映画と夜と音楽と...[556]あんた、プライドないの?/十河 進

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〈バタアシ金魚/プライドと偏見/誇り高き男/ウィンターズ・ボーン/酔っぱらった馬の時間〉

●プライドは自分が納得するかどうかが重要なやっかいな自意識

何の映画かは忘れたが、「あんた、プライドないの?」と主人公がヒロインに責められるシーンがあった。「バタアシ金魚」(1990年)だったかな。ヒロインに「あんたは女のくさった奴のケツふく紙よ」とまで罵られて、ヘラヘラしている主人公はプライドのかけらもなかった。もっとも、このセリフは一般的なもので、多くの映画で使われている。現実の生活の中でも、「あんた、プライドないの?」と言われることはあるだろう。

プライド...、やっかいな自意識だと思う。自分が納得するかどうかが重要なのである。僕も、プライド、自尊心、誇りといった実態のないものにこだわって生きてきた人間だ。「みっともない真似はできないな。卑しい真似はできないな」と自らを律してきたつもりだが、未練がましい性格だから他人から見ると、「あいつ、みっともないな。プライドないの?」と思われているかもしれない。

プライド、自尊心、誇り...、似たようなものだが、こうやって並べてみると、何となくそれぞれニュアンスが違う。「あんた、自尊心ないの?」あるいは「あんた、誇り持ってないの?」と言われるのと、「あんた、プライドないの?」とは微妙に何かが異なる。「プライド」という言葉自体が日本語化しているためか、何だか一番軽く響くような気がする。

英和辞典で「PRIDE」を引いてみると、「誇り、自尊心、プライド、満足感」という意味が出ていた。その他には「高慢、尊大、自惚れ」という意味もあるらしい。ジェイン・オースティンの古典作品は「高慢と偏見/PRIDE & PREJUDICE」だが、キーラ・ナイトレイ主演で映画化されたときは「プライドと偏見」(2005年)というタイトルで公開された。

プライドには、その他に「自慢の種、誇りとするもの」といった意味もあるようだ。昔、西部劇が全盛だった頃に公開されたロバート・ライアン主演の「誇り高き男」(1956年)の原題は、「THE PROUD ONE」だった。「PROUD」は形容詞で「誇りとする、自尊心のある、尊大な」といった意味だから、「誇り高き男」はまさに正しい邦題だったわけだ。「誇り高き男」はテーマ曲がヒットして、昔はラジオなどでよくかかっていた。




極端なことを言えば、冒険小説やハードボイルド小説などは様々な物語のパターンがあるけれど、結局、主人公がプライド、自尊心、誇りをどう保つかを描いているのではないか。その典型的な物語が、ディック・フランシスの「利腕」である。主人公は、競馬界の調査員シッド・ハレー。彼は騎手だったときの事故で左腕を失った、片腕の主人公である。

シッド・ハレーは競馬界の不正を調査していて犯人に迫るが、逆に拉致され馬小屋に連れ込まれる。そこに不正を働く馬主が現れ、シッド・ハレーの残った右腕に猟銃の銃口を当てて「手を引け」と脅迫する。不屈の男シッド・ハレーも残った利腕を失う恐怖に耐えられず、脅しに屈する。彼はパリに身を潜め、その馬主が重賞レースで不正を行うのを止められない。だが、シッド・ハレーは気付くのだ。

──自分の体にどんなことが起きようと、たとえ自分ではなにもできない不具になることすら、耐えられるかもしれない。自分が永遠に対応できない、耐えられないこと......ようやく、鮮明に理解できた......それは自己蔑視である。

彼は、脅迫に屈した己を許せないのだ。彼から誇りを奪い、自尊心を失わせ、プライドをズタズタに引き裂いた相手を追い詰めていく。脅迫に屈し、尻尾を巻いて逃げた自分を蔑んだまま生きていくくらいなら、利腕を猟銃で吹っ飛ばされる方がマシ、と彼は決意するのだ。プライドの復活、自尊心の再生である。誇りを取り戻すために、彼は命をかける。

そんな男たちの専売特許のような冒険物語だが、17歳の少女が主演の映画を見たとき、僕は「利腕」や「高い砦」を読んだのと同じ気分になった。ヒロインを演じたジェニファー・ローレンスには惚れた。昨年のアカデミー賞では最優秀主演女優賞はナタリー・ポートマンに決まったが、ジェニファー・ローレンスはその映画で主演女優賞受賞者のひとりとなった。撮影時は19歳か20歳、見事な若手女優の出現である。

●冬に備えて薪を割り、洗濯し、干し、ひとりで家事を切りまわす

アメリカ中西部ミズーリの山岳地帯。カントリー・アンド・ウェスタンの曲が似合う、プアホワイトたちの見本のような山村だ。荒れ果てた地に建つ粗末な木造家屋にひとりの少女が家族と棲んでいる。長い金髪、厚手の着古したハーフコートを身に着け、すり切れたジーンズに古びたブーツを履いている。彼女はリー、12歳の弟と6歳の妹のために朝食を作る。冷蔵庫をあさりタッパーの中身を匂い、「ないよりマシ」と言いながら妹に犬の餌を渡す。

冬に備えて薪を割り、洗濯し、干し、ひとりで家事を切りまわす。母親は何も言わず、ぼんやりと椅子に座ったままだ。その母親の髪を、リーはブラッシングする。気持ちよさそうな母親をリーは無表情だが愛情にあふれて見下ろす。また、リーは弟と妹と並んで山道を歩く。単語の綴りを教えたり、足し算の問題を出しながら歩いていく。学校へ送っているのだが、貧しくて車がなく歩くしかないのだ。

帰宅したリーは、隣家の妻が馬たちに干し草をやっているところへ自分の家の馬を連れていく。「今、うちにお金がないの」と淡々と口にする。隣家の妻が「干し草は高くて...」と答えると、「もう四日も餌をやっていないの。この子をもらってくれない」と言う。その言い方には、卑屈なところは微塵もない。だが、後ろ髪を引かれるように、可愛がっていた馬を振り返る。悲しみが漂う。

隣家の夫婦が鹿の皮を剥ぎ肉をさばいているのを、リーと弟のソニーが見ている。「肉を分けてくれるかな?」とソニーが言うと、リーは「たぶんね」と答えるが、「ねだってみたら」とソニーが言ったとき、手でソニーの顎を持ち上げ言い聞かせるように「卑しい真似はしないの」と諭す。彼女は母親であり、父親でもある。一家の主であり、自分が家族を守らねばならないと覚悟しているのだ。家族への強い愛情がにじみ出す。

「卑しい真似はしないの」と17歳のリーが弟に諭した瞬間、僕はヒロインに惚れた。この覚悟、この潔さ、このプライド...、何て男らしい(?)少女なんだと惚れ込んだ。以前にも何度か書いたが、僕は「誇り高く、強いヒロイン」が好きなのだ。増村保造が描き出す精神的に強いヒロインたち、あるいは「エイリアン2」(1986年)のリプリーのように、文字通り強いヒロインが大好きなのだ。

こびない、へつらわない、乞わない...、どんなにみじめで悲惨な状況でも誇り高く生きていたい。かなわぬまでも、現実の生活では貫き通せなくても、僕はそう願って生きてきた。そんな生き方の見本が、スクリーンの中にあった。リーは食べ物がなく、飼い犬や馬にろくに餌が与えられなくても、決して誇りをなくさない。プライドを棄てない。卑しい真似はしないのだ。

「ウィンターズ・ボーン」(2010年)のリー・ドリーを取り巻く状況は過酷だ。父親は、覚醒剤の密造で逮捕され保釈で出たものの行方不明である。母親は過酷な現実から逃避して精神を病んでいる。その薬代もけっこうかかっている。幼い妹とまだ12歳の弟を抱え、一家を守っていかなければならない。食べ物はない。車もない。可愛がっている馬に与える餌もない。

ある日、保安官がやってくる。金を積んで保釈になった父親が行方をくらませている。翌週に開かれる裁判に出席しなかったら保釈金は没収され、担保になっている土地と家屋は取り上げられる。そうなったら、一家は出ていかなければならない。棲むところを追われるのだ。リーは保安官に「私が探し出す」と宣言する。そのクールな言い方に、僕はまた惚れてしまった。

●リーにとっては家族を守ることが何より大切なのである

「酔っぱらった馬の時間」(2000年)は、イランとイラクの国境付近に暮らすクルド人の家族の物語だった。次男で12歳の少年は、重い病気の長兄の治療費を稼ぎ、幼い弟妹たちを養うために密輸の集団に加わる。彼が過酷な苦役に耐えるのは、自分が家長として家族を守らなければならないという強い気持ちがあるからだ。彼にとって、家族を守るのは何より大切なことなのである。

同じようにリーにとっては、家族を守ることが最優先事項なのだ。「弟も妹もまだ自分で食べていけない。家を奪われたら私に何ができるの」と、リーは父親の行方を知っていながら隠し通そうとする人間たちに向かって言い放つ。彼女が父親を捜すのは、父親への愛からではない。父親を捜し出さなければ、家族を守れないからだ。そこには何のセンチメンタリズムも存在しない。一片の感傷もない。乾いた、過酷な状況だけがある。

ハードボイルドといえば、これほどハードボイルドな映画も珍しい。情感を盛りあげる感傷など、どこを探してもない(人物たちの奥深い内面にはあるが、それが表面に現れることはない)。描写は乾き、暴力は突然に始まる。荒れ果てた貧しい場所で、貧しいプアホワイトたちが蠢くように生きている。過酷な現実から逃げるためか、男たちはクスリに走り、酒やタバコに溺れる。法を犯して生きている。

そんな大人たちを見ながら、リーは己を確立し、クスリもやらず、まともに生きていこうとしている。肩肘張っているわけではない。彼女のプライドが、周囲の大人たちのような生き方を許さないのだ。貧しさから逃れるために、彼女は軍隊に入ろうとするが年齢制限で引っかかる。彼女は、困難に立ち向かう。逃げない。試練を受け入れ、克服しようとする。誇り高く、プライドを持って...。

山村に暮らす人間たちは、何らかの血縁関係があるらしい。昔から周辺に暮らし、密造酒を造ったりして彼らのコミュニティを作ってきたのだろう。今では、覚醒剤を密造している。リーの父親もずっと覚醒剤を造ってきたのだが、逮捕され10年の懲役を怖れ口を割る。保釈で出た後、裏切り者として仲間たちに殺されたのかもしれない。リーは密告した父親を恥じるが、死んでいるのなら死んだ証拠を探さなければならない。父親の死を悲しむ余裕など、彼女にはない。

そんな彼女も、少女らしい面を見せることがある。父親が裁判に出なかったため、土地と家を奪われるのが確実になり、やってきた伯父(父親の兄)に「先に森を売れ。100年超えた木を切れ」と言われた後、父親の洋服やブーツ、バンジョーを見て涙を流す。母親を外に連れ出し「ママ、私はどうすればいいの?」と口にする。何も反応しない母親にだけは、自分の涙を見せるのだ。

リーは、たったひとりで過酷な現実と対決する。車もなく、ただひたすら山村を歩きまわる。だが、彼女が父親の行方を尋ねて歩きまわることで、波紋が広がってゆく。何かを知っているらしい伯父は「父親を捜すな」と言うが、リーは「家族は自分が守らなければならない」という思いを背負い、命の危険さえ感じながら高い壁のような現実と対峙する。

──殺せば...
──その案は、もう出てる。他には。
──じゃあ、助ければ。この案は誰も出してない?

父親の犯罪仲間に暴行され折れた歯を吐き出し傷だらけになりながら、自分を取り囲んで見下ろす男や女たちにリーはそう言い放つ。命を奪われるかもしれない状況で彼女は命乞いをせず、自分の言い分をきちんと口にする。堂々と主張する。誇りを失うことなく、プライドを棄てることなく、自尊心を保つ。

●困難な状況に陥りながら誇り高く闘う姿は美しい

ひとりの人間が、絶望的に困難な状況に陥りながら誇り高く闘う姿は美しい。彼あるいは彼女が困難を克服しようしているのは、自分のためではない。家族や、恋人や、ときには人類全体のためだったりする。すべては、愛する人のために試練を乗り越える努力をする。懸命に試みる。最大限の力を出そうとする。それは、多くの物語で描かれてきたことだ。

父を捜すことが、いつの間にか父が死んだ証拠(骨)を捜すという残酷きわまりないことになっても、リーはあきらめない。弟や妹と一緒に暮らすために、母親を守り抜くために、父が死んだことを証明しなければならないからだ。彼女は頑固で、信念を曲げず、それでいて可憐で、けなげである。その一途な思いと行動に惚れない観客がいようか。

そう、リーの一途さは、彼女の行動を迷惑がっていた人間たちの心さえ溶かすのだ。だが、それが故にリーには、さらなる試練が待っていた。その最大の試練のシーンで僕は息を呑んだ。こんな無惨なシチュエーションを考え出す人間がいたのかと驚き、心を震わせながらリーの表情を凝視した。むごすぎる、と僕はつぶやいた。その先の行動は予測できなかった。ただ、首を振り、「あり得ない」と口を衝いて言葉が出た。

その試練を乗り越えたリーに、ようやく救いがやってくる。しかし、それはあまりにささやかな救いではないか。17歳の少女の地獄巡りの果てに示される救済は、そんなものなのかと落胆しながらも、彼女はこの先何があっても家族を守り続け、生き抜いていくだろうという確信が僕に生まれた。ときに幼ささえうかがわせるジェニファー・ローレンスの顔が、美しい輝きを放っていた。

それは、姿形の美しさ以上に、彼女がリーという少女の誇り高い生き方を演じきったために生まれた輝きだ。リーという少女とジェニファー・ローレンスが重なる。過酷で悲惨な世界(人間の世界そのものかもしれない)の中で、クスリや違法な行為に流れることなく己を律し、視線を高く上げ、自分が信じ愛するもののために自らの命を省みず、誇り高く突き進む人間を見たくなったとき...、僕はきっとこの映画を何度も見返すだろう。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >

8月も終わり、9月がやってくる。僕の会社は9月から新しい期になるので、何となくリフレッシュする。今年は3人の新入社員が予定されていて楽しみだ。新しい人は未知だから、何らかの期待をしてしまうのだろう。プレッシャーをかけるつもりはないのだけれど...

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