[3393] 徳大寺伸に似てる僕の伯父さん

投稿:  著者:  読了時間:30分(本文:約14,600文字)


《第1位は『這いよれ! ニャル子さん』》

■映画と夜と音楽と...[570]
 徳大寺伸に似てる僕の伯父さん
 十河 進

■ところのほんとのところ[88]
 激動の2012年
 所幸則 Tokoro Yukinori

■エンドユーザー大変記[38]
 おっさんアニメに見るアニメの将来と頭脳戦
 ジョニー・タカ




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■映画と夜と音楽と...[570]
徳大寺伸に似てる僕の伯父さん

十河 進
< http://bn.dgcr.com/archives/20121214140300.html >
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〈山のあなた 徳市の恋/按摩と女/新選組血風録〉

●伯父と従姉妹と並んでいる53年前の写真

その日、兄からのメールを読んだ後、僕は納戸にしまっておいた古いアルバムを探した。10歳の誕生日に、母親からプレゼントでもらったアルバムだ。そこには僕が子供の頃の写真がきちんと整理されている。モノクロの写真ばかりだ。中には、セピア色になっているものもある。3歳くらいから10歳までの写真だ。坊ちゃん刈りの、まるで「三丁目の夕日」に出てくる子供達のような姿である。

目的の写真は、アルバムの真ん中あたりにあった。右端は兄だ。その横に僕がいる。胸に太いラインが入ったセーターを着ている。当時はそんなセーターが流行っていた。確か紺色の地に胸の部分だけ横に白いラインが入っていたと記憶している。その隣にベレー帽をかぶり、シャレたショートコートを着た少女がいる。キツネの襟巻きをし、白い靴下には丸い房が飾りで付いている。背は、僕より高い。

少女の隣にいる四人目の大人は伯父である。今見ると、まだ30代に見える若さだ。少女は伯父の長女で、ユキコと言った。幼い頃に患った病(小児麻痺だろうと思う)のせいで、右足を引きずるようにして歩いた。彼女は僕より一歳年上で、兄より一歳下だった。僕の母が兄を生んだ翌年、伯父は初めての子を授かり、その翌年に母は僕を生んだ。その写真には、昭和34年2月と書かれている。僕は7歳、兄は9歳、従姉妹は8歳だった。

従姉妹の記憶は、あまりない。伯父が彼女を我が家に連れてきたのは、ほんの二、三度だった。僕は太っ腹で陽気な性格の伯母(血は繋がっていないけれど)が大好きで、よく伯父の家に泊まりにいっていたから、従姉妹とは遊んでいたはずなのだが、その記憶が甦らない。伯父の家を思い出そうとすると、伯母の元気な声ばかりが耳に甦る。「ススムちゃん」と言う伯母の姿が目に浮かぶ。肝っ玉母さんのように、伯母はよく肥えていた。

陽気な伯母に比べると、伯父は酒を飲んでは愚痴った。仕事はうまくいっていたが、子供の病気で苦労したからだ。長女は足を引きずるだけですんだのに、次女は重度の脳障害と身体障害が残り、まともに口をきけず這うしかできなかった。ずっと、おしめがとれなかった。彼女はひどい斜視で、子供だった僕は彼女に見つめられるのが怖かった。彼女の言葉は理解不能だったけれど、伯母は理解していた。それを、僕は不思議に思っていた。

次女は脳性麻痺だったのだろうか、僕は詳しく聞いたことはなかった。母親は教育がなく古い人間だから、「あれは兄さんと嫂さんの血が合わなかったからや」と非科学的なことを口にした。「ユッコは足だけですんだのに、下の子は口もきけんし、歩けもできん。おしめもとれん」と母親は実兄の悲運を嘆いているのか、恥じているのかわからない言い方をした。母親のそんな言葉に反撥し、僕はよけいに伯父の家に遊びにいくようになった。

僕の親戚の中では伯父は唯一のインテリだったし、教育もあった。母親に言わせると「家は貧しかったが伯父さんは頭がよくて、先生に勧められて実業学校へいった」そうだ。どういう学校かはよくわからなかったが、学校にいきながら給料がもらえる制度だったらしい。逓信省が運営していた学校なのか、伯父は郵政関係の仕事をしていたという。戦後は、郵便局の仕事に就いていた。

僕の母親は長女で妹がふたり、上は兄だけだった。そのためか、頭のよい伯父を自慢にしていた。その伯父の娘たちがふたりとも障害者になり、それを嘆いていたのかもしれない。いや、母は田舎育ちで昔の人間だから、「情けない」と思っていたのだろう。それでも、伯父の話をするときは誇らしそうだったし、何かと言えば「伯父さんは徳大寺伸に似てる、と言われてハンサムだったんよ」とよく口にした。

●スナップのクサナギくんがリメイクした「按摩と女」

スマップのクサナギくんが「山のあなた 徳市の恋」(2008年)に主演したとき、オリジナル作品の「按摩と女」(1938年)で主演したのは徳大寺伸だったな、と僕は思い出した。子供の頃から母に「伯父さんによく似た徳大寺伸」と聞かされ続けた僕は、東映映画でよく見かける脇役俳優を気にかけていたのだ。そして、徳大寺伸が戦前には主演作もあった人だと知った。

「日本映画俳優全史」(教養文庫)によれば、明治44年(1911年)生まれの徳大寺伸は慶應大学を出て昭和8年(1933年)に松竹に入社する。最初は本社勤務の社員として入ったのだが、すぐに蒲田撮影所に移って俳優になったという。その後、清水宏監督の「大学の若旦那」で準主役としてデビューした。清水宏監督には気に入られていたのだろう。「按摩と女」も清水宏監督作品だ。

清水宏監督は田中絹代の最初の夫としても知られているが、戦前から多くの作品を残した巨匠である。戦後も「蜂の巣の子供達」(1945年)など、子供を主人公にした作品に名作が多い。僕が子供の頃、小学校の映画教室で見た「次郎物語」(1955年)も清水宏監督作品だった。ロケ好きで知られ、「按摩と女」も山の温泉地を舞台にし、ロケの多い作品だった。今と違い、撮影機材を屋外に持ち出すのは大変だったことだろう。

「山のあなた 徳市の恋」は、清水宏監督作品の脚本をそのまま使用しているから、「按摩と女」の物語は最近の人にも多少知られただろうか。僕はどちらも見たが、やはりオリジナル作品の方が余韻は深かった。クサナギくんはよくがんばっていたけれど、ずっと目を閉じての演技にはやはりどこか不自然な感じが残った。しかし、徳大寺伸の按摩役は見事なもので、恋した女性を一度でいいから自分の目で見たいという彼の切なる願いが、その演技から伝わってきた。目の見えないもどかしさが、映画全体に情感を与えていた。

徳市は目が見えず按摩として生計を立てているが、仲間たちからも勘の鋭さを感心されるほど神経を研ぎ澄ましている。負けん気が強く、目の見える常人たちに負けたくないと、まるで目が見えているような速さで山道を歩く。杖をついた按摩に追い越された学生たちがムキになって追い返したくなるほど、彼の常人に対する敵愾心は露骨だ。徳市は自分のハンデを克服しようとしている。同情されるなんて、まっぴらなのだ。

そんな徳市が謎めいた、ひとり旅の女に恋をする。その美女を演じているのが、美しさの絶頂にあった高峰三枝子である。昔の女優だから和服姿がよく似合い、どこかハイカラな感じもある。ある日、宿で泥棒騒ぎが起きる。泊まり客の財布がなくなったというのだ。徳市は、自分が恋した女を疑い、やがて彼女が盗んだのだと確信する。彼女が捕まるのを防がなければならないと、徳市は思い詰める。

徳市が、純な想いを募らせていく姿がせつない。目が見えないことの悔しさ、それでも常人には負けまいとするけなげさ、目の見えない人間らしくない自尊心の高さが常人たちから反撥され「小憎らしい」と思われるつらさ、そんな感情がうずまく中で、謎の美女への純粋な想いが徳市を素直な男にする。70年以上も前、身体的ハンデのある人間を主人公にして、その内面を自然に描いた作品としても貴重だ。清水宏監督の自然な演出に応えて、徳大寺伸は存在感を漂わせる。

●原田佐之助の役は徳大寺伸の他には考えられない

美空ひばりや中村錦之助が主演した、今から見ればノーテンキな東映明朗時代劇の脇役として僕は徳大寺伸を知った。母親が言っていたのはこの人なのだと、スクリーンを見ながら「大した役者じゃないな」と思っていた。子供にとっては主演俳優以外は、みんな大したことのない役者なのである。映画は名脇役たちがいなければ成立しないと悟るのは、ずっと後のことだ。

僕が徳大寺伸を好きになったのは、1965年から66年にかけて放映されたテレビシリーズ「新選組血風録」からである。主演は栗塚旭が演じた土方歳三だったが、原作が新選組の隊士列伝になっていたから、毎回、中心になる人物が代わり、島田順司の沖田総司や左右田一平の斉藤一などが主人公になる回もあり、それぞれのキャラクターに人気が出た。その中のひとりである原田佐之助を演じたのが、徳大寺伸だった。

明治末年生まれの徳大寺伸は、その頃は60半ばである。とてもそんな年には見えなかった。豪快だが女好きの好人物という原田佐之助のイメージを確立したのは、徳大寺伸である。その原田佐之助が中心的なエピソードが第20話「その前夜」だった。王政復古の大号令が発布され薩長軍が上洛し、伏見奉行所に逃れた新選組が「明日は薩長軍との戦いが始まる」前夜の話だ。戊辰戦争の鳥羽伏見の戦いである。

その前夜、原田佐之助は土方の居室にやってくる。「京都から使いがきた」と原田は話し始める。だが、なかなか話を切り出さない。本題を言いにくそうな原田は「ダメだろうなあ」と何度も繰り返すばかりで、何が言いたいのかわからない。土方が「原田くん、話がまったく進んでいない。私には何のことだかわからない」と切り返され、ようやく口を開く。

原田は「京都に女房だと思っている女がいて、その女に子供が生まれるんだ」と言うが、「非常事態の夜だから、私用で外出なんて幹部として許されないとわかっている」と煮え切らない。原田は、自分が父親を知らない子供だったことを話し始める。原田は京都へ飛んでいきたいのに、自分が幹部でありワガママが言えないことも知っている。話を聞いている土方の顔が強ばってくる。

「原田くん、お話の途中だが、今は新選組全員が臨戦態勢だ。一切の自由行動は許可されない」と、土方は苦虫を噛みつぶしたような顔で言う。原田は「仮にも新選組の幹部なのに、つまらねぇことを言ったよ」と立ち上がる。肩を落として出ていこうとする原田を土方は呼び止め、「只今から、きみに京都探索を命じる。ただし、特に報告はいらない」と命令を出す。その瞬間、子供のように嬉しそうな顔をする原田佐之助が印象に残る。

●自分の子ができるときに僕はふたりの従姉妹を思い出した

12月2日、兄から届いたメールには「伯父さんの長女が亡くなった。弔電をお願いします」とあった。僕はすぐに電話をしたが、兄は詳しいことを知らなかった。父と母は、通夜にいっているという。通夜から戻ったら電話がほしいと伝言して、僕は電話を切った。そう言えば、兄は僕ほど母方の伯父一家との接点はなかったかもしれない。

僕も10代半ばから伯父とは、まったく会っていなかった。18で上京してからは、親戚とは祖父や祖母の告別式で会うくらいだった。最後に伯父に会ったのは、母方の祖父が亡くなったときだから、もう20数年前になる。そのとき、新築して間のない伯父の家を訪ね、久しぶりに「ススムちゃんな、ホンマに立派になって...」と相変わらず肥えた伯母に言われた。

そのとき、もう伯父の次女は亡くなっていた。結局、10代半ばまで自宅で世話をしていたが、伯父と伯母も年をとり施設に預けることになった。僕のところに訃報が届いたのは、30年近く前になるだろう。彼女は、30を少し過ぎた年齢だった。その知らせを受けて、僕は子供の頃の従姉妹の姿を甦らせた。僕が知っているのは、10歳くらいまでの従姉妹だ。

子供の頃にはわからなかったが、伯母があれほど陽気で明るかったのは、もしかしたら努力して振るまっていたのではなかったろうか。長女は足が悪く、それが不憫でワガママ放題に育ててしまった。次女は、生まれたときから重度の障害を抱えている。そんな娘ふたりを抱えて伯母は、なぜあんなに陽気でいられたのだろう。次女の死を知った夜、僕はそんなことを思っていた。

それから長い長い時間が過ぎ、今度は長女が亡くなった。伯父と伯母は、どんな気持ちなのだろう。親にとって最も悲しいのは、自分より先に子供を亡くすことだ。それは、いくつであっても変わらない。92歳の伯父にとっても同じだろう。62歳で亡くなったとはいえ、彼女は伯父たちに残された、たったひとりの娘だった。伯父と伯母はふたりの子供を得、彼女たちを先に失ってしまったのだ。

夜遅く、母から電話がかかってきた。「まあ、62まで生きられたからねぇ」と、母は納得したように言う。「伯父さんも伯母さんも『ススムちゃん、ときどきは帰ってくる?』と、あんたのことばっかり訊かれたよ」と母が続けた。「子供の頃、ずいぶん可愛がってもらったからね」と僕は答えた。自分の声が妙にかすれているのに気付いた。鼻の奥がツンとした。50年前、伯父の家で食事をしたときの情景がありありと甦った。次女にスプーンで食事させる伯母の姿も......

●原田佐之助の喜びの表情に「伯父さん」と声をかけたくなった

子供の頃、一度だけ伯父を怖いと思ったことがある。アルバムに貼られた写真を撮った日の夜かもしれない。僕の父はまったくの下戸で酒は一杯も呑まない。だから、その頃まで僕は泥酔した大人を見たことがなかった。もちろん、冠婚葬祭で親戚の大人たちが酒を酌み交わすのを見たことはあったが、そんなにひどく酔った人間を見たのは、その夜の伯父が初めてだった。

元々、酒を呑む人間ではあったが、その夜の伯父は我が家で酔って大声を出し、立ち上がろうとしてよろけた。結局、立ち上がれず、壁にもたれて再び大声を出した。何を言っていたのかは憶えていない。その姿が、その声が、僕には怖かったのだ。もしかしたら、あのとき、伯父は自分の人生に対する不満を訴えていたのではないか、ふたりの娘を襲った不幸を呪っていたのではあるまいか。ずっと後、自分がときに泥酔するようになって、そんなことを僕は想像した。

20代半ば、初めてカミサンの妊娠がわかったとき、僕が真っ先に思い浮かべたのは従姉妹たちのことだった。正直に言うと、僕には傷害のある子供が生まれてきたら...という怖れがあったのだ。僕には、何の覚悟もできていなかった。結局、4か月になる前に流産してしまったが、そのときカミサンを心配しながらホッとした自分がいたのを僕は忘れない。絶対に忘れるべきではない、と言い聞かせてきた。

僕に長男が生まれたのは、30のときだった。病院の新生児室のガラス越しに目を閉じた赤ん坊を見て、僕には「この子がひとりで生きていけるようになるまでは......死ねないな」という思いが湧き上がってきた。親になるとはこんな気持ちになることか、と僕は悟った。そのとき、自分の父母の気持ちを知った。重い障害を持つ娘たちを育てた伯父と伯母の気持ちも理解できる気がした。

どんな障害があろうとも、自分の子供は育てる。どんな子であっても、親とは無条件で子供を愛せるものなのだ。もし、一生自分の力で生きていけないような子供であったとしたら、どんなことをしても生き続けてその子を守ろうとするだろう。子供のためなら、自分の人生のすべてをかけられる。親とはそういう存在なのだ、と僕にはわかった。身に沁みた。

従姉妹の告別式が行われている同じ時刻、僕は「新選組血風録」のDVDをプレイヤーにかけた。原田佐之助が鳥羽伏見の戦いの前夜、子供が生まれるのに立ち会うために京都へいく。土方が「きみに京都探索を命じる」と言った瞬間に見せた原田佐之助の喜びの表情に、「伯父さん」と声をかけたくなった。娘たちが生まれたとき、伯父もそんな顔をしたはずだ。徳大寺伸は、本当に伯父によく似ている。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >

この歳なら当たり前なのだろうけれど、いろいろと身体的に不調が出ている。長く使っているので、あちこち古くなっているのだろうなあ、と思いつつ、一気に修理する気にもなれない。それでも、週に何度かは遅くなってしまう。だから、週末は自宅からほとんど出ない。そんな具合で今年も暮れそうです。


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■ところのほんとのところ[88]
激動の2012年

所幸則 Tokoro Yukinori
< http://bn.dgcr.com/archives/20121214140200.html >
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今年は激動の一年だった。後半を中心に書きます。

香川県高松市に住む年老いた両親の体調不調から、渋谷の一軒家を売っての引っ越しを決意。この売却なども時期が悪いのは百も承知していましたが、想像通りにかなり大変でした。

渋谷から渋谷、区域内でのマンションへの引っ越し。高松の実家に近いマンションをリフォームするまで、実家に併設されているマンションでの仮暮らし。そしてリフォーム途中だけど引っ越し。引っ越しの回数も三回になります。

[ところ]はそういうことだけでも精神的に疲れた。それでも渋谷の写真は撮らなければならない。[ところ]の存在価値は写真を撮り続けることにあるのですから。

高松になんども行き来しているうちに、香川県は日本で一番小さい県とか、うどん県とか、プロモーションしているのは知っていましたが、アート県としても売り出している話を聞きました。

瀬戸内国際芸術祭というイベントを三年に一度、ベネッセが有名なキュレーターに一任して展開しているようです。おかげで、香川県としてはずいぶん観光客が増えたそうで、それはそれはとても感謝されています。

[ところ]も故郷が元気になるのは歓迎です。ただ、芸術家のはしくれとして、コンテンポラリー作家の一人として、ファインアートフォトグラファーの一人として、東京の企業からこれがアートですよと、与えられるだけではなく、自分達もアートを理解し、ア--ティストを志す人が増えて欲しいと思います。

「e-とぴあかがわ」の人が昔からの知り合いでしたので、いろいろ相談されました。[ところ]は少し前に高松の人なら誰でも知っている三越を撮って、いい作品が出来たということもあって、香川をアートとしての写真で表現するチームが出来ないかと考えました。そして、それはすぐ実行に移されることになりました。フォトラボKといいます。
< https://www.e-topia-kagawa.jp/kouza/photolabk.asp >

いま第一期目の講座の途中です。定員20人のところ70人近い応募がありました。講座の後で、大学の後輩と焼き鳥屋さんにいったとき学芸員の方を紹介されました。高松の美術館が郊外(車で町中の僕の実家から40分)にも出来て、[ところ]に個展をやらないかと打診があり、その日のうちに個展開催がほぼ確定したのです。こちらは12月9日で無事終了。観客動員も記録的だったようです。
< http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/19908.html >

この二つの大仕事と、[ところ]が主宰する「東京渋谷ラバーズフォトグラファーズ」というチームの展示が、渋谷の新しいランドマークタワー「ヒカリエ」での渋谷芸術祭に合わせて行われました。このあと、当初の予定であるハチ公前の青ガエルの中でグループ展示も、ささやかながらも開催することになっています。

そして12月5日に、銀座の日産ショールームや和光、銀座三越の交差点の10階のホールで「東京画」の写真家達が集まるパーティがありました。それは写真家達の交流もありましたが、事実上決起集会というか、プレゼンテーションでもありました。

フランスの文化庁や企業を巻き込んで、東京の写真表現で世界に出るという、太田菜穂子さんの決意表明でもあったのかもしれません。パリの美術館で堂々と日本の写真家達がアートとしての写真を見せつける。頑張りたいものです。
< http://www.tokyo-ga.org/photographers/tokoroyukinori/ >

そして、[ところ]にとって今年最後の大きなイベントは、丸屋というK2(一時代を牽引したグラフィック集団)から暖簾わけされたデザイン事務所の30周年記念パーティでした。丸屋の社長の土屋直久さんが、社長を長女にゆずるという襲名披露パーティでもあるのを途中で知りました。とても感慨深いものがありました。

[ところ]が大学を卒業し、すぐに仕事を出してくれた一人が土屋さんでした。多い時は、月に5〜7日は打ち合わせ、納品で顔を出していて、食べて行けるようになったのは明らかに土屋さんとの出会いがきっかけです。「チャチャチャ」というPRマガジンの表紙で2年間24冊実験的なことのし放題で、第一期所幸則がメジャーになれのは、あの仕事のおかげであるのは間違いありません。

そのため、高松の個展最終日に美術館にいられなかったのですが、それでも出席したのは土屋さんが[ところ]の人生でそれだけ大きかったということです。

さあ、まだ高松のスタジオはリフォーム中という状況ではありますが、来年からは写真に集中したいものです。

さて、ニコニコ動画の所幸則 1sec(ONE SECOND)で、プロの職業カメラマンでファインアートもしている人達はなぜ、職業写真をやらずにファインアートフォトグラフをしている人達に怪訝な顔をするのか? その謎を三人で話してみたいと思います。12月15日(土)21時からです。
< http://com.nicovideo.jp/community/co60744 >

【ところ・ゆきのり】写真家
CHIAROSCUARO所幸則 < http://tokoroyukinori.seesaa.net/ >
所幸則公式サイト  < http://tokoroyukinori.com/ >

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■エンドユーザー大変記[38]
おっさんアニメに見るアニメの将来と頭脳戦

ジョニー・タカ
< http://bn.dgcr.com/archives/20121214140100.html >
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ここ近年、アニメをしっかり見ている。病気がちだった頃は一本見るのにやっとであったのに、今は1クール(12〜13回。いわゆる3ヶ月)に3〜4本くらい。人によっては1クール殆どすべてのアニメを見てる方もいるから、私にしてはスゲエ、と思うしかない。

その中で最近浸透し始めている「おっさんホイホイアニメ」(以下おっさんアニメ)について書く。

これは"昔のアニメ"の意味ではなく、"アニメの中に昔のアニメネタを入れ込む"という意味である。それがアニメに限らず、特撮、マンガ、ドラマ、時事ネタにも及んでいることもある。

特徴としては、一定の年代以上には楽しめるが、年代を下回ると入れ込んだ元ネタが分からず、面白さがまったく伝わらない危険性があることだ。

おっさんホイホイ/同人用語の基礎知識
< http://www.paradisearmy.com/doujin/pasok_ossan_hoihoi.htm >

それを代表するのが、今年を代表するアニメとなった『這いよれ! ニャル子さん』である。
< http://nyaruko.com/ >

過去のアニメ、特撮、ゲームネタをこれでもかと詰め込みまくっており、ツイッター、2chの実況スレなどでは元ネタ探しが躍起になっていた。

しかも、テレビでの放送翌日にニコニコ動画で放送するため、ここでのコメントで元ネタの当て合いがあり、更に元ネタの検証動画がアップされるという循環が発生する。

当然、年代が高いほど有利になっており、昔録画していたビデオを持っていればすぐに検証が可能である。

さらにそれを突き詰めたのが『えびてん〜公立海老栖川高校天悶部〜』。
< http://ebiten.jp/ >
(公式サイト自体2chまとめサイトを模していて、物凄く凝っている)

アバンタイトル(略してアバン)で過去のアニメ・実写のオープニング/エンディングを堂々と変えて入れ込んでいる上(例:聖闘士星矢、セーラームーン、蒼き戦士レイズナー、ドラゴンボールZ、堺正章版西遊記...etc)、ストーリーの中にもそれ以外の小ネタをこれでもかと入れ込んでおり、もはや制作側と視聴者との高度な頭脳戦と化していた。ストーリーの中に「チャタレイ夫人の恋人」や山村美紗サスペンス的シチュエーションをさり気なく入れ込んでたりする。

最終回の「ビューティフル・ドリーマーズ」では、なんと押井守の黎明期の傑作、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』をまんま完コピするという...ここまでくると無謀というか、やんちゃである。

そうしたら、見事に年代差が明らかに出てしまい、元ネタが分かる人には分かるけど、分からなければさっぱり分からないという事象が発生した。

ネタが分からず、"クソアニメだ"と切り捨てるのは簡単である。しかし、そう簡単に捨ててしまっていいのか? 元ネタを探すこともアニメを見る一環である。掘り下げて見れば、まったく違う世界が見えてくる。そういう面白さがある。

結局、何が言いたいのかというと、今後こういう"おっさんアニメ"がアニメの主流になる予感を物凄く感じたからである。

日本は今後、総選挙でも喧伝されている少子高齢化時代になる。当然、オタク層も高齢化していく。ターゲットを固定化して売り込んで行かないと結局続編も作れず、一過性に終わってしまう。ただ下手な鉄砲も数打ちゃ当たるでは、市場自体が萎んでしまうのは明白である。

『這いよれ! ニャル子さん』は続編の制作が既に決定している。
本格的に"おっさんアニメ"をトレンドにする気なのだろう。
来年以降、アニメの細分化が進んでいくか、見ものである。

【ジョニー・タカ】johnnytaka32(a)gmail.com

1976年、横浜・関内で生まれ、上州と越後の風を受けて育ち、来世でもFUNKを踊り続けるフリーランサー。ヴァーチャル・キャラクターに曲を付けて選曲を展開する"コンピレーション"を1998年から行っている。2012年はようやく発売されたPSPソフト『フォトカノ』のコンピレーションを展開中(と言っても勝手にやってるだけです。それを続けて14年目)。PS3でも『THE IDOLM@STER2』が発売されたので、そちらの選曲作業も始めてます。
< http://music.ap.teacup.com/cafedejohnny/ >

(日常ブログ)< http://ameblo.jp/johnnytaka/ >
(ツイッター)< http://www.twitter.com/johnnytaka1962/ >

○10日に36歳になりました。その象徴として、段々腹が出始めました(笑)。まだまだ拙いですが、宜しくお願いします。

○好評であれば来年も見続けるつもりだが、今年見たアニメの中でベスト3を上げるならば...

1位:『這いよれ! ニャル子さん』

1位:『PHYCHO-PASS サイコパス』
< http://psycho-pass.com/ >
総監督・本広克行、シナリオ原案・虚淵玄、アニメ制作・プロダクションI.G.という錚々たるメンツ。内容的には"サイバーパンク+刑事アニメ"という本広、虚淵両者の得意技を合わせたものだが、第1話から見て、自分がこういうテイストに飢えていたことがよく分かった。とにかくツボを押していくかのごとく内容がすっと入っていく。これから話がどんどん展開していくため、毎週楽しみなアニメ。

3位:『キルミーベイベー』
< http://www.tbs.co.jp/anime/kmb/ >
< http://killmebaby.tv/ >

低予算・少人数でもアニメは作れる見本。原作を第1回から読んでいた身としては「これ本当にアニメになるのかよ」と不安だったが、アニメになってからは杞憂だった。

原画や背景は手描き、登場キャラクターが基本2人しかいないので声優も最小限。「金がないならこう撮れ!」(by 藤村忠寿/北海道テレビ・「水曜どうでしょう」チーフディレクター)の典型。意外だったのが、放送終了後の評価が「新手の百合アニメ(女性同士の恋愛を描いたアニメ)」だということ。

○しかし、面白かったのが、『えびてん』が10話完結だったため、終了したら放送していた時間が通販番組に変わっていて、その通販番組で"エア実況"を行なっていたこと。ツイッターのトレンドで挙がっていたので「何で? 終わったべや?」と思ったらそういう理由だった。オタクという人種は、新たな遊びを作り出すことが得意である。

○この稿が載る翌々日が総選挙な訳だが、新聞の事前情勢調査に踊らされてないか? 蓋を開けてみなければ分からないわけだから...そんな中、北朝鮮がフェイントを掛けて"ミサイル"を発射してきた。

どの党がキャスティングボートを握るか分からない。ただ、こういう事態が発生した時の各党の言は記憶しておくべきだ。同じことがまた起こるかもしれないから...最近の選挙で「選挙後を注視しよう」と喧伝している意味はある。


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編集後記(12/14)

●いよいよ衆院選の投票日が迫った。わたしの住まいする選挙区は選挙カーがたまに現れる程度で、いたって静かなものだ。各週刊誌の予測によれば、わが区の民主党候補はお気の毒だが敗色濃厚だ。小沢一郎に引率されて中国に行きコキントーと握手する写真を撮ってもらったり、鳩山首相とランチしたりとご活躍だったが、この逆風の中ではいかんともしがたい。公示前にも車で回っていたが、お詫びもなければ居直りもなく、少子高齢化対策を言葉少なに発していただけ。もっと差し迫って重要なことがあるはず。本当にダメだ、こりゃ。

選挙の論点は何か。原発、TPP、消費税、安全保障などが挙げられるが、各党こぞって有権者への好餌と見込んで投じたのが「反原発」だった。だが、ただ一党、果敢にも再稼働とベストミックスを主張した自民党が圧倒的に支持されている。朝日新聞は12/9の社説で、原発政策の見直しについて「最もあいまいな姿勢に終始しているのは自民党だ。原発を推進してきた党として何を反省し、どう見直すのか。『10年以内に持続可能な電源構成を確立します』と言うだけでは、無責任きわまりない。」と吠えているが、最もはっきりした態度をとっているのが自民党ではないか。

また、「原発ゼロへの道筋を示せ」と各党に注文し「残り時間は限られるが、各党とも、有権者が『選べる』レベルまで原発政策の中身を引き上げてもらいたい」とないものねだり。原発ゼロへの道筋なんてそう簡単にできないから、スローガンだけなのだ。反原発を社是とするなら、朝日自ら原発ゼロへの道筋を示してみたらどうだ。そのデメリットもちゃんと出してね。もともと、原発問題は選挙の論点にはなり得えるはずのないものだった。では、本当の論点はなにか。それは、民主党政権の3年3カ月の評価と総括である。

ノダ首相は「政権交代の前に時計の針を戻し、古い政治に戻るのか?」とか妙なすり替え理屈をこねていたが、ここまで日本を滅茶苦茶にした民主党が政権を握っていない時代なら、喜んで戻りたいもんだ。民主党には鉄槌を下す。ケジメをつける。主権者たる国民をなめるとどうなるか、すべての政治家たちに「因果応報」を見せつける。そういう投票行動をとりましょう。(柴田)


●『1keyboard』続き。インストールしてみた。システム環境設定の「アクセシビリティ」で補助機器にアクセスできるようにする。「Bluetooth」では「入」「検出可能にする」にチェック。以前iPadやiPhone、Androidなどとキーボード接続したことがあったら、そのプロファイルをそれぞれの端末から消しておく。と、『1keyboard』からMac(キーボードにあらず)とのペアリング要求が来るので、要求画面にある番号が同じであればそれぞれOKする。

ペアリングが通ったら、Mac画面側に端末設定が出てくるので、iPadならiPad、iPhoneならiPhoneをプルダウンメニューから選ぶ。ショートカットを設定しておく。で、そのショートカットを入力すれば、端末のアイコンと名前が出てきて、キーボードの入力先が切り替わる。

とても便利なのだが、かな入力でJISキーボードを利用している私には問題あり。かな入力はできる。ただし、配列はUSキーボードなので、キー配置や日本語切り替えがJISと違うのだ。毎回書いてるけど、かな入力だと、ひと文字打つのに、キーを二つ押さなくてもいいのよ。わざわざローマ字入力から学び直したのよ......。続く。(hammer.mule)

< http://www.eyalw.com/1keyboard/ >  1keyboard
< http://usupro.blog41.fc2.com/blog-entry-419.html >
Macのキーボード+マウスをiPadやAndroidに共有
< http://goo.gl/fIZ0f >
英数/かな入力の切替状態を表示してくれる「ImageUp」がナイス!
< http://software.cockscomb.info/imageup/ >
ImageUp
< http://www.oyayubi-user.gr.jp/ >
親指シフトの人にチャット入力スピードで勝ったことがない
< http://heavy.sblog.jp/index.php?e=1353 >
親指シフト(ローマ字から切り替え中の人のブログ)