ローマでMANGA[57]単行本頭と連載頭
── modori ──

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●「世界初、子供宇宙飛行士ユーリ」出発のつまずき

週刊モーニングに掲載すべく、南イタリア特有の人生観「宿命」をマフィアのファミリーを借りて、400ページの大作を描いていたイタリア人漫画家イゴルト、この機会を最大限に活用しようとしたのか、別の企画を提示してきた。それが以前にスウォッチで出したキャラ「ユーリ」だった。

イゴルトの提案に応えて、担当編集者の堤さんはイゴルトの画家としての作品集から、グリーンカンガルーという巨大宇宙船や、遊び好きの巨人といった世界と混ぜあわせた世界を作り上げようと提案した。

堤さんはユーリというキャラの持つ強さに世に出せるという確信を持ち、オールカラーで40ページの単行本を目指し、アニメやグッズなどの2次使用の提言もして、イゴルトを喜ばせた。それこそが、イゴルトが日本の大手出版社と仕事をしようと画策した理由だからだ。

堤さんの提言を受け、イゴルトは嬉々として全40ページのネームを用意し、その勢いで彩色チームも構成した。これが問題だった。

堤さんはまず週刊誌に連載して読者をつかむ、という基本姿勢を提示した。一回に8ページ。8ページで一回づつ読者をつかむ構成をしていく必要がある。ところがイゴルトは、堤さんの通信を読んで自分が理解し、賛成した部分を以って、将来単行本になることをまず頭に浮かべてさっさと構成をしてしまった。

新年の挨拶の後、一冊目のネームを送った旨の連絡に続いてウキウキと、「この企画の制作に準備万端です」と言い、「色彩はただ単に美しさを増すためではなく、色彩を通しても物語は語られます」そして「なにか新しいスタイルが生まれつつある気がします。一連のイメージで作られた物語。マンガでもアニメでもない物語。ストーリーボードに似てますがもっと完成されたもの。なにかまだ定義さえ知らないこの新しいものを作ってるんだと思うと興奮します」と締めくくっている。

堤さんの提言で、絵本を思わせるような大きなコマ割りと背景も描き込んだオールカラーという構成で行くことになった。確かに今までなかった表現方法で、私も行き先が楽しみだった

ただ、ここで前回から繰り返していることだが、イゴルトが「単行本」を前提としていることと、「連載」を前提とした堤さんとのスレ違いが表に出た結果になった。

実は週刊誌とか月刊誌とかの漫画雑誌は日本に特有なもので、連載掲載のあり方をイゴルトが無視した形になってしまったことを、一概には責められない。それでも、「アモーレ」で日本の編集部とやり取りを経験してたわけだし、新年の挨拶の前の通信で堤さんは「おおまかなラフを出してください」と言っていた。

ネームを担当編集者に送った時点でさっさとペン入れや彩色を始めてしまい、「おおまかなラフを出してください」という一文の重要さが頭からすっ飛んで、無視してしまった。イゴルトは、ユーリを講談社から出すということに夢中になっていたのだった。




●manga制作システムは日本独自

イゴルトのキャッキャッと高揚している通信を受けた担当編集者の返事は、困惑に満ち満ちていた。これまで丁寧な日本語だったのが、ときどき怒ったような口調が挟まっていることからもわかる。

イゴルトのネームは40ページの物語として構成され、これを8ページに機械的に分けて掲載と簡単に考えて「連載頭」を悩ませた。
そこで再々度、重要な項目を三つあげた。
1)各号8ページしか用意できない。
2)各章にタイトルをつけてほしい。
3)まず一話目のおおまかなラフを出してほしい。

さらに、イゴルトの単行本頭は作品を見開きで始めてしまった。これは、少なくとも講談社、モーニング誌のやり方には合わない。全作品片起こし(左ページから始まる)で構成されているので、一作品見開きで始まる作品を入れると混乱が起こる。

堤さんは全40ページの絵本型で単行本にするという構成を考えていたが、イゴルトのネームを活かすことを考えて88ページまで増やすことを提案した。つまり、8ページの物語11章。

問題としては、40ページでも絵本としてはやや多すぎる。ページを増やして絵本型にすると定価が高くなりすぎる。つまり、別のスタイルの本を考える必要が出てきた。厚い本となると大人も子供も楽しめるクオリティーが必要になる。これで、堤さんの当初の計画を大いに変更する事態になってしまった。

そして、イゴルトのネームで、機械的に8ページに分けても「読者の気持ちと目を集中させることができない」ので、ネームを生かしつつ堤さんは二章の構成を考えた。

二章ともタイトルを付け、イゴルトのネームの何ページを生かして扉と数枚ページを付け足すという提案をした。なにしろ、もう彩色を始めてしまっているのだから。一章は主人公ユーリに焦点を当てて、その可愛らしさを強調する。二章はサブの遊び好きの巨人、異形にもかかわらず無邪気なこのキャラの様子を描く...というように何を見せるのか、ということを強調した。

自分にとってあまりにも当たり前の事項は、ついつい説明を疎かにしてしまう。というのは、私自身、ローマのマンガ学校でMangaセミナーを始めた時に痛感した。

問題点は、こちらにとってあまりにもあたり前なので、なにが相手にとってあたり前でないのか見極めることが難しいということだ。Manga制作に関して言えば、すべてがヨーロッパのやり方から見てあたり前ではない。

モーニング編集部の海外作家作品掲載企画で時間がかかったのは、まさにこの部分である。

一つの話を週刊あるいは月刊誌に分割して連載することと、日本のManga構築法が日本独特のものだということが、日本国内とManga世界にどっぷりいるとわからない。

だから、このイゴルトの単行本頭と堤さんの連載頭とがずれてものを言ってしまうというのと似たようなことが多々起こった。だいたい、日本の、まぁ、私の場合モーニング編集部しか知らないのでこの編集部を頭に描いて発言するわけだけど、日本のManga編集部の「編集者」と作家のあり方からして日本独特のものということも、この企画で初めて編集長はじめ編集部員一同は知った。

編集者がまずラフネームを求め、それをたたき台にして編集者と作家が意見を交換するのは(モーニング)編集部ではあたり前のことだ。ヨーロッパでは、作家が自分のアイデアを示し、編集部はそれを出版するかしないかを決める、というのが大雑把だけれど普通のやり方だ。

イゴルトが「アモーレ」で日本式のやり取りをわかったはずなのに、「ユーリ」で高揚のあまり、ユーリの基本事項を確認しただけでせっかちに仕事を進めてしまったのも、ヨーロッパのやり方からみれば普通のことなのだ。

堤さんはこの通信で、もう一度全体を再構成し、おおまかなラフを作成するように頼んだ。今回のFAXには「おおまかなラフ」に下線が引いてあった。私がこの通信をイゴルトに翻訳した時も、下線を忘れなかったのは言うまでもない。

この通信は「いろいろ文句を言ってきましたが、絵はすごくいい。だが、日本の出版界では絵がいいだけでは成功することはできない。『ユーリ』が単に絵がいいだけのちょっと印象的な作品にまとまるか、日本の出版界に衝撃を与える新鮮な力として現れるかは、この段階の努力にかかっている。ぜひ、もう一度がんばってほしい。イゴルト氏の才能を信じ、友情を込めてお願いする」で締めくくられている。

イゴルトのすばらしいところは、こうしたやり直しや再構成の依頼に対し、かならず応えたところだと思う。講談社と仕事を始めた時点で、すでに15年以上プロとしてやってきている。作家側からの企画が気に入るか気に入らないかというだけの判断、OKが出た後は作家が自由に作品を作る、というヨーロッパ出版社のやり方に慣れて来た作家には難しいやり方だったと思う。

そしてやっと「ユーリ」制作が軌道に乗って行く。
これは次回へのお楽しみ。

【みどり】midorigo@mac.com

安倍総裁が誕生。これで解散総選挙となれば安倍総理率いる内閣が誕生して、ようやく日本を本来あるべき姿に戻していく希望が見えてくる。

宮崎の口蹄疫でも3.11の災害でも、現与党は『統治せず』を実行し、ただでさえ大きな災難の被害を大きくしていった。マスゴミは報道すべきを報道せず、この片棒を担いだ。安倍叩き、麻生おろしから民主党政権に世論を導いたのもマスゴミの活躍が大きかった。

今度は違う。マスゴミの安倍叩きにだまされない。。。人が多くなったと思う。破局の方へ舵を取る民主党政権の3年で、日本丸の軌跡が大きくずれてしまった。でもそのおかげで、平坦な海原、晴天に恵まれるばかりではなく、実は近くに暗礁があったり海賊がいたりというのを見えなかっただけなんだ、ということを多くの人が気がついた。失ったものばかりではない。

最近、表に出た「復興予算21億円が中韓友好促進団体に。団体トップは民主大物議員と外務省OB...」
< http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20121018/plt1210181552007-n1.htm
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これを知るに至っては、なんだかもう怒ったらいいのか、呆れて笑ったらいいのか。もう国政を私物のように扱う人々から政権をとりあげようよ。

主に料理の写真を載せたブログを書いてます。
< http://midoroma.blog87.fc2.com/
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