デジタルちゃいろ[20]「アマチュア(仮称)」を楽しむ
── browneyes ──

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夏もそろそろ後半戦でしょうか。今年はなんとなーく体感的に、延々と梅雨の延長線が続いてたかのような、いつにもまして気温よりも湿度がまとわりついてくるような夏でしたが、大半を引きこもって過ごしていたのでよくわからないうちに終盤、というのが実際のところです。

最近もやもやと「好きなことを楽しむ」とは何ぞや的な事を脳内でこねくり回しています。平たく一般的に言うと趣味全般なのでしょうかね。なんとなく趣味ってライトな感じがしちゃうのですが、強いて言えばWikipedia先生の示す「アマチュア」が近いのかな。対価を得る前提で、ではないけど、ものによっては趣味が高じて...も含むイメージ。そういう層、以前より増えてるんじゃないかな。

□アマチュア - Wikipedia
└< http://j.mp/RPk3Qu >

という訳でアマチュア(仮称)です。逆に(仮称)を付けないアマチュアだとそれはそれで語弊がある気がするので。いつか仮称ではないしっくりする名詞が見つかりますように......。




●入り口

義務教育時代のワタシの黒歴史の一端だと、漫画家に憧れて羽ぼうきとGペン買ってみたり、チョイ悪かっこいいじゃーん程度の動機でバンドに混じってみたり。この辺りはワタシにとっては一過性の麻疹みたいな趣味としてすら終焉を迎えています。現在進行形でワタシの日常...というか精神に常につき纏っている「楽しい」ものは主に写真と南亜細亜(の主に音楽)。

写真についてはある時、自分のナニカにカチリとハマるものを感じて「やってみなくちゃ!」となった。お金はないので熟考の上、デジカメを購入。フィルムとかデジタルとか、その違いについての頓着はあまりなかった。

実はここ暫く、写真を始めた理由なりきっかけなりを思い出そうとすると、なんとも曖昧で、ある意味こんなに重要なことが曖昧であること自体が気持ち悪かったんだけど、最近ひょっこり思い出した。始めるに至る数年前に、写真の面白さを教えてくれた人がいたのだった。

南亜細亜も入り口がどこだったのか、よくわからない。きっかけは確かに、知り合ったパキスタン人たちのお陰。でも当時は、受動的に「聴かされる」ばかりで、10年近く間を空けてからの能動的再燃。その理由は覚えてない。

●楽しむための素地・教養?

南亜細亜の音楽が好きという話をすると、よく「あぁ、90年代これこれがブームになりましたよね、それからああなってこうなって...」という話題をされるのだが、実はあまりそういう日本での(? いや、世界での? それすら不明)体系的なトレンドすらよくわかっていない。今現在のトレンドも然り。

ワールドミュージックに限らずだけど、言葉やその国の歴史が解らないとその音楽を解り切れないだろう、みたいな話も時折ある。だから聴くな、とまで言われた記憶はないものの、言外に、(そんな知識で)聴いてどうなの? 的なニュアンスが含まれてる事はたまにある、気がする。言語や歴史や、そういう知識すべてを知った上なら確かに深まる。それは否定しないのですが、そこに重きを置くのには抵抗があります。

ワタシの場合、巷にどういうトレンドが横たわっているのかすらよく解らず、それなりに増えている(であろう)印度本を読むこともせず、目に入ったものを妙に純粋に聴きかじる。

妙に純粋に、というのは、気に入ったら聴く。ただただ聴く。そうやって幾つか聴いてるうちに何かが浮かび上がる。あ、同じ声、これは誰だ。あ、この曲とこの曲に共通する、これは何だ。で、やっと音楽以外の付帯情報に目を向ける。赤子がひとつひとつ口に物を入れて学んでくのに似てるかもしれない。自分なりのディスカバリー自体も楽しんでいるのかもしれない。

気に入って聴き倒して、ぽつりぽつりと曲によく出てくる単語も浮かび上がる。浮かび上がったものは探求しはじめる。それが高じてくれば自ずと歌われている内容も輪郭を現しはじめる、こともある。内容次第でその国の文化や社会を感じ出す、こともある。はじめから意味が解からなくても楽しむことの先に「聴いてどうな」ったかはあり得る。

●技術と知識

写真も長らく赤子の口状態ではあった。赤子が幼児になるよりもゆっくり時間をかけて、やっと最近、精神年齢が、知識は幼児並み、技術は児童並み程度には育った...かもしれない。

シャッターを押すだけ、フレーミングを楽しむだけ、をバカの一つ覚えの如く、かなりの枚数と期間に費やした。例えて言うならここまではカメラとの単純なボディ・ランゲージ。

これを気の済むまでやった上である時、これ以上本気で納得行くもの撮りたいなら技術と知識を学んでかなくちゃな、に行き当たった。引き続きさっきの例えで言うと、ここでやっとカメラ語を学んで、「さぁ、もっと深い大人の話をしようじゃないか」というフェーズが今なのかな。ここは楽しいばかりじゃなかったり、まだまだ長丁場になりそうな予感もあったりですが、それでも続いたらずっと続くんでしょうね。

南亜細亜方面も、もう少し時間が経ってもう少し気持ちにゆとりが出来て、もう少し知りたい欲が増したらきっと、長いことやるやる詐欺状態の言語習得に真剣になったりするコトがあるのかもしれないと思ってます。欲は既にある。けど、まだ満ちてない。

●出口

南亜細亜は出口って、特にわからない。あまり向上心的なものと関係がないからかな。無理やり高尚な出口を捻り出してみると、主にパキスタンについては、根底には、「言われてる程酷い面ばっかりじゃないんだよ」を音楽やその他を通して伝えられたらよいなぁ、みたいな気持ちは薄っすらと常にある。

でも決してそれが主体ではないし、本筋は「うわこの曲いいわー」という、毎回の「どこかの音楽」そのまんま、それ以上でもそれ以下でもない。出口自体無理やり見つけなくてもいいんだろうな。

写真は何度か微々たる対価を戴いたコトもあるが、かと言ってまだ、プロという認識をワタシに持ってる人は自分も含めいないだろう。プロ・アマの境目難しい......。

そもそもプロと呼ばれるようになるコトが出口か自体まだわからない。そうあるべき、とも思ってない。それ以外の道があってもいいような気もしている。ただ、まずは自分の納得できる作品は増やしていきたいし、もっとそれらを見てもらえたら嬉しいだろう。

上手いとか下手とかは一生自己評価出来る気がしないし、カチリときた「自分のナニカ」のナニカが「表現」なのか「記録」なのか、要するに出口が何なのかもまだわかってない。

ワタシにとっての一過性の麻疹と同時期に、同様な動機程度で始めちゃったけど成功しちゃったよ、という人もいればそうでない人もいるだろう。成功とか関係なくおやじバンドを続けて楽しんでる人もいる。自分の作品が市場に出ようが出まいが真の自己は小説家である、と、自分に課して小説を書き続けている人もいる。

こうやって改めて書いてみると出口なんてわかりませんね。でも「楽しそう」さえあればどんな形で入り込んだっていいし、楽しみ続けてる限りは、その楽しみの澱になったものが出口...というか着地点かもしれない。

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■今回のどこかの国の音楽

□Nooran Sisters "Tung Tung"
└<
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これはまた久しぶりに、はじめて聴いた時にウヒョーってなったくらいにはかっちょいいですよ。MTV IndiaのSouond Trippingという、音楽ディレクターであるSneha Khanwalkarさんが印度各所を旅して、その土地の「音」を求めて集めて作って紹介していく、という番組。

4月に始まった第1回が、パンジャブ州でのこのTung Tungなのですが、農機具音を始めとする土地の音リミックスも映像の編集もめちゃめちゃかっこいい!

実際に音を収集してる所から音作り、映像作りまで気になる方はこちらの番組動画もどうぞ。

□MTV Sound Trippin
└< http://j.mp/OlM92h >

【browneyes】 dc@browneyes.in
日常スナップ撮り続けてます。アパレル屋→本屋→キャスティング屋→ウェブ屋(←いまここ)しつつなんでも屋。
□立ち寄り先一覧 < http://start.io/browneyes >
□デジタルちゃいろ:今回のどこかの国の音楽プレイリストまとめ
└< http://j.mp/xA0gHF >

先月頭から劔岳上の山小屋で住み込みバイトをしている年若き友人からひょっこりメールが来た。この夏も既に滑落者数名を出している険しい山。彼女の働く山小屋内は電波が届かない。こつこつとメールを書いては、外に働きに出る同僚の男の子にiPhoneを託すと、不安定な電波を捕まえたタイミングで送信されるとのこと。

文章量によっては中身が空で送受信されたりもあるらしい。メールの文末に敢えて書き終わった日付を入れてくれていたが、ワタシの受信箱に届いたのはどうやら、彼女が送信ボタンを押してから3日後。風まかせならぬ電波まかせなメール、一昔前の文通みたいでちょっといい。