ローマでMANGA[51]イタリアがMANGAを「発見」した頃/midori

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●日本のアニメの上陸

私がイタリア旅行をしている間に、この国では日本のアニメのテレビ放映が始まっていた。記念すべき第一弾は永井豪の「グレンダイザー」。1978年(昭和53年)、私の最初のヨーロッパ旅行の年に放映が始まったわけで、イタリアでの新しいマンガ月刊誌発刊といい、もう、私とイタリアとマンガとMANGAとアニメの深いご縁を感じないわけには行きません。

ちなみにこの年、イタリアの首相アルド・モーロが誘拐・暗殺され、法王パウロ六世が死去。選出されたヨハネ・パウロ一世が在位33日で死去し、455年ぶりのイタリア人ではないポーランド出身の法王ヨハネ・パウロ二世が選出されるという、イタリアにとっても怒涛の年だった。

1978年に始まった日本のアニメ「グレンダイザー」はたちまち子供たちの心を掴み、翌年には「マジンガーZ」、そのまた翌年には「キャンディ・キャンディ」が放映され、いずれも今までにないヒット作になった。

イタリアで、こんなに子供たちが熱狂したアニメは今までなかった。そりゃそうですよ。それまで日本のアニメがなかった、つまり、感情移入できる作品がなかったのだから。

なぜ日本のアニメがイタリアで放映されるに至ったのかは知らない。子供たちがイタリア中で「なんたらパ〜ンチ!」と唱えては攻撃するようになったのでびっくりした。世間では「日本はコンピュータで作るからアニメが安く出来る。だから放映権も安いのでテレビ局どんどん買ってるんだ」と囁かれた。

当時、アニメーションソフトを持つコンピュータなんか、アニメスタジオで使ってませんって。日本=技術、絵を動かす=機械がやる(人が描くわけがない)という短絡思考の賜だ。当時は日本といえば、なんだか小さな体の黄色いサルたちが四六時中働いている...というイメージだったように思う。

旅行中に「日本に電話はある?」とか「日本? ああ、香港?」とか聞かれたりした。日本に対する知識、認識が殆どなかった。ソニー、ニコン、ホンダはあったけど、日本の会社だと知ってる人はあまりいなかったように思う。




1982年(昭和57年)、後に大ヒットする「ベルばら」の放映が始まった年、イタリアでちびっ子向けの雑誌を作っていた出版社が、売上を上げるためにはアニメから取ったMANGA(アニメコミックスとかフィルムコミックスとか呼ばれる)ものを掲載するのがいい! というアイデアを得て、講談社にコンタクトをとった。アニメコミックスなどというのは多分日本特有のものだと思うけれど、そこへ目をつけるなんて、この編集長、盛んに勉強したと見える。

なぜ他のアニメコミックスを出している出版社ではなく、講談社に話を持っていったのかは、どうしても「私とイタリアとマンガとMANGAとアニメ」をつなげようとする運命の神様の操り糸に導かれてのことだと思うが、少年マガジン編集部から講談社KC(単行本を扱う部署)へ移っていた阿久津さんから、ミラノの出版社へ行くので通訳として来てくれないか、との連絡を受けたのだった。

通訳なんてしたことがない。仕事の話をするのに語彙が大いに不足してる。それでも阿久津さんは、いわゆる本職の通訳家より、MANGAのことを知ってる人の方が話がツーカーに通じるのでありがたい。言葉が足りない分は、相手のいうことがわからなかったら聞き返す勇気を持ってくれること、本職ではないのでと相手にも断って、辞書を使っても良い、と言ってくれてやってみる決意をした。

ミラノには当時、イタリア全国規模の大きな出版社が二社あった。ちびっ子雑誌「corriere dei piccoli(コリエレ・デイ・ピッコリ)」の編集長はそのうちの一社。

編集長はものすごい熱意で、アニメコミックスを掲載したい意思を説明した。子供たちにとってはテレビで見るアニメのキャラクターが本物であり、たとえMANGAが原作であっても、テレビで見るのと少しでも違うと本物ではないと認識する。抗議の手紙を受け取ったりするので、アニメコミックスを掲載する必要がある。

阿久津さんが「アニメコミックスは著作権が複雑だから...」と難色を示しても、「一件づつ解決していくから問題ない」と強気だった。

この件で私が関わったのは、この講談社とリッツォーリ社の初めての会見だけで、どのように話が進んだのか承知はしていない。でも、後に講談社が発行したアニメコミックスが掲載されていたので話は結実したわけだ。

●MANGAの発見

同じ年、私は関わっていないけれど、アニメで大ヒットした「キャンディ・キャンディ」のMANGAがイタリア語版で出版された。これは、アニメの原作にMANGAがあって、そのMANGAも面白い、というMANGA発見の先駆けになった。女の子に受けて、MANGAだけでなく同名の雑誌には女の子が喜びそうな記事が載っていた。

翌年、もう一度阿久津さんがイタリアを訪れ、私はまた通訳をする機会を得る。フィレンツェの近郊都市ルッカで行われるコミックスフェアに、講談社が招待を受けたのだ。阿久津さんは国際室に異動になっていて、その室長と一緒にイタリア視察を兼ねてやって来た。

招待といっても「いつからいつまでこういうフェアがありますので、よろしかったらどうぞ」というお知らせであって、ゲストとしての招待ではない。旅費やら宿泊やらフェアの主催者が払うわけではない。それでも、「コリエレ・デイ・ピッコリ」でMANGAの縁がついたイタリアだから、今後のためにも視察を、というとても日本企業らしい考え方で出張を決めたらしい。

講談社は、ボローニャで毎年開催される「国際児童図書展」には必ずブースを出しているので、イタリアには縁が深い。ボローニャでは絵本の取引が主だから、これでMANGA発行でも縁ができるかも、と思ったのかもしれない。

「キャンディ・キャンディ」がアニメとMANGAでヒットしても、マンガ市場が小さいイタリアだから、国際室(後の国際版権)の思惑とは大いに差があったと推測する。

フェアにはMANGA色が殆どなく、イタリア、フランス、スペイン、アメリカの新旧コミックスの祭典だった。今から見ると信じられない風景だ。実際、もうこのフェアには来る必要ないね、とお二方は話し合っていた。

「キャンディ・キャンディ」の熱狂はそれまでなかったことという意味で、イタリアのマンガ界を騒がせたが、市場から見れば一部のものであり、出展者のほとんどはMANGAに関してまったく知識を持っていなかった。この「一部の熱狂」がどういうことなのか理解してなかった、とも言える。

古本のブースで「お手持ちのコミックス買います」の張り紙があるところで、阿久津さんが試しに「キャンディ・キャンディ」の単行本(もちろん日本語)を差し出してみたら、ブースのおじさんは苦笑いをしながら首を横に振った。

この10年後のMANGAブームで、マンガに関わる誰もがMANGAを無視できなくなった時、このおじさんはホゾを噛んだろうか...と時々考える。

イタリアにおける「キャンディ・キャンディ」の特異性として、話が完結した後、発行していたファッブリ・エディトーリ社は続編を小説として刊行する。作家はイタリア人で、この許可を得るのに講談社に打診し、講談社は作者の水木杏子といがらしゆみこをイタリアに招待してくれという条件をつけた、というのが微笑ましい。

その後ファッブリ・エディトーリは、MANGAから離れてもとの百科事典事業に専念。MANGAに参入する出版社が多くなっていったのと逆行した。このへんの決定の経緯を知りたいものだ。

こうして日本のアニメのテレビ放映開始で、当時のガキンチョ達はショックを受けた。そして、日本発ポップアートの洗礼から、MANGAの発見につながっていった。洗礼を受けたガキンチョ達の中には、小学生だけではなく中学生や高校生も含まれた。

アニメやマンガが10代の層に影響を与えたということが、後のMANGAブームに大きく関わっていく。なぜなら、その数年後にこの高校生たちが社会に出るからだ。普通の就職ではなく、MANGAという自分の情熱を仕事にしていく者も現れてくるようになる。

一方、日本では講談社で宮原さんの下で編集を覚えた栗原さんがモーニングを創刊し、宮原さんは少年マガジンを編集長を退任してヤングマガジンを創刊。読者の対象を青年に広げていき、少年海外コミックという部署(?)を設けて(多分お一人で担当)、さらに編集総務局長に就任という変化が起こっていた。これらが、わたしの活動にもだんだんと繋がっていく。

【みどり】midorigo@mac.com

主に料理の写真を載せたブログを書いてます。
< http://midoroma.blog87.fc2.com/ >

2008年に里帰りした時に、知り合いのマンガ家さんに紹介されてインターネットTVのインタビューを受けて、ビデオも一緒に撮った。ミーハーだから「うほほ、私もメディア出演だわ」とちょっと得意になった。

インタビュー記事はすぐにサイトにアップになったけど、〈働く・仕事〜エンタテインメント産業(4)コミックエージェンシー山根緑さんに聞く LWAC-TV〉ビデオはなかなかなアップされなかった。小心者なので、担当者に質問することなく、そのうち生活に追われて忘れてしまった。

で、先日、なんだか検索してて行き着いた。嬉し恥ずかし私のインタビュービデオ。
< http://lwac.jp/wmv/manga/yamane.wmv >

光を調整して、祖母、母譲りの私の垂れた顔面皮膚がほとんどわからなくなっている(目の下の頬が垂れ、口元の脇の肉が垂れてブルドックようになる)ううむ、この調整に手間取ったのかも...と、気を使ってくれた担当者に深く感謝。

日本事情、たまには嬉しいニュースもありますね。

・石原都知事の尖閣諸島購入という発想、いいですね。支持します。「国を守るならなん国が買わないの」という意見もあるけど、持ち主は政治家不信だったそうで国には売らないといっていたそうで、だから無理です。それに、今の政府が購入したら、熨斗つけて中国様に献納してしまいそう。

尖閣諸島なんて小さい島、がたがた言うならあげちゃえばいいじゃない、という人もなかにいるようですが、どんな小さな島にも「領海」という概念がついて回るのを忘れてはいけない。尖閣諸島には九州の6倍の海がついている。その海を守れないと、都民を含めた日本国民の生活に欠くことのできない資源輸送が危険になるということ。

不安材料にはことかかないけど。

・新潟に支那領事館というのも危ない。地図を逆さまにしてみるとわかるけど、新潟は支那から太平洋へ抜ける拠点になる。領事館になったらそこは治外法権。日本の力が及ばなくなる。チャイナタウンを作って経済活発化、とか支那の旅行者を誘致して経済活性化とか、目の前の人参に飛びついて後どうなるのか。落とし穴の方にもよーく目を通して考えてほしい。

新潟だけじゃなく仙台もか。子供のためにパンダ誘致... パンダはプレゼントではなくて賃貸し。その費用年間一億とか。そのお金を復興と内需拡大に使うほうが先ではないのかな。だいたいパンダはチベットのもので、支那が勝手にどうこうしていいものではない。

▼ローマでMANGA[15]東京でMANGA
< http://bn.dgcr.com/archives/20081125140300.html >