映画と夜と音楽と...[560]昔から高齢者問題は悩みの種だった/十河 進

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〈楢山節考/愛のお荷物/ソイレント・グリーン/人間の約束〉

●深水三章さんに会って思い出したことがあった

少し前のことになるけれど、新宿のとあるバーで深水三章さんにお会いした。以前から、その店の常連だと聞いてはいた。僕がそのバーにいったのは30年で5回くらいだったのに会ったのだから、たぶんけっこうな頻度で顔を出しているのだろう。そのバーはカメラマンの加藤孝のなじみの店で、僕は彼に連れられて30年ほど前に初めていったのだ。

それから何度かいったことはあるが、いつも加藤孝に連れられてだった。昨年だったか、渋谷のスペインレストランのオーナーシェフであるカルロス兄貴と加藤孝と三人で飲んで、やはりそのバーにいった。それからしばらくしてカルロス兄貴と深夜に新宿をさまよっているとき、「あそこ、いってみるか」ということになり、のぞくと深水三章さんがいたのである。

その夜、深水三章さんをカウンターで見かけ、「あっ、深水さんだ」と僕は思わず声を挙げてしまった。それから「失礼しました」と頭を下げ、「河西健司さんの大学の後輩で、30年も前に一度、フジテレビの玄関でご挨拶させていただきました」と続けた。30年前と同じように「健の...」と答えた深水さんだったが、僕のことを憶えているはずもなかった。

学生時代から演劇をやっていた河西さんは、ある日、ミスタースリム・カンパニーというロック・ミュージカル劇団の立ち上げに参加した。僕が大学生の頃である。赤坂の都市センターホールで旗揚げ公演を行った。中心になったのは、東京キッドブラザーズを出た深水兄弟だと聞いた。兄の龍作さんが座付作者で、弟の三章さんが筆頭役者だった。

その後、河西さんや他の先輩たちの芝居公演がいろいろあり、若い頃の僕はその初日には顔を出していたのだが、荻窪のお寺の地下にあるホールでやった芝居(先輩の誰かが書いたオリジナル戯曲だった)に深水三章さんが客演した。リーゼントで革ジャンにブルージーンズ。舞台中央に置かれた大型バイクにまたがる姿が板に付いていた。

就職して5年近く経った頃だったと思う。8ミリ専門誌「小型映画」編集部にいた僕は、フジテレビデザイン室のチーフデザイナーに8ミリ映画用のタイトルデザインを依頼し、毎月、受け取りに通っていた。まだフジテレビが新宿区河田町にあった頃だ。有楽町線も曙橋駅もできていなかったので、飯田橋から小滝橋行きの都バスを利用した。

ある日、受付で訪問先の確認をとってもらっているとき、深水三章さんがやってきて受付に訪ねる相手を告げた。その後、少し待たされる様子だったので、僕は「あのう」と声をかけ、「河西健司さんの大学の後輩です。芝居を何度か拝見させていただきました」と続けた。深水三章さんは不審そうに振り返った顔を輝かせ「健の...」と言ったが、すぐに受付に呼ばれ「それじゃあ」と廊下を歩いていった。




そのすぐ後のことだった。新宿三丁目のレストラン・ジローの二階を借りて、ある先輩の詩集の出版記念パーティがあった。僕の先輩たちは演劇青年、文学青年、詩人たちなどで、自費出版で本を出しては出版記念と称してみんなで集まって飲んでいた。その日、深水三章さんも出席していて、「先日は失礼...」と先に声をかけてもらった。深水三章さんがきていたのだから、Oさんの詩集の出版記念会だったのだろうか。

あの頃、僕は阿佐ヶ谷に住んでいた。ということは、1980年にはなっていない。僕がフジテレビの玄関で深水三章さんに声をかけようと思ったのは、向田邦子のNHKドラマ「阿修羅のごとく」第一部(1979年)を見たばかりで、三章さんの顔をはっきりと識別できたからだ。深水三章さんは、四女(風吹ジュン)の同棲相手のボクサーを演じていた。

●海外で評価された「楢山節考」は高齢者を棄てる話

今村昌平監督の「ええじゃないか」(1981年)には、河西健司さんと深水三章さんが出演していた。まだ「小型映画」編集部にいた僕は試写会で見て、アレレ...と思ったことを憶えている。ロック・ミュージカル役者に時代劇は似合わないような気もしたが、最後は「ええじゃないか」と民衆が踊り狂う話なので、案外、踊りのセンスが必要だったのかもしれない。

「ええじゃないか」で今村監督は深水三章さんを気に入ったのだろうか、その後、「楢山節考」(1983年)「女衒 ZEGEN」(1987年)「黒い雨」(1989年)「うなぎ」(1997年)と、三章さんは今村昌平作品の常連になる。その中でも、「楢山節考」の深水三章さんの強烈な演技が印象に残っている。主人公(緒形拳)の隣家の息子を演じた。

目を覆うばかりに貧しい村が描かれる。長男以外は嫁がもらえず、噴き出すような性欲をもてあましている次男や三男がいる。彼らは獣姦さえ厭わない。間引かれた赤ん坊の遺体が、雪解けの田んぼの中から現れる。そんな悲惨な山間の農民たちの暮らしが飾り気もなく描かれる。さすがにリアリズム派の巨匠、今村昌平だなあ......と僕はスクリーンを正視できないまま思った。

主人公は心優しい男である。彼も貧しい農家の主だが、しっかり者の母親を愛しているのに、70になった高齢者は山に棄てにいかなければならない村の掟がある。坂本スミ子が演じた母親おりんばあさんはまだまだ元気で働いているが、70になったら姨捨山にいくことを当然のことと考えている。貧しい村の生きる知恵なのである。高齢者のために若者が犠牲になるのを防ぐ掟なのだ。

70になったおりんは、渋る息子をせきたてて山にいく。隣の息子(深水三章)は厭がる父親(御大の辰巳柳太朗でした)を引き立てるようにして山へいく。主人公は山へいく途中、「死にたくない」と息子の脚にすがる父親を、「死ぞこないめ」と谷底に蹴落とす隣家の息子を目撃する。主人公と母親とは対照的な隣家の父親と息子を描くことで、人間の非情さを印象づける。

それにしても、己の脚にすがりつく体の不自由な実の父親を谷底に蹴落とす深水三章さんの演技は強烈だった。今でも鮮やかに残っている。おりんを置いて下山する途中、雪が降り始めて引き返した主人公が「おっかあ、寒くねぇか」と心配すると、早く帰れというように手を振る気丈なおりんのシーンと同じくらい僕の中に刻み込まれている。

姨捨伝説は、日本各地に存在するという。昔から高齢者問題は悩みの種だったのだ。昔、父親の実家に遊びにいったときに耳にした「どこどこの誰々が中風で寝たきりだ。嫁さんも大変だな」という大人たちの会話を記憶しているが、農家の暗い離れに寝たきりの老人がいるというのは、割に普通のことだった。多くの家で嫁が寝たきりの老人を抱えて苦労していたのだ。介護施設も長期入院できる病院もなかったのである。

●「愛のお荷物」という産児制限コメディが創られた頃

日本は、いつの間に少子化社会になったのだろう。戦後10年目、昭和30年(1955年)に日活で封切られた「愛のお荷物」という映画がある。僕は川島雄三監督作品が好きでいろいろ追いかけて見たが、その中でも「愛のお荷物」は印象に残っている。助監督に今村昌平と浦山桐郎がついているのが、今から思うと凄い。

中心人物は産児制限(バース・コントロール)を主張する大臣(山村聡)で、彼の妻や娘を始め娘の恋人や周辺の人たちが登場して妊娠に関するエピソードが展開され、最後には彼の妻かが妊娠してしまうという皮肉なコメディである。その映画を見ると、戦後10年頃まではそんな映画が作られるほど人口増加が激しかったのだろう。

僕の父母の世代は、戦争中に青春を送った。そのふたりが戦後に結婚し、兄はベビーブームの真っ最中に生まれ、後に団塊の世代と名付けられた。僕はポスト団塊世代だが、小学校のクラスは50人を超えていた。これは世界的な傾向で、アメリカでは同じ戦後世代の人たちを「ベビーブーマー」と呼んでいる。彼らが成長し二世を作り、さらに団塊ジュニアの人口も膨らんだ。

1970年代、人口増が問題視されていた。ある作家の冒険小説では、地震や災害を装って大量に人口を減らそうとする国家の陰謀が描かれていた。地球規模での人口増加は、人類最大の課題だと言われていたのだ。中国政府は「ひとりっ子」政策を提唱し始めていた。そんな時代に一本の奇妙なSF映画が公開された。

新聞の広告でも「この映画の結末は話さないでください」というキャッチフレーズが強調されていた。ただし、口コミで結末は広がっていて、僕も映画を見る前からおおよその予想はついていた。つまり、結末のどんでん返しの意外性で見せる映画ではなく、衝撃的な結末だけで観客を驚かそうとする映画だったのだ。

もっとも、「猿の惑星」(1968年)のラストシーンで砂に半身を埋めた自由の女神像が出てきても全く驚かなかった僕だから、その「ソイレント・グリーン」(1973年)という映画の結末も驚くことはなかった。そういう発想をすることに、ちょっと違和感を憶えた。あまり好きにはなれなかった。名優エドワード・G・ロビンソン久々の出演もかすんでしまった。

ディストピアものである。暗い未来を描いている。人口が爆発的に増え、その結果、危機的な食糧不足を迎えた時代である。そんな時代を救う合成食品ソイレント・グリーンが発売され、熱狂的に受け入れられる。一方、その未来の世界では、ある年齢になると高齢者は政府の施設に収容されることが義務付けられている。そこでは安楽な世界が待っているとアピールされてはいるのだが...

爆発的な人口増加、増える高齢者の対応、それに対して危機的な食糧難を緩和する画期的な合成食品の登場...、この設定を突き詰めれば自ずと衝撃的な結末は予想できる。すべてを一度に解決する方法がひとつあるのだ。つまり姨捨の考え方と、リサイクルの考え方である。未来のことだから、その辺はスマートに処理しているのだが、やっていることは姨捨であり、タンパク資源の再利用である。

●高齢者と公的に認められるのは65歳かららしい

日本の少子化は止まらず、高齢化は促進されている。僕だって役所に高齢者と認定される年齢に近付いてきた。敬老の日の新聞記事によれば、65歳以上が高齢者であり、役所から記念品がもらえるのだそうだ。数年前に改正になった医療保険制度では、75歳以上を後期高齢者と呼び顰蹙を買った。その言葉に「死が近い人々」というニュアンスを読み取ったのかもしれない。

それにしても、これから高齢者になっていく身としては、この問題はなかなかしんどいなあ、と思う。僕の子供の頃、サラリーマンは55歳が定年とされていた。会社に入ると60歳定年に延長になり、その年齢が近付いた頃、厚生年金の支給が65歳まで延期になった。カミサンの両親はふたりで公社に勤め60で引退し、義父は油絵を描いて余生を過ごした。恩給生活である。

昔、労働組合の扶養家族手当要求で、年上の独身組合員と論争になった。彼は「扶養家族手当は同一年齢同一賃金の思想に反する」と言うのだ。そのとき僕は「××さん、あなたが年金生活者になったとき、その年金を支えるのは私の子供たちですよ。中心的な納税者も働き盛りになっている私の子供。もっとも、フリーターになってるかもしれませんが...」と反論した。

ヨーロッパのある国では、子供を多く育てた人に年金が多く支払われると聞いたことがある。どこかは知らないが、現在の年金制度を考えるならひとつの政策かもしれない。世代間のリレーである。僕は先行世代を税金や社会保険料をきちんと払い続けることで支えてきた。真面目に税金を納め、大学卒業以来ずっと欠かさず社会保険料を払ってきたのだ。

しかし、今のような状況になったからといって、誰を恨むわけにもいかない。僕の父母の世代は戦争で苦労した。僕の兄の世代は団塊の世代と呼ばれ、世の中の大きな流れを作ってきた。僕も下の世代から見ると、同じ穴のムジナだろう。僕より10歳若い世代は、バブル期にいい目を見なかったと恨み言を言い、そのもっと下の世代は「超氷河期」と言われる就職難で苦労した。

ずっといい目を見る世代なんてない。めぐり合わせである。父母の世代に比べれば、戦争が一度もなかった国に生まれ育ったことを幸せだと僕は思う。60歳めざして働いてきたらゴールが65歳に引き延ばされたとしても、それはそれで仕方がないことだと諦める。しかし、今のメディアの「少子高齢化、社会福祉、増税」などの記事を読むと、世代間対立を煽る論調が目につく。

若い世代は本当に「年寄りばっか増えて迷惑だ」と思っているのだろうか。「楢山節考」で深水三章さんが演じた、実の父親を「死にぞこないめ」と谷底に蹴落とすような、ささくれた気持ちを抱いているのだろうか。高齢者問題はむずかしい。認知症という言葉が一般的になり、身体麻痺などのリハビリテーションも進化したとはいえ、要介護の高齢者を抱えた家庭は大変だと思う。

●「ママ、いったいいつになったら死んでくれるの?」という惹句

少し前、水村早苗さんの「母の遺産─新聞小説」の書籍広告を見たときは驚いた。「ママ、いったいいつになったら死んでくれるの?」というキャッチフレーズが目立ったからだ。僕は水村さんの作品は愛読しているのだが、これはちょっと引いた。気にはなっているが、まだ読んでいない。母親の介護という実体験を元に書いた小説だというから、怖くてよけいに手が出せなくなった。

「人間の約束」(1986年)という静謐な映画がある。「観念派の巨匠」と僕が名付けた吉田喜重監督作品の中で僕が好きな一本だ。一種のミステリである。三世代が住む郊外の住宅で、認知症の老女(村瀬幸子)が死ぬ。警察が調べると、他殺の痕跡がある。やがて、夫(三國連太郎)が「私が殺した」と自首してくる。しかし、彼の言うことは支離滅裂で筋が通らない。夫にも認知症の症状が出ている。

家族それぞれの立場での回想シーンが描かれる。介護に疲れた息子の妻(佐藤オリエ)は入浴させているとき、義母の体を離したことがある。息子(河原崎長一郎)は家庭の問題から逃げるように浮気をしている。夫(三國連太郎)は嫁の苦労を見かねて妻を施設に預けたり、心中を企てたりする。年老いた母親が認知症になったことで、仲良く暮らしていた三世代の家族が崩壊したのだ。

彼らの救いは、老母の死である。夫も、息子も、嫁も...、老母の死を願う。実際に殺そうとする。老母自身も「死なせて」と叫ぶ。長く生きて、家族全員から死を願われるのは不幸なことだと思うが、どんな人も最期は身内に死を待たれるのだ。昨年、介護施設で3年暮らした義父の臨終に立ち会ったとき、「臨終に立ち会うというのは、文字通り死ぬのを待つことだな」と思った。

しかし、臨終に立ち会うのと、「もう死んでくれ」と願うのは大きな違いだ。介護で苦労した人の偽らざる真情だろうか。水村早苗さんは、それを「ママ、いったいいつになったら死んでくれるの?」という衝撃的なフレーズで表現した。そのフレーズに衝撃を受けた僕は、甘ちゃんなのかもしれない。僕の両親は耳が遠く会話に不自由するくらいで、すこぶる元気に暮らしている。来年ふたり揃って米寿を迎える。僕は恵まれていると思う。先はわからないけれど......

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >

いろいろあって、強いプレッシャーを感じているのを自覚する。責任感は強い方だと思うから、あれはこうして...などと仕事のことを思いめぐらせていると眠れなくなる。信頼できる相手、相談できる相手がいる幸せをつくづく感じる。孤独と孤高に耐えられるほど強い人間ではないのだと思い知った。

●長編ミステリ三作の配信開始→Appストア「グリフォン書店」
→以下でPC版が出ました。楽天コボ版、キンドル版も予定しています
< http://forkn.jp/book/3701/ > 黄色い玩具の鳥
< http://forkn.jp/book/3702/ > 愚者の夜・賢者の朝
< http://forkn.jp/book/3707/ > 太陽が溶けてゆく海

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