わが逃走[110]美しい駅の巻
── 齋藤 浩 ──

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富山地方鉄道は、営業路線の総延長が約100キロにも及ぶ北陸最大の私鉄だ。車窓からの景色は日本の原風景そのもので、初めて乗った人も、故郷へ帰ってきたかのような不思議な感覚を覚えるという。かくいう私もそのひとりである。

その富山地鉄に、寺田という駅がある。電鉄富山駅から宇奈月温泉へと向かう本線と立山方面へ延びる立山線との分岐駅だ。昭和6年営業開始、駅自体も昭和6年築。

さてこの駅、意図的なのか、たまたまなのかは不明だが、分岐点であることをデザインに取り入れているところが興味深い。

つまり、ここを境に富山からきた列車が宇奈月方面と立山方面に向かって二手に分かれて広がってゆく訳なのだが、ホームもそれぞれの線路に沿って広がる形状をしている。即ち、各方面へのびる線路と線路との間にあるホームが扇型なのだ。

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宇奈月方面行きホーム下から中央の扇形ホームを見る。その奥が立山方面行きホーム。番線表示は左から2、1、3、4と変則的。画面左の階段にかかる屋根は現存せず。修復が望まれる。2009年撮影

寺田駅の"タダモノでない感じ"に気づいたのは、たしか10年くらい前だったと思う。富山から宇奈月へ移動する際、車窓から見た扇形ホームと待合室の佇まいに衝撃を受けた。

そのときは通過しただけだったのだが、その後何度か乗り換えの際ホームに降り立ったのだ。降りてみて確信した。ここはスゴイ。




外壁をスクラッチタイルとしたモダンなデザインの待合室。思い切り昭和的渋みに満ちた駅舎本屋。そしてホームの構造美。それぞれの個性が響き合い調和するといった建築的な面白さはもちろん、立山連峰を借景とした、景色そのものとしての美しさも兼ね備えている。

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扇形ホーム中央にかまえる大屋根の待合室。こんな構造、なかなかない。
2012年撮影

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待合室内部。傾斜したガラスのショーケースに風情を感じる。
2009年撮影

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待合室柱のディテール。タイル一枚一枚に歴史が染みているかのようだ。
2012年撮影

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掲出期限の切れた行灯広告が反転されていた。こういったものこそ由美かおるのホーロー看板以上の価値があると思うのだが。
2009年撮影

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大和の旧ロゴ手描き広告付きベンチ。富山の歴史そのもの。
2012年撮影

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4番線から扇形ホーム、その奥に2番ホームを臨む。
2012年撮影

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立山連峰を背にして扇形ホーム1番線に入線する電鉄富山行き普通列車。
2012年撮影

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失われた2番ホーム階段まわりの屋根と壁面。同じ工法、同じ素材での修復を切に願う。ケロリンの看板が効いていた。2009年撮影

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駅舎本屋全景。感動的に昭和。画面右手にあった木造瓦屋根のタクシー乗り場が更地になってしまったのは残念。駅名表記は右から『驛田寺』。2012年撮影

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駅舎本屋内部。地元の人達が便利になるICカードの導入は歓迎すべき。ただ壁面の手書き運賃表が失われたのは寂しいかぎり。2012年撮影

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立山方面行き4番ホームから、富山方面行き1番ホームへ入線する列車を見る。
2012年撮影


駅は交通の要所というだけでなく、生活を見守るシンボルであり、そこに住む人にとっては、ふるさとの風景そのものでもある。

建設・土木の新陳代謝の激しい日本において、現在ほぼオリジナルの状態を保ちつつ使われ続けている駅は、ますます貴重になってきている。

おじいちゃんと孫が同じ風景を共有できることのすばらしさを、大勢の方に意識していただきたいと思う。

あたりまえに存在することの素晴らしさ。なくなってから気づいたのではもう手遅れなのだ。寺田駅は地元の人にこそ気づいてほしい、貴重な文化財なのである。

【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
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1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。