映画と夜と音楽と...[555]借り着の人生を送る人々/十河 進

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〈ペギー・スーの結婚〉

●藤原伊織さんが描く中年の主人公はみんな同じ匂いがする

藤原伊織さんの小説が好きで、未完の遺作も含めて刊行されている本はすべて読んだ。藤原さんは電通に長く勤務していたので、作品数はそれほど多くない。長編は江戸川乱歩賞を受賞した後、その年の直木賞まで受賞した「テロリストのパラソル」から、作者の死で推敲されないまま出版された「てのひらの闇II 名残り火」まで六作しかない。「遊戯」は未完のまま終わった。

「テロリストのパラソル」は人気が高くずいぶん売れたようだけど、僕は広告のアートディレクターを主人公にした「ひまわりの祝祭」以降の作品の方が好きだ。電通らしき大手広告会社の営業マンを主人公にした「シリウスの道」、上場企業の宣伝部課長を主人公にした「てのひらの闇」などを身につまされながら読んだ。どちらもサラリーマン小説の要素がある。

藤原伊織さんが描く中年の主人公は、みんな同じ匂いがする。勤め人ではあっても、無頼なのだ。大企業という組織の中では異端だが、能力は評価されている。仕事はできる男たちである。いつ辞めてもいい、どこで何をやっても食っていくという覚悟を持ちながら、組織を冷静に見つめている。斜に構えているのではない。彼は優秀な組織人でもあるのだ。

彼らには過去がある。妻に謎の自殺をされた天才的なアートディレクターだったり、武闘派の暴力団の家に生まれ目の前で父親を射殺された宣伝課長だったり、愛する少女を救うためにその父親を殺そうとした過去を持つ広告営業マンだったりする。もちろん彼らは中年でも独身である。妻子はいない。あるいは、離婚経験を持った男である。殺風景な部屋で孤独に生きている。

彼らは共通して酒飲みである。「テロリストのパラソル」の主人公は爆破事件の逃亡犯であり、アルコール中毒のバーテンだ。二日酔いの目覚めから物語が始まる。「シリウスの道」の主人公は酔いつぶれて、美人の上司の膝によだれを垂らしながら眠り込む。「てのひらの闇」は主人公が六本木の道端で酔いつぶれ、大粒の雨に降られて気がつくところから始まる。

先日、久しぶりに「てのひらの闇」を読み返したら、その冒頭のシーンで僕自身の不始末を思い出した。昔、僕も新宿三丁目の地下道の端で目覚めたこともあるし、気がつくと水の中だったこともある。ああ、藤原伊織さんは自分の飲みっぷりをそのまま主人公たちに投影しているのだなと、僕は藤原さんが亡くなってすぐに、銀座の文壇バーで聞いた話を思い出した。

藤原伊織さんは2007年5月17日、ガンのために59歳で亡くなった。その翌週、僕はエンタメ系の作家がよくくるという銀座の文壇バーに一度だけいく機会があった。そこで亡くなったばかりの藤原伊織さんの話(その他にもK方さんやF田さんの話など)を、店の女性たちから聞かされたのである。

藤原さんは、飲むと必ずと言ってよいほど酔いつぶれていたらしい。いつの間にかテーブルの下で寝ていたり、四人の男たちにそれぞれ手と足を担がれて店を出ていったりしたという。それを聞いたときは「ずっと勤め人だったのに、そんな酔い方ができるなんて凄いなあ」と思ったけれど、考えてみると毎回ではないが、僕だって数年に一度はそんな酔いつぶれ方をしている...。




●「気がつかなかったら、溺れていたな」と妙に冷静に思った

──頬に一滴、冷たいしずくの感触があった。ついでかすかなざわめきがとどいてきた。
 この冷気のなか、さらに冷んやりしたにじみをひろげているのは、たぶん雨だ。どうやら雨粒がパラパラと音たて、路面をたたきはじめている。
 その気配で、ようやく目が開いた。やはり雨が降っていた。ただ視界になんだか妙なところがある。雨が左から右へ、水平に流れている。
━これが「てのひらの闇」の冒頭の文章だ。この後、主人公は自分の頭が歩道のくぼみにあったことに気付き、「私の頭があったくぼみが水たまりになりつつある。あのまま目が覚めなければ、溺れていた可能性だってある」と自覚し、「六本木で溺死。めったにない経験だ。その貴重なチャンスを逃したのかもしれない」と笑いがこみあげてくる。

この部分を読んで、10数年前の記憶が甦ってきた。あれはまだ40代の後半だった。いや、もう50に手が届こうという年だったか、いずれにしろ「てのひらの闇」の主人公とそう変わらない年齢だった。もっとも、僕の方は小さな専門誌出版社の編集長で、自宅には20数年連れ添った妻と大学生の息子と高校生の娘がいた。彼よりは、ずっとまっとうな小市民だったし、勤め人だった。それだけに、生きるうえでの枷も多かった。

初秋、ようやくジャケットを着ていても汗ばむことがなくなった頃だ。夏に手術した父親の様子を見るために、僕は久しぶりに帰郷した。帰郷して二日目だったか、高校時代からの友人と昼から飲み始め、深夜まで飲んだ。途中、友人のなじみの店の人を交えて酒場を変えて飲み友人が先に帰った。しばらくして、その後の記憶がなくなった。

体が冷たいので気がつくと、僕は灌漑用水の中に落ちていた。水がさらさらと流れていた。僕の実家の周囲には、まだ蓋をしていない小川のような灌漑用水が溜め池から田んぼへと張り巡らされている。舗装されていない農道から1メートルほど下の灌漑用水に僕は落ちて気付いたのだ。見上げると遠くの外灯がぼやけていた。メガネがなくなっていた。額から頬にかけて細かい擦り傷があり、血がにじんでいた。

紺のダブルのジャケットがなくなっていた。当然、その内ポケットに入れていたカードと免許証を収めた財布もない。現金は3万円ほど。それがすべてなくなっていた。僕は両手をついて身を起こし、周囲を見渡した。実家の近くであるのはわかった。立ち上がろうとして足がもつれた。それでも石を積み上げた堤に手をかけて立ち上がった。

くるぶしまで水につかったままだった。その足下を見つめて「気がつかなかったら、溺れていたな」と妙に冷静に思った。堤の上に手をかけて身を起こそうとしたとき、右足に痛みが走った。暗い中で見ると、右足のすねの横側がえぐれていた。出血はそれほどひどくはないが、肉が削がれていた。傷の深さに対してそれほど痛みを感じないのは、アルコールで麻酔が効いているからだろう。

僕は何とか1メートルほど上の農道に這い上がり、よろけて何度も農道に倒れながら実家をめざした。実家にたどり着いたのは午前2時過ぎだったと思う。鉄扉を開いて勝手口を開けようとすると鍵がかかっていた。玄関も閉まっている。年老いた両親はいつものクセで鍵を閉めてしまったのだ。酔っぱらった息子が帰ってくることなど考えもしなかったのだ。

ドアを叩いてみたが、両親が起きる気配はなかった。ふたりとも耳が遠くなっている。近所をはばかる気持ちが起こり、僕は朝になるのを待つしかないなと諦めた。庭の隅に物置小屋がある。そこへ入り駐めてあった自転車を奥にやり、ガラクタを寄せて横になれる場所を作った。全身びしょ濡れのまま横たわり、いつの間にか僕は眠ってしまった。

気付くと、夜が明けていた。まだ動いていた腕時計を見ると午前6時過ぎ。僕は物置小屋から這い出し、改めて勝手口を叩いた。母親が何か口にしながら戸を開けた途端、絶句した。「お父さん、ススムが...」と叫ぶと奥の部屋から父親が顔を出し、腰を抜かすほど驚いた。父親は一滴も酒を飲まない。酔うということを経験したことがない人生を送ってきた人間だ。

そのときの僕の様子は、相当に凄かったと思う。額や頬には血がにじみ、全身が濡れている。洋服は泥だらけだし、手足にも擦り傷が散っていた。足からは少量の血が流れ続けていた。父親は「死んでしまうぞ」と思わず言ったが、あながち間違ってもいない。本当に息子が死んでしまうと思ったのだろう。僕は勝手口を入り、父親の介添えでそのまま風呂場にいき、シャワーを浴びた。生き返った。

●「もっと自分に似あった別の生き方がどこかにあるんじゃないか」

ときどき、何もかもがどうでもよくなることがある。死んでもかまわない、という気分が湧き起こる。実際に死が現実のものになるとき、そんな風に思えるかどうかはわからない。覚悟を持って落ち着いていられるかと問われると、自信はないと答えるほかはない。しかし、死んでもいいや、と自暴自棄ではなく思うことはある。この世のすべてがどうでもよくなるのだ。

30歳になった頃、ひどく生活が荒れたことがある。子供が生まれるのがわかったからだ。僕は子供を引き受ける覚悟ができていなかった。そのあがきだったのかもしれない。しかし、子供が生まれたとき、こいつがひとりで生きていけるようになるまでは死ねないな、としみじみ思った。それから20年近くが過ぎ子供も育ち、自分の人生が見えてきたと感じ、再び僕の中に何かが甦ったのかもしれない。

──「サラリーマンはみんな、借り着の生活をおくってんのかな」
「借り着の生活?」

「毎日、おんなじ職場で似たような仕事をくりかえす。そいつがなんだか自分にしっくりこない。自分はこうなるはずなんかじゃなかった。もっと自分に似あった別の生き方がどこかにあるんじゃないか。そんなふうにガキみたいに考えながら働いてんのかどうかってことだ。四六時中でなくたって、そう思うことはないのかな」

「てのひらの闇」の中で、主人公が自分を慕う部下の女性にこんな述懐をする。それは自分の思いを吐露しているのだ。彼は「借り着の生活を送っている」と、自分のことを思っている。「もっと自分に似あった別の生き方がどこかにあるんじゃないか」と感じながら生きている。しかし、それは別に勤め人に限らない思いではないのか。

もしかしたら生きている人間すべてが、少なくとも一度は思うことではないのだろうか。もっとも自分の人生に満足して生きている人は、案外、多いのかもしれない。たとえばイチローが「自分はこうなるはずなんかじゃなかった。もっと自分に似あった別の生き方がどこかにあるんじゃないか」と思っているとは想像できない。あるいは孫正義さんやユニクロの社長さんなんかもそうだ。

そういう意味では意に添わない生き方をしている(せざるを得ない)代表として、サラリーマンがあげられるのだろう。確かに僕も若い頃から「いつかこんな生活から抜け出したい」と願い続けてきた。組織の規制に縛られ、上司と部下というヒエラルキーの中で生きている息苦しさを感じ続けてきた。自由を諦めれば、生活の保障が得られる。それを自覚していたから、自ずと自嘲的になった。

●僕には「あのとき、もし」というIF映画は遠いものになった

今ある自分を、生きてきた時間を、己の人生を、肯定できないのは辛いことだ。だが、多くの映画が、あのとき違う選択をしていたら...という人生の「もしも...」を実現する物語を採用している。そんな膨大なIF映画の中で、僕が思い出すのは、「ペギー・スーの結婚」(1986年)だ。「ペギー・スー」は元々、飛行機事故で死んだ伝説のロックシンガー、バディ・ホリーが1957年に歌った曲である。翌年、バディ・ホリーは「ペギー・スーの結婚」という曲をリリースした。

それは、フランシス・フォード・コッポラ監督の青春時代を彩ったヒット曲だった。だから、倦怠期にある人妻がハイスクール時代にタイムスリップする物語に、コッポラは「ペギー・スーの結婚」というタイトルを付けた。結婚して10年、夫に愛人の影を感じながら暮らしているペギー・スーは、ハイスクールの同窓会に出て気付くと10数年前の青春時代に戻っている。

主演のキャスリーン・ターナーがポニーテールで、落下傘スカートのワンピース姿で出てくるのはちょっと......と引くところもあるが、そこには明確な監督の意図がある。彼女はハイスクールを卒業し、結婚し、結婚に幻滅し人生に疲れた大人の女として高校生に戻っているわけだから、それを視覚的に観客に意識させるには、キャスリーン・ターナー自身に演じさせる必要があった。

「ペギー・スーの結婚」を見た頃、僕は35歳で新しいマンションを35年ローンで購入したばかりだった。子供は5歳と3歳。勤めて10年が過ぎ、自嘲的に「自由を諦めれば、生活の保障が得られる」と今とは違う人生を夢見ていた青年は姿を消し、「こいつらを育てなければならないな」という覚悟を持つ大人の男が生まれていた。それに、10年もひとつの仕事をしていれば愛着も湧く。

その頃の僕にとって「あのとき、もしかして」というIF映画は遠いものになっていた。しかし、「ペギー・スーの結婚」は僕に、カミさんは何を考えているのだろうか、という思いを芽生えさせた。「ペギー・スーの結婚」は、人生をやり直すというのではなく、若き日の思いを甦らせ、日常に埋没し倦怠だけを感じていた人生をリフレッシュする物語である。その映画をカミさんと一緒に見たとき、彼女は今の人生をどう感じているのだろうか、という思いが湧き起こってきたのだ。

もちろん、そんなことを面と向かって訊けるわけがない。高校時代から知っている相手で、その頃は結婚してすでに10年以上が過ぎていた。僕がずっと「もっと自分に似あった別の生き方がどこかにあるんじゃないか」と思っていたように、彼女だってそう思っていたのではないのか。彼女にも「高校の同級生と結婚して生きてきた専業主婦の人生」とは別の生き方があったのかもしれない、と僕は思った。

そのとき、人間は結局のところ孤独なんだな、という思いが降りてきた。絶望ではなかった。反発でもない。諦めに近いものだった。30まで自宅ではほとんど飲まなかった僕が、ひとりでも飲むようになったのは、その頃からだった。ときどき、ひどく酔いつぶれるようになった。何かを忘れたかったのかもしれない。

●「緩慢な自殺」と言われたビル・エヴァンスも借り着だったのか

今とは違う人生だったら、「借り着の人生」でなかったら、僕は満足して生きていられたのだろうか。数年に一度訪れる超弩級の酔いつぶれ方をしないでいられたのか。それは、現実の人生に対するやるせなさや切なさが、ときに噴出するからではないか。ここではないどこか、今ではないいつか、借り着ではない人生...、そんな夢のような、甘っちょろい、青臭い思いが、現実から逃げようとする気持ちが、酒に向かわせるのだろうか。

アルコールやドラッグで身体がボロボロになって死んだジャズ・ピアニスト、ビル・エヴァンスの評伝「ビル・エヴァンス ジャズ・ピアニストの肖像」(水声社刊)を書いたピーター・ペッティンガーは、ビル・エヴァンスの生涯を「緩慢な自殺」という言葉で象徴した。あの端正な姿勢でピアノに向かうビル・エヴァンスが、そんな風に生きていたと知ったとき、僕はひどく意外だった。

ビル・エヴァンスは、天才的なピアニストである。クラシックの音楽家たちからもリスペクトされる存在だ。ピーター・ペッティンガー自身もクラシック・ピアニストであり、尊敬の念が彼に詳細な評伝を書かせた。それほど音楽の世界で評価され、今も多くのファンがいる(村上春樹さんは彼の最高のアルバムを「音の宝石」と書いている)ビル・エヴァンスなのに、何かを求め続けていたのだろうか。

もちろん、ジャズの世界でいくら認められようと、大した稼ぎにはならない。世界的に有名になっても、毎晩のようにジャズ・クラブで演奏して日銭を稼がなければならない。帝王と言われたあのマイルス・デイヴィスでさえ自伝の中で、ロックの連中に比べてジャズメンたちの収入の低さを嘆いていた。ビル・エヴァンスだって、死の直前までジャズ・クラブに出演していたのである。

僕はビル・エヴァンスのアルバムはほとんど揃えたし、死の一週間前にキーストン・コーナーに出演したときの演奏を録音した三枚組CDも持っていて、一時期は集中して聴いたことがある。そこに何かを聴きとろうとしたのだが、いつものビル・エヴァンスの演奏と変わりはなかった。その頃、彼は重度の肝硬変にかかり死が目前だった。周囲の人間が病院へいけと勧めても聞かず、演奏を続けた。

しかし、それはピアニストとしての求道者的な情熱ではなかった。彼は自分の身体などどうでもよかったし、死ぬことを怖れてもいなかった。いや、死にたかったのかもしれない。親しい友人は「彼の死は歴史上一番時間をかけた自殺だった」と語った。それでも、51歳で死に至るまでの長い時間、ビル・エヴァンスはピアノを弾き続け、「音の宝石」を遺した。

だが、ビル・エヴァンスも「自分はこうなるはずなんかじゃなかった。もっと自分に似あった別の生き方がどこかにあるんじゃないか」と思っていたのではないだろうか。そうでなければ、「緩慢な自殺」と言われる彼の生き方の謎は解けない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >

盛夏で会社のエアコンが不調になり、交換工事で休日出社。7時半に出ても、すでに工事の人たちは待っていた。職人さん、ガテン系の人たちは朝が早い。僕は職人の家で育ったので彼らにはシンパシーが湧く。藤原伊織さんも「蚊トンボ白髭の冒険」や「遊戯」で彼らを主人公にした。ペンキ職人が主人公の短編もある。

●長編ミステリ三作の配信開始→Appストア「グリフォン書店」
→以下でPC版が出ました。楽天コボ版、キンドル版も予定しています
< http://forkn.jp/book/3701/ > 黄色い玩具の鳥
< http://forkn.jp/book/3702/ > 愚者の夜・賢者の朝
< http://forkn.jp/book/3707/ > 太陽が溶けてゆく海
●第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」受賞
既刊三巻発売中
「映画がなければ生きていけない1999-2002」2,000円+税(水曜社)
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「2000年版 暗中模索編」から「2009年版 酔眼朦朧編」まで 各350円+税
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