[3374] さらば青春の光よ

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《完売したら自分被写体の写真集出すぞ》

■映画と夜と音楽と...[567]
 さらば青春の光よ
 十河 進

■Otaku ワールドへようこそ![164]
 ギプス、松葉杖、セーラー服
 GrowHair




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■映画と夜と音楽と...[567]
さらば青春の光よ

十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20121116140200.html
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〈さらば青春の光/ビッグ・ウェンズデー〉

●布袋寅泰が歌っていた主題歌は「さらば青春の光」

もう20年近く前のことになるけれど、「課長サンの厄年」(1993年7月〜10月TBS放映)というドラマが放映されていた。ショーケンの主演だった。奥さんの役は石田えりである(時代を感じるなあ)。その年は僕も厄年だったので、ドラマには共感したり感情移入する部分が多くあり、毎週、必ず見ていた。かんべむさしの原作まで読んだのである。

主人公は中年クライシスを迎える時期で、それなりの誘惑もあったりして「中年の惑い」にとらわれるのだが、上司役の長塚京三の方が後半になって中年の危機に襲われ不倫を始める。その後始末も主人公がやらされたりして、サラリーマン社会の理不尽な部分も描かれていた。簡単に言えば、とっくに青春を過ぎた中年サラリーマンの悲哀が漂うドラマだったのだ。

そのドラマのテーマ曲を布袋寅泰が歌っていた。作詞作曲も布袋寅泰である。当時、僕は布袋寅泰になじみはなかったのだが、そのテーマ曲は頭に残り、毎週、聴くのが楽しみになった。歌詞はセンチメンタルでノスタルジーにあふれありきたりだったが、それが故に僕の胸を撃ち抜いた。その曲のタイトルは「さらば青春の光」だった。僕はシングルCDを購入し、ドラマが終わっても繰り返し聴いていた。

「さらば青春の光」という曲を聴くと、もちろん「さらば青春の光」(1979年)というイギリス映画が甦った。特にラストシーンの衝撃が......。あれは、ドーバー海峡の断崖だったのだろうか。イギリスを舞台にした映画でよく見かける風景だ。最近では、リドリー・スコット監督の「ロビン・フッド」(2010年)でも似たような海岸が出てきた。

布袋寅泰の「さらば青春の光」は、前半の歌詞では青春時代の輝きが寂寥感を伴って甦り、中盤の歌詞では現在の己の状態に対する悔恨が認識され、「おまえは今のままでいいのか」と自分を責める声が生まれる。そして、ラストに至り、「何もかも棄てろ、明日に向かえ」という意味のアジテーションめいたフレーズが何度も繰り返された。

それは、40の坂を越え厄年を迎えたセンチメンタルな男の胸には、ひどくこたえる歌詞だった。過ぎ去った青春時代の輝き、何も怖れるものはなく、ただ突っ走っていた時代。だが、今の自分は上司に頭を下げ、仕事で妥協し、家庭生活を維持するために汲々としている。こんなバズではなかったのではないか。だから、何かを始めなきゃいけない......。まさに中年の危機の訪れだった。

そんな時期に僕は何を始めたのか。まず、長年の持病の手術をした。その持病が僕の生活から積極性を奪っていたのは事実だった。元来、消化器系が弱く、自律神経失調症だか過敏性大腸だかはいくぶんよくなっていたが、腸にポリープが発見されたのを機会に入院したのである。その結果、僕は解放感を味わったし、何かを始める気になった。

僕は、近くの県立体育館のジムに通い始めた。休日になるとトレーニング用の自転車を漕ぎ、ロードランナーで10キロ近く走り、ウエイトトレーニングをした。その近くの自動車教習所に申し込み、免許を取得した。カミサンがひとりで乗っていたパルサーをプリメーラに買い換え、深夜、ひとりでドライブした。一年間で15,000キロを走った。

僕にできるのは、それくらいだった。会社を辞めるほどの度胸も才能もなく、家庭を棄てるほどの思い切りもなかった。新しい恋をするには、相手がいなかった。結局、僕は青春時代の落とし前をつけるために、若葉マークが外れたばかりのプリメーラに荷物を積み込み、20年勤続で初めてもらったリフレッシュ休暇を使い、一週間のひとり旅に出た。

会社のボードには「センチメンタルな旅・梅雨の旅」と書いておいた。写真家の荒木経惟さんの写真集「センチメンタルな旅・冬の旅」が話題になっていた頃だった。そう、まさにセンチメンタルな旅だったのだ。その車の中でも布袋寅泰の「さらば青春の光」が鳴り響いていた。

●いつの時代でも、どこの国でも若者は常に怒っている

青春時代は、無茶ができる時代なのだろうか。小心者の僕は羽目を外したことも、やんちゃと形容されるようなこともやった記憶はないが、社会人になってからのことを思い起こすと、やはり高校大学時代の自分は今よりは無茶だったと思う。無知による失敗も多かったが、怖さ知らずのようなところもあった。

若者は未熟で無知で怖いもの知らずで、社会に向かって、大人たちに向かって、自分の置かれた境遇に向かって、常に怒りを抱いている。いつの時代でも、どこの国でも若者は常に怒っている。現状に満足していないからだ。矛先は両親や教師に向かう。若者は鬱屈を抱え、不満をぶちまけ、怒り狂う。だから、半世紀昔にも「怒れる若者たち」というムーブメントがイギリスから起こり、世界の若者たちの心を捉えた。

イギリス映画「さらば青春の光」の主人公ジミーも怒りを抱えて生きている。鬱屈が積もり重なり、突然に爆発したくなる。はじけたくなる。思いっきり愚かなことをしたくなる。階級社会のイギリスで労働者階級に生まれ、会社では郵便の整理をして各部署に配達する単調な仕事だ。捌け口は、仲間たちとの週末の夜のバカ騒ぎだ。酒を飲み仲間たちといると王様になった気分でいられる。

彼のこだわりは、モッズ・ルックとヴェスパのスクーター。タイトなスーツに細いタイ、米軍放出の長いアーミーコートを羽織るように身に着け、仲間たちとヴェスパを走らせる。彼の憧れは銀色にキラキラ輝き、様々なデコレーションに飾られたヴェスパに乗るエース(スティング)だ。彼らのグループは、「モッズ」と名乗り、リーゼント、革ジャンスタイルでバイクを乗りまわす「ロッカーズ」を軽蔑し、敵対している。

若者たちのスタイルへのこだわりは理解できる。青春時代は、自分がどう見られるかが最大の関心事だ。仲間たちにカッコいいと思われるか、好きな女の子を惹きつけることができるかと、彼は外見に心を砕く。自分たちの粋なモッズ・ファッションに比べれば、グリースで固めたリーゼントや革ジャンスタイルはダサさの象徴なのである。

モッズは60年代の流行だった。ビートルズが登場した60年代半ば、リバプールサウンドから始まったイギリスの若者文化は世界を席巻したのだ。イギリス文学は「怒れる若者たち」を輸出し、ビートルズやローリング・ストーンズはロックを輸出し外貨を稼いだ。そして、ファッションはモッズだった。モッズ・ルックを特集した雑誌を、僕は10代の頃によく読んだものだった。

「さらば青春の光」は、ロック映画でもあった。原題は「四重人格/QUADROPHENIA」である。これはロック・グループ「ザ・フー」のアルバムタイトルだった。公開当時の予告編では「ザ・フー原作の青春映画」と謳われた。だから、映画の中でもロックが流れ続けている。ロックがなければ、モッズは生まれなかった。モッズとロックは分割不能、不可分の関係だったのである。

●「さらば青春の光」が公開された1979年の出来事

「さらば青春の光」が公開されたのは、1979年の秋のことだった。僕は入社4年を過ぎ、30まで2年しかない余裕のない年齢になった。前年の大晦日にピンク・レディーの「UFO」がレコード大賞を受賞して明けたその年は、1月に大阪の三菱銀行北畠支店に猟銃を持った男が押し入り、4人を射殺、40人を人質にして籠城する陰惨な事件が起こり、人々は食い入るようにテレビ中継に見入った。

その犯人の名を誰もが記憶に刻んだ。彼は自分の周囲を人質たちに囲ませ、王様のように振る舞った。「『ソドムの市』を知ってるか?」と訊き、「ソドムの市」のような暴虐を再現しようとした。事件後、そんな銀行内の様子を週刊誌がセンセーショナルに報道した。マニアックな映画ファンしか知らなかったであろうピエル・パオロ・パゾリーニ監督の「ソドムの市」(1975年・1976年9月公開)は、一躍、人々に知られることになった。

だが、僕の記憶に残っているその年の映画は「ビッグ・ウェンズデー」(1978年)である。その映画は僕の人生と密接に結びついている。風呂もない阿佐ヶ谷のアパート暮らしが4年になり、秋の契約更新を想定してカミサンはマンション探しに奔走した。ふたりして大手出版社に勤めている友人夫婦の新居を訪ねたのがきっかけだった。彼らの新築マンションは、確かに僕もうらやましくなった。

だが、彼らふたり分の年収は僕の3倍以上はあっただろう。カミサンは阿佐ヶ谷駅前の西友でパートをしていたが、そんなものは彼女自身の小遣いにしかならなかった。マンションを買えば、僕ひとりでローンを払い続けなければならない。それは心理的に本当に重かったが、カミサンは僕のそんな気持ちなどおかまいなく、あちこちのモデルルームを見てまわった。

彼女は現実的で、3LDKのマンションでもそれなりに安いところばかりを探してきた。友人夫婦のように都心の通勤に便利なマンションではなかった。通勤の利便性については考慮されないのだな、と僕はさらにひがんだ。僕は一度もマンション探しには付き合わなかった。結局、都営線が数年後にできるという大島のマンションと、一年後に綾瀬から一駅延びる北綾瀬駅ができるというマンションが彼女の候補になった。

その頃には、どうでもいいやという気分になっていた僕は、一年後に駅ができるという北綾瀬(実際には新駅からでも徒歩20分を超えた)のマンションにして、抽選会に出かけた。希望した部屋は抽選に落ちたが、売れ残っている部屋があるという。「どうする?」とカミサンは訊き、「じゃあ、申し込めば」と投げやりのように僕は答えた。その後の細々した手続きを上の空で聞き、35年ローンという言葉だけが重く落ちた。

35年...、僕は60を超えている。そこまでローンを払い続けるのか、と重い心のままルンルン気分のカミサンに連れられて、初めて建設予定地に赴いた。千代田線綾瀬駅で降り、バスで20分。花畑運河という場所に到着した。その雪見橋だったか、花見橋だったかの辺に長谷川工務店のマンションが建設中だった。僕は初めてモデルルームに入った。カミサンはもう何度も見たのか、楽しそうに僕に説明をした。

その後、「ぐれてやる」という気分もあったのだろう、僕の生活は少し荒れた。学生時代より無茶をしたかもしれない。ふっと気付くと、ローンを払い続けるために会社勤めを続け、疲弊し年老いた60過ぎの己の姿が浮かんだ。その姿を消すために飲めない酒を無理して飲んだ。そのうち、酒に強くなった。夜明けまで飲んで、始発で帰ったりした。

そんなとき、僕はメーデーのデモに参加した後、「ビッグ・ウェンズデー」を見た。そこには、青春時代の輝きがあり、大人にならねばならない悲しみがあり、背負わなければならない人生の重みがあり、苦い現実と哀愁と寂寥感があった。そして、もちろん友情も...、恋も...。そのとき、僕はまだ27歳だった。なのに、僕の人生は決められてしまったのだ。35年も続くローンが、その象徴だった。

──僕には、一生、水曜日の大波なんてやってこないだろう。

映画館を出て「ビッグ・ウェンズデー」の看板を見上げながら、僕はそんな絶望的な想いにとらわれた。

●青春時代の輝ける日々と喪失感が描かれた

1979年の初秋、僕は新居に引っ越しをした。6畳と3畳のキッチン、それにトイレしかなかったアパートに比べると、広さは3倍ほどになった。廊下を入った右手のクローゼット付きの洋間は僕の書斎になった。リビングとダイニングは間仕切りを開放するとひと間になり、広く使えた。リビングの左手に6畳の和室があり、そこがカミサンの居室になった。

しかし、引っ越してみてわかったのは、駅までの道がひどく混んでバスの時間がかかることだった。僕は結局、自転車で駅に出ることにして、駐輪場に申し込んだ。自転車でも20分ほどかかった。「原付にしたら」とカミサンは気楽に言ったが、免許を持っていない僕は原付免許の試験を受けにいくのが面倒で諦めた。駅までの途中、環七を横切るのだが、朝は多くのバイクやスクーターが走っていた。

やがて11月になり、僕は28になった。その10日後に「さらば青春の光」が公開になった。昔から青春映画は好きだし、特にタイトルが気になっていたので、僕は会社の帰りに「さらば青春の光」を見た。引っ越して都心に出てくるのを億劫がるようになったカミサンは誘わなかったし、その頃はひとりで映画を見るようになっていたのだ。

「ビッグ・ウェンズデー」はサーフィンに人生を重ねた映画だったが、「さらば青春の光」はファッションとヴェスパにこだわった青年の物語だった。そして、青春時代の輝ける短い日々が描かれ、それが失われてしまう喪失感が生々しく伝わってきた。主人公は青春時代の輝きが永遠に続くことを信じているかのように、過激に突き進む。分別のある大人になんかなりたくない、と彼は全身で叫んでいるようだった。

主人公は好きな女の子がいるのだが、その子は彼自身も憧れているカッコいいエースに夢中だ。そんな想いも彼を屈折させるのか、よけい過激にロッカーズとの対決に向かって無鉄砲な行動を取る。しかし、ロッカーズとの対決は途中で警官隊に阻止され、彼は逮捕され、職を失い、家族からも「出ていけ」と言われる。失意の彼は、憧れだったエースがベルボーイとして卑屈に働いている姿を見て、さらに絶望する。

人は、生きていかなければならない。生きていくうえで、最も必要なことは「耐えること」である。我慢することだ。先日の梅原猛さんの言葉を引くなら「忍辱の徳」である。辱めを忍んで徳を積むことである。いくら卑屈に見えようが、働いて賃金を得て生活を維持するためには、忍ばなければならない。しかし、そんなことに気付くのは、今の僕のように長く生きてきた後である。

若さの絶頂にいる「さらば青春の光」の主人公には耐えられない。我慢できないのだ。彼は断崖に向かって、ヴェスパを飛ばす。フルスロットルにする。それは青春時代の特権であり、映画でだけ描ける夢だ。そのラストシーンは、今でも僕の脳裏に鮮やかに刻み込まれている。そして、この映画を見て僕は「スクーターもかっこいいじゃないか」と思った。それでも、免許は取りにいかなかった。

「さらば青春の光」を見たとき、僕は自分の青春の終わりを感じていた。28歳の既婚者が、何を今さら青春だよ、とも思ったが、とりあえずマンションを買いローンを引き受ける覚悟は固めた。責任の重さは過剰に感じたが、それを放棄する勇気は僕にはなかった。それから14年が過ぎ、厄年を迎えた僕は「課長サンの厄年」に共感し、「さらば青春の光」と歌う布袋寅泰の声に、「さらば青春の光」を見た頃の自分を思い出していた。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
>

四巻目の「映画がなければ生きていけない2010-2012」が書店に並ぶのは来年早々ですが、先日、アマゾンを見てみたらすでに予約受付中でした。カバーが何色になるのか、表紙のイメージがまだ出ていないのでわかりません。僕はグリーンと予想しているのですが...
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> 太陽が溶けてゆく海

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■Otaku ワールドへようこそ![164]
ギプス、松葉杖、セーラー服

GrowHair
< https://bn.dgcr.com/archives/20121116140100.html
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前回のが配信されたのが11月2日(金)でしたが、配信60分前に柴田さんにメールを送り、「まだ間に合うようなら次の一文を追加してくれませんか」とお願いしました。間に合って掲載されたわけですが、その一文とは、「PS.足を骨折しました。デザフェス、予定どおり出るつもりですが......」でした。

ギプスと松葉杖で整形外科から帰ってきた直後でした。いったい何が起きたのか。ここ2週間、どんなふうに過ごしていたのか。そのへんを語ります。

●酔っぱらってグキっと

いったい何をやらかしたのか。あんまり面白くないのがちょっと不満である。例えば次のようなストーリーだったらいいネタになったのに。駅の昇り階段で、前を歩いている女の人のスカートが短いのが気になってたら、自分の足許への注意がおろそかになってて、踏み外して転落。気がついたら自分がパンツ丸出しで。それがいちごパンツで、転校生に見られて......、ってもういいか。

実際は、そんな派手なことをやらかしたわけではなく、転んですらいない。前日の夜、中野で飲んだ帰り、段差があるのに気づかずに右足で縦に踏んでしまい、グキっとやってしまったのだ。痛みをこらえてびっこをひきつつも、いちおう歩けたので、大したことではないと思っていた。中野駅まで歩いてバスに乗り、降りてから自宅までも歩いた。自分で足の指も動かせるので、まず骨折はしてないだろうと思っていた。

金曜朝になっても腫れてて痛むので、湿布でもしてもらって少し痛みを抑えたら普通に仕事に行けるだろうと思い、近所の外科へ歩いて行く。レントゲンを撮ってもらったら「折れてますよ」と。えーっ、そんなぁ。ヒビ、ではなく、骨折。右足の、足首よりも先の平らなとこ。

本来つるっとしているべきところに溝ができていて、1ミリぐらい隙間が空いているという。折れたところがズレてはいないので、手術の必要はなく、固定しておけば自然にくっつくそう。全治2週間半。

で、ギプス。足の裏からふくらはぎにかけて、後ろ側半分だけをL字形に覆う形のもの。包帯で巻いて固定しているので、ほどけば取り外し可能。腫れが引いたら全体を覆う形のに付け替えるとのこと。それが11月6日(火)の予定。

初めての松葉杖だが、こんなに大変なシロモノだったとは。往きよりも帰りのほうが難儀した。自分、重すぎ。わきの下に体重をかけるとすぐに痛くなってくるとのことなので、しっかりとこぶしを握りしめて、腕で支えないとならない。75kgをいちいち持ち上げないと前に進めないのだ。普段なら5分くらいで歩ける道のりが20分くらいかかった。手は足の代わりにはならん。

帰り着いたのが午後1時近くで、すぐに柴田さんに前述のメールを送ったというわけだ。この日は結局、仕事を休む。

月曜日はちゃんと、と言っても、朝の通勤時間帯の混んだ電車は避け、遅めに出勤。タクシーを使うという手もあったのだが、一度は、徒歩と松葉杖を比べてみたかったので、全行程を自力で行ってみる。うん、今年一番のいい運動になったかな。

信号は青だと渡る、のではなく、次の青まで待ってから渡る。それでも赤にならないうちに渡りきるのは大変で、急ぎ足(手?)で渡ったら、もう息がゼーハゼーハ、汗が噴き出した。手はだんだんバカになってきて、握力なくなってくるし。かなり頻繁に休憩をとりながら、やっと職場にたどり着いた。

手のひらと腕の上部が常に筋肉痛。背中の上のほうまで手が回らなくなった。腕を鍛えれば、松葉杖ついて脚前挙とかできるようになるかも。これ、体操競技になりうるぞ。帰りはもはや気力が残っておらず、全行程をタクシーで。5,300円。う。仕事して金が減るとは不条理な。右足首がL字形に固定されて曲げられないので、まともに歩けないが、部屋の中ぐらいなら、かかとを着いて、なんとか歩ける。

洗濯した後、左右の揃った靴下をペアーにしていく作業が必要ないので楽だ。片方だけになった靴下もまた使える。片方穴が開いた靴下も、もう片方は捨てずに取っておくとよいかも。

教訓:みなさんも気をつけましょう。
1)太りすぎはこういうときひどい目にあう
2)筋力は普段から鍛えておくべきだった
3)というか、歩くときは足許に注意しよう

●難儀な一日が無事に終わらなかった

11月6日(火)は長い一日だった。まず、午前中に整形外科へ。足首から足の指の手前までを全部覆うタイプのギプスに付け替えてもらった。熱い包帯みたいなので足をぐるぐる巻きにして、それが冷めると、カチカチに固まっている。前のと違って足首が動かせるので、歩ける。けど、深く曲げられないので、右足が伸びっぱなしの変な歩き方になる。右足を出すとき左の松葉杖をつき、左足のときは左をつき、四足歩行。体を持ち上げなくてよいので、非常に楽になった。

右足をついて外を歩くためには、まず、履物が要る。それまでは以前の重い歩き方だ。タクシーで中野へ。靴屋でサンダルを入手。ストラップがマジックテープで留められるようになっているけど、ギプスで足が太っているので、届かない。それを靴修理店に持っていって、届くように細工してもらう。

これでやっと右足を地面について歩けるようになった。中野から総武線と山手線を乗り継いで、職場へ。着いたのは午後3時だった。夜まで仕事して帰る。前日は会社から家までタクシーで帰ったけど、この日はがんばって徒歩と電車で帰る。

もうこれ以上ないくらい疲れきって家に着き、これでやっと横になれると思って鍵を開けようとすると、......ない。なくした。ズボンの左のポケットに財布と一緒に入れておくのが、学生時代ぐらいからの習慣で、それで一度も鍵をなくしたことはないというのに、よりによってこんなときに。

財布を取り出すときに、鍵も一緒に出てきて落としたらしい。財布が一万円札で、ではなく、レシートでパンパンに膨れ上がってて取り出しづらくなってたのと、松葉杖などに気をとられてけっこう不注意になっていた。財布は何回も取り出してるが、座った姿勢で取り出したタクシーが一番疑わしい。どこでなくしたにせよ、見つけるのは相当困難だろう。もはや探しに行く気力すらない。

もう真夜中近い時間で、どうにもならない。しょうがない、朝まではネットカフェ難民だ。コンビニで買ってきたガリガリ君ぶどうサワー味は着いたら食うことにするか。こんなこと、前にもなかったっけ?そうだ、電気を止められたときだ。

タクシーで行くにしても、駅までは戻らないと拾えない。苦労して歩いてきた道を、また苦労して戻るこの空しさ。ネットカフェに限らず、中野は階段が狭くて急なお店が多い。それを昇るのが最後の一苦労。けっこう恐い。こう疲れていると、リクライニングシートでもけっこうぐっすり眠れるもんですな。

錠前屋の番号をネット調べておき、駅前の公衆電話からかけると、1時間ぐらいで来てくれるという。タクシーで戻り、待つ。錠前は、プラスねじでドアに留まっているが、それを外したからといって、開くものではない。ではどうやるかというと......。それを書いたら泥棒が喜ぶだけなので、控えておきましょう。やっと入ることができた。まずは睡眠の続き。この日は仕事を休む。

●松葉杖をついて急な階段を昇り、メイドさんのいる店へ

去年イタリアの展示でたいへんお世話になったバーバラさんが、前の週から日本に来ている。一緒に来ているアーティスト仲間のエリザさんとともに、デザフェスに出展参加するのが主な目的。はるばるイタリアから来てくれて、東京にいるというのに、なかなか会えない。

もともとの予定では、11月3日(土)に池袋で待ち合わせて、一緒に人形作家・清水真理さんのアトリエに行き、それから中野で遊ぶことにしていた。しかし、あの状態でその行程を考えると、感覚的には雲取山(← 東京都で一番高い山、標高2,017m)登山ぐらいに匹敵する。

30年前、浪人明けの決定した3月に登頂成功したけど、氷点下10度で、吹雪いてて、死ぬかと思った。今、健常状態で再挑戦したとして、たぶん登りきれない。池袋は断念せざるを得ない。Barbaraさんたちは、私の案内がなくてもちゃんと清水さんのアトリエに行けたそうで。

日を改め、11月8日(木)の夜に中野で遊ぶことにする。ギプスを付け替えた後なので、多少は歩けるし、階段の昇り降りもできる。一方、去年、展示させてもらった日伊交流イベント "Il Giappone nel Chiostro"(意味はおよそ「教会で催す日本展」ぐらい)は毎年開かれていて、来年も参加しませんか、とお誘いを受けている。

せっかくなので、知り合いのアーティストさんたちも巻き込めればと思い、何人かの作品の写真をバーバラさんに見てもらうと、特に武盾一郎さんのを絶賛してくれた。なら、まず会っていただくのがよかろうと思い、中野で遊ぶ会に武さんもお誘いした。

このあたりのやりとりは、ツイッターの @ ツイートで公開内緒話してるんだけど、今読み返してみたら、「打合せする」とは一言も言ってませんね。「アニソンは歌えますか?」とは聞いてますけど。

オタクの間で不文律のように共有している「自粛しろ」という概念がある。公共の場でエロい同人誌を広げて読んだり、キャラ系のコスプレして歩いたり、キャラの真似とて奇声を上げたり、変なアクションをしたり、アニソンを高歌放吟したりするのは控えよう、という申し合わせである。世の中にはオタクが嫌いな人が多くいることに配慮し、そういう人の「見ない権利」を尊重しようというムーブメントである。

一般ピープルにとっては、オタクなどというのはあたかも実在しない、架空の存在であるかのごとく思っていたとしても、普通に生活できる社会環境を保って差し上げよう。その代わり、オタクの世界をよく分かっていない人たちからの的はずれな批判などは、不可視な存在に対して出ようがあるまい、という深遠な作戦である。地底人作戦。

この掟を破ると、オタクの魂を敵に売り渡した裏切り者とみなされ、ネット上での言論による袋叩きなどの集団的制裁を受ける。これが鬼より恐いオタクのオタク叩き。オマエのせいで、一般人からのオタクに対するイメージが下がれば、俺たちも迷惑をこうむるのだ、という論理。

ちなみにフランスではこの概念はないようで、みんな全開。パリ北駅からシャルル・ドゴール国際空港に向かう列車の中での騒ぎっぷりったらなかった。飛び交う奇声。夕方、バスチーユ近辺で、ジャパン・エキスポ帰りと一目で分かる、原宿ストリートファッションのようないでたちの若くて可愛いパリジェンヌ2人がいたので、聞いてみた。

「フランスは個人主義の浸透した国だから、自粛しなくてもだいじょうぶなんだね?」。「いやいや、電車の中では、年配の男性が苦りきった顔して『このオタクどもめ』って吐き捨てるように言ってたわよ」。って、一般人VS.オタクの軋轢はフランスにもあるけど、気にしちゃいないし、自粛もしないってわけだね。

矢野経済研究所によると、「あなたは自分をオタクだと思いますか」という質問に対し、Yesと答えた日本人は2010年には20%だったのが、2011年には25%に増加している。キャズムを越えたとみてよいのではないか。

あとは、アーリーマジョリティ(前期追随者)、レイトマジョリティ(後期追随者)と一気に伝搬拡散して、日本を席巻していくのではあるまいか。ある日あるとき一斉に水面に浮上してきたら日本はすんごい景色になりそう。オタク革命。

そのときを楽しみに、今は、一般ピープルの目の届かない地下などに、オタク解放の場がある。そのひとつが中野の「アニソンカラオケバー Z」。
< http://anisonbar-z.com/
>
どんなとこなのかは、一昨日、水曜日の武さんの描写の通りですが。みんなで大盛り上がり。

非オタな人があの空気の中にいきなり放り込まれたら、そりゃ面食らいますわな。バーバラさんはコミケの空気をよくご存知なので、多少びっくりしつつも、楽しめたという。結局、日本人が日本文化にカルチャーショックを受けてたという構図。いや〜、武さん、異世界に連行しちゃってすいません。

●ほんとにそれ買うんですか?

11月10日(土)、11日(日)はデザフェス。例によってセーラー服で。例によらずギプスに松葉杖で。これは意外と似合うコンビネーションだ。さらに包帯でぐるぐる巻きにして、眼帯つけて、ついでに血のりで仕上げたりすると完璧にデザフェス仕様の装備になりそうだが、似合いすぎて誰も本当に怪我してると思ってくれないだろう。

こんな状態なので、タクシーを使わざるを得ない。一日目の往きと二日目の往復はウチと東京ビッグサイトの間全部をタクってしまった。高速代込み8,000円以上かかる。一番痛いのは足じゃなくて懐だ。けど、早い早い。いつも1時間半かかるところ、30分で着く。

一日目の6:30amごろ、駅前に向かって歩いているとき一台のタクシーが通りがかったが、行先を告げると、夜通し走っていてもう上がるところだから遠くは勘弁ね、と断られてしまった。駅前に着いたらすぐ別のが来て乗れたからいいんだけど。二日目の5:30amごろ、駅前に来たタクシーは、また前日の一台目と同じ運転手だった。「今日もだめですか?」「今日は昨日より一時間早いからだいじょうぶ」。

2〜3週間前の平日の早朝にも私を乗せているという。あ、それってデザフェス出展用の写真を撮りに行ったときだ。10月19日(金)7:00am 新宿発の特急あずさ1号に乗るために、中野駅までタクシーで行ったのだった。よく会うなぁ。私にとっては早朝に必ず通る運転手さん、運転手さんにとっては早朝からいつもセーラー服で出かけるおじさん。

ブースの後ろの壁に黒い紙を貼るのに二人がかりじゃないと無理なので、清水さんの人形教室の生徒であるヒムカコノエさんに手伝っていただくようお願いしていた。けど、私はひとり分の仕事ができないので、どうしようかと困っていたら、清水さんのほうから、別の生徒さんにも聞いてみましょう、と言ってくださった。で、愚味(ぐみ)さんにも来ていただけることになった。

一時は出展をあきらめようかとも思ったのだけど、配布用のDMの束を人から預かってることもあり、やっぱり引込めるわけにはいかず、非常に困っていたのだ。お二人のおかげで無事にブースを構えることができて、ものすごく助かりました。ありがとうございます。

今回展示するのは清水真理さんおよびヒムカコノエさんの人形作品の写真。ヒムカさんのは8月25日(土)に、私が勝手に「スピリチュアルの森」と呼んでいるロケ地へ撮りに行ったのだった。下界が猛暑で高湿度でどよっとした空気だったのに、涼しくて爽やかで、よかったなぁ。

清水さんのを撮りに行ったとき、セーラー服姿の自分が被写体のも撮ってもらっておいた。それも、売れたりしないかな? 販売用の写真は30種類ほどをそれぞれ5枚ずつ2Lサイズにプリント。

一枚200円、よりどり3枚500円で販売。その中の一種類だけは人形ではなく自分が被写体のを混ぜとく。「完売したら自分被写体の写真集出すぞ」と宣言。まあ、売れるわきゃないからだいじょうぶ。

初っ端に売れたのがそれだった。やばい。その後もそれを手に取る人がいて、なんとか挫こうと必死。「それ、ほんとに買っちゃうんですかぁ?」「たたりますよぉ」。けど「じゃあいいです」と返す人は一人もなく。初日で完売しちゃいました。2日目にはあらためて5枚置いておいたら、それも完売。言った手前、写真集を出さないわけにいかなくなりました。

こんなのが売れたことをもって、私はすっかり混乱した。「価値」とはいったい何なのであろうか。ひょっとして、何もないところに価値を創造してしまったということなのであろうか。これからの商品開発は、「要るものは何か」ではなく「世の中で最も要らないものは何か」という発想で考えると案外とヒット商品につながるのかもしれませんね。さて、写真集、どうしよ?

今回、ブースに立ち寄ってくださった方々の中に、声優の清水愛さんがいらっしゃいました。「ヤッターマン(第2作)」等、アニメやゲーム100作品以上の声を担当している実績ある声優さん。数か月前、ツイッターで、こっちからフォローしていたわけでもないのにフォローされるようになって、ちょっとびっくりしていた。

聞いてみると、人形の写真のウェブサイトをたどっていて、私のツイッターアカウントに行きついたのだそうで。で、今回、私のブースまでごあいさつに来てくださった。光栄の限り。もったいないもったいない。たいへんきれいなお方でした。猫のバッグがかわいい〜。

2日目には、私がプロデュースに関わっている例のアイドルグループのステージがある。3:00pm〜 と 5:30pm〜 の2回、30分ずつ。今まで、告知をほとんどせずに小さいライブハウスで練習ライブを重ねてきたが、大きなステージはこれが初めて。西ホールのど真ん中に設けられた、横10メートル、縦25メートルのショースペース。非常にいい場所だ。エスカレータなどから通りすがりにちらっと見ていく人も含めれば1,000人以上に見られることは確実。

一週間前の11月4日(日)、やや広めの練習スタジオを借りての通し稽古では、まずまずだった。本番でも緊張してガチガチになったりせずに、同じようにできればOKだ。頼むから骨折とかしてくれるなよ。骨折アイドル、それはそれで新しいけど。

本人たちにとってはそうとうなプレッシャーだろうけど、跳ね返してちゃんとやってくれるだろうと、私はそれほど心配していなかった。客席の親御さんたちは、前のグループの公演のときからそわそわして落ち着かない様子でしたが。

期待にたがわず、いいステージを見せてくれた。集団の力で見せるのではなく、個が光っているのが特徴的だったと思う。私は例によって写真を撮る役目なので、舞台上のどこからでも撮らせてもらえるという特権。松葉杖を放り出して、びっこをひきながら、あっちへこっちへ。アップにしたり引きにしたり。ふと客席を見ると、かなりの数のカメラがアイドル本人たちにではなく、こっちに向けられてて、ちょっとアセった。
< https://picasaweb.google.com/107971446412217280378/DesignFesta1211#5811104137485066802
>

後でツイッターを見ると、評判はまずまず。

・小学生のアイドルっぽい女の子が踊ってる横でカメラマンしてるセーラー服きた内田○也みたいな白髪のお爺ちゃんが今日の一番の衝撃的でしたw

・名物のセーラー服オッサンがプロデュースしてるC(ハート)A(シーアイエーと読む)という4人のアイドルユニットがオッサン込みで良かった(笑)

踊り狂う少女たちと、それを必死に一眼レフで撮り狂うオッサンの対比が絶妙だったのだよ。

・いまライブスペースにいる子たちの名前なんだろ? 小学生くらいのアイドルユニットなんだけど、たぶん生歌で、けっこう上手くて踊りもいいー!

・スチームパンクな衣装のアイドルの子はCIAっていうのね。

・デザフェスが歌い踊る女児小学生をセーラー服を着た白髪のじいさんが一眼レフで撮りまくるイベントになっててカオス

・衝撃的だったのが、内田裕也みたいなじーさんがセーラー服来て、ロリアイドルユニットの写真を撮りまくっていたという状況。

・今日アイドルのステージあったけど結構良かった。笑

・見た! 面白かったし、曲良かった!!! ただ、写真撮ってるおっさん気になって死んだ。

・生歌だしダンスもなかなか良かった! あのセーラー服のおっさんメンバーより目立ってたよね。。私もめっちゃ気になったわ。。。

・あの人フォトプロデューサーっていう訳の分からない名前の役職の人らしいよ!笑

・見たみた!笑 チラシもらったよー! 謎すぎるわ...なんであんなかっこしてんだ...

・わかんないけど、異常なインパクトが残ったね。特に足を怪我してる事がもうね。死んだね。

バーバラさんたちのブースも大成功だった。写真の小冊子は完売したそうで。日本滞在中は、次の冊子を作るため、取材と撮影に忙しそうだった。イタリアでもフランスでもあちこち案内してもらっていて、東京ではこちらからあまりご案内できなかったのが心残りですが、武さんと中野で遊んだのは、そうとう楽しかったようです。火曜の早朝のフライトで成田を発ち、イタリアに帰り着いたとの連絡をもらいました。
< http://momographica.com/
>

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
セーラー服仙人カメコ。アイデンティティ拡散。

主観というのか客観というのか。本人視点よりも他人視点で、という意味では客観的だけど、結局は見た人の主観なわけで。ケバヤシの目撃ツイートはやたら多かった。下記はごく一部。

・デザフェス来たけど、入口付近で早速セーラー服を着たおっさんやゴスロリを着たおっさんや亀甲縛りしたおっさんとすれ違って初心者へのデザインの洗礼ぶりがすごい。

・昨日の昼間のあれ。ある意味良い経験でした。派手なメイクしてたり仮装してたりセーラー服のおじいさんいたり。デザインなんちゃらというよりインパクト勝負の隠し芸大会って感じ。

・セーラージジイやばかった!

・以前下北でみたセーラー服来たおじいさんがロリな女の子がステージに出てるとき一眼で撮影しまくってたのが今日のハイライト。

・昨日のハイライトは、セーラー服でおさげのおじいさんです。綺麗なドール写真を展示してた。

・皆好きな格好して歩いてて楽しそう。一部で有名なセーラー服を着たおじいさん、今回もいた。杖ついてた。

・「セーラー服 松葉杖」でツイッター検索をしたら、おじいさんは新宿まであの格好で移動しているのですよ〜。どこまでがネタなのかと思いましたが、素だったのですねぇ(汗汗)。

・セーラー服着た松葉杖のおっさんみたり、髪のながいショーパンのおっさんみたり、新宿は恐ろしいところです。

・じいさんがミニスカなセーラー服きて写真撮ってる(∵) 見えちゃうよ...

・セーラー服の爺さん、元気そうだったけどパンツ丸見えだったんだけど(・_・;)

・サンタの普段着がセーラー服の可能性がありますね大発見ですね

・ギプスに松葉杖でミニスカートのセーラー服着て、セミロングの頭頂部ハゲの白髪のおじいちゃんがいて芸術と変態は紙一重だと痛感した

・三つ編みでセーラー服を着た女装おじいちゃんというハードコアなものを見てしまってソウルジェムにヒビが入った。

・あのセーラー服のサンタクロースみたいなおじいちゃんが衝撃過ぎて展示物を一切覚えてませんよね...♪(´ε` )

・とても綺麗とは言えないが激しくセクシーな服装の人、どう見てもおじいちゃんなのにセーラー服を着てる人、なんというか「コスプレ」のように割り切ってなく、かといって「オシャレ」のようにすましているわけでもない、独特の落ち着きの悪さなんだよね。

・セーラー服のおじいちゃんは見たことあったけど、学ランのおばあちゃんがいた...

・リツイート画像でたまに見るセーラー服着た謎のお爺ちゃんがおりはった。そこまでは良かったけどそのお爺ちゃんが清水真理さんのお人形さんの写真を撮ってはるのを知ったのと、写真がすごく綺麗なのと話したら意外と礼儀正しいお爺ちゃんで...何かいろいろと戦慄した

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編集後記(11/16)

●月に何度か、妻と自転車で川口市の大型食品スーパーに買い出しにいくが、そのコース途中に犬を飼っている家がある。全身まっ黒の中型犬で、たいていは家の前で寝ているのだが、クロ、クロと呼ぶと起き上がって尻尾を振る。ときどき頭をなでることもあった。ある日、その家の前を通ると犬小屋のそばに張り紙があるのに気がついた。そこにはこう書いてあった。「この犬の名前はクロではなく、シェリーです」

我が家の犬の名前はハニーだが、ハニー号、クニキチと呼ばれる。昨年の今頃までは、どう呼ばれてもすばやく反応したものだ。お菓子の包みをこっそりあける小さな音や、ハニーについての会話まで察知して、鋭い視線を送ってきたり、吠えたりした。耳も鼻も勘も、さすがに鋭かった。ところがいまはどうだ。背後から呼んでも反応しない。耳がすごく遠くなったのだ。そして、最近呼び名がひとつふえた。Gサン、である。

愛犬を勝手に別の名前で呼ばれた飼い主は、我慢ならずに張り紙を出したわけだが、「うそつき」と言われ続けるのに耐えきれず、「『良い人』でいたいから『同志180人落選』を決めた」(週刊新潮見出し)ノダ首相だった。「近いうち」と約束したのが8月8日で、今日11月16日解散日が100日目だという。これが「〈うそつき〉の非難を免れる許容範囲らしい」(よみうり寸評)。「嘘つきといわれないための"自己愛"解散」(伊吹文明自民党元幹事長)

本当に「うそつき」呼ばわりがいやだったらしく、子どものころの通知表の話まで持ち出して「野田君は正直の上にバカがつく」という講評を父が喜んでくれたなんて言うには鼻白んだが、「トラスト・ミー」という言葉が軽くなってしまったのか、というくだりには笑った。いままでの美辞麗句や四字熟語にはウンザリだったノダさん、ようやく面白くなったのにもうお別れね。(柴田)

●初日、二日目は良かった。弾みがつくのだ。なので入力が楽なMac版を買ったのだ。Dropbox経由でiPhone版と同期している。Mac版を買ってからはiPhone版はほとんど使っていないが。で、仕事が詰まってくると、この設定すらメンドクサイ。時間のある時しか使わないってのもアリなのか、いや、それは習慣にはならないのではないか?

HTMLコーディングなんて、時間の見積もりをたてても机上の空論。毎回、なんじゃこりゃ〜という難題がある。同じページなんてほとんどない。全ページを小分けにして、これは何分、これは1時間と見積もりを出すのも大変。いや、出した方がいいんだが、詰まっている時は考えるのもいやになってくる。で、メンドクサイから、1ページにかかる作業の平均時間をアバウトに考えてみて、それぞれのコーディングスタート時間を入れてみた。うまくいけば何時には寝られるな〜と思いつつ、作業開始。

遅延時の音は5分ごとにした。Dueはスタート時間を先送りできるが、そうなるとその次の仕事と重なってしまう。順番が変わる可能性がある。だから先送りボタンは押さない。次の作業開始時間前にスタートできればチェックを入れるだけだし、遅れたら何分、何時間遅れの表示がされるので、思ったより時間がかかってる、早まっている、というペース配分に使えるのだ。Dueアプリ単体で時間記録もとれたらいいんだけどなぁ。予測との比較が簡単なのに。(hammer.mule)

< https://itunes.apple.com/jp/app/due-rimainda-taima-aramu/id390017969?mt=8
>
Due iPhone版
< https://itunes.apple.com/jp/app/due/id524373870?mt=12
> Due Mac版
< http://bi-plus.net/kenkou/massage/10-second-stiffness-of-the-shoulders-personal-cure/
>
たった10秒触るだけ!どうして?と疑いたくなるほど超簡単な肩こり解消法