[3335] 人はどんな方法でも死ねるものか?

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《「レディース」って中国語で「女装」なんだね》

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 十河 進

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■映画と夜と音楽と...[559]
人はどんな方法でも死ねるものか?

十河 進
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〈トップガン/リベンジ/リベンジャー/マイ・ボディガード/アンストッパブル/天使のはらわた 赤い陰画/人魚伝説〉

●「トップガン」の大ヒットから四半世紀が過ぎた夏に

やはり見出しは、「『トップガン』の監督」だった。四半世紀前、「トップガン」(1986年)は大ヒットし、若きトム・クルーズを大スターにした。さらに、あまりいい男でもなかったヴァル・キルマーを主演俳優に押し上げた。新人だったメグ・ライアンも注目され、一躍、人気女優になった。日本では織田裕二による二番煎じ映画「BEST GUY ベストガイ」(1990年)が公開された。

あれから四半世紀が過ぎ、トム・クルーズは大物スターとしてハリウッドに君臨し、織田裕二は「踊る大走査線」シリーズ最後の映画に主演している。そして、監督のトニー・スコットは「『トップガン』の監督が飛び降り自殺」と新聞の見出しに書かれることになった。8月19日、トニー・スコット監督はロサンゼルス郊外の橋から身を投げ、数時間後に海で遺体が見付かった。

へそ曲がりの僕は、ハリウッド製ヒット映画「トップガン」は見にいかなかった。後にビデオで見てジェット戦闘機の圧倒的なスピード描写には驚いたけれど、リドリー・スコットほどの映像的な特徴はないなと、さほど感心はしなかった。僕は監督の名前は気にもとめなかったし、リドリー・スコットの弟だとは知らなかった。トニー・スコットという名前を意識して見にいった最初の映画は、「リベンジ」(1990年)だった。

「リベンジ」は、当時の人気スターだったケヴィン・コスナーの主演作である。ヒロインは、ミステリアスな雰囲気をまとったマデリーン・ストウだった。日本人が好きになりそうなブルネット美女である。軍隊を退役したコスナーが訪ねるメキシコの旧友を演じたのが、名優アンソニー・クインだった。コスナーとクインの年齢差を考えると、二人が旧友だという設定に不自然さを感じたことを憶えている。

しかし、メキシコの暗黒街にも影響力を持ち、若い美人の妻を持っている富豪の設定だから、アンソニー・クインくらいの貫禄がないとつとまらない。クインは、妻を友人のコスナーに寝取られる役である。若く美しい妻は年上の夫に不満を感じ、やってきた若いアメリカ人のハンサムな元軍人に心を移すわけだから、配役としては三人ともピッタリだった。

僕は「リベンジ」という言葉を、この映画で意識したのかもしれない。「リベンジ」が一般的に使われ始めたのは松坂投手が敗戦インタビューで、「次の試合ではリベンジしますから」と言った頃からなので、もう少し後のことになる。もっとも、僕はマイケル・ウィナー監督のジェームズ・コバーンとソフィア・ローレンが共演した「リベンジャー」(1979年)が好きで、「リベンジャー=復讐者」という意味はずっと知ってはいた。

リドリー・スコットの弟だからきっといい監督だろうと期待して映画館に入ったが、残念ながら「リベンジ」はイマイチの作品だった。しかし、トニー・スコット監督は順調にキャリアを重ね、「デイズ・オブ・サンダー」(1990年)「ラスト・ボーイスカウト」(1991年)「トゥルー・ロマンス」(1993年)「クリムゾン・タイド」(1993年)「ザ・ファン」(1996年)とハリウッドのメジャー作品が続いた。

それらの映画に出たのは、トム・クルーズとニコール・キッドマン、ブルース・ウィリス、デンゼル・ワシントンとジーン・ハックマン、ロバート・デ・ニーロといったハリウッドの大物スターばかりである。彼らの信頼も厚く、映画会社からも期待されていたのだろう。映画をヒットさせる監督には、次々とプロデューサーから企画が持ち込まれるのだ。

●自殺願望のある厭世観に取り憑かれた主人公を演出したトニー・スコット

トニー・スコット監督は橋の上に車を停め、欄干によじ登り、ためらうことなく飛び降りたという。車の中と事務所から遺書が見付かった。翌日、トニー・スコット監督は悪性の脳腫瘍と診断されていたと報道された。手術は不可能と医者が宣告したという。そうだとすれば、病気を苦に死を選んだということか。手術できない悪性脳腫瘍なら死を選ぶかもしれないな、と僕は納得した。

昔、山田太一脚本の「それぞれの秋」というテレビドラマがあった。父親(小林桂樹)が異常な言動をし始め、脳腫瘍だと診断される。父親は秘めていた気持ちをあからさまにするように、妻に向かって悪態をつき罵倒する。彼は自分の人生を悔いる言葉を吐き、どれだけ自分が家族のために犠牲になってきたかを嘆く。それは病気が言わせているのだと医者は言い、家族は回復後の父親にその言動を隠そうと口裏を合わせる。

トニー・スコット監督が悪性脳腫瘍だと知ったとき、「それぞれの秋」の小林桂樹の姿が浮かんだ。あんな風になるのなら自分で意識をコントロールできるうちに命を絶った方がいい、と僕は思った。あらぬことを口走り、狂人のような言動をし、延命治療だけを受けるくらいなら僕も死を選ぶかもしれない。自分の意志ではなく、心の奥底に秘めていた気持ちを心ならずも口にするくらいなら......

僕が「トニー・スコット監督、なかなかやるな」と思ったのは、「マイ・ボディガード」(2004年)を見たときだった。原作は新潮文庫から出ていたA・J・クィネルの「燃える男」(「火線上の男」と訳すべきだと思うけどね)である。冒険小説として評判になっていた物語を、デンゼル・ワシントンを主演にして映画化した。トニー・スコットは、デンゼル・ワシントンが気に入っていたのだろう、「クリムゾン・タイド」から最新作の「アンストッパブル」(2010年)まで、多くの作品で組んでいる。

原作では白人の設定だった主人公を、デンゼル・ワシントンに演じさせたのは正解だった。今や名優の域に達したデンゼル・ワシントンだが、「マイ・ボディガード」の頃はまだアクションが似合った。地獄のような戦場を見てきたために厭世観にとらわれ、自殺願望の強い元傭兵という深みが必要な役である。デンゼル・ワシントンは酒を飲み銃口をくわえる演技で、心の奥にわだかまる絶望を観客に伝える。

世界に絶望したとき、人は死を選ぶ。トニー・スコットも絶望したのだ。手術さえできない悪性脳腫瘍が彼に絶望をもたらしたのである。生きていても希望がないとなれば、人は「ためらいもなく高い橋の欄干を乗り越える」ことができるのだ。それは、とても深い深い絶望だったのだろう。愛する人たちがいればこそ、彼らに己で制御できない言動を見せたくなかったのかもしれない。

「マイ・ボディガード」では、絶望した元傭兵は南米の都市に住む金持ちの娘のボディーガードとして雇われる。彼にその仕事を紹介したのは、昔の仲間である。彼が絶望し死を望んでいることを知っている旧友は、彼に仕事を紹介することで再生させようとしたのだ。その仕事が9歳の少女の護衛だった。彼は自分に与えられた部屋で音楽を聴き、酒を飲み、オートマチックの拳銃の薬室に銃弾を装填し、銃口を己に向ける。

公開が8年前になる。撮影したのは10年近く以前のことになるだろう。その頃、トニー・スコット自身は自分が自殺することになるなど、想像してもいなかったはずだ。しかし、やがて死を選ぶことになる人間だったのだから、彼はデンゼル・ワシントンの自殺願望の演技をどう演出したのだろう。絶望した主人公の気持ちが伝わるシーンは印象的だった。今も甦ってくる。

「マイ・ボディガード」は主人公の絶望を観客に強く印象づけたからこそ、イノセントな少女によって主人公が再生していく過程に観客も喜びを感じるし、感情移入する。主人公と共に少女への愛を育む。主人公は屋敷のプールで少女に泳ぎをコーチし、少女が学校の競泳に出てトップでゴールしたとき、実の父親のように満面の笑みを浮かべる。彼は、愛する存在を得たのだ。この世に、ひとつの希望を見出した。少女の成長を見守るという希望を、生き甲斐を......

だが、ある日、少女は襲われ誘拐される。命をかけて闘ったにもかかわらず、主人公は撃たれて瀕死の重傷を負い、少女が連れ去られるのを遠のく意識の中で見る。回復した彼に少女の死が告げられる。己を鞭打つ自責の念、深い絶望と悔恨が彼を襲う。彼には、少女を殺した奴らへの復讐という新たな目的ができる。絶望から再起するまでがじっくりと描かれたから、何ものにも代え難い宝物を暴力によって奪われたときの、主人公の火を噴くような静かな怒りが観客に伝わるのだ。

●「人魚伝説」から26年後にロケ地で死を選んだ池田敏春監督

池田敏春監督に会ったのは、もう30年近く前のことになるだろうか。大学の先輩で役者をやっている河西健司さんの結婚披露パーティでのことだった。ミスタースリム・カンパニーというロック・ミュージカル劇団に所属していた河西さんのパーティには、様々な映画演劇関係の人たちがきていた。柴田恭兵、古尾谷雅人、その後離婚する宇津宮雅代と三浦洋一夫妻などである。

河西さんが初めて映画に出たのは、日活ロマンポルノ作品「女高生 天使のはらわた」(1978年)だった。そのときの助監督が池田敏春監督だ。僕が池田敏春という名前を刻み込んだのは、「天使のはらわた 赤い陰画」(1981年)を見たときである。凄い...と、僕は思った。力のある映画だと感心したし、暗いトーンの映像が斬新で、その才能を確信した。監督作としては、三、四作目だったと思う。

池田敏春監督のファンになった僕は、アートシアターギルドで制作したディレクターズ・カンパニー第一作めの「人魚伝説」(1984年)の完成を待ちかねて見にいった。原作は宮谷一彦のマンガで、宮谷ファンの僕はその長編マンガが気に入っていたこともある。海女の復讐譚をどのように映画化したのか、僕は期待した。主演は人気女優の白都真理で、体当たりの演技(要するにヌードを披露しセックスシーンがあるということだ)が評判になっていた。

「人魚伝説」は「天使のはらわた 赤い陰画」ほどには凄くなかったが、やはり才気は感じられたし、少しガッカリしたのは原作をかなり脚色していたことによるものだろうと僕は割り引いて考えた。水中シーンの多い作品だが、その水の使い方に工夫があり、どうやって撮ったのだろうと思わせるカットもあった。殺される夫が江藤淳、悪役が清水健太郎だった。

河西さんの結婚披露パーティで池田敏春監督を見かけたとき、河西さんに「紹介してくださいよ」と頼んだのはファンだったからだが、「人魚伝説」のあるカットつなぎについて訊いてみたかったのだ。腰にナイフをつけたヒロインが海に飛び込むと、次のカットで仇の屋敷のプールからヒロインが現れるシーンが印象に残り、その見事な編集に賛辞を伝えたかったのである。

紹介された池田敏春監督にそのことをミーハーなファンのように興奮してまくしたてると、監督は冷静に「そんな風によく言われるのだけど、実はあのカットの間に白都が海岸に上がるカットを挟んであるんですよ」と、僕の思い込みをただした。「えっ、そうでしたっけ」と僕は引っ込みがつかなくなり、「次作を待ってます」と取り繕うように言ったものだった池田敏春監督は、業界でも注目されていた。「人魚伝説」公開の年、角川映画は「湯殿山麓呪い村」(1984年)を池田敏春監督に依頼した。テレビスポットがひっきりなしに流れるような作品である。そのテレビスポットを見ながら、僕は「メジャー監督になったんだなあ」と感慨深いものを感じた。日活ロマンポルノから出た監督は多いが、ロマンポルノ作品自体はやはりマイナーだったのだ。

2010年の年末、池田敏春監督の訃報を知った。水死体が発見されたのは、12月26日だったという。行方不明だったというが、自殺なのは明らかだと聞いた。水死した場所は、「人魚伝説」のロケ地だったという。享年59。なぜ死んだのかはわからないし、人が死を選ぶ理由を他の人間(まして単なるファンだった人間)が推測できるはずもない。

●日本語には自決という覚悟を表現する言葉があるのだが...

日本語には、自ら死を選ぶ行為を様々に言い表す言葉がある。「自殺(自らを殺す)」という言葉が一般的だが、高校生の頃に読んだ大江健三郎の小説で「自死」という言葉を知った。「自死を選ぶ」という言いまわしだった。また、「自決(自ら決める)」という言葉には潔さのようなものを感じるし、「自裁(自ら裁く)」という言い方にも同じニュアンスがある。

山田風太郎の「人間臨終図巻」は奇書であり名著であるが、太平洋戦争にこだわる風太郎さんらしく日本の軍人の最期を多く取り上げてある。その中に「五十七歳で死んだ人々」として、安達二十三(あだち・はたぞう)という陸軍中将が紹介されている。彼はニューギニアに派遣され、3年間の悪戦苦闘の末に敗戦となり、オーストラリア軍に対し降伏調印を行った。

その後、戦犯容疑者140名と共にラバウル収容所に入れられたが、「80キロあった体重は別人のごとく痩せ衰え、しかも持病の脱腸の悪化にたえながら、部下とひとしく炎熱の下に天秤棒をかついで水を運び、野菜作りに励んだ」という人だったらしい。その間、法廷に立ち部下のために弁明したが、自らも戦犯として無期禁錮の判決を受ける。

彼は「軍司令官としての任務が終わり次第自決の覚悟をしていて、短刀と毒薬を用意していたが、短刀は発見されて没収され、毒薬はある機会から効目がなくなっていることを知った。それを知ったとき彼は少し当惑した顔をしたが、すぐに、『なに、人間、死のうと決めたら、どんな方法でも死ねると思うよ』と」言っていたという。

そして、裁判が終わり最後になった8人が釈放帰還されると通知を受けた後、「収容所で軍服姿で北方の日本に向かって端座し、錆びたナイフでみごとに割腹した上、みずからの手で頸動脈を圧迫するという異常な精神力をふるって死の目的を達した」と、抑えた筆致の中に山田風太郎は敬意を忍ばせる。そして、短文の最後で山田風太郎は、このように書いている。

──終戦直後の昂奮時ならともかく、二年を経て、おのれの責任を全うしたと見きわめてから自決したのはみごとというべきである。太平洋戦争敗戦にあたって、かかるみごとな進退を見せた日本軍の将校はきわめて稀である。

文庫本で2頁しかない短文だが、電車の中で読んだとき、僕は本を閉じ、しばらく天井を見上げた。馬齢を重ねて涙もろくなっていたからである。安達中将の遺書の一節が引用されていた。彼は死んでいった無数の将兵たちを悼み、「君国の為とは申しながら、其断腸の思いは、唯神のみぞ知る」と書き、「若き将兵と運命を共にし、南海の土となる」と続ける。彼が自裁とも言うべき死を選んだのは、死んだ傷兵たちへの強い想いからだった。

こうしたエピソードに、僕ら日本人は「潔さ」を感じ、立派だと思う。感動する。自分もそうありたいと願う。だから、トニー・スコット監督の自殺が出身国のイギリスや仕事の場だったアメリカでどう受け取られようとも、「生き恥を晒すより死を選んだ」ことに敬意を表したい。最後の監督作になった「アンストッパブル」も、死を賭して(ほとんど自殺行為だ)事故を防ごうとする職人機関士の物語だった。

池田敏春監督の死については、2年近く経ってもあまり情報もないし不明なことが多い。しかし、僕は自殺という言葉は使いたくないのだ。自らを殺す...というのがなじめない。自ら死を選んだのであって、殺したのではない。自分の死を選ぶ自由はあってもいいだろうと考えている僕としては、生死を自分で決める意味として自決という言葉で捉えたい。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
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ひとりでいることに馴れ、自宅ではほとんど自室に籠もる。家族がいない休日がくつろげるという悲惨(日本のお父さんにとっては当たり前?)な状況になっている。これでリタイアして、一日家にいることになったら大変だなあ。自宅でストレスがたまってしまうぞ。

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■Otaku ワールドへようこそ![160]
割とダメダメな日々

GrowHair
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東電の野郎、本当に電気止めやがった。うん、言われなくても分かってる。電気代の支払いを滞ってた俺が悪い。そんぐらい分かってらぁな。けどよォ、電気って大事じゃんか、ないと死んじゃうじゃんか。だからそうそう止めたりはしないんじゃないかなぁ、と。甘かった。仏の顔もなんちゃらじゃないけど、3か月滞ったらスパッとやられた。

●ネットカフェ難民

深夜、ウチに帰り着くと、電気が点かなかった。9月7日(金)、仕事は割と早めに上がったのだが、気分を変えて、普段と違う経路で長めに電車に乗って帰ったもんだから、中央線上り電車が終点中野駅に到着したのは、0:50だった。コンビニに寄って、梨味のガリガリ君とコノスルというチリ産のワインとサワークリームオニオン味のポテトチップスを買って帰る。軽く一杯飲んでくつろいでから寝ようと。

パチッ。あれっ? 点かない。ブレーカーが落ちてるのかな? おや? ちゃんと上がっとるぞ。付近一帯停電とか。いやいやお隣はちゃんと点いてるし。あ? あれか? そういや、なんか赤い字ででかでかと「重要」って書いた封書が届いてたっけ。だいたいだ。赤で「重要」って書いた封書が届いたら用件は「金払え」に決まってる。開いてみなくたって分かるからいいやと思って放置してたのだった。

どこ行ったっけ? 郵便物の山から探し出さなくてはならない。真っ暗で何が何だか分からんぞ。背負って帰ってきたリュックをドアに挟んでストッパーにして、外の光を入れる。これでいくぶんか見える。おお、あったあった。外の通路に立って、開封して読んでみる。9月3日(月)に止めるとか何とかって最後通牒。いちおう数日は待ってくれたのか。今朝はちゃんと点いてたもんな。

んで? どうすりゃ再開できるんだ? ええと...。東電に電話しろ、と。急ぎでない用件だったら平日の昼間しか受け付けないけど、止められた電気の再開については、平日でも休日でもよく、時間も真夜中まで受け付けてくれるらしい。って、過ぎてるじゃん。つまりは明日朝まではどうにもならないってことか。

パソコンは、バッテリーまで使い果たして息果てている。ううむ、メールぐらいはチェックしておきたい。ネットカフェ行くか。いやいや、落ち着け。このままじゃガリガリ君が融ける。まずは食ってからだ。暗闇で、なぜか立って食うガリガリ君。さびしい。むなしい。

中野のネットカフェで朝まで過ごす。朝、東電に電話すると、一時間半以内に再開できるという。ブレーカーを切っておくよう指示され、その通りにして待つ。上げると、おお! 点いたっ! こうして土曜の昼前には平常の生活に戻ったのでありましたとさ。ああ、ひでえ目にあった。

だいたいあれだ。こういうの、苦手なんである。マネジメント。めんどくさい。日本語で切り盛りと言い換えてみても、やっぱめんどくさいことに変わりはない。こういうのをしっかりやってくれるカミサンとかいてくれると助かるんだがなぁ。って、昔いたっけ? リアル3次元のカミサン。

28歳のときに結婚して29歳のときに別れちゃったんだった。1年2か月。もろもろのマネジメント、けっこうしっかりやってくれていた。けど、別れちゃったもんは仕方がない。ユキコ〜(←漢字忘れた)、特に未練はないぞぉ。勝手にしろー! って、別れてから20年も経つのに言ってるのもアレか。

マネジメントがダメダメなことはよーく自覚しているので、それのせいでいろいろと変なことが起きてもあんまりびっくりしなくなってきてる。慣れってコワい。けど、そんな私でも、たまーにびっくりすることはある。ウチに帰ると、なんか誰かに見られてるような感覚があって、どうにも落ち着かない。その正体は...キノコが生えていた。とか。

バレンタインデーにもらったチョコは梅雨入り前ならなんとかなるが、秋口に発見するとマリモになってる。真空パックで密閉したまんじゅうをもらった。しばらく経つと、ブツとパックとの間に隙間ができてる。どっかに穴が開いてて、密閉されてなかったのか? もうしばらく経ったら、風船みたく、パンッパンに膨れ上がっていた。ほぼ球形。パンパンすぎて危険な状態。爪楊枝でぷすっと穴を開けてみると、出てきた気体は臭かった。

●権利? 手段? 行為? 何を買ったのかよく分からん

訳の分からんトラブルをもう一件、最近やらかしている。電気の場合はお金を払ってなくてひどい目にあったのだが、こっちのは、お金を払ってひどい目にあっている。話はちょっと複雑だ。複雑ったって、本質的には似たようなもんで、よくよく読めばちゃんと書いてあるんだけど、読まずに早とちりした俺が悪い。

けど、世の中広いんで、もしかすると同じ勘違いをしている人がいるかもしれない。ここで説明しておくことで、同じ轍を踏むのを避けることができたって人がもしいれば、ちょっとはお役に立てるかもしれない。

それは音楽のダウンロードの話。最近は、一曲100円とか200円とかでウェブサイトから楽曲をダウンロードできるサービスなんてのが、あっちこっちからちらほら出てきてますな。これって、お金を引き換えに何を買っているものと認識してます? 楽曲データ? 音楽を聴く権利? 音楽を聴くという行為? 私はデータを買うものだと認識してました。けど、それってどうやら正しくないみたいです。

ちょっと話は逸れますけど、ソフトウェアなんかも、妙な感じになってたりしますな。ネットでソフトウェアを買ったら、インストール用のCDやら分厚い冊子になったマニュアルやらが入った箱が郵送されてくるのかと思ったら、届いたのは薄い封筒。中身は紙っぺら一枚。20桁ぐらいの数字が書いてある。で、それが「使用許諾証」になっている。

インストーラもマニュアルも、ウェブサイトからタダでダウンロードし放題。だけど、インストールして走らせようとすると、最初の一回だけ、「ライセンス番号を入力してください」って画面が出てきて、郵送されてきた紙っぺらに書かれている番号を入力すると走る、って仕掛けになっている。

この場合、お金と引き換えに送られてくるのは、数字の書かれた紙っぺら一枚だけど、ただの紙っぺらにしちゃ、値段がやけに高い。買ったものの本質は、紙っぺらという実体ではなくて、ソフトウェアを使用する権利だったというわけだ。

楽曲のダウンロードも似たようなもんなのだが、ソフトウェアとはちょっと違うところもあって、ややこしいのである。私がやらかしたのは、clubDAM.com からのカラオケ音源のダウンロードにおいてである。そのウェブサイトへ行くと、カラオケの店舗でかかるのと同じカラオケ音源が、一曲あたり105円でダウンロードできるサービスが提供されている。

ソフトウェアの購入とは異なり、タダでダウンロードし放題というわけではない。まず楽曲を選択しておいてから、クレジットカードで代金を支払うと、その楽曲がダウンロードできるようになる。なので、楽曲データそのものを購入したもんだと勘違いしやすい。私は何の疑いもなく、そういうもんだと思っていた。

購入してダウンロードしたのは、9月9日(日)の夜のこと、まずいことに、ネットカフェでであった。しかも、46曲もいっぺんに。そんなに要るのか、と問われるとなんともかんともなのだが、なんだか所有してるだけでもいいような気がして、ついついあれもこれも、と。〆て4,830円ナリ。

ダウンロードしたデータをUSBメモリに入れて持ち帰り、ウチのパソコンで聞こうとすると、...あれ? かからない。ライセンスがどうとかこうとか言われて拒否される。

ここで初めて「どういうことだ?」と思い、よくよく説明を読んでみれば...。なんと、ダウンロードした楽曲は、そのパソコンでしか聴けないようになっている、とのことで。がーん! 購入したものの本質は、楽曲データそのものではなくて、ダウンロードするときに使っていた特定の一台のパソコンだけで視聴することができる権利だった、というわけだ。

一台のパソコンったって、ネットカフェの、その特定の席でしか聴けないってわけか。実は、後で実験してみて分かったのだが、それすらもできない。そこのネットカフェは、パソコンを再立ち上げすると、使用中にハードディスクに書き込んだファイルは全部消去され、インストールしたソフトウェアも消去され、一定の初期状態に戻るような仕組みになっている。

ダウンロードした時点で、ライセンス情報がパソコンに置かれるのだが、再立ち上げした時点で、それは消えてしまうのである。club DAMのサイトからは、一度購入した楽曲を再ダウンロードすることができるようになっているが、それをしたとしても、結局、再生しようとしたときに、照合すべきライセンスデータがパソコン側に残ってないために、拒否されてしまう。

つまりは、もはや、購入した楽曲は、どんなことをしても再生する手段が存在しない、という状態になっていたのである。そりゃまあ、確かに、データを購入したのだとすると、そのコピーがネットでばら撒かれでもして、誰でもタダで入手できるようになってしまっては商売にならないので、それを防止する仕組みが組み込まれているというのは、分からないでもない。

けど、購入したこっちとしては、聴く手段がまったく存在しなくなっているのだから、払ったお金と引き換えに得た価値が、もはやゼロになっている。説明書きをよく読まなかったこっちが悪いとは言え、はいそうですか納得しましたって言えるほどの度量は私にはない。

しかも、説明書きには、「商品の性質上、一度購入したものの返品は受け付けません」とある。そりゃあ、ダウンロードしたデータをアップロードしたら返品したことになるって代物じゃないってことはよーく理解できる。しかし困った。club DAMのウェブサイトに問合せフォームが置かれているので、ダメモトで、かくかくしかじかの事情なんで、購入を取り消せませんか、と書いて送ってみた。

9月12日(水)に、第一興商 club DAMサポートセンターから返信が来た。購入した楽曲は、ダウンロードしたパソコンでしか再生できない仕組みになっている旨、非常に丁重な調子で説明してくれている。で、商品の性質上、通常は、一旦購入した商品のキャンセルは受け付けていないことになっているけれども、今回に限りキャンセル処理した、との旨が書かれている。ふう、助かった。club DAMさん、寛大な対応、ありがとうございます。

で、性懲りもなくまたやってる私。いやいや、今度は意図的に。一曲だけで。実験してみたかったのである。どういう結果になるか、見て確認することによって得られる情報に105円の価値を見出したってわけです。その結果、ネットカフェのパソコンは、再立ち上げすると、ライセンス情報は消去されてしまい、データを再ダウンロードしても、もはや再生する手段がまったくないのだということが確認できたってわけです。

●本質な解決の決め手は個人認証でしょう

club DAMのカラオケダウンロードの一件、個別の問題としては解決した。仕組みはようやく理解できたし、club DAMの寛大な対応には感謝しており、そこに不満があるわけではない。けど、なんかすっきりしない。

こっちが欲しいと思っている商品と、実際に売っている商品との間に若干のズレがあるという点だ。例えば、文具店でノートとボールペンを購入したら、それらは完全に私の所有物となり、どこへでも持ち歩くことができるし、いつどんな使い方をしたってかまわない。ダウンロードした楽曲についても、同じことを期待するのは自然なことのように思う。

もちろん、ボールペンは一本購入したら、それを100本に増殖して、人々にタダで配って歩く、などということはできないので、そこは楽曲データと異なるのは分かる。楽曲データにはコピープロテクトを施しておかざるをえず、売り手と買い手の双方の思惑の妥協点として、今の仕組みがある、というわけなのだろう。

ただ、これが楽曲データ販売の最終形態だとは、とても思えない。技術が進歩し、仕組みが整備されていく流れの中で、まだ過渡期の段階であるのは間違いない気がする。妙に中途半端な感じがする。中途半端と言えば、どこへでも持ち歩きたいというユーザー側の要望に答える仕組みは、いちおう用意されてはいるのである。

ダウンロードしてくる楽曲データは、Windows Media Audio(WMA)フォーマットのファイルの形態であるが、これをCompact Disc Digital Audio(CD-DA)フォーマットに変換して、CD-Rに書き込む作業をすればいいのである。この作業は、Windowsに標準装備されているソフトウェア "Windows Media Player" を使うことで可能である。

この作業は違法でも何でもなく、club DAMのサイトでも、こうすれば持ち運べる旨、説明がなされている。実際、先ほどのネットカフェでの実験でも、パソコンを再立ち上げする前にCD-Rに焼く作業をしておけば、持ち帰ってウチのパソコンでも、CDプレイヤーでも聞くことができるを確認した。ただし、パソコンを再立ち上げした後では、この作業自体も拒否される。

しかし、これができてしまうということは、ここからさらにmp3にでも変換すれば、結局はデータの形でネットなどでばら撒くことは(違法ながら技術的には簡単に)可能になってしまうのではあるまいか。それじゃあ、やっぱりコピーし放題なのではないかという気がしなくもないが、そこはどういうふうに考えているのか、よく理解できていない。やっぱり中途半端な感じがしてしまうのである。

理想的な最終形態は、どこへでも持ち運べて聴けるというユーザー側の利便性が確保された上で、不正コピーが技術的に不可能なようにしっかりとプロテクトがかかっているという、提供側の権利も確保されているという状態である。

そのための技術的なブレイクスルーは、個人認証の仕組みにある。パソコンの楽曲再生ソフトのプレイボタンがつっつかれたり、オーディオプレイヤーの再生ボタンが押下されたりする、その都度、個人認証がなされ、その楽曲データを購入して所有している本人ならば音が出るが、他人であれば拒否される、という仕組みである。譲渡とか一時的に代理とか遺産相続とか、そういうこともできるような仕組みになってなくてはならない。

それほど遠くない将来、国民全員のID情報が、政府または民間の運営するクラウドに預けられる時代が到来するのではないかと私は予測している。住基ネットの導入にはずいぶんすったもんだして、強硬な反対意見も表明されていた。人間を番号で扱うとはまるで囚人かロボットみたいな扱いで非人道的だとか、行政機関が国民を番号で便利に管理できてしまっては国家権力の危険な増大を招くとか、懸念が示された。意見の多様性を尊重しないわけではないけども、なんか、一度導入されてしまえば、別にどうってことなかったような気がする。

むしろ、お役所に行って、住民票やら戸籍謄本・抄本の写しを発行してもらう際、ほとんど待たされずにすっと出てきて便利じゃんかと思う。コンビニでも発行できるようになったら、もっと便利だ。なら、いちいち紙に出力しなくたって、ソフトウェアで本人確認できるようになればさらに便利だ。オーディオの再生ボタンを押す都度、データの持ち主本人かどうか照合しに行けばいいわけだ。

技術的な課題としては、照合のほうは大した障壁ではなく、個人の識別のほうに高いハードルがある。生体認証(バイオメトリクス認証)はすでに実用化されつつある。例えば、銀行ATMで、暗証番号と指紋認証を併用するオプションを選択すれば、取引上限額を高く設定できるとか。けど、今の技術の到達レベルでは、暗証番号やパスワードなしに、生体認証を単独で使うには、確実性に不安が残る。

確実性の高い方法としては、例えば、固有のID番号を電波発信するデバイスを体内に埋め込んでおくことを、国民全員に義務づけるとか。うーん、なんかやだなぁ、それ。そこまでやったとして、それでもまだIDを偽造して他人になりすますことを試みる人は出てきそうで、その手の犯罪がそうとうグロテスクなことになりそう。

しかし、なんらかの上手い仕組みが開発されて、そこさえ技術的に突破できてしまえば、いろいろな課題が一気に解決して、世の中の仕組みやわれわれの生活のスタイルがガラッと変わる。現金、クレジットカード、鉄道カード(SuicaとかPasmoとか)、電子マネー(EdyとかWAONとか)の類がいっさい要らなくなる。

お店に入ったら、買いたいものをカゴに取り集め、出口へ向かうと合計金額が通知され、それでOKならば、なにもせずにすっと出てくればよい。銀行の口座から、代金が自動的に引き落とされている。預金がマイナスになっても、買い物は続けられる。ただ、一日あたりに使える金額の上限が設定されたり、ぜいたく品の購入や遠くへの旅行が自動的にブロックされたりする。それさえ気にしなきゃ、生きていくのに支障はない。

すべての商取引がクラウドに記録され、税金の確定申告の計算なんかも全自動。本人はなにもしなくても、勝手に引き落とされている。会計上の不正は、ぜーったいに不可能。ついでに、本人の位置情報を常時発信するデバイスが体内に埋め込まれていて、足取りなんかもすべて記録される。

誰がいつどこにいたという数値が機械的に記録されるだけでなく、列車の運行の遅れ状況のデータなどとも連動し、誰と誰がどの列車のどの車両に乗り合わせていたはずだ、というような情報としても抽出できる仕組みになっている。犯罪の捜査がラックラク。アリバイ工作なんて、ぜーったいにできない。

そうすると、個人のプライバシーというものが確保できなくなって、問題なのではないかという意見はあろう。けど、これも住基ネットと一緒で、やがて、人々の感覚は麻痺していくであろう。新宿歌舞伎町の路上に防犯カメラが設置されたときも、ちょっとした議論になったけど、いまやそんなのそこいらじゅうである。

人の道に背いたよからぬ関係にあるカップルがラブホテルに入る映像なんかも、当然、みんな記録されている。けど、もはや誰も気にしてないのではあるまいか。犯罪検挙率が上がるという社会的メリットがあるならば、プライバシーよりもそっち優先でまあいっか、ぐらいで。プライバシーという概念も変化していくんじゃないかな? どんなヤバい店に入ったとか、誰とイケナイ関係になっちゃったとか、隠せないなら隠せないで、まあ、いっか、と。

少なくともアレだ。電気代の支払いを滞ったために送電を止められる、なんて事態は決して起きなくなる。ダメダメ人間が面倒な事態に陥ることなく楽々暮らせるダメダメ社会、じゃなかった超高利便性社会が早期に実現することを望んでやまない。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
セーラー服仙人カメコ。アイデンティティ拡散。

よくお世話になっている人形作家の清水真理さんは、西武池袋線大泉学園駅から徒歩4分のところにあるアトリエで人形教室「アトリエ果樹園」を営んでいるが、そこの生徒さんの一人が近々個展を開くという。そのときの展示用に、作品の写真撮影を頼まれた。ヒムカコノエさん。

8/25(土)、私が勝手に「スピリチュアルの森」と呼んでいる、とっておきのロケ地へ。森の奥のほうに渓流があり、水しぶきのせいか、真夏でも辺りの空気はひんやりとしている。巨石や倒木は青々と色鮮やかな苔で覆われている。苔もシダも生き生きとしてみえる。遡ると滝に行き着き、山頂の神社の人がよく白装束で滝行をしている。ここで撮るのは3年ぶりくらいか。

神社の周辺はちょっとした町になっていて、宿やら茶屋やらが立ち並ぶ。熊の目撃情報が掲げられ、注意を喚起している。いつも立ち寄る茶屋兼土産物屋がある。下界は猛暑で空気がどよんと淀んだ感じで、何もかもが不活性に陥っているが、ここまで登ってくると、さわやかで快適だ。茶屋の窓からはいい風が入ってきて、道のほうへ抜けていく。山菜そばが美味くて、このときもまたそれにする。熱いそばが苦もなくするすると食える。

ここにいつもいたおばあさんは、聞くと2年前に亡くなったそうだ。そうとうなお年だったようで、店に姿が見えない時点で、そうかなとは思っていた。前に来たときまでは、快活でいつも元気そうだったけど。よく面白い話を聞かせてくれた。

埼玉の平らなところから山の上に嫁いできたのは、兵器の製造のためにあらゆる鉄という鉄が政府に回収されていた時代のこと。ケーブルカーも例外ではなく、歩いて登ってきたそうだ。駅からだと、まず山にとっつくまでの歩程が長く、登り始めてからは道が険しくなり、標高差400メートルほどの登りはそうとうきつい。途中にお地蔵さんがいて、そのあたりでもう限界だと思い、やっぱり帰りたいと余程言おうかと思ったそうである。けど、お世話になった仲人さんも一緒に登ってくれていたので、言い出せなかったのだそうだ。

不便だったろうし、苦労もしただろうけど、いつも明るくて、楽しそうに暮らしているようにみえた。たまにしか現れないヨソ者が無責任に言うのもアレだけど、案外といい人生だったんじゃないかなぁ、なんて。

ヒムカコノエ人形展「モダンハコニワイズム展」
会期:2012年10月4日(木)〜9日(火)
会場:初台「画廊 珈琲 Zaroff」
< http://www.house-of-zaroff.com/ja/gallery_2nd/20121004/index.html
>
< http://garirewo.s318.xrea.com/strnew/
> アトリエ果樹園

女装アイテムを調達しようとユニクロへ。フロア案内が日本語のほかに韓国語と中国語で書かれてて、「レディース」って中国語で「女装」なんだね。めっちゃツボった。フリフリロリロリの浴衣着て、猫耳つけて、そのフロアーをうろうろしてるおっさん、まるで勘違いの図。ちゃんと買えたけど。はいはい、こっちはダメダメ人生でやんす。

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編集後記(09/21)

●サスペンス映画「エクスペリメント」(2010)DVDを見た。その後、これはドイツ映画「es [エス]」(2001年)のハリウッドリメイクだと知って、そっちのDVDも見た。この前のヴァンパイア映画と同じケースだ。あまり楽しい映画ではない。というより不愉快で後味の悪い映画だ。それなのに元ネタまで見てしまうのはどういうわけだ。どこがどう違うのか、ハリウッド流のリメイクの仕方を確認したかったからだ。結局、構造がシンプルで分かりやすくなった一方、謎が生まれちゃったのは皮肉。

14日間の心理学実験に参加して日給1000ドルの高額報酬、という求人広告につられて被験者となった男たちは、実験者から看守役と囚人役に分けられ、模擬刑務所内で24時間それぞれの役割で振る舞うよう指示される。ロールプレイングゲーム感覚で始まった実験も、早くも2日目から様子が一変。男たちは実験の役割と現実の自分の区別がつかなくなり、まるで本物の看守と囚人のようになってしまう。権力を握った看守側と抑圧される囚人側にそれぞれリーダーが現れ、閉鎖空間内の対立が深まる。

多数設置されている監視カメラで暴力行為が確認されれば、赤いランプが点灯して実験は即中止となり、報酬は支払われないことになっているのだが、看守たちの狂気の暴力行為はエスカレートする一方だ。実験者はなぜルール違反を放置しているのか。なぜ中止させないのか。見ていてストレスがどんどんたまる。結局、一人が死んで赤ランプが点灯、彼らは解放される。途中で中止したのだから無報酬のはずだが、どうやら支払われたようだ(?)。主要役者の演技がうますぎて、かえってリアル感を損ねたという感じがしないでもないが、理不尽で緊張感のあるサスペンスが「エクスペリメント」だった。

結果として、わたしの見た順番は正しかった。「es [エス]」を見た人は「エクスペリメント」を見る必要はないと思う。「エクスペリメント」では看守側と囚人側の対立に実験者はまったく介入しない(監視しているのかさえ疑わしい)のだが、「es [エス]」では個人面接もあるし、監視も完全に行っている。実験中止後の急展開も加え、リアリティのあるいい出来だった。「エクスペリメント」を見て、いまひとつ不満な人が「es [エス]」を見るのを止める気はない。それにしても、権力を握った連中がどんどん理性を失っていくのは怖い。原発では右顧左眄の末の右往左往で腰砕けてみたり、どさくさまぎれに闇法案を閣議決定したり。赤ランプよ、早く点灯せよ。(柴田)

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●マネジメントの話が出たので、没ネタサルベージ。

先月末。その数日前からやらなきゃと思いながら、仕事でばたついていて、ローン引き落としのための口座入金を怠っていた。当日の夕方に気づき、10分前に銀行に到着。入金しようとしたら通帳やカードがない。銀行セット(というものを作っている)がない。取りに帰っても間に合わない。どうして入金しておかなかったのだ、なぜこの口座のための定期を作っておかなかったのだと悔やむ。

月初、これまた午後になって、このことを思い出し慌ててサイトで調べ、銀行のサービス窓口に電話をする。ローンの引き落としができなかった場合の対応策のことだ。何日後かに二度目の救済引き落としがあるのか、それともどこかに振り込むのか、督促が来るまで待つべきなのか知りたかった。支店で聞くようにと電話番号を教えてくれた。続く。(hammer.mule)