アンドリュース以外にスターは出ていない。主役のマックス・フォン・シドーという俳優を、高松市内に住む何人が知っていただろう。誰が、その長い顔を見たいと思うだろう。ベルイマン映画を見た人間は、四国の地方都市にほとんどいなかったはずだ。他にはリチャード・ハリスと若きジーン・ハックマン(彼らは27年後「許されざる者」で保安官と賞金稼ぎとして出逢う)が出演しているが、知名度は低く客が呼べるスターではなかった。

●「エクソシスト」の神父役で有名になるのだが...

マックス・フォン・シドーが一般的に名前を知られるのは、大ヒットした「エクソシスト」(1973年)のメリン神父役によってである。イエス・キリストや宣教師、神父役をキャスティングするとき、やはりマックス・フォン・シドーの顔が浮かぶのだろうなあ、と改めて思う。「フレンチ・コネクション」(1971年)で売れっ子監督になったウィリアム・フリードキンも、悪魔払いの神父は「マックスがピッタリだ」と思ったに違いない。

そう思って振り返ると、マックス・フォン・シドーは宗教関係の役が多い。宗教者的な顔つき(?)だと言われれば、そうかもしれないと思う。僕はずっと哲学者の顔だと思ってきたが、哲学者と宗教者は近い。どちらも深遠なテーマを考えている人、というイメージがある。悟りの境地に至った達人の顔を思い浮かべると、マックス・フォン・シドーが浮かぶ。「スター・ウォーズ」のオビワン・ケノビは、マックス・フォン・シドーの方がよかったのではないか?

そんな哲人顔のマックス・フォン・シドーを腕利きの殺し屋として起用したのが、「コンドル」(1975年)だった。ハリウッドに呼ばれたマックス・フォン・シドーは、「さらばベルリンの灯」(1966年)や「クレムリンレター/密書」(1969年)というスパイ映画で、「不気味で何を考えているかわからない謎のキャラクター」という典型を創り上げた。「コンドル」の殺し屋役は、その延長にある。

「さらばベルリンの灯」の原作は、アダム・ホールが書いた秘密情報部員クィラー・シリーズ第一作「不死鳥を倒せ」である。当時、大ヒットした007シリーズを代表とする荒唐無稽なスパイ映画に対抗するシリアスなスパイもので、地味な演技派ジョージ・シーガルがクィラーを演じた。主題歌は「ロシアより愛を込めて」のマット・モンローが歌い、ジョン・バリーが作曲したテーマ曲もヒットした。

僕は地味でシリアスなクィラーが好きで、早川ノヴェルズで出た二作目の「第9指令」と五作目の「暗合指令タンゴ」も買った。同じ頃に「クレムリンの密書」というスパイ小説が早川ノヴェルズで発売になり、本の後半はページがめくれないように袋におおわれた製本になっていた。その部分を破らずに版元に送れば返金する、という謳い文句が書かれていた。

要するに、半分まで読んで「この先を読まずにいられますか」という自信を見せているのだ。アメリカのオリジナル版がそういう形で出たのかもしれないが、早川書房がそんな単行本を出すのは初めてではなかった。「クレムリンの密書」は巨匠ジョン・ヒューストンが監督し、リチャード・プーン、オーソン・ウェルズ、マックス・フォン・シドーといった、ひと癖ありそうな俳優ばかりを使った。

スパイものでは登場する人物たちが、本当は何者なのかわからないという雰囲気が必要だ。こちら側だと思っていた人物が実はあちら側の二重スパイで、しかし、それは味方を欺くためだった偽装であり、本当はやはりこちら側だったのだというどんでん返しのどんでん返しが必要である。そういう謎に充ちた人物を演じるのに、マックス・フォン・シドーの思慮深そうだが狡猾にも見え、何を企んでいるのかわからない不気味さは最適だったのである。

●知的で静かでプロフェッショナルな殺し屋役がピッタリだった

「コンドル」を見たのは、就職をした年の冬のことだった。「スティング」(1973年)「華麗なるギャツビー」(1974年)と主演作が続き、人気絶頂だったロバート・レッドフォード主演だからテレビでもずいぶん紹介されたものだ。そういう番組を見ると、あらかじめ大筋がわかってしまい、どんでん返しまで想像できることがあるので僕はあまり見ないようにしていたけれど、マックス・フォン・シドーの殺し屋が評判になっていた。

僕はナタリー・ウッドと共演した「雨のニューオリンズ」(1965年)の頃からロバート・レッドフォードが好きだったのと、殺し屋役のマックス・フォン・シドーがあまりに評判になっていたので封切り時に劇場に足を運んだ。記憶ではカミサンだけではなく、友人夫婦も一緒に見にいったと思う。見終わった友人が、「レッドフォードの見せ場があまりなかったな」と言ったのをよく憶えている。

確かに、レッドフォードが演じたのはCIAの下級職員で、訳がわからず逃げまわるだけの役だった。彼は、ニューヨークにあるCIAの下部組織に事務員として勤めている。そこは「××文化協会」のように偽装した少人数のオフィスだ。ある日、主人公がたまたま近くへ出かけていたとき、殺し屋がやってきて容赦なく職員全員を殺す。帰ってきた主人公は緊急時連絡先に電話を入れるが、落ち合った上司に殺されそうになる。

なぜ職員が皆殺しにされたのか、なぜ生き残った主人公が組織や殺し屋に執拗に狙われ続けるのか、そんな謎で観客を惹きつける。逃げる主人公、彼を追う殺し屋。殺し屋は静かでプロフェッショナルな雰囲気を醸し出し、着実に主人公に迫る。まったく感情を見せずに人を殺すマックス・フォン・シドーが怖い。寡黙な役が多い人だったが、この映画でもほとんどセリフがなかったのではないか。余計なことを言わないから、さらに凄みを感じた。

そんなはまり役だったけれど、その後、マックス・フォン・シドーは、そういう役はあまりやっていない。ひとつの役柄に縛られるのを、嫌ったのかもしれない。大ヒットし続編も作られた「エクソシスト・シリーズ」には律儀に付き合っているが、固定したキャラクターは演じていない。アカデミー最優秀主演男優賞にノミネートされた、デンマーク映画「ペレ」(1987年)で演じたのは貧しい老農夫だった。しかし、これは見ているのが辛いほど暗い映画だった。

マックス・フォン・シドーは歳を重ねても元気で、最近では「シャッター・アイランド」(2009年)と「ロビン・フッド」(2010年)に出ている。彼が出てきたとき、僕は「ああ、マックス・フォン・シドーだ」と感慨深かった。僕が知ってからでも半世紀近い俳優人生である。「シャッター・アイランド」では例によって謎めいたキャラクターを生かしていたが、「ロビン・フッド」では威厳にあふれた役だったので、なおさらうれしくなった。

監督のリドリー・スコットも、マックス・フォン・シドーを使いたかったに違いない。ロビン役のラッセル・クロウと、マリアン役のケイト・ブランシェットに次ぐ重要な役である。スウェーデン人なのに、ノッティンガムの領主サー・ウォルター・ロクスリーとしての存在感が素晴らしかった。死んだ息子の剣を届けにきたロビンを、見えない目で抱きしめるシーンでも威厳と深い愛情を感じさせ、思わず涙を誘われそうになった。

82歳のマックス・フォン・シドーは、今や「そこに存在するだけで人を感動させる」境地に達した。その姿を見るだけで、表情を見るだけで、深遠な何かが伝わる。人が生きることの意味を感じる。今年、アカデミー最優秀助演男優賞にノミネートされた役では、ひと言も喋らないと聞いた。もしかしたら、半世紀を超える俳優人生で彼が口にしたセリフの数は、エディ・マーフィが「48時間」(1982年)一本で喋ったセリフより少ないかもしれない。

そう言えば、「48時間」でエディ・マーフィのマシンガントークにうんざりする刑事は、30歳若かったニック・ノルティだった。もっとも、「48時間」でいつも苦虫を噛みつぶしたような顔をしていたニック・ノルティは、70を過ぎても同じ表情でコダックシアターの椅子に腰を降ろしていた。クリストファー・プラマー受賞の瞬間も、彼は眉間に皺を寄せ苦虫を噛みつぶした顔で拍手した。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
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