武&山根の展覧会レビュー 特別編 インタビュー:武盾一郎作品解剖(途中)
── 武 盾一郎&山根康弘 ──

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みなさま、こんにちは。武&山根の展覧会レビューの、山根康弘です。さて、今回はいつもと趣向を変えてお送りしたいと思います。

どういうことかと申しますと......数日前のことなのですが、とあるアーティストと酒食を共にする機会を頂き、おいしい料理とお酒、お話に酔い、僕も上機嫌で「あなたの作品についてインタビューさせてください!」と、ついつい泥酔で口走ってしまったところ、「面白いじゃないか、山根クン!」と仰られまして......。

僕もその場が楽しければいいやーぐらいに思って、フラフラしながら家路についたのでした。そんなこともすっかり忘れて、いつものように仕事に精を出していた昨日、突然僕の携帯が鳴り響きました。

「早速だが山根クン、あの企画、やってくれないか。」




○インタビュー開始

山:こんばんはー!
武:ほいな、こんばんわです! 準備に手間取ったw
山:何を準備してるんですか。
武:ちょっとした食べ物。大根を切って、じゃがいもを揚げた。
山:先にやっといてくださいよ。

武:お待たせ致しました! って、これは一体誰の企画なんじゃいw
山:とあるアーティスト、です。今回は僕は真面目に行かせて頂きます!
武:ふむ。
山:さて、まあみなさん分かっていたのかもしれませんが、アーティストの武盾一郎さんです。宜しくお願い致します!

武:いや、とあるアーティストてだれじゃい?w アノニマスか?
山:だからあなたです! はい、では、とっとと進めていきたいと思います。デジクリ読者の皆様はもう読み飽きたかもしれませんが、一応武盾一郎氏のプロフィールでも挙げておきましょう。どうぞ。
武:なんだこのコント仕立てはw .........こんな感じです。

< http://www.facebook.com/photo.php?fbid=404198909625002&set=a.404115942966632.96850.206228169422078&type=3&theater
>

山:なるほど。さてですね、今日は武盾一郎氏の困った性格や風貌などはちょっと横に置いときまして、純粋に氏の作品に焦点を絞って、話してみようと。そういうチャットです。
武:誰が困った性格なんじゃい! 困ってるのは俺本人だわい!

山:いや、困っているのは本人だけではな...まあ、いいでしょう。まずはプロフィールにある、「線譜」を見せて頂きましょう。
武:ボールペンで描いた線譜です。右下は反転プリントさせたiPhone4/4s用カバーです。
< http://24.media.tumblr.com/tumblr_m02b5mVmJb1qzx4gpo1_1280 >

山:これはいつ頃の作品?
武:2010〜2011年にかけて描かれた作品です。震災直前ですね。
山:その後の絵はありますか?

武:震災直後は例えば
< http://www.flickr.com/photos/take-junichiro/5676156726/in/set-72157626048414200
>
  2012年、ボールペンより太めのサインペン「ポスカ」で描いた絵
< http://a2.sphotos.ak.fbcdn.net/hphotos-ak-snc7/480555_416334075078152_94527784_n >
< http://a2.sphotos.ak.fbcdn.net/hphotos-ak-snc7/599109_416601565051403_2055703919_n >
  ポスカ < http://www.mpuni.co.jp/product/category/sign_pen/gokuboso_posca/index.html
>

山:写真が悪いですね。
武:俺が撮ったw 前のボールペンの絵の写真はカメラマンさんなんだよね。
山:最後の2枚の絵は角が丸いですが、何に描いているのですか?
武:木製パネルです。角を削って丸くしてから描いてます。

山:ほう。それは何故?
武:ていうのは、平面としてのタブローという概念が俺にはあんまりないんです。最初に描いた段ボールハウスにしても、何かの表面を覆うようにして、描いた。パネルの角を削ることによって、パネルが平面というよりなんらかの物体に近くなるので、そこを包むように描いた、という訳です。平面をしっかり構成するというより、物質に対してそれを包むように描いて行く、という指向があるんだなあって。

山:なるほど。パネルという既製品の角をあえて削ることによって、なんでもない物体に変える、と。
武:アールにすると横面まで同じ世界が続いて行く感じするからね。
山:ここには何かあると思うので、後で考察することにします。
武:後でかいw

山:しないかもしれませんが。さて、ほんの数点ではありますが、武氏の現在の作品を見せて頂いたことで、どのような制作をなさっているか、ということがなんとなくお分かり頂けたのではないでしょうか。ではここから、細かく絵を観ていきたいと思います。
武:ほい。呑んじゃダメ?

山:どうぞ。あ、僕はすでにティオペペを空けようとする勢いです。
武:なんすか! そのティオペペって?
山:シェリー酒です。普通こんな飲み方しないんでしょうけど。
武:呑んだことない!

山:近所に売ってるのでちょくちょく買うんです。今度持っていきますよ。
武:ぜひぜひ! じゃあ俺はビール。
山:ビール珍しいじゃないですか。
武:いただきましたw

○「線譜」の世界観

山:そうですか、ってそんなことより進めていきたいと思います。まずは一枚目の絵から観てみましょう。震災直前に描かれたという。ちなみに一枚一枚にタイトルはあるんですか?
武:これは珍しくあるんです。『天戸』です。
山:ほう。神話の天岩戸が関係している?
武:関係してます。

山:どのように?
武:古事記に出て来るモチーフは特に冒頭の「神世七代」をいつか描きたいと思っていて、ずっと思いの中にあるんだけど、霊的な何かを感じさせる世界観を描くのは、自分の手法では難しい、とずっと格闘してた。けど、この作品を描き上げた時に、「ようやく(霊的な)世界観の内側に入れた」と、まさに、天への戸を開く気がしたんですわ。

山:と言いいますと、古事記に対して霊的な何かをすごく感じていた、ってことですよね。
武:特に冒頭の姿の見えない神々の登場から、おのころ嶋(地球)が出来て、イザナミとイザナギがヒルコを産むまでが霊的だと思ってるんです。その後は、神さまが登場するんだけどそれは霊的というより人間の象徴的な物語りとして続く訳ですよね。お話しとしてはスサノオ好きだけど。

山:じゃあ霊的な何か、ってなんなんでしょう?
武:宇宙創世ってことか。
山:そこを強く感じた、と。
武:それを感じさせる絵を描きたいんだなw それ以上の神秘ってないと思わない?

山:この絵を観た時に、僕がまず感じる印象は─
武:もう少し大きい画像。
< http://www.flickr.com/photos/take-junichiro/5410332202/sizes/l/in/set-72157622548658193/
>
山:縦横が違いますが、同じ絵ですね。で、印象なんですけど、単純に「奇麗だな」と。

武:天地はないんですよw 綺麗に見えるてのは重要だよね。「救われる感じ」と「綺麗」ってのがどこかで繋がってたんだよね。
山:疎密がはっきりしているというのと、細部に描かれている植物的、生物的な(ある意味野暮ったくもある)部分、そういったものが全体として調和している。

武:そうですね、そのように描きたかった。最終的に調和してる。
山:疎の部分はするどい、密の部分がまるっこい、ようにも見えますね。
武:「つたない線」てのになぜかこだわりがあって、近くでみるとラクガキ、遠くで見ると美しく成立してるという世界観。それでいてフラクタル、と。

山:線としてはつたない線であっても、疎密があって、疎の部分が直線的ですよね。そうすると全体としてはキリッと見えてくる。フラクタルはあまり感じませんが、僕は。
武:きっと構図は考えてるんだね。けど、構図から入らないようにしたいと思ってる。

山:構図を考える、というのは、実際には何を考えてる?
武:最終的に調和がとれてる、てことかな。その頼りは感覚に依拠するんだけど、自分の感覚が「うん」と言うように持ってく。それと、どこかに隠れてる法則律、なのかな。

○「線譜」の変化

山:その後の作品を見ると、明らかに違いますよね。
武:服に描くようになって、布ペンを使うんだけど、ちょうどポスカの極細くらいなんですよ。なもんだからポスカを使って線が太くなった。
< http://www.screentweet.com/heSTZgr/20110805
>

山:画材が変わったから変化したってこと?
武:服にペンで描くと線と形はもっと簡単になる。ボールペンで描く線って、細かく見るとビヨビヨって震えてたりする線なんですよ。けど、ペン(ポスカ)だとそのゆらぎが出ないので、ポップになる。
山:ボールペンは細いですからね。

武:そうそう、意図してない動きが出る。
山:ポスカではそれがでない?
武:描きにくいので意図しない形になるんだけどね。むしろそこが頼りw けど、線そのものにアプローチできなくなる。形になってくるので、どうしてもデザイン的になる。曖昧な線よりも、キャラクターが浮き出て来る。

山:そこは描く上で、苦痛にはならなかったんですか?
武:布には描きづらいし苦痛ですw で、音楽に例えるとですね、バッハ的なものとパンク的なものが好きなんですわ、俺。バッハてのは宇宙の理よね、そして霊的世界と関係してる。パンクって破壊的で「状態」なんですよね、で、音楽自体はポップなんですよ。

山:ポップっていうものをどういう風に捉えてるんでしょう。
武:単純化された図とか音ってことなのかな。パンクのポップさにはつたなさも混じってるから俺の好みと合ったってことなのだろうかね。バッハは奥に行く深い森や海や闇に入って行く感じだけど、ポップはどこか陽気な感じ。前に出て来る感じか。

山:ほう。
武:奥行きがある感じと、表層的な感じ、でもあるんだよな。
山:なんとなく分かりますが。

武:そして、震災後精神的に一旦落ちるけど、もう前向きに、元気に生きていこう、と。深いところには潜りたいけど、気持ちが沈んだり暗くならないように、絵にポップさを出したい、と。
山:なるほど。ポップ=前向き、ですか。
武:基本的にはね。陽気になりたい気持ち。

山:絵の話に戻りますが、ここ最近の絵を見ると、以前より非常に丸くなってますね。それは画材の違いもあるのでしょうけれど、絵としては一見、ポップ(かわいく?)なってるようにも思わなくはない。だけど、実はどっちにも行ってないようにも思うんですね。全体的にのっぺりとした印象で、ポップにもなりきってない、と言うのか。そういう印象を持ったんですが、どうでしょう。

武:完全にキャラクターを登場させるという方向には行かないからね。ポピュラーミュージックにはなりきれない。中途半端と思われてしまいそうな「どっちにも行かない感」。
山:絵の印象として弱くなってしまうようにも思うんです。以前の絵の方が、あるインパクトを感じる。

武:ああね。ボールペンはずっと描いて来たからね。ペン(ポスカ)はまだキャリアが短いてのがあるのかな。ペン(ポスカ)でちゃんと平面絵としてボールペンのインパクトにまで持って行けるようにして、また物体を覆うようにして描きたい。
山:まだ過程である、と。

武:一生過程だなw そしてポップな方向はひとつ独立させてシリーズにする。こういう感じ。
< http://www.facebook.com/photo.php?fbid=419572951420931&set=a.419572901420936.99817.206228169422078&type=1
>
  あとこれとか
< http://www.facebook.com/photo.php?fbid=420072931370933&set=a.420072891370937.99914.206228169422078&type=1
>

山:これはまた少し、印象が違いますね。
武:広げて行きたい方向ってのがひとつこれで、生活と同居してる、特別じゃなくて何気なさにちゃんと一緒にいるアート。俺が考えて来た「藝術とは何か?」の、ひとつのかたち。これは一見、地味でドメスティックな感じでダサくてアートとは違く見えるかも知らんが、俺からしたら、これは長年考えて来た藝術に対する自分なりの答えかなあ、と。この方向は続けて行きたい。「心地良い柄模様」になって行きそうで「ひっかかりを表現する」と。

山:なるほどー。ま、そんな話は実はどうでもいいので、次にいきたいと思います。
武:えー!!! ここ、まじで力説してたのに!!ww
山:冗談です。でも次に行きます。

○スクワッティングと絵画

山:プロフィールを見ると、スクワッティングにある重点が置かれているように思うのですが、それってどういうことなんでしょうか。
武:ズバリいうと「与えられた国家ではなく、こちら側で形成した国家」ということです。

山:それはそれで意味は分からなくもないんですが、絵画の制作とはどのように関係があるの? という話です。
武:うん。これは「自律世界を作りたい」という欲望、願望、夢、ロマンなんです。

山:ほう。つまり、現実ではない、と?
武:それを現実社会に求めつつ、それも絵画作品の一部であると。当時は本当にそのように思ってた。

山:当時は思っていた、と言うことは、今は違うってことでしょうか。
武:うん。
山:ではどうなんでしょう、今は。

武:例えば、新宿西口段ボール村の場合、あの村が、そして新宿という街そのものが俺にとって絵だったんだよね。巨大な絵の中の一部に俺たちの身体自身も入ってたんです。だけれども、絵ってのは自分の「手作業の領域内」のことを言うんだなあと思うようになってきて、描かれる絵に集中して行く過程が、2000〜2009年なんですよ。2009年からは「描かれた絵が絵なんだ」と引き蘢って絵を描くことになる。そこで画家に成れたんじゃないかな、て俺は思ったりもするんだ。

山:画家としての武さんと、以前の武さんは違う訳ですね。
武:分断されてる訳ではないけどね、俺の存在すべてが作品というライフ・イズ・アートから、作品を作る人は俺で作られた作品がアート、に変遷した、と。けれど、服に描いたりバッグに描いたりしてるのは、それを身に付けて街に出る訳で、原点である「街も絵のうち」というところに回帰はしてるんです。結局、指向してる所は変わってない。

山:変わったけど変わってない?
武:変わったのはね、今までは他(社会とか)を変えようとしてたんだけど、自分が変わればいいと思った、とか、イリーガルな部分に興味がアクセスしなくなったとか。あとは、アルチストからアルチザンへの移行(でもないかw)、パフォーマンスから手作業へ、てのは、ある。

山:イリーガルな部分に興味がアクセスしなくなった、んですか? プロフィールを読む限りではそうも感じられないのですが。
武:イリーガルに惹かれた自分をカミングアウトしておきたい。そして、ちゃんと技術を身に付けたら、イリーガルに再度アタックしたい欲望はあるw昔は情熱だけでアタックしてたからね、顔面から倒れただけだった。

山:やっぱり興味あるんじゃないですかw
武:まあねw むかしの欲望ってのはつまり、自由を求めた場合、作品世界の中だけにそれを籠めることから始まらなかった、もっと回りの環境とか社会とか、そういうことを取り込んで、自由世界の作品を作りたい、という絵画観があった。絵というと、平面の上に絵具を乗せればよいってことじゃなくて、無形への指向ていうか、そういうのがあったなあ。それの態度としてスクワットっていうのが、俺の中で、なんだか合点がいったんですよ。

山:それは今の制作にも関係している、と。
武:そこの気持ちから始まったことを留めてるんだな、今でも俺は。

○運動と絵画

山:では何故、「描かれる絵に集中していく」ようになったのですか?

武:現実社会に理想を押し付けるも挫折する体感していくうちに、「作品の中にその世界を現し切りたい!」、「作品内に理想を封じ込めたい!」という気持ちが湧いて来たんです。挫折して実現しなかったその先の理想世界を描こうとしたんだよね。

  新宿西口地下道の段ボールハウス絵画はレジスタンス運動と描くことが未分化のカオス状態でしょ、そこからスタートしたので、気持ちの中で運動することと絵を描くことが繋がっちゃってたんですよ。で、長い時間をかけて少しづつ、運動を切り離して行ったんですね、けどそれは意識的ではないんだよ。意識では運動と描くことを共存させたかったんす。

山:ではさらに突っ込んで聞きますが、何故、運動と絵なんでしょう?
武:ああ、なるほど! ...なんでだ?
山:聞いてるんですw

武:運動と絵は一緒に決まってるじゃん! みたいなのが俺にはあったんだ。例えばシュールレアリスムも運動じゃないですか。あと、日本の詩のムーブメントが起るよね、近代、白樺派だっけ?
   白樺派 - Wikipedia < http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%A8%BA%E6%B4%BE
>
  あれも運動なんだよね。そういうところで「藝術って運動ってことなんだ!」みたいな思い込みが強かったんです。なんだろな近代思想に憧れてた? ということか。。

山:それしか知らなかった、ってことなのでは?
武:いえるww それだwww だからまあ、真面目に勉強しちゃったんだなあ。
山:でも当時の運動が行なわれていた状況とは、全然変わってきてた、っていうことはあるでしょうね。
武:そうすね。なので、「今の俺の(藝術=運動)解釈はこうだ!」みたいなのを打ち出したかった。

山:なるほど。
武:だけど、まあ、それが段ボールハウス絵画だとはまったく思ってもみなくて、それこそ、それが偶然当たっちゃったんですよw 出会い頭のまぐれ当たり。
山:考えてやっていたわけじゃなかった、と。

武:最近はランニングとかしてても、絵のイメージをよく考えるんだよね。昔はこんな社会になればいいのに、ってよく考えてたんす。
山:なるほど。
武:だから、立脚点が変わったってのは、ある。
山:それに対して自分が違和感を感じる、とかは?

武:違和感ってのはさほどなくて、「こんな社会になればいいのに」てもの考えるし、「どんな料理がいいかなあ」てのも考えるし、いろいろ満遍なく中途半端に考えるようになった。けどそのおかげで大分、気持ちは安定するんですよ。

【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/稼ぐ。名を売る。嫁を貰う。子を授か
る。家庭を築く。】
アトリエ「世界征服研究所」
< http://www.facebook.com/open.atelier
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Twitter < http://twitter.com/Take_J
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【山根康弘(やまね やすひろ)/インタビューって難しい】
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