まにまにころころ[18]同じものを目にしていたはずなのに
── 川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito ──

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こんにちは、震えるほど寒いのに、コンビニでアイスを買ってきた川合です。まあ部屋はあったかいし、何となく食べたくなって。

さて今回は最近読んだミステリの話でも。前に、人の死なないミステリが好きだって書きましたけど、ミステリ全般が好きなので、人の死ぬミステリも読みます。逆に言えば、人が死ぬ物語の中では、ミステリがまだ一番ましかもって思いも少し。少なくとも、感動の押し売りのために登場人物を死なせるような安直な物語よりはずっと。




◎──森博嗣『すべてがFになる』

「ミステリ好きのくせに、今さら?」って言われそうですが、好きといっても、実際たいして色々読んでるわけではないんです。他のジャンルに比べて比較的、という程度で。まあそれでも確かに今さら感があるくらい、有名な作品ですね、これは。私も名前はずっとずっと前から知ってたんですが、なかなか読む機会がなくて、つい最近読みました。で、すっかりハマって、今、そのシリーズを順に読み進めている途中です。

『すべてがFになる』から始まるシリーズは、登場人物のイニシャルから「S&Mシリーズ」と呼ばれる一連の作品で、工学部建築学科助教授の犀川(さいかわ)先生と大学生の萌絵(もえ)が事件に巻き込まれて、あるいは萌絵が積極的に首を突っ込んでは解決していく、といった話。

どんな小説についてでもそうですが、ミステリは特に、その中身について書くわけにはいかないので、私の貧弱な語彙では「面白いよ」のひと言で、他には書くことがなくなってしまうのですが......面白いから、読んでみてください。書評書ける人、ほんと尊敬します。

◎──森博嗣『幻惑の死と使途』

私はまだS&Mシリーズを読み切っておらず、6作目の『幻惑の死と使途』を読み終えたところなんですが、その話の中で個人的にものすごく衝撃を受けた箇所がありました。萌絵と友人の洋子が研究室からインターネットに接続し個人のサイトを閲覧しているシーン(文庫版P350-351)なのですが、


  「なんか、こういうの見てるとさ、一般の人たちがみんな評論家になって
  いくみたいで、どの情報を信じたら良いのか、どんどん分からなくなるよ
  ね」洋子は急に真面目な話をする。
  「このまま、日本中の人がホームページを開設なんかしたら、もう情報が
  多すぎて、結局は役に立たなくなっちゃうんじゃないかしら」

  「たぶん、そうなるわ」萌絵は言う。「今みたいに一部の人がやっている
  間は価値があるけれど。だんだん、自分の日記とか、独り言みたいなこと
  まで全部公開されて、つまり、みんながおしゃべり状態で、聴き手がいな
  くなっちゃうんだよね。
  価値のある情報より、おしゃべりさんの情報の方が優先されるんだから、
  しかたがないわ。でも、それはそれで、価値はないんだって初めから割り
  切れば、面白いんじゃないかしら。そんな気もする」「カラオケみたいな
  もんね」洋子は頷いた。

と、こんなやりとりを、ネットスケープ眺めつつしてるんです。ここを読んで、思わず手を止めて奥付を見ました。初版が2000年。それだけで十分に驚いたんですが、私が読んでいたのは文庫本です。改めて初出の年を調べると、1997年。ちょうど私がインターネットに初めて触れたのが、それくらいでした。

でも、萌絵や洋子が言うようなことは、微塵も思い至りませんでした。あの当時に、こんなことを思っていた人がいた。作者の森博嗣か、あるいは森博嗣が何かを参考に書いたとしても。

海の向こうの話ですが、Googleの原型となるエンジンがラリー・ペイジとセルゲイ・プリンによって生み出されたのが96年。Googleの創業が98年。彼らも同時期に同じようなことを思っていたような気がします。2012年も終わろうかという今になってこれを読んだ私には、「なんだこの予言の書は」といった思いです。

同じものを目にしていたはずなのに、そんなこと考えもしなかった。見ていたのに、見えていなかった。悔しいというか何というか、自分の能なしっぷりに呆れるというか。能なしというより、脳なし? 考えることをしなかったから。

もっとも、いつもこういうことで凹まされることばかりなので、自覚もあるし、悪い意味で慣れてもきているんですが、今自分が仕事にしているWebについての話だったので、ダメージが少し大きくて。職業選択、誤ったかなと......

前回、ポジティブに考えようって書いたところなのに、「こんな脳なしでも、仕事にして生きてられるんだ」くらいにしか思えない。それも自嘲気味に。

もっと何か得意なこと見つけて、あるいは身につけて、それを仕事にするべきかなとも思うところですけど、ろくに何も考えなくても、知った風を装って、のらりくらりと色々やり過ごすことができるってのも、ある種の特技ですよね。この特技で一生なんとか乗り切られることを祈るのは、ちょっとポジティブに過ぎますかね。(苦笑)

◎──理系ミステリ

気を取り直して、ミステリの話に戻ります。S&Mシリーズの犀川先生は、工学部建築学科の助教授。大学の助教授が探偵役になるミステリと言えば、東野圭吾のガリレオシリーズもそうで、あちらは物理学の博士。どちらも、専門分野の知識が謎解きに活かされるわけですが、読んでいて「理系ミステリ」と感じるのは、なぜか断然S&Mシリーズのほう。

理由の一つとして、ガリレオシリーズが、大学の先生と刑事による物語なのに対して、S&Mシリーズは大学の先生と学生による物語で主な舞台が大学だから、ということもあると思います。

ですけど、それよりも、なんというか、S&Mシリーズは最初から最後まで、全体の「物語」が、理系のにおいを感じるんです。文系の私が言うのも変ですが。まあそれも結局、最初に挙げた理由から登場人物の8割くらいが理系だからってのも大きいんでしょうけど。

もっと専門的な森博嗣の「理系ミステリ」への言及は、文庫の『すべてがFになる』の解説にあるので、そちらをどうぞ。私には、「理由は分からないけど、同じように大学の先生が探偵役になっても、印象はぜんぜん違ってて、面白いなー、なんでだろうなー」程度です。脳なしなので。

◎──理系と文系

理系がどうのって書きましたが、理系と文系って分け方にさほど意味があると思っているわけではないです。ただ今回この話を書きながら思ったのは、同じものを見ても、その先を考えるのは理系的かなって。さっき最後に書いた部分で、「なんでだろうなー」をそのまま放置しちゃえるのは文系的かなと。

「こう書くと、世の文系の方々から殴られそうですけど。ここで言ってるのは、学問の分類、というか受験の分類で言う文系・理系でなくて、もっと感覚的な話。哲学は受験では文系ですけど、私の感覚では思いっきり理系的。そんな話で。まあ、深い理由付けなどは何もありません。だって......まあいいや(笑)

世の中をクリエイティブに推し進めているのは、理系的な方々だと思います。私も少し見習って、たまには理系的な思考もしたほうがいいんだろうなーと、軽く反省込みで、そんなことをぼんやり思いつつ、今回はこの辺で。

さて、買ってきたアイス食べよっと。

【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
合同会社かぷっと代表
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