映画と夜と音楽と...[553]老優たちの夢の跡
── 十河 進 ──

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〈RED/ワイルドバンチ/新選組血風録/仁義なき戦い・代理戦争/蜘蛛巣城/マクベス/コールド・ブラッド 殺しの紋章/マーティ〉

●アーネスト・ボーグナインと山田五十鈴が生きた時代

7月上旬に訃報が続いた。アーネスト・ボーグナインが8日に亡くなり、翌日、山田五十鈴の訃報が朝日新聞の夕刊一面で大きく報じられ、カラー写真まで掲載された。さらに社会面でも追悼記事が出ていたが、その対抗面の隅に小さく遠藤太津朗の訃報が載っていた。アーネスト・ボーグナインと山田五十鈴は95歳、遠藤太津朗は84歳。フッと、「老優たちの夢の跡」というフレーズが浮かんだ。

アーネスト・ボーグナインは1917年1月24日生まれ、山田五十鈴は同じ年の2月5日生まれだ。アーネスト・ボーグナインは山田五十鈴より12日早く生まれ、1日早く死んだ。95年と5ヶ月あまり、生きた日数はたった11日しか違わない。その間、第一次世界大戦があり、ロシア革命があり、第二次世界大戦があった。ヒロシマとナガサキに原爆が落とされた。冷戦があり、赤狩りがあり、ベルリンの壁が崩壊し、ソ連がなくなった。

映画はサイレントからトーキーになり、スタンダードサイズがシネマスコープになりビスタサイズになった。草創期、スクリーンから人がパッと消える忍術映画が人気になったけれど、今はどんな映画にもCGが使われ不可能な表現はない。俳優にとっては、演劇、映画、テレビと仕事の範囲が増えたし、記録された演技は永遠に残るようになった。

そんな時代を、ふたりは生きた。アーネスト・ボーグナインは、1935年に18歳で入隊。同じ18歳の年、山田五十鈴は娘役として四本の映画に出演した。その後、戦前の代表作である溝口健二監督作品「祇園の姉妹」(1936年)と成瀬巳喜男監督作品「鶴八鶴次郎」(1938年)に主演する。アーネスト・ボーグナインの映画デビューは1950年であり、注目されたのは「地上より永遠に/ここよりとわに」(1953年)の新兵をいびる鬼軍曹役だった。文字通り鬼のような顔だった。




日米遠く離れ、何の接点もなかったアーネスト・ボーグナインと山田五十鈴だが、ふたりはほとんど同じ時間を生きたのだ。ボーグナインは「ワイルドバンチ」(1969年)「北国の帝王」(1973年)など、印象的な脇役が多い人だった。山田五十鈴は十代からつい最近まで映画、テレビ、舞台で主役として活躍した。ふたりが出会ったことはないだろうが、山田五十鈴はアーネスト・ボーグナインを知っていたに違いない。そんなことを想像して、僕は感慨にふけった。

そう言えば、最近の映画でアーネスト・ボーグナインが出ていて驚いたのは、あれは何だったっけ、ああ、老優たちが出ていた「RED」(2010年)だったな、と思い出した。引退した元CIAの腕利き工作員ブルース・ウィリスが現役CIAの暗殺隊に襲われ、真相を探るためにCIAの資料室にいくと、そこにいた生き字引のような資料係がアーネスト・ボーグナインだった。

真っ白な眉毛が長くのびていたし、髪も薄くなっていたけれど、あのギョロ目は変わっていなかった。「おいおい、ボーグナインかい」と僕は身を乗り出し、間違いないと確認し、拍手をしたくなった。「RED」はブルース・ウィリスの元上司がモーガン・フリーマンで、被害妄想気味の元同僚がジョン・マルコビッチ、狙撃を得意とする元女スパイがヘレン・ミレンである。老人たちが活躍する映画だった。その中でもボーグナインは90過ぎての出演だったが、元気そうだった。

アーネスト・ボーグナインについては呑み友だちのIさんから「アーネスト・ボーグナインの訃報を見たときは、えっ、まだ生きていたんだと、そちらでビックリ。95歳と聞けば、なるほどそれなら、と了解。あの顔は一度見たら、ちょっと忘れようがないですね。独特の風貌というか、面構えと言ったほうがいいか、昔はそんな役者がいっぱいいましたね」とメールが入った。

●ひと目見たら忘れない鬼瓦のような面構えの男たち

そう、面構え...である。42年前、僕に「ワイルドバンチ」(1969年)は絶対に見ろ、と教えてくれた友人のTは「笑った顔が怖いアーネスト・ボーグナイン」とよく言っていた。確かに、笑うと鬼瓦のように見える。鬼瓦のような顔というと、遠藤太津朗もその部類に入るだろう。若い頃からブルドッグを連想する面構えだった。遠藤太津朗の訃報は10日の夕刊に出たが、亡くなったのは7日だから遠藤太津朗、アーネスト・ボーグナイン、山田五十鈴の順で逝ったのだった。

遠藤太津朗は、以前は辰雄という本名で出ていた。僕が遠藤太津朗を初めて見たのは、封切りで見た「関の彌太っぺ」(1963年)である。彌太郎がお小夜を連れて旅籠にいき、「この家に関わりのある子だと聞きました」と預かってくれるように掛け合っていると、「こいつは騙りだ」と奥から丸太を持って出てくる下男が遠藤太津朗(当時は辰雄だったはず)だった。もっとも、出番は少ないし、あまり印象に残らない。僕は二度目に見て「ああ、遠藤太津朗だったんだ」と気付いた。

僕が遠藤太津朗の顔を記憶したのは、テレビシリーズ「新選組血風録」(1965年)だ。仇役である芹沢鴨を憎々しげに演じていた。イヤでも憶えてしまう顔だった。土方歳三(栗塚旭)が主役だし近藤一派をよく見せなければならないから、「芹沢鴨の暗殺」の回では特に乱暴狼藉を働いた。女を犯し、商家に無理難題をふっかけ、罪のない町人を惨殺する。そんな悪役が似合う俳優だったがファンは多く、ワイズ出版から出演作のスチールを集めた写真集も出版されている。

何度も見たのは「仁義なき戦い・代理戦争」(1973年)の遠藤太津朗である。関西弁が板に付いていて、杯を交わした広島ヤクザ打本の愚痴を広能昌三に言うシーンなど、僕はセリフまで憶えてしまった。神戸の明石組(もちろん山口組ですね)の大幹部の役だ。梅宮辰夫が演じたのは山口組若頭の山本健一だから、遠藤太津朗が演じた明石組直系組長のモデルは誰だろうと友人のTと推察したことがある。たぶん、山口組随一の実力者だった菅谷政雄だと落ち着いた。

遠藤太津朗系の役者がもうひとりいる。アーネスト・ボーグナインを思い浮かべると、僕が必ず連想する日本の俳優だ。名前は、冨田仲次郎という。1970年、「ワイルドバンチ」を二番館で初めて見てアーネスト・ボーグナインの顔をじっくり観察したときも、僕の頭の中には冨田仲次郎の顔が浮かんだ。脇役俳優だったし、役名もない役が多かったからあまり知られていないが、顔を見ればわかる人は多いはずだ。彼も一度見たら忘れられない顔をしていた。

●黒澤明監督作品「蜘蛛巣城」は「マクベス」の翻案

山田五十鈴のどの死亡記事の中でも触れられていたのが、本人が出演を熱望したという黒澤明監督作品「蜘蛛巣城」(1957年)である。芸歴の長い人だから戦前から代表作は多い。しかし、成瀬巳喜男監督作品「流れる」(1956年)、黒澤明監督作品「蜘蛛巣城」、小津安二郎監督作品「東京暮色」(1957年)の頃の山田五十鈴が僕は好きだ。もちろん「必殺からくり人」などの必殺シリーズを別にしてだけれど...。

僕が「蜘蛛巣城」を見たのは、上京した1970年のこと。名画座で追いかけて見た。前年に公開になった「ワイルドバンチ」と、13年も前に公開になった「蜘蛛巣城」を僕はほとんど続けて見たのだった。「ワイルドバンチ」は僕を圧倒し、「蜘蛛巣城」は浅茅役の山田五十鈴の怖さと、最後に矢を射かけられて目を剥く大仰な恐怖の演技をする三船敏郎が印象に残った。

「蜘蛛巣城」は、シェークスピアの「マクベス」の翻案だと聞いてはいたが、18歳の僕は「マクベス」を読んでいなかった。だから、どんな話なのかまったく知らずに映画を見たのだ。その結果、魔女のような老女が登場したり、「森が動くとき、おぬしは滅びる」といった予言が思わせぶりに語られたり、殺した同僚の武将の幽霊が現れたりする、おどろおどろしい話に面食らったものだった。

マクベス夫人の役である浅茅を山田五十鈴が演じ、何かが憑依したような鬼気迫る演技が評判だったらしいが、黒澤流の大仰な演技になじめない僕は、山田五十鈴の演技にもどこか白々しさを感じていた。しかし、今から思うと、山田五十鈴の存在はやはり凄かったと思う。「蜘蛛巣城」を思い出そうとすると、山田五十鈴の表情ばかりが浮かんでくる。40数年前に一度見ただけなのに...。

マクベス(鷲巣武時)は館に王を招き、マクベス夫人(浅茅)にそそのかされて寝入った王を殺す。やがて親友のバンクォー(武将の三木義明/千秋実が演じた)も殺し、王になったものの良心の呵責から幽霊を見るようになる。夫をそそのかし、王殺しを実行させた浅茅も「手が血に汚れている」と見えぬ血を洗い流そうとし続け、狂気に陥る。

「マクベス」は因果話めいた物語で、冒頭に三人の魔女が現れ、不気味な雰囲気で幕開けになる。マクベスとバンクォーが登場し、魔女たちからマクベスが国王になる予言を受ける。その予言があったから王を館に招いたとき、マクベス夫人は夫を奮い立たせそそのかし、王殺しを実行させるのである。そして、マクベスは最後に滅ぼされる。

「蜘蛛巣城」を見た後、僕はロマン・ポランスキー版「マクベス」(1971年)を見て、「蜘蛛巣城」が「マクベス」をそのまんま戦国時代を舞台にした日本の時代劇に翻案したのだと知った。やがて、小田島雄志訳「マクベス」を読んだものだから、劇場未公開だったジョン・タトゥーロ主演のマフィア映画「コールド・ブラッド/殺しの紋章」(1990年)をテレビ放映で見たとき、すぐに「これは『マクベス』じゃないか」と気付いた。

ジョン・タトゥーロはマフィアの幹部だ。ある夜、ボスを招いて祝宴を張る。ボスを自宅に泊めることになり、その夜、情婦にそそのかされてボスを殺す。ファミリーのトップになるためだ。ギャング映画だと思って見始めた僕は、ボス殺しが始まったときから「これは『マクベス』じゃないか」と身を乗り出した。なるほど、現代に「マクベス」を甦らせるには、この手があったかと感心した。

さて、「蜘蛛巣城」に登場する「武将2」を演じたのが、冨田仲次郎だった。ちなみに「武将1」は「七人の侍」(1954年)で村の長老を演じた高堂国典であり、「武将3」は侍のひとりだった稲葉義男である。彼らは、居並ぶ武将たちのシーンに出ていたのだろう。まったく憶えていない。しかし、冨田仲次郎の顔はどこにいてもすぐにわかる。武将の中にいたら、僕は間違いなく気付いたはずだ。時代劇によく出ていた印象があるが、フィルモグラフィを見ると現代劇も多い。

冨田仲次郎は、1911年に生まれている。明治44年だ。亡くなったのは1990年のこと。79歳だった。生きていれば100歳を超えている。それでも山田五十鈴やアーネスト・ボーグナインとは6歳しか違わない。1957年、「蜘蛛巣城」の同じ撮影現場にいたとき、山田五十鈴は40歳、冨田仲次郎は46歳だった。その姿は、今でも見ることができる。

●山田五十鈴と冨田仲次郎がハリウッド映画について語り合う

──ねえねぇ、冨田さん。「マーティ」って映画見た?
──見ましたよ。ベルさん。
──主演のアーネスト・ボーグナイン、凄いわよねぇ。似てるって言われない?
──言われたことはありますね。
──いい映画ね。さすが、アカデミー主演男優賞よ。
──ああいう映画が創れるのがハリウッドの強みです。
──それに、ああいう俳優が主演を張れる幅の広さもね。
──そうですね。
──冨田さん、主演やれるかも。
──日本映画じゃ無理ですね。
──上原謙さん、三船敏郎さん、森雅之さん...ですものね。
──私のような顔じゃ客は呼べません。ところで、監督が探してるんじゃ...。
──あっ、いけない。次は、浅茅が手についた見えない血を洗うシーンなの。

「蜘蛛巣城」の撮影の合間に、山田五十鈴と冨田仲次郎がこんな会話をしたかどうかはわからない。同じ映画に出ていたのだから、まったくなかったとは言い切れないだろう。脇役とはいえ、長いキャリアを持ち印象的な役者の冨田仲次郎である。業界では知られていただろうし、現場が一緒になることもあったはずだ。だから、こんな想像をして僕は楽しんだ。

山田五十鈴は「鈴」からの連想で「ベルさん」と呼ばれていた。「蜘蛛巣城」は、1957年1月15日に東宝系で公開になったから、撮影は1956年である。アーネスト・ボーグナイン主演の「マーティ」(1955年)は1955年12月15日に日本で公開になった。翌年の春に発表になったアカデミー賞で、ボーグナインは主演男優賞を獲得した。

「マーティ」は容貌にコンプレックスのある男と、容姿に自信がない女のラブストーリーである。肉屋の店員をやりながら一家を支え、兄弟たちも学校を卒業させた、もう若くはないマーティ(アーネスト・ボーグナイン)は母親と二人暮らしだ。結婚しろとうるさい母親だが息子が女性を連れてくると不機嫌になるし、マーティは醜男の自分が結婚できるとは思っていない。

ある夜、ダンスホールで連れの男に邪険にされた女性と知り合う。教師だというその女性と意気投合し、マーティは二人で楽しく過ごす。再会を約束して別れたが、友人たちに「昨夜、連れていた女はアグリーだな」と言われ、連絡することをためらう。自分の容貌にコンプレックスを持ちながら、やはり綺麗な女性を求めてしまう男の身勝手を彼は自覚し、最後は彼女の自宅の電話番号をダイヤルする。

「マーティ」を見たとき、日本でリメイクするなら冨田仲次郎主演だと僕は思った。だが、絶対に無理だろう。映画は美男美女の夢の世界だ。アメリカ映画でも主流はハンサムな俳優、セクシーな俳優である。アーネスト・ボーグナインは「マーティ」で主演男優賞を受賞し名優の仲間入りをしたが、その後、「ワイルドバンチ」のような無法者の役、「北国の帝王」のようなホーボーの命など気にせず無賃乗車を取り締まる車掌といった役(もちろん印象的だけど)ばかりだった。

「マーティ」は、たまたま醜男が主人公だから彼にオファーがきたのである。「マーティ」から67年、死を迎えて彼はどんな思いで俳優人生を振り返ったのだろう? 一方では、山田五十鈴のように10代から70年にわたるキャリアの中で常にトップの座にいた人もいる。まさに人それぞれだが、95年間を生ききる人生って、どんなものなのだろう、死に臨んでどんな想いが去来するのだろう。僕も、そんなことを考える年齢になった。

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