ローマでMANGA[58]ユーリ、軌道に乗る
── midori ──

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●連載頭と単行本頭の直接対決

軌道に乗る前に対立があった。前回話をした、日本の編集者の連載頭とヨーロッパの作家の単行本頭の対立だ。

イゴルトは、将来単行本になるのだから、単行本として構成ができていればいいではないか......としか考えられない。編集者は、どうしても週刊誌の中で掲載ごとにインパクトのあるものを載せたい。

担当の堤さんが、他のヨーロッパの作家とのミーティングをしにパリへ赴くというので、イゴルトは「直接対決」を望んだ。

対決するに至る前、私とイゴルトの間でこんな電話のやり取りがあった。

Midori「掲載ごとに読者がサスペンスを覚えるような......」
イゴルト(むきになる)「サスペンス?! この話で8ページでサスペンスなんて無理だよ!」
Midori(焦る)「い、いや、つまり、サスペンスという言葉が悪ければ......えーと、好奇心。そう、読者が好奇心を覚えるような終わり方を......」
イゴルト「ふむ......」

メンタリティと仕事の進め方の違いに加えて、通訳とファックスを通してのイタリアと日本のやりとりは確かにツーカー感がない。




加えて時差もある。例えば、イゴルトが担当編集に宛てたファックスを、私が今朝の10時に受け取る。すぐに翻訳にとりかかれるとして、ワープロで打ち込み、一時間後に日本へ送信したとする。

日本では同日の午後7時だ。午後7時なら、編集さんはまだ編集部にいる確率が高いけれど、直ぐに返事が書ける状況にあるとは限らない。で、翌朝へ持ち越すとする。

翌朝の11時に、ローマの私宛にファックスを送信する。その時ローマでは午前3時。当然、私がファックスを読んで翻訳をするのは、少なくもその5時間後。つまり、行って帰ってで、ヘタすると24時間かかってしまう。

1993年の4月にボローニャで「ユーリ」の企画を出して、この「対決」に至ったのが翌年の1月。

今、ネットで3人チャットなどでミーティングを進めていたら、もっと早く進んだろうと思う。早く進んでいれば、その後の週刊誌掲載や単行本編集なども日本の作家並みのスピードで進行し、読者の反応も違ってきたかもしれない。

この「外国の作家さんにマンガ言語で描き下ろしてもらう」企画、もう10年繰り下がっていたら、少し違う結果になったのではないかと考えると残念だけれど、運命の神様がそう決めたのだから仕方がない。

パリでの話し合いは、1才児を抱えていた私を交えずに行われ、その結果をファックスで知ることになる。

担当の堤さんは、イゴルト以外にもフランスとスペインの作家を抱えていて、イゴルトだけにパリ滞在期間全部を当てたわけではない。

つまり、その後私が立ち会ったミーティング状況からしても、2時間から、長くても3時間のミーティングだったと想像する。

その場で互いの反応が返ってくるミーティングの3時間は、ファックスでのやり取り1年分に相当する......と実感できる、イゴルトからのファックス通信だった。

パリでの「対決」の約20日後のそのファックスでは、ミーティングで確認を取ったネーム32ページ分を送りました、とある。

さらに、主人公「ユーリ」のキャラをさらに深めて、「この主人公の魅力はその可愛らしさ、無防備さにある。これを表現できる世界中に共通する赤ん坊のシンボルってなんだろうと考えてみました」と続く。考えの進め方が、とても「MANGA家」だ。

その答えはミルク。ユーリは哺乳瓶をいつも抱え、こぼれたミルクで遊んだりする状況をネームに盛り込んだ。ユーリの小ささを強調するために、母船のグリーンカンガルーは巨大な宇宙船という設定にした。

さらにサブキャラも付け加えた。ママを探す旅のお供のロボット。ユーリの兄弟分として作られたロボット。

パリに赴いた時、イゴルトは始めの二話分の原稿をほぼ完成させていた。このミーティングで物語を構成しなおし、描いた原稿は順番を遅らせて組み替えた。

●イゴルト、日本へ行く

この頃、モーニング誌は大ヒットだった小林まこと氏の「What's Michael?」(ホワッツ マイケル?)の連載が終わって間もなくの頃で、
< http://bit.ly/SgCjjV
>
かわぐちかいじ氏の「沈黙の艦隊」
< http://bit.ly/SgConR
>
弘兼賢史の「島耕作」シリーズがヒットし、
< http://bit.ly/SgCtrH
>
毎号百万部の売上を記録していた。

編集長栗原さんの発案で、利益を読者に還元したいと毎号オリジナルグッズを作って、読者プレゼントにしていた。

陳腐なグッズはなくて、Tシャツやフード付きジャケットの大物、腕時計、目覚まし時計、高級ボールペン、バンダナ、アウトドアグッズ、など多伎に渡り、しかも実際に使用したり身につけたりして、まったく恥ずかしくないものばかりだった。

読者に還元のほかに、世界のマンガ界にも貢献したい、日本以外の編集者、漫画家で日本の仕事の仕方を見たい人、単純に日本を見たい人に奨学金を出すことにした。

この奨学金でかなりの数のヨーロッパ、アジアの編集者と漫画家がモーニングを訪れた。この時のモーニング編集部、特に海外担当の編集者は通常の編集業務の他に、旅行代理店のような業務もこなすことになった。

イゴルトは、この機会を利用して日本に1994年の3月から5ヶ月滞在することになる。

日本にいるから編集者と直でミーティングができる。直接会話は編集者の多少の英語と、当時編集部にいた日本語が達者なフランス人編集者か、この企画のために国際部から異動になっていた英語ペラペラの編集者が間に立った。

イゴルトは日本滞在で様々なインスピレーションを受けて、それは「ユーリ」にも反映された。例えば、兄弟ロボットは乳母ロボットになった。しかも「第五世代の木製ロボット」だ。

当時の東京では、まだたまに木製の床の都電やバスや山手線が走っていた。40歳以上の人は、木製の床の公共交通機関を覚えていると思う。
< http://suishi.img.jugem.jp/20120428_1066108 >
< http://www.jnr-photo.com/ECkyugata/kabesen/kabesen-h >

イゴルトはこれにいたく感激したのだそうだ。東京のような、テクノロジーが発達した街で、公共交通機関に木材が使われている!!!で、「第五世代の木製ロボット」。しかも名前が「UBA」。

哺乳瓶の中身はお醤油! と言い出すほど日本に強いインパクトを得たイゴルトだった。私はお醤油を飲むなんて気持ちが悪いと感想を言った。編集者は気持ちが悪いけど、まぁいいかなとお許しを出したけれど、幸いイゴルトはミルクにしておいてくれた。

世界初の子供宇宙飛行士「ユーリ」の骨格が決まった。

◯オールカラー各話8ページで週刊誌モーニング掲載。
◯全92ページを描き終わってから一気に週刊連載。
◯各話片起こし
◯従来のMANGAのコマ割りを外し、大コマや見開きを使って絵本のような構成にする。
◯必ず母船グリーンカンガルー搭載のコンピュータ「ボゾ」の航海日記で始まる。日本での話し合いで、各話のサブタイトルも決定し、いよいよ連載頭と単行本頭が融和して作業が始まった。


【みどり】midorigo@mac.com

◎やっほー! 衆議院解散!!!! 日本の外では在外選挙が告知の翌日12月5日から、大使館では10日まで、領事館では9日まで行われる。

私がどこに誰に投票するかはもう決まっている。

新憲法
人権擁護法案反対
外国人参政権反対
TPP反対
国旗国歌尊重
を公約に掲げるところ。

◎私が書いたMANGAの構築法を解説した本が出た! 画像を沢山駆使したビジュアルで一巻80ページ。お値段は10ユーロ。講師をしているMANGA学校に併設された出版部から出た。でも学校のサイトにも、出版社のサイトにも本のことを記事にしてない。もっと宣伝してよ。

ただいま、二巻目のリライト(みどり風イタリア語から純正イタリア語へ)が終えたところ。12月のクリスマス前には出すという出版部の意向。

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