武&山根の展覧会レビュー 特別編 僕はなんで藝術家になろうとしたのか?/武 盾一郎

投稿:  著者:  読了時間:8分(本文:約3,500文字)


そもそも僕は、なんで「藝術家」なんかになろうと思ったのだろう? そんな「そもそも」な疑問が最近頭をよぎったので、ちょっと考えてみた。

僕はなんで藝術家になろうとしたのか?
「抽象的な思考に迷い込んでいることが好きだったから」

自意識が芽生え始めた年の頃、テストの答案用紙の一番上にある「_ねん_くみ なまえ____」欄をじーっと見つめてしまった朧げな記憶がある。この一番上の行の「意味」が分らないのだ。

「名前」ってなんだ?

僕は前提でつまずいてしまった。
「答えのない根源的な問いは飛ばしてあらかじめ解答が用意された問いに答えて点を稼ぐ」ことが社会性の土台なのだが、そういう認識やルールを理解できずにいたのだ。これはきっと主に脳の問題なんだと思う。または何かトラウマ的なこともあるかもしれない。




果たして僕の名前は「たけ じゅんいちろう」だ。それは薄々(いや、ちゃんと)理解していた。しかし僕はこの名前を気に入ってなかった。「もっと素敵な僕の本当の名前がきっとあるに違いない」と思っていた。

なので自分の気に入った名前を書こうとするのだが、それはどれも誰かの名前だったりしてうまくない。あれこれ考えてるうちに、名前という事柄がまるでわからなくなってくる。名前という概念がゲシュタルト崩壊していくのだ。

この「意味不明に陥って行く感覚」が気持ち良かった。

これは夜空を見上げた時の感覚と近い。途方もなく大きな存在とコミットする時、ふわーっと安堵する感じにもなるが、絶望的に淋しく悲しくもなり、混じりようのない感情が同居してしまい、どこにも引っかかりなくポンと投げ出されてしまい、具体性を失って曖昧な深海に漂ってしまう、あの感じ。神秘への興味と言い換えることもできそうだ。

現実への疑問と現実逃避。これが抽象的思考への第一歩だった。そんな抽象的思考を彷徨うことが仕事な職業、それはきっと藝術家だ。僕はそう思ったのだ。

ではなぜ、そういった抽象的思考が好きなのだろうか?

僕は「結果」よりも「状態」を重んじてしまう。結果を最優先しない考え方が抽象的思考と関係してると思われる。

というのは、抽象とは抽象化された結果を求めるために行なわないからだ。世界(事物)の何かにこだわり、それ以外を捨象する行為によって見えてくるものなので、結果主義にとって抽象的思考はまどろっこしい。

結果を目的とする思考は、もっと直線的で現実的で意味的で具象的なのに対して、行為や状態を目的とする場合はウダウダと抽象的になる、はず。

これは「言葉」より「状態(行為)」を重視する感覚に起因している。言葉という「結果」をある人が言い放った時、言葉を吐いたその人が実際にどんな行動をしてるかの「状態」の方に価値を置く感覚だ。

だがしかし、その人の「状態」を見ても言葉を発してるわけではないので意味が分からないことも多いし、「状態」とは連続的なものなのでずっと付合ってないと真意が分らないこともある。

しかし、その人の「状態」を一瞬見ただけで本質的な所を嗅ぎ取ってしまうことも起るし、またそれが決定的な誤解だったりする場合もある。

「言葉」とはその人の生き方から発せられることも確かだが、大体は乖離がある。嘘もある。実体と乖離しがちな「言葉」と、理解しにくい「状態」。僕は「状態」を好きだったり、信用してしまったりするのだ。

ところで結果とは二種類ある。ひとつは、行為や状態の連続性からおのずと立ち顕われてくる自分の変化。自律的結果。そしてもうひとつは、向こう側から一方的にくだされる評価。他律的結果。普通「結果」というと後者を指すと思う。後者の結果は具体的で前者の結果は抽象的だ。

僕は後者の結果に対して甚だ絶望感を抱いている。認められるとか、社会的地位であるとか、金とかだ。後者の結果を得るために努力をしても成果を出せないのだ。そうなると、前者の自律的結果のみを重視する方向にシフトする。答えを出さずに、ぐるぐると思考を巡らせるようになってくる。

挫折。これがもうひとつ抽象的思考を好きになる大きな要因である。現実への疑問、現実逃避癖、挫折、これらが抽象的思考を育んでくれたのだ。

僕はなんで藝術家になろうとしたのか?
「自己肯定への最後の切り札だったから」

僕は物心ついて間もない頃、「自分は生きていてはいけなかったんだ」という感覚に襲われたことを覚えている。小学校の校門前の坂道の風景がセットの記憶だ。

「生きていてはいけない」なんて意味を理解する年頃ではなかったが、もっと難しく言えば「自分は存在していない、もしくは存在しているべきではない」という感覚だ。そんな自己否定感、自己消失感を強く覚えてるのだ。

なぜそんな感覚を覚えたのかは分らないが、自己否定感との闘いが人生のテーマだったと言っても過言ではない。

自己肯定に辿り着くには、「何かひとつを成し遂げること」だった。その「何かひとつ」がよく分からなかったが、小学生の頃は漫画を描くのが好きで、中学に入ると音楽が好きになった。

中学3年生の時にバンドを組んだ。パートはベースだった。産まれて初めて自分の意思で何かをしている感じがしたけど、バンドを「何かひとつを成し遂げること」の「何かひとつ」であると言える勇気と自信は到底持てなかった。「何かひとつ」がバンドであれば良いなあと内心思いつつ高校、大学へと進学した。

「何かひとつを成し遂げること」、僕はここで賭けに出るのだ。

大学をやめてバンド活動だけに絞ったのだ。この頃は「No Music NoLife」で心底バンドが好きだった。けれど内心上手く行く自信はなかった。その自信のなさを振り切る為に、大学を中退して退路を断ったのだ。「何かひとつ」がバンドなら大卒の肩書きは要らない、と。大学を辞めた直後の「何かひとつ」を掴んだ感は晴れやかだった。桐生の山道をひとり車を走らせた。

大学をやめてまでバンドをやるからには「困難で劇的な道を歩まなければならない」とハードルを上げてしまうしかなかった。それは本当にパンクな生活を送ることだと僕は考えた。どうにもクレイジーな一時を無理矢理過ごしていた、と今になるとそう思う。僕は堕落する方向に大真面目に頑張ったのだ。

結局、バンドは解散した。東京に出て来てしばらくしたら終わってしまう、よくあるアマチュアバンドのひとつだった。「何かひとつを成し遂げること」はバンドでは達成できなかった。アルコール依存とうつになった。自己肯定がほとんど出来ない状態だった。

自己肯定に辿り着く為には、挫折したバンドというサブカルチャーを凌ぐものでなくてはならない。それはサブではない文化、文化の王道「藝術」だ。

「何かひとつを成し遂げること」そしてそれは「困難で劇的な道を歩まなければならない」、それは「藝術に生きる」ことだ。と、さらにハードルを上げてしまったのだ。

運良く僕は絵を描くことと出会った。25歳。絵を描き始めてすぐにアルコール依存はなくなり、うつの薬を飲まなくなった。これは救いだった。僕は絵を描くことに生涯を捧げると誓った。

そして1995年、27歳、僕は新宿西口地下道の段ボール村に絵を描き始めるのだ。「困難で劇的な道を歩み、何かひとつを成し遂げる、それは藝術に生きること」、がスタートしたのだった。

それから17年、2012年、44歳。それから17年、2012年、44歳。
今年の書き初めは「稼」と「嫁」である。

ひょっとして自己肯定に辿り着いたのかな。
お疲れさま今までの自分。さようなら強迫観念。

【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/藝術家】
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