映画と夜と音楽と...[562]それでも痩せたい人々
── 十河 進 ──

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〈あしたのジョー/レイジング・ブル/ザ・ファイター/プリティ・リーグ/フィラデルフィア/キャスト・アウェイ/告白/パピヨン/戦場のピアニスト/黄色い星の子供たち/勝利への脱出〉

●20年間で20キロも太ってしまったのは気のゆるみか

高校生の頃に開高健さんの「太った」「笑われた」という短編を読んだ。「輝ける闇」を出した頃で、すでに開高さんはまるまると太っていた。しかし、芥川賞授賞式の写真を見ると、頬がこけ痩せた文学青年だった。サントリーで広告を作っていた頃である。その後、開高さんは美食家として有名になり、「新しい天体」などの美食小説も発表する。それに伴うように太り続けた。

痩せた青年が中年を過ぎて太るのは、当たり前のコースである。僕も40半ばになった頃、大学時代より20キロも太ってしまった。太り始めたきっかけは、飲酒と禁煙である。30を過ぎて飲み始め、飲むとつまみを食べすぎる。30半ばで禁煙し、ひと月で5キロ近く太り、そのまま止まらなくなった。入社20年めで「入社年数×一キロ」になった。

数年前、酒席でダイエットの話になり、60近くになっても体型を維持していた先輩から、「キミなんか痩せられるわけないじゃないか」とバカにされた。そのとき、ムクムクと「痩せたろうじゃねぇか」という気持ちが湧き起こってきた。翌日から、いきなり総量規制に入った。朝はスープだけ、昼はざるそば一枚、夜は米を食べず少量のつまみとアルコールだけにした。

その結果、ひと月で6キロ痩せた。体質が変わった。そのままの生活を続け、数カ月で10キロ落とし、半年後には13キロ減まで到達した。スーツが合わなくなった。B5サイズ(ウエストサイズは90センチ超)からAB5を飛ばしてA5サイズにまで戻った。ウエストサイズは79センチになった。初めて買ったスーツはY5サイズだったが、さすがにそこまで痩せるのは無理だった。

50半ば過ぎの男が急激に痩せると周囲は心配するし、気安く「最近、痩せたんじゃない?」とは訊きにくいようだ。なじみの店で「痩せた?」と訊かれ、一緒に呑むことが多い口の悪い同僚がすかさず「ガンなんですよ」と答えると、相手は一瞬絶句する。冗談にしては、ブラックすぎたのかもしれない。ただ、僕も人が悪い方だから、その答え方を使わせてもらうことにした。




4年前の内藤陳さんの誕生パーティで、久しぶりにあった作家の西村健さんに「痩せたんじゃない」と言われたとき、「ガンなんですよ」と笑いながら答えたのだが、西村さんの顔が変わった。あわてて「嘘ですよ、嘘」と僕は否定した。「人が悪いなあ」と言われたものの、何人かの人に同じ答えをした。全員がフリーズする。僕は「余命、どれくらいなんですか?」と突っ込んでほしかったのだが、さすがにそんな人はいなかった。

3年前だったか、「深夜+1」のカウンターに入っていて助監督になった、匡太郎くんと冒険小説協会の忘年会で久しぶりに顔を合わせたとき、「激痩せしましたね。声かけにくかったですよ」と言われた。自分では激痩せまでは......と思っていたが、逆に言うと以前が激太りだったことになる。「映画がなければ生きていけない」3巻目の大沢在昌さんとの対談写真を見ると、確かに激太りである。

痩せようと思ったきっかけのひとつは、あの写真にもあった。僕が手前にいて、奧に大沢さんがいる。その距離感が異様に遠いのは、僕の顔がパンパンで遠近感が強調されているからだ。昨年の内藤陳さんの誕生パーティで大沢さんに4年半ぶりで会ったとき、すぐに言われたのは「お痩せになりましたね」だった。今年2月の陳さんの帰天祭でも、大沢さんに「リバウンドしませんね」と言われたものだった。

●試合前の計量に向けてボクサーは体を絞りに絞る

仕事で痩せなければならないのは、ボクサーである。ボクサーと減量は、切っても切れない関係だ。ボクシングは、ハングリー・スポーツの代表のように言われている。体重別に細かく分けられているから、ウエイトオーバーだと失格になる。試合前の計量に向けて、ボクサーは体を絞りに絞る。計量時のボクサーの体は、カラカラに乾いている。

「あしたのジョー」の力石徹がまさにそうだった。ちばてつやの思い出話だったと思うが、最初に登場したときに力石徹を大きく描いてしまったために、力石徹の減量地獄のシーンにつながったのだという。しかし、あのストイックな減量シーンがあったから、力石徹は伝説になった。ジムのすべての蛇口を針金で固定し、ストーブを焚いて汗を絞り出すシーンはそのまま映画にも使われた。

もっとも、映画版「あしたのジョー」(2010年)のそのシーンを見たとき、「おいおい、それじゃあ火傷するだろう」と僕は突っ込みたくなった。伊勢谷友介は力石になりきるためにかなり減量したらしく、ガリガリになっていた。ただし、試合直前にリングでガウンを脱いだときの痩せ方は不自然で、あれはCG処理ではないかと僕は疑っている。

ボクシング映画の名作は過去に何作もあるけれど、「レイジング・ブル」(1980年)は特に印象深い。モノクロームの陰影深い映像で、実在したミドル級ボクサーのジェイク・ラモッタの人生が描かれた。最近の「ザ・ファイター」(2010年)もそうだが、アメリカ人は実在のボクサーの物語が好きなのだろうか。ボクサーの人生は栄光と挫折がハッキリしているからかもしれない。

「レイジング・ブル」で主人公を演じたロバート・デ・ニーロは、ボクサー時代の顔は頬が落ち精悍な顔つきだ。いかにもボクサーという面構えをしている。しかし、この映画で話題になったのは、主人公の引退後の太り方である。演技のために25キロ体重を増やしたデ・ニーロも伝説になった。短期間に、そんなに体重を増やせるものだろうか。

仕事のために痩せるという意味では、俳優も同じだ。高倉健は体型を維持するために、ストイックに暮らしているらしい。ボクサーと違って何10年も続く禁欲生活である。誰も太った健さんなど見たくはないからだ。昔、矢作俊彦さんは「太った裕次郎は我らの敵だ」と書いたが、石原裕次郎は早くから太った。太ったとはいえ「太陽にほえろ」のボスの頃は、それなりの貫禄を感じたものである。

松坂慶子は人気絶頂の頃、網タイツのバニーガール姿で「愛の水中花」を歌うほどスレンダーな美女だったが、中年になってかなり太った。奥田瑛二が監督した「るにん」(2004年)に主演するに際して、監督が出した注文は「撮影までに××キロ痩せること」だったという。流人がまるまると太っているのでは、やはり不自然だ。役作りのためには、絶対に痩せなければならない。

●名優は映画のテーマによって自在に痩せたり太ったりする

作品によっては太ったままの役者を使うこともあるが、やっぱり流人や囚人役で西田敏行が出てきたら「おいおい」とツッコミを入れたくなる。過酷な状況に追い込まれた人物を演じるとき、太った俳優が太ったままで出演したのでは、やはり役者魂に疑いを抱いてしまう。その点、名優と呼ばれる人は、映画のテーマによって自在に痩せたり太ったりする。

前述のロバート・デ・ニーロは有名だが、トム・ハンクスも作品によって相当な体重の増減がある。「プリティ・リーグ」(1992年)の酔っぱらいの監督はだらしなく太ってお腹も出ていたが、「フィラデルフィア」(1993年)ではエイズに感染した弁護士を演じ、病気の進行と共に激痩せする過程を見せる。メーキャップも効果があったけれど、相当に体重を落としていた。

無人島に流れ着いた現代のロビンソン・クルーソーみたいな役を演じた「キャスト・アウェイ」(2000年)でも、トム・ハンクスは激痩せしてみせた。凄いのは前半の普通の体型から、後半の無人島で暮らし始めて痩せていく姿を、物語の必然として実現してしまうことである。そういう物語なのだから当たり前と言えば当たり前だけど、やっぱり凄い。25キロも落としたそうだ。

痩せなければならない役柄というと、やはり囚われの人だろう。無実の囚人や収容所に入れられたユダヤ人といった役である。イブ・モンタンは元々太った人ではなかったが、「告白」(1969年)という作品ではかなり体重を落としていた印象がある。政治的テーマをエンターテインメントとして描くのが得意だったコスタ=ガブラス監督の「Z」(1969年)と並ぶ代表作である。

イブ・モンタンが演じたのは、共産主義政権下のチェコスロバキアで起こった事件である。政治的陰謀によって反対派に突然逮捕されたチェコ共産党幹部が監禁され、拷問された事実に基づく映画だった。モンタンは身に覚えのない反逆罪で自白を強要されるのだが、過酷な監禁生活で頬がこけ、痩せて体力や気力が次第に失われていく感じをよく出していた。

スティーブ・マックィーンはアクション・スターのイメージがあり、元気にスクリーンの中を躍動していた記憶が鮮明だが、「パピヨン」(1973年)で刑務所のある熱帯の島から脱獄をくり返す囚人を演じたとき、やはり痩せた顔で出てきた。胸に蝶々のタトゥーをした「パピヨン」と呼ばれる主人公は実在の人物で、彼が書いた自伝が原作になっている。

当時、その本は世界中でベストセラーになり、僕も朝日新聞で原作者の写真入りのインタビュー記事を読んだことがある。「パピヨン」と呼ばれるように彼はフランス人だったが、ハリウッドの映画会社が映画化権を獲得した。スティーブ・マックィーン主演と聞いたときにはミスキャストかなと思ったけれど、映画化された作品を見て「これは名作だ」と感心した。

何度も脱獄を図り懲罰房に入れられて痩せていくマックィーンも凄かったが、「パピヨン」を名作にしたのはダスティン・ホフマンが副主人公として出たことだ。「卒業」「真夜中のカーボーイ」と、まったく異なる役が続いたダスティン・ホフマンは、「パピヨン」で演技派の評価を確立した。僕も当時「この俳優はカメレオンか」と思ったものだ。作品ごとに違う顔に見えた。

ダスティン・ホフマンが演じたのは、偽のファンドで大勢の人から金を集めた経済詐欺犯である。囚人の中にも彼を恨んでいる者がいる。金を隠し持っているらしく羽振りはいいのだが、暴力には弱い。パピヨンは身に覚えのない殺人罪で捕まったものの、元々は町のならず者だから暴力には自信がある。知力と財力をホフマンが担当し、暴力をマックィーンが受け持つ。ふたりは協定を結び、やがて離れがたいほどの親友になる。

何度も脱獄を繰り返したパピヨンは、最後まで諦めない。ラストは、もう若くはないふたりが断崖絶壁から飛び降りるかどうかというシーンだった。長い囚人生活でふたりとも痩せて体力も落ちている。そのうえ、老いて動きも緩慢だ。それでもマックィーンは刑務所島から脱出するために海に身を躍らせ、ホフマンは残る。海に漂うマックィーンを見送るホフマンの悲しみと祈りが伝わり、深い余韻が残るラストシーンになった。

●現在の日本ではダイエット関係の本が大ベストセラーになる

最近見た映画の中で印象に残っている痩せた主人公は、「戦場のピアニスト」(2002年)のエイドリアン・ブロディである。実在のピアニストであるシュピルマン(マンと付く名前はユダヤ系なのだろう)の回想録を、自身も両親を収容所で亡くしているロマン・ポランスキー監督が映画化した。エイドリアン・ブロディは、この作品でアカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞した。

エイドリアン・ブロディは背が高くてヒョロヒョロした俳優で、鼻が高く痩せた顔をしているポーランド系ユダヤ人である。「戦場のピアニスト」を見ると、完全に役柄になりきっている。手が大きく指が長いのでピアニスト向きだ。シュピルマンがワルシャワにいるときにナチがポーランドに侵入し、ユダヤ人としてゲットーに隔離される。ユダヤ人たちは収容所に送られることになるが、彼はからくも逃れる。

逃亡生活が始まり、ヒョロヒョロしていたエイドリアン・ブロディはさらに痩せる。逃亡というより、半死半生の彷徨である。戦火で廃墟になった建物の中でピアノを見付けた主人公が思わず鍵盤を叩き、それを聞いて現れたナチの将校が「ピアニスト?」と訊き、主人公がうなずくと「弾いてくれ」と言う。瓦礫と化した戦場に美しいピアノ曲が流れる......

収容所ものとしては、最近では「黄色い星の子供たち」(2010年)を見た。とてもよい映画だったけれど、ユダヤ人の献身的な医者として登場するジャン・レノの体格がよすぎてリアリティがない。栄養失調になっても痩せさらばえてはいないし、ドラえもんを演じるくらいだから体は丸い。もっとも、看護婦を演じたヒロインのメラニー・ロランが、どんどん痩せていくのを見ているのは辛かった。

突然、ミイラのように痩せた人々が出てきてショックだったのは、変則的なナチ捕虜収容所映画「勝利への脱出」(1980年)だった。ナチの捕虜収容所で脱走を計画するアメリカ兵(シルベスター・スタローン)と元サッカー選手のイギリス軍将校(マイケル・ケイン)たちが、ドイツの精鋭チームとバリのスタジアムでサッカーの試合をすることになる。

マイケル・ケインはチームにポーランドやチェコの有名選手を呼び寄せることをナチの将校に条件として出すが、パリにやってきたかつての名選手たちは収容所に入れられており、全員がガリガリに痩せた姿だった。顔はまるでガイコツである。ユダヤ人収容所を直接描く映画ではなかっただけに、彼らが映った瞬間、僕はショックを受けた。この後、映画はハッピーエンドになるので救われる。

現代の日本では、ダイエット本が大ベストセラーになる。少し前に話題になったタニタの社員食堂の本も、僕のような専門誌出版社の人間から見ると考えられないほどの部数が出た。ダイエットで人気があるのは、「何もしないで痩せられる」「たっぷり食べても体型を維持できる」といった楽な方法だ。最近では、息をコントロールするだけのダイエットの本が売れているらしい。

食欲は、人間の最も根元的な欲望だ。食べることで生きていられるわけだから、もっと食べたい、おいしいものを食べたい、という気持ちを抑えるのは難しい。しかし、太らないためには、食欲を抑えるしかないのだ。僕も10キロ以上落とした体重を維持するために、食べる量をいつも意識している。消費するエネルギーが少ないのだから、摂取するカロリーも少なくしなければならない。

しかし、食べたいのに食べられないことほど辛いことはない。僕の子供の頃は、まだ食料事情は豊かではなかったが、戦後ほどではない。それでも、今から思えば貧しい食事だった。給食は固いコッペパンと脱脂粉乳、副食もおいしかった記憶はない。とはいうものの、何とか170センチまで育った。ただし、高校大学の頃の体重は50キロを切っていた。ウエストは69センチだった。

考えてみれば、若い頃、僕がガリガリに痩せていたのは、あまり食事を摂らなかったからだった。昼食に定食を頼んでも、ごはんは半分残していた。いつも腸の具合が悪くて、食べられなかったのである。医者には、自律神経失調症と言われた。過敏性大腸症候群と診断されたこともある。東京の主だった駅および周辺のトイレの場所は、ほとんど把握していた。

「痩男」「痩女」と呼ばれる能面がある。どちらも幽霊面である。特に「痩男」は眼窩が落ち込み、肉が削げて頬骨が強調されている。謡曲「通小町」や「善知鳥」などの後シテに用いられるが、「痩男」の面は死人の相を写し取ったものだという。昔から痩せた人間に死相を見たのだろう。激痩せした僕に、みんな声をかけにくかったのも当然である。つまらない冗談を言いました。ゴメンなさい。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
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現在、最も好きな女優ジェニファー・ローレンスを見るために「ハンガーゲーム」にいった。やはり、ジェニファー・ローレンスが抜群にいい。映画としてもよくできている。ウッディ・ハレルソンがいい味を出していた。しかし、三部作だなんて聞いていなかったよー。

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> 黄色い玩具の鳥
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> 太陽が溶けてゆく海

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