映画と夜と音楽と...[550]長生っきゃ...するものなのか?
── 十河 進 ──

投稿:  著者:


〈裸の島/心/午後の遺言状/三文役者/ふくろう/一枚のハガキ/けんかえれじい/青べか物語/しとやかな獣/千羽鶴/斬る〉

●新藤監督の真骨頂は職人技的シナリオ作法にある

新藤兼人監督が亡くなって、新聞でも大きく取り上げられていた。98歳で撮った作品「一枚のハガキ」(2010年)が、昨年公開の映画を対象とするキネマ旬報ベストテンで一位になった。車椅子で授賞式に参加し挨拶する姿を今年の春に見たばかりだったのに、100歳での映画制作の夢は散ってしまった。残るはスペインのオリベイラ監督だけか。

しかし、最後まで創作意欲の衰えない映画監督であり、熟練のシナリオライターだった。僕が最も熱中して映画を見ていた頃(1964年〜1972年)に新藤監督が作っていたのは、「鬼婆」「悪党」「本能」「性の起源」「藪の中の黒猫」「強虫女と弱虫男」「かげろう」「触覚」「裸の十九歳」「鉄輪」「賛歌」といった作品だった。

それらの映画のテーマは「性」を中心として人間を分析し、人間の欲望を描き出そうとしたものだ。平安時代を舞台にした作品でも、現代を描いた作品でもテーマは常に同じだった。地を蠢くように生きる女たちが男を殺して生き抜く姿が描かれたり、拳銃を手にした貧しい生まれの青年が意味もなく人を殺したり、別荘に暮らすインテリの男が性の欲望に悶えたりしていた。

その頃の新藤作品は、少年だった僕に悪夢を見させるようなものばかりだった。髪を振り乱し鬼のような顔をした乙羽信子の姿にうなされたこともあった。今でも吉村実子、太地喜和子、フラワー・メグといった肉感的な女優たちの姿が甦ってくるが、どこか怖さの記憶がある。男優で印象に残っているのは「本能」のインテリ役の観世栄夫、「かげろう」の刑事役の戸浦六宏、「裸の十九歳」の連続射殺魔役の原田大二郎などである。

そういうことで、僕は新藤作品を敬遠するきらいがあった。新藤作品で初めて心静かに見ることができたのは、「心」(1973年)だった。夏目漱石の「こころ」を原作にしていたが、なぜか漢字のタイトルになった。原作では後半にあたる先生と友人と下宿の娘の話だけを映画化したものである。




登場人物に名前はなく主人公Kを当時人気のあった劇団四季の松橋登が演じ、親友のSを辻萬長が演じた。Sが下宿の娘を「好きになった」とKに告白し、告白されたKはその娘と婚約する。Sが自殺し、Kは罪の意識を抱いて生きていくことになる。「心」のシーンを浮かべると、同じ頃に松橋登が舞台でドストエフスキー原作「白痴」のムイシュキン伯爵を演じ、辻萬長がラゴージンを演じたことを思い出す。

その後、僕は代表作「裸の島」(1960年)を見ていたく感動したが、新藤作品との相性はあまりよくないらしく、「裸の島」「午後の遺言状」(1995年)「三文役者」(2000年)以外の作品はあまり好きではない。乙羽信子が亡くなった後、新藤作品のヒロインとして圧倒的な存在感を見せたのは、「ふくろう」(2003年)の大竹しのぶだが、僕には「ふくろう」という作品を90を過ぎた監督が作る意味が理解できなかった。

だから「一枚のハガキ」が遺作になったのは、よかったと思う。新藤監督の「これを作るまでは死ねない」という強い思いが伝わってくるからだ。作品としては面白いし、昔の「鬼婆」などの極貧の中でしぶとく生きる母娘を思い出す「ふくろう」だが、女たちが次々に男を殺していくブラック・コメディが100歳近い監督の遺作だとしたら、僕は納得がいかないままだっただろう。

しかし、「原爆の子」(1952年)「第五福竜丸」(1959年)のようなメッセージ性の強い作品は、新藤作品の中ではそれほど多くない。監督デビュー作が自分と最初の妻のことを描いた「愛妻物語」(1951年)であったように、地味な文芸作品「縮図」(1953年)や「銀心中」(1956年)の映画化の方が合っている気がする。異色なのは、現金輸送車襲撃を描いた「狼」(1955年)である。

新藤監督の真骨頂は、その職人技的シナリオ作法にあるのだと僕は思う。独立プロを運営し、自分の監督作品を制作するための資金稼ぎという要素もあったのかもしれないが、新藤兼人は数多くのシナリオを書いた。戦前、シナリオライターとしてデビューし、戦後、復員して自作シナリオを映画化して監督になった人である。そのシナリオには定評があり、日活や大映などで多くのシナリオを書いた。

●新藤監督が書いた数多くのシナリオの中には名作がたくさんある

新藤監督が書いた数多くのシナリオの中には、僕にとっても忘れられない名作がたくさんある。鈴木清順監督の「けんかえれじぃ」(1966年)が新藤脚本だと知る人は、かなりの映画マニアだろう。旧制中学、旧制高校で青春を送る南部麒六は若い時期のやるせなさを喧嘩で表現する。喧嘩修行をし、喧嘩によって成長していく。しかし、新藤脚本を清順監督がどう変えたのか気になるところではある。

才人監督・川島雄三にも何本かシナリオを提供している。「青べか物語」(1962年)は僕も大好きな映画だが、これは山本周五郎の原作を脚色したものだ。同じ年に川島監督が撮った代表作の一本「しとやかな獣」(1962年)は、新藤兼人原作脚本のオリジナルである。この物語をオリジナルで創り出すところに、新藤兼人の才能を感じる。「しとやかな獣」のテイストは、「ふくろう」に通じるところがある。

欲に駆られた人間たちが団地の一室を舞台に、丁々発止の駆け引きを見せる日本映画には稀な作品である。誰もが嘘をつき、人をだまそうとしている。自分だけが金をせしめればいいという人間たちばかりだ。家族だって信用できない。若尾文子が悪女を演じて絶賛された。ブラック・コメディという呼び方は当時はなかったが、そんなジャンルのハシリである。人間の欲望にこだわり続けた新藤兼人だから書けたディープな物語だ。

60年代に文豪と言われたのは、ノーベル賞をもらった川端康成と谷崎潤一郎である。新藤兼人は彼らの小説も多く脚色した。谷崎潤一郎の「春琴抄」は何度も映画化されているが、新藤監督は自ら「賛歌」(1972年)として映画化した。川端康成の小説では、成瀬巳喜男監督の「舞姫」(1951年)にシナリオを提供している。「千羽鶴」は吉村公三郎監督版(1953年)も増村保造監督版(1969年)も新藤脚本である。

新藤兼人のシナリオ作品を調べていてわかったのは、大映のプログラム・ピクチャーを多く手がけており、増村保造監督の作品が多いことだった。井上靖のベストセラー「氷壁」(1958年)が、新藤脚本と増村監督の出会いだったのだろうか。増村保造監督は、人間を「性」の側面から捉え、欲望というものを正面から描こうとした人である。だから、新藤脚本と相性がよかったのかもしれない。

新藤脚本・増村監督の組合せでは徳田秋声の「爛」(1962年)も映画化されている。また、「卍」(1964年)「刺青」(1966年)は谷崎潤一郎の名作である。「妻二人」(1967年)はパトリック・クエンティン(ウィリアム・アイリッシュ)の「二人の妻をもつ男」が原作だ。「華岡清洲の妻」(1967年)は有吉佐和子のベストセラーであり、「千羽鶴」(1969年)は川端康成の代表的な小説の再映画化だった。

●冒頭のイメージがあまりに強烈だった「千羽鶴」

僕が一番最初に読んだ川端康成の長編小説は、「千羽鶴」だった。中学一年生のときだったので、冒頭のイメージがあまりに強烈だった。主人公の菊治が子供の頃に見たちか子の胸のあざを思い出す。ちか子は父親と愛人関係だったのではないかと菊治は疑っているが、そのちか子が令嬢を紹介するからと菊治を茶会に招いたのだ。

──菊治が八つか九つの頃だったろうか。父につれられてちか子の家に行くと、ちか子は茶の間で胸をはだけて、あざの毛を小さい鋏で切っていた。あざは左の乳房に半分かかって、水落の方にひろがっていた。掌ほどの大きさである。その黒紫のあざに毛が生えるらしく、ちか子はその毛を鋏でつんでいたのだった。

12歳の少年に、このイメージは強烈すぎた。有名な「雪国」の冒頭より、僕は「千羽鶴」の冒頭にとらわれてしまったのだ。最初に読んだとき、そのグロテスクさに吐気を催しそうになったが、そのイメージが頭にこびりついて離れなくなった。少年時代である。僕はまだ女性の乳房に聖性を抱いていたのだろう。そこを覆う青紫のあざ、そのあざに生えた黒い毛......、なんて作家だと僕は思った。

「千羽鶴」には、いたるところにそんな生理的な何か(ときには嫌悪)を掻き立てるイメージが描かれる。菊治は死んだ父のもうひとりの愛人だった夫人とお茶会で再会し、その年上の夫人と関係を持ち、その令嬢に惹かれる。ちか子は菊治の母親代わりのような顔をして仕切り、その母娘の中傷をする。重苦しくセクシャルな人間関係が描かれてゆく。

菊治を演じたのは平幹二朗、夫人を演じたのは若尾文子、その娘の役は梓英子だったと思う。ちか子は京マチ子だった。僕にはちか子=杉村春子のイメージがあるのだが、それは吉村公三郎版かもしれない。「千羽鶴」は何度か読み返したが、そのたびに杉村春子の着物姿が浮かんで困った。吉村公三郎版で菊治を演じたのは、名優・森雅之だった。

それにしても、川端康成や谷崎潤一郎、徳田秋声といった日本文学全集で数巻に収納されるような文豪作品を新藤兼人が脚色し、増村保造が監督するという贅沢な時代だったのだなあと改めて思う。60年代にはすでに映画会社は斜陽産業で、大映も「千羽鶴」公開の数年後には倒産するのだが、まだまだ豊かな才能あふれる脚本家や監督がいたのである。

増村保造監督は大映倒産後もアートシアター・ギルドや勝プロで様々な作品を作ったが、大映テレビ室の仕事として山口百恵の連続ドラマ「赤い」シリーズを監督したり、「ステュワーデス物語」(1983〜4年)をヒットさせたりした後、62歳で亡くなった。生きていたとしても88歳、新藤監督には及ばない。

●「斬る」は剣豪ものの短編を原作とし見事な完成度を見せる

大映で新藤脚本を何本か映画化しているのが、三隅研次監督だ。僕の大好きな「斬る」(1962年)と「鬼の棲む館」(1969年)は、新藤脚本である。前者は柴田練三郎の短編「梅一枝」を原作とし、後者は谷崎潤一郎の「無明と愛染」を原作としている。どちらも脚色ではあるが、新藤兼人はオリジナルの場合でも原作ものの場合でも、きちんとした仕事をした。

「斬る」は、剣豪ものの短編を原作としているが故に見事な完成度を見せる。現在、柴田練三郎の短編集「もののふ」(新潮文庫)で原作が読めるが、僕は「斬る」を何度も見た後、8年前にようやく原作を見付けて購入し、その短編を読んで驚いた。漢文調の簡潔な文章だから必然的に物語も短くはなるのだが、40ページ足らずの短編である。もっとも、映画も1時間11分と短い。

映画が始まるとすぐ、奥女中(藤村志保)が女主人が床についている部屋にやってきて、「国のため、お部屋様のおん生命(いのち)を、申し受けまする」と告げるや懐剣を抜く。女主人が逃げ、奥女中が追う。女たちが騒いで駆けつける。庭先に逃げた主人を押さえつけ奥女中が留めを刺す。そのまま振り返り朋輩たちに「乱心ではありませぬぞ」と、落ち着いて言い放つ。

この暗殺劇の背景は映画が半分近く進んだときに明らかにされるのだが、原作では主人公・高倉源吾(映画では信吾と変えてある)が、飯田藩から小諸藩の家臣の家にもらわれてきたいきさつから語り起こしている。原作を脚色するときエピソードや時間の流れなど、一度すべてをバラバラにして再構成することから始めるが、そのよい見本である。

この短編「梅一枝」を脚色するときにも、物語の要素をひとつひとつバラして(たぶんそれぞれを箱書きにして)、時間の構成も組み直したのだろう。映画は時制を自由に描ける。視覚的にわからせることができるからだ。そこが、文章だけで表現する小説とは大きく異なる。

突然の暗殺劇、微笑みを浮かべて処刑される藤村志保、日輪を断つように振り下ろされる白刃、飯田藩の藩士の家に送られてきた籠、赤ん坊の泣き声......そんなシーンが続いた後、「××年後」というタイトルがスーパーインポーズされ、のどかな信州の風景の中、のびのびとした若侍に育った信吾(市川雷蔵)が登場する。無邪気な妹(渚まゆみ)と父と楽しそうに暮らしている。

そこに、謎が生まれる。藤村志保は、なぜ主人を殺したのか。赤ん坊は誰なのか。そういった興味が観客に生まれ、物語の先を知りたくなる。原作で冒頭に置かれ早々に説明された主人公の出生の秘密が、映画では中盤まで明かされることがないからである。その秘密が明かされることになるきっかけも、ひとつのドラマとして提示される。

●原作通りの物語だが観客に理解しやすいように改変する

成長した信吾は主君に願い出て3年の旅に出る。帰ってきた信吾に主君が「3年の間、何をしてきた?」と問いかけると、「ただ野や山を見てまいりました」と答える。主君は「よい旅をしたのう」と微笑む。しばらくの後、名だたる剣客が藩に招かれて御前試合が催され、藩内の腕自慢がことごとく敗れ、主君が「信吾を出してみよ」と命じる。信吾は、独特な構えで剣客をたじろがせる。

やがて、主君に寵愛される信吾をねたむ人間が現れる。隣家の親子である。父親は「信吾はもらい子だ」と噂話をして主君にたしなめられ、脱藩を決意する。息子は信吾の妹に横恋慕したが断られて逆恨みをする。ふたりに芽生えた悪意が悲劇を招くのである。この隣家の親子と妹は、原作に登場しない映画独自の設定である。

幹になっているのは原作通りの物語だが、観客に理解しやすいような設定をし主人公が藩を棄てる原因を明確にする。小説では一行で省略している部分を膨らませたのだ。もちろん映画化で通俗的になったところもあるし、観客を喜ばせるためにあえて見せ場も作っている。センチメンタルな部分も増やした。しかし、新藤脚本は原作の数少ないセリフを見事に生かしている。

原作は漢文調の簡潔な文体で綴られ、セリフも少ない。藤村志保など「国のため、お部屋様のおん生命(いのち)を、申し受けまする」と「乱心ではありませぬぞ」というセリフしか言わないが、どちらも原作にある印象的なセリフだ。その他のシーンの藤村志保は、表情だけで感情を表現する。三隅研次の切れ味鋭い映像が、彼女の美しさと謎を際立たせる。

僕の書棚に「新藤兼人映画論集」という本がある。昔、日大芸術学部映画学科でシナリオを教えていた鬼頭麟兵先生にいただいたものだ。その中では多くのページがシナリオについて割かれている。自分がシナリオライターであることを、これほど自覚的に生きた監督はいなかったのではあるまいか。黒澤明監督も何作か他の監督にシナリオを提供しているが、新藤兼人監督ほど多くはない。

黒澤明監督が亡くなってすでに10数年が過ぎたが、生きていれば今年で102歳になる。新藤監督とは、2歳の差しかなかった。同世代である。そう考えれば、新藤監督の100歳という重みが改めて伝わってくる。新藤脚本の「斬る」を監督した三隅研次は62歳で亡くなった。生きていれば91歳、やはり新藤兼人には及ばない。

「東京物語」(1953年)の東山千栄子は、「長生っきゃ...するもんじゃのう」とつぶやいた。しかし、あのセリフは言葉通りではなく、「長生きしてこんな思いをするくらいなら、早く死んだ方がよかった」というニュアンスが含まれる。彼女は東京に暮らす子どもたちに落胆しながらも、「私たちゃ、(他の人に比べれば)よっぽど幸せですよ」と夫と自分に言い聞かせるように言う。

リュミエール兄弟が「ラ・シオタ駅への列車の到着」を上映し、迫りくる列車に驚いた観客たちが劇場から逃げ出した1885年から27年後に生まれ、ひたすら映画のことを考え、日々シナリオを書き、次回作を構想し続けた新藤監督は幸せな一生だったと思うけれど、多くの人は東山千栄子のような人生を送っているのかもしれない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
>

讃岐に帰っているとき、小学生のときの遠足でしかいったことがなかった弘法大師が指導して作ったという満濃池にいった。途中、うどん会館というものがあり「讃岐うどん発祥の地」のうどんをおみやげに買った。そう言えば、昔、讃岐うどんも弘法大師が開祖だと聞いたような気がする。

●長編ミステリ三作「愚者の夜・賢者の朝」「太陽が溶けてゆく海」「黄色い玩具の鳥」の配信を開始しました→Appストア「グリフォン書店」
●第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」受賞
既刊三巻発売中
「映画がなければ生きていけない1999-2002」2,000円+税(水曜社)
「映画がなければ生きていけない2003-2006」2,000円+税(水曜社)
「映画がなければ生きていけない2007-2009」2,000円+税(水曜社)
●電子書籍版「映画がなければ生きていけない」シリーズがアップされました!!
「1999年版 天地創造編」100円+税
「2000年版 暗中模索編」350円+税
「2001年版 疾風怒濤編」350円+税
「2002年版 艱難辛苦編」350円+税
「2003年版 青息吐息編」350円+税
「2004年版 明鏡止水編」350円+税
「2005年版 暗雲低迷編」350円+税
「2006年版 臥薪嘗胆編」350円+税
「2007年版 驚天動地編」350円+税
「2008年版 急転直下編」350円+税
「2009年版 酔眼朦朧編」350円+税
< https://hon-to.jp/asp/ShowSeriesDetail.do;jsessionid=5B74240F5672207C2DF9991748732FCC?seriesId=B-MBJ-23510-8-1
>