映画と夜と音楽と...[565]汚ない奴より悪人がマシ?/十河 進

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〈BROTHER/アウトレイジ/アウトレイジ ビヨンド〉

●ひとりの男のために死ぬ突然の衝撃的なシーン

北野武監督作品に印象的なシーンは数々ある。しかし、僕にとって最も衝撃的だったのは、「BROTHER」(2000年)でアメリカへ渡ったヤクザ山本(ビートたけし)の弟分・加藤(寺島進)が、先にアメリカで縄張りを確保しシノギを確立していた日系ヤクザの白瀬(加藤雅也)の事務所に乗り込むシーンである。白瀬たちは、山本と対立している。

加藤は山本がどれだけ素晴らしい男かを、白瀬とその仲間たちに訴える。だから対立するのをやめて組もうじゃないか、と加藤は言うのだ。しかし、白瀬たちはせせら笑っている。相手にしない。後からやってきた日本のヤクザに従うなんてのは、男の恥だと思っているのだ。ヤクザたちはメンツにこだわる。

──俺は、兄貴のためならいつでも死ねる。
──見せてもらおうじゃないか。

加藤と白瀬はそんなやりとりをするが、その直後、腰から抜いた拳銃の銃口をくわえた加藤は、いきなり引き金を引く。次のシーンでは、もう白瀬たちが山本に付き従っている。白瀬は加藤が兄貴のためにためらいもなく死んだことで、山本というヤクザの凄さを認識したのだ。ひとりの男のために死ぬ。それが持つ意味と、いきなりの衝撃的なシーンに僕は映画館で腰を浮かせた。

公開中の「アウトレイジ ビヨンド」(2012年)でも似たシーンがあった。かつては仇敵だったヤクザの大友(ビートたけし)を、「兄貴」と慕うようになった木村(中野英雄)が、関西の巨大組織である花菱会の会長や幹部連中の前で、大友のために歯で自分の小指を食いちぎる。木村が指を食いちぎるのは、大友の命を救うためである。




木村は、顔に大きくXの傷がある。かつて(「アウトレイジ」の最初の方で)大友にカッターナイフで切られた傷だ。村瀬組の若頭だった木村は、大友組と話をつけるために事務所に出向き「指詰めろ」と押し問答になり、「道具持ってこい」と返すとカッターナイフを出され、「こんなもんで指が詰められるか」と怒鳴ると、いきなりカッターナイフを取り上げた大友に顔面をXに切りつけられる。

それ以来、木村は大友組をつけ狙い「アウトレイジ」(2010年)の最後では、刑務所の運動場の片隅でぼんやりと坐っていた大友の腹を刃物でえぐる。「アウトレイジ」のラストは、山王会の会長におさまった加藤(三浦友和)と、大友組を裏切り加藤の側近になった経済ヤクザの石原(加瀬亮)に、暴力団担当刑事の片岡(小日向文世)が「大友が死んだ」と告げにくるシーンだった。

おそらく北野武監督は続編を作るつもりはなく、「アウトレイジ」はあれで完結していたのだが、ヒットしたために映画会社から乞われて続編を作ることになったのではあるまいか。「アウトレイジ」のキャッチフレーズは「全員悪人」であり、それに間違いはなく、どいつもこいつも悪党でイヤな奴だった。自分の欲望のためだけに、平気で人に暴力を振るい命を奪う。

ビートたけしが演じた大友も観客が感情移入できる人間ではなく、暴力的で残虐で親分に舌を突き出させ下顎をたたきあげて平然と殺す。出てくる人間全員が自分の欲望のままに生きている。極道の筋目などという言葉も出てくるが、親子の盃を交わしたオヤジだろうが、兄弟盃の相手だろうが、おかまいなしに殺しまくる。弱い者は恫喝し、陥れ、暴力で従わせる。そんな映画がなぜか、とても面白い。

●ささいなトラブルから抗争がエスカレートしていく

ヤクザの世界は、ピラミッド型社会である。「アウトレイジ」の人間関係は、それがわかっていないと混乱する。大友組は小さな組である。若頭は水野(椎名桔平)であり、金庫番が石原(加瀬亮)だ。彼らの間に仲間意識などはない。彼らをつなぐものは暴力と恐怖だ。ミスをすれば「バカヤロー」と怒鳴られ、殴られる。水野に殴られた石原は、チンピラの失敗を責めて何度も足蹴にする。序列の世界だから、上には逆らえない。

10人ほどの大友組を率いる大友には、親子の盃を交わしたオヤジ池元(國村隼)がいる。池元組は山王会という関東を仕切る広域暴力団に属し、池元は直系組長として幹部会に出席する地位にいる。「山王会池元組系大友組組長」というのが大友の肩書きになる。水野の場合は「山王会池元組系大友組若衆(者)頭」となる。まあ、「東京都千代田区飯田橋」というのと同じだ。

「アウトレイジ」は、その山王組の幹部会から始まる。大きな屋敷の前に高級車が並んでいる。人相が悪い黒服の男たちがそれぞれの車の近くで立っている。オヤジを待っているのだ。それをカメラが移動して映していく。彼らは組長の運転手であり、ボディガードである。大友組組長であるビートたけしも日に晒されて待っている。ヤクザ社会の序列を強く意識させるオープニングだ。

屋敷の中では幹部会が終わったのか、強面の男たちが昼食を摂っている。ビールが酌み交わされる。山王会会長(北村総一郎)が親衛隊のような若い男たちを従えて長い廊下を歩いていく。山王会本家若頭である加藤(三浦友和)を呼びつけ、池元がヤクの売買をシノギにしている村瀬組と組んでいることを不快に思っていると漏らす。池元と村瀬(石橋蓮司)は兄弟分である。

幹部会が終わり、車の中で池元が村瀬とつるんでいることを怒られたと愚痴る。「村瀬の事務所に弾ぶちこんどきますか?」と大友が言うと、「そんなことしたら、兄弟と喧嘩になっちまうだろ」と池元は言う。腰が引けているのだ。「ちょっと村瀬んとこともめてるってことでいいんだよ」と池元がつぶやく。大友はオヤジに言われたことだから従わざるを得ない。

会長のひと言からささいなトラブルが始まるのだが、その後、どんどん抗争がエスカレートしていくのが面白い(現実だったら、本当に怖い)。まず、サラリーマン風の男が歓楽街で客引きにつかまり、村瀬組系のぼったくりバーに連れ込まれ法外な金を要求される。客は「近くに事務所があるから」と客引きの男と一緒に出るが、そこは大友組の事務所である。大友組の組員が化けていたのだ。

「若いモンが知らずにやったことだ。勘弁してくれよ、兄弟」と村瀬が池元に詫びの電話を入れ、若頭の木村を事務所に遣わす。木村は客引きをしていたチンピラの小指と金を持参するが、「そんなもんで詫びがすむのか」と水野に怒鳴られ(ほとんど怒鳴りあってばかりいる映画です)、勢いで指を詰めることになり「道具出せ」と言い返し、大友にカッターナイフで顔面を切られる。

大友組は、もめ事を起こすための鉄砲玉をやらされているのだ。池元と村瀬はつながっており、村瀬に何か言われると「系列の大友組が言うことを聞かなくて...」という具合に池元は言い訳をする。一方、池元組には大友の兄貴分である若頭(杉本哲太)がいて、山王会会長は「池元が死んだら、お前が組継いだらいいじゃないか」とそそのかす。会長は同じ組内で抗争させてつぶし、縄張りを奪う魂胆なのだ。

これは、まるで「マクベス」や「リチャード三世」などの陰謀うずまくシェークスピア悲劇の世界である。もっとも悲劇というよりが、どこか「人間喜劇」になっている。陰謀、策謀、謀略、策略、裏切り...といった言葉が頭の中を駆けめぐる。全員悪人の中でも、罠にはめられる大友や村瀬には人の善ささえ感じてしまうほど、山王会の会長や若頭といった権力者は腹黒い。汚い。卑劣である。

彼らの間を器用に泳いでいる、暴力団担当刑事の片岡も汚い男だ。彼は大友の学生時代のボクシング部の後輩で、大友を「先輩」と呼んでいる。暴力団に情報を流して金をもらい、持ちつ持たれつの関係を続けている。そんな登場人物たちを見ていると、人間社会そのものの縮図のような気がしてくる。「仁義なき戦い」(1973年)の三部「代理戦争」と四部「頂上作戦」が「人間社会をヤクザ社会に託して描いた喜劇」になっていたのと同じである。

●「血の収穫」のコンチネンタル・オプのような悪徳刑事

「アウトレイジ ビヨンド」は、公開二週目の金曜日の最終上映で見た。銀座で昔なじみの写真家が開いていた写真展を見た後、丸の内東映本社横にある上映館に入った。金曜日の夜だ。近くの西銀座デパートの前からプランタンの周辺にかけて、若い女性を中心に人であふれていた。待ち合わせの人も多く、カップルも目立つ。銀座の夜は久しぶりだったので何となく新鮮だったけれど、やはり人混みは好きになれない。

早めに入ったので劇場内の椅子に腰を降ろしていたのは数人だった。休憩が終わり予告編が上映され本編が始まると、100人近くに増えている。「アウトレイジ ビヨンド」に出てきても、不自然ではない人相風体の人が数人いた。ひとりはスキンヘッドだ。もしかしたら本物のそっち系の人なのかもしれない。年配の人が多いかと思ったが、若い人もいるしカップルもいた。「ヒットしているんだ」と実感した。

海中からクレーンで何かを引き上げているシーンから始まった。ヘルメットを付けたダイバー数人が海面にいる。やがて、車の屋根が現れ、車体が引き上げられる。ふたりの男の会話が画面に重なる。死んでいるのは暴力団担当の刑事らしい。覆面パトカーが映り、会話しているのは警視庁の刑事(松重豊)と上司だとわかる。

加藤が二代目を継いだ山王会は今や巨大な組織になり、政治に介入するまでになった。そんな山王会を放っておけなくなった警視庁は、取り締まり強化を命じる。出世した片岡が策動を始める。山王会は金集めがうまい石原が若頭になり、古参の幹部連中は面白く思っていない。片岡は古参幹部の富田(中尾彬)をそそのかし、関西の花菱会の会長に会いにいく。

花菱会会長(神山繁)と幹部の西野(西田敏行)や中田(塩見三省)は、富田の後押しを引き受けるような対応をするが、裏で富田の裏切り行為を山王会会長に告げ、恩を売ると同時に山王会の内紛を煽ろうとする。そうして、誰が敵で誰が味方かわからない、混沌とした抗争(殺し合い)が始まる。そんな中を何を企んでいるのか、片岡が薄笑いを浮かべて動きまわる。

片岡の動きを中心に見れば、まるでダシール・ハメットの「血の収穫」の主人公コンチネンタル・オプである。ふたつの暴力組織の間を泳ぎ、画策し、だまし、抗争を煽り、ついにはつぶしてしまうストーリーの原型を作ったのは「血の収穫」だ。黒澤明がそれを踏襲し「用心棒」を制作した。しかし、コンチネンタル・オプや桑畑三十郎と違い、片岡の狙いは汚い。

「アウトレイジ」も「アウトレイジ ビヨンド」も出てくるのは全員悪人だが、悪人の中でも汚い人間がいる。権力を持つ山王会会長の加藤、花菱会会長と幹部連中である。彼らを操ろうとする片岡は、もっと汚く卑劣だ。片岡の批判者として登場するのが、平刑事の繁田(松重豊)である。彼は「(汚いマネをして出世するくらいなら)一生ヒラでいい」と、捨てぜりふを吐いて片岡を否定する。

●自分の野望実現のために他人を陥れ利用する汚い奴ら

汚い奴らとは、自分の欲のために他人を陥れ利用する人間である。他人を己の野望のための道具としか見ない。その人間の生死など関係ない。必要なら殺されるように仕向ける。古参幹部の富田が殺され、繁田刑事に「片岡さんが殺したようなもんじゃないですか」と詰問されても、片岡はヘラヘラ薄笑いを浮かべるだけだ。彼はさらにエスカレートし、抗争を煽るために石原の事務所に銃弾を撃ち込む。

花菱会が自分の狙ったように動かないため、片岡は大友を仮出所させ山王会と落とし前をつけさせようとする。そのために、大友と木村を引き合わせる。刑務所で刺した相手を言わず木村をかばった大友は、そのことで木村の信頼を得る。大友が差し出す盃を木村は、「兄弟分の盃として受けてもいいですか」と口にする。大友も木村も暴力的で残虐なヤクザだが、少なくとも汚い人間ではない。

「アウトレイジ」ではオヤジの命令でもめ事を作るために木村とやり合い、その結果、組の者全員を殺されてしまった大友である。自らも刑務所に逃げ込むしかなかった。木村を切りつけたのは、筋の通らないことだったと大友は思っている。少なくとも大友は、自らの行為を反省できる人間性は保っている。刑務所を出たら堅気になるつもりの大友を、抗争の火種にしようとする片岡はやはり汚い。

山王会の幹部に無惨な殺され方をした、若い子分ふたり(桐谷健太・新井浩文)の死体を見つめる木村にも人間的な何かを感じた。ただ、感傷的あるいは情緒的な描写を徹底的に排除する北野武作品である。描き方はあくまでクールであり、かつハードである。しかし、昔の兄弟分の息子たちを預かったのに、死なせてしまった悔いが木村を責めている。そんな木村に大友も心を開く。兄弟分のちぎりを交わす。

山王会への落とし前をつけるために木村は大友を誘い、伝手を頼って花菱会会長と幹部たちに会う。しかし、花菱会の連中は、反抗的で花菱会を怖れない大友と言い争いになる。「殺したろかい」「殺せ」の応酬が始まる。木村とはつながりがあった幹部の中田が「こんな奴連れてきて、てめぇ、指詰めろ」と怒鳴り、西野が「道具持ってきたろか。ドスか包丁か」と続ける。

ヤクザの本質は恫喝ということが、実によく伝わるシーンである。双方、怒鳴り合うだけで、なかなか手を出さない。中田は腰から拳銃を抜くが、手に持ったまま「殺したろか」ともの凄い顔をして脅すだけだ。大友も「おう、やってみろよ」と挑発し、椅子から身を乗り出す。恫喝のチキンレースである。どちらも引くわけにはいかないが、本当は引くきっかけを待っているのだ。

「殺したろか」「殺せ」とやり合っていた大友と中田が立ち上がり、睨み合う。大友がいつ撃たれるかと、緊張感が高まる。中田がついに大友に拳銃を向けそうになったとき、木村が自分の小指を食いちぎる。第一関節の下くらいから食いちぎられた小指が畳に落ちる。一瞬の静寂。誰もが絶句するしかない。しばらくして、会長が「こいつ、病院に連れてったれ」と重々しく口にする。

どんなに度胸のすわったヤクザでも、自分で小指を食いちぎることなどできはしない。突然、拳銃をくわえて引き金を絞った「BROTHER」の寺島進ほどの凄さはないが木村は花菱会に認められ、大友も木村がそれほど心酔している男なら...と受け入れられる。昔のヤクザ映画なら「男が男に惚れる」展開になるけれど、花菱会会長や幹部たちは「あれなら使える。利用できる」とほくそ笑むだけだ。権力者たちは、下の人間を捨て駒としか見ない。

●権力を握り王になろうとすることに何の意味がある?

「アウトレイジ」「アウトレイジ ビヨンド」が描き出したのは、ヤクザという己の欲望のためには人を殺しても平気な連中(常に生死の場に晒されている人間たち)に託して、人間は何のために、誰のために生きているのかという問いかけである。彼らは最高の権力を握り、君臨することを願っている。王になろうとした男たちである。しかし、そのことに何の意味があるのか。

頂点の権力を手にするためには、手段を選ばない。誰が死のうが知ったことではない。裏切った者、刃向かった者は殺し、己の目的のために屍の山を築く。人間の歴史の中では、何度も繰り返されてきたことである。イギリス王家の歴史であろうと、日本の戦国史であろうと、トップの権力をめざして人間たちは醜く争い、多くの捨て駒(兵士)が死んでいった。

「アウトレイジ」のときの大友は、そんな権力闘争に巻き込まれ翻弄された。生け贄にされた村瀬は殺され、池元も捨て駒にされただけである。結局、最も汚い策謀を巡らせた加藤が会長を継ぎ、大友組を裏切った石原がナンバー2になった。悪徳刑事の片岡は出世し、若い刑事に自分の役得を譲った。権力を握り、生き残るのは汚い奴ら......、「アウトレイジ」はそんな印象を残して終わった。

北野武監督は「アウトレイジ」の続編を作るつもりはなかったのだろうが、作ることになったとき、続編のテーマは自ずと浮かび上がったのではあるまいか。僕は、木村がこれほど重要な役として出てくることになるとは予測していなかった。だが、大友と木村を中心に据えて「アウトレイジ ビヨンド」を見ると、そこには「悪人だが汚くはない人間たち」の友情が立ち上がってくる。

「アウトレイジ ビヨンド」の途中、一度だけ僕は涙ぐんだ。殺伐とした映画の中で、そのとき、突然に情感が盛り上がったのだ。他の人間のために小指を噛みちぎるほど思い入れられる(「心酔できる」あるいは「愛することのできる」)男として、木村は描かれた。その後、山王会との手打ちの条件として大友を破門にすることを強要され従ったとしても、木村は自分のためにではなく大友のために指をかみ切ることのできた人間なのだ。

それにしても汚い権力者たちは仲間割れを起こさせようと、様々な策略を巡らすものだ。権力者たちは、下の者たちが結束するのを怖れる。友情を交わすのを反逆の芽としてつぶす。権力者は、自分への絶対服従だけを望む。下の者が誰かを愛したり、誰か別の人間を尊敬したり、その人間のために命をかけたりすることを許さない。仲間を作ることを警戒する。反目させておけば、自分が安心できるからだ。

権力を握った者は、それが永遠に続くことを望む。自分以外の人間は自分のために生きているのだと思わなければ、権力者にはなれないし権力を握り続けることもできない。ヤクザ社会ならそれを露骨に描けるが、政治の世界を始め現実社会でも同じことは起こっている。だから、僕は汚い権力者になるよりは、悪人の方がまだマシだと思う。できれば、善き人でありたいけれど......

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >

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