ショート・ストーリーのKUNI[131]二年間/ヤマシタクニコ

投稿:  著者:  読了時間:8分(本文:約3,500文字)


ある朝、いつものように起きた彼はいつものようにやかんで湯を沸かした。やがてしゅんしゅんと湯がわき、前の日の夜に挽いておいたコーヒーをフィルタにセットして熱い湯を注ぎ始めた。すると声が聞こえた。

──もう飽きたよ

彼は耳を疑い、あたりをみまわしたが誰もいない。声はぼこぼこと泡を立てているコーヒーの中から聞こえたと思った。

「そうか」

急にそれ以上やる気がなくなった。彼はダストボックスのペダルを踏んで蓋を開け、コーヒー豆の粉とフィルタを投げ捨てた。確かに飽きた、と言われても不思議はない。なにしろ学生時代から含めるともう30年以上、毎日コーヒーをいれてきた。毎日同じようにコーヒー豆を挽き、同じようにいれる。もちろん豆の種類も同じだ。

彼はパソコンを立ち上げた。メールをチェックし、そのあと、いつものようにヘッドフォンをつけてYouTubeで音楽を聴くことにした。昔から好きな、ファンからは「マリア」と呼ばれている歌手の歌だ。彼は目を閉じ、歌の世界に没頭する。と突然




──もう飽きたわ

マリアがそう言った。少なくともそう聞こえた。驚いてモニタの中の画面を見るとマリアが自分に向かってほほえんでいた。いや、彼のことを笑っているようにみえた。彼はブラウザを閉じ、ヘッドフォンをはずした。ショックでしばらくぼうぜんとした。

マリアも、学生時代からファンだった。彼と同年代で、この先もずっと、マリアが歌手を続ける限りファンでいようと思っていた。なのに、飽きたと言われた。するとしゅるしゅるしゅると彼の気持ちは萎え、自分でも「飽きた」と思った。もう聴きたくなかった。

彼は途方に暮れた。彼はふだんから「コーヒーが好きでたまらない人のためのサイト」や「マリアファンクラブ」に出入りしていて、それが毎日の重要な部分をしめていた。

仕事で疲れて帰ってきても、「仲間」が集うところに行き、他愛ないおしゃべりをしているうちに気がまぎれた。でも、そこに参加できるのは、あたりまえだがコーヒーが好きな人やマリアのファンだ。もう、自分には参加する資格はない。

いや、隠しておけばいいか。しばらくは何食わぬ顔でいつものサイトに出入りを続けた。だが、なんとなく居心地が悪い。ついていけない。気持ちがどんどん離れていくのが自分でわかる。

結局どちらのサイトからも足が遠のいていった。会社で退屈な仕事を終え、帰ってもすることがない。でも、かつてはそうだったんだ、何も困らないさと自分に言い聞かせる。ニュース以外しばらく見ていなかったテレビを見たりするようになった。

朝にコーヒーを飲まなくなって、仕方ないので紅茶を飲むようになった。紅茶を旨いと思ったことはなかったが、やむをえない。こんなものに慣れるということがあるんだろうか。この年で。

もう一度コーヒーにもどるべきではないのかと思わないでもなかったが、あのときの「飽きた」を思い出すと、そんな気はなくなった。ひとつの窓が閉ざされたら、ほかの窓を探すしかないのだろう。

無理矢理毎日のんでいるうちに半年くらいすると、別に旨くないこともないなと思うようになった。さらに飲んでいるうち、時々「旨い」と思うようになった。ああ、そうなのかと思った。そうかもしれないと思った。別の世界が開けるかもしれないという気持ち。

紅茶が好きな人のサイトも当然、たくさんあった。おそるおそるのぞいてみる。「最近紅茶の味がわかりかけてきた者です」と書くと「ようこそ」「今日から仲間になってください!」「紅茶の楽しみ方、教えますよ!」と歓迎のレスが返ってくる。

彼はうれしかった。かさかさの土に水がしみこむように、それらの言葉がしみ、じわじわとひろがっていく。背筋がのびるような気がする。ほぼ一年ぶりで自分の居場所を見つけた思いだった。涙が出そうだ。

それからしばらくして、テレビを見ているとある番組で地味なドレスに身を包み、歌っている小柄な女がいた。なぜか気になってネットで調べてみると、小説家であり歌手でもある「かれん」という女性であることがわかった。

動画もたくさんあがっていた。どの歌を聴いてもいやだと思わなかった。マリアの歌でも時には、正直な話、あまり好きじゃないと思う曲もあったがそれも含めてのマリアなのだと自分を納得させていた。

でも、かれんの歌は特にうまいとも思わないのにひかれるものがあって、どの曲でもそれは変わらなかった。なんで自分はいままで知らなかったのか、不思議だ。まるで自分の生きていた世界と、別の世界が存在していたみたいじゃないか! 

彼はたちまちのめりこみ、かれんのファンサイトにも出入りするようになった。「かれんさんの魅力がわかる人が増えてうれしいです!」「ここは年齢性別関係なし。思い切りかれんさんのことを語り合いましょう!」とまっていた毎日がふたたび動きだした、と彼は思った。


──今度のオフ会、いっしょに待ち合わせてから行きませんか?

かれんのファンサイトでいつも親しげに言葉を交わしている女から直にメールが来た。

──このあいだ一部の会員さんが提案していた新しいサイト運営についてとか、いろいろお話できたらと思っています。よかったら。

女はサイトで最近話題になっている懸案を持ち出してきたが、それは大したことではなく、口実にすぎないことはわかっていた。彼女にも、それを受けた彼にも。

オフ会の会場になっているレストランに近い喫茶店で、二人は待ち合わせた。女は少し遅れてやってきた。彼より年下ではあろうが、いわゆる中年女だ。でも、少女時代が容易に想像できるような雰囲気がある。きっと快活で男女を問わず友だちがたくさんいただろう。つややかな髪がきれいだ。

「ですよね。私もその案に賛成!」

「私も、実はWEBの仕事してたりするんで、役に立てるかも。○○さんは、それより全体のイメージをつくる担当になればいいと思う」

彼のハンドルを持ち出して言う。

「○○さんって、あのサイトではすでに存在感あるもん。みんなも納得するんじゃないかな」

その気にさせられているだけだとは思うが、悪い気はしない。女をだんだん「かわいい」と思い始めている自分がいる。

「あ、こんな時間。じゃあ、そろそろオフ会のほう、いきましょか」

彼は同意する。席を立つ女のスカートの裾が揺れるのを一瞬、見つめる。

店を出て、歩いて数分のところにあるホテルに向かう。そのホテルの地階に、オフ会会場になっているレストランがある。彼はなんとなく、高揚した気分でいた。

もう二年になろうとしていた。

二年前の彼はコーヒーとマリアのファンで、毎日がそれとともにあったが、なんだかすべてが変わってしまった。でもいいんだ。変わるしかなかったんだ。人間はいつまでも同じことを続けていけないようになっているんだ、たぶん。

ホテルに入り、女と並んで地階に降りていこうとしたとき、一階のひとつの部屋のドアが少し開き、そこから光とともに中のざわめきがこぼれているのに気づいた。軽い気持ちで足を止め、のぞきこんだ彼はおどろいた。

ドアの中では何かの懇親会のようなものが行われているようで、食器がふれあう音や低く流れる音楽にまじって、あるひとの名前が繰り返し人々の口からもれている。マリア......マリア......彼はドアに控えめに張られた紙に気が付いた。

[マリアファンクラブ・オフ会会場]

はっとしてもう一度ドアの中をのぞきこむと、中にいたひとりの男がふりむいた。それは......彼自身だった! 見たことのない黒っぽいスーツを着こなし、ほほを上気させている彼。

だが、振り返っただけでこちらに気が付かなかったらしく、すぐにそばにいた女との会話に戻った。ショートカットに濃い口紅をつけた女。彼の知らない女だった。女は親しげに彼の背中を軽くたたいては冗談を言い合っているようだ。

ドアの外で彼は混乱していた。ここでは、続いていたのか。あのまま、別の二年間が。スーツ姿の彼ははつらつとしていた。笑顔が若々しかった。あんなふうに自分は笑っていただろうか?

肩をたたかれて、彼は我に返った。

「どうしたの?」

声が出なかった。

「私たちの会場はそこじゃないわよ」

そういう女はさっきよりずっと、老け込んでみえた。

【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
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今年も拙い作品を読んでくださってありがとうございました。来年こそはもう少しいろんな勉強もして、ましなものを書きたいと思います。なお、これを読んだ方にもれなく感染するよう、たちの悪い風邪ウィルスを仕込んでおきました。年末年始を咳と鼻水と発熱で楽しくお過ごしください。ごほ、ごほ。