映画と夜と音楽と...[564]苦境にあるときには辱めを忍ぶ/十河 進

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〈カンパニー・メン/マージン・コール〉

●職業を持つ家庭人は職場と家庭のふたつの世界を持っている

仕事と家庭とどっちが大事なの...と、僕もカミサンに言われたことがある。これは、男たちに課せられた悲しい宿命だ。男女雇用機会均等法もずいぶん昔に成立し、現在では女性の社会進出も進んだので、恋人や妻にそんな風に責められることも少なくなったかもしれない。しかし、僕の世代だとまだまだ専業主婦が多く、経済的負担を夫に依存する家庭がほとんどだから、こう問い詰められた男たちは多い。

職業を持つ家庭人であれば、必ず職場と家庭のふたつの世界を持っている。職場は仕事をして賃金を得る社会的な場であり、家庭は個人的生活の場である。職場にいるときの人は、たったひとつの目的のために働いている。企業が利潤をあげるために活動するのである。その結果として賃金を得る。賃金を得る目的は、個人的生活を支えるためである。

多い賃金が得られれば、個人的生活は豊かになり贅沢ができる。子供を私立の学校にいかせられる。大学だって通わせられる。留学したいという要望だって叶えてやれる。高級車を購入し、一流レストランで食事ができる。高級マンションに暮らし、妻にブランドもののドレスを着せたり、高価な貴金属をプレゼントできる。

だから、本当は「私と仕事とどっちが大事?」と問い詰められるのは、理不尽なことなのだ。「あなたのことを大切に思っているから、仕事を大事にしている」と答えるしかない。懸命に働き、企業の中で重要なポストに就き、その結果、賃金を上げることで家庭を豊かにしているのだと反論したくなる。だいたい、「仕事と家庭」あるいは「仕事と私」を同次元に置いて比べることがナンセンスだと......




個人的生活(恋人との生活や家庭生活)を構成する基本的な要素は、愛である。少なくとも誰かを愛して結婚し、愛する子供ができ、彼らの衣食住を維持するために働きに出る。もちろん、自分の生活を守るためでもある。自分がやりたいこと、つまり飲食、趣味、居心地のいい住まいなど、個人的生活のための欲望を満たすために働くのだが、自己愛を含めてその根底には愛がある。

しかし、愛する家庭を持つ個人が集まってくる職場(組織)を構成する要素は、愛ではない。資本主義社会で企業に属して生きていくのであれば、そこで生み出さなければならないのは利潤、利益である。したがって、企業という組織では、利潤を生み出す仕事をきちんとやる人間に存在価値がある。企業を儲けさせる人間だけが評価されるのだ。だから、会社に愛を求めてはいけない。組織は非情である。

いくら家庭では家族を愛している優しい夫であり父親であったとしても、会社でまったくの無能だったら彼に存在価値はない。リストラ・リストのトップに載せられる。企業利益を最優先する経営者や投資を目的とした資本家たちにとっては、無能で利益を生まないくせに高い賃金を得ている人間は腹立たしい存在でしかない。彼らは、そんな社員たちを命を持つ人間(食べなければ死ぬ生命体)とは見ない。

投資して大金を手にする金融ビジネスが高度に発達した国であるアメリカにおいては、企業そのものが投資の対象になっており、その企業で生産活動をしている社員たちの存在はどんどん軽視されるようになった。高度資本主義社会では、企業が存続するために個人の存在が無視されるようになったのか。「カンパニー・メン」(2010年)というハリウッド映画を見て、そんな感慨を抱いた。

●金を稼ぐだけで家庭内での存在価値を保っていたら......

大企業の販売部長というエリートだったボビー(ベン・アフレック)は、ある朝突然、クビを言い渡される。会社が不採算部門である造船部門の合併と縮小を発表し、株価の低下を食い止めようとしたからだ。その企業方針によってリストラ対象になったボビーは馘首され、退職の条件を示される。12週分の退職手当と、再雇用支援が条件である。

しかし、ボビーはエリート意識から抜けられない。年収の多さを自慢し、面接にいった会社でも「その年収で我慢してやる」という態度を崩さない。賢明で堅実な妻は高額なローンが残っている邸宅や高級車を売ろうと提案するが、ボビーは「絶対に手放さない」としがみつく。ゴルフクラブの会費を納めていなかった妻に、「仲間の前で恥をかかされた」と怒鳴る。

妻の兄ジャック(ケヴィン・コスナー)は大工の棟梁だが、ブルーカラーを軽視するボビーとは昔から折り合いが悪い。ボビーの妻に「あいつは昔からバカだ」と、長い人生で様々な経験をしてきたのであろうジャックは言う。「いつでも雇ってやる」というジャックにボビーは皮肉な返事しかできない。ボビーの愚かさが見ていて腹立たしい。エリート意識が鼻につく。

一方、造船所の工員からたたき上げて幹部社員になったフィル(クリス・クーパー)も、60を目の前にしてリストラに遭う。しかし、娘が大学卒業前に「ヨーロッパに卒業旅行にいっていい?」と言うと、不安を抱えながらも「もちろん、いっていいよ」と優しい父親を演じる。ある企業の重役である昔の友人を訪ねると、「きみを推薦すると、私が笑い者になる。もう60だろう」と引退を勧められる。

フィルの妻は夫が再就職支援プログラムに通っていることをひた隠しにする。「近所の目があるから、明るいうちには帰ってこないで」と言う。リストラされる以前の生活を守ろうとする。フィルの身になってみれば、「これから、どうするのよ」と、言外に責められている気分だろう。彼は絶望し、自分の人生の結果を嘆くしかない。

家庭を構成する要素は愛だが、妻子に愛されていない夫や父親はこうなると辛い。金を稼いでくるという理由だけで家庭内での存在価値を保っていた夫が、金を稼がなくなったとき妻にとっては何の価値もなくなるのだ。世間体の悪い存在に成り下がる。テレビが壊れて映らなくなったら棄てるのと同じで、金を稼がなくなった夫は棄てるしかない。

ボビーの妻は、夫を愛している。エリートだから愛したのではないし、彼が失職すれば家を売って実家に寄宿しようと提案する。自分も病院の下働きのような仕事を見付けてくる。高級車も売る。息子も父親のリストラに理解を示す。そんな愛情にあふれた家庭を持ちながら、過去の栄光にすがろうとするボビーは愚かだ。

しかし、様々な挫折を経験し蓄えもなくなり追い詰められたボビーは、ついに目覚める。彼はエリートの生活を維持するために働くのではなく、彼を心から愛し心配してくれる妻子のために糧を得るという根元的な目的を自覚する。ダークスーツの代わりにジーンズとワークシャツを身に着け、ブリーフケースではなく工具ベルトを腰に巻き、ジャックの現場にいき「雇ってくれ」と口にする。

「仕事と家庭とどっちが大事?」ではなく、「愛してくれる妻、父親だと慕ってくれる子供たちの糧を得るために働く」というメッセージが、彼の不器用な大工仕事から伝わってくる。週給をもらったとき、ボビーは封筒を見て「200ドル多いよ」と言うが、ジャックは「そうかい。計算ミスかな」と言って車を出す。義弟の変化をジャックは喜んでいる。60近くになったケヴィン・コスナーが素敵だ。

●経営者と投資家である株主のために企業が存在しているのか

それにしても、アメリカの企業は非情だと思う。一部の経営者と投資家である株主のために、企業が存在しているのだろうか。CEOは目もくらむような高額の報酬を得ているくせに、平気でリストラを行う。株主のために株価を上げ、莫大な配当が出るように企業の利益を優先する。自ら保有する株の価値を上げるためだ。

「カンパニー・メン」ではリストラされた男たちの苦境が描かれるが、彼らをリストラしておきながら建設中の巨大な新社屋ビルを検分する経営陣も描かれる。CEOは広く贅を尽くした自分の部屋を自慢そうに重役たちに説明する。彼と一緒に会社を立ち上げた副社長ジーン(トミー・リー・ジョーンズ)は、それを苦々しげに聞いている。彼は、株価で利益を得るのは邪道だと思う古いタイプの企業人だ。

ジーンは、造船業に誇りを持っている。モノを作り、それを売り、企業に働く人々に給与を払い、彼らの生活を守るのが企業の責任だと思っている。利益を上げる必要はあるが、利益を上げることだけが仕事の持つ意味ではないと考えているのだ。彼はCEOに忠告しリストラに反対しているが、彼を煙たがるCEOはジーンを解任し、株価の高いうちに他の企業に会社を売ってしまう。

莫大な報酬を得る一部の人間たちと簡単にクビを切られて路頭に迷う人々の格差の問題、虚業のような金融ビジネスで莫大な利益を得ることなどが、アメリカでも問題になっているのだろう。だから「カンパニー・メン」のような映画が作られる。その矛盾を鋭く批判した映画が、「リーマン・ショック」と言われる金融パニックを引き起こした投資会社リーマン・ブラザーズをモデルにした「マージン・コール」(2011年)である。

この映画でも、朝一番にリストラ専門会社のスタッフたちが、リーマン・ブラザースらしい投資会社のリスク・マネージメント担当フロアに大挙して入ってくるシーンから始まる。「何なんだ?」と新人ディーラーがつぶやくと、過去に何度もそんな場面を経験しているらしい管理職が、「知らんぷりして仕事しろ」とアドバイスする。

ふたりの女性スタッフがガラスに囲まれた個室に入り、「ミスター・エリック?」と声をかける。その瞬間、部屋の主エリックは理解する。「この仕事が途中なんだ。せめて引き継がせてくれ」と訴えるが、女性スタッフは退職条件を淡々と説明し、「仕事はそのままでけっこうです」と私物をまとめる箱を渡す。ホントにアメリカ企業って凄いな、と僕は唖然とした。

「マージン・コール」は劇場未公開だったが、なぜこんな面白いサスペンスフルな作品が公開されなかったのか。ディーラーたちを束ねる重役サムはケヴィン・スペイシー、部下のウィルがポール・ベタニー、女性重役がデミ・ムーア、非情なCEO役はジェレミー・アイアンズである。エリックは「ハンガー・ゲーム」(2012年)の司会者役スタンリー・トゥッチで、芸達者たちが揃っている。

リストラの朝から翌日までの物語だ。エリックから渡されたデータを解析した若手のピーターは、社が保有する金融商品に莫大な損失が発生することに気付く。上司のウィルに報告し、ウィルはサムを夜中に呼び出し、緊急役員会が開催される。CEOがヘリコプターでやってくる。彼は、翌朝からすべて売れという。「そんなことをすれば金融パニックになる。FBIが乗り込んでくる」とサムは反対する。

「マージン・コール」で描かれるのは金融ビジネスの虚しさであり、その世界の人間を蝕む「すべては金」という考え方であり、社の存続のためにリストラはもちろん世界を金融危機に陥れてもいいと判断する組織の非情さである。印象的なエピソードは、ウィルがエリックから聞く「昔、エンジニアをやっていて故郷の橋を造った」話である。その橋ができたおかげでどれだけ人の役に立ったか、エリックは数字をあげて説明する。

●苦境のときは辱めを忍び誠実に働くことで信頼を得る

20数年前、仕事上で苦境に陥ったことがある。突然、何の知識もないビデオ雑誌の責任者をまかされたのだ。筆者は誰ひとり知らず、業界の人脈もなく、ビデオカメラやビデオデッキの知識はまったくなかった。バブル景気の余韻があった頃で、稼ぎ頭の月刊ビデオ誌編集部から次々に人が辞めていった。そのため、僕が引き受けたばかりの季刊のビデオ誌編集部から、若手部員が月刊誌に戻ることになった。

その結果、ビデオの知識がまったくない編集長と新人三人の編集部ができあがった。新人三人のうち、編集者経験があるのはひとりだけ、もちろん三人ともビデオについてはまったく知識がなく、動画を扱う雑誌なのに唯一の男性部員は「僕、映画館で映画見たことありません」と言い切った。テレビの上下を黒くして放映する、ノートリミング版の意味が彼には理解できていなかった。

人事は組合との事前協議事項だったから、月刊誌に若手部員が戻ることについて団交が開かれた。その中で「創刊したばかりの××(僕のやっていたビデオ誌)はどうなるんですか。素人編集長と新人ばかりで雑誌が作れるんですか!」と質問した執行委員に、企業計画を立案していた役員は「××、やむなし」と答えた。ドル箱の月刊誌を守るのが最優先であり、創刊したばかりの季刊誌はつぶれても仕方ない、という意味なのだと僕は理解した。

それを聞いて「売れる雑誌にしてやろうじゃないか」と、いつもの反発心が湧き起こった。しかし、新人ひとりに編集の仕事を教えるだけでも大変なのに、三人もいる。ひとりの女性は編集については教える必要はなかったし、一緒に仕事をして彼女の編集者の才能に気付いたが、他のふたりはすべて一から教えなければならなかった。編集会議は講義の場になった。

結局、連載頁やフォーマットの決まっている頁を新人たちに割り振り、特集を含めたメインの頁を僕がひとりで作った。6割近くの頁だ。一方で「売れる本を作って見返してやるんだ」という気持ちが強かったから、心理的には相当に追い込まれていた。強いプレッシャーに耐え、いつも何かに追われるような気分で余裕なく仕事をしていた。

今から思い返すと、そんな風だったから、周囲から見るとひどく力んでいるように見えたのだろう。自覚はしていなかったが、よくボヤいていたようだし、会社に対する不満を言い募っていた。新人たちも近寄りがたかったのか、三人はよくヒソヒソと話をしていたが、僕が顔を向けると緊張した表情で下を向いた。そんなとき、僕に対する上からの批判が聞こえてきた。

「ソゴーが現場でピリピリしていて、新人たちが萎縮している。何でもかんでも自分でやって仕事をまわしていない。新人の男は暇すぎて仕事中に文庫本を読んでたそうじゃないか」と、トップ会議の様子を先輩に聞かされたとき、僕は文字通り火を噴いた。「ビデオの知識と編集経験のある部員を引き抜き、新人三人押しつけといて勝手なことを......」と、会社に対する不満と不信が渦巻いた。だが、その苦境の経験が僕に何かを教えた。

10年ほど後のこと、新聞の求人欄に掲載された記事が目に止まった。「苦境にある時は辱めを忍べ」「職場の徳は信頼につきる」という見出しが飛び込んできた。「苦境に立っている時ほど、人は悪口を言われる。あることないこと、しかも思いもよらない人から言われたりする。多くの職業人が経験していることです」と、その文章にあった。仏教では「忍辱の徳」と呼ばれる考え方があるという。

───日本人は労働の場に楽しさや徳を見いだせるのです。そして同時に、家庭での愛をないがしろにしてはならない。どのような状況になっても、自分の働く誠意と家族があれば、人生には光が差します。晴れない雨は本当にないのです。

そう結ばれていた1000字ほどの文章が、僕が漠然と考えていた仕事観を裏打ちしてくれた。働いて仕事を達成することは信頼を得ることであり、苦境に陥っても自分がよいと判断した働き方をしていれば、誰に何を言われてもいいじゃないか。長く職業人として生きてきた中で、僕はそう思えるようになっていた。

僕は記事をコピーし、ときどき取り出して読んだ。しかし、文章のところだけ切り取ったので誰の談話だったか、長い年月が経つうちに忘れてしまった。梅原猛さんだった気がするが、他に梅原さんの著作を読んでいないのではっきりしない。このコラムを書くために「梅原猛 忍辱の徳」で検索したら、見事にヒットした。
< http://www.asakyu.com/column/back.asp?back=24 >

「仕事と家庭とどっちが大事?」と問い詰められたとき、僕はこの文章を思い出す。「カンパニー・メン」「マージン・コール」で描かれた世界とは、対極にある仕事観・企業観である。しかし、この文章で僕は仕事に「徳」を見出すことができた。今、僕は企業方針を決めるポジションになっても、20数年前に得た「忍辱の徳」を忘れまいと思う。現場から離れ、ずいぶん遠くまできてしまったけれど......

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >

先週の原稿でボギーの映画「孤独な場所で」を「静かな場所で」と書いてしまった。何度も見て好きな映画なのに、なぜ間違ったのだろう。読者の方から指摘をいただくまで気付かなかった。ボギーは神経症的演技をずいぶんやっているけれど、この映画のキレやすいボギーも怖いものがあります。

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http://forkn.jp/book/3701/ 黄色い玩具の鳥
http://forkn.jp/book/3702/ 愚者の夜・賢者の朝
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