[3316] 借り着の人生を送る人々

投稿:  著者:  読了時間:35分(本文:約17,400文字)


《女装散歩、世の男性のみなさんにもオススメ》

■映画と夜と音楽と...[555]
 借り着の人生を送る人々
 十河 進

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■映画と夜と音楽と...[555]
借り着の人生を送る人々

十河 進
< http://bn.dgcr.com/archives/20120824140200.html >
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〈ペギー・スーの結婚〉

●藤原伊織さんが描く中年の主人公はみんな同じ匂いがする

藤原伊織さんの小説が好きで、未完の遺作も含めて刊行されている本はすべて読んだ。藤原さんは電通に長く勤務していたので、作品数はそれほど多くない。長編は江戸川乱歩賞を受賞した後、その年の直木賞まで受賞した「テロリストのパラソル」から、作者の死で推敲されないまま出版された「てのひらの闇II 名残り火」まで六作しかない。「遊戯」は未完のまま終わった。

「テロリストのパラソル」は人気が高くずいぶん売れたようだけど、僕は広告のアートディレクターを主人公にした「ひまわりの祝祭」以降の作品の方が好きだ。電通らしき大手広告会社の営業マンを主人公にした「シリウスの道」、上場企業の宣伝部課長を主人公にした「てのひらの闇」などを身につまされながら読んだ。どちらもサラリーマン小説の要素がある。

藤原伊織さんが描く中年の主人公は、みんな同じ匂いがする。勤め人ではあっても、無頼なのだ。大企業という組織の中では異端だが、能力は評価されている。仕事はできる男たちである。いつ辞めてもいい、どこで何をやっても食っていくという覚悟を持ちながら、組織を冷静に見つめている。斜に構えているのではない。彼は優秀な組織人でもあるのだ。

彼らには過去がある。妻に謎の自殺をされた天才的なアートディレクターだったり、武闘派の暴力団の家に生まれ目の前で父親を射殺された宣伝課長だったり、愛する少女を救うためにその父親を殺そうとした過去を持つ広告営業マンだったりする。もちろん彼らは中年でも独身である。妻子はいない。あるいは、離婚経験を持った男である。殺風景な部屋で孤独に生きている。

彼らは共通して酒飲みである。「テロリストのパラソル」の主人公は爆破事件の逃亡犯であり、アルコール中毒のバーテンだ。二日酔いの目覚めから物語が始まる。「シリウスの道」の主人公は酔いつぶれて、美人の上司の膝によだれを垂らしながら眠り込む。「てのひらの闇」は主人公が六本木の道端で酔いつぶれ、大粒の雨に降られて気がつくところから始まる。

先日、久しぶりに「てのひらの闇」を読み返したら、その冒頭のシーンで僕自身の不始末を思い出した。昔、僕も新宿三丁目の地下道の端で目覚めたこともあるし、気がつくと水の中だったこともある。ああ、藤原伊織さんは自分の飲みっぷりをそのまま主人公たちに投影しているのだなと、僕は藤原さんが亡くなってすぐに、銀座の文壇バーで聞いた話を思い出した。

藤原伊織さんは2007年5月17日、ガンのために59歳で亡くなった。その翌週、僕はエンタメ系の作家がよくくるという銀座の文壇バーに一度だけいく機会があった。そこで亡くなったばかりの藤原伊織さんの話(その他にもK方さんやF田さんの話など)を、店の女性たちから聞かされたのである。

藤原さんは、飲むと必ずと言ってよいほど酔いつぶれていたらしい。いつの間にかテーブルの下で寝ていたり、四人の男たちにそれぞれ手と足を担がれて店を出ていったりしたという。それを聞いたときは「ずっと勤め人だったのに、そんな酔い方ができるなんて凄いなあ」と思ったけれど、考えてみると毎回ではないが、僕だって数年に一度はそんな酔いつぶれ方をしている...。

●「気がつかなかったら、溺れていたな」と妙に冷静に思った

──頬に一滴、冷たいしずくの感触があった。ついでかすかなざわめきがとどいてきた。
 この冷気のなか、さらに冷んやりしたにじみをひろげているのは、たぶん雨だ。どうやら雨粒がパラパラと音たて、路面をたたきはじめている。
 その気配で、ようやく目が開いた。やはり雨が降っていた。ただ視界になんだか妙なところがある。雨が左から右へ、水平に流れている。
━これが「てのひらの闇」の冒頭の文章だ。この後、主人公は自分の頭が歩道のくぼみにあったことに気付き、「私の頭があったくぼみが水たまりになりつつある。あのまま目が覚めなければ、溺れていた可能性だってある」と自覚し、「六本木で溺死。めったにない経験だ。その貴重なチャンスを逃したのかもしれない」と笑いがこみあげてくる。

この部分を読んで、10数年前の記憶が甦ってきた。あれはまだ40代の後半だった。いや、もう50に手が届こうという年だったか、いずれにしろ「てのひらの闇」の主人公とそう変わらない年齢だった。もっとも、僕の方は小さな専門誌出版社の編集長で、自宅には20数年連れ添った妻と大学生の息子と高校生の娘がいた。彼よりは、ずっとまっとうな小市民だったし、勤め人だった。それだけに、生きるうえでの枷も多かった。

初秋、ようやくジャケットを着ていても汗ばむことがなくなった頃だ。夏に手術した父親の様子を見るために、僕は久しぶりに帰郷した。帰郷して二日目だったか、高校時代からの友人と昼から飲み始め、深夜まで飲んだ。途中、友人のなじみの店の人を交えて酒場を変えて飲み友人が先に帰った。しばらくして、その後の記憶がなくなった。

体が冷たいので気がつくと、僕は灌漑用水の中に落ちていた。水がさらさらと流れていた。僕の実家の周囲には、まだ蓋をしていない小川のような灌漑用水が溜め池から田んぼへと張り巡らされている。舗装されていない農道から1メートルほど下の灌漑用水に僕は落ちて気付いたのだ。見上げると遠くの外灯がぼやけていた。メガネがなくなっていた。額から頬にかけて細かい擦り傷があり、血がにじんでいた。

紺のダブルのジャケットがなくなっていた。当然、その内ポケットに入れていたカードと免許証を収めた財布もない。現金は3万円ほど。それがすべてなくなっていた。僕は両手をついて身を起こし、周囲を見渡した。実家の近くであるのはわかった。立ち上がろうとして足がもつれた。それでも石を積み上げた堤に手をかけて立ち上がった。

くるぶしまで水につかったままだった。その足下を見つめて「気がつかなかったら、溺れていたな」と妙に冷静に思った。堤の上に手をかけて身を起こそうとしたとき、右足に痛みが走った。暗い中で見ると、右足のすねの横側がえぐれていた。出血はそれほどひどくはないが、肉が削がれていた。傷の深さに対してそれほど痛みを感じないのは、アルコールで麻酔が効いているからだろう。

僕は何とか1メートルほど上の農道に這い上がり、よろけて何度も農道に倒れながら実家をめざした。実家にたどり着いたのは午前2時過ぎだったと思う。鉄扉を開いて勝手口を開けようとすると鍵がかかっていた。玄関も閉まっている。年老いた両親はいつものクセで鍵を閉めてしまったのだ。酔っぱらった息子が帰ってくることなど考えもしなかったのだ。

ドアを叩いてみたが、両親が起きる気配はなかった。ふたりとも耳が遠くなっている。近所をはばかる気持ちが起こり、僕は朝になるのを待つしかないなと諦めた。庭の隅に物置小屋がある。そこへ入り駐めてあった自転車を奥にやり、ガラクタを寄せて横になれる場所を作った。全身びしょ濡れのまま横たわり、いつの間にか僕は眠ってしまった。

気付くと、夜が明けていた。まだ動いていた腕時計を見ると午前6時過ぎ。僕は物置小屋から這い出し、改めて勝手口を叩いた。母親が何か口にしながら戸を開けた途端、絶句した。「お父さん、ススムが...」と叫ぶと奥の部屋から父親が顔を出し、腰を抜かすほど驚いた。父親は一滴も酒を飲まない。酔うということを経験したことがない人生を送ってきた人間だ。

そのときの僕の様子は、相当に凄かったと思う。額や頬には血がにじみ、全身が濡れている。洋服は泥だらけだし、手足にも擦り傷が散っていた。足からは少量の血が流れ続けていた。父親は「死んでしまうぞ」と思わず言ったが、あながち間違ってもいない。本当に息子が死んでしまうと思ったのだろう。僕は勝手口を入り、父親の介添えでそのまま風呂場にいき、シャワーを浴びた。生き返った。

●「もっと自分に似あった別の生き方がどこかにあるんじゃないか」

ときどき、何もかもがどうでもよくなることがある。死んでもかまわない、という気分が湧き起こる。実際に死が現実のものになるとき、そんな風に思えるかどうかはわからない。覚悟を持って落ち着いていられるかと問われると、自信はないと答えるほかはない。しかし、死んでもいいや、と自暴自棄ではなく思うことはある。この世のすべてがどうでもよくなるのだ。

30歳になった頃、ひどく生活が荒れたことがある。子供が生まれるのがわかったからだ。僕は子供を引き受ける覚悟ができていなかった。そのあがきだったのかもしれない。しかし、子供が生まれたとき、こいつがひとりで生きていけるようになるまでは死ねないな、としみじみ思った。それから20年近くが過ぎ子供も育ち、自分の人生が見えてきたと感じ、再び僕の中に何かが甦ったのかもしれない。

──「サラリーマンはみんな、借り着の生活をおくってんのかな」
「借り着の生活?」

「毎日、おんなじ職場で似たような仕事をくりかえす。そいつがなんだか自分にしっくりこない。自分はこうなるはずなんかじゃなかった。もっと自分に似あった別の生き方がどこかにあるんじゃないか。そんなふうにガキみたいに考えながら働いてんのかどうかってことだ。四六時中でなくたって、そう思うことはないのかな」

「てのひらの闇」の中で、主人公が自分を慕う部下の女性にこんな述懐をする。それは自分の思いを吐露しているのだ。彼は「借り着の生活を送っている」と、自分のことを思っている。「もっと自分に似あった別の生き方がどこかにあるんじゃないか」と感じながら生きている。しかし、それは別に勤め人に限らない思いではないのか。

もしかしたら生きている人間すべてが、少なくとも一度は思うことではないのだろうか。もっとも自分の人生に満足して生きている人は、案外、多いのかもしれない。たとえばイチローが「自分はこうなるはずなんかじゃなかった。もっと自分に似あった別の生き方がどこかにあるんじゃないか」と思っているとは想像できない。あるいは孫正義さんやユニクロの社長さんなんかもそうだ。

そういう意味では意に添わない生き方をしている(せざるを得ない)代表として、サラリーマンがあげられるのだろう。確かに僕も若い頃から「いつかこんな生活から抜け出したい」と願い続けてきた。組織の規制に縛られ、上司と部下というヒエラルキーの中で生きている息苦しさを感じ続けてきた。自由を諦めれば、生活の保障が得られる。それを自覚していたから、自ずと自嘲的になった。

●僕には「あのとき、もし」というIF映画は遠いものになった

今ある自分を、生きてきた時間を、己の人生を、肯定できないのは辛いことだ。だが、多くの映画が、あのとき違う選択をしていたら...という人生の「もしも...」を実現する物語を採用している。そんな膨大なIF映画の中で、僕が思い出すのは、「ペギー・スーの結婚」(1986年)だ。「ペギー・スー」は元々、飛行機事故で死んだ伝説のロックシンガー、バディ・ホリーが1957年に歌った曲である。翌年、バディ・ホリーは「ペギー・スーの結婚」という曲をリリースした。

それは、フランシス・フォード・コッポラ監督の青春時代を彩ったヒット曲だった。だから、倦怠期にある人妻がハイスクール時代にタイムスリップする物語に、コッポラは「ペギー・スーの結婚」というタイトルを付けた。結婚して10年、夫に愛人の影を感じながら暮らしているペギー・スーは、ハイスクールの同窓会に出て気付くと10数年前の青春時代に戻っている。

主演のキャスリーン・ターナーがポニーテールで、落下傘スカートのワンピース姿で出てくるのはちょっと......と引くところもあるが、そこには明確な監督の意図がある。彼女はハイスクールを卒業し、結婚し、結婚に幻滅し人生に疲れた大人の女として高校生に戻っているわけだから、それを視覚的に観客に意識させるには、キャスリーン・ターナー自身に演じさせる必要があった。

「ペギー・スーの結婚」を見た頃、僕は35歳で新しいマンションを35年ローンで購入したばかりだった。子供は5歳と3歳。勤めて10年が過ぎ、自嘲的に「自由を諦めれば、生活の保障が得られる」と今とは違う人生を夢見ていた青年は姿を消し、「こいつらを育てなければならないな」という覚悟を持つ大人の男が生まれていた。それに、10年もひとつの仕事をしていれば愛着も湧く。

その頃の僕にとって「あのとき、もしかして」というIF映画は遠いものになっていた。しかし、「ペギー・スーの結婚」は僕に、カミさんは何を考えているのだろうか、という思いを芽生えさせた。「ペギー・スーの結婚」は、人生をやり直すというのではなく、若き日の思いを甦らせ、日常に埋没し倦怠だけを感じていた人生をリフレッシュする物語である。その映画をカミさんと一緒に見たとき、彼女は今の人生をどう感じているのだろうか、という思いが湧き起こってきたのだ。

もちろん、そんなことを面と向かって訊けるわけがない。高校時代から知っている相手で、その頃は結婚してすでに10年以上が過ぎていた。僕がずっと「もっと自分に似あった別の生き方がどこかにあるんじゃないか」と思っていたように、彼女だってそう思っていたのではないのか。彼女にも「高校の同級生と結婚して生きてきた専業主婦の人生」とは別の生き方があったのかもしれない、と僕は思った。

そのとき、人間は結局のところ孤独なんだな、という思いが降りてきた。絶望ではなかった。反発でもない。諦めに近いものだった。30まで自宅ではほとんど飲まなかった僕が、ひとりでも飲むようになったのは、その頃からだった。ときどき、ひどく酔いつぶれるようになった。何かを忘れたかったのかもしれない。

●「緩慢な自殺」と言われたビル・エヴァンスも借り着だったのか

今とは違う人生だったら、「借り着の人生」でなかったら、僕は満足して生きていられたのだろうか。数年に一度訪れる超弩級の酔いつぶれ方をしないでいられたのか。それは、現実の人生に対するやるせなさや切なさが、ときに噴出するからではないか。ここではないどこか、今ではないいつか、借り着ではない人生...、そんな夢のような、甘っちょろい、青臭い思いが、現実から逃げようとする気持ちが、酒に向かわせるのだろうか。

アルコールやドラッグで身体がボロボロになって死んだジャズ・ピアニスト、ビル・エヴァンスの評伝「ビル・エヴァンス ジャズ・ピアニストの肖像」(水声社刊)を書いたピーター・ペッティンガーは、ビル・エヴァンスの生涯を「緩慢な自殺」という言葉で象徴した。あの端正な姿勢でピアノに向かうビル・エヴァンスが、そんな風に生きていたと知ったとき、僕はひどく意外だった。

ビル・エヴァンスは、天才的なピアニストである。クラシックの音楽家たちからもリスペクトされる存在だ。ピーター・ペッティンガー自身もクラシック・ピアニストであり、尊敬の念が彼に詳細な評伝を書かせた。それほど音楽の世界で評価され、今も多くのファンがいる(村上春樹さんは彼の最高のアルバムを「音の宝石」と書いている)ビル・エヴァンスなのに、何かを求め続けていたのだろうか。

もちろん、ジャズの世界でいくら認められようと、大した稼ぎにはならない。世界的に有名になっても、毎晩のようにジャズ・クラブで演奏して日銭を稼がなければならない。帝王と言われたあのマイルス・デイヴィスでさえ自伝の中で、ロックの連中に比べてジャズメンたちの収入の低さを嘆いていた。ビル・エヴァンスだって、死の直前までジャズ・クラブに出演していたのである。

僕はビル・エヴァンスのアルバムはほとんど揃えたし、死の一週間前にキーストン・コーナーに出演したときの演奏を録音した三枚組CDも持っていて、一時期は集中して聴いたことがある。そこに何かを聴きとろうとしたのだが、いつものビル・エヴァンスの演奏と変わりはなかった。その頃、彼は重度の肝硬変にかかり死が目前だった。周囲の人間が病院へいけと勧めても聞かず、演奏を続けた。

しかし、それはピアニストとしての求道者的な情熱ではなかった。彼は自分の身体などどうでもよかったし、死ぬことを怖れてもいなかった。いや、死にたかったのかもしれない。親しい友人は「彼の死は歴史上一番時間をかけた自殺だった」と語った。それでも、51歳で死に至るまでの長い時間、ビル・エヴァンスはピアノを弾き続け、「音の宝石」を遺した。

だが、ビル・エヴァンスも「自分はこうなるはずなんかじゃなかった。もっと自分に似あった別の生き方がどこかにあるんじゃないか」と思っていたのではないだろうか。そうでなければ、「緩慢な自殺」と言われる彼の生き方の謎は解けない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >

盛夏で会社のエアコンが不調になり、交換工事で休日出社。7時半に出ても、すでに工事の人たちは待っていた。職人さん、ガテン系の人たちは朝が早い。僕は職人の家で育ったので彼らにはシンパシーが湧く。藤原伊織さんも「蚊トンボ白髭の冒険」や「遊戯」で彼らを主人公にした。ペンキ職人が主人公の短編もある。

●長編ミステリ三作の配信開始→Appストア「グリフォン書店」
→以下でPC版が出ました。楽天コボ版、キンドル版も予定しています
< http://forkn.jp/book/3701/ > 黄色い玩具の鳥
< http://forkn.jp/book/3702/ > 愚者の夜・賢者の朝
< http://forkn.jp/book/3707/ > 太陽が溶けてゆく海
●第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」受賞
既刊三巻発売中
「映画がなければ生きていけない1999-2002」2,000円+税(水曜社)
「映画がなければ生きていけない2003-2006」2,000円+税(水曜社)
「映画がなければ生きていけない2007-2009」2,000円+税(水曜社)
→電子書籍版「映画がなければ生きていけない」シリーズもアップ!!
「1999年版 天地創造編」100円+税
「2000年版 暗中模索編」から「2009年版 酔眼朦朧編」まで 各350円+税
※書籍版も電子書籍版もhonto.jpで購入できます
< http://honto.jp/netstore/search_10%E5%8D%81%E6%B2%B3%E9%80%B2.html?srchf=1 >

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■Otakuワールドへようこそ![158]
大失言:ヴィジュアル系をホスト呼ばわり

GrowHair
< http://bn.dgcr.com/archives/20120824140100.html >
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いやぁ、おっちょこちょいにもほどがある。とんでもなく失礼なことを口走っていた。しかも、その場では大失言にまったく気づいてなく、絶句して固まる相手を気にも留めず立ち去り、そのまますっかり忘れてた。

後になって、言われた側からブログでネタにされているのを発見して、そう言えばそんなこと言ったよぉ、と思い出し、激しく赤面。すみませんすみませんすみません。ご本人およびファンの方々、笑って許してくれる優しい人たちでよかったぁ。

夏休みをはさんでしまいましたが、フランスの話をもう少々続けます。

●ヴィジュアル系をつかまえてホスト呼ばわり

7月4日(水)から4日間、パリ郊外で開催されたジャパン・エキスポを見に行った私は、セーラー服姿が面白がられて、すごくたくさんの人たちから写真を撮られまくったことは、前回書いたとおりである。

多くはフランス人であったが、めずらしく日本人の若い男性のグループから撮らせてくださいと声がかかった。なんかめっちゃかっこいい。身につけてるアイテムからだけでなく、体全体から「かっこいいオーラ」が出まくっている。代わる代わる私の隣りに立ったりして、ノリノリで何枚か撮ってくれた。

「いやぁ、なんかかっこいいですね!」と言ったまではよかったのだけど、その後の一言はまったく余計だった。「ホストみたい♪」。けど、言ったことすらすっかり忘れていた。日本に帰ってきてだいぶ経った7月30日(月)に、ご本人様のブログにそのときの模様が書かれていた。写真入りで。

なんと、ヴィジュアル系のバンドではないか。DaizyStripper。会場に設けられたライブハウスで公演するために行ってたんだね。オリコンインディーズチャート1位を何回も獲得している、勢いあるバンドだ。うわっ、有名人だったのかっ。ブログには、「このおじさんに、君たちはかっこいいねぇ! ホストみたいだ♪ って言われたよ」とあり、「ホ、ホストじゃねぇやい!」と、心のつぶやきが。ひょえ〜、俺としたことが、ヴィジュアル系のバンドつかまえてホスト呼ばわりしてたのか。すすすすみません〜〜〜。
< http://ameblo.jp/yuugiri-daizy/entry-11315378564.html >

ツイッターにアカウントをお持ちで、ファンの人たちとツイートしあって盛り上がってたので、私もお詫びコメントをツイート。そしたら、ご本人にちゃんと届いていた。「まさかのご本人!」と今度はあちらが驚いていた。それでお互いに「よろしく〜」みたいな感じで、ごあいさつを交し合う。

ファンの方々は、ご本尊をホスト呼ばわりしたことにさぞかしお怒りではないかと恐れていたのだが、私宛てにツイートしてくれる人がいて、「楽しく読みました」などと、優しい。このバンドについても「ファン思いのすばらしいバンドです」等々と紹介してくれて、なんだか温かい空気。いいバンドなんだなぁ、という感じがよーく伝わってきた。ヴィジュアル系と意外とご縁がよくある私なので、またどっかで巡り会えるといいなぁ。

●イタリア人にパリを案内してもらう

イタリアはBrescia(ブレーシア)に在住のBarbaraさんも、ジャパン・エキスポに行くとあらかじめ聞いていた。Barbara さんは、去年の4月に開かれた日伊文化交流イベント "Il Giappone nel Chiostro" での展示でひとかたならずお世話になった人である。私が日本からの出展者5人をとりまとめる役で、Barbaraさんがイタリア側の窓口になってくれていたので、準備の間、Barbaraさんと私との間で100通以上のメールがやりとりされた。

また、3人が現地に行った際にも、展示のみならず、その後の観光など、あらゆることでお世話になっている。あらかじめ城主と交渉してくれて個人所有のお城に連れていってもらったり、ヴェネツィアを案内してもらったり。非常に献身的で、勤勉で、仕事が迅速で、あらゆることに細やかに神経が行き届いて完全主義で、よく人から「イタリア人とは思えない」と言われるそうである。

Barbaraさんとはそのとき以来会っていなかったので、1年3ヶ月ぶりである。土曜は、朝、私の宿泊しているバスチーユ近くのIBISホテルまで迎えに来てくれて、一緒にジャパン・エキスポを見て回った。日曜は、会場へは行かず、パリを案内してもらった。イタリア人にフランスを案内してもらうというのも変な感じだが、グラフィックデザイナーであるBarbaraさんは、しょっちゅうパリに来る用事があるのだそうで、勝手をよく知っている。

コンコルド広場で待ち合わせ、ルーブル美術館へ。レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」って、なんとなくミラノにあるような気がしてたけど、ミラノにあるのは「最後の晩餐」だった。しかもイタリアでは「モナ・リザ」のことを「ジョコンダ」と呼ぶので、最初、ぜんぜん話が通じてなかった。「ジョコンダの微笑み」って、いったいどこのおばさんだよ? って感じで、まるでニュアンス違うと思いません?

ルーブル美術館は、かつてはルーブル宮殿だった由緒ある建造物であり、おっさんがセーラー服を着て行って、入れてくれるものかどうか、やや心配ではあったが、実際には何の問題もなかった。世界中から見に来る人々で大賑わいなのは、いつものことだそうである。入るまでに、日差しの強い屋外で、長い列に並んだ。7月上旬は、日本にとってはまだ観光シーズン前なので、日本人の姿はあまり多くなかった。

アジア系の人はけっこう多く見かけるのだが、その中で、日本人って、なんとなく分かっちゃうね。どこがどうってわけじゃないんだけど、背筋がぴんと伸びてないというか、堂々としてないというか。フランスのひとつやふたつでビビることないのに〜。

モナ・リザのいる3階(だっけ?)に向かう階段を上っていると、お年を召した方々30人ばかりのご一行が降りてくるのとすれ違う。あ、たぶん日本人。と思っていると、「すごい格好していらっしゃいますね」と聞こえてきた。やっぱ日本人。やべ。

なんか、展示されてる絵よりも私のほうが人々の関心を引いてたかも。モナ・リザにゃ負けるけど。すごい人だかりだった。意外と小さい。近くから見ようと思ったら、人だかりの後ろについて、前のほうが刷けるのを待つしかなく、30分はかかりそうだ。面倒なので、人垣を見たことをもって、モナ・リザを見たことにしよう。まったくうらやましい人気ぶりだ。

その異常なまでの人気ぶりゆえ、ジョコンダが嫌いなイタリア人は多いらしい。名画なのは分かるけど、他にもいい絵はたくさんある中で、なんであれだけがそんなに特別なんだよ? って感じで。3年ほど前にロシア人女性がティーカップをジョコンダに投げつけるという事件があり、イタリア人たちは「それはやりすぎだけど、ジョコンダが嫌いという気持ちは理解できる」と言い合ったそうである。実際は、ビザが下りなかったことへの、腹いせか何かだったようだけど。

とてつもなく広く、2時間ほどでささっと回った範囲が全体の何分の1程度なのか、見当もつかない。いつもはルーブルにいるゴヤの「青い服の子供」は五反田に来てるけど、展示物が 1個ぐらいなくなってても、誰も気がつきゃしない感じ。

建物内に喫茶店「Salon de The(サロン・ド・テ)」がある。銀座にも支店のある高級店で、なかなか上流階級趣味っぽい優雅な空気の店だが、セーラー服を着たおっさんでも問題なく入ることができた。

ルーブルの後は、付近を散策。セーヌ川べりの美しい景観を汚す、セーラー服のおっさん。Barbaraさんに写真を撮ってもらったり。市街地に戻り、ブランド店のひしめく一角を歩く。日曜なので、店はほとんど閉まってたけど。私は出張で二度ほどパリを通過しているけど、まともに観光したことがなかったので、やっと普通に観光することができた感じ。姿が普通じゃないか。

Barbara さんは、11月のデザフェスに写真の出展で参加を予定している。またお会いできるのを非常に楽しみにしている。

Barbara さんに撮ってもらった写真:
< https://picasaweb.google.com/107971446412217280378/ParisByBarbara120708 >

●イタリア人とフランスでばったり遭遇

フランスで会ったイタリア人の知り合いがもう一人いる。Biancaさん。Biancaさんはイタリアの真ん中らへんの東海岸Porto San Giorgio(ポルト・サン・ジョルジョ)に住んでいる。お兄さんと二人でゲームのお店を営んでいる。毎年、夏コミの時期に日本に来る。

去年の4月のBresciaのイベントのときは、夜行列車で来てくれた。去年の夏コミにも来ていたので、会うのはそのとき以来になる。女性にしてはやや大柄なほうで、すらっとスタイルがいいので、和装系の男装をするとめちゃめちゃかっこいい。

負けん気が強いというか、すぐ対抗意識を燃やすというか、去年、私がセーラー服姿で中野や池袋をご案内したら、「来年は男子用の学生服を用意してくるからね」と。冗談かと思ってたら、本気だった。

お互いにジャパン・エキスポに来るとは知らせていなかったので、会場でばったり会って、びっくり。「来るなら言ってくれよー」とお互いに。Biancaさんは、私が来ると知ってたら男子用学生服持ってきたのにー、と残念がっていた。

Biancaさんが日本に来たときは、いつもカラオケに行く。日本のアニソンが歌えちゃうのである。"AnimeLyrics.com" というサイトがあり、アニソンの歌詞をローマ字で載せている。ここからどっさりプリントアウトして、肌身離さず持ち歩いているのである。

アニソンカラオケといえば、ジャパン・エキスポではブラザー工業株式会社のブースが面白かった。ブラザーは、オタク文化方面との関わりあいに非常に積極的な会社というイメージがある。コスプレ衣装制作にミシンを使うから、というつながりからであろう。ブラザーは、毎年名古屋で開催される世界コスプレサミットに協賛している。本社が名古屋にあるというつながりもある。ジャパン・エキスポは、世界コスプレサミットのフランス代表を決定するための地区予選の場にもなっている。

そのジャパン・エキスポでブラザーが構えたブースでは、アニソンカラオケを展示していた。画面に表示される歌詞がローマ字なのである。来場者が自由に曲を選んで、歌えるようになっている。これに列ができていて、途切れることなく誰かが歌っている。みんなけっこう上手い。アニソンが日本語で歌えることを自慢できる人がこんなにたくさんいるとは、びっくりである。それをちゃんと分かって、ローマ字カラオケを提供するブラザーも、なかなかやるな。

Bianca さんとはしばらく立ち話して、写真を撮らせてもらったりもした。
< https://picasaweb.google.com/107971446412217280378/Paris120707#5762644913590686674 >

それから約1か月後、8月には日本でまた会った。例によってコミケに時期を合わせてやって来たので。

●イタリア人たちとのカラオケ、大いに盛り上がる

いつもは何人かのイタリア人と一緒に来るのだが、去年は震災やら経済低迷やら円高やらあって、Biancaさん一人だった。友達から、あれ買ってきて、これ買ってきてと頼まれまくっていて、滞在中は、人のための買い物で大忙しだった。しかもみんな好みがうるさくて、要望を満たすものを探すのが大変そうだった。

今年は、Barbaraさん、Charaさんと一緒だった。前述のBresciaのBarbaraさんとは別のBarbaraさんである。イタリア人は、聖人から名前をもらってつけることが多いので、よくカブる。こっちのBarbaraさんとは一昨年にも会っていて、一緒にカラオケに行っている。さて、今年はまず手始めに、8月9日(木)に、中野にある「アニソンカラオケバーZ」へ。6月にオープンしたばかりのお店だ。
< http://ameblo.jp/anisonbar-z/ >

基本的にアニソン縛り。店にはコスプレした女の子たちがいて、ステージに立って歌うお客さんを、盛り上げてくれる。私はうっかり女性にしか声をかけなかったもんだから、イタリア人3人、日本人2人の女性ばかりを引き連れて、女の子のいるお店に行く、という事態になってしまい、なんかハーレム状態みたくなって、たいへん困った。

イタリア人3人とも、かなり上手に歌える。特にBarbaraさんは、画面に表示される日本語の歌詞を追って歌えちゃうレベル。すごい! Barbaraさんは、コミケの翌日、8月13日(月)には四国に向かうという。道後温泉へ。「千と千尋の神隠し」の湯屋が、道後温泉をモデルに描かれていると言われていて、見てみたいから、というのが主な理由。

道後温泉は夏目漱石の『坊ちゃん』の舞台でもあることを言うと、それも読んだという。日本の小説は、英語を経ないで直接イタリア語に翻訳されたものがかなりあって、吉本ばななや村上春樹が人気だそうである。

8月13日(月)には、Biancaさん、Charaさんと私の仲間の寄せ集めでまたカラオケ大会。今度は池袋のパセラで。なんと、総勢11人になった。このとき、去年Biancaさんが言ったことが実現した。Biancaさんは、応援団が着るような裾を長くした黒の学ラン。私は例によってセーラー服。

さて、このカラオケ大会に参加してくれた人たちの中に、コスプレイヤーのひよ子さんがいる。かつては蝶子さんと名乗っていた。日本のトップクラスのコスプレイヤーで、いわゆる「神レイヤー」のレベルである。2006年の世界コスプレサミットでは、日本代表として名古屋のチャンピオンシップ大会に出場し、日本に世界第2位の座をもたらしている。
< http://www.tv-aichi.co.jp/wcs/2006/j/cosnews.html >

そのひよ子さんが、私のために、ロリ浴衣を作ってくれた。白地にピンクの牡丹の花の柄で、丈は膝まで、ひらっひらのフリルがついている。帯は桜の柄の入った赤。しかも、お尻のあたりをパニエでプワッと膨らませてある。小さな女の子が着るような、ロリロリっとしてかわいらしい浴衣である。さらに、ゴスロリ風に黒のリボンが左右に数本ずつ垂れた、猫耳カチューシャ。

ひよ子さんの発案により、私はBiancaさんに甚平を用意して行った。カラオケ大会の途中で、まさかのお色直し。学ランとセーラー服から、甚平とロリ浴衣へ。違和感があまりない。こうして間違った日本文化がイタリアに伝達されていくのであった。

集まったみんなは、どういうわけか、びっくりするほど歌が上手くて、大いに盛り上がった。対抗意識の強いBiancaさんのことだから、来年はすご〜く上達してくるんじゃないかという気がしてならない。

●うにゃっ、鎌倉

翌日、8月14日(火)は、Biancaさん、Charaさんと私の仲間2人の総勢5人で鎌倉へ。日本人の仲間は、愛様(「様」も含めて名前、みたいな感じ)と佐々木さん。愛様は、行きつけのメイドバーでかつてメイドさんをしていた。丸顔にストレートの長い黒髪が美しい。佐々木さんは男性で、そのお店の常連だった人。Biancaさんは大仏を見たことがすでにあるそうだが、Charaさんが見たことないというので、まず長谷へ。

私はひよ子さんに作ってもらったロリ浴衣で。Biancaさんには甚平を持って行ってもらった。大仏、長谷寺と回って、江ノ電で鎌倉に戻り、鶴岡八幡宮へ。あれ? イチョウの木が、幹の途中から上がすっぱりとなくなってる。倒れたんだっけ?

ここでBiancaさんに甚平に着替えてもらい、一緒に写真を撮った。私の姿、どう見ても化け猫だ。
< https://picasaweb.google.com/107971446412217280378/Kamakura120814 >

帰りに、横浜のアニメイトに寄る。横浜駅で電車を降りると、同じ電車に乗り合わせていたヒゲのオニイサンが降りてきて、「ジャパン・エキスポのときのテレビ、見ましたよ」と。あ、それ関西限定で放送されたもんだから、私は見てないんですよー。オニイサンはそれだけ告げると、また同じ電車に乗っていった。なんだか有名人になったみたいな気分にさせてくれて、やー、どうもありがとう。

ひよ子さんに作ってもらったロリ浴衣はすっかり気に入っていて、私が夏休みの間、月火水木金土日と着て歩いていた。木曜は茨城へ、金曜は山梨へ、土曜は埼玉へ。人々の反応は、セーラー服のときとは微妙に違って面白い。

牛久駅近くのマクドナルドでは、中高生から大いに笑われ、帰り際には、女子高生から写真撮らせてください、とのリクエストがあった。普通の格好のときにはありえないこと。悪いことはひとつも起きず、いいことしか起きないので、プラスのモチベーションしか働かない。女装散歩、世の男性のみなさんにもオススメなんだけどなぁ。モテますぞ。

振り返って、なんか、ものすごく活性化レベルの高い夏休みをすごしたなぁ、という印象。月曜日、久々に普通の格好で会社へ。なんだか他人の服を借りて着てるみたいな違和感。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
ロリ浴衣化け猫カメコ。アイデンティティ拡散。

去年の夏から、夜中過ぎになると友達の守宮君が遊びにきて、ベランダに出る窓の外側にへばりついている。夏の間、ほぼ毎日。ちなみにイモリ(井守)とヤモリ(守宮)は別物。イモリが両生類で、ヤモリが爬虫類で、タモリが哺乳類(たぶん)。色は、イモリが背が黒褐色で腹が赤、ヤモリが背も腹もベージュっぽい。手足の指の数は、イモリが前肢に4本、後肢に5本、ヤモリが前後とも5本。

ウチに来るのは間違いなくヤモリ。窓の外にへばりつき、ガラス越しに、白っぽい腹が見える。ある朝、窓を開けると、待ち構えていたのか、守宮君は部屋に入ってきた。しかも、私の足の上をさっと歩いていった。ひゃっ、冷たい〜。物陰に隠れ、尻尾が出てて、ぴょろっ、ぴょろっと左右に振っている。あれをつかまえようとすると切って逃げるという寸法だな。

ものをどけると、ささーっと走っていって、別の物陰へ。どんどん奥へ入っていっちゃってキリがないので、放置。仕事に出かけなきゃならない時間。窓を開けっぱなしにして、そのまま出かける。帰ってきたら、いなくなってる。まだその辺に潜んでいるんじゃないかと気が気じゃない。夜中過ぎたら、いつものように、窓の外にへばりつきに来た。ガラス越しに腹をこちょこちょしても逃げないので、間違いなくいつものやつだ。

爬虫類は、われわれと姿が似てないし、体温低いし、なので、哺乳類のペットなどと比べると、感情がなさそうというイメージがあるけど、実はそのイメージに反して意外と面白いやつなんじゃないかと思えてきた。感情がちゃんとあって、知能もけっこう高くて、状況をちゃんと分かってるんじゃないかと。ぜーったい俺のこと友達だと思ってるね。

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編集後記(08/24)

●十河進さんの泥酔記を読むと、いつもうらやましくなる。わたしには、そのような人に語ってうけるような酒にまつわる面白い体験がない。もう半世紀近く、我を忘れるほど酔ったことがない。いや、このぶんだと死ぬまで泥酔はしないだろう。同僚の下宿で泊まったとき飲み過ぎて、翌日の午前中に会社の近所の東京大神宮や、会社屋上で寝ていたりしたのも20代半ばに何回かやっただけで、二日酔いなどこの人生で10回もないだろう。

とにかく昔も今も、外で飲んでおおいに酔うなどということがない。すすめられればいくらでも飲める。どれほど飲んでも、わけがわからなくなることはない。たぶんいつでもまともに会話はできていたと思う。ちゃんと電車に乗って、駅からは自転車で家に帰る。翌日もたしょうダルい程度で、普通の生活ができる。ところが、家でビールをちょっと過ごすと(500ml+350mlくらいでも)、なにもやる気が起きず早々と寝てしまい、翌日はたいてい頭が痛くて不快だ。

先日、高校時代の仲間6人と居酒屋に行って、生ビール4杯と日本酒をしこたま飲んだ。まだまだいけたがお開きの時間が来てしまった。翌朝にはスッキリ快適。これはどういうわけだ。わたしは酒に強いのか弱いのか、普通なのか。外で飲んでいるときは緊張しているから云々との説もあるが、緊張する相手とは飲まないし。武・山根コンビが我が家からも近い河鍋暁斎記念美術館に取材に来て、帰りに一緒に飲もうというお誘いがあったが、当日は別の約束があったので断った。3314号の記事を読むと、行かなくてよかった(笑)。(柴田)

●NさんからLINE。2Fのカフェスペースで、お茶が無料で飲めますよ〜、とのこと。えっ? 彼女は以前水没させて修理してもらってから『Smart Doctor』派。数日前、バッテリー交換をした際、待ち時間を潰せるような喫茶店がないか店員さんに聞いてみたら、お客さんは一杯無料と言われたそうな。情報ありがとー!

昨日の続き。近くのお店に行った後、iPhoneケースやアクセサリーのお店『AppBank Store 心斎橋』に寄ってみる。『Smart Doctor』、『Apple Store 心斎橋』とここは、徒歩5分で全部回れるぐらいの距離。ここも狭い。液晶フィルム購入者には無償で貼ってくれた上、先着3,000名には、なめこのホームボタンシールがもらえるとのこと。シール発売時に、ちょっと欲しいと思っていたので気になってしまう。

店を出て、ちょっと早いけれどお店に戻ろうとしたら、他の修理店も見つけたわ。ここも盛況。前面ガラス交換は2,000円ほど高かった。これらiPhoneアクセサリーを置いている3店舗すべて、お客さんはふつーの人で女性が多かった。いや、ふつーと書いたらおかしいのかも知れないけれど、iPhoneは幅広い年代で使われているんだなぁと。なんとなく以前からのイメージで、アクセサリーまで気になるような人は、男性のガジェット好きな人たちなのかなぁと思い込んでしまってたわ。電車の中ではいろんな人が使っているのにね。(hammer.mule)
< http://www.appbank-store.com/store/campaign/campaign_120531.html >
AppBank Store 心斎橋
< http://namepara.com/goods/variety/250.html >
なめこボタンステッカー。これのシークレットつきのやつ
< http://www.appbank.net/2012/06/16/iphone-news/427575.php >
あ、これ。このホームボタンシール