[3267] 半世紀を演じ続けたふたり

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《撮った本人ですってばー》

■映画と夜と音楽と...[545]
 半世紀を演じ続けたふたり
 十河 進

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■映画と夜と音楽と...[545]
半世紀を演じ続けたふたり

十河 進
< http://bn.dgcr.com/archives/20120525140200.html >
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〈小川の辺/東京流れ者/無頼・人斬り五郎〉

●藤竜也と松原智恵子が演じた「小川の辺」の隠居夫婦

僕は藤沢周平さんの愛読者で映画化作品はすべて見てきたが、なぜか藤沢さんは生前には自作の映画化を許可しなかった。テレビドラマになった作品はずいぶんあるが、作品の映画化は作者の没後に実現した。それでも山田洋次監督が映画化した三作、黒土三男監督が悲願を達成した「蝉しぐれ」(2005年)、北川景子が主演した「花のあと」(2009年)、評価の高かった「必死剣 鳥刺し」(2010年)など、それほど多くはない。

篠原哲雄監督は「山桜」(2008年)に続いて、「小川の辺」(2011年)を映画化しており、やはり藤沢周平作品に愛着があるのではないかと思う。作品歴を見ると抒情的なものが多く、そういう資質の監督なのかもしれない。「小川の辺」は「山桜」に続いて主人公に東山紀之を起用し、ストイックな武士像を描き出した。登場人物たちの挙措動作にもメリハリがあり、時代劇好きの僕を喜ばせてくれた。

冒頭、戌井朔之助(東山紀之)が家老(笹野高史)の役宅を訪れるところから始まる。笹野高史の芝居がたっぷり間を取ったものでじれったいほどだが、時代劇の時間が流れ出すのがわかった。このゆったりした時間が時代劇なのだなあ、と実感した。その後、朔之助は家老から脱藩した佐久間森衛の討手を命じられる。佐久間は朔之助の妹・田鶴の夫であり、田鶴も共に藩を出て行方をくらませていた。

家老宅を辞して、朔之助は戌井家の屋敷に帰る。その座敷でいきなり、「他の方にお願いすることはできなかったのですか」と詰め寄るような母親の声が響く。その母親を演じていたのが、松原智恵子だった。体型は昔と変わらず細く、和服をキリキリと着こなしている。顔も「細面」と表現したいほど変わっていない。ああ、マツバラチエコだ、と僕は思った。

その松原智恵子の言葉に、「お上の処置を、とやこう申してはならぬ。口を慎め」とたしなめたのは、父親役の藤竜也だった。妻が朔之助に「田鶴が手向かったら、どうするのですか?」と問い詰めると、藤竜也は「そのときは...斬れ」と口にする。その夫にとがめる目を向け、松原智恵子は「おまえ様...」と絶句する。その後、彼女は子供たちに剣術を教え込んだ夫を責める。

妻と居室に戻った朔之助は、妻(尾野真千子)を相手に「昔から勝ち気な人ではあったが、父上にあのような言い方をされることはなかった」と述懐する。その後「母上を頼むぞ」と、父母の関係を気にするようなことを言う。朔之助は母親に似た勝ち気な妹を思い浮かべ、「田鶴は...手向かってくるであろうなあ」と妻に漏らす。血の繋がった兄であろうと、上意討ちの討手である己に夫を助けて手向かってくると彼は確信しているのだ。妹も遣い手なのである。

その後、「小川の辺」は藤沢周平的な武家のしがらみに充ちた世界が展開され、藤沢作品の魅力だと言われる美しい自然風景が具体的な映像として描写されるのだが、僕は松原智恵子と藤竜也の老夫婦の関係が気になった。隠居の父親は息子夫婦にすべてをまかせて口出しをしない。上意は絶対であり、肉親への情は殺さざるを得ないと知っている。

だが、松原智恵子が演じる母親は、家族への愛情だけで生きている。家中における戌井家の立場などは考慮しない。幼い頃の田鶴の思い出を嫁に語り、田鶴への情を募らせる。だから義弟の討手を引き受けた息子も、非情にも娘を「斬れ」と命じた夫も許せない。それは、「仕事と家庭のどっちが大事なの」と迫る妻の前で絶句する夫のように、現代の夫婦にも共通するすれ違いである。

●松原智恵子は儚げな役ばかりが印象に残っている

松原智恵子は、気の強い女性像を演じる人ではなかった。儚げな役ばかりが印象に残っている。彼女は日本が戦争に負ける年の一月に生まれ、16歳で映画デビューした。石原裕次郎と小林旭が人気を二分していた頃の日活である。先輩の女優には、芦川いづみや笹森礼子、子役から出ていた浅丘ルリ子などがいた。彼女たち以前の日活は、月丘夢路や南田洋子、北原三枝といった女優がヒロインを担った。

松原智恵子は同い年の吉永小百合、2歳年下の和泉雅子と同じ頃に銀幕デビューし、日活三人娘として売り出された。ラジオの「赤胴鈴之助」で子役として仕事をしていた吉永小百合は、「拳銃無頼帖 不敵に笑う男」(1960年)や「霧笛が俺を呼んでいる」(1960年)などの赤木圭一郎主演作品で注目され、「キューポラのある街」(1962年)で女優開眼する。

和泉雅子は「銀座の恋の物語」(1962年)や「泥だらけの純情」(1963年)などで、ヒロインの友人といったやや目立つ脇役を演じていたが、「非行少女」(1963年)の主演に抜擢され、その演技が高い評価を受ける。それは「キューポラのある街」で監督デビューした浦山桐郎の二作目だった。吉永小百合も和泉雅子も粘りに粘る浦山監督の演出に耐え、その演技力をきたえたのである。

松原智恵子の不幸は、強烈な個性を持つ監督に出会わなかったことにあるのではないか。主演作品は早くからあったのに、浜田光夫と共演した「大人と子供のあいの子だい」(1961年)は若杉光夫監督、小林旭作品のヒロインに抜擢された「さすらい」(1962年)は野口博志監督など、プログラム・ピクチャーを無難にこなす監督ばかりだった。

その意味では、松原智恵子が出会った最初の個性的な監督は鈴木清順だったのかもしれない。「関東無宿」(1963年)「花と怒濤」(1964年)「俺たちの血が許さない」(1964年)「東京流れ者」(1966年)に彼女は出演し、今までにない役柄を演じた。特に「俺たちの血が許さない」では、人形のような無機質な演技をしている。しかし、清順監督が気に入っていたのかどうかは分らない。

僕は30年前、「陽炎座」(1981年)を完成させた鈴木清順監督にインタビューしている(プロデューサーとして荒戸源次郎さんが同席した)のだが、そのとき「東京流れ者」で「松原智恵子が歌うときに異質な低音の女性の声に吹き替えたのは、『陽炎座』で妖怪の声を使ったのと同じ異化効果を狙ったのですか?」と訊いた。清順監督の答えは「ありゃ、松原が歌えなかっただけだよ」だった。

「東京流れ者」で、松原智恵子はナイトクラブの歌手を演じている。くりかえし歌う曲はブルース調で、当時なら青江三奈でも歌えば似合いそうな曲だった。それにしても、あれほど極端に声質の違う人に吹き替えさせなくてもいいんじゃないか、と僕は思った。だって、松原智恵子はレコードだって出してるし、少なくとも酒井和歌子の歌よりは上手である。

吉永小百合のヒット曲は数知れずあるし、和泉雅子も山内賢とデュエットした「二人の銀座」がある。ベンチャーズが作曲し、大ヒットした。その結果、1967年に日活で映画化し、以前から共演が多かった和泉雅子と山内賢のコンビが定着した。この頃、日活は歌謡曲映画を量産した。歌手を主演にすることも増え、松原智恵子は、舟木一夫や西郷輝彦主演映画でヒロインを演じた。

●70歳になった藤竜也など想像できるはずもなかった

1941年に北京で生まれた藤竜也は、すでに70歳を越える。「小川の辺」でも枯れた演技が半世紀に及ぶ年月を感じさせた。藤竜也が日活でデビューしたのは、「望郷の海」(1962年)である。日大芸術学部の学生で、20歳を過ぎたばかりだった。もっとも、僕はその映画を見ていない。藤竜也を初めて見たのは石原裕次郎主演「夜霧のブルース」(1963年)だが、ほとんど目立たないチンピラ役だった。

藤竜也が初めて騒がれたのは、日活を代表する女優だった芦川いづみの結婚相手としてである。初期の裕次郎映画のヒロインを演じ、その純情可憐さで多くのファンを持っていた芦川いづみが、6歳も年下で、ほとんど無名の俳優と結婚し引退してしまうというニュースを聞いたとき、僕も「なぜ?」と思った。芸能ジャーナリズムは「格下俳優と結婚引退」と騒いだ。1968年に芦川いづみは引退し、今も藤竜也の妻である。

1968年...、まるで芦川いづみとバトンタッチしたかように、藤竜也は作品に恵まれ注目され始める。清純派だった芦川いづみが、踊り子から娼婦に身を落とす役で出演した「無頼」シリーズ二作目の「大幹部 無頼」(1968年)に続く、四作目「無頼 人斬り五郎」の藤竜也は冒頭に登場するだけの役だったが、僕には強い印象を残した。

藤竜也が演じたのは、人斬り五郎の弟分マサである。冒頭、悪辣なオヤブンを殺したふたりは刑務所(ムショ)に入るが、マサは重い病気になりムショの病棟で死にかけている。仮釈放が決まった五郎が面会にきて、マサは姉への言付けを頼む。日をおかずマサは死に、棺がムショの裏門から運び出される。仮釈放で出た五郎がそれを見つめている。五郎のナレーションが重なる。

──刑務所で死んで引き取り手のねえ奴は、この裏門から出されて骨は囚人墓地に埋められる。それを囚人は「裏門仮釈放」という。ムショで死ぬ奴、誰だってムショでだけは死にたくねぇ。そう言い、心で願ぇながら誰かが死んでいく。マサもそうだった。奴のたったひとりの姉は、とうとう現れなかった。奴は、あんなに出たがっていた娑婆に、裏門仮釈放でしか出られなかった。

「無頼」は、ヤクザとして生きる悲しみに充ちたシリーズだ。五郎は「ヤクザなんて虫けらだ」と言いながら、ヤクザとしてしか生きていけない自分を嫌悪している。いつか堅気の生活に戻りたいと願いながら、悪辣なヤクザたちに黒ドスを向けるのだ。そのヤクザの悲しみが、病床で「俺も早く出てぇなあ」と涙を流す藤竜也の表情で刻み込まれる。情感にあふれた役だった。

その藤竜也は、日活の経営が傾き始めた頃から主演級になった。「日活ニューアクション」と呼ばれる作品群である。「野獣を消せ」(1969年)を経て、「反逆のメロディー」(1970年)の寡黙なヤクザ役に到る。原田芳雄が主人公のヤクザを演じ、地井武男が対立する組織のヤクザを演じた。藤竜也は地井武男の組織のボスを仇とつけねらう一匹狼だが、地井武男は藤竜也に惚れて彼を匿う。

さらに「野良猫ロック」シリーズに出演した藤竜也は、五作すべてで役柄の違うキャラクターを演じ分ける。「バロン」と呼ばれる不良グループのキザで粋なリーダー、ベトナム脱走兵を北欧に逃がそうとする男、新宿西口に巣くうフーテン・グループの参謀格など、藤竜也の演技力は一気に花開いたのだ。そして、それらの映画で藤竜也に注目したのがTBSのディレクター久世光彦だった。

僕は今でも憶えているが、TBSドラマ「時間ですよ」の初期シリーズで女湯の更衣室が映ったとき、壁には日活映画「野良猫ロック・セックスハンター」のポスターがかかっていた。しばらくして、藤竜也は寡黙な飲み屋の客として「時間ですよ」に登場しほとんどセリフがないのに人気を得る。その人気に目を付けた東映が、「任侠花一輪」(1974年)で藤竜也を本格的な主演に迎えた。

●40年前に日活を去った多くの俳優たちが今も活躍している

僕は藤竜也と松原智恵子が同じスクリーンに映っているというだけで「小川の辺」を忘れない。日活が経営困難からロマンポルノ路線に切り替えた1971年、このふたりが70近い歳になって夫婦役を演じると誰が予想しただろうか。あのとき、ロマンポルノには出演しないと多くの俳優たちが日活を去った。石原裕次郎、小林旭、渡哲也、高橋英樹、浅丘ルリ子、吉永小百合、松原智恵子、梶芽衣子などだ。

石原裕次郎は石原プロに渡哲也を迎え、多くの日活の俳優やスタッフを引き受けた。小林旭はしばらく実業の世界へ向かったが、東映の「仁義なき戦い 代理戦争」(1973年)で復活し、さすがは小林旭だと観客を唸らせた。彼が出演しなければ、「仁義なき戦い 代理戦争」も「仁義なき戦い 頂上作戦」(1974年)もあれほどの名作にはならなかっただろう。

日活を出て石原プロに入った渡哲也は70年代前半は映画を中心に活躍し、「仁義の墓場」(1975年)という衝撃作を持ってはいるが、その後はテレビシリーズに出るしかなく、俳優としての作品歴には悔いが残る。松原智恵子も日活を出た後は、めぼしい出演作がなく、「新仁義なき戦い 組長最後の日」(1976年)でのヤクザの兄に尽くす近親相姦的な関係の妹役が僕の記憶する最後の姿だった。

やはり、松原智恵子は渡哲也とのコンビが最高だった。ヤクザを愛し、男の生き方に耐え続ける女...、現代のフェミニストからは徹底的な批判を受けそうだが、そのイメージが松原智恵子には影のように寄り添っている。愁いを含んだ泣き顔が甦る。「東京流れ者」では、ほとんど「哲也さん...」という言葉しか口にせず、男の勝手な生き方を許した。

そして、藤竜也と松原智恵子と渡哲也が出演した「無頼 人斬り五郎」では、薄幸なヒロインを演じながら、何と言われようと惚れた男についていく意志を顕わにした頑固さを見せる。自分をフェリーに置き去りにして殴り込みに向かった五郎を、彼女は恨み言も言わずに追う。傷つき地に倒れて起きあがれない五郎は、目の前のサングラス映る松原智恵子を見る。そのときの松原智恵子は、五郎にとっての女神である。

1970年に発行された漫画雑誌「COM」に、滝田ゆうが「夕焼けのあいつ」という短編を描いていた。女学生がヘルメットをかぶってデモに出る。機動隊に襲われそうになったとき、ひとりのヘルメット姿の学生が現れて機動隊を蹴散らし、彼女を救う。彼にひと目惚れした彼女は「文学部一年、マチバラチエコ」と大声で名乗る。それからは、彼と一緒にデモに出て高揚した日々を送る。

やがて彼は卒業し、ある日、彼女は新入社員の研修で自衛隊に入れられ、グラウンドを走らされる彼を見付ける。金網の外から彼女は悲しみの目をして、「文学部三年、マチバラチエコ」と口にする。悲しい余韻が残るマンガだった。以来、松原智恵子を見ると、僕は必ずこのマンガを思い出す。

だが、「小川の辺」の松原智恵子を見たときには、「夕焼けのあいつ」は思い出さなかった。勝ち気な役をやるときは松原智恵子も泣き顔ではなく、少しきつい視線をするんだなと気付いた。そりゃあ女優だもの、ともうひとりの僕が彼女をかばうように言う。観客は勝手なイメージを抱き、喜んだり落胆したりする。女優は役柄で変わるのだ。松原智恵子も石坂洋次郎原作のテレビドラマでは、勝ち気なヒロインをやっていた。

藤竜也は大島渚監督「愛のコリーダ」(1976年)でハードコア男優として有名になり、翌年は出演作がない。同じ大島渚監督の「愛の亡霊」(1978年)で吉行和子と共演して復帰し、「大追跡」や「プロハンター」といったテレビシリーズでかっこいいアクションスターのイメージを作った。北方謙三原作の「友よ、静かに瞑れ」(1985年)では、日本の代表的なハートボイルドスターになった。

どちらにしろ、長い長い年月が過ぎ去ったのだ。藤竜也は隠居した武士を演じ、松原智恵子はその妻を演じるようになった。「小川の辺」で主演した東山紀之はすでに45歳になるが、彼が生まれたときには藤竜也はデビュー5年め、渡哲也主演でリメイクした「嵐を呼ぶ男」(1966年)で音楽家の弟を演じていた。松原智恵子は「東京流れ者」など一年に10本ものプログラム・ピクチャーに出演する売れっ子だった。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >

このところ立て続けに、ヴィダル・サスーンが亡くなり、加藤郁也さんが亡くなり、中原早苗こと深作欣二夫人が亡くなった。そう言えば吉村達也さんも訃報が出ていたなあ。加藤郁也さんが亡くなったとき、思潮社版「加藤郁也詩集」を書棚から取り出してきたが、40年前に買ったとは思えないほど綺麗なままだった。

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「2003年版 青息吐息編」350円+税
「2004年版 明鏡止水編」350円+税
「2005年版 暗雲低迷編」350円+税
「2006年版 臥薪嘗胆編」350円+税
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■Otaku ワールドへようこそ![153]
河原に点在する限りなく軽い存在たち

GrowHair
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本題に入る前に、ちょこっと日食のことをば。

●日食はツイッターで観察したクチです

火曜日に岡田陽一さんが「十数人が日食グラスやNDフィルタ越しに同じ方向の空を見上げているのに、何事もないかのように、まっすぐ前だけを見てウォーキングしたり犬の散歩をしたりしている人たち」を不思議に感じたと書かれているが、私の同僚のK島氏も同じことを言っていた。

2009年に皆既日食を見にわざわざ中国まで行って、世紀の天体ショーの観察の場に立ち会えたことへの感動で「もう死んでもいい」とまで思っていたのに、その傍らを犬連れて無関心に歩き過ぎる人とか。この温度差っていったい何なんでしょ。

大災害に見舞われたり疫病が流行ったりしたとき、みんな同じ仕様に出来ていて同じ行動をとったら種として全滅してしまう恐れがあるので、バリエーションをもたせておくのが生物の知恵というか自然の摂理なのかも、と思っておきましょうか。

私もまた写真を撮る者の端くれ。素人がちょちょいと撮ったのとは一線を画する「これぞ金環食!」ってのを撮ってお目にかけましょうか、といつになく張りきった。......ということはなく、早起きしようという気すら起きなかった。これがもし十数年前、何でもかんでも雑食的に撮ってたころだったらがんばってたかもしれない。

「写真ってのはなぁ、ほんのちょっとでもメンドクサイって気持ちを起こしたら、その時点でオワリなんだよ。気ぃ抜いて撮るくらいなら、即、引退すべし」なんてとんがった信条もってたっけなぁ。あのころのオレが今のオレを見たら「もう撮らんでよろし」って言うかなぁ。ごめん、メンドクサイ。

だいたい世の中の関心と自分の関心が一致してるって感覚もってる人って、テレビの見すぎなんじゃないかな? ......とか何とか言ってる、うっす〜い関心の人は、実物を見るよりツイッターで観察するほうが楽しめる。

この写真には深く感心した。「結構うまく撮れた!!!」とか言ってるけど、心なしかゆがんでるように見えるんですけど。「イスの上に置いた輪ゴムが」。はいはいよかったね。時として、手抜き写真のほうが面白い場合もあるってことだ。
< http://bit.ly/LpU20D >

マジメにすごいと思ったのがこの写真。太陽を背景に飛行機が黒くシルエットで、月を背景にジェット噴射が白く、という奇跡のような白黒コンビネーション。撮った本人「飛行機うぜぇ」。おいおいマジすげぇって。
< http://bit.ly/JTbdf3 >

逆向きに観察するとこうなってる、っていうのにもちょっと感動した。うん、ナイトスポットだ。意味違うけど。
< http://bit.ly/LBTVFq >

あと、1,500円も出して日食グラスを買っておいたのに寝坊したことを嘆く専用の掲示板ができてたり。えーっと次は2030年に北海道であるらしいですよ。そのころには「2012年の製品は実は目に危険だった」なんてことになってないことを祈る。

●男一匹と猫15匹

入間川の河川敷に置かれた車の中に猫5匹とともに住むおじさん〜上田友浩氏(仮名)62歳〜のことを以前に書いた。3月20日(火・祝)に行って聞いてきた話である。それから一か月経った4月22日(日)、再び上田さんちへ行って、庭で人形を撮影させてもらった。

そのときは、人形作家さん二人と一緒に行った。吉村眸さんと岡野茜さん。同じ大学の先輩後輩で、卒業してからも研究生として大学に残り、彫刻を専攻している。吉村さんの作品は、そこの近辺で二度ほど撮ったことがある。

吉村さんとは '09年12月に知り合った。銀座の「gallery 156」で人形作家10人と私のグループ展「臘月祭(ろうげつさい)」を開いたとき、来てくれたのである。吉村さんも同じ画廊で個展を開く予定があるとのことで。私の撮った人形の写真が展示されているのを見て、吉村さんの作品も撮らせていただける話になった。そのとき私は在廊してなくて、会ったのは年明けだったが。セーラー服を着るおっさんだってことは、すでにしっかりバラされていた。

かつて岡本太郎氏は「芸術は爆発だ」と言っていたけど、吉村さんのアートは「芸術は種火」みたいな感じ。短距離全力疾走ではなく、マイペースを崩さず長距離を淡々と走り続けるランナーというか。別に歯を食いしばって忍耐に忍耐を重ねたりしなくても、根気の要る長い工程の作業を日常のことのように自然体でこなしている。

創作への熱く燃え盛る情熱みたいなのが本人の姿勢から読みとりづらくたって、作品は非常に面白く、挑戦意欲満々なのが表れている。創造性が高く、既存の固定観念の枠組みから外へ出よう出ようとしているように感じられる。「尖ってナンボだから」みたいなことをおだやかな、落ち着いた調子でさらっと言っちゃうあたりが私としては可笑しくてしょうがない。

去年の12月に吉祥寺の「gallery re:tail」で吉村さんと岡野さんが二人展「flux:絶え間ない変化」を開き、私は12月24日(土)に見に行って岡野さんと初めて会った。初っ端からいきなりセーラー服姿をお目にかけてしまったわけだ。近いうちにお二人の作品の写真を撮影させてもらい、5月のデザフェスに展示できればとお願いすると、即座にOKしてもらえた。

で、3月3日(土)に三人で打合せ。新宿西口交番前で待ち合わせたが、このときも私はセーラー服を着て行っていた。同じ3月、浜町の「好文画廊」にて東京学芸大学彫刻展が開かれ、吉村さんと岡野さんの作品も出品されていた。それとは別に岡野さんは銀座の「ギャラリーツープラス」で個展「部屋」を開催していた。私は3月17日(土)に両方見に行って、浜町で吉村さんと、銀座で岡野さんと会った。けっこうな雨の中、浜町〜人形町〜日本橋〜京橋〜銀座と歩いた。このときもセーラー服だった。

ということは岡野さんは私と会った最初の三回、セーラー服姿ばかり見てたってことか。デザフェスには、セーラー服着て来てくれた。これだ。
< http://bit.ly/L7micf >

岡野さんのアートは、精神の地の果てまで行って着想し、戻ってきてこっちの世界へ生み出されたよう。抽象的なのだ。苦痛で苦痛でたまらない領域へ、あえて平気な顔をして踏み込んで行き、自己の精神を徹底的に痛めつけたら何が出てくるだろうと実験してみたりする。自分の存在の孤独さ、弱さ、意義の軽さといった、ちゃんと向き合うのをついつい忌避しがちな方向へ、無理やり自分を向かせてみる。仏教で言うところの「不浄観」の精神修養を思わせる。

ずっと前、渋谷の繁華街で、路上にポイ捨てされた煙草の吸殻を、縦にずらずらと並べていくという作業を一人で黙々としてみたそうである。私のようにキャピキャピ喜んでセーラー服を着て歩いているのとは大違いで、なんだかわけのわからないことをしていることで、通行人から奇異の目で見られることがつらくてしかたがない、だからあえてやってみたのだそうである。

銀座の個展のときは、造形作品の傍ら、映像を流していた。被写体は自分。建物内、ときおり人の往来のある廊下の脇に、金属パイプを直方体に組んで壁や天井のないのない枠だけの部屋のようにこしらえ、その中に座って、口をガムテープで塞ぎ、目隠しをして、あとは長時間ただ座っている。その姿を延々収録したものを映している。

通りがかる人の多くは、状況に対する納得性のある説明が欲しくなるようで、本人よりも周辺に何か手がかりはないかと見回して、うーんなんだかやっぱりよく分からん、ってもやもやした気持ちで歩き去っていく。向こうからこっちは見えるけど、こっちから向こうは見えない。決定的に弱い側の立場。それを試してみたかったのだそうだ。孤独で無力で、涙が出てきたそうである。

さて、そんな吉村さんと岡野さんと、4月22日(日)に上田さんちへ。二回の予定が雨で流れ、三度目の正直である。この日も予報はかんばしくなかったが、撮影中はちょっとぱらついた程度でなんとかもってくれて、撮影を終えて近くのコンビニで一息ついているときに本格的に降り出した。

前回のプロフィール欄にちょこっと書いたように、上田さんちへ行ってみると、猫が10匹増えていた。1匹が5匹産み、10日ほど置いて別の1匹が5匹産んだそうである。車のシートを倒して寝床にしているが、その下をごそごそ探って代わる代わるつかみ出して見せてくれた。片手に2匹乗せられる小ささ。後から生まれた5匹はまだ目が開くか開かないかぐらい。親が全力でニャーニャー抗議する。

3月に来たとき、福祉の人が配っているという紙を見せてもらったので、今回来る前、そこに書いてある番号に電話してみていた。埼玉県福祉士会。電話するとどうなるかというと、まず「シェルター」というところに1か月ほど住まわせてくれるそうである。その間に戸籍や住民票の復活などの手続きをしてくれる。また、シェルターであっても住所として認められ、銀行の口座を作ってもらえる。そこへ生活保護が振り込まれる。アパート探しもしてもらえて、そこへ移る。生活保護はずっと受け続けることができる。

上田さんはそうは言っていなかった。アパート暮らしして2〜3か月経つと、仕事見つけろとうるさく言われる。仕事してないと、生活保護が減額されてしまう、と。「見つけろったって、60歳過ぎてんだから、誰も雇ってなんかくれないよ」。

橋の下の集落の人々は、近々塗り替える計画があるとかで立ち退きを迫られているが、福祉の人の助けでアパート暮らしを始めた人たちも、もう半分ぐらいが河原に戻って来ているという。元の場所には戻れないので、適当に場所を見つけている。先住者が亡くなって空き家になってた倉庫みたいな掘っ立て小屋とか。

その人のほかにも、橋の下に住んでた人が一人死んだそうである。集落のようにみんなで暮らしているのに誰も気づかず、発見されたときは死後2か月ほど経っていたそうである。そんなふうであっても、アパート暮らしよりはいいらしい。

どうも貧困ビジネスのかほりがぷんぷん漂う。生活保護受給者をとりまとめて食事を出したりする代わりに上前をピンはねしちゃう、あれ。NHKが特集番組を組んで、さらに本を出版したためか、貧困ビジネスについてはけっこう世の中に知られているようだ。私はまだ読んでないけど。NHK取材班『NHKスペシャル 生活保護3兆円の衝撃』(宝島社、2012/4/14)

お二人の作品を上田さんちの庭で撮ったらさぞかし面白かんべぇ、と前々から思っていた。通底する何かがあるのだ。みなさんのご協力のおかげで、それが実現した。そうらやっぱ面白いじゃん。周辺に散らばっている産業廃棄物とのコンビネーションもまたよい。

ところで上田さんは、近くで畑をやっているK原さんからタケノコをもらったんだけど、歯が弱くなってるんで硬いものは食べられないのだそうである。だからもらってくれ、ってんで、岡野さんがもらった。河原に住んでる人を訪ねて行って、食料を恵んでもらって帰ってくるって状況がワタシ的にはたいへんウケるんですけど。岡野さんは持って帰って食べたそうである。

●そんなに美味いのかタンポポって

3月に一人で来たとき、橋の下にも行ってみた。橋の下の集落は、何回か通り抜けたことがある。40年間放置されている鉄道線路は廃線ではなく休止線で、再開する計画もあったはずなんだけど、そんなことお構いなし、って感じで橋が遮断している。線路沿いに歩いて来るとコンクリートの壁にぶち当たり、水の流ている方へ少し歩いて橋の下をくぐって、また土手のほうへ戻ってくると、壁から線路の続きが出ている。

その橋の下に集落があったのだ。なんだか恐くて、息を殺してそーっと歩き抜けていた。犬を飼ってる人もいれば、文庫本を読んでいる人もいる。3月には一所帯しか残っていなかった。その住人もお出かけ中で、誰もいなかった。

人が立ち退いた後の区画は、片付けられ、更地にされ、杭が打たれ、針金が張り巡らされていた。人が住んでいる領域は、屋内のような屋外のような。生活感があって、非常によい。ここでも撮れないかなぁ。ここの住人だってもうまもなく立ち退かされるであろうから、この眺めも今しかない、貴重なものなんだよなぁ。

5月にもう一回行ってお話しすることができたのだが、結局名前は教えてもらえなかった。ブリタニカの百科事典が積んであったので、仮に谷川鰤(ぶり)さんとしておこう。茨城県出身で、ここに暮らして3年になるという。

さて、デザフェスには、もうお一方、人形作家さんの作品を撮影して展示させていただける話になっていた。清水真理さん。創作人形ではトップクラスの有名な方であり、大泉学園駅から徒歩5分ほどのところにアトリエがあり、人形教室「アトリエ果樹園」を開いている。

清水さんは6月に写真集の出版と、それとリンクした個展の開催を予定しているので、たいへんに多忙である。撮影はいいけれど立ち会ってる暇がないってことで、2体、貸していただけた。うわ、畏れ多いことです。

清水真理『Miracle〜奇跡〜』(発行:アトリエサード、発売:書苑新社)
< http://atelierthird.jugem.jp/?cid=64 >

田中流(ながれ)さんというプロの写真家さんが、清水さんの人形を一番多く撮っている。もう何万枚というレベルで。撮り始めたら人形に引き込まれちゃって止まらなくなり、8時間ほど撮り続けていたこともあるそうだ。今度出版する写真集で使われる写真は、ほとんどが田中さんの撮ったものである。けど、実は私が撮ったのも2ページばかり使ってもらえるそうで。奥付にGrowHairの名前も入れてもらってるそうで。いや、それ、私にとって「Miracle 〜奇跡〜」なんですけど。

清水さんの人形は夢見る少女の心を映し出したロマンチックな作品が多いので、撮るとしたら、アンティークショップとか洋館とかチャペルとかがよく似合う。けど、それはなんだか分かりやすすぎる感じもするのだ。あえて外してみるというのも一策ではなかろうか。

谷川さんちと清水さんの人形、ってコンビネーションはどうだろう。汚くて美しい場所に、きれいで美しい人形。そこにはおのずと「生命」というテーマが浮かび上がってくるであろう。うーん、撮りたい、撮りたい。けど、いきなり訪ねて行って、今からあなたのお家で撮らせてください、って話は、いくらなんでもないよなぁ。と思いつつ、無茶を承知で一か八か、ひとつ賭けてみるとするか。

5月4日(金)、再び入間川の河川敷へ。一人で人形とカメラを持ち歩くのは危険なので、吉村さんにお手伝いをお願いした。人形作家さんに撮影のアシスタントをお願い、っていうのもこれまた無茶な話なのだけど、人形の扱いを頼むのに誰でもいいってわけにはいかないのだ。

この日も天気が怪しかった。けど、デザフェスが5月12日(土)、13日(日)なのに、その約1週間前に撮ってるってこと自体がアレな事態で(毎度の事態とも言うけれど)、先延ばしは利かないのだ。これまたラッキーで、一通り撮り終わって、休憩してからまだ行けるようならもう1ラウンド撮ろうかなぁなんて思ってコンビニに戻ったら、休んでいる間に、もうきっぱりあきらめがつくぐらいに強い降りになった。

さて、橋の下の谷川さんちへ。今度は留守ではなかった。ここで写真を撮らせてもらえませんか、とお願いすると「何言ってんだ、ここは俺んちだぞ」と言下に断られる。やっぱそうですよね、と引き下がるわけにはいかない。美しいし、貴重なんで、ぜひぜひ! と食い下がる。最初は面白半分に撮りたがっていると思ってたようだけど、ようやくこちらの意図が伝わったようで。「お、芸術家か。よし分かった、撮らせてやるよ」。

拾ってきたものを売って生計を立てているという。谷川さんもまた猫を飼っている。大きなダンボール箱の中で丸くなって寝ている。別のダンボール箱の中には、子猫がいるそうだ。前日生まれたばかりみたいで、声がするんだけど、親猫が怒るもんだから近づけず、何匹いるのかまだ分からないとのこと。

以前は三人で暮らしていたという区画に今は一人でいるという。車が寝室で、囲炉裏みたいなのがこしらえてあるのがダイニングキッチンで、別のところにリビングがある。リビングでは常時ラジオが鳴っている。

近々日食があることを知っていた。 それと、貧困ビジネスというのがあることも。ここからは出ていきたくないそうだ。福祉の世話には意地でもなるもんか、と言っていた。それに、不自由なアパート暮らしよりも、ここには自由があっていい、とも。

三人で暮らしていたうちの一人は死んだそうだ。「きっと飲みすぎだったんだよ。よく飲んでたからなぁ。目の中、真っ白白だったし、健康に問題あったのかもなぁ」。そういうことがあってもアパート暮らしは断固拒否なんだなぁ。私の感覚だと、楽だし、安全だし、快適だし、電気来てるし、アパート暮らしのほうが断然いいように思えるんだけどなぁ。

ボウルに水が張られ、タンポポが浸されている。花も蕾も茎も葉っぱも。アク抜き中。「ゼニがねぇからこれ食ってんじゃねぇんだ。美味いから食ってんだ」と強調する。エグみがいいのだそうで。酒のつまみに最高なんだとか。

湯がいてマヨネーズつけて食べても美味いし、豚肉と一緒に炒めてもよし。フランスではタンポポの葉っぱを食材として売っているようなので、食うこと自体、間違っていないであろう。キク科の植物なので、春菊とか刺身に添えられてる食用菊と似た味なんだろうな、きっと。タンポポは茎を折ると、白い汁が滲み出してくるので、あれを見ちゃうとあんまり食いたくならないんだけどなぁ。とか何とか言っていながら、一度食してみたいかな〜という気も。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
セーラー服仙人カメコ。アイデンティティ拡散。

デザフェスで展示した写真はこちら。
< http://bit.ly/LqQ6wv >
よく売れたし、「見ていてなんだかグッと来るものがある」と賛辞を述べてくれた人もいた。

ケバヤシの姿はこちら。ツイッターを検索して拾い出した写真だ。
< http://bit.ly/Kpv198 >
ツイッターでは私のことがつぶやかれたツイートが100件ほど。読んでみると、私が作品制作者から頼まれて店番している売り子だと思った人がけっこういて愕然。セーラー服来たおっさんに売り子頼む人なんていますかいな。撮った本人ですってばー。二日目には、立ち止まる人ごとに自分から強調しておいた。

清水真理さんの写真集出版とリンクした個展の情報です。
◇ヴァニラ画廊にて個展開催!
2012年6月11日(月)〜6月23日(土)※6月17日(日)も特別営業
清水真理個展「Metamorphose─変容─ 〜傷みが悦びに変わるとき〜」
入場料500円
詳細は
< http://www.vanilla-gallery.com/archives/2012/20120611.html >

このところ暑いので、部屋ではズボンを脱いで過ごしている。炬燵の骨をテーブル代わりにして、あぐらをかいてパソコンに向かう。すると、大腿部をこちょこちょとくすぐるやつがいる。わ、虫か?! 見ても何もいない。こすっても何もついていない。おかしいなぁ。ってなことが二度三度。あっと気がつく。自分のヒゲの先端だった。うん、伸びすぎだ。

ずいぶん昔だけど、写真家のアラーキーこと荒木経惟氏が撮った写真で、ご自身の影を写したものがあり、「どうだ! 影だけでも俺だと分かるであろう!」と言わんばかりであった。ふふふ、そういうのなら私だって。どうでしょ。
< http://bit.ly/KLSzXp >

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編集後記(05/25)

●姉妹誌「写真を楽しむ生活」では全国写真展情報の一覧カレンダーが好評だが、一か月くらい先までの写真展情報をコツコツとデータベースに入力し、同時にカレンダーにも書き込む作業はけっこう大変だ。だいぶ前、6月26日から7月9日まで新宿ニコンサロンで開催される、安世鴻写真展「重重(Layer by layer)」を書き込んだ時、これは絶対に大問題になる写真展だなと思った。案の定、いまニコンサロンのサイトには「諸般の事情により中止することとなりました」とお詫びが書かれている。一般からの抗議を受けての決定だろう。

ニコンサロンは「プロ・アマの壁を取り払い、企業戦略に影響されず、あらゆる分野の優れた作品の展示場として写真展本来の姿を追求する」と位置づけられている。公募制で参加資格はとくにない。2か月毎に選考され展示が決まる。件の写真展は韓国人写真家が、朝鮮人「元日本軍慰安婦」を中国に訪ねて取材したものだという。選考委員会(土田ヒロミ、大島洋、伊藤俊治、北島敬三、竹内万里子)は何故、よりによってこのテーマで選考を通過させたのか。虚構でも、プロパガンダでも、芸術性に優れていればいいのか。この軽卒さには驚くしかない。天下のニコンとあろうものが、日本でこんな展示をしたら日本人はどう反応するかわからないのか。おそまつな話だ。でも、一番責任あるのは5人の審査員だな。中止について彼らの意見もぜひ聞きたいものだ。(柴田)

●GWにランニング用BGMをTSUTAYAで借りた。つきそいで行って、ふらっと見回っていたら見つけた。曲が途切れず、すべてが160BPM(1分間に160歩)前後。試聴してみる。なるほどなぁ、このテンポでずっと流れると、走りやすいわ。スポーツメーカーとのコラボや、ヒット曲コンセプト、カフェ系の爽やかコンセプトのものなどいろいろ置いてあった。3枚借りてみて、結局聞いているのはジョグ・ハウス・ミックス版。Spring Rainから始まり、SATCのテーマ、ロッキーのテーマ(Eye Of The Tiger)、We Will Rock YouにBorn To Be Wildやら、なんだか元気になる曲がいっぱい。テンポが揃っていると集中力が途切れにくいし、知っている曲だと弾みがつく。しかしランニングしていないため、家事や仕事用のBGMになっているよ......。(hammer.mule)
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B004D95IQK/dgcrcom-22/ >
トウキョウ・ランニング・スタイル・ジョグ・ハウス・ミックス
< http://soundcloud.com/nikerunning/nike-free-running-karaoke >
Nike Free Running Karaoke。歌いながら走るみたい。こっちもロッキーから
< http://www.exermusic.com/ >
変換するサービスはないのかと調べたら
< http://d.hatena.ne.jp/MIYADi/20081017/1224241876 >
Windowsなら。160BPMに
< http://www.musicmashroom.com/app/hashnmash/help/ >
使い方
< http://blog.goo.ne.jp/mainya2010/e/e5011b4facba7501a87f889eed018541 >
Audacityで
< http://ja-jp.facebook.com/note.php?note_id=194513767308352 >
こちらにもAudacityでの変換の仕方があった
< http://panic.com/jp/coda/ >
Coda2、Diet Codaを購入。Macで保存すると、iPadにすぐさま反映されるのが
面白い。
< http://picstar.jp/ >
好きな画像でAR。千円札がマーカーになるからと試したら、手元に千円札なし...