映画と夜と音楽と...[548]書き手の志は投影されると信じたい/十河 進

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〈ふたり/あした〉

●中江有里さんは「吉永小百合の再来」と言われた

NHK-BSで土曜日の朝に放映されていた「ブックレビュー」は、熱心に見ていた。図書館勤めのカミサンが本の情報を仕入れるために見ていたのを横で見るようになり、僕の方がそのまま見続けていた。児玉清さんが生き生きと司会をしていて、「この人はホントに本が好きなんだなあ」と思った。児玉さんは、その後、時代小説大賞の選考委員などもやるようになったが、昨年惜しくも亡くなった。

しかし、児玉清さんは毎週、司会をしていたわけではなかった。見始めの頃、何となく見覚えのある背の高い女性が司会をしていて、カミサンに訊いたら「長田ナントカじゃないかしら」と言う。「長田渚左?」と僕はつぶやいた。そうか、司会は何人かで交替なんだ、一回の放送で取り上げる本は少なくとも四冊、それを一週間で読むのは大変だ、毎週の司会はできないよなあ、と僕は納得した。

もっとも、中江有里さんは、すべての司会者のアシスタントとして毎週出ていた。おまけに、すべての本を読んでいる。適切なコメント、感想が入る。その静かで知的なアシスタントぶりが、実にクールだった。カミサンに訊くと「大変らしいわよ。ずっと本を読んでいるんですって。掃除機かけながら、片手で本を持ってるって言ってたわ」と言う。それは凄い、と感心した。

「ブックレビュー」は前半に三人の本好きのゲストが登場して、それぞれが三冊のお薦めの本を持参する。その中の一冊が全員で書評する対象になるので、そこで少なくとも三冊は読まなければならない。後半は話題の新刊の著者を招いて、その本についてのディープインタビューだった。これも深く読み込んでいないと、適切な質問はできない。

そのコーナーでも、アシスタントの中江さんは果敢に著者に切り込んでいった。司会の児玉清さんが感心したように彼女に話を振ることも多かった。その後、中江さんはメインの司会者になった。番組が終了するまで、藤沢周、梯久美子といった人たちと交代で司会を担当していた。穏やかな笑みを浮かべてはいるが、クールなスタイルが彼女の持ち味である。




ところで、ある時期から中江有里さんのプロフィール紹介に「脚本家、作家」というのが加わった。僕は何も知らなかったのだが、自作脚本が放送され、小説も出版したらしい。本好きで「ブックレビュー」の司会に抜擢され、長く様々な本を読んできたことが、彼女の役に立ったのかもしれない。個人の本の好みは偏りがちだが、番組で取り上げる本は様々だから、自分では手を出さない本も読まなくてはならないのだ。

中江さんは、デビュー当時「吉永小百合の再来」と言われたことがある。確かに、横顔は若い頃の吉永小百合によく似ている。知的である。しかし、残念ながら女優としては大成しなかった。僕はデビューの頃から注目していたのだが、記憶に残っている出演作は「ふたり」(1991年)くらいしかない。

大林宣彦監督は彼女が気に入っているのか、「風の歌が聴きたい」(1998年)「理由」(2004年)など、いくつかの作品で彼女を使っている。「風の歌を聴きたい」では重要な役だし、「理由」では作家の役だ。「ふたり」のときも、ヒロイン石田ひかりの級友で目立つ役だった。「ふたり」は、デビューしたばかりの頃の作品。初々しい中江さんが見られる。

●大林宣彦監督は赤川次郎の小説を多く映像化している

大林宣彦さんは赤川次郎さんの小説が好きなのか、よく映画化している。「ふたり」「あした」(1995年)は、赤川次郎さんの原作である。どちらも少女たちの物語だ。大林さんはテレビの2時間ドラマでも「三毛猫ホームズの黄昏ホテル」(1998年)を監督していて、これもなかなかよくできていた。少なくとも僕は、楽しんで見た。

赤川次郎さんの小説は、映像化されると実にいい。小説としては少し書き飛ばしている感じがするものもないではないが、きっちり書き込んでいない分、読みやすいし映像化するときに膨らませやすいのかもしれない。元々、シナリオを志していた人だという。それに、赤川さん本人が相当な映画好きだから、映像化に理解があるのだろう。

父親の赤川孝一という人は、満州映画協会(満映)に勤めていた人で、終戦のときに甘粕理事長が毒を呷ったとき、映画監督の内田吐夢と共に看取った人である。帰国して東映に入り、「白蛇伝」(1958年)などの長編アニメを制作したという。僕の世代にとっては、思い出深いアニメーションである。

ところで、僕は赤川次郎さんの「三毛猫ホームズの推理」がカッパノベルスから出たときのことを、今でもよく憶えている。その本は、新聞広告に大きく掲載された。僕は赤川次郎という名前をそれで知ったのだが、その三毛猫ホームズの第一作はすぐに評判になり、ベストセラーリストに登場した。1978年のことだった。

「三毛猫ホームズの推理」は、僕も読んで感心したものだった。今でも、三毛猫ホームズがマッチ箱でじゃれる姿を見て、主人公の刑事がトリックの謎を解くシーンの鮮やかさを憶えている。細かいところは忘れてしまったが、意外などんでん返しが甦る。読みやすく、猫が可愛く、ベストセラーになる条件は揃っていた。

それから遡って、僕はデビュー作の「幽霊列車」を読んだ。「オール読物推理小説新人賞」を受賞した短編だ。日本テレビだったと思うが、2時間ドラマとして映像化され放映された。おそらく初めて映像化された赤川作品だと思う。主人公の中年刑事は、まだ青大将のイメージが強かった田中邦衛。推理好きの女子大生を、NHKテレビ小説のヒロインで人気が出た浅茅陽子が演じた。

「幽霊列車」(1978年)は、岡本喜八監督の作品である。桑山正一、殿山泰司、今福正雄、成瀬昌彦、山本麟一、信欣三といった顔ぶれが懐かしい。岡本作品の常連だった怪優・天本英世も出ていた。影絵のような描き方でトリックが説明されたと記憶しているが、原作のユーモア・ミステリの味をうまく生かしていた。

その後、赤川次郎さんはベストセラー作家の常連になり、角川書店と角川映画がバックアップする形で、「赤川次郎」はある種のブランドとなった。その映画化の一作目が「セーラー服と機関銃」(1981年)だった。僕は、その映画を銀座にある東映本社の試写室で見た。薬師丸ひろ子の前作「翔んだカップル」(1980年)が評判になった相米慎二監督の二作目だった。

「セーラー服と機関銃」は、僕にとても強い印象を残した。切なさを観客の胸に掻き立てる、よい映画だった。試写を見た数日後、僕は相米慎二監督にインタビューをした。インタビュアーとしては、かなり思い入れの強い質問ばかりしたのかもしれない。特に「カスバの女」という歌の使い方にこだわった。監督には「好きだから使ったんだよ」と、軽くいなされた。今では、懐かしい思い出だ。

「セーラー服と機関銃」の映画が気に入った僕は、角川文庫の小説を買って読んだ。高校生の少女が、いきなり目高組というヤクザの組の組長になるという設定自体がファンタジーなので、目くじら立てる必要もないのだけれど、やっぱり読まなくてもよかったかな、と思った。

●「ふたり」は死んだ姉が幽霊になって現れる物語だが...

「探偵物語」(1983年)から「結婚案内ミステリー」(1985年)まで、数年間に赤川作品は六本が制作された。僕が見ているのは、「探偵物語」「いつか誰かが殺される」(1984年)「早春物語」(1985年)だが、根岸吉太郎監督の「探偵物語」のラストの長まわしで薬師丸ひろ子が感情を盛り上げていくところ、澤井信一郎監督の「早春物語」の原田知世の初々しさが印象に残っている。

赤川作品の映画化は80年代前半で、ひと息つくことになる。それから6年が過ぎて90年代になり、大林宣彦監督の「ふたり」(1991年)の原作が赤川次郎さんの小説だと知って、僕は意外に思った。それは、幽霊が出てくる話ではあるけれどミステリではなく、どちらかと言えば少女の成長を描く青春物語の印象があったからである。それは「早春物語」もそうだから、赤川次郎ファンに若き女性たちが多いのも理解できる。

「ふたり」は、少女を撮らせたらピカイチの大林宣彦監督作品である。僕は、昔、何度か大林さんの話を聞く機会があったけれど、どうしてこの人はこんなに優しく話すことができるのだろう、と監督の顔を見た。あるとき、「小型映画」という雑誌で親子対談なるものを企画し、大林さんと自主映画界で活躍していたお嬢さんの千茱萸(ちぐみ)さんに対談をお願いしたことがある。

30年も前のことだから、千茱萸さんはまだ高校生だった。その後、映画評論家(ご本人は「映画感想家」と自称しているらしい)になり、映画制作にも携わっていると仄聞するが、映画一家の長女としては当然かもしれない。対談のとき、その千茱萸さんに大林さんが「あなたはね...」とソフトな口調で話しかけ、優しい目をして見つめていたことを思い出す。

「ふたり」の姉妹(中嶋朋子と石田ひかり)を見つめる大林さんの視線も、とても優しい。しっかり者の姉と、その姉を頼っていた妹。ある日、登校の途中、トラックの荷台に積んであった大きな材木が崩れ、姉は妹をかばうようにして圧死してしまう。そんな衝撃的なシーンから始まる物語だが、映画全体を柔らかく覆う優しさがあるのだ。それは、大林監督の独特な優しい語り口を、そのまま映像にしたような感じだった。

物語は、姉が死んでから始まる。精神的に弱い母親(冨司純子)は、中嶋朋子の姉が死んだことが信じられない。そんな母親を少しもてあますような父親(岸部一徳)がいる。姉が死んだことで、家の中に空虚な風が吹いている。そんなある日、妹の危機を救うために姉の幽霊が現れる。姉の幽霊は妹の前にしか姿を現さず、これが現実の幽霊(ヘンな言いまわしだが)なのか、妹の精神が創り出したものなのか、曖昧なまま物語が進んでいく。いかにも大林監督作品だった。

●「あした」は愛する人との別れをやり直す物語

赤川次郎原作・大林宣彦監督の組合せでは、「あした」(1995年)という作品もある。冒頭、何人かの人たちにあるメッセージが届く。そのメッセージの届き方がいろいろで、何が起こっているのかがわからない。次第に彼らがみんな、ある海難事故で愛する人を喪ったばかりだとわかってくる。彼らは、海難事故のあった浜辺に呼び集められる。

深夜0時になって沈没した船が現れ、3か月前に死んだはずの人たちが海から甦る。彼らは呼び集められた人たちの夫であり、妻であり、恋人であり...、要するに「愛する人」である。「あした」は「愛する人」を突然に喪った人が一度は願うことを、映画の中で実現してみせた映画なのだ。もちろん、ファンタジーである。だからこそ、ある純粋な何かを描くことができた。

「あした」が描き出したのは、「最愛の人との別れ」である。呼び集められた人たちは、海難事故によって何の心の準備もなく「愛する人」を喪った。突然の別れだ。そのことが、彼らにとってどれほど辛いことか、どれほど耐え難いことか、彼らは充分に味わっている。日々が虚しく過ぎてゆく。しかし、3か月後、船が沈んだ浜に彼らは集まってくる。

彼らは何かを信じ、予感に導かれてその浜にやっきたのだ。そして、彼らがもう一度だけ会いたかった人に会うのである。ひと夜、彼らは共に過ごし、別れる心の準備をしたうえで、改めて愛する人と別れる。突然の別れ、断ち切られた想い、やるせない気持ち、愛する人の死を受け入れる猶予もなく訪れた残酷な別れ...を誰かがやり直させてくれたのだ。

それは、とても心優しい物語だった。人生の悲しみを知らなければ書けないものだった。そんな物語を発想する作家の深さが印象に残った。原作は赤川次郎さんの「午前0時の忘れもの」である。以来、赤川次郎という作家を僕は違った目で見始めた。作家の考えがストレートに出ているかもしれないと、エッセイ集も読んでみた。そこでわかったのは、赤川さんのリベラルな姿勢とニュートラルで柔軟な思考だった。

もうずいぶん前から、赤川次郎さんは朝日新聞の夕刊に定期的なエッセイを書いている。オペラや演劇についてである。僕は映画エッセイは読んでいたが、そんなにオペラや演劇に造詣が深いとは知らなかった。しかし、毎回、そのエッセイには目を啓かされた。オペラについては何の知識もなかったが、いつかその世界に足を踏み入れてみたいと思った。

数か月前のことだったか、朝日新聞の読者欄に「橋下氏、価値観押しつけるな」というタイトルの投稿が掲載された。それは、「大阪の橋下徹市長は大阪府立和泉高校の管理職をなぜ処分しないのだろう? 教師の口元チェックをしながら、姿勢正しく心をこめて『君が代』を歌えたはずがないのだから」と、たっぷり皮肉を効かした文章で始まり、こう続いていた。

──それにしても生徒のためのものであるはずの卒業式で、管理職が教師の口元を監視する。何と醜悪な光景だろう! 橋下氏は独裁も必要と言っているそうだが、なるほど「密告の奨励」は独裁政治につきものである。
 府知事時代、橋下氏は初めて文楽を見て、こんなもの二度と見ないと言い放ち、補助金を削減した。曰く「落語は補助金なしでやっている」。舞台に座布団一枚あればいい落語と、装置をくみ、大勢の熟練の技を必要とする文楽を一緒くたにする非常識。客の数だけ比べるのはベートーヴェンとAKBを同列にするのと同じだ。
 文楽は大阪が世界に誇る日本の文化である。理解力不足を棚に上げ、自分の価値観を押し付けるのは、「力強い指導力」などとは全く別物である。
 過去に学ぶ謙虚さを持ち合わせない人間に未来を託するのは、地図もガイドもなく初めての山に登るのと同じ。一つ違うのは、遭難するとき、他のすべての人々を道連れにするということである。

この見事な文章に脱帽し、僕は投稿者の名前を見た。そこには「作家 赤川次郎(東京都港区 64)」とあった。僕はタイトルに惹かれて読み始め、シニカルさと同時にユーモアを感じさせる文章に感心し、改めて投稿者の名前を確認して驚いたのだ。最初は「まさか」と思い、間違いなく本人だと確認し、改めて僕は赤川次郎という人の姿勢に共感した。

赤川さんの数多い小説(多くはライト・ミステリーと呼ばれる)が、なぜ30年以上にわたって売れ続けているのか、「ブックレビュー」のような書評番組に取り上げられることはなさそうな小説が、どうして数億冊も売れ続けてきたのか、わかった気がした。作家の志は、間違いなく作品に投影される。志のある作品は、どこかで人の心を、魂を、震わせる。僕は、そう信じている。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >

原稿を書いていたら無性に増村保造の「くちづけ」が見たくなり、テープをかけた。冒頭から涙が伝う。10年前に「くちづけ」について書いた「孤独な魂が寄り添う時」(2002年7月12日)を読み返すと、昔の僕の文章の方がずっといい。そう、「くちづけ」は素晴らしく美しい映画だ。

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